神魔戦記 番外章

                  「死を見つめる者」

 

 

 

 

 

『君の未来にはその力が必要になるからこそ、その眼があるとも言える』

 昔、尊敬する人物がそんなことを言った。

『どうしても自分の手に負えないと判断したときだけメガネを外して、自分で良く考えて力を行使しなさい』

 まだ幼かった自分は、その言葉の意味がまるでわからなかった。いや、いまでも理解出来ているかと言われれば頷けはしないだろう。

 視えたくないモノが視えてしまう眼。

 そんな眼を持ちたくはなかったし、持っていなければ今頃平穏な人生を歩んでいたかもしれない。

 ……だが、結果論ではあるが――この眼があって良かった、と思えることがなかったわけではない。

 壊すことしか出来ない力でも、結果的に何かを救うことは出来るのだとここ最近知った。

 この眼で不幸になることがあっても良い。

 この眼で幸せを掴み取ることが出来るのならば。

『志貴、聖人になれなんて言わない。君は君が正しいと思う大人になればいい。

 いけないっていうことを素直に受け止められてごめんなさいと言える君なら――十年後にはきっと素敵な男の子になってるわ』

 否定しても始まらない。この眼は既に自分の一部。ならばどうにか折り合いをつけて共に生きていくしかないだろう。

 

 死と隣り合わせの人生でも、迷うことがあっても、それでも先生のように前を向いて、せめて自分の生き方に胸が張れるように――。

 

 

 

「ん……?」

 そうして、遠野志貴は目を覚ました。

「夢……か」

 ここのところ夢なんて見ることはなかったのだが……なんで今更あんな夢を見たのだろうか。

「――先生」

 ある意味自分の人生の転機とも言える、あの人との出会い。あの人と出会っていなければ……きっと今頃自分はここにいないだろう。

 きっと……この『眼』に犯され、摩耗し、朽ち果てていたと思う。

 天井にヒビのように走る、多くの『線』。これは特別な眼を持つ志貴にしか見えないものだ。

 昔は単なる不快なものでしかなかったが……、なんでも気の持ちようというものだろう。いまは特別何も感じない。まぁ頭痛はするわけだが。

「……ま、たまには悪くない、か」

 夢見が悪い方だと思っている自分だが、たまには昔の夢を見るのも悪くないだろう。今頃あの人はどこで何をしているのやら。

 軽く頭を振り、サイドテーブルに置いてある眼鏡に手を掛ける。

 それをかけた瞬間、先程まで見えていた『線』は綺麗に消え去った。

 眼鏡をわずか正し、着替えるためにベッドから起き上がる。

 同時、自室にノックが響き渡った。早朝と言えるこの時間、来訪者は一人しかいないだろう。

「あ――」

 静かに扉を開けて入ってきたのは、メイド服に身を包んだ少女だった。

「おはよう、翡翠」

「……おはようございます、志貴さま」

 その少女の名は翡翠。この遠野家の侍女の一人である。

 基本的に無表情であまり感情を表に出さないタイプだが、随分長い付き合いになった志貴には、その機微が少なからずわかるようになっていた。

「……えーと翡翠。もしかして……しょんぼりしてるか?」

「………………そのようなことは、決して」

「いまの間は何かなぁ」

 苦笑。仕事に忠実な翡翠のことだ。起こす前に志貴が起きていたことにわずかな落胆を感じているのだろう。

 早起きも考え物かな、と思い翡翠を見やる。

「ともかくもう起きたから。着替て居間に行くよ」

「わかりました。それと志貴さま」

「ん?」

「居間にお客様がお見えになられていますので、早めに向かわれた方がよろしいかと。秋葉さまがひどく憤慨しているようなので」

「へ? 憤慨……?」

 客が来ていると何故秋葉が憤慨するのか。

 ……や、理屈は簡単。ようするに来客者の問題だろう。そしてそんな相手に志貴は数人心当たりがある。

「……わかった。出来る限りすぐ行くようにするよ」

「そう伝えておきます」

「あ、翡翠」

 一礼し踵を返す翡翠を呼び止めた。いつもの無表情で振り返る翡翠に、志貴は苦笑いをして、

「めげずにこれからも頼むよ。俺が自分で起きることなんて滅多にないから」

「……」

 翡翠は一瞬目をしばたたかせ、

「はい」

 口元を緩めて頷いた。

「ご心配なく。それが私の仕事ですから」

 では、と翡翠が部屋を後にする。その姿を見送って、志貴は満足げに息を吐いた。

「うん。どうやら機嫌は治ったみたいだ」

 良かった良かった、と一安心。他者からすればいまの翡翠のどこを見てそう頷けるかわからないが、志貴にはその違いがわかるのだろう。

 しかし、うかうかしていられない。階下には足を踏み入れるのに勇気が必要な空間がいまも広がっているのだろうから。

「……被害が大きくなる前に行こう。自分のためにも」

 自分の言葉に頷き、志貴はせっせと着替えだした。

 

 

 

「おはよう〜……」

 居間に足を踏み入れた志貴は、何故か忍び足で何故か小声だった。

 勇んだところで結局怖いものは怖いのである。

「おはようございます兄さん」

 ビクゥ! と、その声だけで身体が一瞬跳ね上がった。

 居間の中央。白塗りのソファーに姿勢正しく腰を沈め、優雅にティーカップを持つ長い黒髪の少女がいる。

 遠野秋葉。

 ここ遠野家の現当主にして、志貴の妹でもある。

 その妹さまのやや切れ長の双眸が志貴を見た。いや見たなんて表現生温い。射抜いた、の方が合っていそうだ。

 間違いない。翡翠の言うとおりあれは間違いなく怒っている。

「で、ですね。こんな朝早くから兄さんにお客様がお見えになってますよ」 

 朝早く、を強調する裏で『常識というものを教えてあげてください』と暗に告げられる。が、志貴は別にその相手の保護者でもなんでもない。

 秋葉がチラリと見る先……そこにいる人物を見て志貴は大きく溜め息を吐いた。

「やっほー、志貴〜」

 見た目に鮮やかな金髪の女性が、まるで我が家のようにリラックスした顔でソファーに座っていた。

 その女性はその絵画のような美貌とは裏腹の猫なような笑顔でぶんぶんと手を振っている。

「……やっぱりアルクェイドか」

 アルクェイド=ブリュンスタッド。一見害のなさそうなただの明るい女性に見えるが、それはまったく違う。

 彼女こそ真祖の吸血姫。最強に分類される吸血鬼なのである。

 ……まぁ、この人懐っこい笑顔からは微塵もそんな素振りは感じられないわけだが。

「また朝っぱらからこんなところにいて。アルトルージュに怒られても知らないからな」

 アルトルージュとはアルクェイドの姉のような存在であり、実質的にこの国を統治している吸血鬼である。

 とはいえ実際の女王はアルクェイドである。ただ単にアルクェイドがしょっちゅう城から抜け出すのでアルトルージュがするしかないという話なのだ。

 ……昔二人が相当仲悪かったというのはこの辺りが原因ではないかと志貴は思っている。

「あ、それなら大丈夫。だってそこにいるもの」

「……は?」

 言われ、最初何を言っているのかさっぱりわからなかった。

 見渡す視界の中には、秋葉とアルクェイドしか見当たらないからだ。しかし、

「そうね。私は小さいから見えない、ってことなのでしょうね」

「あ……」

 背が大きい椅子の向こうから、秋葉でもアルクェイドでもない女性の声が響いてきた。

 おそるおそるその前へ回り込んでみると、

「おはよう志貴」

「お、おはよう……アルトルージュ」

 ちょこん、という表現がぴったりな感じに、少女――アルトルージュ=ブリュンスタッドが座っていた。

 アルクェイドの姉とは思えない小さな背丈――見た感じでは十三〜十四くらい――で、椅子の背より小さいために後ろからでは見えなかったのだ。

「でも志貴。あなたはもう少し気配の感知を研ぎ澄ますべきだわ」

「あ、あはは、ごめん……」

「まったく。本来魔族に対しては鋭敏な気配感知を持っているはずなのに、慣れてくると鈍感になるっていうのはどういうことなのかしらね?」

 ジロリ、と半目で睨まれ、たじろぐ。

 志貴はその血筋というか特性上、魔族に対してかなり鋭敏なはずである。

 それもここ最近は随分と収まったというか……コントロール出来るようになってきている。まぁそのおかげで気付かなかったというのもあるが。

「そ、それにしても珍しいな。アルトルージュまで城から出るなんて」

「話を逸らしたつもり?」

「ぐ……!」

 図星だった。

 だが言葉に詰まった志貴を見て、アルトルージュは悪戯っぽく微笑み、

「まぁ今回は許してあげるわ」

「ほ、ほんと?」

「ええ。ただしちょっとお願いを聞いて欲しいの」

「お願い?」

「そうよ。そもそも今日ここに来たのも志貴に頼み事があったからなの」

 頼み? と志貴は首を傾げる。

 アルトルージュは真祖と死徒の混血。全力を出せば本気のアルクェイドとほぼ同等の力を誇る、まさしく世界でも最強の側に位置する存在だ。

 そんなアルトルージュが志貴に頼み……となると、なんとなく嫌な予感しかしない。

「とりあえず座ったら? そう手早く済む話でもないし」

「あ、あぁ」

 秋葉が上座に座っているので、志貴はアルクェイドやアルトルージュの対面に座る。するとすぐに目の前にティーカップが置かれた。

「どうぞ、志貴さん」

「琥珀さん。どうもです」

 にっこり、と微笑む割烹着の少女は琥珀という。顔立ちが翡翠と似ているがそれも当然、彼女たちは姉妹である。二人は共にこの遠野家に仕えている侍女なのだ。

「それで、話というのはなんなんでしょう? こんなに朝早くからやって来るのですから、それ相応のお話なのでしょうね?」

 琥珀が下がったのを皮切りに秋葉が口を開いた。口から出た言葉はそれこそとげとげしい。

 しかしアルトルージュは表情を一切変えず紅茶を飲んでいるし、アルクェイドに至ってはまるで聞いちゃいない。

 あぁ秋葉の怒りボルテージが上昇していくー、なんて苦笑している志貴だったが、

「そうね」

 カチャン、という音によって意識がアルトルージュに向けられる。

 先程までの飄々とした表情ではない。大きな存在感を放ちどこまでも怜悧な表情を宿す、統治者としてのアルトルージュ=ブリュンスタッドがそこにいた。

 志貴も秋葉も雰囲気ですぐに察した。どうやらこの話は……相当厄介なものであるようだ、と。

「まずは単刀直入に言いましょうか」

 アルトルージュが志貴を見る。その黒い瞳に見つめられた志貴が息を呑むと同時、

「志貴。あなたに殺して欲しいモノがあるの」

 アルトルージュはそう告げた。

「……殺して欲しい、モノ?」

「そう。あなたじゃなきゃ殺せないものなのよ。……『直死の魔眼』を持つあなたでなければ、ね」

 志貴が眼鏡越しに自分の目を押さえる。

 直死の魔眼。

 それこそ志貴が持つ、特殊な『眼』のことだ。

 全てのモノが生まれた瞬間から内包する『死』を見ることが出来る、魔眼の中でも最高位の魔眼。

 見える『線』はそのモノの死にやすい部分。そして見える『点』はモノの死そのもの。もしこれを突けば、それだけで対象は死を迎えることになる。

 それは『生きている』必要はない。命のない物質でさえ、その力は効果を生む。

 極論を言ってしまえば、志貴に殺せないモノなど存在しないということになる。だが、

「……それは、一体なんなんだ? 俺に頼むってことは……アルトルージュたちでも殺しきれない、ってことだろ?」

 そう。アルクェイドもアルトルージュもこの全世界で最強の部類に入る存在。その二人が壊しきれない、あるいは殺しきれないモノなどそうそうないはずだ。

 だとすれば……それは相当異常な『何か』であるのだろう。

「殺して欲しいモノは他でもないわ」

 一息。

「聖杯よ」

「聖杯……?」

 それまで静観していた秋葉が、怪訝に眉を顰めた。

「それは隣国で数十年間隔で起きるといわれている聖杯戦争の、あの聖杯ですか?」

「そうよ。そもそも私たちは昔からその聖杯を破壊するためにずっとあの国と戦っているのだから」

「わかりかねますね。何故貴女方吸血鬼が聖杯を壊す必要があるのです? 聞いた話じゃあれは人の創り上げた贋作なのでしょう?」

「あら、随分と詳しいのね?」

「遠野家当主の肩書きは酔狂ではありませんので」

 秋葉とアルトルージュの間では会話が成立しているようだが、志貴はその内容をがほとんどよくわかっていなかった。

「そのー……聖杯ってあれだろ? 手に入れれば何でも願いの叶う、ってやつ」

「そうです兄さん。それがどうかしましたか?」

「いや、手に入れれば何でも願いが叶う。だからフェイト王国のやつらは聖杯戦争、なんてことをしてるんだろ?

 なら、その能力は本物のはずだ。そこに贋作とかなんとか意味あるのか?」

「基本的にはあまり関係ないわね」

 アルトルージュは優雅にティーカップを手に取りながら、

「フェイト王国の人間にとっては真偽なんでどうでも良いのよ。真偽が関わってくるのはむしろ教会側ね。

 あそこはそういう拘りを持った集団だから。……まぁ逆にあそこは能力はどうあれ贋作だとわかれば放置状態のようだけど」

「ふぅん……?」

 一般人の志貴から言わせれば真偽よりも能力の有無の方が大事な気がするのだが、それはそれ。いろいろな見方があるということなのだろう。

 それはともかく、だ。

「でも、どうしてそれをアルトルージュたちが壊したがるんだ?」

「そうね。昔の理由とは少し違うけれど、いま最も懸念すべきはあの聖杯が既に穢れているということよ」

「穢れて……? それはどういう?」

「――いまからおよそ六十年前、第三回聖杯戦争のときにどこかの馬鹿がタブーを犯したらしくてね」

 嘆息しつつ、アルトルージュがカップをソーサーに戻す。

 彼女の話を要約するとこうだ。

 聖杯の中に入れてはいけないモノを入れてしまった輩がいた。その『モノ』とは極めて強烈な『悪』であり、聖杯そのものを穢した。

 そのために聖杯の機能に狂いが生じ、いまや願望機としての能力はある方向にのみ限定されているのだと言う。

「そのある方向に限定、っていうのは?」

「破壊や殺戮よ。例えば『この世界を平和にしたい』なんて願ったら世界の人間ほぼ全て殺されるでしょうね。

 ほら? 生きてなければ争いは生まれないわけだし、ある意味それは平和とも呼べるのでしょうけど」

「……なんだ、それ」

 思わず志貴が自分の手を握り締めていた。

「そんなものを、フェイト王国のやつらは取り合ってるのか!?」

「確かにそうだけど、でもきっとこの事実を知っている者はほとんどいないでしょう。なんせ聖杯戦争に関与した人間で生き残る者は少ないから」

「……っ」

「そして私たちがそれをフェイト王国の者に言っても無駄ね。昔から戦争している国だもの、ただの出任せだと思うはずだわ」

 だがそんな物騒なものを知らぬ間に取り合っているという事実が志貴の中で怒りになる。秋葉もやや視線が厳しくなっていた。

 そんな二人を見て、しかしアルトルージュは小さく息を吐く。

「……でもね、志貴。私はそうでなくても聖杯などという物はあるべきではないと考えているの」

 志貴と秋葉が顔を見合わせる。

「ねぇ志貴。秋葉も。あなたたちには、それぞれ夢や願い……そういったものがあるでしょう? 漠然としたものでも良い。小さなことでも構わない。

 人ではなくとも、魔でも神でもそれは同じ。知性と感情を持ち合わせた存在であるのなら、『渇望』は生まれるべくして生まれるものだもの」

 それは当然あるだろう。

 志貴にはあまり大きな夢はない。ただこのまま少しでも気心知れた連中と平和に過ごせれば良いとは願う。

 が、アルトルージュからすればこれもまたその一つとなるに違いない。

「……そして、だからこそ誰しもその成就を想い、願う。多かれ少なかれ、皆がそのために生き、動き、目指す。

 成就する者しない者、手が届く者届かない者。万人いればこそ、それはその数だけの結果と答えがあるでしょう」

 夢を描き、進む者。望みを抱き、進む者。大小の問題ではない。『生きる』とはそういうことの積み重ねだ、とアルトルージュは言っている。

 不老不死に近い生命力を持つ吸血鬼たるアルトルージュが言う台詞としては妙な気もするが、しかし志貴はそこに疑問を抱かなかった。

 望みを抱くことに長さは関係ない。それを彼はわかっている。

 そんな志貴の在り方を微笑ましく見つめ、しかしその表情が翳る。

「……けれど、聖杯はその因果や過程を捻じ曲げる。『万能の釜』? 『望みを叶える奇跡の杯』? そんなものが、何故必要なの?」

 彼女にしては珍しい、侮蔑するような言い捨て方だった。

「生きれば夢を抱く。抱けばその成就を誰もが望む。誰しもが失敗する事を想定して動くわけがない。生きる以上、それは当然。

 けれど皆がその頂に足を運べるなんてありえない。身の程を知る、というのも一つの答えであり到達点のはず。

 でも聖杯なんてものが存在したら歯止めが利かなくなるわ。中には狂う者も出てくるでしょう。……いいえ、狂ったからこそ生み出されたのね」

 フェイト王国のそれはあくまで贋作。人の手により創られた紛い物でしかない。

 ……が、真偽は問題ではない。重要なのはその力があるかないかであり、そして結果的にあの聖杯にはその力が――ある。

「それはある意味で破滅の序曲。努力も積み重ねも何もかもを全て飛ばして結果に到達し得る万能の杯。そんなものがあると知れば、誰もが望む。

 極論を言えば、それしか人は望まなくなるわね。だってどれだけ努力をしようと頑張ろうと、自分の夢を成就できる保障なんてないんだもの。

 でも聖杯は違う。それさえ手に入れてしまえばどんなことさえ成し遂げられる。それを知れば誰もがそんな『作業』を放棄するわ。

 ……いいえ、あるいはそれ以上の夢を抱くかもしれない。身の丈以上の望みを抱き、声高に叫び、渇望するでしょう」

 何もかもが叶うのであれば。果たして人はどこまでを望むだろう?

 欲がある。あればこそ、夢になる。だが欲があるからこそ、『無条件の成就』という結果があれば人はどこまででも望むに違いない。

「私からすれば、聖杯なんてものは犯される以前からして『悪』なのよ。視る者全てを魅了して止まない、誘惑の暴君。それは決して良い結果なんて生み出さない。仮に聖杯が穢されてなく、それを手に入れた者が善人で平和のために使おうとしても私はそれを批難する。なぜなら――」

「なぜなら、そんなことでもたらされた『平和』は『支配』となんら変わりない」 

 驚いたようにアルトルージュが志貴を見る。その視線に志貴は、

「だろう?」

 微笑を返した。

「……さすがは志貴ね」

「いや、そうでもない。聞くまでは俺も便利なものだ、くらいの認識しかなかった。

 でも実際アルトルージュの言葉を聞いて、気付かされた。確かにそうだ。そんなでたらめな力があれば誰だってそれを頼りたくなるもんな」

 もし聖杯を手に入れた人間が善人で、平和を望んだとしても。確かに志貴も納得できない。

 結果的にはそれで平和になるかもしれない。でもそれは、『聖杯』という大きな力によって成し遂げられたものだ。

 そんなものは……例えば、そう。全世界を誰か一人が恐怖で支配して争いを起こさせないようにするのとなんの違いがあるだろうか?

 結局、『自分とは違う他者の、大きな力によって作られた』平和なのだ。それは。

 でも、それははたして平和と呼べるのか?

 当事者以外の者の意思を無視して、押し付けがましく与えられたそれを平和と呼んで良いのか?

 ……志貴は、そうは思えない。

「平和なんてのは一人で作り出すものじゃない。争いながらも時間をかけて、皆で培っていくもののはずだ」

「そして他の願いであっても同じこと。結局聖杯はどんな願いであろうと『願いを叶える杯』である以上、あってはならないものなのよ。

 だから私はこれまでずっと聖杯を壊そうとしてきた。そしてこれからもそうするでしょう」

 けど、とアルトルージュは目を伏せ、

「聖杯はあくまで降霊式。器を破壊したところで中身が壊せないのであればいつまで経っても聖杯戦争は終わらないわ。

 だから、そう。聖杯の『中身』さえ完璧に殺しきらないと、聖杯戦争はずっと続いていくことになる」

 顔を上げ、アルトルージュが志貴を正面から見据えた。

「――志貴、お願い。あなたのその『眼』で、聖杯そのものを殺して」

 その目を真っ直ぐ見返し、

「あぁ」

 志貴は頷いた。

「そんなもの放置しているわけにはいかないな。俺で力になれるのなら、協力するよ」

 微笑む志貴。そして、

「――確かに、そんな物騒な物は捨て置けませんね」

 秋葉もまた、静かながらに覇気を宿して言った。

「私もお手伝いしましょう。兄さん一人を向かわせるわけにもいきませんから」

 そんな二人を見渡し、アルトルージュもまたゆっくりと笑みを浮かべた。

「ありがとう志貴、秋葉。……思えば、あなたが生まれたことももしかしたら運命だったのかもしれないわね」

 志貴を見てのアルトルージュの言葉に、不意に思い出した台詞があった。

『君の未来にはその力が必要になるからこそ、その眼があるとも言える』

 先生の言葉だ。

 もしかしたらその未来こそ現在なのかもしれない、と。

「近いうちにフェイトとの交戦があるでしょう。その頃になったら城に呼ぶことになると思うわ」

「わかりました。こちらも親族に力を貸してくれるよう頼んでおきます」

「ありがとう秋葉。頼りにしているわ。それと紅茶ご馳走様。美味しかったわよ」

 空になったカップを置き、アルトルージュが立ち上がる。

「城に戻るのか?」

「ええ。いまリィゾもフィナも所用で城にいないのよ。あの子一人じゃ可哀相でしょう? あまり城を留守にも出来ないし。

 ……まぁそこで話に参加もせず菓子ばっかり貪っているどこかの馬鹿が戻ってくれるのなら話は別なのだけれど」

「むぐっ?」

 アルクェイド、話にまるっきり絡んでこないと思ったら琥珀の用意した茶菓子を一人で食い占めていた。というかまだ食ってるし。

 だがもう半ば諦めているのだろう。アルトルージュは嘆息するとすぐにアルクェイドから視線を外した。

「ま、そこの馬鹿のことは任せるわ。実際城にいたところで何の役にも立たないしね」

 その言葉にカチンときたのか。頬を膨らませるアルクェイド。

「む、酷いなぁアルト。わたしだっていたら何かの役に立つかもしれないじゃない」

「何もする気のない吸血鬼が何を言うやら。アルク、あなたはもう少し自分を冷静に知るべきね」

 むー、と睨み合う両者。

 だがそれもアルトルージュの方から引き下がる。やってるだけ馬鹿馬鹿しいとでも思ったのだろう。重い嘆息が如実にそれを表している。

「それじゃあね、二人とも」

 美しい黒髪を翻しながらアルトルージュは去っていった。勘定にアルクェイドは入っていない辺り皮肉たっぷりだが。

「では私も親族に連絡を取ってきますね」

 秋葉もまた部屋を出て行き、自然、部屋には志貴とアルクェイドの二人だけとなった。

「なぁアルクェイド」

「ん? なーに、志貴?」

「……いや、なんでもない」

 皆がいなくなったことで、不意に頭をもたげ始めた不安。

 聖杯を殺す。だがそれは言うほど容易なことではあるまい。フェイト王国の人間からすれば是が非でも阻止したいことのはずだ。

 即ち――敵は人間である。

 もしかしたら人を殺すことになるかもしれない……その可能性を今更になって考えて、わずかに身が震えた。

 志貴は魔族を殺したことはあっても人間を殺したことはない。

 何を馬鹿な事を、と自身思う。魔族だろうと人間族だろうと生きているものを殺したことに変わりはない。たとえそれが正当防衛だったりしても、だ。

 だがやはり『同じ種族』というのは大きいらしい。わずかに震えだす手をどうにかしようともう片方の手で押さえ、

「大丈夫」

 そっと、その上から暖かな掌が包み込んできた。

 それは、優しい笑顔を浮かべたアルクェイドの手だった。

「大丈夫よ、志貴。志貴のことはちゃーんとわたしが守るから」

 目を弓なりにして笑い、

「ね?」

 何の確証もない無邪気な笑み。

 けど、それがどこまでも心強くて……そして暖かかった。

「……ありがとう、アルクェイド」

「うんっ!」

 釣られるようにして志貴も笑みを浮かべる。

 アルトルージュが頼り、秋葉も戦うと告げ、アルクェイドが守ると言ってくれた。

 ならば怖いことなど何もない。

 志貴は無意識にポケットの中にある短刀を外から握り締める。

 聖杯を、殺す。

 その決意は――もう揺るがない。

 

 

 

 あとがき

 こんばんは、神無月です。

 ってーなわけで、はい。番外章です。

 さて! さてさてさて! ようやく本格登場と相成りました「月姫」メンバーでございます。

 やー、なんかアルクェイドとか志貴とかどんな感じだったかけっこー忘れてメルブラしたら朝だったのにいつの間にか夕暮れで(ぇ

 そんな微妙な苦労もありつつ、完成です。

 ちょっと待て先輩はどうした!? とか、さっちんは出ないのか!? とかありそうですが、大丈夫。出ます。まだだけど(ぁ

 さて。内容としては月姫サイドのお話ですが、話のメインはやはり聖杯戦争です。

 とりあえず両国間の戦いの前準備、って感じですかね。さー、いよいよ次回はバトルですねー。書くのも楽しみです。

 ではまた〜。

 

 

 

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