神魔戦記 第百五十九章

                      「怒涛ニシテ傲然ナル狂宴([)」

 

 

 

 

 

 ――08:21――

 

 さくらたちが香奈子との激戦を繰り広げた場所は、荒野となっていた。

 無理もない。何百という魔術が撃ち放たれ、香奈子によって砕かれた大地はもはや歩くことさえ難しいほどだ。

 もはや部隊は壊滅と言って良い。残ったのは精々百人ちょっとだろう。それ以外は皆香奈子の圧倒的な暴力の前に倒れた。

 ……坂上河南子のように。

「智代ちゃん……心配なの」

 呟くことみはアインナッシュとは反対側、後方を見る。

 智代は河南子の遺体を抱きながら戦線を離脱した。

 河南子の遺体をこのままにしておくのも忍びないし、智代自身相当の深手を負っていた。ここに残しておく方が逆に危ないという皆の判断だった。

 だがことみが心配しているのはそういうことではなく……智代の心の方だった。

 智代は「家族」を守ろうと剣を取った者。そのために一度は好きだった男さえ敵に回したのだ。

 しかしその信念が今日砕かれた。これは戦争。いつ死ぬともわからない世界で、それが自分にも容赦なく降りかかるものであると理解はしていても……。

「きっと、大丈夫ですよ」

 ポン、とことみの肩を叩いたのは佐祐理だった。

「あの人は、さっき戦っていたじゃないですか。あれだけの傷を負いながら、それでも懸命に。だから……きっと、大丈夫」

「……うん」

 そう信じるしか自分に出来ることはないと、ことみ自身わかっている。

 だから迷いを振り切るように首を横に振って、一つ深呼吸。うん、と二度頷いて気持ちを落ち着けた。

 まだ戦いは終わっていない。ならば自分たちのすべきことを考えなくては。

「……それじゃあ、これからどうしよう?」

「そうですね。やっぱり隣の舞たちの部隊に合流するのが一番だと思いますけど……」

 佐祐理は舞たちがいるだろう方向に視線を向ける。亜衣が向かったから大丈夫だとは思うが……不安は拭えない。

 感電し動けない一弥を拘束し兵士たちに下げさせた以上、いま心配なのはそれ一つだ。

「さくらさんはどう思います? ……さくらさん?」

 残るもう一人の魔術師である芳野さくらにも意見を聞こうとし、そこで佐祐理はようやく彼女の様子に気が付いた。

 さくらはこちらの問いかけに気付いていないのか、ただ難しい表情で手の中の何かを見つめていた。

「さくらさん? どうかしましたか?」

「え? あ、うん……。これなんだけど」

「なんですか、これ?」

 そう言って彼女が見せてきたのは、何やらボタンのような物体だった。しかし、

「……何か、不思議な魔力の流動を感じますね。何かのマジックアイテムですか?」

 そう。わずかながらそれからは魔力の流れが感じ取れた。しかし、あくまで『わずか』だ。さくらがそこまで真剣になるような物ではなさそうに見える。

「ボクも確信があるわけじゃないけど……これってもしかして、王国ビックバンエイジに伝わる封印の宝珠じゃないかなぁ、と」

「封印の……宝珠?」

「聞いたことないの」

 一緒に覗き込むことみの言うとおり、佐祐理もそんな話は聞いたことはない。

 そもそも王国ビックバンエイジはキー大陸からかなり遠い。あまり大陸から出ない二人には、それこそ伝説級の道具くらいしか名は伝わってこないのだ。

 しかしさくらは祐一に仕える前はぶらぶらと旅をしていた者。だからこそ、これが引っかかる。

「これ、あの吸血鬼を倒したところに落ちてたんだよ。妙だと思わない? あの『終末の炎獄柩』の中にありながら溶けても欠けてもいないんだよ」

「それは、確かに。……だからこれがその封印の宝珠だと思うのですね?」

「封印の宝珠って、一体どういうアイテムなの?」

「それは――」

 と、さくらが口を開いた瞬間だった。

 

「申し訳ありませんが、それ以上喋るのは止めていただきましょうか」

 

 ゾクリ、と悪寒を感じ三人は動こうとしたが……それはあまりに遅すぎた。

「そして動くのも止めていただきましょう。もし動けば……この方の頭をこのまま握りつぶしますよ?」

 佐祐理の背後。いつの間にそこにいたのか、どこか薄ら寒い気配を漂わせる女性が佐祐理の頭を鷲掴みにしてそこにいた。

「あなたは……!?」

 ことみがその女性を見て目を見開き、

「鹿沼、葉子!?」

 クスリ、と口元を釣り上げた女性は……緩やかに目を細めた。

 

 

 

 ――08:22――

 

「あは、あははははははははは!!」

 耳に響く高笑いと共に、轟音が大地を打ちつける。それは巨大な水のうねり、空をも覆い尽くす波の激流だ。

 それの操り主は言わずもがな……吸血鬼となった美坂栞である。

「く……そ!」

 香里を左手に抱きかかえた和樹が右手を振るう。腕にはめられた『全能の鍵』が輝いた瞬間、津波の攻撃性が消え、ただの水となり大地に沈んだ。

「魔術の術式を一瞬で解除したんですか……。厄介な能力をお持ちですね。あなたを魔術で殺すのは難しそう」

 栞の言うとおりだ。和樹が行ったことは魔術の相殺でも打ち消しでもなく、解除。

 魔術は術式によって形作られる。だが和樹はその核である術式を解読し、解除する魔術を編み出したのだ。

 そうすれば全ての魔術は具現性を失いただの魔力に戻るか、媒体を使用しているものであれば攻撃性を失う。

 各種魔術に精通し、創作で数多くの魔術を生み出してきた和樹ならではのまさしく『魔術師殺し』とも呼べる能力なのだが……和樹は苦笑する。

「こっち以上に厄介な能力を持っている相手に言われても嬉しくはないな」

「フフフ、そうですか」

 栞がただの魔術師なら、和樹の優位は覆らない。

 しかし栞はいまやただの魔術師ではなく……特殊な能力を持つ吸血鬼。攻撃手段を一つ封じたからと言って、劣勢なのは変わりない。

「なら大人しく殺されてくれますか?」

「それはこちらの台詞ですよ。とっとと殺されてくださいよ」

 栞の背後から聞こえてきた声は鈴の音のように軽く、しかし濃密なまでに重かった。

 シャルだ。彼女は瞬きの間に背後に回り込むと、栞に向かって何かを投げた。ズドン! と栞の身体を貫くそれは……槍。的確に心臓を串刺しにする一撃だ。しかし、

「無駄だって、わからないんですかね?」

 飛び散るのは血ではなく水。心臓を穿とうがいまの栞には通用しない。が、

「物は試し、って言うじゃないですかー。というわけで……こんなのはどうです?」

「!」

 刺された部分が、凍り付いている。

 ただの槍かと思われたそれは氷の槍だった。

「呪具だけかと思ってました? これでも多少の魔術は扱えるんですよ〜?」

 ニコニコと微笑むシャルが更に一本、二本と槍を投擲する。それは栞の足を串刺しに、一瞬で凍結させた。

 それは既存の魔術ではない。氷の槍を形成する魔術はあるが、決してあのように刺した対象を凍らせるような付加効果はない。

 つまりオリジナル魔術。なるほど言うだけはある、と栞は薄く笑う。

「水であると言うなら凍らせてみる。あのコミックパーティーの人のやったとおり、ですが……どうです?」

「着眼点は良いですよ? でも……この程度で私は殺せない」

 シャルの足元から水が湧き出た。それは先程栞が和樹に向かって放った魔術の名残だが、水であれば問題ない。

 立ち上る複数の水が次々と人の形を――栞の姿を成し、シャルを取り囲むように展開する。

「さて、その槍で一度に何人の私を倒せます?」

 殺到した。半数が魔術を、半数がシャルに触れんと接近する。

 これら分身に本体の能力のどれほどがあるかがわからない以上、接近を許したら危険。

 シャルはバックステップで群がる手から退避、そのままアルビカルトで群がる栞たちを一閃する。その斬撃で五人の栞の胴体が真っ二つに切断されるが、

「だから無駄だと言っているではないですか」

 水となりすぐさま再構築される。

 分身の水化により凍結を解除した栞が、クスリと笑みを浮かべる。

 ただの武装、魔術では栞に傷一つ与えられない。それはもはや抗いようのない事実であった。

「まったく……とんでもない化け物になってしまいましたねぇ」

 シャルは嘆息する。

 しかしそう言うシャルも吸血鬼となり身体能力が格段に向上したはずの栞の攻撃を全て紙一重で掻い潜っているのだ。

 栞も栞ならシャルもシャルだ、と傍目に見ている和樹は思う。

 和樹とてコミックパーティーでは歴戦、と名乗って良いほどの戦場を潜り抜けてきた。だからこそわかる。

 この二人はもはや規格外。そして互いに決定打に欠けている。

 だが考えようによってはそれはチャンスだ。このまま自分たちで美坂栞を抑えることが出来れば、他に被害は出ないし、その間に拓也が討たれれば精神感応も解除されるはずだ。

 傷付けずに捕縛するのは無理、倒すことも不可能となれば時間稼ぎしか道はない。問題はシャルではなく自分たちが耐えられるか、という点だが……。

「大丈夫か、えーと……美坂香里さん?」

「ごめんなさい、大丈夫よ……。自己再生も働いているし、もう立てるわ」

 栞の超魔術で砕けた肋骨も、完全ではないが既に修復されている。これも聖騎士としての恩恵、自己再生のおかげだが……。

「でも顔色が悪いぞ」

「……そう」

 返す言葉に力はない。その視線の先には喜々としてシャルに立ち向かう栞の姿がある。

 どんな人にも優しく、痛みを知るからこそ誰かの痛みを癒したいと願い修道女への道を踏み出した栞がいま、圧倒的な力を持って敵としてそこにいる。

 そう、妹が敵となってしまった。彼女の意思ではなく、不運な出来事によって。

 怒りとも悲しみとも取れぬ……あるいはそういったもの全てがごちゃ混ぜになって香里の心を蝕んでいく。

 振るうべき剣を水にされたとき、香里はあの一瞬――『安心』してしまった。自分が殺されるかもしれない可能性を無視し、剣を振るわずにすむというただのその一点だけに目を奪われて。

「……聖騎士失格ね、あたしは」

 自嘲する。あれだけ強くあろうと誓った心は既に折れてしまった。

 どんなときにでも自分の正義を貫き戦い続ける、と教会で誓ったはずなのに。殺戮者として君臨する吸血鬼の妹に対して、香里は何もする気になれない。

「俺が言うことじゃないと思うけど……あんたは聖騎士である前に人間だろ?」

「え……?」

 気付けば、和樹が強い眼差しでこっちを見ていた。

「自分の気持ちを押し殺すことも時には重要だ。でも相手は家族なんだ。そこで躊躇しないような人間味のないやつに……俺だったら聖騎士になんかなってほしくない」

「……」

「諦めるなよ。決めつけるなよ。まだ何か妹さんを助ける方法があるかもしれないじゃないか」

「でもあの子は既に何人もの人たちを――」

「人を殺したから殺さなくちゃいけないなら、俺も、あんただって殺されなくちゃいけないはずだ。違うか?」

「それは……」

「違う? 俺たちが殺したのは敵で、妹さんが殺したのは味方だから? ……本当か? 本当にそういう区別なのか? 違うだろ。

 俺たちは背負ってるんだ。自分の意思を貫きたいから戦って、そして勝った。だったらその分俺たちは背負ってるんだ。背負って生きていかなくちゃいけないんだ。

 あの子だってそうだ。きっと正気に戻れば嘆くと思う。苦しむと思う。だからって殺してしまったら……それこそ何も残らないじゃないか。

 背負わせるんだ。それがどんなに苦しかろうと、辛かろうと、背負わせて、生かすんだ。消えてしまった多くの命のためにも、その方が絶対に良い」

「……あなたの仲間が殺されたのに?」

「だからこそ、だ」

 断言する和樹。その口調には迷いはなかった。

「だからいまはどうにかして動きを封じる術を考えよう。絶対に精神感応から救い出すんだ」

「……」

 仲間を目の前でやられて……自分ならこのような事言えるだろうか、と香里は自問し……無理だろう、と思う。

 それは栞が吸血鬼となり敵として目の前に立った時に激しく動揺したことが既に証明している。自分は精神的にまだまだ未熟なのだ。

 不条理な現実を見せつけられ、絶望し、挫折した。抗おうという意思さえ起きなかった。

 愚かな話だ。自分は何のために剣を持ったというのか? 聖騎士に選ばれたから? 否、そうではなかったはずだ。

「そうね」

 守りたいと、そう思ったのだ。家族を、友を、そしてそれに連なる多くの者を。だから……剣を取った。聖騎士になった。

「守るべき者。それはいつだって変わらないはずなのよね」

 ――そうよね、北川くん?

 パン!

 突然の音に和樹が思わず目を瞬かせる。

 それは香里が自分の頬を両手で叩いた音だ。自分に気合を入れるかのように、あるいは目を覚まさせるように。

「絶対に栞を救い出す。協力してもらうわよ」

 香里の表情にもう迷いはなかった。和樹は微笑み、前を見る。

「あぁ、当然だ。……ただ、問題はその方法だな。俺たちじゃそれほど長時間持たせられないし……」

「一つ、策がないわけでもないわ」

「本当か!?」

「ええ。だからあなたに一つ頼みがあるの。それは――」

 

 

 シャルと栞の戦いは既に激突というレベルを逸脱し局地的な戦争の様相を見せている。

 栞は水を媒介に分身を二十、三十と作りだしシャルへけしかける。個々の身体・魔術的能力は落ちているようだが「触れた対象を水にする」能力は顕在。

 しかしやはり弱体化しているようで本体より三倍から四倍、水化への時間が掛かるようだ。

 とはいえ栞の力の源である水は、魔術により生み出された水でも可能であるため半永久的に持続可能。魔力が切れるまで逃げ回るというのも難しい。

 対するシャルはそういった栞の特性を全て読み切った上で、あらゆる可能性を試している。

 例えば周囲一帯を爆撃して水を蒸発させる方法は? あるいは全分身を一撃で破壊するのは? はたまた氷漬けにするのは?

 一撃一撃が広範囲かつ破壊力の高いシャルの反撃はそれだけで地盤を砕き再生しつつあるアインナッシュの密林を消失させていく。

 が、それだけの破壊力を持ってしても栞を打ち破るには至らない。潰した水分身の数はもはや二桁から三桁に届こうかというところまで来ている。

「うーん。負ける気はしませんが……さて、困りましたねぇ」

「ならしばらくどいててくれる?」

「ほえ?」

 シャルの独り言に答えが返って来た。

 何事かと思えば、シャルのやや後方、傷を完治させたらしい美坂香里が立っている。その目は一直線に栞へ向けられているが、

 ――殺意は、ありませんねぇ。

 また甘いことでも言うつもりだろうか? とシャルは考え、

「どかないと、あなたも巻き添えを食うわよ」

 ゴォ!! と、突如吹き荒れる火の粉を見て改めた。殺意はない。が、肌にビリビリと来るほどの闘気が放たれている。どうやら戦う気だけはあるようだ。

 シャルは近付いてきた分身の手を腰をひねって回避しすれ違いざまに蹴り飛ばすと、香里の方へ跳躍する。

「何をする気ですか?」

「決まってるでしょ。栞を助けるのよ」

「まだ言いますか。そんな方法も見えないのに――」

「あるわ」

 即答だった。思わずシャルは香里の顔を凝視する。

「……苦し紛れのでまかせ、ではなさそうですねぇ?」

「ええ」

 最初はただ栞を殺させないための口からでまかせかとも思ったが、その顔にシャルは何か確信めいたものを感じ取った。だから、

「わかりました。そこまで言うのならここはお任せします。その手腕、見せてもらいますよ?」

「ご自由に」

 シャルは腰を落とし、大きく跳躍。一足飛びで香里から一気に距離を離す。

 香里はそれを見送り、また視線を回し和樹も退避したことを確認して……正面、数十体もいる栞たちに向き直る。

「あらお姉ちゃん。ようやく私を殺す気になった? まぁ殺せるかどうかわからないけど。フフフ」

 答えたのは香里から見て右側、一番近い栞だ。

 だがそれが本体であるのか分身であるのかは、香里には判断出来ない。魔力感知でさえ見分けが難しい精巧な分身。

 ならばどれでも構うまい、と香里は思う。どうせここでの言動は本体たる栞も聞いているはずなのだ。だから香里は思ったままを喋ることにする。

「ねぇ栞。あなたは昔、あたしに言ったわね」

「……?」

「私は人を助けたいから、守りたいから魔術を学ぶんだ、修道女になるんだ……って」

 それはまだ香里が聖騎士ではなかった頃の話。

 魔術の勉強をしていた香里の部屋から勝手に魔術書を持っていく栞を怒ったとき、涙目になりながら答えた言葉だ。

「アバウトだし、途方もないし、最初はあたしもこの子何を言ってるんだろ、って馬鹿にしたけど……あなたはちゃんと修道女になったわよね。

 水の正教会で洗礼を受けて、苦しむ人たちを助けたいからと王都を出て、いろんな小さい村を転々としたのよね?

 正直、凄いとあたしは思ってた。あたしのこの聖騎士という肩書はなろうとしてなるものじゃないから、自分の足でそこに辿り着いた栞をあたしは、尊敬してるのよ」

 拳を握る。香里の意志に従い集約する火のマナが密度を上げ火炎となりその周囲で渦を巻く。

「だから栞。一つ、聞かせてちょうだい」

「何を?」

「あなたは――これで、良いの?」

 ピクリ、と。栞の眉が揺れた。

「こうして快楽にすがるように人を殺し、飲んで……あなたの理想とは真逆のその姿で、これからも生きていくの?」

 静かな問いだった。

 荒ぶるでも貶すでも諭すでもない、純粋な疑問符としての問いが栞の何かを貫いた。

「っ……!」

 ギリッ、と歯噛みしたのは何故なのか。わからぬまま、栞は吼えた。

「仕方ないじゃない! 私は! 私はね、吸血鬼なのよ! 魔族なのよ!? 身体が疼くの、心が乾くの!! 心が人を殺せと囁くのよ!!

 事実楽しいの! 楽しすぎる! 笑っちゃうくらい、人をあっさりと簡単にさっさと手早く殺してしまうことが、この上なく愉快なのよ!!

 そんな、そんな私が……今更人を救うなんて言えるわけないじゃない! 馬鹿じゃないの!? おかしいよお姉ちゃん! なんで、なんでそんなこと聞くのよ!?」

「それがあなたの答えなのね?」

「決まってるじゃない! わ、私は……もう戻れないのよ。この性から、欲求から逃げられない。逆らえない。抜けられない……!

 だったらこれしかないでしょう!? 殺すか、殺されるか……! その二択しかないじゃない! そうでしょう!? 何か違う!? どう違うの!?

 私を止めたいなら殺してよ! そうじゃないなら殺されてよ!? それしか……それしか方法はないんだからぁ!!」

「そ。わかったわ」

 短い返事だった。

 慟哭のように喋り続けた栞に対し、あっけないほどの言葉少ない答え。

「なら――答えは簡単ね」

 香里が一歩踏み出した。

 するとジュ、という奇妙な音と共に地面から煙が立ち上がる。香里の纏う炎の温度が高すぎて土が融解したのだ。

 香里の髪が赤く、紅く、まるで燃えるように……否、それは実際に燃えていた。炎だ。髪が炎となり蠢いている。

 そして……一際異彩を放つのは、香里の瞳に浮かぶ紅の十文字だ。

「なっ……!?」

 そんな香里を、栞は見たことがない。 遠くで様子を見ているシャルと和樹もまた、驚きの表情を浮かべている。

「そういえばこれを見せるのは初めてね? まぁ無理もないけど。聖騎士とは、魔力を経由せずマナを直接力として使用出来る。

 さてここで問題だけれど……人間を構成して(、、、、)いるもの(、、、、)とは何かしらね?」

 その答えは、大賢者ヨーティアの名を一躍世界に知らしめた、いまでは常識ともされる知識。

 生きとし生けるものは、全てマナ(、、)により構成されている……!

「聖騎士とは神の器。神の加護を受け、その力の一端を宿す。それを全て解放すれば……その破壊力は尋常ではないわ。何せ神の力なのだから。

 だからこそあたしたち聖騎士は全力での戦闘を禁じられている。それぞれの国を守護する立場にいるわけだし、国内でそんな力を撒き散らすわけにもいかない。

 でもここは違うわね? 敵地のど真中。それでも精神感応で操られている人たちもまだ残ってるかもしれないから、と解く気はなかったけど……気が変わった」

 香里の瞳に浮かぶは『神の欠片(コンテイナー・マテリアル)』と称される紋章。

 神の加護を受けた生物が、その力全てを解放したときに身体のどこかに浮かぶとされている。だがその発見例、報告例は極めて少ない。

 何故なら……その目撃者が生き残る可能性はまずありえないからだ。

 その死の瞳が、真っ直ぐに栞を見据えている。

「本気で行くわよ、栞」

「……私を、殺す気なのね。お姉ちゃん」

「いいえ」

「え?」

「殺しもしない。そしてもうこれ以上殺させもしない」

「何を!?」

「だから……栞、あなたも死ぬ気で受け止めなさい。いまのあなたを認めた上で、あたしは全力であなたを救うと決めたんだからッ!!」

 吹き荒ぶ。

 マナが吸収されていく。大気中の火のマナが加速度的に香里の身体に溶け込んでいく。

 髪だけではない。腕も、足も、何もかもが炎と融合し、その姿は人間の領域から逸脱していく。

「これが……聖騎士の……!?」

 それは神の再現。

 四つの燃え盛る角。巨大な紅蓮の翼。凶悪な煉獄の爪。たなびく竜尾のような灼熱の髪。その姿はもはや人にあらず、炎の神『ガヴェウス』そのものだ。

 唯一違うのは瞳。聖騎士たる証、『神の欠片(コンテイナー・マテリアル)』が煌々と輝いている。

 香里……いや、炎の化身はその大きな頭をもたげ、上を向き、そして高らかに、

 

UOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOOO―――――!!!

 

 人とは思えぬ咆哮が文字通りの爆発を生んだ。

 ただの叫びが尋常ならざる熱を風と共に周囲へ伝播する。

 それは見えざる炎だ。何かに触れた瞬間、たちまち対象を燃やし尽くす圧倒的な熱風。その温度は優に数万度を突破している。

 香里の周囲に展開していた水分身はそれだけで爆発、あるいは蒸発して消滅。遠くにいた者たちでさえ何がしかの余波を受け四分の一程が消滅した。

 だがこれは攻撃でも何でもない。ただの咆哮。音波に巻き上げられて香里から放たれる熱が伝播しただけに過ぎない。

 ギロリ、と香里が栞たちを睨む。危ない、と思った瞬間にはもう遅かった。

 香里の前方に一瞬で集約した炎の弾が、音速を凌駕する勢いで放たれたのだ。

 直線状にいた水分身たちは水化の能力でその火球を防ごうとするが、魔力濃度が文字通り桁違いだ。水化させる前に自分が熱により焼失されてしまう。

 新たに分身を作り出しそれの五十を持って、身体ごとぶつかって火球を水へ変化させようとする。だが五十を持ってしても、その半分程度しか防げない。

「こ……のぉぉぉ!」

 栞は全ての分身を解除。残された水を自分に集約させ、全ての力を両手に集め火球を受け止めた。

 全てを燃やそうとする炎と、全てを水へと変質させる力が、奇妙な音をかきならせながらせめぎ合う。

 火球はみるみるうちに小さくなっていく。しかし同時に栞の身体にも深刻なダメージを与えていく。

 直接的な打撃などならともかく、数万度という熱領域の中で自分を水化などしたらそれで終わりだ。周囲の水も全て蒸発してしまったため転位も回復も出来ない。

「凄いよお姉ちゃん! これがお姉ちゃんの……聖騎士の本気なんだね! ……でも!」

 自分の力は決してそれだけではない。栞は片手を火球から離し、自分の胸に当て、その魔術を発動する。

「『聖なる母の水陽(フェネティリア・マテリアル)』!」

 無詠唱超魔術。しかも水属性最高位の、最大級治癒魔術だ。本来自身には必要のないものだが、水がない現状ではこの継続治癒効果が重要になってくる。

 栞は吸血鬼であるが、自己再生機能を持たない。水さえあれば再構築が可能だが、そうでない場合にはただの人と変わらない再生能力しか持っていないのだ。

 しかしそれは欠点ではない。補える力があるのだからそれは欠点にならず、全力を出せばまだ戦えるのだから、

「私も、私の全力で受け止める! そして乗り越えて……私を救うというそのふざけた夢ごと殺してあげるッ!!」

 両手で握り潰すようにして火球を抑え込んだ。人間ならば一瞬で灰だろうが、吸血鬼である栞の身体は悲鳴はあげどもまだ朽ちない。

 そして一瞬で朽ちないのであれば『聖なる母の水陽』の継続効果が身体を守ってくれる。だからこそ栞は全ての力を両手に集中さえ、

「消えろぉぉぉぉぉぉ!!!」

 潰した。神の炎を、潰して見せた。

 だが終わりじゃない。まだ香里はそこにいて、そして第二射の準備をしている。

 だから栞は無言発動で水魔術を四方八方に放ち、その水を経由してすぐさま転位する。

 香里自身が放つ熱のため、魔術であろうと水は一秒もすれば蒸気になってしまう。故に小刻みな転位しか出来ないが、

「どれだけその攻撃が早かろうと、その攻撃はもう当たらない!!」

 放たれた第二射を栞は水転位で辛くも回避して見せた。よし、と栞が心の中で頷いた次の瞬間、炎の化身が目の前にいた。

「――ッ!?」

 縮地かと見紛うほどのスピードで距離を詰めた香里の左手、灼熱の爪が栞の身体を下半身を薙ぎ払った。

「!」

 咄嗟の判断で下半身を水化させたので痛覚はないが、下半身を失ったのは大きい。

 水化して下半身を再構築することも可能だが、その場合水を供給できないので魔力を消費することになる。それでは勝てない。

 だから栞は上半身のみのままで、香里の身体に抱きつくように触れた。

「!?」

 香里が痙攣する。水化の力がいま、香里の炎の神装を削り取ろうとしているのだ。

「いま、この、全力を……!」

 栞はなけなしの魔力を全て注ぎ込み、水化の力を発動した。

 香里から放たれていた圧倒的な熱が一気に規模を縮小し、『ガヴェウス』の形を象っていた炎がどんどん消えていく。

「ああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

 裂帛の気合。

 腰から胸へ徐々に消えていく栞の身体は、魔力の過剰使用が原因だ。このまま使いすぎれば身体の形成も出来なくなる。

 だがそれでもなお、栞は魔力の使用を止めない。そうでなければ越えられないからだ。

 ――何故。

 と、頭の中の冷静な部分が自問する。

 ――何故、私はこんなにも必死に勝とうとしているんだろう……?

 自分はこう言った。殺すか殺されるかの二択しかない、と。ならばここまで無理をせずとも香里に殺されてしまうのも良いのではないか。

 先程香里は言った。殺しもしない、と。しかしそんなもの、栞がこうして命を賭けてまで全力で挑まねばとっくに死んでいておかしくはないのだ。

 ならば何故自分は全力で戦っている? その死線を乗り越えている? これではまるで……。

「っ!」

 炎の外装が一部剥がれ、わずかに見えた香里本人の顔。その口元にあったのは――、

「さすが栞ね」

 笑み。

「あたしは信じてたわよ」

 次の瞬間、轟音と共に神の外装は砕け散った。

 栞の水化の能力によってその半分以上が効力を失い、強大な力を維持できずに霧散したのだ。

 香里が、そして栞も、その場に崩れ落ちた。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 荒い息を吐く。もはや魔力は限界だ。気を抜けばそれだけで身体の構成さえ失うほどの……。

 もはや魔術さえ使えない。そして魔術が使えなければ水も補給できず、再生も出来ない。

 栞は香里の倒れた方向を見やる。生きてはいるようだ。しかし自分の身体を形成するマナさえ利用しての技など、どれだけの副作用があるかわかったものではない。

 だがそんな香里の本気を、栞は乗り越えた。乗り越えて見せて……生き残った。

「不器用よね……あたしたち姉妹は。いつだって」

「!」

 どうやら意識はあったらしい。立ちあがる気配がないことから動けはしないようだが、口調はどこにも変化は見られない。

「ねぇ栞。あなた、死にたいなんて嘘でしょう?」

「な、違う! 私に残された道はそれしか……!」

「嘘よ。わかる。お姉ちゃんだもん。栞はね、何でもかんでもわかってるみたいに言うけれど、実際は臆病な子なのよ。誰も見てないところで一人泣くくらい臆病なの。

 あなたが人を守りたい、助けたいという気持ちに嘘はないでしょう。でもそれと同じくらい、あなたは自分も守られたいし助かりたいと願ってる。

 だからこの現実……吸血鬼にされたという不条理を叩きつけられて、その苦しさや絶望を精神感応で増長されて……罪を犯した。

 うん、栞の言うとおり魔族には元々そういう殺戮衝動とか破壊衝動ってのがあるのも聞いたことはある。でも栞……それだけのせいにするのは駄目よ。

 だってあなたは……ずっと見てきたじゃない。傍で。あたし以上に。その衝動と、そして憎しみと絶望と戦いながらも、光を見出した男の姿を」

「あ……」

 不意に、ある男の姿が思い浮かんだ。

「勝手に絶望するんじゃないの。あなたが人間でなくなったって、魔族になったからって、あいつはきっと何とも思わないわ。そうでしょう栞?

 あなたが信じて……そして信じて欲しいとも願ったあたしたちの王は、そんな小さな男だったかしら?」

 出会ったときは、憎悪に満ちた目をしていた半魔半神のあの男。

 しかしいつしかその目には輝きがあった。温かく、心地良い輝き。その輝きを守りたいと思ったのはいつの日からだったか。

 意識を黒く覆っていた靄が晴れていく。

 そう、その人の名は……。

「祐一……さん……」

 何故、その考えに至らなかったのだろう。

 人間族であるとか魔族であるとか、そんなこと些細な問題だったのに。

 吸血鬼になってしまった絶望感で目も耳も固く閉ざしてしまった自分は、ただただ己が身に降りかかった不運を恨み、八つ当たりのように感情に身を任せてしまった。

『きっと、……祐一さんは自分の居場所を探しているんです。自分を受け入れてくれる、そんな場所を』

 きっとそれは自分に対しての言葉でもあった。

『私はあなたを信じます。ですから……あなたも私を信じてください』

 本当に自分は信じていたのだろうか? きちんと信じていられれば、こんな過ちは犯さなかったんじゃないのか……?

「あたしも、最初栞が吸血鬼になってしまったと知ったとき、ショックだったわ。馬鹿よね、そんなこと……大したことでもないのにね」

「お姉……ちゃん……」

「人間族であろうと、吸血鬼であろうと……栞が栞であるのに、変わりはないのにね」

「あ……」

「ごめんね、栞。ごめん……」

 視界が歪んだ。

 水化したわけではない。それはただ単純に……涙が溢れているのだ。

 ――あぁ、私は……なんて馬鹿だったんだろう。

 その馬鹿さ加減が悔しくて、八つ当たりのようにたくさんの人を殺してしまったことが悲しくて、……そして香里の言葉が嬉しくて、泣いた。

「わ、たし……やり直せる、の、かなぁ……?」

「生き証人がすぐ近くにいるじゃない」

 そっか、と小さく呟いた。そうだね、とも。

「栞。今度こそ信じて。祐一や他の仲間たちが、きっと月島拓也を倒してくれるから。だから……」

 ふと、空から雪が見えた。

「それまで、お休み」

 すぐに凍結封印魔術だと気付いた。おそらく遠巻きに見ていた和樹のものだろう。

 おそらく香里は、最初からこうするために動いていた。

 火球を防がせ、その上で香里の外装を引き剥がさせて大半の魔力を空にする。しかも香里の力により周囲一帯の水は蒸発済み。

 回復が出来ない状況に持ち込み、凍結に追い込む。これが香里の『栞を救う』策だったのだろう。

 香里が手を抜いても、栞が手を抜いても失敗に終わっていた。しかし結果は、いまこうしてこの場にある。

 それが答えだ。

「お姉ちゃんには……やっぱり敵わないなぁ……」

 凍結の眠りに誘われる間際、栞はそう言って……小さく、笑った。

 

 

 

 あとがき

 すいません! まずすいません! ホントすいません! 三度謝ったから許してくれ!(ぇ

 というわけでお久しぶりの神無月です。

 いやー……ホント、2ヶ月ですってよ奥さん。就職活動が忙しいとはいえ、自分でもここまで間が空くとは思いもしませんでした。

 さて、中身のお話に戻りましょうかね。メインは香里VS栞。オマケで葉子強襲、ですかね。

 ちなみにシズク戦開始当初まで栞の相手は香里ではなかったです。栞の天敵である、あるお方にしようと思ってましたが急遽こうなりました。

 まぁ理由はいろいろとあるんですが……ここでは割愛。うん、最終的にはこっちで正解だったかな、と思ってます。

 聖騎士の本気、本邦初公開。あ、でもこれ聖騎士なら誰でも出来るわけではありません。それなりの修練は必要です。

 なので聖騎士なりたての彼方ちゃんとかはまだ不可能です。工藤は出来ましたけど、防衛戦で使う能力じゃないですからね……。

 んで、さくらたちは連戦。香奈子→葉子とかデンジャラスにも程がある連戦ですが、まぁ頑張ってもらいましょう(ぉ

 ではではー!

 

 

 

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