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神魔戦記 間章 (百五十~百五十一)
「シュン」
その青年は、世界に対し矛盾した感情を持っていた。
世界というものを興味深いものであると捉えながらも、同時につまらなさも感じていたのだ。
その結果生まれた感覚は……落胆というよりは一種の『憎悪』に近かったかもしれない。
人の一生はあまりに短い。魔族や神族にしても、悠久と比較するならば大差はない。
それだけでは世界の面白さを見つけることが出来ないかもしれない。
それだけでは世界のつまらなさに絶望してしまうかもしれない。
そんな。
そんな理由だけで、彼はただの魔族であることを簡単に捨て去った。
別のモノになるという恐怖感さえ抱かず、常の理から外れることも厭わず、ただの一心でその選択をした。
この無意味な歯車から外れ、永遠を渡り歩く存在になったなら、
あるいはいつか――自分でさえ驚くような面白いことが見つかるかもしれないと、そんなことを考えて。
ダ・カーポ王国はもはや風前の灯火だった。
王都陥落の報は瞬く間にサーカス大陸全土に広がり、ダ・カーポの人間は我先にと外国へ逃げ出した。
大半がシャッフルかチェリーブロッサム……中にはスノウやリーフ大陸にまで船を出した者もいるらしい。
キー大陸は大規模な戦が数回繰り返されたために国力が落ちているし、エターナル・アセリアは最近厄病が蔓延しているということで、危険な近場より安全な遠い地を目指す者が多いようだ。
しかしそれでも最後までウォーターサマーに抗う者たちもいる。
それは主にダ・カーポの貴族たち……水越や芳野といった歴史やプライドのある者たちだ。
彼らにはこれまでのダ・カーポを影に日向に支えててきたという自負があった。故に容易くダ・カーポから逃げ出すなんてことはしようとせず、貴族としての力で最後の最後まで抗い続けようとしたのだ。
「ま、その結果がこれじゃあお話にならないんだけどね」
突き刺した剣を引き抜きながら、彼――氷上シュンは苦笑した。
心臓を一突きにされた目の前の男は白目を剥いてその場に崩れ落ちる。
命乞いもせずに立ち向かってきた度胸は認めるが、彼我の実力差を把握できず策も何もなしに突っ込んでくるのは蛮勇と断するより他にない。
シュンはその男から視線を外し、ぐるりと周囲を見回す。
鮮やかな緑に包まれていたであろう庭園は、いまや紅蓮の炎に染まっていた。
辺りに立ち込める血と肉の焦げたような臭い。遠くからはいまも悲鳴と断末魔が聞こえ、ウォーターサマーの虐殺が続いているのがわかる。
ダ・カーポの貴族、水越家。
しかし所詮人間族の貴族程度、魔族七大名家たる水瀬の前では取るに取らないただの雑兵集団に等しかった。
水越家が誇る最大戦力たる水越姉妹が不在な上、その妹の水越眞子は王都での戦いで小夜に完敗したと聞いている。それより下の連中しか残ってない状態で、勝とうというのがそもそもの間違いだったのだ。
「つまらないなぁ……」
嘆くようにシュンは呟いた。
こんな結果のわかりすぎている戦いなどやる価値もない。シュンにとって物事とはいかに面白く推移するかどうかが基準となる。
そういう意味では王都での戦いは面白かった。あの王女を救出した青年たちの行動は驚嘆に値するものだった。
だからこそ彼はあのときに動いたのだ。あの頭の切れる青年に『処置』を施したら一層面白いことになりそうだと思ったから。
……だがそれは庇うように立ち塞がった少女によって防がれてしまった。
でもいまはそれでも良いか、と思い始めている。
あのとき、斬った瞬間に理解した。あの少女の心の奥底に眠る『それ』。本人に自覚があるかどうかはさておいて、実に興味深いものだった。
だからあれは実は必然であったのではないかと、いまでは思う。
「ん? 相変わらず性格が悪いって? はは、嫌だなぁ君には劣るよ。僕なんてまだまださ」
いきなりシュンが喋り出すが、近辺にその相手と思しき人影は見当たらない。連絡水晶でもなさそうだ。
では、誰と?
「まぁこういうのが楽しくてあの人の傘下に加わったんだしこの程度は……何を言ってるのさ、君だって割と楽しんでいるくせに」
クツクツと笑いながら、無造作に歩き出す。
建物の影から二人の男が現れシュンに向かって魔術を放ってくるが、シュンはそっちに見向きもしない。剣の柄をコツンと軽く叩いただけで障壁が展開し、激突した魔術はあっさりと霧散した。
「やれやれ。あれで隠れてるつもりだったのかな? 気配もだだ漏れだったし……いや、うん。『隠者』と比較するのはおかしいと思うよさすがに」
ただ歩いて近付くシュンに恐怖を感じたのか、男たちは逃げ出してしまう。
敵に背を見せることの愚かさも理解できないような連中が貴族としての意地だけで抗おうとしていたというのだから、笑い話にもならない。
シュンは緩慢な動作でその二人を始末しようと手を掲げ、
「おおおおおお!」
だがそれよりわずか早く、シュンの足元から幾多の土の槍が出現した。
「おっと」
串刺しにせんと生えいずる数多の槍を跳んで回避し、未だ燃え続ける庭先に着地する。
気配を辿っていけば、明らかに頭一つ抜き出た大きな気配が背後にあった。
立ち上がり、振り向いたシュンが見たのは、地面に拳を打ちつけた体勢の、甲冑を着込んだ少女だった。
だが少女は所々に怪我をしている。しかも数時間以内についた、というような真新しいものではない。銃で撃たれたかのような傷と、いまの地属性の攻撃を見て、シュンはおおよそ理解した。
「君は水越眞子さん、かな?」
「……」
返答はない。が、顔が険しくなったことが何よりの証拠だろう。シュンは小さく笑う。
「王都から仲間も王女も見捨て逃げた君が、自分の実家を頼ろうとする気持ちはなんとなくわかるけど……」
「!」
「残念だったね。もう遅かったよ」
見ろ、という風に両手を広げる。
そのシュンの背後ではいまなお燃え広がる炎が見え、断末魔の叫びが聞こえ、消えていく気配が感じられる。
「水越家は、もう潰える」
「どうして……」
「ん?」
「どうして王都だけじゃなく、ここまで……!」
どうして、と来た。
憎悪をぶつけるような怨嗟の声に、シュンは思わず口元を釣り上げた。
「逆に聞くけど、どうして王都だけしか攻め込まないと? あそこさえ落とせば国としてもう機能を停止するんだからそれで良いじゃないかって?」
ハハ、と蔑むように笑い、
「いやぁ、さすが命欲しさに逃げた人の言葉は違うね。君はあれかな? 王都を差し出したからここを見逃せと、そんなことを言いたいのかい?」
「違う! あたしは――」
「違わない。君が行ったことは、言ったことはそういうことなんだよ。身勝手で、独り善がりの、自己中心的な物言いだ」
「違う……」
「何が違う? どう違う? 偽善ぶらない方が良い。自分を誤魔化すのも程々にね。何も僕は君の行動が悪いだなんて一言も言ってないんだ。
自分の身可愛さに他者を蹴落とす。差し出す。それの何がおかしい? 生あるものの執着としては当然の行動だよ。そうだろう?
他者を救う前に自分を守る。真理だね。むしろその方が賢いし救いがある。誰かのために命を落とすだなんて、道化以外の何者でもない」
「やめなさい……それ以上口を開くな!」
「だから君の取った行動は最善の選択だよ。あの王都にいた君以外の人間は大半が死んだ。一部は捕まってそれは酷い事をされてるらしい。
でもそれだけの生贄を差し出して君はこうして生き残っている。そしていまもなお、君の血縁者たちの命を使ってこうして生きながらえている。
もし他の水越の人間がとっくに死んでいれば君の気配に誰も気付かないはずないからね? 君を退けた水瀬小夜も普通ならすぐ気付いただろう」
「やめなさい! やめて……!」
「だからほら、逃げなよ。今回もまた、情けなくも惨めに逃げ出すと良い。いまはまだ僕しか気付いてない。だから安全に逃げられるよ?
自分の命が惜しいんだろう? 自分の命が何より大切なんだろう? 迷うことも罪に思う必要もない。君は既にその選択をしたのだから。
今更罪滅ぼしも何もない。『逃げた』という事実はどこまでも消えない。君が仲間を見捨てたという事実もまた、消えない。
それだけの業を背負ったんだ。もう……ここの人間を見捨てたところで何も変わらないよ、君は」
「うるさいうるさいうるさいうるさいッ!!!」
シュンの言葉を拒絶するように激しく首を振る。
だがシュンの言葉は眞子の心に深々と突き刺さった。彼女の抱いていた罪悪感や憎悪をかき混ぜ、煮え立て、増幅した。
前振りはこのくらいで良いか、とシュンは手を下ろした。後は眞子がどういう行動に出るかを黙って見ていれば良い。
「あ、たし……あたし、は……!」
両手で顔を押さえ、震える眞子の声はひどく不安定だ。そう仕組んだのは自分だが、思った以上に心が弱いらしい。
三分ほど経過してもまだ立ち尽くしたままの眞子に、シュンは小さく嘆息した。
それだけでビクリと反応する眞子はまるでか弱い町娘のようだ。このまま待っていても面白いものは見れそうにない。
ならば……。
「ま、逃げないのならそれでも良いけど。水瀬に力を貸す者として、僕がここで君を――殺すだけだ」
「っ!?」
敢えてむき出しの殺気をぶつけると、眞子は目を見開きながらも拳を構えた。戦士としての条件反射だろう。
戦うというのならそれでも別に構わない。シュンは剣を鞘から抜きながら、緩やかに歩を進める。
徐々に近付くシュンに対し眞子は前進するでも後退するでもなく立ち尽くすのみ。あるいは……足がすくんで動けないのかもしれない。
それならここで終わりだ。シュンは見せ付けるように剣を振り上げ、
「う……あぁぁぁ!」
そのどてっ腹に、眞子の拳が突き刺さった。
吹き飛ぶシュンを追走し、跳躍した眞子はそのまま空中でかかと落としを決め地面にシュンを叩き付ける。
ビシィ! と地面に亀裂が走るほどの勢いで沈み込んだシュンの上から、止めとばかりに拳を打ち下ろし、隆起した地面がまるで剣山のようにシュンの身体を串刺しにした。
「はぁ、はぁ、はぁ……!」
シュンを倒したにも関わらず、荒く息を吐く眞子の表情は優れない。
これでも六戦将と呼ばれた戦士。おそらくわかっているのだ、本能のレベルで。
「なるほど。君は戦う方を選んだわけだ」
声は……串刺しとなった死体からではなく、真横から。
バッと弾かれるよに振り向けば、膝を組みそこに肘を着いてこちらをのんびりと眺めている氷上シュン。
目だけで先程の死体を確認すれば……ついさっきまでシュンに見えていたそれが、別の男に成り代わっていた。
「言っておくけど、幻覚とか幻惑ってやつじゃないよ?」
シュンは哂う。
「これは僕の技の一つでね。『傷害転移(』と言う。ある限定条件下であれば、僕の受けたダメージをある対象に肩代わりしてもらえるものでね」
「……どいつもこいつも……ウォーターサマーは反則染みた連中ばかり……!」
「心外だなぁ。僕をあの鬼の子や死神なんかと一緒にしないでくれ。あれは正真正銘の化け物だ」
唸る眞子を尻目に、シュンはゆっくりと腰を上げる。剣を軽く振り、小さく膝を曲げて、
「さて。そろそろこっちの番かな?」
「!」
シュンが駆け出す。
速くはない。だが遅くもない。眞子より多少速い程度の動きだが、その程度ならどうとでも対処出来る。
だが眞子はウォーターサマーへの恐怖、そしてシュンの力への未知への不安から動きが鈍っていた。
戦闘において迷いや恐怖は死に直結する。それは十分に理解しているはずだが、彼女はそれを払拭できなかった。
ダ・カーポでの大量虐殺。自分の逃亡。仲間の死。シュンの言った全ての言葉が、彼女の心を内側から蝕んでいる。
怒りとある種の心の『破綻』によって八つ当たりのようにシュンに攻撃こそしたものの、再び剣を向けられる……ただそれだけで、まるで何か見えない糸にがんじがらめにされたように動けなくなった。
「さよなら」
シュンの剣閃。
それを見て眞子は目を見開き、
「あ、あ、ああああああ!」
ギリギリのところで、直撃を回避した。
二の腕をわずかに斬られたものの、それだけだ。大きく跳躍した眞子は、傷付きながらもなお、生きている。
生への執着。どれだけ心をかき乱されもなおその本能によって回避を選択した眞子を、シュンは愉快げに見つめた。
「良いね。君は立派に人間してるよ」
「なに、を……」
「それで良い、ってことさ。自分の命を最優先。それ以外のことは全て二の次。それこそが正しい生の在り方だ」
「違う! あたしは戦士なのよ……だから、仲間を助けに、王都にも戻ったし! それに、ここにも……!」
「でも君は気付いてない」
え? と目を丸める眞子に、シュンはある方向を指差した。
「気付いてないだろう? 僕と戦っている間にここの守りを一手に担っていた君の弟……確か、水越智也くんだったか? 彼の気配が消えたことに」
「ッ!?」
「残念だけれどね……ここに君の救いはない」
眞子は慌てて気配を探る。気配探知は得意な方ではないが、他の水越より明らかに頭一つ抜き出ている弟の気配なら簡単に見つかるはずだ。
……生きていれば、だが。
「う、そ……?」
「当然だろう? 君を負かしたあの小夜くんが、並以上とはいえ君より劣る弟を殺せないはずがない」
「~ッ!」
並の人間より強い。その程度の実力では小夜は倒せない。いや、ウォーターサマーの四家主力には誰であれ敵わないだろう。
それが事実。それが現実。そしてこれが結果だ。
「君は仲間を救いに来たと言った。まぁ仮にそれが本気であったとしても、だ。結局君は僕なんかに足止めをされ、大切な弟さえ救えなかった」
シュンが一歩踏み出す。
「残された者たちもごくわずかだ。さて、どうする? せめてその残りだけでも救おうと君は自らの命を顧みずに戦い、無駄に散るか?」
一歩。更に一歩。
「それとも再び逃げ出すか? 敵わないと決め、自分の救いを待っているかもしれないかつての仲間を放り置いて、生き長らえるかい?」
言葉と距離で眞子を圧迫し、追い詰めていく。
そしてその距離はほぼゼロとなる。
眞子は身体を震わせ、喉から過呼吸にでもなったかのような息切れが響き、瞳孔を不規則に揺らして、焦点の合ってない目でシュンを見ている。
情緒不安定。精神圧迫。絶望。恐怖。憎悪。
真っ赤に燃えた光景と、気配が消えたという現実と、シュンの言葉による攻めを受け、眞子の自我は半ば崩壊しつつあった。
そして彼は――止めを刺す。
「さぁ、どちらを選ぶ? 弱者にして敗者(の少女よ」
「う、ああああああああああああああああああ!!」
絶叫を撒き散らし、眞子は地面を蹴り穿つ。
巨大な地響きと湧き出す水のように勢いよく上空へ吹き飛ぶ土砂と粉塵。
だがそれは攻撃を意図したものではない。つまりは……、
「……逃げた、か」
シュンの目前。そこに先ほどまでいた眞子の姿はなかった。
視線を下に向ければ、人一人分ほどの穴が開いている。地属性の力を利用して地中から逃亡したのだろう。
だがどれだけウォーターサマーから逃れようとも、眞子は決してこの現実からは逃れなれない。
仲間を見捨てた罪悪感に苛まれ、敗北した自らの無力感に絶望し、そしてその全てが憎悪として膨らんで彼女の心を燃やすだろう。
が、それで良い。そうでなくては面白くないのだ。そのためにシュンは眞子を逃した。
いつでも殺そうと思えば殺せたし、いまだって追いかけようと思えば追いかけられる。この剣に『斬られた』時点で眞子の所在は手に取るようにわかるのだから。
種は植え付けた。どのようにこれから育っていくかはわからないが……きっと綺麗な華を彼女は咲かせるだろう。
だから見逃す。見逃して、次会うときに面白いことを示してくれればシュンとしては十分なのだ。
「ん? いやいや、『空白』なんかと一緒にしないでよ。あれほど僕は精神歪んでな……酷いなぁ、相変わらず君は」
剣を収めたシュンは一度周囲を見渡し敵が近くにいないことを確認して屋敷の縁側に座り込んだ。
もはや水越家は落ちる。いや実質的にもう落ちたと断言しても良いだろう。
生き残りは……気配を感じ取る限りせいぜい十六、七人。それも徐々に減っているようだし、もう自分の出る幕はない。
「……ん?」
ふと、頭上に鳥を見つけた。
おかしい。
これだけ轟々と燃え盛る屋敷へ、普通の鳥が近付くはずがない。自然、それは普通の鳥ではないということになるのだが……。
「誰かの使い魔、かな?」
そう判ずるのを待っていたかのように、鳥がゆっくりシュンの足元へ下降してきた。よくよく見れば、首に何かが括り付けられている。
「ふむ」
罠……という可能性も考えたが、考えただけで思考から消した。
開けてみたほうが面白そうだ。その程度の考えでシュンは躊躇なく括り付けられていたものを手に取った。
それは小さな、片手にすっぽり収まるほどの筒だった。中に何かが入っているらしい。
「写真……かな?」
蓋を開け取り出す。やはりそれは写真だったが、
「! ……へぇ」
写っていたのは実に興味深いものだった。
「あっちに向かっているのはわかってたけど、どう言おうか迷ってたんだよねぇ。それにまさか彼女までいるなんて。……これは彼の差し金かな?」
これを送ってきた相手に心当たりが一人いる。いや、ほぼ間違いはないだろう。こんなことをしでかすのはあいつしかいない。
少し借りが出来たかな、と写真を再び筒に戻したところで、背後から大きな気配を感じ取った。
だが構える必要はない。それはシュンのよく知る者の気配だったからだ。
「あら、シュン。こんなところにいたの?」
水瀬小夜。
散歩帰りのように緊張感の欠片もない表情と雰囲気で歩いてきた少女は、しかしこの戦場で五十人近い人間を殺している。
つまり、彼女にとってここの相手はその程度なのだ。夜道を歩いていたら虫が近寄ってきたから叩いて潰した。その程度の認識でしかない。
突入前となんら変わらぬその姿……いや、違う。一箇所、以前と異なる部分があった。
それは両手首。そこに先程までなかった網目模様のような緑がかった腕輪をつけていたのだ。
「あぁ、これ?」
シュンの視線に気付いたらしい小夜は腕輪を軽く振り、
「水越家に保管されてた原初の呪具を頂いたの。不思議よねぇ、装備したらすぐに使い方わかるんだもの」
「へぇ。もう試したんですか?」
「もちろんよ。手に入れたら使いたくなるのが心理ってもんでしょ。やー、でもなかなか使い勝手良いわこれ。いまなら『白河の魔女』くらい勝てそうね」
「それはまた……大きく出ますね?」
「もちろん真正面からぶつかって勝てるなんて思わないけどね。いろいろと手を考て上手く立ち回れば、って話よ。それよりシュン。その手に持っているものは何?」
「実はこっちも面白いものを手に入れましてね」
「へぇ、何よそれ。見せて見せて」
構いませんよ、と頷いてシュンは筒を小夜に渡す。
小夜はまるで貰ったプレゼントの包装紙を破る子供のように意気揚々と蓋を開けて中身を見た。
「写真? ……って、これ!?」
写っているものを見て目を見開く小夜に、シュンは笑って言う。
「ね? 面白いでしょう? それを柾木さんに見せてあげようと思って」
「はー……いや、なんていうか驚いたわ。あんたこんなのどうやって手に入れたのよ」
「知り合いのツテで」
「ふーん。……ま、確かに面白そうではあるわね」
同じく口元を崩す小夜。好戦的な彼女にとっては、新たな戦いの火種が生まれてくれるのは大歓迎なのだろう。
そう。この写真にはそれだけの価値がある。
ウォーターサマーの実質的なリーダーとなっている柾木良和にこれを見せれば、すぐさま新たな戦いの準備が始まることだろう。
ああいう男だ。戦う理由が二つ(もあっては動かないわけがない。
「んじゃ、とっとと行きましょうよ。残党なんて秋子に任せれば十分だわ」
「行くって……柾木さんのところですか?」
「当たり前じゃない。他にどこに行くのよ?」
「あの人戦いに横から茶々出されるの嫌いでしょう? まだ行かないほうが良いんじゃないですかねぇ」
「んー、大丈夫じゃない?」
小夜はあっけらかんと、言う。
「いっくら歴史ある魔術師の家、芳野家だっつったって、あの鬼どもに攻め込まれたら終わりでしょ。ま、あの風子って子が出たらそれこそ一瞬でしょうけどね」
確かに、とシュンも苦笑した。
そう。それもまた、わかりきっている結果だった。
薄暗い闇の中。
聞こえてくるのはわずかに三つの音。
一つは水音。激しく何かをかき混ぜるような音が最も大きく響いている。
もう一つは人の吐息。ハードな運動を強いられてきたかのような息切れは、しかし限度を通り越してもはや虫の息に近い。
そして最後の一つは、金属がこすれるような音だ。おそらくは鎖。ガチャガチャと鳴り響くその音は、その二つと常に連動していた。
「く……あっ、は……!」
かすれるような少女の声と同時、その全ての音が止んだ。次いで聞こえてきたのは、ドサッ、という何かが倒れたような音だった。
「よろしいでしょうか?」
その空間の外から、女性の声が聞こえてきた。タイミングの良さから考えて、音が止むのを待っていたかのようだ。
「あぁ、構わないよ」
促したのは男の声だった。
そして次の瞬間、その暗闇に闇が晴れていく。
否、密閉されていた窓なき部屋の扉が開けられ、外界の光が入ってきたのだ。
扉を開けて入ってきた女性――伊吹公子は誰にも感じられない程度に眉を顰めた。
立ち込めるこの臭い(。その行為を終えたとき特有の異臭に顔を歪めたが、それは一瞬のことだった。
「ご報告が」
「なんだい?」
公子の視線の先。未だに薄暗いその部屋の隅に、壁に背を寄りかけ座っている柾木良和の姿がある。
彼の上司と呼んでも良い彼は、しかし当然のように裸だった。
チラッと横を見れば、精根尽き果てたように横たわる、同じく裸の少女がいる。
だがこちらは両手を後ろで縛られ、魔力封じの首輪には鎖が取り付けられ天井へと繋がっている。
虚ろな視線。緩んだ口元。だが象っている表情は……どこか恍惚としたもののように見えた。
「公子?」
「あ、すいません。報告を続けます」
良和の行動に一切の口出しをしない。それは公子が良和に選ばれた際の決め事であった。
さざなみのように揺れる感情を即座に消し去り、公子は向き直った。
「芳野家、壊滅いたしました」
「そうか。こっちの被害は?」
「ゼロです」
「ハハッ。古き歴史と伝統を持つ高名な魔術師の家系と言うからどれほどかと思えば……詐欺も良いところだな。風子は?」
「……まったく興味を示さず、陣にて一人で遊んでいます」
「そうか。ある意味都合は良かったな」
風子はあの王都での最後の戦いから機嫌を損ねたように動かなくなっていた。
進軍などにはついてくるものの、目的地に到着しても戦場に出ようとしないのだ。
初めて敵を殺し損ねたから……だろうか? だがそういう雰囲気とも少し違うように感じる。公子をして、いまの風子はまるで読めなかった。
だがそれにより柾木家の部隊は何の憂いもなく侵略活動に専念出来たのだから、結果的には良かったのだろう。
風子が戦場に出ても同じことだが、彼女が出ればそれこそ塵一つ残らず……こんな発見も出来なかったに違いない。
「それと、こんなものを発見しました」
「ん? なんだそれは? 槍……いや、ランスか?」
公子が良和に見せたのは、まさしくランスだった。
長さは良和の二倍から三倍。刃がついているわけではなく、円錐状に広がるいわゆる騎馬用のランスに形状が近い。
手に持つ柄の部分は従来のものよりは長そうだが、何より目を引くのはその異様な色だろう。
全てが紫色。鉄特有の光沢ではなく、まるで毒でも塗られているかのような禍々しい色彩を放っていた。
「芳野家に保管されていた原初の呪具のようです」
「あぁ、そういえば芳野家や水越家はそういった武器を集めていたという話だったね。どれ、ちょっと見せてくれ」
公子はそのランスを良和の前に突き刺す。立ち上がった良和はそれを片手で引き抜き、軽く一振り振るう。
「……へぇ。使い方が頭に流れ込んでくる。普通の呪具とは違って便利なものだな、原初の呪具というのは」
「いかがされますか?」
「気に入った。これは僕が使おう」
「御意」
「あら、そっちも何か面白そうなもの見つけたみたいね?」
公子以外の女の声が、背後から聞こえてきた。
だが良和も公子も驚きはしない。とっくの昔にその二人がこの陣に近付いてきているのは察知していた。
「水瀬小夜か」
「はぁい♪」
横に一歩引いた公子の後ろから、軽い調子で手を振る小夜と、アルカイックスマイルで小さく会釈をする氷上シュンが現れた。
小夜の手には見慣れない腕輪。さっきの言葉から、そのアイテムが水越家にあったものなのだろう、と公子は察した。
「水越家はどうした?」
「楽勝よ。決まってるでしょ? そっちは――まぁ聞くまでもない、か」
「それで? わざわざこっちに何の用だ?」
「あ、そうそう。それそれ。ほら、シュン」
どうやら用事があるのは小夜ではなくシュンであるらしい。
「これを見てもらえますか」
「ん?」
彼は裸の良和を疑問にすら思わないように笑顔のまま近付くと、ある一枚の紙を渡した。
訝しげにそれを受け取った良和だったが、それを見た瞬間濃密な殺気が周囲に巻き散らかされた。
突然の態度の変化に公子は唖然とするが、良和の顔に浮かんだのは怒りでも憎悪でもなく……凶悪な、笑顔だった。
「これをどこで?」
「おそらくは僕の昔の仲間から」
「ククク、良い仲間を持っているじゃないか。……決まりだ。ダ・カーポを制圧したらすぐに動くぞ」
動く。その意図を公子は理解できなかった。
「あの、動くとは……?」
「決まってる戦争の準備だ」
「戦争……? どこと?」
「カノンだ」
今度こそ驚愕を禁じえなかった。
何故このタイミングでカノンに戦を仕掛けなければならないのか。それがまるでわからない。
もし仮に領土を広げるために戦うというのであれば、確かに一番近いカノンを攻めるのはわかる。だがウォーターサマーにも被害――大半が風子の攻撃によるものだが――がある以上、早急すぎるはずだ。
だが良和の意思は固かった。
「変更はない。全て終わったらすぐにカノンへ侵攻する。君もそのつもりで準備を整えておいてくれ」
「ですが……!」
なお反論しようとする公子を、良和は一枚の紙を眼前に差し出すことで動きを止めた。
それは写真だった。
どこにでもありそうな平和な光景。二人の少女が戯れているだけの、ごくありふれた日常の風景でしかない。
……だが、
「こ、これは……!?」
「攻め込む理由が二つ(もある。全てはそれで十分だ」
そう言って奥へと消えた良和を、もう公子は目で終えなかった。
彼女はその写真に釘付けになっていたから。
「どうして……こんな……?」
日常の風景。そう、それは確かにごくありふれた光景でしかない。世界のどこにでもあるような、仲の良い二人の少女だろう。
……しかし、写っていた二人(が問題だった。
ありえないと思う光景がそこにある。彼女らの過去を知っていれば到底信じられない。
しかし、現に二人はそこに写っていて……そしてその二人は共にウォーターサマーにとって標的であった。
白河さやかと白河ことり。
過去分かたれた因縁の家系であるはずの二人が、まるで旧来の友人であるかのようにじゃれあっている写真。
そして背後に写っている建物の紋章は間違いなく、カノンのもの。
良和を動かすには……否、ウォーターサマーを動かすには十分に過ぎるものだった。
公子は気付かない。
その横で、氷上シュンの口元が愉快げに釣り上がった事を。
あとがき
えー、こんばんは神無月です。
間章「シュン」お届けでーす。そして同時にダ・カーポの状況その後、って感じでもありますが。
シュンの性格やほんのちょっぴり特性が垣間見えたりもしましたね。
そういえばシュンの戦闘シーンは初公開かな? 風子の攻撃どうやって潜り抜けたのかもわかったでしょう。あれと同じ現象です。
で、ちゃっかり小夜と良和パワーアップ。原初の呪具の効力に関してはいずれ。
次回間章は鷹文ですね。もちろん坂上さんちの鷹文くんです。
なんで彼に間章が、ってよく聞きますが、失礼だよ皆! 言いたい気持ちもわかるけど!(オイ
ではではー。