神魔戦記 第百四十九章

                    「作戦決行まで、残り二日(後編)」

 

 

 

 

 

 祐一たちがトゥ・ハート王国に集まっている頃。

 カノンでは一つの出会いが起きていた。

「あなたが……水瀬伊月さん?」

「え?」

 伊月がまだ慣れないカノン城の廊下を歩いているときだった。

 声に顔を振り返らせると、そこにいたのは見慣れぬ一人の少女だった。

 まぁそれも当然だろう。そもそも見知った相手の方がここには少ないのだから。だから伊月としてはこう訊ねるしかない。

「えっと、あなたは……?」

「水瀬名雪です」

「水瀬……名雪さん?」

 その名に、伊月はハッとした。

 そう、ここはカノン。水瀬家はウォーターサマーにある自分たち以外にも、もう一つ続いている家があるのがここだったのだ。

 その一人があの水瀬秋子である。

 伊月は勝手にカノンの水瀬は秋子だけだと思いこんでいたが……しかし、そうなのだ。彼女以外に水瀬の血族がいないなんて限らない。

 だとしたら、まぁ声を掛けられる理由にはなるかもしれない。同じ水瀬の姓を持つ魔族なのだから。

 しかし名雪の口から続いた言葉は、伊月の思いもよらぬものだった。

「お願いがあるの」

「お願い……ですか?」

 名雪は頷き、真剣な表情で、

「わたしに、『不通』の扱い方を教えて!」

「……え?」

 

 

 

「……そう。強くなりたいんだ」

 二人は訓練場に移動してきていた。

 その間に伊月は名雪がどうしてそんなことを言い出したのか、その理由をかいつまんで聞いた。

 これまでの多くの戦い。そこであまり役に立てなかったと名雪は告げた。

「わたしは水瀬家の力を上手く扱えない」

 名雪は自らの手を見下ろし、

「決して自分が優秀じゃないってこともわかってる。でも、いざというときに仲間を……祐一を守れなかったり、助けられなかったりするのは嫌なの」

 だから、と伊月を見つめ、

「だから……お願い! わたしに『不通』のちゃんとした扱い方を教えて!」

 そう言う名雪の目はどこまでも真剣だった。嘘ではない心底からの思いだとわかる。

 それを見た瞬間、伊月の心に芽生えた感情は『懐かしさ』だった。

 昔……まだ小さい頃、自分もあんな風に誰かのために強くなりたいとひたむきに真っ直ぐ努力していたことがある。

 だからこそ、その気持ちが嘘ではないことは痛いほどにわかる。……わかるのだが、

「ごめんなさい。それは難しいの」

「ど、どうして!?」

 伊月はやや顔を俯かせ、

「そもそも特殊属性っていうのは誰かに教わって身につけるものじゃないの。

 私たちは家系で同じ特殊属性だから勘違いしやすいけど、皆誰かから習ったりして技を得ていったわけじゃないし」

「で、でもわたしお母さんから『琉落の夜』とか『遮鏡の夜』とか教わったよ?」

「それは人間族でいう魔術みたいなもので、長年の経験で編み出された誰にでも作れる……力の繰り方の初歩を学ばせるためのようなものなの。

 そこからは各自それぞれ自分に見合った独自の技を見出して、作り上げていく」

「それじゃあ……お母さんがあの後何も教えてくれなかったのは……」

「それが普通。本来水瀬家で共通の技なんてその二つしかないの。まぁ過去に誰かが使って有名な技とかはいくつかあるけど……」

 例えば秋子が得意とする『破城の夜』がそれだ。まだ水瀬家が一つであった時代から語り継がれている、先代が編み出した技。

 同じ水瀬でも素質は多岐に渡るので誰しもが扱える代物ではないが、あそこまで完璧に操作する秋子はまさにちょうど良かったのだろう。

 だからそういう意味では、名雪の素質に見合った先代の技があればそれを教えることくらいは可能かもしれない。

 その事を告げ、伊月は自信を持たせるように笑って見せる。

「じゃあ、とりあえず『琉落の夜』と『遮鏡の夜』を見せて? 基本というだけあって、その二つでおおよその素質は見て取れるから」

「う、うん……」

 名雪が気落ちした様子で離れていく姿を見て、忍びないと伊月は思う。

 彼女の気持ちには応えたい。だからどうにか名雪の力になりたいと思い……、

「――ちょっと待って」

 思わず、伊月は呻くように止めていた。

「え?」

 名雪は『遮鏡の夜』を展開しているところだった。彼女の前方に張られた『遮鏡の夜』は半円で構成されており、後ろががら空きになっている。

 止められた名雪は自分の『遮鏡の夜』が未完成であることを恥じてか、顔を俯かせた。

「その……わたし、魔力少ないし効率化が苦手だから全体を覆えなくて……」

「ううん、違う、そうじゃなくて!」

 だが伊月は否定する。伊月が驚いたのはそんな理由じゃない。

「凄い……」

「え?」

「凄いよ名雪さん!」

 伊月は、喜びの声を上げ名雪に駆け寄った。だが名雪はわけがわからない。

 この『遮鏡の夜』は見ての通り中途半端だ。いくら『不通』の闇による強固さがあったとしても一方向しか守れないのでは鉄壁とは言い切れない。

 そもそもその辺りが原因で神尾晴子との戦いで痛い目を見たのだ。

 だが伊月は興奮冷めやらぬ様子で名雪の『遮鏡の夜』に触れていく。

「凄い、本当にこの面は『遮鏡の夜』として成り立ってる……」

「あ、あの……伊月さん? その……何が凄いの? わたしにはよく……」

「あのね、名雪さん。確かに名雪さんは魔力が少なくて効率化も悪いかもしれない。でも、その結果見出したのがこの半円の形なんだよね?」

「う、うん」

「だから凄いんだよ!」

 良い? と伊月は言い聞かせるように指を立て、

「結界っていうのはね、一番構築しやすい形は円なの。だから皆結界は円形が基本でしょう?」

 それは確かにそうだ。結界は瞬時に構築する対攻撃防御結界にしろ長時間維持する対侵入防御結界にしろ、円形が基本である。

 円、ということはつまりどこにも屈折点がないということだ。それは魔力の循環的にも最良の形であり、またその分少ない魔力で強度も増す。

 次に多いのは壁のような一面タイプの結界だ。これは水や地属性のようにその場にあるものを利用する属性で多く用いられる。

 前者の理由からこのタイプの結界は円形のそれに比べて強度は落ちるのだが、元々あるものを利用することでそのマイナスを相殺しているのだ。

 もちろん結界構築の上手い者――例えばユーノなどであれば、四角や三角形だったりしても同じ規模で同等の強度にすることも出来るだろう。

 だがそれは魔術学における基本中の基本だ。名雪とて知っている。だから半分とはいえ名雪も円なのだ。

 しかし、伊月の言いたいことはそうじゃない。

「良い? 構築しやすいのは円――つまり球状なの。もし本当に魔力が少ないっていう理由で結界の力を落とすなら、普通は円を小さくする(、、、、、、、)

 そう、まさしく伊月の妹である小夜がそうであるように。……だが、名雪は違う。

「でも名雪さんは半円にすることでそれを阻止した。でも半円は、もう円じゃない(、、、、、)。だって途中で切れてるんだもの」

「あ……」

 しかも壁系タイプの結界とも違い、地面や壁に設置しているわけでもない。

 中空に半円で結界を構築する、なんていう芸当は例えるならパンパンに膨らんだ風船を針の上に乗せて落とさないようにするような、そんな際どいものなのだ。

 一瞬であるのなら、そのくらいは誰にも出来よう。美咲や栞、なのはだって出来る。だがこれを名雪のように維持し続けるのは極めて困難なのだ。

「名雪さん。あなたには素質がある!」

 伊月は名雪の肩を揺さぶり、興奮もあらわに言った。

「結界の構築能力っていう素質があるの!」

 名雪にとっては無自覚のことだったのだろう。

 彼女にとって他の水瀬は秋子しかおらず、半円しか構築できないというだけで自分が劣っていると決め付けていた。

 また他の者たちも水瀬の『不通』の能力はそういうものだと決め付け、通常の結界と同一視したりはしなかった。

 だから誰も気付かなかった。名雪の『結界構築能力』という、その素質に……!

「これなら、もしかしたらすぐに強くなれるかもしれないよ?」

「ほ、本当!」

「うん。ある分野の人にちゃんと力の操作の方法を教われば。基本は一緒だし、名雪さんくらいの素質があればすぐに身になると思う」

「その分野って!?」

「それは――」

 伊月が告げた、その一言が、

「結界師、だよ」

 名雪の運命を変えた。

 

 

 

 その頃、トゥ・ハート王国にてキー、リーフの六ヶ国の王がそれぞれ集結していた。

 場所は前回の会議と同じ場所。席順もまた前回同様だが、メンバーがごっそり半分近くに減っていた。

 どこの国も代表一人……つまり王、あるいは女王のみの出席となっていた。

 まぁ無理もない。既に作戦決行は明後日に控えた状態。各自自国で成すべきことが多いのだ。補佐はそれこそ王の代わりにてんやわんやだろう。

「さて、こうして再び皆さんに集まってもらったわけですが……」

 例外が二つ。そのうちの一つがトゥ・ハートの来栖川芹香女王と、その横にいる綾香。彼女らの場合は自国でもあるので別に不思議はないだろう。

 そしてもう一つが……、

「では本日の本題を……カノン王、相沢祐一王から」

「あぁ」

 椅子を引き、祐一が立ち上がる。それに伴い室内にいる皆が祐一を――否、正確に言うならその後ろを見やる。

 祐一もその視線に気付き、やや身体を横にずらした。その奥には、一人の少女が立っている。

「まず紹介しよう。この子が先日連絡した少女、月島瑠璃子だ」

 かすかに首が動いた。もしかしたら彼女なりの会釈だったのかもしれないが、傍目にはただ揺れたようにしか見えなかった。

「シズクの月島拓也の妹、と本人は言っているし、俺も現段階では信じている」

「根拠は?」

 テーブルに肘をつきその腕に顔を乗せた浩平は興味津々な感じで瑠璃子を凝視している。

「シズクの潜入工作員をこの子によって発見することができた」

「それが罠って可能性は?」

「否定は出来ないが、少なくとも精神感応能力者なのは間違いない。俺の仲間に精神感応能力者がいるから、確認させた」

 なるほどねぇ、と頷いて浩平は視線を外した。もう聞くことはないということなのだろう。

 他の者たちはまだ疑いの視線を解いてはいない。事が事だけにそう簡単に信じるわけにはいかないのだ。

「……では、あなたが本当に月島拓也の妹であると仮定した上で話を進めますが」

 綾香が仕切りなおすように口火を切る。

「カノンに亡命したのは兄を止めたいからだ、と。そう言ったようですが……それは具体的にどういう意味ですか?

 そもそも、月島拓也は何故このような行動に出たのです? ある情報では原因はあなたであるというのもありますけど……」

 彼らが疑いの目を解かぬ要因の一つにそれがある。

 もし瑠璃子が拓也の妹その本人であったとしたら――拓也の暴走の引き金となった張本人、とも同時に言える。

 そうなれば諸悪の根源とも言えなくはないが……、

「……うん」

 瑠璃子は、事も無げに頷いた。

「原因は、きっと私にある」

 ガタッ! と椅子が倒れる音がした。

「お主……よくもぬけぬけと!」

 それは神奈の椅子だ。神奈は誰が見てもわかるほどに顔を怒りに歪ませ、掴みかかる勢いで身体を向けるが、その肩を祐一に抑えられた。

「よせ神奈!」

「離せ祐一! 余は――!」

「まずは瑠璃子の話を聞け! 何もかもはそれからだ!」

「ぐぬっ……!」

 祐一に見据えられた神奈は、改めて周囲を見やる。他の面々も同意見なのか、厳しい表情ながらも頷いた。

 神奈はしばらく身体を怒りで小刻みに揺らしていたが、しばらくして無言で着席した。

 それを見届けて、綾香は質問……いや、詰問を続ける。

「それは……どういうことですか?」

「……シズクがまだ国として機能してた頃、私は街で迫害を受けていた」

 思わぬ話に皆が目を見開いた。

 瑠璃子はただ淡々と、無表情のままに続ける。

「精神感応能力者は、その能力が露見すると迫害を受けやすい。……誰も、自分の心を覗かれて良い気はしないと思うから」

 確かにそういうケースは多いと聞く。

 精神感応能力者自体がそう数も多くないが、噂に聞く話ではその能力が露見すると下手をすると殺されることさえあるという。

 自分の心の奥深くを覗かれる恐怖。それに耐え切れなくなるのだろう。

「まだ能力に目覚めてなかった頃のお兄ちゃんは優しくて、そんな私をずっと庇ってくれた。

 ……それで何度も痛い目にあったりもしたのに、平気な顔で笑ってた。大丈夫だから、って。これくらいなんともないから、って。

 しばらくはそうして……兄妹二人でどうにか暮らしてた。人に見つからないように山奥にこもって、ひっそりと。でも……」

 そんな日々は決して長くは続かなかった、と。

「……結局私は見つかって、とても酷い目にあった。もう言葉に出来ないほど酷い事を……。でもそんな私より、お兄ちゃんの方が傷付いた。

 そのときちょうどお兄ちゃんがいなくて……。ううん、きっといないときを狙ってたんだと思う。だからお兄ちゃんは、自分をずっと責めてた。

 何度も何度も謝って、ずっとずっと泣いて……。人を憎んだことのなかったお兄ちゃんが、そのとき初めて言った」

 殺してやる、と。

 瑠璃子をこんな目に合わせた人間を皆殺しにしてやる。

 いや、そんなものじゃ足りない。人間なんていう愚かな種を、根こそぎ消してやる……!

 その激しい憎悪と、精神的な破綻が……全ての引き金となった。

「そして――」

「そして精神感応に目覚めた……か」

 ハクオロの言葉に瑠璃子は頷く。

 祐一も合点がいくところがあった。

 一説では、精神的に大きな傷を負った者や大きな重圧を受けた者に後天的な特殊能力を持つ者が出来やすい、と言われている。

 特に精神感応能力者は顕著だという。実際祐一の仲間である水菜はムーンで虐待を受けたことで能力を開花させた。

 過去、ムーンはそういった精神的苦痛を故意に与えることで能力を開花させる、という非人道的な研究もしていたようだが……、ともかく。

「つまり月島拓也がいまのように至ったのは……」

「人間族に、いや……世界に対する復讐、ということですね」

 ハクオロの言葉を郁美が継ぎ、嘆息する。

「なんとも……救えない話ですね」

「同情は出来るかもしれぬ。じゃが、だからと許せる道理はない」

「神奈女王……。それは、ええ、確かに……」

 なんとも言えぬ空気が室内に漂う。怒りも残るが、やりきれなさも残る。そんな中で、 

「だから」

 瑠璃子が透き通るようなはっきりとした声で、告げた。

「だから、止めたい」

 その場にいる者全てが瑠璃子を見た。

「……私は……壊れていくお兄ちゃんが見たくなくて……逃げた。でも……もうこれ以上、もう逃げてられない。……そう思った」

 だから、と瑠璃子は腰を折り顔を下げ、

「お願い……。お兄ちゃんを止めるのを……手伝わせて」

 真摯な願いだった。切なる想いだった。

 元々はただ仲の良い兄妹がそこにいただけなのに。不運が不運を呼び、憎悪が憎悪を生んで最悪の結果を招いた。

 だから……だからこそ、

「止めるさ」

 ここに集う王たちの気持ちは一つだった。

 浩平が軽い口調で、しかし安心させるように笑う。

「だろう? 相沢王」 

「当然だ。俺たちはそのためにここに集まってるんだからな」

 元よりシズクの暴挙を止めるために集ったのだ。

 ただ、その理由が……一つだけ増えただけのこと。

 もうこの時点で瑠璃子を疑う者はいなかった。彼女は月島拓也の妹で……そして兄を愛する妹であることを。

「シズクを止める。止めるんだ、瑠璃子」

「……うん」

 わずかに頷いた瑠璃子は、小さく笑っていたような気がした。

 しかし、話はこれで終わりじゃない。これからが本題なのだ。だから瑠璃子はすぐに表情を戻し、

「話すよ。私の知る限り、全てのことを」

 その一歩を、踏み出す。

 

 

 

 会議は思った以上に長引いた。

 瑠璃子のもたらした情報を元に作戦細部の修正・調整が行われたからだ。

 その後各国からの本作戦に参加するおおよその人員と構成、割り振りなどを話あったら既に時刻は夜と言っても差し支えないものになっていた。

 本当なら一緒に晩餐でもしたいところだが、そんなこともしていられない。

 既に作戦は明後日に迫っている。どの国も最終調整に追われているのだ、国の代表が暢気にそんなことをしていられない。

 全ての決着が着いたら、と六ヶ国の王は約束をし、それぞれの国へと戻っていく。

 祐一もまたカノンに戻るため、瑠璃子と共に小型空船を止めてある場所に戻り、

「あ、ようやく戻ってきた〜」

「お?」

 そこに、久しぶりに見る顔を多数見つけた。

 小型空船の周囲にいるのは四人の少女。

 芳野さくら、小牧郁乃、雨宮亜衣と相沢リリスであった。

「お前たち……戻ってたのか」

「パパ」

 真っ先に動いたのはリリスだった。彼女は小走りに祐一に近付くと、そのままの勢いで胸に飛び込んだ。

 おっとと、と祐一はリリスを抱き止め、その頭を撫でる。

「リリス、強くなったよ」

「そうか。頑張ったんだな」

「うん。浩之たちのおかげ」

 リリスが視線を転じる。そっちに振り向けば、藤田浩之が立っていた。

「君が藤田浩之か。リリスが世話になったな」

「いえいえ。才能のある子でしたし教えてて楽しかったですよ。それに本当に強くなりましたよリリスは」

「そうか。礼を言う。ありがとう」

「あはは。んじゃあ今度の作戦が終わった後にでもカノンに観光旅行にでも連れてってくださいよ」

「あぁ、喜んで」

 一通りの話を終えた浩之はリリスに近付いていく。祐一がリリスを離すと、リリスもまた浩之に駆け寄った。

 浩之は小さく笑うと腰をかがめ、視線を合わせて、

「じゃ、リリス。明後日は別々の配置だけど、お互い頑張ろうな」

「うん」

「じゃな」

 ポンポン、と二度軽く頭を叩いて浩之は踵を返した。そうして去っていく彼の背中を眺めていたリリスは、

「浩之」

 彼の名を呼んでいた。

「ん?」

 振り返った浩之にリリスが継げた言葉は、

「死なないでね」

 誰もが予想だにしない意外なものだった。

「浩之も。あかりや志保や雅史もマルチも。死んじゃ嫌だよ」 

 何よりも驚いたのは祐一だった。

 最初に会ったあの頃より確かに精神的に成長していたとは思う。だがそれでも『生死』という概念に関しては他者より疎かったはずだ。

 そんなリリスが……誰かのことを心配してこんな台詞を言うなんて。

「……フッ」

 驚いていた浩之は、しかしすぐに軽く笑うとまた歩き出した。彼はリリスに背中を向けたまま、

「ば〜か。俺たちを誰だと思ってやがる。作戦終えたら全員でお前に会いにカノンに遊びに行くさ。そしたら観光案内はお前に任せるぜ?」

「うん。待ってる」

 ヒラヒラと手を振って去っていく浩之をリリスは最後まで見届けた。

 杏が言っていたように、今回トゥ・ハートにリリスを預けたのは正解だったかもしれない。祐一は心の底からそう思った。

 そんなリリスをしばらくそっとしておくことにして、祐一は次に亜衣に近付いた。

「郁美から聞いてはいるが、ちゃんと完治したみたいだな。何よりだ」

「はい。リハビリも終わってその後訓練もしましたし、きっと前以上に動けますよ、わたし」

「わたし?」

 その一人称に祐一は首を傾げた。確か亜衣は自分の事を「亜衣」と呼んでいたはずだが?

「あ〜……はは」

 亜衣は祐一の言いたいことに気付いたのだろう。恥ずかしげに頬を掻き、

「その……なんというかー……ケジメとして、ちょっと」

「そうか」

 それ以上は何も聞かなかった。リリス同様彼女もいろいろと成長している、ということなんだろう。

 だから言うことはこれだけだ。

「明後日、頑張ろうな」

「はい。必ず時谷さんを連れ戻します!」

 良い気合だ、と祐一は亜衣の肩を軽く叩いた。そして残りの二人に視線を向ける。

「そっちも大丈夫そうだな」

「当然! 迷惑掛けた分しっかり働くよ〜♪」

 にゃはは、と笑うさくらにはキチンと両腕が揃っていた。どうやら無事に義手は完成していたらしい。

「君にはいろいろと助けられてばかりだな。本当にありがとう」

「別に」

 隣の郁乃は、ただ憮然とした表情で、

「あたしが自分ですると決めただけだもの。別にあなたに礼を言われるようなことじゃないわよ。っと、そうだ。それよりこれ」

「ん?」

 言うなり郁乃が一枚の紙を差し出してきた。わけもわからぬままに受け取ると、突然郁乃は敬礼をし、

「トゥ・ハート王国軍、速術機動部隊所属小牧郁乃。本日を以って使者としてカノンへ出向することになりました」

「なっ……?」

 ポカンとする祐一を見て、郁乃はしてやったりという顔で笑った。そしてすぐに姿勢を崩し、ひらひらと手を振って、

「まぁそういうわけで、これからよろしくお願いね? 王様」

 まさか、と先程渡された紙を見れば、やはりそれはトゥ・ハート王国軍からの正式な辞令書であった。

 芹香も綾香もそんなこと一言も……、

「いや、待てよ」

 確か退室する直前に妙なことを綾香が言っていなかったか? 確か……。

『そうそう。いろいろとよろしくね』

 と、なんか含みのある笑みと共に言っていたが……なるほど、そういうことか。しかし、

「お前は軍部の人間じゃなかっただろう? なのにどうして……?」

「別にあなたには関係ないでしょ? それともなに、迷惑なの?」

「いや、そういうわけじゃないが……」

 使者とはいえ一時的にカノンにやってきてくれるのは素直に助かる。

 郁乃の技術力はカノンにはないものだし、最初に会ったときのことを考えれば腕もかなり立つとなんとなくわかる。

 だがどうにも納得がいかない。同盟も組んでいない国相手に使者を送るということもそうだが、それが何故この時期で、しかも元々軍部の人間ではない小牧郁乃なのか。

 そんな質問に答えたのは、悪戯を思いついた猫のような顔でそっと祐一に近付いたさくらだった。

「郁乃はね、わざわざカノンに出向くために軍に入ったんだよ」

「ちょ、さくら!」

「なんでカノンに?」

「にゃはは、それはボクの口からはなんとも〜」

「……そうやって肝心なところ誤魔化すんなら最初から言うなっつーの」

「おやおやいくのん。それはボクに全てをカミングアウトして良いってことなのかにゃ〜?」

「んなこと言ってないでしょーが!?」

 怒ったように追いかけるがさくらは祐一の身体を盾にして逃げる。

 不意に二人が近付く形となる。すると郁乃は思った以上に驚いて動きを止めてしまった。

 間近で対面する形となりたじろぐ郁乃に、気付かず祐一はもう一度、

「で、結局どうしてカノンに?」

「〜〜〜っ」

 何故かそっぽを向かれてしまった。しかも顔が少し赤いような……?

「どうかしたか?」

「な、なんでもないから顔を覗き込もうとかするなぁ!」

「?」

「い、いまはちょっと諸事情があるから言えないわ。あ、でも安心して。別に国を乗っ取ろうとかそんなこと考えてるわけじゃないから」

「そんな心配はしてないが……」

「ともかく!」

 と、郁乃は勢いよく指差し祐一の胸にトンと置いて、

「そのうち、機が熟したら必ず言うわ。他の誰でもない、あなたに言う」

「郁乃……?」

「覚悟してなさいよ。私は姉とは違って動き出したら止まらないんだから」

 ふん、と何故か機嫌悪そうに吐いて捨て、のっしのっしと歩いていった。

 なんなんだ? と祐一が首を傾げていると、ニコニコ……というよりニヤニヤしたさくらがツンツンと祐一の腹を肘で突付いた。

「にゃはは、祐一も悪よの〜」

「何がだ」

「さーて、なんでしょーね〜?」

 くるん、とさくらは回り外套を翻しながら、

「ともあれ、戻ろうか? やることたくさんあるんでしょ〜?」

「それはそうだが……」

 とてとてと先に行ってしまうさくら。

 で、今度は亜衣が祐一を見上げ、そして溜め息一つ。

「祐一さんは乙女心がわかってませんね〜」

「亜衣?」

「いえ、時谷さんも同じですからきっと男の人って皆同じなんだろうなぁ……」

 ブツブツと呟いて亜衣も続く。

 何がなんだかわからない祐一は首を傾げるばかりだった。

 そして何故かポンポンとリリスに背中を叩かれた。

 

 

 

 そうして祐一たちはカノンへと戻ってきた。

 カノン王城中庭に着陸した小型空船から出てくるや、亜衣が空を仰ぎ大きく背伸びした。

「んー、久しぶりのカノンだー!」

「懐かしい感じがする」

 亜衣、リリスの発言に祐一が微笑を浮かべたときだった。

 ズダン! という物凄い音を立てて中庭へ名雪が着地したのは。

「名雪? っていうかお前どこから――」

「ごめん祐一! 小型空船借りるね!」

「あ、おい!」

 突然走って来た名雪は言うだけ言って小型空船に乗り込むとパイロットに何事かを怒鳴り散らしていきなり飛んで行った。ポカンとする一同。

「……なんだあいつ?」

 わけもわかえらず首を捻る。でもまぁ名雪のことだ。気にするほどのことでもないだろう。……多分。

「おや、随分大所帯ですね」

 城に繋がる廊下の方から一人の女性が現れた。出迎え……ではなくおそらく偶然通りがかったのだろう。紫がかった髪を結っているその女性は、

「あぁ、シオンか……って、お前シオンだよな」

「? 何を当然のことを言っているんですか」

「いや……」

 祐一は自分の目の部分を指差して、

「お前、そんなの掛けてなかっただろう?」

「あぁ、眼鏡のことですか」

 そう。どういうわけかシオンは眼鏡を掛けていたのだ。シオンはそれを指先で軽く直すと、

「これは光陰……あぁ、エターナル・アセリアの人間なんですが、その光陰が『女が事務仕事をするときは眼鏡を掛けるのが常識なんだ』と言っていたので」

「いや、それはデマだろう……」

「それくらいわかってます。ですがこれを掛けていると妙に光陰が優しくて、使い走りに便利なのでよく掛けてたんですよ。

 だからそれで癖になっていたのかもしれませんね」

「……ま、まぁエターナル・アセリアでも上手くやっているようで何よりだ」

 そうとしか言いようがなかった。

 と、そこで思い出したことがある。

「そういえば昨日俺に渡す物があると言っていなかったか?」

「ええ。そうですね、確かにいまは丁度良い。では少し待っていてください。それを持ってきますから」

「え、あ、おい」

 言うなりシオンはさっさと城に戻ってしまった。

 別にこちらがシオンの部屋に向かっても良かったのだが……、

「ま、待つしかないか」

 で、待つこと五分ほど。戻ってきたシオンが脇に抱えている物はあまりに予想外のものだった。

「これです」

 差し出されのは見間違いようもない。

 それは一振りの剣だった。

「その剣は……?」

「クラナド一の鍛冶師、坂上鷹文からあなたへ渡すように頼まれました。御礼だそうで」

「礼?」

「ええ。クラナドと家族を助けてもらったことに対する、礼だと」

 別に礼を言われるようなことはしていないと思う。むしろクラナドの被害を広げた一因で憎まれても仕方ないとさえ思っているのだが……。

「待て、坂上? それは五大剣士の?」

「はい、そうです。加えて言えば聖剣の担い手坂上智代の弟であり、一時期カノンにて力を貸していた坂上河南子の夫でもある」

 それで少しは納得できた。それもまた礼を言われるようなことではないと思うのだが、わざわざ突き返すこともないだろう。

 今度会う機会があればこちらからも礼を言おう、とその剣を受け取ることにする。

「お……」

 軽い。

 見た目はそれなりに大きくしっかりとした形をしているので重そうな気がしたが、片腕でも難なく振れる軽さだった。

 祐一は鞘から剣を抜いてみる。すると夜空を切り裂くような白銀の煌きが姿を現した。

 その刀身の光沢を見て、郁乃が驚きの声を漏らす。

「凄い……これ、もしかして全部スチュエリウム!? 手の平サイズの鉱石を手に入れるのだって一苦労って代物でしょ!?」

「そのようですね。そもそも市場にさえまず出回らない、王家ですら所有できるかどうかという世界三大レアメタルの一つということですし」

 シオンの言うとおり、スチュエリウムというのは非常に希少な貴金属である。いや、正確に言えばむしろ宝石に近い。

 白銀に煌くスチュエリウムは魔術師の持つ杖の先に仕込まれる核石などにも使われるもので、とてつもなく魔力循環効率が良いのだ。

 例えば本来十の魔力で扱う魔術を、手の平サイズのスチュエリウムを通すことで七、あるいは八程度の魔力で行使することが可能になる。

 だがこの剣は柄から刀身まで全てがそのスチュエリウムで出来ている。この大きさなら、五分の一以下まで魔力消費を抑えることができるだろう。

「でも、どうしてそんなものを一介の鍛冶師が……」

「元々坂上はキー五大剣士の家系ですからね。聖剣を持つ前、剣を作っていた頃の名残で良い金属や宝石の原石が家に眠っているんだそうです」

「なるほどねぇ。それなら納得できるわ」

 シオンは郁乃から祐一の持つ剣に視線を変え、

「剣の銘は『マージ』。古代語で『併合』という意味ですね。いろいろなものを一つに纏めようとする貴方には、うってつけの名前でしょう」

「マージ……」

 鷹文が智代や河南子から祐一の話を聞いて、そして冠した名だった。

 祐一が行ってきたこと、これから行うことを代弁するような銘。感慨深いものを感じながらその剣を見上げていると、

「ねぇ、祐一。ちょっとそれ貸してもらえない?」

「郁乃?」

「ちょっと試したいことがあるのよ。……ううん、その前に実験が必要か。ちょっと待って」

 ゴソゴソと郁乃が腰のポシェットをまさぐる。ルミエの持つ物と同様の処理が行われているのか、明らかに容積以上の物をいくつか取り出した。

 郁乃は手袋をはめ座り込むと取り出した物になにやら操作を加え始める。何をしているかわからないので祐一たちは黙って見ているしかない。

「よし」

 だがそれも三分もしないうちに終わった。郁乃は立ち上がり、指揮棒のような物を祐一に差し出した。

「これで何か対消滅系の術使ってみて」

「……これは呪具なのか?」

「一応試しに(まじな)いは入れてあるわ」

「じゃあそれを教えてもらわないと」

「大丈夫よ。それは常時発動型だもの」

「常時発動型? そんなものがあるのか?」

「あるのよ。まぁそもそもそんな(まじな)い作ったのあたしたち姉妹が世界初だから知らなくても無理ないけど。

 例えばそのさくらの義手。自分の腕として普通に動かせるように(まじな)いを仕込んでるわけだけど、そんなの一々声に出して読んでられないでしょう?

 だからそういう常に発動してる方が便利なもの、そうでなければ意味のないものにはそういう仕組みが施されてるわけ」

「へぇ……さすがは呪具の天才小牧姉妹だな」

「っ……! べ、別にそんな話はどうでも良いからとっとと始める! ほら!」

「何を慌ててるんだ?」

「慌ててないからさっさとしろー!」

 何故か怒られてしまった。ともあれ、『マージ』をとりあえず地面に刺し、その棒を受け取って言われる通りに力を少しだけ解放する。

 もちろん使用する魔術は『陰陽の剣』だ。この棒に力を注ぎその上で剣を形成――、

「ん?」

 そこで祐一は妙な感覚を得た。

 確かにその棒を依り代として『陰陽の剣』は無事具現化されている。だが……祐一はまだ最後の工程(、、、、、)を終えていない。

 魔力は通常通り使ったし、術式の構築もした。だが最後……術の維持に関して祐一は何も行っていないのだ。

 だが現にこうして『陰陽の剣』は形成され、祐一が何もしていないのにその形をずっと維持している。

「どう?」

「これは……勝手に術の維持をしてくれる呪具なのか?」

「似てるけど少し違うわ。でもそう感じるんなら成功ね」

 だが次の瞬間、剣が霧散した。祐一が何かをしたわけじゃない。ただ媒体にしていた棒が対消滅の力に耐え切れず消え去っただけだ。

「ま、適当な物をあてがっただけだし、それくらいが限界でしょうね。でもこれで上手くいく。……ね、あなた。これ作った鍛冶師と連絡取れる?」

「え? ええ、出来ますが……」

「大至急お願い。確認したいことがあるの。さくらも手伝って。魔導の観点で言えばあなたの方が詳しいでしょ?」

「うにゃ、別に良いけど……」

 当惑するシオンやさくらに矢継ぎ早に指示を出し、郁乃が『マージ』を抜き鞘に収め抱えた。

「少し待ってなさい。とっておきの剣を創ってあげるから」

 そう言うと郁乃はシオンとさくらを連れ立ってさっさと何処かへと歩き去っていった。

「……なんか今日はこういう展開が多いな」

 再び取り残される形になった祐一。その背中をまたリリスが二度叩いた。

 

 

 

 さすがに時間は無駄に出来ない。祐一は残っていると言ってくれた亜衣とリリスに甘えて一度私室に戻った。

 戻ってみれば案の定香里やシオンが持ってきたのであろう書類の山がデスクの上を埋め尽くしている。

 状況を考えればこれは今日中に全て片付けねばなるまい。さすがに決行前日までこんな作業をしているわけにもいかない。

 それに見た目は山のように見えるが、その中身の大半は香里やシオンが行ってくれているので祐一は目を通し決定の是非を記すのみだ。

 おそらく作業量で言えばあの二人の方が祐一よりよほど多いだろう。迷惑を掛けるな、と思いつつ祐一もその書類に取り掛かる。

 その書類の山が半分くらいまで減じたところで、ノックが聞こえてきた。

「誰だ?」

「亜衣です。小牧さんから訓練場に来て欲しい、って伝言を預かってきました」

「わかった。すぐに行く」

 作業を一時中断し、時計を見やる。時刻はあれからもう三時間ほどが経っていた。あと一時間もすれば日付が変わるという時間である。

 そして亜衣と共に訓練場へ足を運ぶ。するとどういうわけか郁乃たち三人以外にも何人かの姿がそこにあった。それは、

「佐祐理? それに……上月澪?」

「あははー、どうも〜」

 佐祐理が小さく笑い、隣の澪がぺこりと会釈をした。そして指先に魔力を宿した澪が中空に文字を書き、

『大至急来て欲しいって佐祐理さんに言われたの』

「佐祐理は小牧さんに澪さんを呼んで欲しいと言われたので」

 いまカノンに小型空船はない。おそらく澪はワンの小型空船に乗ってやって来たのだろう。

「文字魔術の権威だからね。どうせなら手伝ってもらおうと思って」

 その面々の中から郁乃が近付いてくる。

「まぁでも、おかげで予想以上の物が仕上がったと思うわよ」

 はい、と差し出されたのは『マージ』だ。だが、さっきとは細部が微妙に異なっている。

「新生『マージ』。ちょっと試してみてよ」

 受け取り、鞘から抜き放つ。

 すると刀身の淵を覆うように魔術文字が並んでいた。またその白銀の輝きがいっそう増したような気がする。

 一応郁乃たちを見るが、彼女らは黙って頷くのみ。

 だから祐一は先程と同じく『陰陽の剣』を発動し――、

「これは……!?」

「どう? 凄いでしょ?」

 郁乃の自信に満ちた声を肯定するように、『陰陽の剣』がこれまでにない大きさ、そして見た目ではわからないが強固さを示していた。

 先程の呪具同様祐一は最後何もしていない。だが今回はそれだけではかった。

 流し込んだ魔力は従来の半分程度。にも関わらず具現化した『陰陽の剣』の威力は明らかに通常の倍ほどに感じられた。

「あたしの打ち込んだ(まじな)いは『二を一にする』よ。

 二つある物を合一させるもんで、武具の製鉄や精錬なんかの、主に開発・製造なんかで用いられる(まじな)いなの。

 それを効率化・縮小したものをその剣には打ち込めるだけ打ち込んである。多分何の感覚もなく対消滅を成立させることができるわ」

 (まじな)いとは、基本足し算である。

 同じ効力を持った(まじな)いでも、一つではなく二つ三つと加えていくことでその能力は高まっていく。

 つまり郁乃のように一つの(まじな)いを縮小化させることが出来るということは、物体の存在規模が同じであるのなら強化が出来るということ。

 よって彼女の力を用いれば、普段たいしたことに利用されない効力でも思いもよらぬ力を発揮することもあるのだ。

 そして、と郁乃がさくらたちを振り返り、

「加えて、さくらと倉田さんが施した強力な魔力流動処理で対消滅による剣への負担を極限まで軽減」

「えへへ〜、苦労したよー」

「あははー、疲れましたー」

 対消滅の力は強大だ。そのまま剣に流し込んでしまっては先程の指揮棒のようにそのうち消滅してしまう。

 しかしかといって下手な対魔術(アンチマジック)処理などをすれば反発して剣が崩壊してしまうだろう。

 だから無理に押し留めるのではなく、流す。剣の中に、表面に、一定時間以上同じ場にあり続けないように流すことで負担を下げるのだ。

 それが魔力流動処理。さくらと佐祐理という魔術学に精通した二人ならではの特殊処理と言える。

「更に上月さんの文字魔術のバックアップで術式効果の倍増」

『これだけの規模の文字魔術を一つの武器に内蔵したのは初めてなの』

 文字魔術は(まじな)いと違いその文字自体に魔力を宿す。なので法具同様魔力の消費はない。

 だからそれを利用し、使い手が扱う魔術に文字に込められた魔力を上乗せすることで威力を底上げすることも可能なのである。

 しかし澪が行った文字魔術はそういったものではない。彼女が施した文字魔術の効果は『使用魔術の多重展開』だ。

 つまり剣を通して発動した魔術を解析し、同じ魔術を自動で展開して相乗させるという仕組み。

 つまり足し算ではなく掛け算。込められた魔力分を追加するのではなく、純粋に発動した魔術の威力を倍に跳ね上げる効力を持つ。

 もちろん、文字魔術に込められた魔力分をオーバーする場合には使用者の魔力を使うことになるが、

「そしてスチュエリウムの特性で魔力消費の減少効果もあるわ。もちろん坂上鷹文に聞いて効力を損なわないように注意して作ったし」

 そう、この剣はその全体がスチュエリウムで出来ている。魔力の減少効果は著しく、増加分を打ち消し、むしろそれ以上に抑えている。

 だからこそ祐一は常の半分の魔力で威力が倍の『陰陽の剣』を作り出すことが出来たのだ。

 更に言えば『維持し続ける』魔力は(まじな)いによって無効化されてるし、維持するという感覚も無視できる。

 本来そこに使用されるであろう意識を他に回すことが出来るのは、頭で戦闘を組み上げる祐一にとって大きな利点となるだろう。

「あぁ、凄い。確かにこの剣は凄い……!」

 まさしく祐一のために作られた剣だ。派手な効果こそないが、祐一を補佐するという意味合いではこれ以上の剣はあるまい。

「皆、ありがとう。これで俺はもっと戦える」

 郁乃たちが笑ってハイタッチをする。

 呪具でもあり法具でもある、それぞれの道のスペシャリストが集まり創造した至高の剣『マージ』。

 それを力強く握り締め、祐一は次の作戦の必勝を誓った。

 

 

 

 あとがき

 こんにちは、神無月です。

 ……またえらく長引きましたなぁ〜。前回よりも長いし……あぁ、もぉ〜。

 さすがに二日目を前中後編に分けるわけにもいかず、意地でもと終わらせると慣行してしまったらこんな量にorz

 まぁ嘆いても仕方ないですね。うん。では捕捉。

 秋子。彼女は自分の娘がカノンにいることを話していません。

 そのため伊月は名雪が秋子の娘であると気付いてませんし、秋子が死んでいると思い込んでいる名雪もそんな話をしません。

 秋子の話が出なかったのはそういうわけです。多分質問されるだろうと思って最初に答えておきましたw

 あとようやく出てきた祐一の銘ありの剣。まぁこんな感じになりました。どうでしょうね?

 さて、次回はいよいよ作戦開始の前日となります。

 おそらく長くなるでしょう。でも出来れば一話で終わらせたいところですが……はてさて。

 ではまた。

 

 

 

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