神魔戦記 第百四十八章

                    「作戦決行まで、残り二日(前編)」

 

 

 

 

 

 トゥ・ハート王国内、ラレンの村。

 王都のほぼ真北に位置するこの村はトゥ・ハート王国の中ではいわゆる田舎に分類される、小さな村である。

 だがただの田舎ではない。

 ここから更に北に進んだ、三国の国境線が交わる場所に存在する謎の遺跡に最も近いことで、調査隊の駐留拠点になることも多い。

 また、遺跡周辺では珍しい鉱石が掘れることも確認されており、発掘作業を生業としている者も多くいる。

 そのために普通の田舎村にしては若い男の姿が多く、また割と経済も潤っていたりする。

 その分これを狙っての夜盗や山賊が後を絶たないが、もちろん対策は万全だ。

 数体の魔導人形が常に警備しているし、村の周囲をトゥ・ハート王国の技術の結晶である常時構築型の結界で覆ってもいる。

 この結界は通常の結界と異なり、魔力が循環し流れ続けている。このため一点を破壊してもすぐに修復され全体の結界が揺るがないという性質を持つ、拠点防衛結界としては最上級の代物だ。

 そのため、通行書がなければ入ることさえままならない難攻不落の村なのである。

 ……従来ならば。

 だが現在はシズクの掃討作戦のために魔導人形は一体残らず王都に集められている。能力の高い兵士も同じだ。

 そのためいま村を警備しているのは日頃事務や雑務などをこなす、戦闘とは縁のない兵士たちである。

 とはいえ彼らに不安はない。それだけ自国の結界を信頼しているからだ。

 ……ただ逆を言えば、この結界さえどうにかできれば襲撃は容易ということでもある。

 盗賊たちもこのチャンスをそう易々と逃すわけがない。秘密裏に周辺の各盗賊が結託しこの日のために策を練っていたのである。

 作戦は至って単純。結界の一点を破壊しても修復されるのなら、複数箇所を同時に破壊すれば良い。

 いくら魔力が循環しているとはいえそれはあくまでリサイクル。循環式の噴水の水のようなもので、新たに供給しているわけではない。複数箇所に穴を開ければ修復が間に合わず結界はその効力を失う。

 問題はこれだけの結界を粉砕できるほどの攻撃力を持つ人材、あるいは結界破壊の術を持つ人材を複数人集められるかどうかだ。

 だがその点を盗賊たちはクリアした。

 トゥ・ハート王国がシズク戦に向けての準備に日を多く使っていたことで盗賊たちにも時間の猶予は多くあったのだ。

 また王都以外の警戒が落ちていたことから多少の動きは気付かれなかったということも大きい。

 そういう意味で絶好の好機を得た盗賊たちはいま、準備を整えてラレンの村へと忍び寄っていた。

「いよいよだねぇ〜」

 ある盗賊団の女首領が愉快げに呟いて舌なめずりする。彼女に限らずこの策に参加した盗賊団にとってこの日は待ちわびた日なのだ。

 ラレンの村の特性を考えれば、複数の盗賊団で攻めたとしても取り分は決して少なくない。むしろ十分に大きいだろう。

 久方ぶりの大漁。数刻先には現実になっているであろうその想像に胸を膨らませながら、女は自らの剣を腰から抜いた。

 強襲は同時に三箇所から。それは結界破壊の人員が三人しか集められなかったからだが、それでも無効化には十分だろう。

 まず先行したグループが三方向から結界を破壊、その後後方で待機していた盗賊たちが各箇所から同時に村を襲撃する算段になっている。

 女を初めとし、その場にいる盗賊たちは息を殺しながらも高揚するテンションを押さえつけ、合図を待った。

 だが、

「あん……?」

 待てど暮らせど合図が来ない。

 おかしい。予定ならとっくに合図の花火が打ちあがっていても良い頃合だ。まさか何かトラブルでもあったのか?

 ……そんなことを考えた矢先だった。突如光の放流が盗賊たち目掛けて放たれたのは。

「!?」

 女を含めそれに気付いた数人が慌てて身を投げ出し回避する。だが半数以上の者たちは間に合わずその光に直撃した。

 遅れて耳に届く、空気が破裂するような音。……間違いない、これは雷属性による何らかの攻撃だ。

 しかも威力が尋常じゃない。数十人の人間を威力の減衰もなしに貫く雷撃など、一般兵はもちろんのこと魔導人形でさえできはしまい。

 ならば――この相手は何者だ?

「お互い、運がないな」

 まるでその疑問に答えるかのように、男の声が響いた。

 視線を向ければ、村の方角から一人の男がゆっくりと近付いてくるのが見えた。

「俺の不運は、簡単な任務だと思ってたのにこんな面倒ごとに巻き込まれたこと。そして――」

 男は左手に銃を、右手に槍を持っていた。こちらには歩いてではなく地面を滑るようにして近付いてきている。

「あんたらの不運は、俺たちがラレンに来ている日を計画の実行日にしたことだ」

「てめぇ――何者だッ!?」

 男の動きが止まった。彼は大仰に驚いてみせ、

「え、この武装を見て誰かわからない? ……ふーん。なるほどね。あんた元々この近辺の盗賊じゃないな? そうじゃなきゃ知ってるはずだしな」

 そして、笑って告げた。

「俺の名は藤田浩之。トゥ・ハート王国軍速術機甲(ストライカー)部隊の隊長だ」

「なっ……!?」

「なんでそんな奴がここにいるのか、って顔だけど……言ったろ? 運がなかった、ってな。

 ちょっとした野暮用で俺たちラレンに来てたんだよ。あと数時間もすれば王都に戻ってたのに、残念だったな?」

「くそ……!」

 女首領が連絡水晶を取り出す。別方面に向かった仲間を呼び戻して浩之を叩こうとでも考えているのだろう。しかし、

「ちなみに他の二箇所にいるお仲間ならもう来ないと思うぞ? 俺の連れが叩きのめしてると思うし――って、もう来たか」

 浩之が言うや、砂塵を巻き上げ走ってきた何者かが浩之の近くで急制動を掛け、また上空からその隣に別の人影が着地した。

「終わった」

「まったく。……折角出ばったのにこの程度なんて、期待外れも良いところね」

 現れたのは、共に少女だった。

 前者は見た目はまだ子供。しかし手に持つ巨大な銃や、手を覆う白銀の篭手が迫力を滲ませている。

 それに比べて後者の少女はやや年上だろうか。腕を組み憮然とした様子でこちらを流し見ていた。

「お疲れさん、リリスに郁乃。調子はどうだ?」

「良好。実戦でも出来た」

「最悪。調整しようにもこの程度じゃどうしようもないわよ。単なる無駄骨ね」

 相沢リリスに小牧郁乃。それが二人の少女の名前だった。

 二人は浩之の言うとおり、それぞれ別働隊を一人で壊滅させてここにやって来た。今頃気絶した盗賊団が警備兵に身柄を拘束されているところだろう。

 それを悟った女首領は、憎々しげに歯噛みしながらも反応は早かった。

「ずらかるぞ!」

 この作戦にかけた労力を考えれば、何も手に入れずに撤収なんて棒に振ること、そう簡単に決断できないだろう。

 だが女首領は撤収を告げた。彼我の戦力差とこの場に残ることの無謀さを理解したからこその判断だった。

「なるほど。直感は良いし、踏ん切りも良い。女だてらに首領やってるわけじゃない、か。……でも」

 浩之は手の中で槍をクルリと回し、

「こっちも一応軍人だからな。逃がすかっつーの」

 疾駆した。走行機甲(スライダー)の車輪が砂を蹴り、地面を滑走する。

 リリスもまた走行機甲(スライダー)で浩之の隣を駆け、郁乃は呪具で速度を増加してその二人に追いつく。

「片付けるぞ」

「ん」

「やれやれ」

 郁乃が跳躍した横で、浩之とリリスが左右に散開する。

 浩之の魔銃『紫貫』、リリスのインテリジェントデバイス『クラウ・ソラス』から放たれる魔弾が的確に逃げ行く盗賊団の意識を刈り取っていく。

 そんな後方での惨状を見ながら、先頭を走る女首領は忌々しげに懐の中に手を入れた。

 このままじゃ逃げ切れない。最終手段としてコレを使うしかないか。そう考えたところで、

「何考えてるか知らないけど、諦めた方が身のためよ」

「!?」

 声は上から。見上げれば郁乃がこちらの頭上を追い越し、目の前に着地するところだった。

 鬱陶しげな視線が女首領を射抜く。その舐めきった態度に、もはや躊躇いは失せた。

「舐めんじゃないよ、小娘がぁ!」

 女首領が懐から取り出した物、それは爆弾だった。

 しかもただの爆弾じゃない。火薬ではなく純マナの結晶体を使用した最高級の爆弾だ。

 無論、値は張るがこれ一つ使えばラレンの村一つ程度なら軽く消し飛ばすだろう。爆破点の威力は超魔術クラスかそれを上回るほどだ。

 女首領はそれを郁乃に投げつけ、真横に身を投げた。

「!」

 郁乃が目を見開いた瞬間、閃光と大轟音と共に圧倒的は大爆発が空を真紅に染め上げた。

 尋常ではない爆発の余波で、女首領自身も相当のダメージを受けた。飛び散った石が身体の節々を打撃し、爆発の衝撃が身を吹っ飛ばした。

 だが生きていれば別に良い。

 虎の子の一撃だ。結界を張った様子もない。これで一人は片付いた。

 そう思ったのだが、

「……残念だけど、あたしにそんじょそこらの攻撃は効かないわよ」

「なっ!?」

 土煙の先から現れたのは、服こそいくらか焦げているがまったく無傷の郁乃の姿だった。

 一体どういう理屈か。爆破点の中心にいながら結界もなしに無傷なんてもはや人とは考えられない。

 だが、理屈なんていまはどうでも良い。重要なのは『相手が無傷』であるというその一点のみだ。

「ならこの呪具で……!」

「はい、それも残念。もう役立たずよその呪具。機能は停止させたから」

 郁乃の言葉を肯定するように、取り出した呪具はどれもこれもまったく機能しなかった。

 愕然とした表情で郁乃を見る。だが視界の先に郁乃の姿はなく、

「さっさと寝なさい。面倒なんだから」

 ズドム!! と身体を突き抜けた衝撃を感じ、女首領の意識は暗転する。

 最後に見たのは、こちらの腹に拳を打ちつけた郁乃の、つまらなそうな表情だった。

 

 

 

「おー、派手にやったなぁ〜、こりゃ」

 走行機甲(スライダー)を止め、浩之はクレーター状に陥没した地面を見やった。

 逃げ回っていた盗賊団の連中もさっきの爆発の余波でその大半が気絶している。ぶっちゃけ自爆と大差なかった。

「言っとくけど、あたしのせいじゃないからね」

 疲れたように嘆息しながら、郁乃が女首領を引きずってやって来た。

 浩之も一応見ていたので状況は理解している。視線を転じ大丈夫だ――と言いかけて、止まった。

 先程の爆発のせいだろう。郁乃の服が少しボロボロになっていて胸元が覗いていたりスカートの破れ目から太ももが見えていたりしたからだ。

「?」

 郁乃は浩之の視線を追い自分の姿を見下ろし、

「ッ!?」

 顔を真っ赤にすると胸元を押さえ振り返り、叫んだ。

「見るな、馬鹿ぁ!!」

「ちょ、違う! 俺はそんなやましい気持ちは断じてないぞ!?」

「うっさい! あっち向け!」

 有無を言わさぬ睨みに浩之はとりあえず何も言わず後ろを向いた。これまでの経験上、ああいう状況で言い訳を続けているとろくな目に合わないと理解しているからだ。

「ったく……。散々だわ」

 後ろから聞こえてくる郁乃の愚痴に苦笑しか出ない。

 前方で気絶している盗賊団を引きずって積み重ねていくリリスを見ながら、ふと郁乃に訊ねた。

「っていうかなんでお前いきなり軍に入ったりしたんだ? いままで誘われてても散々断ってきたんだろう?」

「軍人の肩書きが必要になっただけのことよ。そして実務経験も、いくらかね」

「ふぅん。だから今回の任務に同行したのか」

 郁乃がいきなり軍に入ったのは数日前のことだ。そして芹香直々に通達が来ていきなり浩之の部隊に配属された。

 どんな任務でも良いので適当に連れて行ってくれ、という頼みを聞いて浩之は今回のラレンへの物資調達に同行させたのだ。

 物資はリリス専用の走行機甲(スライダー)を作製するためのレアメタル。

 だから最初はリリスと二人で出向くつもりだったのだが……、

 ――こんな任務でも良かったのかね?

 郁乃が何をしようとしているのかよく見えてこない。そのためにどんな実務経験が必要なのかピンと来ないのだ。

 まぁ郁乃が何でも良いというからには、何でも良いのだろう。そこまで面倒見る必要もないか、と自己完結した。

「浩之。終わった」

「お、サンキュ、リリス」

 見ればリリスが盗賊団を全員拘束して纏め上げていた。これを連れ戻ってラレンに引き渡せば、あとは警備兵がなんとかするだろう。

「んじゃ、物資を受け取ってとっとと帰るか。もうそろそろ各国の王も来るだろうし、走行機甲(スライダー)作らないとな」

「久しぶりにパパに会える」

「はは、そうだな」

 クシャクシャとリリスの髪を撫でつけ、浩之は笑う。リリスも随分浩之に懐いたのだろう、どことなく嬉しそうに受け入れた。

「郁乃はもう良いか?」

「大丈夫よ」

 恐る恐る見ると、なんと郁乃は服を着替え終えていた。しかもその服、さっきまで女首領が着ていた服だ。

 服剥ぎ取ったのかこいつ、と半ば呆れたが口には出さなかった。それが利口な男の行動である。

「じゃ、戻るぞ」

 浩之が拘束された盗賊団をしょっ引きながら走りだし、リリスもそれに続いた。そんな二人の背中から空に視線を転じた郁乃は、

「……お姉ちゃんも上手くやってると良いけど」

 そんなことを呟いて、二人を追った。

 

 

 

 その郁乃の姉である小牧愛佳はと言えば。

「え〜と……」

 目の前で展開している光景を見て、笑顔が少し引きつるのを自覚した。

 愛佳がいるのはトゥ・ハート王国軍の病院、その一室だ。

 今日めでたく退院する友人(郁乃がいればそれを想い人と訂正しただろう)を祝うために手作りのお菓子を持ってやって来たわけだが……。

「ちょ、ちょっと待って皆、落ち着いて、ね!?」

 その相手である河野貴明は愛佳のことに気付きもせず、さっきから焦ったように顔を引きつらせるばかりだ。

 で、なんでそんなことになっているかというと、理由は彼の周囲で起きている騒動にあった。

「だからー、せっかく貴明が退院してん。うちでパーッとお祝いパーティーしよーなー」

 貴明の右腕に身体全体を絡めるようにして微笑んでいる小柄な少女は姫百合珊瑚。

「もー! さんちゃん! 貴明のあほうなんてほっといて帰ろー? あと馬鹿貴明はさんちゃんから離れろー!」

 その珊瑚を貴明から離すように両者の間に身体ごと割り込んでいる少女は珊瑚の双子の妹、姫百合瑠璃。

「だめだめー! たとえ二人がそう言ってもこればっかりは譲れない! ダーリンはあたしと一緒にお祝いデートするの〜!」

 貴明の左腕に豊満な胸を押し付けるようにして引っ付いているのは貴明と契約した魔導人形、ミルファ。

「あ、あの! 私、貴明さんが退院できると聞いて嬉しくて……。だからその、貴明さんさえ良ければ、その、私と……」

 恥ずかしそうに顔を赤く染めながらも輪の中に入って貴明の袖を引っ張っているのは久寿川ささら。

「ちょ、ちょっと! あんたにはやってもらなきゃいけない書類が山ほどあんのよ! だからあたしと一緒に行くの! わかってんの!?」

 バシバシとベッドを叩きながら威嚇するように貴明を睨む、長瀬由真。

「まったく……。タカ坊はあたしと一緒に軍部に行っていろいろとしなくちゃいけないことがあるのに……」

 その輪から一歩下がるように立ちながらも、それでも有無を言わさぬ視線を貴明に送っているのは向坂環。

 総勢六名もの女の子が、貴明の周囲で貴明の取り合いを繰り広げているのである。

 さすがにこの中に突撃するほどの勇気もない愛佳は、入り口の近くでただその光景を眺めていることしかできないのであった。

「……もう、貴明くんったら」

 ただ、見てて面白くはない。なんとなくこう、胸の奥がムカムカして来てむしょうに食欲が増してくる。

 いっそ持ってきたお菓子を渡さずに食べてしまおうかと考えて、

「あ、愛佳。愛佳も来てたんだ」

「ひゃう!?」

 タイミング良く貴明に発見され、驚きに小さな悲鳴が漏れた。

「愛佳?」

「え、あ、ううん。なんでもないの、なんでも! そ、それより貴明くん、退院おめでとう! そ、そのこれ……良かったら――」

「なー、貴明〜、うちに来るやろー? パーティーしよーやー」

「さんちゃんあかん! 貴明なんかとくっついたらあかんー! 貴明も離れろー!」

「ダメダメダメー! ダーリンはあたしと! あ・た・し・と、デートするのー!」

「貴明さん、明後日の作戦についてその、一緒に考えて欲しいことが……」

「ちょっと! 書類をあたし一人に押し付ける気!? こら河野貴明こっち向けー!」

「タカ坊。さっさと行くわよ」

 言い切る前に怒涛のように流れ込んでくる言葉、言葉、言葉のマシンガン。前に差し出したバスケットも虚しく宙ぶらりんだ。

 貴明はわたわたと対処するが、やはりその瞳にもう愛佳は映っていない。

 貴明がいろんな女性に好意を持たれているのは愛佳とて知っている。

 貴明は何より優しいし、そこに下心や他意がないのが見えるから。そして自分の身を省みずに誰かのために動ける彼を、愛佳は尊敬もしている。

 でもその姿は愛佳だけが見ているわけじゃない。いろんな人がその姿を見て、そして徐々に惹かれていくのだろう。

 ――それに比べて……あたしは……。

 愛佳はゆっくりとバスケットを下げた。そして気付かれぬように病室から立ち去った。

 逃げた。自分でもわかる。これは完璧な逃げだった。

 あの輪の中に入るだけの度胸がなく、自分の好意を告げる勇気もなく、かと言って遠くで見ていることも出来ずに、逃げた。

 向こうからの言葉を待って、一歩も動かない。それは臆病者のすることだと、郁乃なら言うだろうか?

 正直、郁乃の行動力が羨ましい。自分もあれくらい出来れば……とも思うが、出来ないからこそこうして逃げているのだろう。

「はぁ……あたしの、バカ」

 走るのを止め、歩き出す。自分の情けなさに泣けてきそうだ。

 そんなことを考えながらトボトボと病院から出ようとしたときだった。

「愛佳!」

「はう!?」

 自分の名を呼ばれ、ビクゥ! と身体が揺れた。思わずバスケットを落っことしそうになり、慌てて掴み直す。

 そうして振り返れば、やや息切れした貴明が立っていた。

「た、たた、貴明くん? ど、どうしたの?」

 追いかけてきてくれたのだろうか。そう思った途端、下降気味だった気持ちが急上昇するのを自覚した。

「どうしたの、ってこっちの台詞だよ。愛佳、気付いたらいないし」

「あ、その、忙しそうだったから……」

「別にそんなの気にしなくても良いのに」

 気になるの! と叫びそうになり慌てて自分の口を押さえる。訝しげに首を傾げる貴明に、愛佳は笑って誤魔化した。

 そしてこほん、と仕切りなおすように咳を一つして、改めて向き直る。

「その、これ……退院祝いにお菓子を作ってきたの。良かったら……」

「あ、うん。ありがとう」

 おずおずと差し出したバスケットを貴明が受け取る。上からナプキンが被せてあって中は見えないが、貴明はすぐさま、

「スコーン?」

「ど、どど、どうしてわかったの!?」

「あはは、まぁ愛佳だし」

 顔が赤くなる。まるで自分のことを見透かされているようで気恥ずかしくて……でも、ほんの少し嬉しい。

「ありがと。美味しくいただくよ」

「うん」

「あ、そうだ。愛佳も一緒にどう? これから退院パーティー」

「え?」

「いや、その……」

 ポリポリと頬を掻きながら貴明は苦笑し、

「皆どうしても、っていうからさ。全部の用件一緒にしちゃおうかな、って。パーティーしながら溜まった書類とか片付けようと思って」

 貴明らしい答えだった。結局全部断りきれず押し通されたのだろう。

「だから、折角だし愛佳もどうかな、って?」

 窺うような視線に、愛佳は思わず小さく噴出した。やっぱり貴明は貴明だ。

 いろいろとヤキモチも焼くだろうけど、仕方ないか……と思い直す。

 意地を張って遠くにいるよりは、その当事者で怒っていた方がきっと健全だろう。我慢をするな、と郁乃にも言われたことだし、

「うん。じゃあ、お言葉に甘えて」

 ついていくことにした。

 笑顔で頷く貴明と、その後ろに集まってきた女の子を見て、思う。

 ……恋は戦いだな、と。

 だから、

「郁乃も頑張っているし、あたしも頑張らなくちゅん!」

 むん、と力を入れてみたが、思いっきり舌を噛んだ。

 ……慣れないことはするべきじゃない。ゆっくり自分のペースで前に進もう。

 そう愛佳は決意した。涙目で。

 

 

 

「とりあえず、ありがと。まぁ、多分もうここに来ることはないと思うけど」

 王都に戻ってすぐ、ひらひらと力なく手を振りながら郁乃は去っていった。

 綾香に会いに行くらしいが、どういった用件かは知らないし聞くつもりもない。

 軍人の肩書きが必要だと言っていたし、その目的が果たせるならこれ以上いる必要はないということなんだろう、という推測もつく。

 ま、それはさておき、だ。

「どうだ?」

「ああ、大丈夫そうだ。まぁ理論的には問題なかったしあとは実証だな」

 トゥ・ハート王国訓練場すぐ脇の階段。そこに座る浩之は、目の前でとある作業をしている男に話をかけた。

 トゥ・ハートの人間ではないが、よく軍部に顔を出すために浩之とも知った仲である。

 千堂和樹。それが彼の名だ。

 王国コミックパーティーの軍師兼技術士。リーフ連合として協定を結んでいる二国は技術提携もしているため、法具などのエキスパートである和樹はよくトゥ・ハートにも来るのだ。

 おそらく郁美女王の次くらいに来国回数は多いのじゃないだろうか、とも思う。浩之とももういつの間にやら名前で呼び合う仲だ。

 で、その和樹がいま何をしているかと言えば、

「これで準備は良し、と」

 和樹は小さく嘆息し作業を終えた。

 彼の手の先には走行機甲(スライダー)。だが浩之らが使っているそれとは外観が微妙に異なる。

 それは先程浩之たちがラレンの村から持ち運んできたレアメタルを用いたリリス専用の走行機甲(スライダー)だ。

 だがそもそも、何故カノン軍から預かっているだけのリリスのためにわざわざ専用の走行機甲(スライダー)を新調する必要があるのか。

 カノン王国とトゥ・ハート王国は一時的に協力体制を取ってはいるが、決して同盟を結んでいるわけでもない。本来ならばそこまでする理由はないだろう。

 ……だが、この開発がもたらす結果を考えれば話は別だ。

「それじゃあリリスちゃん、お願い」

「うん」

 和樹に促され、バリアジャケットを展開した状態のリリスが走行機甲(スライダー)を装着する。

 感触を確かめるように二度踏みつけ、そして、訓練場に向かって一気に疾駆した。

 走行機甲(スライダー)の車輪が魔力に応じてギアを上げ、加速する。通常のそれに比べても、かなり速い。

「速度……いや、加速力か。向上してるんだな」

「浩之たちに取ってきてもらったレアメタルは頑丈にして軽量だからね。本来なら粉末にして魔導合金と掛け合わせて魔導人形のボディに使うものだし、それを純度百パーセントで使えばあれくらいの加速は出ると思うよ」

「へぇ」

「あとタイヤ部分に衝撃吸収用のスプリングを搭載した。多分あれで森の中みたいなデコボコな道も走れるようになるさ」

「すげぇ。俺たちの走行機甲(スライダー)も改造してくれよ」

「森の中で走行するようには出来るけど、さすがにレアメタルはそこまでないから加速力強化はちょっと」

「まぁ、それは仕方ないか。今回は実験的な部分が大きかったし」

「まぁね」

 そこまで話したところで、試し運転を終えたリリスが戻ってきた。浩之らの目の前で緩やかに停止したリリスに、和樹は頷いてみせる。

「それじゃあ、やってみて」

「わかった。クラウ」

Aya Ma'am.

 リリスの言葉にクラウが応じ、バリアジャケットが解除されていく。

 そして同時に……走行機甲(スライダー)もリリスの足元から消え去った。

「よし、成功だな」

 和樹が安堵の息を吐いた。

 今回の開発は何も走行機甲(スライダー)の強化が目的ではない。

 最大の目的は走行機甲(スライダー)をインテリジェントデバイスに『自身の一部』と認識させることにあったのだ。

 走行機甲(スライダー)が自身の一部と認識したインテリジェントデバイスはバリアジャケットを解除した際にそれも一緒に自身に組み込み収納した。だから消えたのである。

 しかし、もちろんこれは収納や持ち運びの便利さのためのものではない。走行機甲(スライダー)を自身の一部と認識したということは、

「これからはインテリジェントデバイス……クラウ・ソラスの側でも走行機甲(スライダー)を操作できるし、直結してるからデバイスの恩恵もダイレクトに伝わる」

 インテリジェントデバイスは自意識のある武装だ。部分的には自動で行動したりすることもある。それが及ぶのは大きな力となるだろう。

 加えてインテリジェントデバイスは神殺しの系列であるため存在概念が高い。その恩恵を受けることが出来れば存在強度は遥かに増す。

 ……だがこの成功がもたらす結果はこんなものじゃない。

「つまり、これでインテリジェントデバイスの強化、あるいは改造の目処がついた……ってことだな」

 そう、浩之の言うとおりである。

 インテリジェントデバイスに自己の一部であるという認識をさせるということは――インテリジェントデバイスの構成を理解したのと同義だ。

 それを解析できたということは、今回の走行機甲(スライダー)のように何かを付加させたり、あるいはそれ自身の強化さえ可能となる。

 はては――インテリジェントデバイスの『生産』さえ可能になるかもしれない。

 それが今回リリスの専用走行機甲(スライダー)製作に国がレアメタル使用を認めた理由でもある。

「さすがは和樹。世界屈指の創造主だな」

「……どうだかな」

 だが成功したはずの和樹はあまり晴れた表情ではなかった。

「どうした? 嬉しくないのか? かなりの大進歩だろ?」

「さっき俺言ったよな。理論的には問題ない、って」

「あぁ。それがどうかしたのか?」

「もしこれが何もないところからの研究・開発だったらそもそも『理論』なんてものはない、ってことだよ」

「あ」

 言われてみればその通りだ。ということは……、

「どういうことだ?」

 ふぅ、と苦笑交じりに溜め息を吐く和樹。良いか? と彼は指を立て、

「浩之の持つ裏神殺しや、あさひちゃんやリリスちゃんのインテリジェントデバイスを解析してわかったことは多い。

 インテリジェントデバイスが神殺しの系列である、ってこともそうだが……製作者や製作意図が大きく異なっていることもな」

「製作者はともかく……製作意図?」

「インテリジェントデバイスの特徴は、主に三つ。神殺しに比べて簡略的な構成。それに変形システムは従来の強化型ではなく状況に応じた戦術変更型。更に呪具なんかの他武装の強化処理システム」

「なんじゃそりゃ?」

「いままで訓練してて気付かなかったのか? バリアジャケット展開時に彼女の左腕を覆ってる篭手、あれ全部が呪具『慧輪』なんだよ」

「は? 待て、あれは元々手首にある小さい輪っかだろう?」

「本来は、な。だからそれだけ強化されてるってことさ。ただここでの疑問点は、そんな効果が神殺しや裏神殺しにはない、ってことだ」

 和樹はリリスの指輪、待機モードのクラウ・ソラスを見つめながら、

「これらインテリジェントデバイスの構造や性能からいくつかの推論は立つ。

 まず神殺しや裏神殺しにない他武装の強化効果を持っていることから、これら二つより後に開発されたのだということ。

 そして比較的簡単な構造や変形システムのパターン変化から、量産を目的とした汎用性の高い武装に仕立て上げたかったのだろうということ。

 で、ここまでわかれば更に推測できることがある」

「それは?」

「汎用性が高い、ってことはだ。それ以降何かあった場合にも強化・改修・改造はしやすく作るのが普通だろう?」

「あぁ……なるほど」

「だからその『理論』が最初から組み込まれてたんだよ。

 それなりに知識と技術のある人物が触れれば読み取れる、『改造するにはこうしてください』っていうような道則がな」

 要はそれに則って走行機甲(スライダー)を開発したに過ぎない。

 和樹があまり晴れやかではないのは、周囲が騒ぐほど特別なことをしたわけではないからだ。

「まぁでもそれが間違ってなかったことは証明出来たんだから、良いんじゃないのか?」

「それは確かにそうだけど。これでインテリジェントデバイスの改造に関しては方法が見えたわけだし。

 でも当初の目的だった『インテリジェントデバイスの独自開発』は難しいかもしれない。そこまで読み取れたわけじゃないしな……」

 疲れたように仰ぎ、和樹はそのまま地べたに寝っ転がった。そんな和樹を見て浩之は小さく笑って、

「ま、あんま気にすんなよ。そんだけできりゃいまは十分だろ」

「そういうことにしておくよ」

 和樹の技術者としのて能力は極めて高い。そのため周囲の期待も高く、それに和樹がやや悩んでいることは浩之も薄々察していた。

 が、結局当事者ではない浩之にはこの程度の言葉しか投げかけられない。

 若干歯痒い気もするが、仕方ない。結局浩之と和樹では主とする戦いの場が違うということなのだから。

「さて、と。それじゃあ俺はリリスを連れて城に向かうわ」

 これ以上何を言っても慰め程度にしかならないとわかっている浩之は、敢えてこの場から去ることにした。

 一見薄情とも思えるかもしれないが、下手に慰められることの方がかえって重荷になることもあるのだ。そういう意味では彼なりの気遣いだった。

 そしてそれは和樹もわかっているのだろう。口にはしないが、笑顔で頷く。

「了解。カノン王に会ったらよろしく言っておいてくれ」

「あいよ」

 じゃあな、と手を振り浩之はリリスを伴って去っていった。それを見送って和樹もまた立ち上がる。

「じゃ、俺も帰るか」

 やるべきことはまだたくさんある。

 彼は技術者であると同時に軍師でもある。此度の戦いでは、万事に備えて幾重にも準備をしておく必要があるからだ。

 手を抜けば誰かの命が消えてしまう。

 武装を開発する技術者としても、作戦や指揮を練る軍師としてもそれは同じこと。

 だが逆を言えば、自分が頑張れば被害を抑えることが出来るということだ。

 だからこそ和樹は技術者にして軍師として妥協せず慢心せず、コミックパーティーを支えるのだ。

 それが彼の闘いなのである。

 

 

 

「じゃ、いろいろ頑張りなさいね」

「はい、ありがとうございました」

 綾香に礼を良い、郁乃は部屋を後にする。その彼女の手には一枚の辞令書が握られていた。

 王家来栖川の人間であり聖騎士でもある綾香は全軍部のトップである。各種辞令なども基本的には彼女に決定権があるのだ。

 とはいえ、普通の辞令であれば直接手渡しなんてことはない。単なる所属部隊の移動なであれば人事課から面倒な書類が送られてくるだけで終わるだろう。

 だから、郁乃のその辞令書は普通ではないものなのだ。というよりそうでなければ郁乃は軍になんて入りはしなかっただろう。

 これを手に入れるためだけに、彼女は軍に入る事を決意したのだから。

「どうやら、無事手続きは済んだみたいだね〜?」

 廊下の角に一人の少女がいた。壁に寄りかかり、何が楽しいのかニコニコと微笑んでいる。

 芳野さくら。カノンから一緒にやって来た魔術師である。

 気配は既に感じ取っていたので驚きはしない。郁乃は何も言わずに少女の目の前を通り過ぎ、歩を進めていく。

「わ、わ、ちょっと待ってよいくのん〜」

「いくのん言うな!」

 ったく、と追いついて並んださくらを横目で見ながら、

「そういや、今日それ(、、)試してきたんでしょう? どうだったの?」

「あぁ、うん」

 頷き、さくらは両腕で(、、、)ピースサインをして、

「オッケーオッケー! もういくのんの呪具は最高〜!」

「あ、そ。なら良かったけど」

「全然違和感ないもんね〜、これ。最近の技術は凄いなー」

 さくらの腕には既に義手がつけられていた。義手と言っても魔導人形の技術も使っているので見た目はまんま人間の腕そのものである。

 とはいえそれを作ったのは郁乃。その義手は呪具であり、(まじな)いによって指なども動いているわけだが、もちろんそれだけじゃない。

 施された(まじな)いの中にはさくらの注文通り戦闘などにも役立つものさえある。

 今日はトゥ・ハート軍の訓練に混じってその呪具としての性能テストをして来る、と言っていたのだ。まぁ気に入った用で何よりだ、と郁乃は思う。

「ついでにこの子との連携も試してみたけど、完璧だね」

「あぁ、使い魔契約したんだ」

「うん。ね、はりまお」

「あん!」

 いつの間にかさくらの肩に奇妙な生物が鎮座していた。

 犬と言われれば犬、としか形容できない珍妙な生物である。

 やけに丸っこい身体つきをしており、反対側の肩にいるうたまると合わせると夢に見そうな使い魔コンビであった。

「郁乃ちゃんには義手を作ってもらったりこの子を紹介してもらったり、感謝してもし足りないね〜」

「別に良いわよ。技術班もその子の扱いには困ってたみたいだし、あなたの魔眼の力を考えれば使えるんじゃないかって思っただけ」

「そう、そこだよ!」

 さくらはビッと郁乃を指差し、

「ボクの魔眼の話を聞いてそういう発想が出来るんだもん。郁乃ちゃんは頭良いよね〜」

「褒めても何も出ないわよ?」

「単純に事実を述べてるだけだもーん。これで戦いの幅も広がるし、祐一をもっと助けてあげることが出来るね」

「助ける……ねぇ」

 呟いた瞬間、さくらがニンマリと意地悪く微笑んだ。

 それを見て悪寒を感じた郁乃は歩を早めるが、その背後からガバーッと抱きつかれ逃走に失敗した。

「これからはいくのんもそうなるんでしょー? そのための辞令書だもんね〜?」

「ちょ、こらさくら、くっ付くな! しかも頬擦りすんな!」

「にゃはは、いくのんは可愛いな〜!」

「うっさい!」

 がーっ、と吼えるもさくらはどこ吹く風である。

 じゃれ合っているとでも思われたのか、たまたま通り過ぎた兵士たちに微笑ましそうに見られ、顔が真っ赤になるのが自分でもわかった。

「……と、ともかく離れてよ。歩けないじゃない」

「はーい。そろそろ祐一たちも来るだろうし、ボクたちも向かわないとだもんね」

 ぴょこん、と飛び退くさくらを郁乃は半目で睨むがさくらに効果はなかった。頭は良いから意図は察しているだろうが、スルーしているのだろう。

 やれやれ、と嘆息する。どうやら自分はとんでもない人物と友人になってしまったらしい。

 郁乃は言う。

「……とりあえず、あんまり適当なこと言うんじゃないわよ?」

「任せてよー!」

 全然信じられない返事に郁乃は再度溜め息。

 まぁ言うだけ無駄か、と諦めの境地で郁乃は再び歩き出した。さくらもそれを追いかける。

 二人が向かう先は……トゥ・ハート王城の会議室。

 そこでそろそろ、最後の作戦会議が行われる。

 

 

 

 あとがき

 こんばんは神無月です。

 またどえりゃー長くなった挙句、前後編に分かれました。もうあれですね。これが定番になってしまいそうで怖いw

 で、今回の話は全編トゥ・ハート関連のお話でございました。いかがでしたでしょうか?

 本当は作戦会議の話まで入れたかったんですけどね……。うーむ、文章量の読み違いが痛すぎる。

 さて次回はその作戦会議や、また各種いろんな人たちのお話になります。

 シズク戦はまだか、って感じですがもうしばらくお待ちください。

 ではまた〜。

 

 

 

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