神魔戦記 第百四十七章

                     「作戦決行まで、残り三日(後編)」

 

 

 

 

 

 岡崎朋也は何か理不尽なものを感じていた。

「秋生さん。はい、どうぞ。あーん」

「おぉ、すまないな早苗。あーん」

 目の前で展開されるバカップルな光景に、朋也は疲れたように大きく溜め息を吐いた。

 クラナドに戻ってこっち、ずっとこの調子なのだ。呆れるなという方が無理がある。

 良い歳……は割と失礼かもしれないが、相も変わらず仲が良い。まぁこれが古河家の良いところでもあるんだろうが……。

「ところでオッサン。身体はもう大丈夫なのか?」

「ん? あぁ、基本的には心配いらねーな。治療魔術も受けたし、身体的にはなんの異常もない」

 とはいえ秋生は未だにベッドの上だ。だが別段それは珍しいことじゃない。

 いくら治療魔術が怪我を治せるとはいえ、残留する痛みや、痛みを受けた際の精神的摩耗などまでは治療できない。

 そういう意味も含めて大きな怪我をした後は、治療魔術を受けた後でも数日間入院するのが普通なのである。

「まぁ、問題は俺より早苗だろうな」

「いえいえ。私も心配はいりませんよ?」

 笑って言う早苗だが、深刻さでは確かに秋生とは比にならない。

 何故なら早苗は現在魔力の大半を失している。高槻によるレンタル能力でその魔力をほとんど奪われているからだ。

 魔力とは即ち生命力。それが減るということは命に直結する大事だが……。

「魔力を失ったとは言っても、普通に生活する分には何の支障もない程度ですし、そんなに気にするほどのことでもありませんよ」

 それは事実だ。

 魔力が減ったとは言え、常人レベルの、最低限の魔力だけは残っている。故に魔術師として動くことは出来ないが、普通に生活は出来るだろう。

 まぁ高槻の能力の性質上早苗に死なれては困るから残したのだろうが。

「……すんません、俺がもう少ししっかりしてれば二人をこんな目には……」

「ふふ、ありがとうございます朋也さん。でもそれは抱え込みすぎというものですよ?」

「そうだそうだ。テメェはなんでもかんでも自分のせいにしがちなところがあるがな、んなもん気のせいだ世迷言だ。

 俺も早苗も自分のしたいことをした結果、こうなったってだけだ。娘と同い年の小僧に責任ひっ被せるほど廃れちゃいねぇよ」

 ほんわか告げる早苗と、口調は荒いが笑って言う秋生。

 そんな二人の視線を受け、朋也は諦めに似た笑みを浮かべた。

 ――まったく、この二人には毎度頭が上がらないな。

「で、小僧」

 早苗お手製の昼食を全て平らげた(もちろん全て「あーん」で)秋生が、表情を真剣なものに変え聞いてきた。

「渚はどうだ?」

「あぁ」

 そうだ。それを言うのを忘れていた。

 彼らにとって一番気がかりなのはそれだろうに、と心中で自分を軽く叱責しつつ、

「いまカノンでぐっすり寝てるよ。こっちより上等な魔力緩和と吸収の呪具で抑えてもらってる」

「……そうか」

 秋生と早苗は互いを見やり、安堵の表情を浮かべた。愛しい娘が無事で、そして結果的に良い方向に進んでいることが何より嬉しいに違いない。

 そんな二人と、いまは寝ている渚を想い笑みを浮かべて――

「その古河渚の件ですが、どうやら動きがあったようですよ?」

 突然の声に、朋也は驚き後ろを振り返った。

 そこにいたのは見たことのない女性だった。薄紫色の髪を後ろで結った彼女の服には、カノン王国の紋章が刻み込まれている。

 その相手は驚いている朋也に小さく頭を下げ、

「驚かせてしまったようですいません。一応ノックはしたのですがいっこうに返事がないので勝手に入ってきてしまいました」

「お前は……?」

「シオン=エルトナム=アトラシアです。一応カノン所属の者ですが、現在は王国エターナル・アセリアへの使者という肩書きになっています。

 そのため、貴方とこうして会うのは初めてですね、岡崎朋也」

 道理で見たことのない相手のはずだ。しかし、

「その使者がどうしてクラナドにいる?」

「いまは一時的にその任を離れクラナドで主に経済関連の仕事をしていたのです。それも目処が着いたのでカノンに報告後、エターナル・アセリアに戻るところですよ。ですがそんなこといまはさして重要でもないでしょう?」

 そうだった。シオンと名乗る少女はさっき気になることを言っていた。

「渚に何かあったのですか……?」

 早苗が不安げな表情で問う。その横では、秋生も黙っているものの真っ直ぐシオンを見つめていた。

 そう、さっき彼女はこう言った。渚の件で動きがあった、と。

 まさか症状が悪化でもしたのか。そんな不安が三人の心を蝕む。しかし、

「いえ、貴方たちの考えていることとは逆方向の動きです」

 シオンは、微笑して告げた。

「古河渚を完全に快復させる目処が立った、と先程連絡がありました。岡崎朋也、あなたに戻ってきて立ち会って欲しい、と」

 

 

 

 カノン王城、その謁見の間。

 その玉座に座る祐一は、対面する少女の言葉を聞いて目を見開いていた。

 ここ最近の亡命騒ぎで、もうちょっとやそっとのことじゃ驚かないだろうなと踏んでいた祐一だったが、そんな考えはいとも容易く粉砕された。

「私はダ・カーポ王国の女王白河暦の妹、第一王女の白河ことりです」

 その名を聞いて驚くなという方が無理がある。

 ウォーターサマーによって潰されたダ・カーポ。つまり亡国の王女ということになる。

 それがどうして幹也たちと一緒にいるのか……いや、幹也たちが調査していた国もダ・カーポなのだから、別段おかしくはないのかもしれないが。

 ふぅ、と祐一は心を落ち着かせるために小さく息を吐いた。

 驚きはしたものの、慣れというものもある。そういう点から思いのほか心理的な復帰は早かった。

「……それで? 亡国の王女が我が国に何の用かな?」

「はい。その――」

 と、ことりは不意に心細そうに後ろを振り返った。それに対し後ろにいる青年が頷きを返す。それを見て向き直った頃には――怯えは消えていた。

「勝手だとは承知していますが――私たちを匿ってはもらえないでしょうか?」

「匿う?」

「はい。……ダ・カーポの復興を果たすまで」

 なるほど。

 ダ・カーポ復興を前提とするならどこかの国に亡命をするのは難しい。

 亡命という言葉は昔はただ単に他国へ逃げる言葉として用いられていたが、いまは不文律として『その亡命先の国家に属する』ことを指す。

 もし彼女らがカノンに亡命をした場合、さやかたちや瑠璃子同様『カノンに属する』者となり、その後独立するというのはなかなかに難しい。

 仮に亡命した身でありながら勝手に国を出て行ったとしよう。

 一般の民などであれば追跡するまでもないので放置されるかもしれないが、これが新たな国主となればそうはならない。下手をしなくとも侵略の的になるだろう。

 その点を踏まえれば亡命は出来まい。……だが、

「匿え……か。それによりこちらのメリットはあるのか? どう考えてもデメリットの方が多そうだが」

「そ、それは……」

 ことりの言葉が詰まる。

 そう。亡命ならともかく、匿えというのはカノンにとってリスクこそあれメリットはまずない。

 亡命であれば、その後に彼ら彼女らがカノンに残るというメリットがある。天秤の問題だが、その人物たちが国によって有益となるのなら受け入れる価値は十分にあるだろう。

 だが匿うということは面倒なことが終わったらさっさといなくなるということだ。しかも亡国の王女ともなれば戦火の火種としては十分な意味を持つ。

 新たな争いに巻き込まれる可能性も高く、それだけのことをしてまで彼らを匿うメリットは――ない。

 ……が、

「メリットは……提示できます」

 ことりは強い視線でそう告げた。

「ほう。それは?」

「ダ・カーポ再興の暁には、カノンの同盟国となり必ず貴国の助けとなることを誓います」

「……なるほど」

 頷く。王女たる彼女が明示出来る最上級のメリットは確かにそれだろう。

 なんせ彼女は王家唯一の生き残り。二人以上いるのなら身売りということも出来ただろうが、再興を望む以上そんなことも出来ない。

 彼女が持ち得る唯一のカード。……しかし、そこには誰にでもわかる不安要素が残る。

再興が本当に(、、、、、、)出来るのか(、、、、、)?」

 そう、あくまでそれは復興出来た場合の話。

 命果てればそれまでだし、仮に生き延びても王家の血があるというだけで国が再興出来るわけではない。

 そこに至るまでには多くの困難があるし、途中で侵略を受ける可能性もなくはない。しかし、

「――出来ます」

 ことりは自信を持って言い切った。

 ……いや、それは自信ではない。絶対に復興させる、という想いから来た言葉なのだろう。

 さてどうしたものかと考えたところで、

「相沢くん。意地悪はその辺にしておいたら?」

 と、それまで傍観していたさやかが苦笑を浮かべてこちらの肩を叩いてきた。

 ……どうやら、とっくに気付かれていたらしい。

「最初から受け入れるつもりのくせに、そうやって意地悪な質問しちゃって」

「意地悪なものか。受け入れるからには覚悟も問い質しておくのが筋だろう?」

「まぁそれが相沢くんなりのテストだ、ってことはわかってるんだけどね〜。実際わたしたちもそれを受けたわけだし」

 ポカン、としていることりを横目にさやかは笑う。

 そう。さやかの言うとおり祐一は最初からことりたちを受け入れるか受け入れないかを悩んでいたわけじゃない。

 どれだけの覚悟と決意があるのか。それを把握するための質問を考えていただけにすぎない。

 もちろん、祐一の言ったことは嘘じゃない。メリットとデメリットを天秤にかければ、ことりたちを匿うことは間違いなくデメリットの方が大きい。

 しかし、そういう観点で拒むのであればそもそもさやかたちの亡命を受け入れたりはしなかった。

 出来ることなら、困っている者は助けたい。特にこちらに手を伸ばす者たちには。

 ……それが祐一の、王としての在り方だ。

 ただ、そういった理想論だけが全てではない。多少の打算もある。

 さやかたちを受け入れた時点で遅かれ早かれウォーターサマーと事を交えるのは確定していたことだ。ならば敵対しているダ・カーポ王家を匿うことによるデメリットなど最初から意味はないのである。

 それを匿って復興の手助けをし、新生ダ・カーポと良い関係を築いていけるのならそれは十分にメリットと言えるだろう。

 まぁそういった考えも聡明なさやかはすぐに看破していたようだ。

 他にももう一人――幹也もまた心配してない様子でニコニコとこっちを見ているだけだったが。

 二人の様子に「まったく……」と微笑交じりの溜め息を吐き、

「聞いての通りだ。カノンは君たちダ・カーポの者を匿おう」

「良いのですか……!?」

「あぁ。王としての言葉に二言はない」

「あ……ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」

 はちきれんばかりの喜びの表情を顔に浮かべ、ことりが後ろを振り返る。

 後方にいる者たち――おそらくダ・カーポの生存者だろう――もまた安堵の笑みを浮かべていた。

 その光景を眺め微笑を浮かべていると、隣のさやかがトン、と床を蹴ってことりの傍に進んでいった。

 そのままことりの周囲をくるくる回りながらジロジロと見る。ことりはわけもわからずキョトンとして、

「あ、あの……なんでしょうか……?」

「や、改めて見ると全然似てないなぁ、と思って。やっぱり闇に穢れたわたしたちはいろいろと改変しちゃったのかな〜?」

「似て……?」

「あ、そっか。そういえばまだわたしの自己紹介をしてなかったね」

 ことりの正面で立ち止まり、人受けの良さそうな笑みを浮かべ、

「はじめまして。わたし、元ウォーターサマーの白河さやかって言うの。よろしくね」

「ウォーターサマー……!?」

 ことりが驚愕に一歩を引き、後ろの数人の少女たちが表情を一変して構えるのが見えた。

「待ってください!」

 だがそれを止めたのは祐一やさやかではなく、そのうちの一人の少女だった。

「音夢さん、でもあの人はウォーターサマーの……!」

 音夢と呼ばれた少女は必死に首を横に振る。

「違うの明日美ちゃん! さやかさんは敵じゃないんです!」

「それってどういう……!」

「そもそも私たちが王都に行けたのは、さやかさんから事前にウォーターサマー侵攻の報せを聞いてたからなの!」

 ことり、そして明日美と呼ばれた少女が驚き視線をさやかに向ける。さやかは変わらず笑みを浮かべているだけだ。

「……私は以前からさやかさんと文通をしていた仲で、今回もそれで教えてもらったんです。だから王女さまたちを救い出せたのはさやかさんのおかげでもあるんです」

「まぁまさか王都に行って王女さまを助け出してくるとはわたしも思わなかったけどね〜。

 というかよく助け出せたね? 白河家がいなかったとはいえ残りの三家だって十分強いのに」

「ええ。かろうじて……ですけど。それに……他の仲間は……」

「……そっか」

 音夢の言葉でおおよそのところを察したのだろう。さやかは力なく笑い、頭を垂らした。

「ごめんね。出来ることなら止めたかったんだけど、わたしの力が足りなかったから……」

「そ、そんな! 謝らないでください! 少なくとも私たちはさやかさんのおかげで助かったんですから……!」

「……うん、そう言ってくれると少しは救われるね」

 慌てて駆け寄った音夢に、さやかは小さく笑った。

 祐一の知る限り、さやかのそういう憂いの表情は初めて見た。まだ知り合って数日だが、それが意外に感じられるほどさやかはずっと笑っていた。

 ……逆に言えば、それだけのことがあっても笑っていられる強さを持っているということだ。

「そういうわけで裏切り者であるところのわたしたち白河家はこうしてカノンに亡命に来てたわけ。……まぁダ・カーポもこっちに来るとは思わなかったけどね」

 言って、さやかは再びことりに視線を向けた。

「妙な感じだね。元は同じ白河家だし、いつかは会ってみたいと思ってたけど……それがこういう状況だ、っていうのは」

 ウォーターサマーを見限ってカノンに亡命した白河さやか。

 ウォーターサマーに追われカノンに逃げてきた白河ことり。

 確かに妙と言えば妙だろう。同じ大陸の隣国同士で、しかし明暗分けられ接する機会のなかった両者が、別大陸の国で同じような状況下で邂逅するというこの偶然。

 いや……あるいはこの出会いは必然なのかもしれない。

 そうさやかは思いつつ、手を差し出した。

「よろしくね」

「……」

 だがことりはそれをすぐに握り返さない。

「……あー、やっぱりわたしがウォーターサマーだからこういう挨拶は無理かな?」

「いえ、そうじゃないんです。……音夢が言うからにはさやかさんはそういう人なんでしょう。そういうことじゃなくて……」

 ことりは一瞬逡巡し、おずおずと口を開く。

「恨んではいないんですか……? 私たちを」

 ピクッ、とさやかの腕が震えた。

 ……ウォーターサマーとダ・カーポの白河家の因縁は深い。元々白河家とは一つだった。本家筋はダ・カーポ側である。

 だがおよそ二百年前、白河家に生まれた一人の少女が原因でその袂を分かつことになる。

 生まれた少女の髪は、白河家特有の桃色ではなく――漆黒。その色が示すように、彼女の属性は人にして闇だった。

 言うなれば、それだけ。ただそれだけの理由で少女はわずか五歳にして王家を追放され、流浪することになった。

 それでも彼女は生き続けた。生まれ持った『特別』な力を手に迫る闇を闇で切り払いながら、成長し、ウォーターサマーに根を下ろすことになる。

 その力は絶大。人の身でありながら凶悪な魔族さえ打倒した彼女を、ダ・カーポの民は恐怖を込めてこう呼んだ。

 白河の魔女。

 さやかの始祖とも言える彼女は、そんな絶望と闇に染められた人生を歩んできた人間だった。

 その後も、決して穏やかな日々はやってこない。それは代が変わっても続いていくことになる。

 子孫であるさやかもまた、決して『普通』と言えるような人生は送ってこなかった。ウォーターサマーに白河家というものが確立したいまでさえ、安穏と呼ぶにはさほど遠い生活をしてきた。

 恨んでいるか? そう問われれば、頷かない方がおかしい。

 ……だが、

 

「恨んでないよ」

 

 さやかは、あっさりと言った。

「昔のことだもん。それにわたし自身が何かされたわけじゃないし。いつまでも過去の因縁ずるずる引きずるのも、なんというか馬鹿くさいしね〜」

「そんな簡単に……?」

「そういうものだよ。確かに昔、悲しいことはあった。それによっていくらか嫌な目にもあったよ。

 ……でもね、そんなことはどこにも、誰にもあることなんだよ。それぐらいありふれた悲劇なの。

 そんなものを誰もが引きずってたら、世界は憎しみだけで染まりきっちゃうよ。そんなの悲しいでしょう?

 だって世界はこんなに綺麗だもの。夜空に輝く星や、流れる川や、風に揺られる木々や、動物や、子供や、愛しいと思える人たち……。

 そんなものがたくさん溢れたこの世界で、そんな『ちっぽけ』なことで憎しみあうなんて、つまらないじゃない?」

 ちっぽけ。彼女はそう言った。

 ……一体この世界で、そう言い切れる者がはたしてどれだけいるだろうか。

 姉や友人たちを殺され、憎しみや悲しみに満ちたことりはその言葉に衝撃を受けた。

 それは祐一も同様。いまはともかく、復讐に生きた過去がある男としてその言葉は耳に痛い。

 だが、だからこそそれが白河さやかという人間の本当の強さなのだろう。白河家の人間が彼女を慕ってカノンにまで着いてきた理由がわかるというものである。

「だから、ほら。いい加減仲直りしよう?」

 未だに差し出され続けているさやかの手をことりは見下ろし……そっと、その手を握った。

「……すいません。あなたはこんなにも立派な人なのに、昔の私たちは属性なんかであなたたちを迫害して……」

「気にしないで。でも謝ってくれるならそれは素直に受け取る。ありがとうね。きっとお母さんたちも喜んでると思う」

 元は一つの、そして数百年前に別になってしまった二つの白河家が、いまようやくその手を取り合った。

 それが異国の地で、というはさやかの言うとおり複雑な心境だろう。だが逆に異国だからこそ出来たことかもしれない。

 その異国がカノンであることを喜んで良いのだろうか、と祐一は一瞬考えた。だがすぐに答えは出る。

 良い事なのだろう。いろいろと抱え込むことは増えたが、それを覚悟した上で建国した全種族共存国だ。

 共存の助けになる苦労なら、進んで背負おう。

「随分嬉しそうだね、祐一」

 さやかやことりの邪魔にならないよう迂回して近付いてきた幹也が、こちらも嬉しそうに告げる。

「お前もな」

「うん、まぁね。祐一の目指すことの片鱗を見せられた気がして、なんか嬉しいんだ」

 臆面もなく言う。こういう素直なところが幹也の美徳だろうな、と祐一は思う。

「それで、人探しの方はどうだった?」

「結局見つけることは出来なかったけど……情報は纏められたよ」

 そう言って幹也が数枚の書類を差し出してきた。それを受け取り、目を通していく。

「最終的な目撃証言が密集しているのが……ルドアの街北東付近?」

「うん。でも調査に行ったけどそこには何もなかったよ。ただ――式が言うには何か妙だ、って」

「妙……?」

 幹也が式を呼ぶ。式は祐一への嫌そうな顔をまったく隠そうともせず緩慢な動作でやって来た。

「なんだ幹也」

「ルドアの街北東のポイントに調査へ向かったときに式、何か言ってただろ? そのことを伝えて欲しいんだ」

「あぁ、あれか」

 頷き、記憶の中を探るように視線を上げる。

「あそこは……確かに何もなかったけど、『死』が充満してた」

「死……? 怨霊か?」

「あれは怨霊だとか憎悪の残留とかそんなんじゃない。地から湧き出るように『死』の気配が立ち込めてた」

 式は自らの目を隠すように手で覆い、

「オレの目はそういうのに敏感なんだ。だがあんな場所をオレは一度も見たことがない。あそこはおかしい。……絶対に何かがある」

「敏感……? まさか『直死の魔眼』か!?」

「あぁ。言ってなかったか」

 直死の魔眼。数ある魔眼の中でも最高位に位置する魔眼。

 モノが生まれた瞬間に内包する『死』そのものを視ることが出来るというその魔眼は、理論上いかなるモノも殺すことが出来る力を持つ。

 そんな最上位クラスの魔眼を、両儀の姓の者が持っているとは……皮肉めいた運命だな、と祐一は思う。

「しかし……そうか。だとすればその感覚は間違いないだろうな」

「ただその気配がどこから出てきてるのかまではわからなかった。……どうにも歪んでるんだよな、あそこ」

「……地下に何かしらあって魔術的に封鎖しているのか。あるいは空間的に捻じ曲げて隔離しているのか。

 後者の場合はほぼ魔法の領域だが相手を考えればおかしくはない……か」

 あの人物が言っていた通り、『秩序』という存在はよほど厄介な者であるらしい。

 何を狙って世界中から人を呼び寄せているのか。また『死』の気配が渦巻くというそのポイントに何があるのか。

 わからないことは多々あるが、少なくとも『それだけの謎がある』ことだけはわかった。それもまた大きな一歩だろう。

「……わかった。ありがとう。引き続き調査はして欲しいが、ダ・カーポの件はもう良い。

 この場所に行ってもこれ以上のことはわからないようだし、何よりいまダ・カーポは危険だ。

 これからは各国から消えたという人物たちの情報を集めて欲しい」

「わかったよ」

「すまないな。戻ってすぐに」

「良いよ。祐一の頼み、って言うのもあるけど……僕もこの一件は気にかかるし」

 幹也も調査を続ける上で、この一件が単なる『人探し』の領域にないことを察していた。

 裏で何か大きな企みが動いている。しかも国などではなく、まったく別の勢力が、だ。

 争いを好まぬ幹也にとって、事前に防げるものなら防ぎたい。そのためにはまずその企みが何を意図してのものなのかを把握する必要がある。

 戦うための力はない。だがそもそもそんなものは必要ない。自分が用いるべき力が別にあることを、幹也はちゃんと理解している。

「それじゃあ僕たちは一休みしたらまた情報収集に向かうよ。また前みたいに一泊させてくれるかな?」

「それはもちろん構わな――あ、待て」

 不意に言葉を切った祐一に、幹也は首を傾げる。

「なに?」

「そうだった、忘れてた。その調査の前に一度クラナドに顔を出してくれ。いまそっちに橙子や鮮花たちがいる」

「え、橙子さんや鮮花が?」

「ああ。ちょっと別件で建造を依頼しているものがあってな。数日前まではカノンにいたんだが、あっちにも取り付けてもらおうと思っていまはクラナドにいる。鮮花も怒ってたし、顔を見せてやれ」

「あはは……うん、わかったよ」

 鮮花の怒り顔が目に浮かんだんだろう、幹也は苦笑いを浮かべ頷いた。隣では式も嘆息していた。

「ねぇ相沢くーん」

 さやかの呼び声が聞こえた。振り向けば、彼女は謁見の間の入り口の方を指差していて、

「またお客さんだよー」

 そこにいたのは、

「渚が治るって本当か!?」

 走ってきたのか、やや息切れをした朋也。それとその後ろに随伴するようにやって来て会釈するシオンの二人だった。

 

 

 

 ことりたちのことをとりあえずさやかに任せ(本当は香里に頼もうかと思ったのだが、さやかがしたいと駄々をこねた)、祐一と朋也の二人は城の廊下を歩いていた。

 シオンは祐一に渡したい物があると言っていたが、後で良いと告げるととっとといなくなってしまった。その淡白さがシオンらしい。

「――つまり、その子が渚の魔力を吸収する、ということか?」

「あぁ」

 渚の部屋に行く道すがらにこれまでの経緯を朋也に話した。

 その頃には興奮も収まったのか、あるいは故意に冷静に努めようと思っているのか……ともかく落ち着いた朋也は納得したように頷いた。

「でも容量は大丈夫なのか? 渚の魔力量は常人のものとは比べ物にならないはずだが」

「吸収の規模から考えてあの子も相当のキャパシティを持っているはずだ。おそらくは心配ないだろう」

 朋也はそうか、と頷いて足を止める。

 渚の部屋に着いていた。一応ノックをし部屋に入れば、そこに三人の少女たちがいた。

 一人はベッドで寝ている渚。一人は部屋に取り付けられた呪具を外して回っているルミエ。そして最後の一人は、ベッド脇に車椅子を止めた稲葉ちとせである。

 ルミエはこちらに気付いても何も言わずに作業を続け、ちとせは慌てて頭を下げた。

「魔力量はどうだ?」

「あ、はい。確かに多いですけど大丈夫だと思います」

 ちとせには渚の魔力量を計ってもらっていた。吸収の能力を持つせいか、魔力量の把握も上手いらしい。

「全部外したわ」

 そこでようやくルミエが言葉を放った。どうやら部屋に設置してあった呪具を全て取り外したようだ。

 魔力吸収能力と吸収の呪具が同時に働いた場合、何かしらの悪影響を及ぼす可能性があるかもしれないというルミエの判断からだった。

 まぁそれ抜きにしてもちとせが一定量吸い取ってしまえばその後は無用の長物なのだが。

「すまないな。折角作ってもらったのに」

「別に良いわよ。そもそも道具とは必要なとき使うものだわ」

 そう言って、ルミエはとっとと部屋を出て行った。それも自分たちへの配慮だと察した朋也は、小さく「ありがとう」と呟いた。

「さて……」

 祐一は再びちとせに向き直る。

「準備は整ったか」

「はい。でも、あの――」

「わかってる。これ(、、)が終わったらすぐに俺たちも避難するさ」

 ちとせは自分の能力を上手く制御できない。一度抑制を解き吸収の能力を発動したら歯止めが効かない危険性がある。

 よって、ちとせが渚の魔力を吸うときには半径数百メートル……即ち城の中の者たちを全て外に出さなくてはならない。

 もちろんそれは皆に伝えてある。今頃さやかもことりたちを連れて外に向かっていることだろう。

「これ……?」

 ちとせが怪訝そうに呟くと同時、朋也が一歩前に踏み出した。

 朋也は何の前触れもなく屈み込むと、ちとせの腕を取って握り締めた。

「え!? あ、あの――っ!」

 突然のことに顔を赤くして慌てるちとせ……だったが、朋也の表情を見てすぐに動きを止めた。

「――頼む」

 そこに浮かぶのはどこまでも必死な……縋るようにさえ見えるほどの必死な、大切な者を想う男の表情だった。

「頼む、渚を……救ってやってくれッ!!」

 叫ぶように言って、頭を下げる朋也。それをちとせはしばらく呆然と見つめていたが、

「はい」

 表情を引き締め、しっかりと頷いた。

「古河さんは必ずわたしが助けます。だから……待っていてください」

 

 

 

 数十分後、城の中にいる全ての人員が外に出たことを告げる連絡水晶が輝いた。

 それを目にして、ちとせは大きく深呼吸する。

 自分の手を自分で握って、汗でびっしょりなことに気付き失笑した。

 緊張しているのだ。

 ……無理もない。まさか自分がこれまで忌み嫌い続けたこの力を、誰かを助けるために使う日が来るとは思いもしなかったのだから。

「――でも」

 同時に、とても嬉しくもある。

 一時期は自分が生きていること自体が罪であるようにも感じていたのだ。

 魔力を吸収することでしか生きていけないという自分。そんな自分が、とても卑しい者に思えてならなかった……。

 だから自分の身を削ると理解していながら、他者から魔力を吸うことを自分に禁じてきていた。

 ……だが、その禁をいま解き放つ。

 自分のためではなく、他者のために。

 自分の力が誰かの役に立つ、誰かを助けることが出来る。未だかつて感じたことのない温かさと高揚、そして意志を心に宿し、

「……始めます」

 誰に告げたわけではない。

 強いて言うなら自分と……そして眠ったままの渚に告げて、ちとせはそっとその力を解放していく……。

 

 

 

 城外に避難していた祐一たちは、その能力の発露を瞬時に感じ取った。

「これが……ちとせの魔力吸収能力……」

 離れていても、わかる。直接的な範囲内でないにも関わらず、身体の底から何かが少しずつ奪われていくような感覚がある。

 それこそ微々たる量ではあるが、これだけ離れていながらこの吸収力ならば領域内での吸収速度は半端なものではないだろう。

「……渚」

 その祐一の横で、朋也は手を合わせ、祈るように目を閉じていた。

 

 

 

「ん……!」

 ちとせは必死に能力を制御していた。

 思った以上に身体は魔力を欲していたらしい。抑制を解いた途端、尋常ではない領域まで能力が行き渡るのを感じ取った。

 抑えなければ城外に出て行った祐一たちにまで及ぶほどの広範囲領域。

 枯渇した魔力を欲する本能か、あるいは気付かぬうちに能力が強くなっていただけなのか。

 ……どうあれ、関係ない。被害は絶対に出さない。そう決めて、いまこの場にいるのだから。

「絶対に……制御してみせるから……っ!」

 ギュッと渚の手を握る。手を握ることに直接的な意味はないが、ちとせなりの覚悟の表れだった。

 渚の魔力が急激にちとせの身体に流れ込んでくる。現金なもので、渇望していた魔力を得始めて能力の制御が徐々に効くようになってきた。

 うっすらと理解する。どうやら元々能力が制御できないのではなく、純粋に魔力が足りずにそれだけの操作が行えなかっただけなのだ、と。

「これなら……!」

 ちとせが魔力吸収能力を制御する。

 ちとせを中心として円状に大きく広がっていた領域をみるみる狭め、渚の周囲にまで凝縮する。

 その分渚からの吸収速度は跳ね上がり、渚の体内を蝕んでいた魔力が一気にちとせへと流れ込んでいく。

「もう……少し……!」

 既に常人であれば数十人くらいの魔力を吸い取ったが、それでも渚の魔力はまだ半分をやや下回った程度だ。

 だがそれでも渚のキャパを考えれば多い魔力である。もう本当に破裂寸前だったのだ。むしろ壊れなかったのが奇跡としか言いようがない。

「助けるから……」

 吸う。吸い続ける。

 ちとせの魔力キャパシティもたいしたものだが、それもそろそろ限界が近い。

 ほぼゼロの状態から一気に満タン近くまで魔力を吸収したちとせの身体が悲鳴を上げ始めた。これまでの反動だろう。

 だがそれでもちとせはやめない。渚の安全領域と思われる魔力量に到達するまでは、絶対に。

「わたしの力で、絶対に助けてみせますから……!」

 グッと手を握り締め、

 

 そして、魔力吸収領域は――霧散した。

 

 

 

「――渚ッ!!」

 領域解除を察知した瞬間、朋也はすぐさま渚の部屋まで駆けた。

 ノックさえせずに勢いよく扉を開け、彼が見たのは、

「!」

 身体を起こし、何が起こったのかわからない様子で自分の身体を見下ろす渚の姿だった。

「あ……朋也くん」

「渚……身体は、どうだ?」

 彼女は笑顔で、

「それが凄く軽いんです。これまでの痛みや苦しみが嘘みたいに」

 それを聞いた瞬間、朋也は外聞も何も気にせずに渚に駆け寄りその身体を抱きしめた。

「渚……!」

「わ、わわ、朋也くんっ!? ど、どうしたんですか!?」

「良かった! 良かった……! これでお前はもう苦しまずにすむんだな……っ!」

「あ、あの……?」

 状況がつかめず顔を赤くする渚を見て、傍らに座るちとせが小さく笑った。

 そのちとせに気付き、ようやく朋也は我に返った様子で渚から離れた。そしてすぐにちとせ向き直り、頭を下げる。

「ありがとう。全部君のおかげだ」

「い、いえとんでもないです。……むしろ助けられたのはわたしみたいなものですから」

「朋也くん……?」

 くいくいと渚が袖を引っ張る。説明を要求しているのだろう。

 まだ冷静さを欠いているな、と自分の格好悪さに朋也は苦笑し、

「そうだった。紹介するよ、渚。この子がお前の魔力を吸収してくれた――」

「稲葉ちとせです」

「え、魔力を吸収……?」

「ちとせちゃん」

 渚が首を傾げると同時、新たに入室してくる者がいた。やって来たのはさやかだった。

 さやかは少し心配そうな顔でちとせを見る。だがその視線にちとせは笑顔を返し、

「大丈夫ですよ。古河さんも、そしてわたしも」

「じゃあ……?」

「はい」

 頷いて、不意にちとせがある動きを見せた。

 車椅子に手をつき、足に力をいれ、ゆっくりと立ち上がる動作だ。

「わぁ……」

「わたしも完全回復です」

「良かったね、ちとせちゃん!」

「はい。ありがとうございます」

「あ、あのー……」

 と、そこでちとせたちを困惑気味に見ていた渚が声を掛けてきた。

「これは一体どういう状況なんでしょうか? わたし、まったくわからなくて……」

「そうでしょうね」

 クスクスとちとせが笑い、朋也もまた微笑を浮かべ、渚の頭を優しく叩いた。

「ああ。いまからちゃんと説明するよ。全部な」

 

 

 

「どうやら滞りなく解決したみたいだな」

 祐一はそんな光景を部屋の外から眺めていた。だが彼は部屋に入ることはなく、中の様子を見るだけに留め踵を返した。

「言葉をかけないの?」

 そしていつの間にか隣にはさやか。もうそんな態度にも慣れた祐一は驚かずにそのまま歩を進める。

「いまは身内だけで喜びを噛み締めれば良い。労いや祝いの言葉も今度だな」

「ふ〜ん。それは優しい気遣いだね」

 何故かついてくるさやかが小さく笑い、感心するように呟く。

「それにしても、凄いよね〜」

「ん? 何がだ?」

「この国が、だよ」

 さやかはクルリと反転し後ろを向きながら歩き、

「他国の人同士がこうやって助け合ったりできるんだもん」

「それはその当人たちの行動の結果だろう?」

「そうだけど、それができる場所があって初めて可能なことなんだよ、それは。だからこのカノンという国がなければこの結果はない。

 ちとせちゃんはいまも車椅子に乗ってただろうし、わたしもダ・カーポの白河家と仲直りはできてなかったと思う。だからこれは凄いことなの」

 言い切るさやかを横目にして、祐一は思いを馳せる。

 新たに国を作ろうと決めたあの日のことを。カノンを建国してこれまでのことを。

 こうして何かを抱え生きている者たちが集まり、助け合える空間を作り出せているのであれば……それは、

「――なら国王冥利につきるな」

「ならこれからも頑張って良い国にしてね、国主さま♪」

 笑顔で言うさやかに、祐一は「もちろんだ」と返した。

 言われるまでもない。

 それが祐一の目指す国の形なのだから。

 

 

 

 あとがき

 おはようございます、神無月です。

 多分あとがきで「おはよう」の挨拶は初めてかもしれません。現在朝の六時半です(ぁ

 それはさておき、百四十七章が終了。またまた長くなってしまいましたよ〜。

 ……でもこれでも随分内容削ったなんて言えない!(ぉ

 本当はシオンの渡すものや、他の人たちの話もここでしたかったんですが、尺の問題で切りました。純一や魔理沙たちが半ばスルーされてるのもこれです(汗

 さやかとことり、ちとせと渚の話だけで精一杯でしたorz

 っていうかこの二つだけでまさかここまで話が長くなるとは思いませんでしたよ……。まったく、どうしてこうやって話が膨らんでしまうのだか。

 まぁともあれ、これで白河家の因縁も消え、渚&ちとせが完全快復となりました。

 次回は瑠璃子の話やさくら、郁乃、リリスなどトゥ・ハートに向かった者たちの話です。余裕がなければまた前後編になるかも……(汗

 なんか予定話数を超過して結局カノン王国編やキー大陸編とたいして変わらない話数になりそうな悪寒が……!

 そうはならないように祈りつつ、今回はこのへんで〜。

 

 

 

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