神魔戦記 第百四十六章

                     「作戦決行まで、残り三日(前編)」

 

 

 

 

 

 小鳥たちが囀り、木々の葉がさざめき、朗らかな陽が穏やかに大地を照らす。

 豊かな……というより雄々しい自然の営みが色濃く残っているこの国は、王国ウタワレルモノ。

 獣人と、数は少ないが人間族とが共存して暮らしているこの国は、現存する他の国とは随分様相が違う。

 まず自然が多い。他の国も街からそれなりに離れれば森などあるが、この国の場合街やその周囲からして密林や渓谷といった場合が多いし、また家屋も城などを除いては金属や石ではなく木造が主流だ。

 技術的な進歩が遅れているという側面もある。が、むしろウタワレルモノの国民がこういった雰囲気を好んでいるという面が圧倒的に大きい。

 やはり獣人としての感覚が自然に近いのかもしれないな、と国主であり数少ない人間族のハクオロは時々思う。

 とはいえ、と城から王都を見下ろし、笑みを浮かべた。

 ――自分もまたこの国の在り方を好いている。

 確かに技術は人の生活や営みを支え、また躍進させるが、現状で満足しているのならそれ以上を求める必要性もないだろう。

 楽になることと幸せになることは必ずしも同一にはならない。いまのままで幸せならば、それで十分だとハクオロは思う。

 ……だが、この平和ももしかしたら壊されてしまうかもしれない。否、既に壊れてしまった集落や村も存在する。

 リーフ連合の共通の国、シズクによって。

 彼の国の実情は、正直未だ詳しくわかっていない。数年前まではそれこそ普通の国だったようだが、突如として月島拓也という男がその精神感応の力で国民全てを掌握したのだという。

 情報の一つでは、月島拓也の妹の失踪が原因ではないか、とも言われているが……そもそもシズクが一変した頃にはまだ国主ではなかったハクオロにはよくわからない話だ。

 が、経緯や過程はともかく実際問題自国の民が精神感応によりさらわれ、また虐殺されているという事実がそこにある。

 これだけで敵とみなすには十分だった。

 自分たちが正義だなどと言い張るつもりはハクオロにはない。

 周辺国家をまとめあげ一つの国、このウタワレルモノにするまでに多くの戦いがあったが、その中でもハクオロはそう思ったことはなかった。

 相手には相手の正義があると知っていたからだ。

 ……が、シズクは違う。アレはそういったものとは異質だ。正義だなどというものはありはしない。

 だからハクオロも容赦するつもりはない。

 既に大規模侵攻作戦は三日後に控えている。ハクオロもまたさっきまでその作戦に関しての各部隊からの報告書や軍事費用の計算などを行っていたところだ。

 ……まぁいまは気晴らしにこうやって城内を当てもなく散策しているわけだが。

「いけないいけない。こんなことを考えていては息抜きにならないな」

 やれやれ、と首を横に振る。我がことながら、この考え事をしだしたら止まらない癖はどうにかしたいと思う。

 ……思ったところで直るようなら苦労はしないわけだが。

 とりあえずブラブラと城内を散策する。作業に煮詰まったりするとよくやる行動で、仲間内でもそれなりに見慣れた光景である。

 そういうわけで見回りの兵たちも普通に会釈をするのみ。この場での敬礼は無粋であると誰もが知っているのだ。

 そうしてハクオロが足を向けたのはある仲間の部屋だった。様子を見に来た……というよりは近くを通ったときの匂いが気になったと言うべきか。

 その匂いを嗅いだ時点でおおよそ予想はしていたが、目の前に広がる光景はまさしくその通りのものだった。

「……カルラ。数日後にシズクとの決戦だというのにまた飲んでいるのか?」

 やって来たのはカルラの部屋。

 そこの中央、でろんと寝っ転がっている者こそカルラその人である。

「あら、この程度水と変わりませんわよ?」

 ぐるん、と寝たままの体制で向きだけを変え、ほんの少し頬を赤く染めたカルラが手に持つ酒瓶を振って見せた。

 酒樽五十個以上、酒瓶に至っては数えるのが億劫なほど転がってて水と同じとはなんとも豪快な発言である。

「主様も一献いかが?」

「いや、いまは遠慮しておこう」

「あん。いけずですわね」

 とはいえ実際カルラは酒に異常に強い。これだけ飲んでも彼女にとってはほろ酔い程度だろう。

 今に始まったことではないのでもはや注意する気も失せた。

 しかし、ふと疑問に思う。カルラは一人で飲むのも好きだが、ここ最近は常に誰かと一緒に飲んでいたように思う。その方が面白いと本人も言っていたようだし。

 よく共に飲んでいるのはウルトリィとトウカだったか。

 しかしウルトリィは気品溢れる女性であり、神聖な巫女でしかもオンカミヤムカイの姫でもある。こんな真昼間から酒を飲んだりはしないだろう。

 ともすればトウカ辺りが一緒にいても良さそうな気もするが……。

「トウカは一緒ではないのか?」

「いま模擬戦をしていますわ」

「模擬戦? オボロとか?」

「いえ。コミックパーティーからの客人ですわ。……まぁ元々はカノンの子のようですけど」

「コミックパーティーの客人……?」

 コミックパーティーから誰かが来客しているという話は聞いていない。

 リーフ連合は割とフランクな繋がりでそれこそ国民同士の流行も多く、王家に携わる者もよく行き来はしているが、それでも軍部の人間となれば一報くらいは届くはずだが……。

「主様が歩き回っているから今頃探しているのかもしれませんわよ?」

「……なるほど」

 ハクオロの考えを見透かすかのように、カルラが意地悪な笑みを浮かべる。

 だとすれば今頃ベナウィが探し回っているかもしれない。申し訳ないことをした。

「いまから戻っても……遅いだろうな」

「遅いでしょうね」

 仕方ない。ならいっそその客人のところに赴いた方が良いかもしれない。カノンの子、というのも少し興味がある。

「では私は下りてその模擬戦というのを見物してこよう。カルラもどうだ?」

「わたくしは遠慮しておきますわ。まだ飲み足りないので」

「そうか」

 これで飲み足りないと言われたら苦笑するしかない。酒代はカルラに対する必要経費と考えて既に割り切ってしまっている。

 それでもあまり飲み過ぎないように祈りつつ、ハクオロはカルラの部屋を後にした。

 

 

 

 銀閃が虚空を切り裂く。それも一条や二条ではない。その数、八。

 絶え間なく繰り出される斬撃は、見る者によってはただの風にしか見えないだろう。

 だが、

「ふっ!」

 ギギィン! と金属同士がぶつかり合った音が響き渡る。

 それら全てを遮られ、攻撃主――トウカは思わず目を見張った。

 トウカ。ウタワレルモノに仕える女武士の一人であり、武術に優れ、義を重んじ、高潔なる魂を持つといわれるエヴェンクルガ族の獣人族である。

 得物は刀。使うは居合い。その刃の鋭さはウタワレルモノにおいても他の追随を許さぬほどなのだが……それを見た目十歳程度の少女に防がれた。しかもそれだけではない。

「はぁ!」

 思わぬ反撃が来た。防いだ力を利用し一回転するように振るわれた斧を、トウカは後方に跳躍してかわす。

 油断なく前を見据え、手は腰の刀の柄に添えている。追撃が来ても迎撃できる状態だがさすがにそれは来なかった。

 ……いや、迎撃が来るのを察知して敢えて来なかったのか。斧を振り下ろした少女もまた、間合いを外すようにわずか後退していた。

 強い。それが正直な感想だ。

 アルルゥとほぼ同じような歳の頃の少女と思い少し侮っていたのを恥じた。歳がどうあれ、体躯がどうあれ、彼女は紛うことなき戦士であった。

「お主……名を雨宮亜衣と言ったか」

「はい」

 相対する少女――雨宮亜衣が頷く。

 強き想いを滾らせ、会話の最中であろうと油断を見せず、またこちらの油断を見抜こうと鋭い眼光で見据えてくる。

 模擬戦であるが、武士としての血が騒いだ。

 強き者と戦える喜び。エヴェンクルガとしての血が、もっと戦いたいと告げている。

 腕の負傷のリハビリという名目の模擬戦だったが、そんなこともう気にならなくなった。むしろそんなことを考えて手を抜けば負ける。

 それだけの力を……この少女は持っていた。

「改めて。某の名はトウカ。亜衣殿、そなたのような者と刀を交えられること、誇りに思う」

「……えと、ありがとうございます」

 わずか、少し照れるように亜衣が頷いた。それまで凛々しかった表情がいきなり崩れる辺りは、やはりまだ歳端も行かぬ少女であるらしい。

 小さく笑い、そして表情を元に戻し、

「……参る」

 トウカが地を蹴った。

 腰を落とし、一気に肉薄する。鞘から刀が抜かれたと思った次の瞬間には斬撃が奔っていた。

 居合い。トウカの剣技はまさしくそれだ。

 並の者ならまず見切れまい。しかし亜衣にはそれが確かに見えていた。

 斧――彼女の相棒、神殺しの『ディトライク』がその刃を弾き返す。だがトウカの動きは早く、切り返しで再び刃が振るわれる。

 トウカの目にも止まらぬ連続斬り。亜衣はそれを防ぐだけで手一杯だ。

 亜衣は目が良い。が、それに伴う技量があるかと言えばまだその域にはない。防ぐことは出来ても、その中に反撃の手を加えるには至らない。

 しかしそれも連撃の間においての話。トウカとて体力がいつまでも続くわけではない。これだけ高速で繰り出していればいずれ腕にも疲れが出る。

 それが十二を数えたところでトウカの動きがわずかに止まった。そこを亜衣は見逃さない。

「せい!」

 腕ごと振り上げている時間はないと考え、手首のスナップだけでディトライクを振り下ろす。

 威力はもちろん落ちるが、トウカの得物は刀だ。せめぎ合えば斧が打ち勝つのが道理だし、そもそも刀とは受ける武器ではない。

「……っ!」

 トウカは身を投げ出すようにして横に跳んだ。その一瞬後にディトライクが大地を割る。

 二度三度と地面を転がって、その反動で手を使わずに起き上がる。手は最初から最後まで刀を離さない。

 それを見て亜衣は、一つあるものを試すことにした。

「ディトライク! 『オーバーイグニッション』!」

Ok. over ignition

 ディトライクの核が煌いた瞬間、亜衣の背中に真紅に光り輝く一対の翼が出現した。

 だがそれは羽と呼べるほど流曲的ではなく、鋭角的な形をしている。それを上手く表すとすれば――鎌だろうか。

 これはコミックパーティーにいたときに、和樹から教えてもらった補助魔術だ。

 千堂和樹は法具の製作者として有名だが、オリジナル魔術の創作者としても類稀なる才能を持っている。

 亜衣の特異体質や神殺しの力を把握し、どういった術式であれば遺憾なく発揮出来るかを検討し、導き出したのがこの魔術だった。

「アクセル、ワン!」

acceleration one.

 告げた瞬間、亜衣の身体が一気に加速した。魔力強化による走行ではなく、背中の翼がブースターのように魔力噴射して高速滑空してきたのだ。

「む!?」

 これはさすがのトウカも慌てる。これまでの戦い方からてっきり魔術は使わないものと踏んでいたのだ。

 一瞬で肉薄した亜衣がディトライクを振るう。それをトウカはギリギリのところで回避し、すれ違うように前へ跳ぶ。

 加速力が高ければ高いほど、停止や軌道変更は困難になる。あれだけの加速、そう簡単には制御できまいと踏んでの行動だった。が、

「!」

 背中のブーストが一瞬止まった。慣性に従い前へ投げ出される亜衣だが、その間に振り返り、再び真紅の翼が火を噴いた。

 なるほど、確かにそれなら急な軌道変更は可能だろう。だがあれだけ急激な変化、身体が軋みを上げるをあげるはずだ。

 しかし亜衣は顔を歪めもせず突っ込んでくる。トウカはまだ体勢を直せない。故にその振り下ろしを刀で受け止めるしかなかった。

「ぐぅ……!?」

「はぁぁぁ!」

 子供とは思えない力が上から圧し掛かる。このままではいずれ競り負ける。だから、

「ふっ!」

「え!?」

 トウカは体を傾け刀を滑らせるように垂直にさせてその攻撃を受け流した。勢いが消せずディトライクは地面に突き刺さる。

 素早く立ち上がり、一回転。空中で身体を捻ったトウカが刀を翻し亜衣目掛けて振り下ろして――、

「鎌首を上げなさい……」

「っ!?」

「――爆龍ッ!!」

 ドッ!! と大地が爆ぜ亜衣の周囲から炎の龍が立ち上った。慌てて身を引いたトウカだったが、左腕の袖がわずかに燃えていた。

 それを振り払って消し去り、改めて前を見る。

 七つの炎の龍が空を踊っている。その中央でゆっくりとディトライクを抜き払う、炎の翼を持ちし少女、亜衣。

 やはり強い。この歳でこれだけの実力と才覚……。大人になったとき一体どれだけの力を持つことになるのか。

 と、トウカはある現象に気付いた。

「……これは?」

 亜衣が召喚した龍が……ディトライクに集束し始めている。ディトライクの刃が灼熱に満ち、それを構えて亜衣が腰を落とした。

 突っ込んでくる。しかも次のは間違いなく強烈な一撃。次で決める気だ。

「ならば某もそれに応えよう」

 足を開き、腰を落とし、柄に手を添えて抜刀のスタイルを取る。一つ大きく深呼吸、息を吐き、そして――魔力を律動させる。

 トウカの属性は水。張り詰めた空気の中、どこか引き締まった清爽感が漂うのは周囲に満ちた水気も原因があるだろう。

 火と水。相反する属性を持つ両者が、それぞれの必殺を放たんといま同時に地を蹴って――、

「その勝負、そこまでですッ!!」

「「!?」」

 一気に集束していた魔力が霧散した。気付いた瞬間には、両者の間に一人の少女が立ちはだかっていた。

 桃色の髪を二つに纏め、小柄な体躯には会わない大きめの黒い外套を羽織った少女の名は立川郁美。コミックパーティーの女王である。

 郁美は腰に手を添えながら呆れたような表情を浮かべて両者を見やり、嘆息した。

「もう、二人とも。これは模擬戦ですよ? 何を本気になって戦っているんですか」

「あ……す、すいません」

「そ、某としたことが……申し訳ありません」

 しょぼん、と項垂れる二人。それを見て郁美は仕方ないなぁ、とばかりに苦笑し、そして振り返った。

「それで、どうでしたかハクオロ皇?」

「「え?」」

 トウカと亜衣の声がハモる。驚き振り向いた先、郁美の後方にこのウタワレルモノの王、ハクオロが立っていた。

「せ、聖上。見ていらっしゃったのですか」

「ああ。トウカ、今日もお前の剣の冴えは見事だった」

「勿体なきお言葉にございます」

 跪くトウカを一瞥し、亜衣もまたハクオロを見やった。奇妙な仮面だなぁ、と思っていると不意に視線が合って少し慌てた。

「雨宮亜衣だったか」

「あ、はい!」

 相手は一国の王である。郁美女王は祐一の知り合いということもあり比較的大丈夫だったが、さすがに緊張する。

 自然と肩が張り背筋を伸ばす亜衣に、ハクオロは微笑を見せた。

「そこまで畏まらなくて良い。ただ君の実力もたいしたものだと思っただけだ」

「い、いえそんな! わたしなんてまだまだで……」

「いや、その歳でそれだけ出来るのは凄いことだろう」

「某もそう思います。これだけの実力、よほど精進したのでしょう」

 トウカが立ち上がり、笑って言う。亜衣は更に顔を赤くして縮こまった。

「そんな……ただわたしはどうしても助けたい人がいるから……」

「そうか。大切な人なんだな」

 ハクオロの微笑に、亜衣は更に顔を真っ赤にして俯いた。

 それを見ていた郁美はなんとも可愛らしいな、と思う。こういう人間が周囲に集まるのは祐一の人望だろうか、とも。

 そんなことを考えつつ、郁美はそっと亜衣に近寄った。

「亜衣さん。腕の調子はもう大丈夫ですか?」

「はい。おかげさまで」

 亜衣の左腕は鹿沼葉子との戦いで内部から破壊されていた。

 魔力無効化体質の亜衣は治療魔術も受けらないはずだったが、祐一の機転により神殺しを経由して郁美の治療魔術を受けることが出来た。

 損傷が激しかったので正直完治するかは五分五分だったが、どうやら大丈夫のようだ。

「和樹さんの魔術もちゃんと実戦で使えましたね。どうでした?」

「使いやすかったです。まさかわたしが魔術を扱える日が来るとは思いませんでしたけど」

「和樹さんは自分だけじゃなく他者用のオリジナル魔術を創るのも長けてますからね。それも特化型の」

 普通なら考えられないことだ。

 魔力とは人それぞれで少しずつ異なる。気配で誰かを察知するのもまた、その微細な差異によって判断するのだ。

 万人に扱えるように古人らが創作した既存の魔術体系というのは、そういう意味で素晴らしい技術と積み重ねの結晶だろう。

 オリジナル魔術、と言われるのはそういった『確立された魔術体系』を使用せずゼロから新しい魔術理論を創り上げ、使用するものを指す。

 とはいえ、オリジナル魔術と一言で言ってもここには二種類の区別がある。

 一つは、既存の魔術体系同様誰でも使用出来る魔術。二つ目は、個人使用のみを考慮した特化系オリジナル魔術。

 基本的には前者が多い。魔術師は学者に近い。後世に名を残すという意味合いの場合は前者でなければ意味がない。

 だが後者にも利点はある。誰にも真似できぬという点と……個人用に最適化された魔術は万人が扱えるそれに比べて燃費が良いということだ。

 魔力を魔術に合わせるのではなく、魔術が元々の魔力に合っているわけだからそれも当然だろう。それだけで一工程省けるし、魔力消費も少なくてすむ。

 ……が、そういう意味も含め、普通なら他者の個人特化魔術を創るなどということは極めて困難だ。

 自分で自分用の魔術を創るならいざ知らず、魔力も魔術回路も何もかもが違う他人なんて難しいにも程がある。いや、並の魔術師なら不可能であると断じるだろう。

 しかし、それを可能とするのが千堂和樹という青年だった。

 法具創作、魔術創作共に他者の追随を許さない。小牧姉妹がいなければ今頃呪具製作も彼が頂点にいたことだろう。

 それだけ彼は『創る』ことに長けている。おそらくはそういう根源を持っているのだろう。

 そして亜衣もまた、その和樹にいくつか個人に最適化されたオリジナル魔術をいくつか教わった身である。

「千堂さんには感謝してもしきれません」

「ふふ。それは本人の前で言ってあげてください。和樹さんもきっと喜ぶと思いますから……ん?」

 不意に連絡水晶が輝きを放った。取り出し魔力を込めれば、声が聞こえてくる。

『こちら、トゥ・ハート王国の久寿川ささらです。いま大丈夫でしょうか?』

 トゥ・ハート。思わず郁美は後ろのハクオロを見やった。ハクオロも何かを察したようで近付いてくる。

「問題ありません。近くにハクオロ皇もいますが、何かあったのですか?」

『ハクオロ皇もいらっしゃるのは都合が良いです。少々急なのですが明日、再び各国の長で会談を開きたいという申請がありました』

「申請? 誰から」

『カノンの相沢祐一王です』

 思わずハクオロと互いを見やる。

「……確かに急ですね。何かあったのでしょうか」

『カノンに月島瑠璃子が亡命をして来たようで、それについての話のようです』

「月島瑠璃子……!?」

「それはあの月島拓也の妹の……?」

『そのようです。真偽は定かではありませんが、相沢王は本物の可能性が極めて高い、と』

「……わかりました。明日直接そちらに出向けば良いのですね?」

『はい。時刻は正午ということでお願いします。では』

 水晶の輝きが消える。それを見届けて、郁美は小さく嘆息した。

「まさかシズク異常の原因とも言われている妹さんがカノンに亡命とは……」

「ある意味タイミングが良いな。……罠という可能性も考えられる」

 ハクオロの言葉に郁美は小さく頷く。だがそういった可能性は祐一も考えているだろう。

 しかしその上で何も言ってこないということは……その可能性が低いと踏んでいる?

 ――考えても仕方ないですね。

 こればっかりは明日祐一に会ったときに聞いてみるしかないだろう。

 となると、郁美としてはやることをやっておくだけだ。

「亜衣さん。明日一緒にトゥ・ハートに行きましょう。祐一兄さんも来るようですから、そのままカノンへ戻ってください」

「はい。わかりました」

 怪我も完治。リハビリ代わりの模擬戦もちゃんとこなした。亜衣はこれでもう心配ない。

「ではハクオロ皇。少し軍部関連でお話があるのですがよろしいでしょうか?」

「あぁ、構わない。そもそもそのために来たのだろう?」

 ええまぁ、と郁美は頷く。亜衣を連れてきたのはそのついでと言えばついでだった。

 あと三日。そこまでに迫ったシズクへの侵攻作戦のためにやれることはやっておかなくてはならない。

 これは、なんとしても勝たなくてはならない戦いなのだから。

 

 

 

 祐一は一人、大きな広場の中央に立っていた。

 それは訓練場。しかしいつもと少し様子が違うのは周囲に半透明な結界が張られているからだろうか。

 それはユーノが張った結界である。

 ここ最近カノン軍メンバーの最大攻撃力が上がってきているので既存の結界では持たず多少の損壊が出ることが多くなった。

 そのためユーノにお願いしてより強固な結界を張ってもらったのだ。

 しかもこの結界はこの場のみに発動するという『場所を限定』することによって、ユーノがいなくても誰かが魔力を通せば自動的に結界が張られるという優れものだ。

 文字魔術と封印結界の応用らしい。さすがにここまでの芸当は祐一も出来ないのでかなり助かっている。

 その中央で祐一は小さく息を吐いた。呼吸を整え、魔力を沈静化させる。

 精神を統一し、自らの内側に埋没する。そこにあるのは光と闇、二つの力。

 本能的に融合を避けているその二属性を、意思によって混ぜ合わせ対消滅を促す。……それが覚醒の方法だ。

「ふっ……!」

 祐一の身体から膨大な魔力が放出され、渦を巻き訓練場を吹き荒れる。

 開かれた眼は金色の輝きを放ち、その背には漆黒と純白、相反する一対の翼が出現する。

 覚醒。祐一の奥の手にして最後の切り札。

 ……しかし対消滅とは諸刃の剣。少しでも融合率を間違えれば対消滅は成り立たず、反発しあい身体の内部が損傷する。

 また、対消滅が成り立ってもそれを長時間続ければ身体が耐え切れず破壊される。

 それだけのリスクを負いながらも――それでもこれがなければ祐一はこれからの戦いに生き残れない。

 シズクとの戦いだけではない。それが終わっても、まだ戦いは終わらないだろう。そんな予感がある。

 だから少しでも慣れ、また使用できる限界時間を引き延ばさなくてはいけない。

 現段階で限界時間はおよそ三十分。カノンと戦っていたあの頃に比べれば随分と延びた。特に神奈と戦ってからは急激に。

「……」

 二十五分が経過する。いまだ覚醒は継続中だが、そろそろ身体の節々が痛み始めた。

 経験から、これ以上続けては解いた後に倒れると直感した。

「ここまでだな」

 覚醒を解く。すると渦を巻いていた魔力が嘘だったかのように霧散した。

 くらっ、と目眩がする。だが倒れるほどではなく、精々立ち眩みと軽い虚脱感だけで収まった。

 やはり覚醒を何回かする程度じゃ限界は延びない。

「……やっぱり、強敵と戦わないと駄目なのか」

 ジャンヌ然り、神奈然り。これまでの戦いで一気に覚醒時間が延びたのはそういった面々と戦った後だった。

 偶然、とは考えにくい。やはり命の駆け引きというギリギリの条件下でなければ成長は見込めないのだろうか。

 嘆息して結界を解く。それとほぼ同時、唐突にパチパチパチ、と手を叩く音が響き渡った。

「へ〜、それが対消滅を利用した能力上昇? 凄いね〜。結界越しでも気配の強さが感じられるよ」

 その声の方向に視線を向けるべくもない。祐一は既にその相手が誰かを察していた。

「白河の領主か」

「あれ? 驚かないね」

 ひょっこりと姿を現したのは、祐一の言うとおりの人物――白河さやかであった。

「わたしけっこー気配が読みにくいって言われるんだけどな〜」

「確かに感じにくい。だが覚醒中はそういった感覚も鋭敏になるからな。そのときに察知した」

「なるほど〜」

 感心するように頷きながらてくてくと近付いてくる。本当に能天気で無邪気な人物だな、と祐一は思う。

「でもホントに凄いね」

「そうか?」

「うん。もしかしたら現魔族七大名家の中では最強なんじゃない?」

 さやかの台詞に、しかし祐一はすぐに首を横に振った。

「いや、それはないな。少なくとも自分より強いやつを一人知っているよ」

「それは?」

「『蚕食の黒百合姫(ブラックリリー・オブ・エンクロッチ)』」

 ぴくり、とさやかが反応する。

「……それって『世界の毒(ワールド・ポイズン)』や『黒曜の呪い華(オブスィディアン・カースフラワー)』とかも呼ばれてる彼女のこと?」

「知ってるのか? 意外だな。こっちではあまり聞かない名だが」

「一応それなりに知識はある方だと自負してるけどね〜」

 さやかは人差し指を一本立て、

「君影家の現当主。君影百合奈。『蚕食の黒百合姫(ブラックリリー・オブ・エンクロッチ)』をはじめいくつもの異名を持つ呪いの子……って聞いたけど」

「博識だな。その通りだ」

「アザーズ大陸じゃかなり有名らしいし、四大魔貴族ではここ最近よく出る名前みたいだけどね」

 首を傾げ、

「でもそんなに強いの? というか会ったことあるの?」

「あれを会ったと言って良いものかどうか。喋りはしなかったが、遠目で見たことはある。そして見た瞬間に悟った。あれには勝てない、ってな」

「そんなにいかついの!?」

「いや、見た目が凄いからとかじゃないから。本能というか……そんな感じだ。

 まぁあいつのこれまでの生き様を聞けばその判断は正しかったと思うよ」

「生き様?」

「なんだ。それは知らないのか?」

 結界への魔力供給が完全に切れたのを確認し、祐一は指でさやかに外に出るよう促す。そうして共に歩きながら、

「じゃあどうして百合奈が四大魔貴族の間で有名だと思う?」

「あぁ、そういえばそれは知らないなー」

 横に並んださやかと共に訓練場を出る。そのさやかは考え込むように指を顎に添え、んー、と呻き、

「……注目されているから?」

「そうだな。ある意味では注目されているな」

「でもどうして注目されてるんだろう? ……やっぱりその実力が明らかになるような事件でもあったのかな? 例えば――」

 二度指を振り、ピッ、と祐一を指差して、

「有名な四大魔貴族の誰かが君影百合奈さんにやられたとか」

 どう? とさやかの瞳が告げている。祐一は微笑し、頷いた。

「正解」

「さすがわたし、名推理〜♪」

 両手を合わせ、本当に嬉しそうにその場で跳ねる。なんというか、本当に感情表現の豊かな少女だと思う。

 ひとしきりはしゃぐと、ピタリと動きを止めまた首を傾げた。

「でも、ホントに強いんだね。一体誰を倒したんだろう?」

「あいつは八岐の三位を殺した」

「八岐って大蛇の!? その三位って言ったら相当凄いんじゃ……」

「それだけじゃない。その後魔族殺しで有名な鬼や死徒二十七祖候補と目されていた吸血鬼も倒している。

 四大魔貴族にこだわらなければ、それ以外にも高名な魔族もあいつにやられている」

「うわ〜……そりゃあいくつも異名つけられるよね〜」

「とはいえ、百合奈から仕掛けた戦いは一つもないんだけどな。君影はもともと好戦的な家系でもないし、百合奈はその典型だった」

「魔族に狙われて、それを蹴散らしたってことか。でもどうしてそんなに狙われるのかな?」

「凶悪だからだろう。彼女の能力は魔族に対して絶対の力を示す。俺に限らず、大半の魔族は彼女には手も足も出ないだろうからな」

「強いから邪魔。だから殺したい。でも強いから殺せない、逆に殺される……ってところかな。なんとも矛盾した話だけど」

 訓練場を抜けてしばらく歩くと城の中庭に出る。遠回りになる正門から入るのが面倒で大概の者はここから城内に入ろうとする。

 それは祐一も同様で、訓練場からの出入りはここからしていた。特にいまのように時間が惜しいときは尚更だ。

「そういえばお前はなんであんな場所に来たんだ?」

 何故か君影の話になったが、最初からそれを聞きに来たわけではあるまい。

 しかしさやかも言われてようやく気付いたのか、一瞬ポカンと、次いであーあー、と一人で納得するように数度頷いた。

「そうそう。ちょっと相沢くんに言っておきたかったことがあったんだよ」

 既に呼び方が『相沢くん』になっていた。別に気にしないがそういうところもまた凄いな、と思いつつ問い返す。

「言いたいこと?」

「そうそう。あのね――」

「ここにいたのね」

 さやかが何かを言うより先に、誰かの声が割って入ってきた。

 出鼻を挫かれた形のさやかはつんのめるように肩を落とし、また祐一は表情を変えずその声の主を見やる。

 廊下の先から現れたのは、ウェーブの髪の少女だった。

「香里か」

「香里よ」

 この受け答えで直感する。……香里はやや怒っているようだ、と。

 自分を探していたのかもしれない。まぁ本来なら私室で書類に目を通しているはずの祐一が三十分近くもいなくなれば怒るのも無理はない。

「出歩くなら出歩くで書き置きの一つくらい置いていってよね」

「なんとなくそういう気分だったんだ」

 ピクリ、と香里の眉が跳ね上がる。はぁぁ、とこれ見よがしに大きな溜め息を吐き、

「……あなたは優秀な王だけど、あたしにとってはその限りじゃないわね」

「それだけ信用してるってことだ」

「物は言い様ね」

「ふふ」

 そんな二人のやり取りを、最初は不思議そうに、そして次第に笑ってさやかが見つめていた。

 その反応を見て毒気が抜かれたか、あるいは恥ずかしくなったのか。ポリポリと頬を掻くと香里は本題を口にした。

「……ともかく。お話中のところ申し訳ないんだけど……祐一、あなたにお客様が来てるのよ」

「客?」

「黒桐という人たちよ」

 あぁ、と祐一は納得の声をあげる。

 そろそろ来るとは思っていた。結果がどうであれ一度報告に来るだろう、と。

「謁見の間か?」

「ええ」

「わかった。じゃあいますぐに向かおう。香里はこれから軍部か?」

「そうね。兵数なんかも調整しなくちゃいけないし」

「そっちは頼む」

 了解、と短く告げ、さやかに会釈をし、香里は祐一たちの横を通り過ぎていった。

 さやかはその背中をしばらく目で追って、クスリと微笑む。

「楽しい国だね、ここは」

「いまの会話を見て言われてもあまり嬉しくない感想だな」

「素直な感想なんだけどなぁ〜?」

 踊るようにくるん、とさやかは一回転して祐一の前に出る。

「ほら、お客さんが来てるんでしょ? 早く謁見の間に行こうよ」

「着いてくる気か?」

「お邪魔ならやめとくけどー?」

「いや、まぁ良いけどな」

 亡命を受け入れた時点でさやかもカノンの人間だ。謁見の間にその国の者が控えるのは別におかしい話じゃない。

 っていうか既に謁見の間に進路を変更して歩いているさやかを見て、最初から断られるなんて思ってなかったなこいつ、と祐一は頭を掻いた。

 腕を後ろで組んで鼻歌なんかを歌いつつマイペースに歩くさやかに小走りで追いつき、ふと気になったことを訊ねる。

「そういえばさっきの話の続きは?」

「あぁ、それなら今度で良いよ。別に急いでいることでもないし〜」

 まぁさやかがそう言うなら別に良いか、と祐一もすぐに思考を切り替えた。

 さて、幹也たちは何か情報を手に入れただろうか?

 いまはシズク戦に対する準備でてんやわんやだが、気にかけるべきことはたくさんある。

 

 

 

 だが、幹也たちが持ってきたのは情報ではなく……とんでもないものだった。

 幹也とその連れ、と聞いたので両儀式と杉並拓也の二人だと思っていたのだが、予想に反してもっと多くの人間がいた。

 祐一はそれらが誰だかわからなかったが、後ろでさやかが「ありゃりゃー」と驚いているのが少し気になった。

 いつもの温厚な笑みを浮かべる親友を見ながら、玉座に座った。

「久しぶりだな、幹也。今回は随分と大所帯だが」

「あぁ、ごめんね。ちょっと途中で知り合って……というより出会ってさ。で、訳ありみたいだから連れてきたんだよ」

 どうやら向こうでも予定にはなかった連れのようだ。わずかに眉を顰めていると、幹也が一歩下がりその面々を前に出した。

 情報は後にしてまずは紹介を済ますつもりなのだろう。

「えと……」

 そのうちの一人、赤と桃色の中間のような髪の色をした少女が躊躇いがちに口を開き、そして頭を下げた。

「お初にお目にかかります、カノン王」

 顔を上げる。そこに先程までのおどおどした部分は見受けられず――どこか、腹を決めたような覚悟が滲み出ていた。

「私はダ・カーポ王国の女王白河暦の妹、第一王女の白河ことりです」

 その言葉に祐一とさやかは共に驚愕の表情を浮かべた。

 ただ祐一は頭の片隅で最近は驚かされることばかりだな、とも考えていた。

 

 

 

 あとがき

 はい、どうも神無月です。

 ……やー、なんか予想以上に話が長引いてしまって急遽前後編に分けることになってしまいましたよ。

 やっぱり敗因は亜衣とトウカの戦闘描写だろうなぁ、うん。

 さて。今回は主軸に関わる話というよりおまけ的な情報がそこかしこに盛り込まれた感じの話になっています。

 亜衣のパワーアップや和樹の力、また一度も名前が出てきてなかった彼女の話などなど。

 ……そんなことをしているから長くなったってのもあるんですがねorz

 まぁそれはさておき、次回は純一たちとの対話がメインになります。あとは……どうなるかなぁw

 ちなみにさやか。彼女がダ・カーポの面々見て気付いたのはことりではなく音夢ですのであしからず。最後の文が間違ってるわけじゃありません。

 あと、渚&ちとせに関しては追々。なんですぐやらんのかはそのうちわかります。

 ではでは〜。

 

 

 

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