神魔戦記 間章  (百四十五〜百四十六)

                      「拓也」

 

 

 

 

 

 全ての人を呪い、

 全ての世界を呪い、

 全ての存在を呪った。

 もしも『この世全ての悪』というものがあるのなら、自分はそんな存在になって全ての悪の限りを尽くしてやろうと考えた。

 ようするに……壊れたのだ。その男は。

 悪に翻弄され、蹂躙され、守りたいと願っていた大切なものを汚された男は、その憎悪と怒りを全てに向けた。

 同じ事をしてやる、と。

 自分たちが行った行為がいかに卑劣で醜悪なものであるかを誇示せんと、そいつらが行ってきたあらゆる悪事を返し尽くそう。

 あぁ、見るが良い。この残虐さを。この邪悪さを。これがお前たちの行ってきた蛮行なのだと。

 そう見せ付けるように男は笑い、その力でもって世界を犯す。

 そのためならば、もう何も迷わない。例え自分の命が途中で力尽きようとも、自らの行いが人間の心に刻まれるのであれば本望なのだ。

 だから男には『恐れ』も『躊躇い』もない。

 いや、むしろ『歓喜』がある。

 皆が注目しているこの状況。この現状。これこそ彼が望み描いた最高の舞台ではなかろうか。

 じきにキーとリーフの連中がこぞって討伐にやってくる。全世界に悪を見せ付ける絶好の好機。

 招待をし、迎えるからには相応の準備を整えておかねばなるまい。

 男――月島拓也はそう考える。

 

 

 

「だが……ただ待つのも暇っていうものだね。そうは思わないかい?」

「……」

 腑海林アインナッシュの中。

 とても一国の王が住まう根城とは思えない、むしろ小屋と言っても良い粗野な造りの建物の中。

 月島拓也はそう言いながら横に立つ瑞穂を一瞥した。

 だが彼女は何かを堪えるように口を強く閉ざし俯いて、答えない。

 まぁそんな態度は拓也とてわかっていることなので敢えて何も言いはしまい。

 元々精神感応の素養があった瑞穂。拓也の精神感応の力を分け与えることで強制的に能力を発現させている彼女にはあまり強力な精神干渉は行えない。出来なくはないだろうが、そんなことをすれば優秀な駒の一つを失うことになるだろう。

 とはいえ、別に惜しむ必要はない。切り捨てようと思えば切り捨てられる程度の駒であることは事実。

 それにそもそも瑞穂はその事実を知らないので、杞憂ではあろうが。

 だが精々一人くらいは何の影響もない人間が身近にいるのも良いものだ、という彼なりの『娯楽』によって彼女は生かされていた。

「どうした? 何かつまらなそうな顔をしているみたいだけど」

「いえ……」

 口ではそう言うが、心の中では負の感情が渦巻いているのは感じられる。

 さすがに強制的にとはいえ精神感応の力を持つ彼女の心を完璧に見透かすことは出来ないが、それくらいならわかる。まぁ顔を見れば精神感応の力などなくてもわかりそうなものだが。

 おそらく瑞穂が眉を顰めている理由はこの部屋の有様が原因だろう。

 ひどく鼻にくる臭いと、呻くような、喘ぐような高い声が小さく重なるこの空間。

 瑞穂以外の人間は――人間と言って良いものかどうかは別にして――全員が裸体となってこの部屋のいたるところに倒れていた。

 男も、女も、関係ない。男はただ獣のように女を貪り、女は幽霊のように生気のない顔でそれをただ受け入れる。

 そんな、普通の人間であれば間違いなく目を背けたい醜悪な光景。瑞穂にとって直視しろという方が無理がある。

「暇なら君も混ざるかい? 中途半端な理性なんて放り捨てればもっと――」

「け、結構です!」

「くくっ、そうか」

 答えなんてわかりきっているだろうに、と瑞穂は思うが拓也はそんな反応が一々面白いのかもしれない。

 だがこんな狂乱の宴も彼には見慣れて、飽きてきてしまったものなのか気だるげに首を回し、

「どーにも、マンネリ気味だね。自分がやるだけじゃ面白くないからこうして多人数でやってみたけど……面白みも特にない」 

 だったらしなければ良いのに、と瑞穂は心中で毒吐くが、そんなことを言ったところで止まるはずがないことは自身よく理解している。

 だから瑞穂がただ願うのは、これ以上悪化するようなことを思いつかないことばかりだ。

 だが、

「戦力になりそうなやつらは壊れすぎないようにと思ってあまり手を出さないようにはしてたけど……それほど過度なことしなければ平気かな。

 というわけでさ、誰かあっちから連れて来てよ」

「え?」

「そうだな。……あぁ、あのカノンの修道女とか良いかもねぇ。あの子、割と僕好みだし」

 また、犠牲者が増えるのか。

 こんな自分でもわけのわからぬままにイカれて心を壊されていくのか。

 だがそれを手助けしている自分も同罪かなのだろう。認めたくはないが。

 しかしそれを打破する術など持っていない。無二の親友である香奈子を助けるためには、自分は行き着くところまで落ちるしか道はないのだから。

「……連れてきます」

「あぁ、頼むよ」

 瑞穂が別の部屋へ消える。それを見送って、拓也はしばらく待つ。

 瑞穂が隣の部屋からある少女を連れてくるのにおそらく三分もなかっただろう。

 とはいえ瑞穂が少女を抱えているわけでも、押しているわけでもない。先頭を歩いているのは瑞穂ではなくその少女だった。

 美坂栞。

 覇気のない表情でのろのろと歩いている様は、間違いなく精神感応の心を支配されている証明である。

 瑞穂がシズク軍において司令塔たりえる所以はこれだ。

 彼女はこうやって拓也が精神感応で支配した相手を、力を譲与されることでその支配権を一定範囲受け継いでいるのだ。

 もちろん瑞穂が反旗を翻さないように全権譲渡ではないし、仮に瑞穂が操って拓也に攻撃させることが出来たとしてもそのときは新たに精神感応で上塗りをしてしまえば良い話なので、危険性は何もない。

 そしてその力でいま、栞はこの場に連れて来られたわけなのだ。

「……」

 まるで計算されつくしたかのような挙動で拓也の前に立ち止まる。表情の一切がなくキビキビしたその動きは一世代前の魔導人形を見ているかのようだ。

「ふぅん」

 その足元から頭までを、嘗め回すようにねめつける。もちろん精神を支配されている栞はその視線に眉一つ動かさない。

「そうだね。それじゃあまずは服を脱いでもらおうかな」

 精神感応は声を媒体としたものでもなければ自己暗示の必要なものでもないため、言葉にする必要はない。

 だがそれを敢えて言うのは……まだ心の底に居座っているその個人の心に対する当てつけと、精神の陵辱のようなものだ。

 ……しかし、ここで一つ予想だにしないことが発生した。

「……ん?」

 栞の手が動かない。

「どうした。服を脱げと言ったぞ?」

 再度、拓也が告げる。しかし栞の腕はこれっぽっちも動かない。

 ……否、よくよく見ればその腕はまるで痙攣でもしているかのように小刻みに震えている。

「これは……?」

「ははぁん」

 怪訝そうに呻く瑞穂とは対照的に、拓也は口元を釣り上げ納得したように笑った。

「抵抗しているのか、君は」

「抵抗……? 対魔力が強いってことですか?」

「違うね。対魔力が高いのならそもそも精神感応の発動時に抵抗がある。それならここにいるわけがない。

 だがこの子の場合は精神感応が奥底に到達してようやく、だ」

 そう。だからこれは、

「純然たる精神力。……それでこいつは僕の精神感応に抗ってるのさ」

「そんなことが……?」

「出来る場合もあるようだ。実際こうして土壇場で……譲れぬ一線とでも言うのかな。そこに触れた途端動きを止めた者は数人だがいた。

 ここに歩いてくるまでは平気だったのに、服を脱げと言ったら拒絶した。つまり――彼女にとってそれだけ耐え切れないボーダーラインなんだろう」

 動かぬ栞を見て、拓也は両手を広げる。

「ククッ、この連中のようになるのは嫌かい? でも君自身が動くのを抗ったところで、僕が動いてしまえばそれまでなんだけどねぇ?」

 もちろん返事はない。そういうふうに支配しているからだ。

「喋って良いぞ?」

 だが、少々興味があるので拓也はその支配を解いた。

 もちろん『喋って良い』と言っただけなので栞は動けないし表情すら変わらないのだが、

「……あなたは、どうしてこんなことが出来るんですか」

 口から出てきた言葉は間違いなく怒りに満ちていた。

 だが拓也はそれを聞いて一層笑みを濃くする。

「こんなこと? こんなこととは?」

「人の心を勝手に操ってまるで玩具のように……! 到底人の行為とは思えません!」

「あぁ、そうだね。僕の行いは間違いなく悪だろう。そうあるように努めてきたつもりだ」

「何を――」

「君も本当は知っているんだろう? 良心なんてものを欠片も持ち得ない、まさしく『悪』というものが世界には実在する事を。

 例えばそう、君が密かに想っているあの王の過去に出てきた多くの人間族、魔族、神族だって、似たようなものだろう?」

「ッ!?」

「一々驚かれてもねぇ。精神感応で記憶を読み取ることくらい造作もないんだよ、僕みたいなレベルになればね」

 良いかい? と拓也は指を立て、

「世界はそんな悪で満ち溢れている。……が、僕はそんな悪に留まる気はない。より深く、より醜悪で、より重い『悪』を目指す」

「悪を……目指す?」

「そう。そして誰よりも強い悪になれば、そのときには――もう僕たちが他の『悪』に翻弄されることのない、安らぎが待ち受けているだろう」

 なんという愚かな発想。なんという稚拙な考え。

 要するに誰よりも強くなれば強者に弱者と罵られることもない、という程度の発想である。

 馬鹿な、と栞は思うが……同時に理解もした。その目を見て、この男が正真正銘本気で言っているということを。

「あぁ、瑠璃子。だからどうか戻ってきておくれ……。外の世界は君が住めるような優しい世界じゃないんだから。

 君が唯一安心して暮らしていける場所は僕がいる場所ただ一つだけなのだから……」

 恍惚とした表情で、自らの言葉に陶酔するように拓也は囁く。ここにいない誰かに対してのそれは、栞から見てもまさしく『愛情』であった。

 しかし、そんな表情はほんの一瞬。栞に視線を戻した彼の目にはもはや残りカスさえなく、その奥にあるのはただ漆黒の悪。

「だからそのためにも――僕は悪の限りを尽くそう。もちろん、君にも」

「……私を、陵辱する気ですが」

「そうだとしたら?」

「……私は、あなたの玩具に成り下がる気はありません。祐一さんたちが、必ずあなたを倒します」

「例え穢されたとしてもそのときを信じ挫けずに待ち続ける、か。心の底からそう思ってるあたり、さすがは修道女と言ったところかな? でも――」

 ガシッ! と栞の胸倉を掴みあげ引き寄せると、拓也は栞の思いもしない言葉を告げた。

「君は、その程度が真の悪だとでも思ってるのかな?」

「え……?」

「確かに僕も最初はそうしようかと思ってたけどね。暇つぶしに。でも君が思わぬ反抗をしているから……別の趣向を思いついた。

 君くらいの精神力があるのならあるいは……どうにかなるかもしれないからね〜?」

「……一体何をさせる気ですか」

「フフッ、怖いかい?」

 怖くないわけがない。実際拓也には栞の恐怖が文字通り手に取るようにわかる。しかし栞は毅然と言い放った。

「恐怖はありません。私は皆さんを信じていますから」

「恐怖はない、か。口だけとはいえ大したものだが……さて、それがいつまで続くかな」

 虚勢か、と言えばそうではない。恐怖も確かに存在するが、信頼という感情もまた実際に栞の心には根付いていた。

 この手の人間はたとえ身体を奪ったところでしぶとく自我を保ち続けるだろう。

 時間を掛ければそれも壊せるだろうが、そう遠くないうちにキーとリーフが来ることは事実。それではこの少女に悪というものを植え付けられない。

 だからこそ……拓也にとって、上手く転がれば一石二鳥にもなるある方法を実行することにした。

「扉を開けてくれ」

「! ……はい」 

 命令を受けた瑞穂が一瞬目を見開き、しかしすぐに俯いて歩き出した。

 それの意味がわからない栞だが、拓也はまるで悪戯の種明かしをするかのように嬉々と栞の顎を掴む。

「いきなりだと怖いだろうから特別に教えてあげるよ。君はね、これから――アインナッシュに喰われるんだよ」

「なっ……!?」

「とはいえ、完全にではないよ? いやぁ実は僕の持論と照らし合わせるなら、君は優秀な吸血鬼になれる素質があるんだよ。

 これまで数万人を吸血鬼にしようとして駄目だった者が大半だったけど、死徒二十七祖クラスの力を持った者が二人生まれたんだ。

 その二人の共通点は……極端な精神力。一人は極端に精神力が弱くて、一人は極端に精神力が強かった」

 わかるかい? とその顎を引きグッと近付けながら、

「これは推察だが、おそらく中途半端に精神力があると吸血鬼の力に反発してしまって、崩壊してしまうんだろう。

 だが極端に精神力が弱ければその吸血鬼の力に一切反発もせず飲み込まれていく。

 そして極端に精神力が強ければ吸血鬼の力にも負けず、むしろその力を乗り越えて吸収する……というものだ。どう思う?」

「それを試そうというのですか……」

「そうさ」

「あなたは、どこまで……!」

「これは僕の慈悲だよ? 栞くん」

 ニヤリと拓也が笑い、瑞穂が扉を開けた。

「死ぬか、吸血鬼になれるか。確率は良くて五分五分程度だろうけど……君にとっては僕に犯されるよりよっぽどマシだろう?」

 次の瞬間、外から物凄い勢いで室内に入り込んできた無数の蔓が栞の身体をがんじ絡めにした。

「!」

「そう心配しなくても良い。既に話は通してある。でも、それは無理かな? なんせどの道君は……もういまの自分には戻れないのだから」

「っ!」

 栞が何かを言い返そうとしたが、それを待たずに凄まじいスピードで蔓が栞を連れ去った。

 動きを止めるだけで精一杯の栞に、この現状を打破する術など――微塵もない。

『や、いや……助けて、お姉ちゃん、祐一さん……! いや、いやぁぁぁぁぁぁ!!』

「ははは、いくら気丈に振舞っても最後は助けを請う、か。まぁ人なんて所詮そんなものだろうけどね」

 嘲るように笑う拓也をよそに、瑞穂はその聞くに堪えない叫び声を遮断するように目一杯耳を塞いでいた。

 だが聞こえないはずがない。絶望という現実にいままさに蹂躙されている魂の叫びは、耳を通り越して精神に直接響いてくる。

 瑞穂はこれが大嫌いだ。聞いているだけで吐き気がしてくる。

 だが今回は、

「――相変わらず趣味の悪いことですね。そういった下種な行為はあの男を彷彿とさせて好きではありませんが」

「!?」

 それ以上の悪寒にかき消された。

 瑞穂が声に弾かれるように振り向いた先、そこに女性が立っていた。

 ――そんな!? さっきまていなかったはず……、いつの間に!?

 だが驚く瑞穂とは対照的に、拓也はまるで最初からその存在に気付いていたかのように冷静だった。顔すら向けず、ゆっくりと椅子に座り込む。

「下種か。僕はともかく、元上司に対してそんなことを言って良いのかい? ――鹿沼葉子」

 拓也の背後。その影から、まるで闇から現れるかのようにして現れたのは鹿沼葉子だった。

 瑞穂は慌てて臨戦態勢を取るが、それを拓也が手で制す。葉子は瑞穂に一瞥をくれただけで、すぐさま拓也に視線を戻した。

「あれは神威様の命令であるからこそ。そうでなければあのような愚か者になどつき従いません」

「ふっ、言うねぇ。……あのマッドサイエンティストも所詮はやつの駒か」

「そんな話はどうでも良いのです」

「ん? あぁそうだね。確かにそんなことを言うために来たわけじゃないんだろう。で、何の用かな?」

「私がここに来た理由はわかっているでしょう?」

「ん〜?」

「……あなたはやりすぎました。特にキー四国への同時攻撃などはその最たるものでしょう。

 あれはあのまま四国同士やり合わせていれば良かった。そうすれば今回のようにキーの国々が一時的にとはいえ手を組むこともなかったはず」

「同時攻撃〜? さて、なんのことやら」

「……とぼける気ですか? まぁ良いでしょう。過ぎたことをとやかく言ったところで意味はありませんし」

「ならどうするって言うのかな?」

「あなたには退場してもらいます」

 それはまさしく一瞬の出来事だった。

 ドバン!! という爆発したような音と共に熱い何かが瑞穂の顔に飛び掛ってきた。

 わけがわからず反射的にそれを拭った瑞穂は……その手を見て、息を呑んだ。

 それは……飛び散った肉片。

 だがそんなのは確認するまでもない。何故なら手を繰り出した状態の葉子の前方には、首から上が消し飛んだ拓也の身体があるのだから。

 そしてしばらくの後、力を失った拓也の身体は前のめりに床に崩れ落ちた。

「え、うそ……?」

 あの月島拓也が……死んだ?

 こんなあっさりと? 一瞬で?

 自分を苦しめていた存在が死んだというのに、あまりにもあっけなさすぎて瑞穂はすぐさま現実を理解できなかった。

 ……だが、あるいは既に気付いていたのかもしれない。

 この異常に。

「これは……どういうことですか……?」

 その驚きの声は、拓也の頭を吹き飛ばした本人である葉子だった。彼女はわけがわからない、といった顔で周囲の床を見る。

「何故……何故封印の宝珠がないのです!? 頭に仕込まれているはずなのに! 気配だって間違いなく、偽者という可能性は絶対に――」

「ククク。君の慌てふためく顔っていうのも面白いねぇ」

「!?」

 声は、直接頭に響いてきた。

 精神感応能力。

 間違いない。月島拓也は生きている。

「ひっ……!?」

 小さな悲鳴をあげる瑞穂の目の前で、ユラリと首のなくなった拓也の身体がゆっくりと立ち上がった。

 そしてまるで逆再生でもするかのように飛び散った肉片が舞い戻りその頭部を形成する。

 数秒もしないうちにその頭部は再生され、以前と寸分違わぬ月島拓也の姿がそこにはあった。

「まったく。不意打ちとはやってくれるね」

「……封印の宝珠にそこまでの再生能力はありません。それにその再生の仕方はまるで――」

「香奈子のようだ、って言いたいのかい?」

 クツクツと拓也は心底愉快気に笑う。

「まぁちょっとした細工を施してあってね。さすがは封印の宝珠。魔界孔を封印してただけの力はあるね。使い道はそれこそいろいろとある」

「! ……あなた、まさか自分で……?」

「いやぁ、自分の脳から霊的医術でもなしに異物を取り出すのは得がたい経験だったよ。とはいえ、僕でさえあれは二度とやりたくはないけどね」

 ともかく、と拓也は前置きして葉子に向き直る。

「香奈子と戦った経験のある君ならわかるだろう? 君に僕を殺すことはできないよ。当然、封印の宝珠の回収もね?」

「くっ……!」

 葉子は以前に一度香奈子と戦った。もし本当にあれと同レベルの再生能力を持っているのだとすれば、確かに葉子の力では倒しきれない。

 塵一つでも残ればそこから再生するという、尋常ならざる再生能力。あれをどうにかするにはそれこそ特殊な力が必要だ。

 ここは一度退くしかないか。そう葉子が考えたとき、

「でも――ただで返しはしないよ。この僕に手を出したんだ。相応の対価は払ってもわらないとね?」

 なに、と問い返す余裕もなかった。

 次の瞬間、小屋の外から弾丸のような速度で現れた人物が葉子目掛けて拳を繰り出していたからだ。

「っ!?」

 それを慌てて回避する。太田香奈子か、と思ったが――その姿は葉子の知る人物ではなかった。

「ふぅ、ふぅ、ふぅ……!!」

 荒く息をし、獣のように四つん這いになっている少女。水色を基調としていただろう修道服は赤黒い液体に染まり、ズタズタに引き裂かれていて。

 もしそれがこの少女の血なのであれば、明らかに致死量。だがそんな弱々しい様子はなく、むしろ獰猛な獣のような圧倒的な殺気が漲っていた。

「まさか、この子はさっきの……?」

「なり立てっていうのは破壊衝動が凄くてね。いつもはいらないやつらにそれの相手をさせるんだけど、ちゅうど良い。君が相手をしてくれよ」

 溢れ出る魔力。強烈な圧力。ボサボサの髪の隙間から爛々とした真紅の瞳が垣間見える。

 それら全てが物語っていた。

 彼女はまさしく――、

「新しい吸血鬼――美坂栞の誕生を祝して」

「あああああああああああああああああああああああッ!!」

 咆哮を上げ、栞が一気に床を蹴る。

「!?」

 かわす余裕さえなかった。葉子はそのとび蹴りをまともに食らい、壁をぶち破って外に放りだされる。

 慌てて受身を取って反転するが、それを追撃するように栞が拳を振り上げてやってきていた。

 葉子は後ろの木を蹴って、直角に回避。栞の拳は目標を見失いその木に減り込んだ。

 だが直後に響いた音は木の破砕音などではなく、まるで液面に拳を叩きつけた様な異様な音だった。

「なっ!?」

 思わず呻く。栞の殴った木が、どういうわけか――水と化していた。

「うああああ!」

 着地した葉子に向け、再度栞が拳を放つ。それを回避すれば、栞の拳を受けた地面の一部が再び水に変化する。

 間違いない。これは、

「触れた対象を水にする能力……!」

 しかもそれだけではない。栞が葉子に向けて指を向ける。すると変化した水が数多の矢のような形を象り、発射された。

 どうやら変化させた水を操ることも出来るらしい。葉子はそれを不可視の力で弾き返しながら下がる。

 神威から借り受けた力で空間を渡る術はあるが、あれには数十秒の時間がかかる。こんな高速戦闘中に展開できるものではない。

 せめて少しでも隙が出来れば……。

「はぁぁぁぁ!」

 吸血鬼になったばかりで理性や思考が働かないのかその動きはまさに獣のようで、凶悪ではあったが直線的なものだった。

 ならば。

 突っ込んでくる栞。それに対し葉子はタイミングを取り、一瞬で後退から前進に切り替える。

 相対速度もあり肉薄までは刹那。全てを水に変質させる魔手に対し、葉子は不可視で覆った手を繰り出す。

 交錯する腕。だが葉子の腕は水にされることなく栞の腕を弾き返した。さすがに不可視の力は対象とならないようだ。

 不可視の力は通常の魔力ではない。故にこういった効果をほぼ受け付けない性質を持つ。

 だから葉子はそのまま栞の腹目掛けてその拳を振り落とす。すると、スパン! という小気味良い音と共にその身体を貫通した。

 だが、葉子はその結果に目を見開く。

 おかしい。不可視の力による破壊は内部に向けたもの。先程の拓也のように木っ端微塵になることはあっても貫通するなどありえない。

 すると突然栞の身体が原型を失い、ただの水となって足元に沈んだ。これは……、

「水の……分身!?」

 次の瞬間、ザバァ! と後方、先程栞が変質させた地面の水が立ち上り、それが栞へと姿を変えた。

「水に擬態することも可能なのですか……!?」

「ああああああッ!」

 波と共に押し迫る栞に、葉子は加減無しの全力で不可視の力を右手に展開する。

 全力で行かねばやられる。本能とも言うべき直感が、葉子のストッパーを外した。

「消し飛びなさい!」

「うああああああああああ!!」

 巨大な爆弾が爆発したかのような凄まじい轟音と共に、圧倒的な破壊の圧力が迫る波の一切合財を消し飛ばした。

 大地は抉れ、木々は潰され、水は最初からなかったかのように握りつぶされる。

 葉子を中心に半円状にクレーターのように広がった惨状が、その威力の凄まじさを物語っていた。

 ……だが、

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

 美坂栞は生きていた。というより、ろくな傷さえない。

 また水に変化したのか。あるいはさっきのさえ水で創った幻影だったのか。定かではない。しかし、

「う、がはっ……! あぅ……!」

 まだ吸血鬼の力が馴染みきってない状態で力を使った反動か。胸を押さえて苦しみ出し、地面に崩れ落ちた。

 いまが撤退のチャンスだ。

 葉子は力を繰って空間に干渉する。栞が苦しんでいる間に、空間を跳躍する準備は整った。

「……」

 この美坂栞と言い、太田香奈子と言い……月島拓也の勢力はこちらの思った以上に強力になっている。

 はたしてリーフとキーがシズク相手に勝てるのかどうか、それは葉子にはわからないし関係はない。だが、

「……雨宮亜衣。あなたもここに来るのでしょう? なら――勝手に死んではなりませんよ」

 左腕の借りを返す相手。その相手に一言だけを残し、葉子はそこから姿を消した。

 

 

 

「ふぅん。これは予想以上に強力な吸血鬼が生まれたねぇ。成長すれば本当に死徒二十七祖になれるんじゃないの?」

 拓也はそんな栞の動きを、満足げな様子で小屋から見つめていた。

 自分の考えはどうやら正しかったらしい。もしかしたらこれはそのうち強力な吸血鬼軍団なんてものも作れるかもしれない。

「キーとリーフにも、優秀な人材は多そうだしねぇ。……全て飲み込んだら、さぞ立派な力になってくれるんだろうな〜」

 拓也はもう既にその先を見据えていた。

 キーとリーフを支配したら、その後はまずサーカス大陸を。そしてその次はアザーズ大陸に進出し、世界を吸収する。

 決して出来ないことではない。いや、自分ならば出来る。そう拓也は確信している。

 言うなれば、今度の戦いはその革新の幕開けとも言えるかもしれない。

「あぁ、楽しみだなぁ〜。瑠璃子、僕たちの世界がもうそろそろ始まるよ……。どこかで見ていておくれ……」

 恍惚とした表情で大仰に空を仰ぐ様はまるで神に祈る献身的な教徒にさえ見える。

 だが彼が目指しているものは、『悪』。

 彼の行く末に救いなどなく、また彼自身そんなものは望んでいない。

 

 

 

 あぁ、どうか比類なき悪をここに。

 断罪すら生温い、身も心も魂さえ穢す最上かつ異常な悪を成し遂げよう。

 世界よ狂え。この世全ての悪を集約し、顕現し、晒してみせよう。

 故にこそ……その目を見開きご覧あれ。

 狂宴の開始は、間もなくなれば、お見逃しのなきように。

 そして、その醜悪な舞台の顛末を是非とも魂に刻み付けたまえ……。

 

 

 

 あとがき

 こんばんは、神無月です。

 久方ぶりの間章です。メインは拓也でしたが、他にも数人大きく関わった人物もいましたね。

 さて、彼には彼なりの信念があります。もちろん常識的には歪んでいますし、異常ですが、それこそ彼の望む『悪』という道です。

 まぁそれがこの先どういった形になっていくかは、本編にて。

 あと吸血鬼となってしまった彼女の行く末もそちらで。

 誰かが吸血鬼になるのでは、というコメントはありましたが栞を考えていた人はいなかったようですが。

 で。次回の間章はシュンですね。シュンの動向もそうですが、あの後のダ・カーポの状況なんかの描写もありますのでそちらもお楽しみに。

 ではまた。

 

 

 

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