神魔戦記 第百四十ニ章
「明けぬ夜のグランギニョル(Z) 」
純一は自分の迂闊さを呪った。
ここはダ・カーポ王国とはいえいまや敵地のど真ん中だ。
惨状を見ればわかる。もうこの戦いの勝敗は明らかだ。残っているのはもう大半がウォーターサマーの者でしかない。
そういう意味では一瞬たりとも気を抜いてはいけないはずだったのに、ことりと明日美を発見した瞬間思わず安堵してしまった。
その結果が、
「見〜つけたぁ♪」
敵の接近に気付かない、という最悪の結果をもたらしてしまった。
純一からことりたちの距離は全力で走っても十秒。アイシアの高速飛行を用いても初動加速などの関係で四秒程度は掛かるだろう。
だが敵はまさしくことりたちの真後ろ。その手を振り下ろすのに秒と掛かるまい。
アイシアと美春が駆け出す。音夢が防護の力を展開しようとする。だがそのどれもが間に合わない。
このままでは、ことりと明日美も死んでしまう。
元の美春や、ななこのように。
また。
また何も出来ず、見ていることしか出来ないのか。
「――!」
否。そんなことは、もうさせない。
この状況を打破出来る材料はある。考えればすぐに導き出せる結論だ。
思考を研ぎ澄ませ。意識を集中させろ。全ては秒の交錯と、信頼と、絆にかかっている……!
「――捕縛は成立する――!」
純一は懐から取り出した自らが持ち得る唯一の武器、原初の呪具「トゥルーメアー」の呪(いを読み上げた。
反応は刹那。いかなる法則を凌駕し、『捕縛する』という結果を導くトゥルーメアーの鎖は、秒と待たずにことりと明日美を捕縛した。
「なっ!?」
この時点で、まだ小夜は手を下ろしてさえいない。
だがここまではトゥルーメアーの力を考えれば当然の結果だ。問題はここからである。
トゥルーメアーの呪(いは『捕縛は成立する』。即ち、捕縛が成立した現段階でその効力はもはや消えている。
余韻というか多少の力は残っているが、引き寄せる行為に先程のようなスピードは出ない。手元に手繰り寄せるのにおそらくはニ、三秒。
相手が並の敵であるならばそれでも十分早い。さっさと助けてとっとと逃げることが出来るだろう。だがこの敵は違う。
そう簡単にはいかないだろう。そう勘が告げている。
「音夢!」
引き寄せる。かなりのスピードでことりたちがこちらに向かってくるが、その頃には既に小夜も手を振り下ろしている。
「逃がさないわよ!」
手を球状に覆っていた闇に皹が走ると同時、一条の炎が高速で迸った。
スピードが段違いだ。このままではその炎が間違いなくことりたちを撃ち抜くだろう。
しかし、だからこそ先に告げてあった。
音夢。その頼れる妹の名を。
「花よ!」
瞬間、何処からか花弁が舞った。
数百枚にもなりそうな花弁は音夢の声に応じるようにことりたちと熱線の間に集束し、瞬時に盾を形成した。
音夢の特殊属性『植物』。
花や木などを操作する能力。それが音夢の力だ。が、
「そんなもんであたしの力が遮れると思ってるわけ?」
直進する爆炎はその花の盾をものともせずに貫いた。
「!」
音夢の表情がわずかに驚きに染まる。――だが、わずか(だ。
「守護せよ! 『ハビリオン』!」
力ある言葉が廊下に響き渡る。
刹那、音夢の背中に巨大な花が咲いた。
否、正確には花ではない。魔力で形成された巨大な花弁のようなものが五つ、まるで神族の翼のように背中に展開したのだ。
「!」
途端に跳ね上がる音夢の魔力。
それまではアイシアや美春に紛れてほとんど感じ取れなかった気配が、その二つに負けないくらいに膨れ上がった。
そして熱線の進路上に、今度は先程のように花弁が密集しているのではなく、巨大な花弁が三枚重なるようにして出現した。
激突する。
だが、今度は……貫かない。
「なっ――!?」
小夜が驚愕する。
小夜の『貫焔の夜』は貫通性に優れた技だ。これまで彼女の攻撃を真正面から受け止めきれた結界は一つしか存在しない。
それは姉である伊月の結界だ。
確かにいま全開の出力ではない。が、そんなことは関係ない。「自分の技を防がれた」、この一点が小夜は何より許せなかった。
その間に純一がことりと明日美を無事引き寄せる。たたらを踏む二人をそれぞれ両手で抱き止めながら、
「さすがは音夢だな!」
「まったく兄さんは……私が兄さんの意図を掴めなかったらどうなってたことか」
「信じてたさ」
「……もう」
照れくさそうにそっぽを向く音夢。
純一は信じていた。音夢ならどんな敵の攻撃も防いでくれるだろう、と。
朝倉音夢。元・六戦将の一人。
過去一度として傷ついた(ことのない(、ダ・カーポ最大の守り手。
彼女はさほど強くない。こと戦力だけで言うのであれば、六戦将でも下から数えた方が早いだろう。
だが、何より彼女が特筆しているのはその『防御力』にある。
音夢の特殊属性『植物』。だがそれとは別に、彼女はもう一つの能力を有していた。
精霊憑き。
そう、彼女は花の精霊憑きなのだ。
数はニ柱と少ない。……だが、彼女の場合は通常の精霊憑きとは違って数はまったく意味を成さない。
なんせ彼女に憑いている精霊は普通の精霊ではない。名持ちの『大精霊』なのである。
大精霊とはその名の通り精霊より一つ上の存在である。聖剣などに加護を宿す精霊は基本このクラスに当たる。
もちろん単体の能力も十分に高いが、大精霊はその地方の精霊のリーダーのような存在であり、周囲の精霊を使役することさえ可能なのである。
つまり大精霊に憑かれた者は『近場にいる精霊を使役することが出来る』という副次的な能力も併せ持つことになる。
そんな音夢に憑く花のニ注の大精霊の名はそれぞれ『ハビリオン』と『リューイ』。
ハビリオンは『守護』を、リューイは『成長』を司る大精霊である。
そして大精霊の力を行使するときには『同調』という作業を行い、大精霊と精神的にシンクロすることが必要になる。その証が背中に出現した五枚の花弁である。
ハビリオンと同調した音夢の結界は、かの『月の結界』とも同等の頑強さを誇る。そこらの攻撃で彼女に傷は付けられない。
……しかし、水瀬小夜という少女はそんな並(の敵ではない。
「ふぅん。良いじゃない、ここまではてんでつまらない連中ばっかだったけど、これは面白そうだ……わッ!!」
再び手をかざし、『貫焔の夜』が放たれた。
「守護せよ! 『ハビリオン』!」
無論音夢もまた大精霊の力で構築した花弁でその攻撃を防御しようとする。
花弁と熱線が再び激突する。だが今度は、
「そう何度も防がせやしないわ! あたしを甘く見るんじゃないわよ!」
「えっ!?」
抑えきれない。
貫通こそさせていないが、徐々に花弁が炎に侵食されていっている。このままでは破れるのも時間の問題だろう。
「そんな……!?」
「へぇ、あたしの全力でも貫通は出来ないなんて……さぞ防御力には自信あったでしょうね。でも――」
薄く笑い、
「それも今日までの話よ」
炎が、花を喰い散らかした。
「?!」
刹那の間に距離を詰める熱線は、しかし誰にも当たることなく廊下の一部を切り裂いた。「チッ」と小夜が舌打ちしているところを見るとわざと外したわけではないらしい。おそらくは音夢の展開した花弁の影響で射線がわずかにずれたのだろう。
「今度は外さないわ。その盾の強度もわかったことだし」
「くっ――」
音夢が構えるが、純一はそれでは駄目だという予感があった。
次はおそらく、相手の言うとおり打ち抜かれた挙句に当てられるだろう。
ズキン。眼が痛む。
その痛みを振り払うように純一は再び考える。この状況を打破するための、道を。
「――」
その思考は、おそらく秒もなかった。その十分の一さえなかったかもしれない。
まさしく一瞬。自分でさえどうしてこんなに思考が冴え渡るのかわからないままに、一つの案を導き出した。
音夢、美春、アイシア。
この三人がいれば――大抵の困難など、乗り越えられる。
「美春!」
「はい!」
考えは、その一言だけで全てが伝わった。
純一がアイシアではなく美春を呼んだのは、地形の問題が大きい。
アイシアの『多重次元魔術式』はどう考えてもこの廊下のような狭い場所で扱える代物ではない。
が、逆に破壊力はあるが命中範囲の狭い美春であればこういう廊下などの方が有利だろう。
「美春、行きます!」
美春が廊下を真っ直ぐに爆走する。無論、その先にいるのは小夜である。
「突撃? やられる前にやれってこと? でもそんな動きじゃあたしを止められないわ!」
迎撃として炎が突き奔る。しかし、
「音夢!」
号令と同時、美春の目の前に巨大な花弁が五枚出現しその熱線を受け止めた。
数秒も経てば貫かれるが、この距離、美春の足ならニ秒もあれば十分。
「ちぃ!」
小夜がもう一方の手を上げるが、それよりわずかに早く、
「グラビトンプレッシャー……ぱぁぁぁんちッ!!」
美春の左手が強烈な魔力のうねりと轟音と共に撃ち出された。
「んな!?」
腕が飛ぶ、という非現実的な光景に気を取られ攻撃のタイミングを失った小夜が慌てて『遮鏡の夜』でその拳を受け止める。しかし、
「な……!?」
弾けない。どれだけ力を込めても撃ち込まれた腕は振り払えず、むしろ結界を強引にぶち破ろうとその先端が沈み込んで来ている。
「そんな、馬鹿な!?」
水瀬の『不通』の強度は、もちろん小夜が一番よく知っている。
広く作り出すことが出来ないとはいえ、その強度は小夜とて同じ。『不通』の結界の強度を変化させられるのなど伊月くらいのものだろう。
だが、その『不通』の結界が壊されようとしている。
自分の『貫焔の夜』さえ棚に上げて、ありえない、と小夜は驚愕しながらその腕を見ていて――故に、気付くのが遅かった。
本体(たる、美春の接近を。
「しまっ――」
「グラビトンプレッシャー……」
美春の右拳ががら空きの小夜の腹にズドン!! と打ち込まれる。しかし美春はそのまま足を止めずに疾走し助走をつけ、拳に魔力を集約し、
「――ぱぁぁぁぁぁぁんちッ!!」
薙ぎ払うようにして、小夜共々拳を撃ち飛ばした。
唸りをあげる拳が小夜を巻き込みながら飛んで行く。それは突き当たりの壁を貫き、遥か前方の建物に着弾、爆音と共に突き刺さった。
建物が衝撃に耐え切れず崩れていく。自動制御で戻ってくる両腕とドッキングした美春は振り向き、親指をグッと立て、
「美春、やりました!」
「っ……、ごほっ!」
瓦礫をどけて小夜は立ち上がる。
衝撃自体は『遮鏡の夜』で相殺したが、あの拳の一撃はまともに直撃してしまった。
腹を押さえ立ちはしたが、足に力が入らずそのまま膝から崩れ落ちる。手近な瓦礫に身体を預けることで倒れることは避けたが、これではしばらくろくに動けないだろう。
「やって……くれるじゃない……!」
口の端から血を流しながら、しかし笑みを浮かべ、
「けどこれで安心できると思ったら大間違いよ……。あたしを退けても、もうこの街からは逃げられない」
既に戦況は決まりつつある。
ダ・カーポの要たる六戦将は敗れ、女王たる暦もまた倒れた。
とはいえそれを知らしめたりはしない。柾木も水瀬も戦意喪失などを望んではいないからだ。
ただ敵を狩る。それを目的として動いている彼らにとって、そんな終幕は意味を成さない。
そしてその結果、もはやダ・カーポは風前の灯である。既に王城の周囲はウォーターサマーの軍勢しかない。
小夜がいなくとも柾木の者や稲葉の者がいる。ここから生きて帰るのはまず不可能だ。
……が、小夜は決してそんな結末を望まない。
「それに、あたしもこのまま終わらせるつもりなんてないわ……!」
借りは返す。
彼女は狩人。そしてやつらは獲物。自分の獲物は――誰にも渡さない。
獰猛な笑みを浮かべて小夜は足を動かす。動きはたどたどしいにも関わらず、その瞳に爛々とした輝きを携えて。
「大丈夫か、二人とも――っと」
美春が小夜をぶっ飛ばした後、腰が砕けたかのように崩れ落ちそうになることりを慌てて受け止めた。
隣の明日美はさすが軍の人間とでも言うべきか。顔は若干青いが、それでも毅然としたまま自分の足で立っている。
「私は……大丈夫です」
「そうか。……ことり?」
明日美の頷きに一安心したのも束の間、ことりからまったく返事がないことに気付き慌ててその顔を覗き込む。
もしかしてひどい怪我でもしていたんだろうか、と心配しつつ見てみれば、
「あ……」
泣いていた。無言で、ただただ純一の服の袖を握り締めながら。
それは助かったという実感、純一に会えたという安堵と歓喜――ではない(。
それはどこまでも悲痛な、声なき慟哭だった。
「……きっと、気付いたんでしょう」
そっと、どこか躊躇しながらも明日美が口を開く。
「どういうことだ?」
「……気配が消えました。いま私の魔眼で確認もしましたが、間違いありません」
視線を落とし、
「暦女王が、亡くなられました」
「「「――!?」」」
ギュッと、握られる手に力が込められる。
そんなことりの肩を抱くことしか、いまの純一には出来ることはなかった。
「そんな……他の六戦将はどうしたんですか!?」
音夢が明日美に詰め寄る。
……だが理解力の高い純一は、聞かずとも既にその結果は予想できた。
城を守るはずの六戦将がいながらここまで攻められたという事実。それはつまりななこのように――、
「……全滅しました。四人は死亡、一人は捕縛され、一人は逃走」
音夢と美春が息を呑む。アイシアもまた沈痛な面持ちで視線を外した。
「――くそ」
ななこの死体を目の当たりにしたときに感じた絶望感や怒りが、再び込み上げてくる。
わかってる。
これは戦争だ。いつどこで誰が死んでもおかしくはないんだろう。そして自分が全員を救えるような万能な人間もでないことも重々理解している。
自分は英雄ではない。アイシアのような存在にはなれはしない。
友さえ守れず、ただその残酷すぎる現実を受け止めることしか出来ない。
……でも。だからこそ、思う。
せめて間に合ったこの腕の中にある子だけは、意地でも守り通して見せようと。
何人もを救えないのならせめて……せめて抱えられる程度の者だけは守り通してやろう。
自分は非力で、矮小で、ちっぽけで、自らに降りかかる火の粉さえろくに払えない半端者だが、
――目の届く範囲だけは全部を守り抜く。身に余る考えだとしても、それだけは絶対に譲らねぇ!
力のない者が他者を助けるのはいけないことか?
否。
自分の身さえろくに守れない者が他者を守ろうとするのは悪いことか?
否。
馬鹿だ、と言われれば馬鹿だろう。批難されれば、それを否定はしない。
だが……許されざる行為とは言わせない。
「あぁ、くそ」
思えば、ホントに馬鹿な考えだと思う。
――これじゃあまるで、怒りを覚えた目の前の英雄様の動きと大差ないじゃないか。
『聖杯戦争に呼ばれるサーヴァントって、召喚するときに聖遺物を使わない場合は召喚した魔術師にどこか似ているサーヴァントになるんだって』
いつか、さくらがそんなことを言っていた気がする。
つまりはそういうことなんだろうか。純一とアイシアは似ている。考え方。その末の行動。程度の差こそあれ、二人は確かに似ていなくもない。
なら怒りを覚えたのは――同類嫌悪、というものだろうか。
いや、いまはそんなことはどうでもいい。アイシアのことはまた追々彼女とじっくり話し合おう。
そうするためにも、いまはまず何よりすべきことがある。
「え……?」
ことりを片手で立たせつつ、自らもまたしっかりと立ち上がる。
その動きに自然と皆の視線が集まった。それらを等分に見渡し、純一ははっきりと言い放った。
「逃げるぞ。生き抜くために」
死んだ者たちを痛み、慈しみ、共に死ぬなんて愚かなことだ。
大事な人たちが死んだ。だからこそ(、生きなくてはならない。
だから、沈黙の中もう一度、告げる。
「俺たちは、生きるんだ」
一拍の後、皆が同時に頷いた。
誰にも気付かれない中で、空間に亀裂が走った。
「一番敵の兵力が薄いのは西門の方角です」
気配探査を行ったのは音夢だ。大精霊の力を借りて近場にいる花の精霊を一時的に使役すれば、こういったことも出来る。
「……確かに敵の数は少ないですね。城門周辺はさすがに多いですけど、これなら私たちでもどうにか切り抜けられそうです」
今度は『千里の魔眼』を使用し実際にその場を『視た』明日美が頷く。
大規模だが大雑把な探知しか出来ない音夢。視認するので正確だが範囲が狭い明日美。この二人が力を合わせれば状況把握は完璧だ。
「とすれば、やっぱり西側を突破するしか手立てはない、か」
純一たちは知らないことだが、西側は風子が一人で侵攻したエリアだ。だからウォーターサマーの兵もほとんどいない。
そもそもとして、純一たちがほとんど戦闘もなく城に入ってこれたのも同じ原因だ。
だが時間が経てばそれも変わる。城下の兵はほとんどやられ、残るは城を落とすのみという状況。ここまで来れば包囲するのも当然の行動だ。
「裏通路がばれている危険性がある以上、むしろ狭いあの道を通るのは危険だ。ここは一点突破をはかった方がリスクは少ない」
純一の提案に明日美も頷く。
聞けば秘密の通路は二人も並べないほどの狭さらしい。そんなところで敵と遭遇したら、正直かなりきつい。
だったら広い空間で絶大な力を持つアイシアの力を頼りに、堂々と突き進んだ方がまだ成功率は良いだろう。
「そうですね。時間が経てば経つほど包囲は広がっていくでしょうし、戦力比も均等していく。西が手薄ないまのうちに行きましょう」
純一と明日美はすぐさま現状を整理し、これからの行動を結論付けた。
そんな二人を音夢やアイシアがやや驚いた顔で見ている。いや、正確には見ているのは純一の方だろう。
純一が実は案外頭の回転が早く、理解力が高いことを音夢は知っている。だがまさかダ・カーポの軍師たる明日美と同じレベルで会話が出来るとまでは思っていなかった。
先程の戦闘でもそう。純一は一瞬一瞬で最も適切な指示を皆に出していた。
「……兄さん」
この土壇場で、純一の何かが覚醒しようとしている。
いや、あるいは元々そういう要素があったのにかったるいとか言って見せる場面がなかったのか。
ともかく、ことここに至り皆が純一の提案に口を挟まなかった。誰もが彼を信頼していて、そして正しいとわかっているからだろうか。
「よし、行こう」
移動を開始する。
先頭を美春、最後尾をアイシア、まだ震えて上手く動けないことりを支える純一を真ん中にして六人は城の外へと向かう。
既に城の中の戦力は、ほぼ外の防衛に回されていたようでダ・カーポの兵士にさえ遭遇しない。それが幸運なのかどうなのかはわからないが。
「そろそろ城門だな。外の様子は?」
「……さすがに、ゼロってわけにはいきませんね」
「うん。おそらく百……いえ、二百くらいの敵はいる。それでも他の箇所よりは少ないけど」
明日美、続いて音夢が言う。純一は頷き、
「その中にやばい相手はいるか?」
「とりあえず見当たりません。六戦将を倒した面々は全部別方向のようですね」
ならどうにかなるだろう、と思う。
なんせこっちにはサーヴァント、キャスターたるアイシアがいるのだ。雑兵なら百や二百、アイシアの敵ではあるまい。
……だが――やはりこれも勘だが――そう容易に物事が進むとは思えない。
「くそ、またか……」
眼球が、鈍く痛む。
疼いているのは魔眼……なのだろうか。その痛みは夢を見た後のものと似ているようで、わずかに違う。
あれは数十分の間痛みが走るもののそれ以降は何もない。だがさっきから感じている痛みは数分おきという遅い周期で、しかもまだ続いている。
――何かが魔眼に起きている……? それとも何かに反応しているのか?
さっきから時々感じる『確信のある予感』。それと何かが関係しているのだろうか。
「朝倉さん?」
考え事をしていたせいでスピードが落ちたらしい。後ろを走っていた明日美が怪訝な顔でこっちを見ていた。
なんでもない、と走ることに専念する。
そう、いまは余計な思考は斬り捨てよう。この直感も、使えるのなら利用するくらいの気持ちでいれば良いだけの話だ。
「出口に出ますよ……!」
先頭の美春の言葉に、皆が一様に気を引き締めた。
そして敵が大勢いるであろう外へ踏み出し、各々すぐに臨戦態勢を取る。
案の定、周囲を敵が覆っていた。
どうやらことりを取り逃がした報は既に回っているらしい。ウォーターサマーの者たちの視線は、その大半がことりへと注がれていた。
「あ、朝倉くん」
「大丈夫だ」
そのことりを背中にやり、純一は『トゥルーメアー』を構える。
合図と同時に、皆で正面突破する。そのタイミングをはかっていた――まさにその瞬間だった。
突如虚空に線が奔り、まるで口が開くかのように空間が割かれ、何かが二つ落っこちたのは。
「――」
敵の特殊な攻撃方法か、と身を強張らせた純一一行だったが、落っこちてきた二つの影は地面に落ちると同時に「ぐぇ」と変な呻き声をあげた。
しかもよくよく周囲を見渡せば、ウォーターサマーの軍勢も似たような体勢や表情でそれを見つめている。
――ウォーターサマーの攻撃や召喚獣……ってわけじゃない……のか?
様子を見れば無関係のようだが、なら第三勢力なのだろうか?
しかしまだ安心は出来ない。周囲を取り巻くウォーターサマーの兵士たち共々構えは崩さず様子を見る。
「あー、痛いぜ。腰を打っちまった」
「……あなたに上から落ちてこられた私の被害は更に尋常じゃないんだけど」
……聞こえてきた影の第一声は、そんな会話だった。
「っていうかここどこだ? つーかなんで私たち二人しかいないんだ、うどんげ?」
「その名前で私を呼ぶなっ! っていうか私に聞かないでよ。……でもまぁ、状況はあんまりよろしくないみたいだけど」
立ち上がった影は、二人の少女だった。
一人は黒いドレスのような服装の少女。大きな三角帽を被り竹箒を肩にかけ、金髪を靡かせながらスカートの汚れを叩いている。
もう一人は頭から兎の耳を生やした長髪の少女。こちらはあまり見かけないような独特な服装をしている。
「……なんだ?」
純一は思わず眉を顰めた。
この二人……未だかつて感じたことのない妙な気配をしている。……自分たちに似ているが、何かが根本的に違うような、そんな違和感。
「――構わん」
不意に、包囲していたウォーターサマーの兵のうちの誰かが、そんなことを言った。
「新手の敵か術かと思ったが、関係ない。我らは全てを根絶やしにするためにここにいる。今更数人増えたところで臆することもない」
「……!」
雰囲気が一変する。少女たちの登場によって硬直していた状況が、徐々に崩れていく。
「そうだ、俺たちが」
「私たちが」
「我らがすべきことは――ただ一つ」
渦巻き、爆発するその重圧は、
「「「「「「殺せッ!!!」」」」」」
純然たる、殺意……!
「まずい! おいそこのお前たち、逃げろっ!」
「ん?」
黒帽子の少女が暢気に純一の声に反応しこっちを向いた。……ウォーターサマーの軍勢に背を見せる形で。
「んの……馬鹿!」
純一が呪具『トゥルーメアー』を慌てて取り出すが、
「魔理沙」
「わかってるって。とりあえず敵とそうじゃなさそうなのの区別はついた」
中央の二人は表情を変えるでもなく、詰め寄る軍勢に視線を向けた――瞬間、
ドガガガガガァ!! と、その軍勢が全員吹っ飛ばされた。
「なっ……!?」
その声はウォーターサマーか純一たちか。
ともかくわかったことは、中央に立つ二人の少女が呪文詠唱すらなしで下〜中級魔術並の攻撃を周囲に連射したということだ。
しかも数が尋常ではない。少なくとも周囲には百人近い敵がいたのだ。それを二人でとはいえ全員吹っ飛ばすだけの数とは……。
「到着早々面倒ごとに巻き込まれるとは、ついてないぜ」
腕を掲げた黒帽子が不敵に微笑み、
「むしろあなたが動いて面倒ごとにならなかったためしってあるの?」
兎耳の少女がいつの間にか取り出した銃を下ろして嘆息する。
……強い。
この二人、かなりの実力者だ。
「おーい、そこの連中」
黒帽子の少女がこっちを見て手を振った。純一たちはその戦闘力と態度のギャップに思わず互いを見やる。
「俺たち……か?」
「あぁ。あんたたちはどうやら私たちを攻撃するようなことはしないらしい。そうだろ?」
「まぁそうだが……あんたたちは何なんだ?」
あぁそうか、と意味のわからない頷きをすると黒帽子の少女は何故かピースサインを見せ、
「私は霧雨魔理沙だ。よろしく頼むぜ。で、こっちはうどんげ」
「その名前で呼んで良いのは師匠か姫様だけよ。……私は鈴仙・優曇華院・イナバ。鈴仙と呼んで」
「うどんげで良いじゃねーか。そっちの方が愛嬌あるぜ?」
「愛嬌とかいらないから。もう、つくづくあなたの波長は気に食わない」
「そうやって人を波長で判断するのお前の悪いくせだぜ」
「あ、あー、こほん」
このままでは延々とよくわからない会話が続きそうなので、あからさまな咳一つ。ようやくこっちの存在を思い出した二人にもう一度問いかける。
「名前はわかった。それで、あんたたちはこんなところで何をしてるんだ。ここはいま戦場だぞ?」
「まぁこっち(に来た目的はあるんだが、ここ(に来たのは偶然だぜ」
「……?」
何を言っているのかさっぱりわからない。が、文脈から考えて魔理沙と名乗る少女の言う『こっち』と『ここ』は別の場所を指しているのだろう。
それがどういうことかを聞こうとして、しかし音夢の緊迫した声に止められた。
「兄さん、こんなことしてる場合じゃない。敵がどんどんこっち側に向かってきてる……!」
「なに!?」
いまの騒ぎを報告でもされたのか。
ともかく、言う通りこんなところで立ち止まっているわけにもいかなくなった。
運の良いことに西に展開していた敵はこの二人によって無力化されているので、逃げるにはいましかない。
「行こう!」
純一の言葉に皆が頷き、再び走り出す。
「すぐに敵の新手が来る! あんたたちもすぐにどこかへ逃げた方が良い」
「新手?」
鈴仙が眼を細め、
「それって彼女のこと?」
「――ッ!?」
瞬間、眼にこれまでにない痛みが走った。
弾かれるようにして振り返り、鈴仙の視線の先――王城の上を見る。
そこに、少女が立っていた。
知らない少女。だが純一だけは知っている。その少女の名は、
「伊吹……風子!?」
眼下に見える複数の人間。そのうちの一人が白河ことりであることも知ってはいたし、突然湧き出てきたあの二人の妙な気配も気になるが、
「あの人……」
風子はただ一人だけを見ていた。
白河ことりを抱え、こちらを見るその青年の姿を。
何故だろう。風子にとっては取るに足らないほど惰弱な、ちょっと遊べばすぐに消えてしまいそうな存在なのに……妙に、苛立つ。
まるで――心の中を(覗かれた(ような、嫌な感覚が胸の中にあるのだ。
「ぷち最悪です」
それは珍しいことだった。
特に何の感情も他者に持たぬ風子が、誰かに向かって苛立ちを覚えている。
その異常性を、しかし当の本人はまったく気付いていない。
「よくわかりませんが……」
彼女の周囲に何かが生まれる。それは多彩な輝きを持つ、星型の何かだった。
赤の物がある。青の物がある。黄や緑、茶や灰、桃色なんかの星型もあった。
そう、それは……風子が大事に抱えている木彫りの物と同じ形。
「殺しましょう」
告げた瞬間、それらが一斉に高速で発射された。
その数――百。
「!?」
高速で何かが飛来してくるのを純一は肌で感じ取った。
だが同時に直感する。
――これは防ぎようがない!
「えーい!!」
アイシアの『多重次元魔術式』により周囲一帯に五十近い魔法陣が展開し、それらが一斉に結界を展開する。
その下で音夢の『ハビリオン』により創られた十枚の花弁が純一たちを守るように真上に咲いたが、
そんなものひたすら無視するように、飛来したそれらは容易く結界をぶち抜いた
「――!!」
アイシアの結界はおろか、音夢の『ハビリオン』さえ一秒も持たない。あの小夜の全力でさえ数秒は凌げたというのに、だ。
その瞬間、純一たちは死を覚悟した。が、
「ボーっとしてると舌噛むぜ!」
「なっ!?」
突如横合いから飛び出してきた魔理沙、鈴仙の二人に抱えられ、その攻撃の雨をからくも回避する。
目標を失った飛来物の大半は制動をかけられずに地面に着弾し、それこそ絨毯爆撃のように大地を抉り飛ばした。
巻き上がった砂利が凍結したり破砕したり炎上するあたり、飛来している物体はそれぞれ別の能力を有しているらしい。
「間違った! 喋ってると舌噛むぜ!」
いま気付いたが、魔理沙はさっきまで持っていた箒に跨り、間違いなく飛行していた。
しかもそのスピードは、アイシアのそれより幾分も速い。
どういう理屈による魔術か、純一はまるでわからない。見たことのない魔術だし、おそらくはオリジナルなのだろうが。
「まだ残ってるか」
魔理沙が後ろを見て舌打ちする。飛来物のうちの、地面に着弾する前にコースを変更したいくつかが急激に進路を変更し追いかけてきている。
「誘導タイプ……!? いや、操作型か!?」
「速度上げるぜ!」
「ちょ――」
更に加速する。それは魔力で身体を保護しているにもかかわらず、息苦しくなるほどの速度。
右手にことりを抱える純一、左手に音夢と三人もの人間を引っ張っているのにこの速度は尋常ではない。
だがそれでも星型の物体の方が速かった。それらは魔理沙を囲みこむように周囲へ展開すると、一旦停止し、一気に全方位から向かってくる。
「来るぞ!」
「わかってるって! ――突っ込むぞ!」
なっ、と驚く間もない。魔理沙たちはダ・カーポ王城の窓に突っ込みガラスを破砕しながら廊下に躍り出た。
あれだけの加速なら間違いなく廊下の壁に激突しそうなものだが、どういう慣性をしているのか急旋回し速度を落とすことなく廊下を真っ直ぐ突き進む。
王城の壁に激突したのだろう。外側から爆音が響き渡るが、やはり数十個は健在で魔理沙を追うように廊下に流れ込む。
「あの子の視界じゃなくても追いかけてくる……自動追尾型か!」
純一の言うとおり、星型の飛行物はまるで自らの意思があるかのようにひたすら魔理沙を追いかけてくる。
「おい、狭いと危険じゃないか!?」
「まー任せとけって! まさかこっちに来てまでこんなことになるとは思わなかったけど……弾幕かわしは十八番だぜ!」
飛来する星型の物体を、しかし魔理沙は後ろを見るでなくことごとく回避していく。純一たちにさえかすらせもしない。
どういう視界や動体視力、把握能力を持っていればこんな芸当が出来るのか。純一はただただ感心を通り過ぎて呆れるばかりだ。
再び廊下の角を鋭角に曲がる。星型のいくつかが制動が間に合わず壁に激突するが、それでもまだ残っている数の方が多い。
「こうなったら撃ち落してみるか。盛大に!」
言うや否や、なんと魔理沙は箒の上で立ち上がった。
「箒を掴んでろ。絶対離すんじゃないぜ? 離したらお陀仏だ」
「ちょ、おい!」
純一を掴んでいた手をパッと離す。慌てて純一が箒を掴み落下は免れたが、少しでも遅ければ高速の中廊下に叩き付けられていただろう。
生きて戻れたら絶対に文句を言ってやる、と心に決めた純一の目の前で魔理沙はこともあろうに身体ごと後方を見やった。
「さて、行くぜ!」
ピッ、と取り出したのは小さな札のようなもの。言動からそれが魔理沙の奥の手に近い何かであろうことは察することが出来るのだが、
「……あれ?」
……しかし、いつまで経っても何も起こらない。
「……おい、どうした」
「いや、なんでか知らないけど……スペルカードが使えねぇ」
スペルカード、という名に聞き覚えはないが、それが魔理沙がいま使おうとした奥の手である、ということは理解できた。
……理解したくはなかったが。
「どうすんだ」
「三十六計逃げるに 如かず、って言葉に従うぜ!」
「まぁそうなるよな……!」
再び逃亡劇が開始する。魔理沙が再度箒に跨り、廊下を横断。そしてまた窓を突き破って表に出て、
「あれを使おう」
展望台の間を潜った。純一のすぐ真横を壁が過ぎ去っていく。かすったのか、純一の腕にわずかに傷が出来た。
だがそれほどまでに狭い場所。星型の何かはかわしきれず、残りの全てがそこに激突し四散した。
「よし、これで終わったぜ!」
先程の場所に戻り、着地する。そこにはこちらもしっかりと回避しきったらしい鈴仙や美春、アイシアに明日美の姿もあった。
生還した純一たちに美春が視線を向ける。
「マスターたちが無事で何よりです! ……って言いたいところですけど……」
「ちょっとまずいことになってるよ」
美春、そしてアイシアが苦々しい表情で呟く。
純一たちは一瞬なんのことか気付かなかったが……すぐにその理由を知ることになる。
……囲まれていた。
さっきの比ではない。おそらくダ・カーポにやって来たウォーターサマーの軍勢、その大半がここに集結している。
水瀬小夜がいた。水瀬秋子がいた。
稲葉宏がいる。稲葉水夏がいる。
柾木良和もいた。伊吹公子もいた。
そして王城の上には伊吹風子がいる。
「六戦将を倒した全員が……ここに集結しています……」
歯の根が合わないんだろう、明日美の口からガチガチと音が漏れてくる。
だが、無理もない。どの連中が六戦将を倒した者かは、気配でわかる。
異常だ。風子ほどではないが、どいつもこいつもとんでもない密度の気配を内包している。
「あー、よくわかんないんだが……これは結局どういう状況なんだ?」
「まぁ、一言で表すなら――」
魔理沙の問いに純一は垂れてくる汗を拭いながら、告げた。
「最悪、ってやつだ」
あとがき
また長くなりました。そして結局終わりませんでした。
ってなわけで、どうも神無月です。
やっぱ一話で終わりませんでしたねぇ〜。中途半端に長いのが一話で終わらせようと頑張った残り香と考えてくださいw
今回はいろいろなことがありましたね。
純一たちとことりたちとの合流、小夜との激突、音夢の能力お披露目、魔理沙&うどんげの東方組正式参戦などなど……。
そんなに書き込むから長くなるんだよ、と自分で自分に突っ込みます(ぁ
それはともかく、実はバランスの整っている純一パーティー。
純一は司令塔にして捕縛係り、音夢が防御に単一補助、ことりが全体補助、明日美が副指令兼攻守スイッチ型、で美春が近距離打撃戦闘でアイシアが遠距離魔術戦闘。
えぇ、意外に穴がないんですよこれがw
ここに魔理沙やうどんげが加われば、多分大抵の相手には勝てるんじゃないでしょうか。
……まぁ敵の面子がはたしてそれに分類されるかどうかは激しく疑問ですが。
さて、次回は間違いありません。サーカス編のラストです!
純一たちの運命やいかに。その結果は次回をお楽しみにw
生死を分かつ、三十秒間です。