神魔戦記 第百四十一章

                    「明けぬ夜のグランギニョル(Y)

 

 

 

 

 

 これは夢だ。しかもとびきり最悪の、悪夢。

 そうじゃなければこんなことありえない。あってたまるものか。

 目が覚めればまたいつもの日常がやって来る。朝食を取って、見回りの任務に出て、訓練をして、友人たちと話し、笑い合い……その繰り返し。

 時にはアクシデントもあるだろうけれど、比較的平和なそんな日々が続くんだ……。

「どうしたんです?」

「!?」

 その声と痛みに現実に引き戻された。

 建物を挟んだ向こうから、少女の声と足音が聞こえてくる。

「鬼ごっこはもうおしまいですか? 風子、出来る限り力は抑えているのでもう少し遊んで欲しいんですけど」

「っ……!」

 喉まで込み上げてきた悲鳴を必死に押しとどめる。

 どうしてこんなことになっているのだろう。彼女……六戦将の一人、彩珠ななこは真剣に考える。

 ななこには戦えるだけの力があった。しかし、それだけだ。彼女自身は戦いを好まず、ましてや人を殺す仕事などしたくはなかった。

 友人たちと日々を暮らし、趣味である絵を描いたりしていればそれだけで満足だったのだ。

 そう。ただ並以上に戦える力を持っていただけ。ただ友人の多くが自分と同じように力を持ち、軍に入った者が多かっただけ。

 ななこは何の覚悟もなく、それらの要因だけで軍に入隊した。

 怖くはあったが、暦が女王になってからこれといった戦いもなく、なんとなしにこのまま平和が続くだろう、なんて楽観視していた。

 それがどうだ?

 見渡す限りの焼け野原。

 声を掛けてくれる気さくな門番たちは跡形もなく消し炭にされ。

 門の近くにあった常連の果物屋は薙ぎ倒され。

 挨拶を返してくれる民の死体がそこら中に転がっている。

 そして自分は傷だらけで、左腕は肘から先がない。右足は火傷が酷く、走ることさえままならない。

 日常など、ここには欠片も残っていなかった。

 あるのは、そう。ただただ残酷な現実と……最悪の化け物だけ。

「……あは、は。どうして? なんでこんなことになっちゃったの……?」

 痛みはもう半ば麻痺している。意識が少し朦朧として虚ろになっているのは多分血が流れすぎたせいだろう。

 確信がある。

 自分はここで間違いなく死ぬ。

 しかもこのまま失血死……だなんて綺麗な死に方ではない。きっともっと無残な、酷い殺され方をする。あの少女に。

「……うっ、くぅ……!」

 涙が止まらない。

 容易く壊れた日常。儚く遠い光景。押し付けるように直面された死。恐怖。絶望。

 力があろうとなかろうと関係ない。ななこは『現在』を生きる少女なのだ。怖くないわけがない。

「鬼ごっこの次はかくれんぼですか? ……まぁ風子はどちらでも良いんですけど」

「!?」

 ななこは風子の動きを察知してその場を飛び退いた。

 すると次の瞬間、ななこが隠れていた建物に衝撃波が迸り、一瞬で粉々になる。

 ななこには透視能力がある。建物を背にしても風子の動きは逐一見えている。

 ……だがこの程度の能力で差が埋まるアドバンテージではなかった。

「そこでしたか」

 いま風子はななこの場所を特定して攻撃したわけじゃない。

 周囲にあった瓦礫や半壊した建物など……邪魔な障害物全てを根こそぎ吹っ飛ばしただけなのだ。

「……ヒッ!」

 風子の視線がななこを捉えた。

 ゆっくりと方向転換し、こちらに身体を向けてくる。

 風子が本気なら、この瞬間既にななこは死んでいるだろう。

 だが彼女は言っている。これは遊びだ、と。

 だから風子は何もしない。この状況でななこが何をしようとするか、それを楽しんでいるのだ。

「……ふ、ふふ……あはは、あはははははははっ!!」

 不意に、笑いが込み上げた。

 可笑しい。可笑しすぎる。

 遊び? これが遊び? こちらはいまにも死にそうで歯が噛み合わないほど震えているというのに。向こうはただの遊びだと言う。

「――ふざけないで」

 こんなことになったのはこいつのせいだ。

 こんなことになってしまったのはこいつらが攻めてきたからだ。

 ……心のタガが外れる。

 恐怖や絶望が一周して今度は怒りへ変わり、憎悪が膨れ上がる。

「ふざけないでよぉぉぉぉぉぉ!!」

 血を失いすぎたか。あるいは気でも振れたか。

 ななこは剣を片手にただがむしゃらに風子に突っ込んでいく。

 わかっているのに。このまま真っ直ぐ突っ込んだところでどうにもならないことくらい。

 万全の状態であっても自殺行為だ。これだけの傷を負い、動きが鈍くなったこの状態で、どうにかなろうはずがない。

「かくれんぼも終わりですか? 風子、少し残念です」

 そのとき、風子から何かが高速でななこに突き奔った。

 その数は三。ななこはそれらを剣で受け止めようとするが、無駄だ。

 一つ目で剣の刃が爆砕された。二つ目で剣を持つ右手が斬られた。三つ目で脇腹が抉られ、血が撒き散らされる。

「ぐぅ……あぁぁぁ!!」

 それでもななこは直進をやめない。集約しておいた風の魔力が暴走気味に膨れ上がり、コントロールを失いつつも風子へと襲い掛かる。

 だが、やはり高速で飛来した何かがその風を遮断する。風子にはそよ風さえ届かない。

 合間にもその何かは高速で動き回りななこの髪を焼き切り、左足を溶かし、腹を切り刻み、肩を燃やした。

「ひぐぅ!?」

 もう、痛みなんて感じない。脳の許容範囲内を軽くオーバーしているはずだ。

 両脚さえ失い倒れこんだななこは、それでもなお這いずって風子に挑もうとする。

「わ、たし……だって……」

 涙を流し、血を流し、生気が消えかけた瞳でありながら、必死に……その憎悪を叩きつけるために。

「わ、わたしだって……、わたしだってぇぇぇ!!」

 吼え、ななこの身体から魔力が吹き荒れる。自爆も覚悟の魔力暴走。せめて一撃でもこの怒りをぶつけなければ死んでも死に切れない。

 なのに、

「……風子、飽きてしまいました。そろそろ遊びは止めて先に進もうと思います」

 無情なる宣告と同時、降り注いだ何かがななこの身体を串刺しにした。

「が、あ……!」

 首に刺さったせいで、断末魔さえ上げられない。

 そうして何も残せぬままに……彩珠ななこは死亡した。

 

 それは……純一たちが到達する十分も前のこと。

 

 

 

「もう少し速くならないのか!?」

「無茶言わないでよ純一〜!」

 ダ・カーポの夜空を一筋の光が高速で駆けていく。

 それはアイシアと、彼女に抱えられた純一だ。

 アイシアが使っているのは飛行魔術だろう。だが従来の風の魔術にしては尋常な速さではない。

 それは風の飛行魔術に火属性による噴射を加えることによる超高速飛行。自分のオリジナル魔術だと彼女は言った。

 ……だがこの魔術を使ったとしても王都ダ・カーポに到着するのにニ十分は掛かる。

 いやそれだけの時間で移動できることさえ異常なのだが、純一はそれでも焦っていた。

 とてつもなく嫌な予感がする。もっと急がないと全てが手遅れになるような……そんな不安がどうしても拭えない。

「あ、アイシアちゃん速過ぎですー!」

 そんな純一たちの下、地上を高速で移動しているのが魔導人形の美春と、純一と同じように抱えられた音夢である。

 美春は純粋に魔導人形としての能力で地面を滑走していた。それでも十分に速いが、さすがにアイシアには遅れを取っている。

 だが純一もアイシアも止まることも速度を落とすこともしない。

 早く。一秒でも早く辿り着き、一人でも多くの者を守り、あるいは救う。……二人とも、いまは望むべきことが同じ故に。

「――見えた!」

 そしてついに王都ダ・カーポが見えてきた。だが、

「っ……!」

 空が、赤く燃えている。

 燃え盛る炎に照らされてのことだろう。まだ距離はあるというのに、爆音や破砕音がここまで聞こえてくる。

 間違いない。あそこでは現在進行形で大きな戦いが繰り広げられている。

「……アイシア」

「うん。降りるよ、純一」

 見えてくれば、もう到着までには一分と掛からなかった。

「――」

 絶句した。

 それは既に門と呼ぶべきものではなかった。

 破壊の限りを尽くされ、跡形もない。一体どれほどの規模の敵がやって来ればこんな惨状を導けるのか……これまで大きな戦いに縁のなかった純一には想像もできない。

 が、なんとなく……本当に直感だが、純一はこの惨状が複数人によるものではないような気がしていた。

 何故かはわからない。なんでそう思うのか自分でさえ理解できない。普通に考えればこれだけの破壊を単独でもたらす者などそうはいまい。

 だが、決していないわけではない。それこそ隣にいるアイシアのようなサーヴァントや、以前戦ったあの魔族。それに、

「――夢で見た、あの女の子なら……」

 ……ズキン、と眼球が痛む。

「どうしたの、純一……?」

 心配そうなアイシアの声。この惨状を目の当たりにして言葉も出ないのだろう、と解釈しての言葉だったがそれを悟るほど純一に余裕はなかった。

 一回だけ眼を押さえ、痛みが引いたのを確認して首を横に振った。

「いや、なんでもない」

「マスター!」

 そしてようやく美春と音夢も到着する。

「行くぞ」

 その二人に頷きを見せ、そして四人は走り出す。

「……ひどい」

 改めて音夢が呟く。おそらく意識して喋ったわけではないだろう。それだけここの破壊の跡は凄まじい。

 と、

「――ッ!?」

 不意に音夢が絶句し、立ち止まった。

「音夢……?」

 妹の不審な行動に純一もまた足を止め振り返り、固まった音夢の視線を追っていって、

「!」

 理解した。同時に、純一もまた言葉を失った。

 視界に映ったのは……死体。

 壮絶な戦いを繰り広げたのだろう。目は見開かれたまま、四肢さえろくに残っていないという無残な姿で血の海に沈んでいるその者の名は……、

「……なな、こ」

 彩珠ななこ。叶や眞子同様、純一や音夢の友人でもあった新しい六戦将の一人である。

「――ッ!」

 遅かったという絶望。間に合わなかったという悔しさ。そして激しい怒りに苛まれ、純一は無意識に血が出るほど拳を握り締めていた。

「純一」

 だがその拳をそっとアイシアが握った。

 驚き彼女を見やる。彼女の表情には憐憫も同情もなかった。あるのは、そう。明確な意志を抱く者の顔。

 アイシアは英雄だ。このような惨状を、何度も何度も目にしてきたことだろう。それは純一も夢を見て知っている。

 だが、その表情は決して『慣れ』によるものではない。

 精神が繋がっているからこそ、理解する。アイシアもまた、心のずっと奥底では純一と似たような感情を抱いていることを。

 しかしそれを表に出しはしない。アイシアはまだ救えるだろう者のこと、守れるであろう者のことを考え、そしてそこに意識を向けている。

 ……夢の中でもそうだった。

 アイシアは火災を起こした者たちを撃退するまで、ただの一言も感情を吐露しなかった。

 ただがむしゃらに火の中を歩き、必死に生存者を探し出していたのは……全てが終わってからだった。

 想いは全て、終わってから。きっとそれがアイシアの生きる道で、そして戦い方なのだろう。

 死んでしまった人は救えない。けれどまだ生きている者ならば救い出せるから。

 それは死人を想わない、というわけではない。ただ純粋に『一人でも多くの者を救いたい』というアイシアの志そのものだった。

「……」

 純一が頷く。それを見てアイシアがそっと手を離し、純一はゆっくりとななこの屍へと近付いていった。

 屈み込み、割れて歪んだ眼鏡をそっと外し……開かれたままの瞼をそっと閉じた。

「頑張ったな、ななこ」

 眼鏡をその横にそっと添え、

「後は俺たちに任せてくれ」

 立ち上がる。

 渦巻く感情が、ある。アイシアのように上手くコントロールは出来ないが、やること、やれることが明確ならいまはそれを行うだけだ。

 ここに涙を流しに来たわけではない。

 ここに――誰かを救いに来たのだから。

「……行こう」

 

 

 

 ダ・カーポ王城の作戦室。

 連絡水晶を用いて各方面の部隊と連絡を取り合い指揮をするこの部屋で、多くの者たちが忙しなく動き回っている。

 現在、女王である暦や、王女であることり、その他王家に連なる者も皆ここに集まっていた。王城の中ではここが一番安全だからだ。

「戦況は! 戦況はどうなっている!?」

 王家の一人が声を荒げながら机を叩いた。

 先程から飛び交う指示や情報は、傍からでも朗報には聞こえまい。だがそうとわかっていても聞きたくなるのが人というものか。

 だが、それに答えねばならないであろう軍師たる霧羽明日美はただ唇を噛み締め俯くことしか出来なかった。

「どうした、明日美……?」

 明日美の様子がおかしいことに気付き、暦が声を掛ける。

 さっきまでは軍師として各方面に矢継ぎ早に指示を出していたのに、その動きがここに来て止まった。

 明日美は千里の魔眼を持っている。

 これは魔眼としては最下級クラスのものだが、一定範囲内であればどのような距離でも、どのような角度からでも視認出来るというものだ。

 常に戦況や情報を把握しなければならない軍師として、これほど有用な能力はあるまい。だからこそ明日美はダ・カーポの軍師としてここにいる。

 だが……だからこそ、彼女の沈黙は最悪のケースを考えさせられる。

 ……なんせ彼女には現在の戦いの様子が見えているのだから。

「……この戦いは、負けます」

 ぽつりと囁かれた一言が、作戦室を静まらせた。

「な……なにを言っている! 我が軍が総力を上げているんだぞ!? そう簡単に――」

「無理ですッ!」

 たまらず一人の王家の人間が声立ち上がるが、それを遮るように明日美の悲痛な声が響き渡った。

「だって六戦将が全員負けたんですよ!?」

「そ、そんな――」

「彩珠さんと工藤さん、胡ノ宮さんに……お姉ちゃんは戦死! 月城さんは捕まって! 水越さんは逃亡!」

 それは絶望を呼ぶ台詞。

 ダ・カーポの最大戦力である六戦将が皆やられた。……そうなれば、もはや辿る結末は――、一つしかない。

「……残りのこちらの兵力は?」

 だがそれでも表情を崩さぬ者が一人いた。

 女王、白河暦である。

 その威厳ある言葉にわずかばかり当てられたか。明日美はこぼれ落ちる涙を拭い、感情を押し殺して事実を告げる。

「……既に三割を切っています。当初数ではこちらが上回っていてなおこの状況ですから、あとは加速度的に駆逐されていくでしょう」

「都民の避難は?」

「間に合いません。というより、シェルターごと破壊されている場所もあります。……ウォーターサマーは兵士に限らずこちらを皆殺しにする気です」

「……投降したとして、それで終わると思うか?」

「女王!?」

 王家の者たちが驚愕の眼差しで暦を見る。

 だが明日美だけは目を伏せ、淡々と告げる。

「まずないでしょう。戦いの始まった経緯やこれまでの行動を考えて、あちらが対話を望むはずありません」

「……だろうね」

 嘆息し、暦はゆっくり天井を仰ぎ見た。

 何を思い、何を考えているのか。次に放たれるその言葉を聞き逃すまいと誰もが沈黙する。

 ……ただ一人、明日美だけはなんとなく暦の言うであろうことを予想し、視線を外した。

「私が囮になろう。その間に皆はここから逃げろ」

「「「「!?」」」」

 誰もが絶句する中、明日美だけ小さく目を伏せた。

「お姉ちゃん! どうしてそういうことになるの!?」

 一番最初に抗議の意を示したのはことりだった。続いて数名の者たちが同調するが、全員ではない。むしろそうして抗議してきた者たちの方が明らかに少なかった。

 皆、わかっているのだ。自分たちが逃げるためには、最上級の囮……そう、女王自らが餌となるしかないのだと。

 自分の身可愛さの者もいる。だが中には『王家の存続』そのことを第一と考え、暦の意志を引き継ぐ覚悟で黙ったままの者も少なからずいた。

 そして暦もまた、その大切さをことりたちに説く。

「ここにこのまま残っていては、間違いなく皆殺しにされるだろう。それじゃ本当にダ・カーポは潰えてしまう。

 ……けれど王家の血が残っていれば、いつかまた復興も出来るだろう。だからその役目をことりや……そして皆に託したいのさ」

「ならお姉ちゃんも一緒に……!」

「ことり。頭の良いあんたのことだ。もうわかっているだろう? それしか方法がないことくらい」

「でも……!」

 わかっている。そんなこと、痛すぎるくらいにわかってる。

 だが理解出来ても納得出来なかった。いや、違う。したくなかった。

 友人でもあった六戦将たちがいなくなり、そして今度は肉親の中で最も尊敬し慕っていた姉の暦まで見捨てることなんて、出来やしない。

「いやだ……やだよ、お姉ちゃん……」

 頑なに拒むことり。暦は小さく微笑み、近付くとそっとその身体を抱きしめた。

「ことり。私の愛しいことり。……大丈夫。またきっと会えるから」

「お、ねえ……ちゃん……」

「なに、私だってむざむざ自殺をしに行くわけじゃないよ。隙を見て逃げてみせるから。だからお願いことり。いまは逃げて」

 無理だろう。この場にいる誰もがそう思った。

 なんせあの六戦将を倒したような連中だ。そんな相手が暦を逃がすはずもない。

 ことりだってそれくらい考える。……だが、

「……絶対、約束してね」

「うん。約束だ」

 信じた。

 大好きな姉の……その尊敬した女王である暦の言葉を信じた。

 身を離し、暦が最後に一度だけその頭を撫でた。

 それで終わりだ。優しげな表情は消え去り、一国の女王の顔となった暦が明日美を見る。

「明日美」

「はい」

「お前にはことりの護衛を頼む」

「……御意」

 驚きはなかった。明日美もこうなるだろうことは予測していた。

 六戦将のいなくなったいま、一番の戦力保持者は明日美だ。そして子を産んでいない暦がいなくなれば王位継承権が一番高いのはことりになる。

 溺愛した妹への愛着もあるだろう。友を一気に失った明日美への配慮も少なからずあるかもしれない。

 でも何より白河暦は『女王』だった。

 暦は『姉』ではなく『女王』として、告げた。

「必ず。逃げ延びてくれ。そして……万が一のときには、ダ・カーポの再興を」

 暦が踵を返す。

 作戦室を後にしようとするその背中に、その場にいる皆が一様に敬礼をした。

 

 

 

 謁見の間。

 そこの玉座に暦は座っていた。その隣には愛用している槍もある。

 ここ最近は政務に忙しくて構っていないが、子供の頃はそれこそ六戦将を目指して鍛錬をしていたことさえある。

 だからと言って勝てるとは微塵も思っていない。現役の六戦将を倒した相手だ。万が一にも勝機はないだろう。

 だが、それでも時間稼ぎくらいは……と思う。それくらいなら、なまった腕でも出来るのではないか、と。

 ……事実に直面するまでは、思っていた。

「!」

 おぞましい気配を察知した瞬間、壁が丸々消し飛んだ。

 扉、ではなく壁。その暴虐ぶりにどんな敵が姿を見せるかと慌てて立ち上がり槍を構えれば、

「やっと見つけました」

 粉塵からゆっくりとこちらに姿を見せたのは、ことりよりもずっと年下に見える、木彫りの何かを抱えた可愛い少女だった。

「風子、少し疲れてしまいました」

 何の冗談か、と思う。こんな子供が六戦将を倒した敵なのだろうか、と。

 ……何故なら、暦は気付いていない。

 風子から溢れ出る気配の密度が高すぎて、気配感知が麻痺しているのだ。

 痛みも一定量が過ぎれば麻痺してしまう。それと同じだ。もし暦が正確にこの気配の大きさを把握出来ていれば……もはや意識などあるまい。

「面倒なことです。このお城ごと破壊できれば簡単なのに死んだことを確認するために直接殺せだなんて。でも風子は良い子ですので頑張りました」

 その当の本人たる風子は、それこそそこら辺にいる普通の子供のような口調で無造作に一歩を踏み出す。

 だが暦は退かない。その場に留まり、槍の穂先を風子に向け、

「……君が私を殺すのかな?」

「はい。だってあなたが白河暦とかいうこの国の一番なんでしょう? 写真で見ました。間違いないです」

「そうだな。……だが、そう簡単に殺されはしないぞ」

「そうでしょうか?」

「ああ。私は最後の最後まで抗って――!」

 ドン!! と、鈍い音が暦を通過していった。

 瞬間平衡感覚がなくなり、足から力が抜け崩れ落ちた。カラン、と転がった槍を横目に、暦は何が起こったのかまったく理解出来ていなかった。

 大切な何かを失った気がする。

 思考もあやふやなまま、暦は本能的に下を見た。

 そこでようやく把握した。

 自分の身体に穴が開いていた。流々と足を伝い広がっていく血。そこに在るべき物が……ない。

 心臓。

 あの一瞬。目に見えぬほどの高速の何かが飛来し、暦の心臓を消し潰す勢いで貫通していったのだ。

 足止め、どころの話じゃなかった。あまりにあっけない。次元が違いすぎる。

 相手はそれこそ足を一歩踏み出すくらいの労力で暦の命を奪い去った。

「……こ、とり……」

 せめてあなただけは逃げて、と。

 そんなことを最後に思い……暦は血の海に倒れた。

 

 

 

「あーあ。先を越されてたみたいね」

 水瀬小夜が謁見の間に訪れた時には、既に事は終結していた。

 女王の首は自分が一番に、と思っていたがその相手は既に床で死んでいた。

 風子はただ何をするでもなく玉座に座り持っている木彫りの何かを弄っているだけ。

「ねぇ、他の王家の連中はどうしたの?」

「知りません。ここにはこの人しかいませんでした」

「……そう」

 どうやら他の者たちは逃げたようだ。おそらく暦を囮にして王家の血だけは残そうという魂胆なのだろう。

 だが、もちろんそんなことさせはしない。

「さて、それじゃあ目標を変更して狩りを始めよっかな」

 見た限りもう風子には戦いの意思がないようだし、稲葉家の人間はこういう類の殺しには参加しまい。柾木は好んでやりそうだが、どうやらあちらは思った以上の苦戦を強いられたようでしばらく動きが見えない。

 即ちここは小夜の独壇場。一人の狩場だ。

 そう考えれば本命を逃したことも、まぁ良いかと思えてくる。

「さ〜て。楽しみますか♪」

 気分新たに軽やかなステップで小夜が謁見の間を去っていった。

 それとほぼ同時。不意に風子の身体がピタリと……まるで何かに反応したかのように止まった。

 スッと視線を横に向ける。そこにあるのは当然壁だが……実はその視線の先は王城の城門付近を指している。

 見えているわけではない。だが風子は確かに感じ取っていた。この城の中に入ってくる新たな四つの気配を。しかもうち二つはさっき戦った相手よりも気配が大きく、間違いなく強いことも察知して。

 ……しかし、

「……なんでしょう。この気配」

 その中で、一つ。四つの気配の中でもとびきり弱い気配が妙に気になった。

 遊びを望むのであれば強い相手の方が気が惹かれそうなのに、何故そんな取るに足らない気配が気になるのか。

「……」

 わからない。わからないが、それはいままで感じたことのない感覚だった。

 風子はゆっくりと玉座から降り、歩き出した。

 

 

 

 その頃、ことりたちは必死に走っていた。

「はぁ、はぁ、はぁ……!」

「ことりさん、早く!」

 ことりの手を引き、明日美もまた走る。

 二人が進んでいるのは城に作られた隠し通路だ。どのような城であろうと万が一の逃亡用のために用意されているものだ。

 無論この通路の存在を知っているのは王家と、それを除けばごく一部の人間しかいない。明日美もまたその一人だった。

 ダ・カーポ王城には隠し通路が大きく分けて三つある。他にも通路はいくつかあるが、それらは全てダミーである。

 王家の面々はその三つにそれぞれ別れ、そして各々逃亡をはかっている。この通路も同じく他の王家の人間が先行して逃げていった。

 そしておそらく一番遅れているのが、ことりたちである。

 ことりは恐怖のあまり身体が固まってしまい、上手く動けなくなってしまっているらしい。

 明日美はそれを理解する頭はあっても、その解決策が見えてこなかった。

 大丈夫、なんて言葉は無意味だ。頼みの綱の六戦将はやられてしまったし、自分程度の戦力ではそんな相手を前にしたらまず勝てない。

 そもそもこの逃亡でさえ上手く行くかどうかわからない行為なのだ。安心させることの出来る材料など一つも存在しなかった。

 そして、更に絶望は押し寄せてくる。

「ぎゃあああああ!?」

「「!?」」

 不意に前方から悲鳴が聞こえてきた。間違いない。いまの悲鳴は先行していた王家の人間だ。

「嘘……まさか隠し通路を発見された!?」

 まずい。このまま直進すれば敵と真正面からぶつかることになる。かと言って戻るわけにはいかない。

「……」

 ギュッとことりが震えながら腕を握ってくる。

「ことりさん……」

 女王にことりを任された。最愛の姉を亡くした……どちらも同じ。言わば二人は運命共同体。そして自分には少なからず戦うだけの力がある。

 拳を握る。覚悟を決める。無傷で助かる道などもう果てた。残されているのは糸のような細い奇跡を手繰り寄せることが出来るか否か。

 ――考えるのよ、霧羽明日美。

 明日美は必死に考える。

 脱出までの最短距離。通れる通路の数、位地。敵の配置、規模、分布。手に入れられる情報全てを吟味し、最も安全度の高い道を探し出す。

 そして、下した決断は、

「……ことりさん。しっかりと、掴まっててくださいね」

「え?」

「この通路から――出ます!」

 明日美の手に霧が発生し、次の瞬間そこに槍が出現した。

 それを手に取り、明日美は横の壁を見つめる。

「え、なにを……?」

「もし敵を迎え撃つにしても狭い通路では私の能力は活かしきれません。

 それにこの通路の外側はまだ城の中ですけど一番敵が手薄です。強い気配も近場には感じられませんし、ここにいるよりは得策のはずです」

 明日美の身体から滲み出るようにして立ちこめる霧が徐々に壁に密集していく。そして、

「行きますよ」

 明日美はことりの手を引っ張りそのまま壁に突き進む。むろんこのままでは激突必至だ。

「え、え!?」

 突然の明日美の行動にことりが驚愕し目を瞑るが……予想していた痛みがない。ゆっくりと目を開けば、

「あ、あれ? お城の中……?」

 壁に激突するはずが、そんな感触もないままに城の中に戻っていた。これではまるで、

「壁を透過して来ました」

 あっさりと明日美が言った。

「私の『霧』はお姉ちゃんの『霧』とは違うんです。私の霧には複数の能力があるんですけど、その一つが『物質透過』。

 霧を密集させた場所を透過させることが出来るんです」

 霧羽家は元々特殊属性である『霧』を代々持ち生まれる家系だが、その能力は多岐に渡る。

 香澄のように補助系の能力を有している者もいれば、攻撃系や防御系に特化した『霧』使いも存在したらしい。

 同じ属性なのにどうしてこうも能力が一律化しないのかはまだ謎だが、中でも明日美の能力は特異なものだと言われている。

「す、凄い……」

「あまり使い道のない能力です。ともあれ、いまは急いで逃げましょう。長居は無用です」

「あ、う、うん」

 再び腕を引き駆け出す。

 途中、ウォーターサマーの兵士に見つかることもあったが、

「邪魔です!」

 一般兵程度に遅れを取る明日美ではない。それらを次々と薙ぎ倒し、城の外まであとわずかと迫っていた。

 そこで突然明日美が足を止める。

「ど、どうしたの……?」

「……とんでもなく強大な気配が前方から近付いてきてます」

「え!?」

 まだそれなりに距離はあるが、この気配の規模は尋常じゃない。正面から激突すれば間違いなく明日美に勝ち目はないだろう。

 六戦将を倒した連中の一人だろうか。千里の魔眼では姿は見えても気配は感じ取れないのでそれが同一人物か把握できない。

 しかしここで魔眼は使えない。千里の魔眼は確かに遠くを見たり状況を把握するのには便利だが、同時に欠点も持っている。

 人が見られる視界は一つだけ。

 そう、遠くを見ている間、明日美は本来の視覚を失うのだ。故に近くが把握できない。

 こんな戦場の只中、咄嗟の判断で命運を分ける条件下でそんな自殺行為は出来ない。せめてどこかに身を隠してからでないと……。

 だがここはただの通路。左右どちらも壁でしかなく、近場に隠れられるような部屋もない。

 霧で透過させようにも霧の発現にはそれなりに時間が掛かる。相手の速度を考えれば間に合うわけがない。

 万事休すか。せめて自分が足止めしている間に霧で壁を透過させてことりだけでも逃がそう、と考え槍を構え、

「「え……!?」」

 角から現れたその四つの影に、二人は揃って驚きの声を上げた。

 一人は知らない。だが残りの三人は明日美もことりも知っている人物たちだった。

 天枷美春。朝倉音夢。そして――朝倉純一。

「朝倉さん!?」

「朝倉くん!?」

 その見知らぬ一人の気配が大きすぎて、純一や音夢たちの気配が隠れてまるで気付かなかった。

 だが、どうしてこんなところにいるのだろう。一瞬そう考えた二人だったがそんな考えはすぐに消し飛んだ。

 助けが来た。しかも見知った、心強い人たちが。

 たった二人の逃亡劇。そのために張り詰めていた緊張の糸が純一たちとの邂逅で解れてしまったのだ。

 ……だから反応が遅れた。

 そうして安堵する二人に、

「ことり! 明日美ちゃん! 逃げろぉぉぉッ!!」

 焦りきった純一の声が届く。

「え?」

 わけがわからず首を傾げることりと、

「!?」

 すぐに状況を察知して後ろを振り返る明日美。

 その、真後ろ。

「見〜つけたぁ♪」

 そこで水瀬小夜が『不通』の闇を宿す腕を振り上げ、極上の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 あとがき

 こんばんは、神無月です。

 というわけで、ダ・カーポ編? サーカス編? もいよいよ佳境です。

 一応予定では次で終わりですが、進み方によってはもう一話くらいあるかも? って感じですかね。はい。

 さて、もはや虫の息となったダ・カーポ。逃げることりと明日美。合流した純一たち。しかしそこに小夜の影が。

 ことりたちの運命やいかに! 次回に続く!

 ……で、次回おそらく誰も想像しないであろうキャラが登場することになります。ちなみに新キャラではないです。既に出てます。

 ではまたー。

 

 

 

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