神魔戦記 番外章
「龍の涙」
白。
その場所を一言で表せ、と言われれば誰もがそう答えるだろう。
見渡す限り一面の銀世界。ここは万年雪が解けることのない国、スノウである。
世界でただ二つしかない、エア王国と並ぶ神族による国家だ。
神族の常として魔族を悪とし敵とするのはエアと変わらないが、エアと違う点が一つある。
スノウは人間族でさえ良しとしない、ということだ。
エア王国はまだ寛容だが、スノウは魔族ほどではないにしろ人間族さえ悪しきもの、という捉え方をしている。
キャンバス王国や王国チェリーブロッサムとの同盟も、仲間意識ではなくむしろ利用できる駒、程度にしか考えていない。
どうしてスノウの神族はそこまで人間族を嫌うのか。
それはおそらくこの国に伝わる『龍神伝説』が原因だろう。
伝説をなぞれば、遥か昔に龍神の娘と人間族の男が恋に落ちたという。
だが龍神は他の神々よりも気高く、清らかさを重んじていたためにそれを良しとはしなかった。
しかしそれでも二人の想いは止まらず、ついには結ばれて子を成したという。
……が、それが龍神の逆鱗に触れた。
龍神の娘はその怒りによる罰で、苦痛に喘ぎ死に、男もそれを追いかけるように死んでいったのだという。
しかしなおも龍神の怒りは収まらず、人間族を皆殺しにせんと人と敵対さえしたのだという。
その結果は記されてはいない。伝説はそこで終わっているのだ。
だが伝説は伝説。いくつかの地域では続きがあったり途中で物語が追加されていたりもされていた。
曰く、この止むことない雪は愛を認められず消滅した龍神の娘の魂の涙である。
曰く、解けぬ雪は全てを無かったことにしようとする龍神の怒りである。
曰く、龍神の娘には姉が、恋に落ちた男には妹がそれぞれいて、二人が成した子は二人に引き取られ育てられた。
曰く、その二人の子も龍神の怒りに触れて死んでしまった。
曰く、実はその子は死んでおらず、スノウの神族はその二人の子の血縁である。
……などなど。
いまとなってはどれが正しいのか、どれが間違っているのか、はたまた全て正しいのか。それは王家の雪月でさえわかっていないこと。
おそらく、もう当事者しかそのことは知りえないだろう。
そう、当事者しか……。
王都スノウを北側に抜け真っ直ぐ行くと、名もない山がある。
雪に覆われているスノウの中でも一際深く雪が積もっている山である。
あまり人が出入りするような場所ではないのだろう。足跡もなく、新雪がずっと続いていくだけ。
だがその頂上付近。崖になっている場所に一人の少女がいた。奇妙な形の帽子をして、ストールを羽織っている少女。
それはどのような少女か。
もしここに他の人物がいたら、首を傾げていたことだろう。
彼女の背中には翼がない。つまりスノウに住まう神族ではない、ということになる。
とはいえ翼がないのは、極稀にそういう者も生まれることがあるのでまだ納得もできる。だがその気配は明らかに異常だった。
神族に近い気配。ならば神族なのか、と言われれば誰もがすぐに頷きはしなかっただろう。近い、というのは――気配が神族よりも濃いのだ。
そう。気配が強いのではなく濃い。
純粋に魔力量が高いのであれば表現は『強い』で良いはず。しかし彼女の場合は『濃い』と評することが最適だった。
「……」
少女は黙祷していた。
屈み込み、手を合わせ、まるで謝罪するかのように。
少女の足元には石を乗せるだけで作られた無骨な墓が三つ。墓と呼ぶのもおこがましいようなものだったが、手入れだけはきちんとされていた。
その少女がしたことだ。
花が添えられ、雪をどけられ、泥も拭われ。
だが……少女はそんなことしかできない。本当はもっとしてあげたいことがあったはずなのに、いまはもうそのくらいしかできない。
無力さを痛感し、
愚かさを嘆き、
弱さを憎み、
世界に絶望し、
そして自分を呪った。
謝罪などできるはずもない。贖罪なんてもってのほか。主罪は明白。免罪などいらぬ。断罪を欲す。これは大罪だ。
罪、罪、罪。
そうして自分を縛ることでしか、少女はこの墓の前に立つことは出来なかった。
あの三人のことだ。きっとそんなことは望んでいないだろうし望まないだろう。
けれど……けれど結局自分は見ていることしかできなかったから。そんな自分を、誰が許しても自分が許せなかったから。
だから――、
「ならば、やり直したいとは思いませんか? 北里しぐれ」
声は唐突に、少女の後ろから放たれた。
圧倒的な気配。絶対的な圧力。それら全てが只者ではないとわかるほど強烈であるはずなのに、いまのいままでそんな気配は微塵もなかった。
普通であれば、突如降って湧いたかのようなその存在と気配に飲み込まれそうなものだが……北里しぐれと呼ばれた少女は無反応だった。
黙祷を止め、少女――しぐれはゆっくり立ち上がる。そうして振り返れば、その先には白い少女がいた。
全身を白の法衣で包み込んだ小柄な少女。右手には、背丈とはあまりに不釣合いな大きな杖。
「……あなたですか? 最近私に語りかけてきていた『秩序』というのは」
しぐれが、ストールを握りながら問う。するとその白い少女は満面の笑みを浮かべ、答えた。
「ええ、その通りですわ。わたくしの名はテムオリン。法皇テムオリン。あなたにずっと呼びかけていた者」
白い少女――テムオリンはゆっくりと向かってくる。
雪の上を歩くにしてはあまりにスムーズな動き。だがそれも当然だ。なぜならばテムオリンは歩いているのではなく、浮いているのだから。
「……ですが、声が届いていながら何故わたくしのところへ来ようとは思わなかったのでしょう?」
目の前で止まる。そしてしぐれを見上げ、
「あなたは自らの無力さを痛感し、愚かさを嘆き、弱さを憎み、世界に絶望し、そして自分を呪いもしたのでしょう?
であるならば、絶対の力が欲しいでしょう? どんな理さえ寄せ付けぬほどの絶対の力が。そしてやり直したいとは思いません? 全ての不幸を」
テムオリンの手がしぐれの頬に触れる。
テムオリンの顔に浮かぶのは慈愛だ。どこまでもどこまでも優しく諭すような、慈悲の表情。
「あなたさえそれを望むのならば、それが叶うのです。悲しみを薙ぎ払うだけの力が、あなたの手になるのですわ」
「……私が、望むのなら?」
「そう、やり直せるのです。全てが。取り戻せるのです。温もりを。愛せるのです。誰に邪魔されることなく。だから……さぁ」
一息の間。
「わたくしと共に来なさいな。『秩序』ある世界を築くために」
差し出される手。
それを握り返せば、全てをやり直すことがきできる。
それは甘美な言葉。
それを握り返せば、温もりを取り戻すことができる。
それは喪失の再生。
それを握り返せば、誰にも邪魔されずにあの人を愛すことができる。
それは渇望した夢想。
さぁ、とテムオリンは手を差し出す。
「手を取りなさい。そうすれば、あなたの想いが現実なりますわ」
「……」
しぐれは考え、
「……駄目です」
一歩、下がった。
「なっ……」
驚愕の表情を浮かべるテムオリン。だがしぐれはただ俯いて……涙をこぼした。
「やり直すことができる。それは確かに……素晴らしい響きです。けれど……それは結局『別』なんですよ」
しぐれにはテムオリンの言いたいことがおおよそわかっていた。
やり直すことができる。その言葉の意味を。
それはこの世の――否、この全世界の理から外れ、別の世界……いわゆる並行世界に赴き、自分の思うがままにその方向性を捻じ曲げる、ということなのだろう。
確かにその世界においては、当人の思う通りに不幸は回避され、自らの望んだ、あるいは思い描いた未来が展開されていくに違いない。
それは……どれだけ素晴らしいことか。
だが……そう。結局のところそれはやはり同じであっても別なのだ。
並行世界。一つの可能性。そこでは確かに幸せな未来が待っているだろう。
けれど――この世界で大切な者たちが死んだ事実が消えたわけではない。
それは紛れもなく、隠しようもない不変の現実だ。別の世界に行ったとて、この事実だけは変わりようがない。
だからそれは単なる自己満足に成り下がる。自己保全。罪の意識から逃れるための虚偽に過ぎないのだ。
故にこそ、しぐれはそれを拒否した。それがどれだけ幸せに満ちていたとしても……だからこそ、そんなことをするわけにはいかない。
しぐれは顔を上げる。涙を拭い、今度は力ある表情でハッキリと宣言した。
「私は、あなたの手を取ることはできません」
「……そう、ですか」
やれやれ、とテムオリンは嘆息。そこに先程のような慈愛はない。あるのは、
「では仕方ありませんわね。……いろいろと面倒なことになる前に、あなたにはここで消えていただきましょう」
ただ全てを見下す、嘲りの表情だった。
「!」
テムオリンの杖から光が迸る。一瞬でそれはしぐれを巻き込み周囲一帯を根こそぎ消し飛ばした。
「はははははは。残念だがテムオリンよ、そんなことはさせられんのだ」
……はずだった。
熱量の余波で蒸発した水蒸気が晴れるその先、しぐれの前には扇を構えて笑みを浮かべる少女が立っていた。
髪形が違う。服装も違う。だが、その少女をテムオリンは知っていた。
それは、
「若生鳳仙……!」
「はっはっはっ。残念だがいまは橘芽衣子を名乗っている。……その名は昔に捨てたよ」
扇を畳み、橘芽衣子と名乗った少女は静かに微笑んだ。
「あなたが……どうしてここに!? それに気配もまるで感じさせずに……」
「ん? 忘れたのか? 私の永遠神剣は『第三位・隠者』。隠れたり誤魔化したりは私の十八番だ」
「っ……! ええ、そうでしたわね。不覚でしたわ」
テムオリンが警戒してか少しだけ距離を取る。対する芽衣子はテムオリンに注意しつつ、視線だけを後ろのしぐれに向けた。
「……お久しぶりです、しぐれ殿。こうして会うのは――あの時以来ですかな」
「……ええ、そうですね」
互いに互いの目が見れない。芽衣子は自嘲の笑みを浮かべ、しぐれは顔を俯かせる。
だが、いまは過去に浸っている場合でも憂いている場合でもない。芽衣子はしぐれの肩に手を置き、小さく後ろに追いやった。
「ここは私が。あなたはお逃げください」
「鳳仙さ――」
「いまは芽衣子です、しぐれ殿。……なに、大丈夫。私があんな奴に負けるとお思いか?」
だがその言葉に答えを返したのはテムオリンだった。
「へぇ。大きく出ましたわね、鳳仙。第三位のあなた如きが第二位のわたくしに勝てるとでも?」
「思っている。何故なら、私はもうこの世界に長い。だがテムオリン、あなたはつい最近この世界に来たばかりだ。
まだこの世界のマナに身体が順応していないのだろう? であるならば、私に勝算はまだある」
だがテムオリンは笑う。
「フフフ。あなたは正にその永遠神剣に相応しい存在ですわね。よくもまぁ思ってもいないことをベラベラと喋ることができますわ。
ええ、わたくしの身体にはこの世界のマナが順応しきれていない。ですから確かにこの一点においてはあなたが有利であることは認めましょう。
……が、あなたの永遠神剣『第三位・隠者』はもともと隠密行動や補佐がメインの神剣。
それでこの、永遠神剣の中でも上位の破壊力を誇る『第二位・秩序』に真正面から挑んで勝てるなんて……本当は思ってないのでしょう?」
「……」
芽衣子は答えない。だが、その無言こそがテムオリンの言葉の証明でもあった。
クスクス、とテムオリンは愉快そうに杖型の永遠神剣『第二位・秩序』を振るう。
「あなたがどうしてそんなに前からこの世界にいるか。多少気にはなるところですが……まぁそんなことはどうでも良いでしょう。
いまは、あなたのような邪魔な存在をここで消すことの出来る自らの幸運を祝いましょうか」
「ほう。私が邪魔と? 私はいまはカオスの一員でもない。あなたの邪魔をできるほどの者ではないと自負するが?」
「あなたのせいで止めを刺し損ねたエターナルがどれだけいたことか。……それを考えれば百辺殺しても飽き足りませんわ」
「おや、これはひどく憎まれたものだな。……だが私もそう簡単に死んでやるわけにはいかんのだ。この世界で見届けたいことがあるからな」
「では、このわたくしに出会ったことを呪いながら消えなさい」
芽衣子が扇型永遠神剣『第三位・隠者』を広げ、テムオリンが『秩序』を向ける。
衝突は必須。本来であれば、この世ならざる領域で生きてきた二人が本気でぶつかれば国どころではなく世界にすら影響を与えかねない。
だがいまは互いに本気を出せない状況にある。
しかしそれでも二人の力が他者を大きく上回っているのは事実であり、現段階の全力でもこの山程度なら軽く消し飛ぶだろう。
二人の周囲をマナが脈動する。地が揺れる。動物や魔物の気配が退いていく。空が戦慄いている。
全力でないにも関わらずこれだけの影響。これこそが絶対者同士の対立。
しぐれでさえこの場にいるだけで吐き気を引き起こす重圧感。並の人間族や神族であれば失神、下手をすれば死んでさえいるだろう。
それだけのプレッシャーを撒き散らしながら、
「!」
どっちからともなく動いた。
芽衣子の『隠者』からいかなる相手も惑わす橙色の煙が噴出し、テムオリンの『秩序』からいかなる物も消し飛ばす大いなる極光が煌き、
「神剣の主、時深が命じる。『時詠』よ、我らに仇なす時を飛ばせ」
だがそれが発動するより早く、
「タイムリープ」
「「!?」」
時間が、切り飛ばされた。
攻撃が発動しない。
否、正確に言うのなら発動した。だが、『発動し対象物に影響を与える』という時間をごっそり切り抜かれたのだ。
時を操る。
それは魔法に分類できる芸当。
こんな芸当ができるのは、この『全』世界に数人しか存在しない。
芽衣子、テムオリンが同時にその名を呼んだ。
「「時深!?」」
応じるように、二人の中間に一人の少女が降り立った。
巫女装束に身を包んだ、栗毛の少女。それは二人ともが知っている存在。倉橋時深だ。
「良かった。どうやら間に合ったようですね」
にこりと微笑み芽衣子を見やる。そんな仕草に芽衣子は苦笑を浮かべ、
「……まさか私のところにこんなに早く来るとは思わなかったな」
「ええ。私も鳳仙さ――あぁ、いや、芽衣子さんに直接会うことになるのはもう少し後だと思っていたんですけどね」
でも、とテムオリンを見て、
「この状況が視えましたので、ね」
「なるほど。つまり私と同じだった、ということか」
時深の持つ『時見』の能力。
最も確率の高い未来を先読みすることができる能力だ。
ちなみに芽衣子も同じ能力を秘めている。故に、芽衣子もこうしてここにしぐれを助けに来たわけだが……。
そんな芽衣子の隣に時深が並ぶ。短剣型の永遠神剣『第三位・時詠』を構えながら不敵に微笑み、テムオリンを見据えた。
「さて、どうしますかテムオリン? さすがのあなたでも『第三位』所持者二人では少々部が悪いのでは?」
「ふふふ……」
だがテムオリンの余裕の表情は崩れない。時深は眉を傾け、
「何がおかしいのです?」
「このわたくしが気付かないとでも思っていますの? ……時深。あなた、このわたくしより後にこの世界にやって来たのでしょう?
まだマナが馴染んでいない状態で『時を切り取る』なんて荒業を使ってしまって……本当はもうフラフラでしょうに」
「さて、どうでしょうか。試してみます?」
余裕を見せる時深。
……だが、それはやはりハッタリだった。
実際はテムオリンの言うとおり。時深はまだこの世界に来て日が浅い。時深の身体はまだこの世界のマナに順応し切れていない。
もちろんそんな状態で神剣の能力を多用すれば身体が逆に持たない。
ここに駆けつけるだけでも相当の無理をした。本当はもっと早く来たかったのだが、いろいろと邪魔が入って来るのが遅れてしまったのだ。
時深は表情こそ平常だが、実際はかなり消耗が激しい。
このままテムオリンと戦うことになれば、芽衣子と二人だとしても正直危うい。簡単には負けないはずだが、勝てると楽観視もできないだろう。
――ですけど、芽衣子さんを見殺しになんてできませんしね。
テムオリンが退いてくれることを願っていたが、そうもいかないようだ。ならばここで戦うしかない。
「あくまでも邪魔をするのですわね?」
身構える時深と芽衣子にテムオリンは口元を歪め、
「ならば仕方ありません。――ここで積年の貸しを一気に返させていただきますわ!」
その手に持つ『第二位・秩序』を振り上げた。
「芽衣子さん!」
「ああ、わかってる!」
それを見て時深が攻撃に移る。芽衣子はその補佐をせんと神剣魔術の詠唱に入った。
三者が攻撃の姿勢を取る。
「消えなさい、時深!」
「それはこちらの台詞です!」
激突する。その瞬間、
「やめてもらえるかしら」
「「!?」」
その声は唐突に沸きあがった。
気付けばテムオリンの『秩序』から放たれた光を振り上げられた時深の『時詠』の刃を、それぞれ障壁で受け止めている。
いきなりど真ん中に出現し、いとも簡単に二人の攻撃を防ぎきったその人物。三度目の介入者。
だがそれは、この場にいる誰もが知っている者だった。
「……双方とも戦闘行動を止めなさい。いまここであなたたちが暴れたら世界のバランスは大きく崩れるわ」
「黎亜……!?」
驚きの声は芽衣子から。
そう、突如出現した少女。それは外套に身を包み不可思議な紋様の入った帽子を被った、黎亜その人だ。
黎亜はテムオリンと時深、エターナルの両陣営でも高名な二人の攻撃を受け止めながら、しかしまったく表情を動かさない。
それこそ異常。この二人の力をそれぞれ打ち消すなど生半可なことではない。
「黎亜……邪魔しますの!?」
激昂するテムオリンに黎亜は視線だけを向け、
「別に。勘違いをしないで欲しいわねテムオリン。私は傍観者。あなたたちの行動に口を挟むつもりはない」
けれど、と前置きし、
「この世界は未だあなたたちを受け入れるには器が小さすぎる。この世界を壊させるわけにはいかないのよ。
……そうなればテムオリン。あなただって困るでしょう? あなたの計画にはこの世界が必要なはずなのだから」
テムオリンの表情が驚愕に染まる。
「あなた……知っていましたの!?」
「だからどうしたの? 先程も言ったように私は口出しするつもりはない。あなたが何を企んでいようと私は世界さえ壊れなければどうだって良い。
よく覚えておくことね。私はもう出雲のメンバーでもカオスでもない。いまはこの世界の傍観者。ただ経緯を眺めるだけの存在」
「つまりあなたは誰の味方でもなく、誰の敵でもない、と?」
「そうね。少なくともロウ、カオス。両陣営に肩入れする気は微塵もないわ」
交錯する視線。テムオリンはその心中を探るように黎亜を見やり、
「……確かに、あなたの言うとおりこの世界が壊れでもしたらいままでの計画は全て水の泡ですわね」
身体をゆっくり退いた。
「ここは黎亜、あなたの顔に免じて退きましょう。ですが時深、鳳仙。……次はないと思いなさい」
時深と芽衣子、二人に等分に視線を送り、テムオリンは杖を振るった。
すると一瞬の明滅の後、テムオリンの姿はそこから消えていた。
張り詰めていたものが途切れ、弛緩する空気。そうして時深と芽衣子はそれぞれ小さく安堵の息を吐いた。
「ありがとうございます、黎亜。あなたのおかげで助かりました」
「礼なんていらないわ時深。私はあなたたちを助けたわけではないのだから」
「では……どうしてここに?」
黎亜が一瞬しぐれを見やった。その視線に気付いたしぐれはすぐさま視線を外し……そして黎亜は嘆息すると今度は芽衣子に視線を向けた。
「少し調べたいことがあってね。……鳳仙」
「だから私はいまは芽衣子だ」
「では芽衣子。あの二人の転生体はもう現れたの?」
ピクリ、としぐれの身体が揺れる。そんなしぐれを芽衣子は一瞥しながら、
「……あぁ、確かに現れた。だがそれがどうした?」
「あなたに言うことではないわね。でも……そう。やはり出てきたか……桜井舞人といい……これは何かあるわね……」
考え込むように呟き、そして黎亜は踵を返す。
「もう行くのか?」
「それを確認しに来ただけだもの。もう用はないわ」
「ちょ、ちょっと黎亜! 私はまだ話が――」
時深の言葉に黎亜は足を止める。だが振り返った目には拒絶の色がありありと浮かんでいた。
「カオスにはもう戻らない。……それ以外の言葉が必要?」
「黎亜……」
「……勘違いしないでいて欲しいのだけれど、別にあなたたちを恨んではいないわ。あの件は私たちの問題だもの。……ねぇ、鳳仙?」
「……ああ、そうだな」
「というわけだから時深。私も鳳仙……いえ、芽衣子も同じことよ。あなたたちのに干渉する気はないから、こちらにも干渉してこないで」
押し黙る時深。それを一瞥だけして、黎亜もまた虚空へ消えた。
昔の仲間からの拒絶の言葉。半ば覚悟していたこととはいえ、その言葉は時深の心に小さく影を落とした。
伸ばした手をゆっくりと下げる時深の肩を、芽衣子が軽く叩く。芽衣子は苦笑を見せ、
「悪いが時深。黎亜の言うとおり私ももうカオスに戻る気はない。私は――私たちはただここで……あの人たちを守りたいだけなんだ」
「芽衣子さん……」
「助けてもらっておきながら勝手なことだとは思うが、すまない。察して欲しい」
「……いえ、そうですね。芽衣子さんも、黎亜もいろいろあったみたいですからね……無理は言いません」
「すまない。……行こう、しぐれ殿」
「……はい」
そうして芽衣子としぐれも山を降りていった。
それを見送り、時深はなんとも言えない気持ちでゆっくりと空を仰いだ。
「昔のようには、いかないんでしょうかね……」
時見の力も、答えを教えてくれない。
厚い雲からヒラヒラと舞い落ちる雪。その冷たさを肌で感じながら、時深は小さく首を振った。
「……まぁ今回はテムオリンの思惑を一つ潰せた、ということで良しとしましょう」
そう自分に言い聞かせて、時深もまたその場を後にした。
残されたのは、ただ三つの小さな墓。
あとがき
はい、どーも神無月です。
今回は例の方々の邂逅と、スノウ関連の話をちらほら、ってところでしょうか。
終盤の展開がちょいとプロットと変更されていまして。少し難産でした。
さて、キー大陸編の番外章もこれにて終了。
三大陸編ではどのような番外章があるのか。
ではまた。