神魔戦記 第百三十九章

                    「明けぬ夜のグランギニョル(W)

 

 

 

 

 

 南門から稲葉の軍勢が一気にダ・カーポの土地を走破する。

 東西南北から攻め込んでいるウォーターサマーの軍勢の中ではここが一番勢いが早い。

 既にその進軍は中程まで進んでいる。このままの勢いであれば一番に中央に到達するのはここだろう。

「どう思う? 水夏」

 その先頭を走る稲葉家当主、宏が隣を滑空する水夏に訊ねる。すると水夏は険しい顔で、

「……多分、主力が到達してないだけだと思う。北や東の方は大規模魔力の衝突を感じるし」

「そうだな。西は……まぁあそこは別次元として、こっちもそろそろ敵の主要クラスが出て来そうなもんだけど……」

 と、言った瞬間だ。宏と水夏が示し合わせたように急制動を掛けた。

 同時に宏が手を上げると、即座に後続の部隊も停止する。かなりの訓練がされているとわかる反応だ。

「ちぃ、気付かれたわ!?」

「仕方ない……!」

 声は前方、民家同士の間の路地から響いてきた。そして飛び出す人影。

 工藤叶と霧羽香澄。そしてその後ろには数十名の魔術師たち。

「一斉射ッ!!」

 香澄の号令と同時に、叶が剣を振り下ろし魔術師たちがそれぞれの魔術を放ってきた。

 荒れ狂う吹雪と数多の魔術が視界を埋めんばかりに宏たちへ襲い掛かる。

 待ち伏せ。そして手狭な道を利用した波状攻撃。基本的だが、地の利を活かした上手い手だ。これでは回避は間に合わない。

「あいつは聖騎士か!? 水夏!」

「うん!」

 だが二人はすぐさま意思疎通をこなす。宏が一歩下がり、逆に水夏が前へ出た。

「アルキメデス。ちょっとお願いね」

「ようやく我輩の出番か。とはいえ直接戦闘ではないのが少々残念だが……やむをえまい」

 左手に抱きしめられた黒猫の人形、アルキメデスの目が不気味に輝く。すると、

天の門

 水夏の目の前に神々しく輝く白亜の壁が出現し、迫る一切の攻撃を全てシャットダウンした。

「なっ……!?」

 驚きの声はダ・カーポ陣営から。だが水夏はそれを防ぐだけではない。

「行くよ……!」

 腰を落とし、一気に地を蹴ったのだ。魔力で構成された漆黒の翼が力強くはばたき、白亜の壁と一緒に前へと身を運ぶ。

 その攻撃をまるで押し切るように突っ込む。展開するその白亜の壁はまるで崩れる素振りさえない。

「そんな!?」

 驚くのも当然だ。普通結界というのは『その場』に構築するものであって『術者』に同調して動くようなものではない。

 とはいえ決して不可能かと言えばそうでもない。魔術操作能力が抜群であれば可能と言えば可能な芸当だ。

 が、それだけの集中力と余計な魔力を使うほどの利用価値も普通はない。出来るにしたってする者はまずいないだろう。

 だが、明らかに水夏の行動は虚を突いた。ダ・カーポの面々の攻撃の波に綻びが出る。そして水夏はそれを見逃さない。

 さらに前へ。叶たちも接近を許さないと攻撃を重ねるが、それでも水夏の前進は止まらない。ただ突き進む。

 距離はすぐに縮まり、先頭の叶たちの目前にまで迫った。

「工藤くん!」

「わかってる!」

 一番先頭にいた叶が一旦攻撃を止め後退する。だがそれこそが水夏の狙いだった。

「逃がさないよ、聖騎士さん!」

 不意に結界が消えた。攻撃を受け止めていることによる不可が消え、瞬間的に水夏の速度が増す。

 それだけではなく、水夏は一旦地面に足を着け魔力強化で一蹴。反動による超加速をつけ一瞬で叶の間合いに入り込む。

「てぇぇぇいッ!」

「くっ!?」

 その一閃は間違いなく並の者なら対処のしようのない必殺の一撃となったことだろう。

 だが叶はそれをギリギリでかわす。浅くかすって肩から血が出たものの、その程度だ。連続で繰り出された二撃目も剣で受け止めていた。さすがは聖騎士というところだろう。……だが、

「捕まえたっ!」

「!?」

 それさえも、水夏の思い通りである。

 水夏は鍔迫り合いをしたまま叶を持ち上げるようにして一気に飛翔する。漆黒の羽が舞い散り、一瞬で水夏たちは彼方へ飛んでいった。

「工藤くん!?」

「聖騎士は対多数が得意らしいからな。こういう狭い場所だと厄介なんでご退場願った」

 それを目で追っていた香澄が声に弾かれるように振り返る。そこにいるのは、無論稲葉宏である。

「だがお前は対多数向きじゃないんだろう? さっきの波状攻撃に加わってなかったのがその証拠だ。違うか?」

「っ……」

 その通りだ。香澄は基本的にシングルバトル。頑張ったところで十人程度の相手が精々だろう。……しかし、

「……でも、そんなの関係ないわ。親玉のあんたさえ倒しちゃえばそれでおしまいよ。違う?」

 皮肉るように、同じ言葉で返す。宏は苦笑。

「まぁそうかもしれないな。で、それをお前がやるって?」

「ええ」

 頷き、香澄は槍を抜く。

 香澄愛用の槍は、通常の槍よりやや大きい。柄は長く、刃も大きい。振り回すには少々重そうだが、それを香澄は楽々と回転させる。

 そして刃を立てるように前方に両手で構え、

「ダ・カーポ軍、六戦将が一人――霧羽香澄。単体戦ならあたしは工藤くんにも引けを取らないわ」

 不意に、宏は香澄の姿がぼやけて見えて目をこすった。

 だがそれは勘違いでもなければ目に異常があるわけでもない。

「これは……霧?」 

 どこからか湧き上がってきた、うっすらとした霧。だがそれは徐々に、そして確実に広がり視界を狭めていく。

 いや、狭めるどころの話じゃない。その霧は爆発的に広がり密度を増して濃霧へと変貌していく。

「……っ!?」

 視界が、一気に消え去った。

 否、視界だけではない。聴覚も遮断されている。自分の声が聞こえない。気配も感じ取れなくなっていた。

 これは自然発生している霧ではない。間違いなく人為的な、能力の発露だ。

「あたしの二つ名を教えてあげる。……『迷い蜂』って言うの」

 だが香澄の声だけは聞こえてきた。だが全方位から聞こえてきて音源は辿れない。

 なるほど厄介だ、と宏は内心で舌を巻く。視覚と聴覚をカットされ気配探知も機能しない。調べてはいないがおそらく嗅覚も無効化しているだろう。

 この霧はそういった相手を捕捉するための機能を根こそぎ遮断するもののようだ。

 故に、その名は『迷い蜂』。

 濃霧の中で彷徨う愚者を刺し殺す、狩人たる蜂。

 それが――霧羽香澄。

「『迷い蜂』の意味を、教えてあげる!」

 何処からか、香澄の槍が宏を狙う。

 

 

 

「えぇぇぇい!」

 水夏は宏たちから一定の距離が離れたことを確認すると、まるで空中から突き落とすようにギメッシュナーを振り下ろした。

 水夏の浮力で空を昇っていた叶が、そのまま一気に叩き落される。

「こ、の……!?」

 急上昇からの急降下。空中戦などに慣れていない叶は一瞬平衡感覚を失い自分が上に向かっているのか下に向かっているのか見失う。

 だがぐるぐる回る視界の中、なんとか自分の置かれた状況を察し、

「氷よ!」

 身を守るように氷を周囲に作り出し、衝突の衝撃を相殺した。とはいえ完全とはいかず、わずかに身体が軋みをあげる。

 起き上がり、ふらつく頭を支えて周囲を見やる。ここは南東の場所にある商店街区画。先程までいた場所からはそれなりに離れた距離にある。

 さほどスピードのない叶では全速力で戻ったとしても五分以上はかかるだろう。それに、そんな行動をこの相手が許すとも思えない。

「結局、この場をどうにかするには君を倒すしかない、ってことか……」

 滞空したままの水夏を見上げて、叶は剣を構えた。

 身体にわずかな痛みはあるが、支障はない。そもそもこの程度の痛みや傷は聖騎士としての自己再生能力でいずれ治る。

 ……その、はずなのに。

「……?」

 痒みにも似た痛みを感じ、叶は自分の身体を見下ろした。先程叩き落されたときの傷などは全て治りきっている。

 だが一箇所だけ。血が滲み再生の兆しがない部分があった。

 肩。そこは、

 ――最初にあの子から一撃を浴びたところ……?

 何故自己再生が働かない? 他の傷は治ったのになぜここだけが……。

「教えてあげようか? 傷が治らない理由」

 思っていたことをそのまま言われ、叶はハッとして再び少女を見上げた。

 鎌を右手に、黒猫の人形を左手にそれぞれ持つ少女、水夏はゆっくりとその身を降下させながら、

「きみは聖騎士。聖騎士っていうのはつまり神の依り代、器のようなもの。そして聖騎士とは神の恩恵をその身に直接受け、それを繰る者。もちろん自己再生能力もその一つ」

 でも、と水夏はわざと見せるように鎌を振り上げ、

「この子は神殺しのギメッシュナー。この子は元々その神を討つために生み出された武具。だから――神の力は意味を成さない」

「……っ!?」

「聖騎士なんて所詮は器。結局は人間だから神殺し自体は反応しないけど、その力は別だよ。神の力は神殺しには届かない」

 大気を薙いで、

「だから、ボクの攻撃は治らない」

 最悪だ。叶は歯噛みする。

 そうなると、叶が水夏に連れてこられたのは何もあの場から離すというだけではなく……相性上の問題も考えた結果なのだろう。

 実際水夏の言うことが本当なのであれば、相性は最悪と言える。

「ごめんね、倒させてもらうよ」

 水夏は言う。

「……せめてボクだけは、ずっと宏くんの味方でいたいから」

 赤き双眸が、ゆっくりと細められる。

 

 

 

 香澄は自らが作り出した霧の中で敵の状況を観察していた。

「……ふぅん、冷静なんだ。さすがはご当主様、ってところ?」

 この霧は香澄の特殊属性『霧』によって発生しているものである。

 攻撃性はまったくの皆無だが、視覚遮断、聴覚遮断、嗅覚遮断、気配遮断という探知系の感覚を全てシャットアウトする能力を持つ。

 妹の明日美もまた同じ特殊属性『霧』の能力者だが、あっちは香澄とはまた別の能力を持っている。扱いづらいとぼやいていたが。

 だが、この力は使い勝手は抜群だ。相手はこっちを察知できないが、香澄にはその抑制は一切ない。見えるし、聞こえるし、気配もわかる。

 香澄はこの力でこれまでを勝ち、生き抜いてきた。そしてこれからも勝ち抜く。自分と、そして妹のために。

 ……だが霧の中に閉じ込めた宏をしばらく観察していて、香澄は驚いていた。

 普通、この霧の中に包み込まれた者は感覚が消えうせたことでパニックに陥る。そこまでいかずとも、必死に敵を探そうと動き回りはしていた。

 六戦将入隊の試験の際に戦った叶でさえ、この霧の中に閉じ込められたときはかなり驚いていたのだから。

 しかし宏はそんな素振りが微塵もない。最初こそ目を見張っていたが、あとはただ同じ場所で立ち尽くしているだけだ。混乱しているようでもない。

 冷静なのか。あるいはただの馬鹿か。

 どちらでも構わないか、と香澄はゆっくりと槍を構えた。どうあれ、気付かぬうちに刺し殺せばそれで終わりだ。

 だから香澄は地を蹴った。佇む宏の息の根を止めるため、魔力を宿した槍を振り上げる。

「もらった!」

 突き出される刃。それはいままさに宏の身体を貫かんと奔り、

「!?」

 ガキィン! と甲高い音と共に刃が中空で止められた。それは、

「な……結界!?」

 いつの間に張ったのか。薄く輝く青白い結界が宏の周囲を完璧に覆っていた。

「ん? いま結界に触れたな?」

「!?」

 香澄は慌てて距離を取る。だが想定した追い討ちもなく、宏はただ頷くだけだ。

「なるほど。触覚、あるいは自分の魔力の乱れなんかは感じ取れるんだな。結界術まで使えなくなってたらどうしようかと思ったぜ」

「結界術……? あなた、結界師!?」

「ああ。そうだけど?」

 あっけらかんと言い放つ宏。だがその言葉は香澄にとってあまりに衝撃的だった。

 結界師。その名の通り結界にのみ精通した者たち。魔術師の結界とは比較にならない硬度、かつ多様性のある結界を操る者。

 香澄の特異性はこの霧にのみあり、彼女自身の能力は決して高くはない。ましてや結界師の結界を打ち崩すだけのパワーなど。

 ――これは勝つことを諦めて足止めを最優先にするほうが良さそうね。

 結界を壊せない香澄に宏は倒せない。霧で相手の居場所がわからない宏には香澄は倒せない。これでは勝負の着きようがない。

 長い戦いになりそうだ、と持久戦への心構えを決めた香澄だったが、

「……なるほど。これだけ無防備に晒していても一回しか攻撃してこないってことは攻撃力には自信なし、ってことなんだろうな」

 その香澄の考えは間違いである。

 これは決して持久戦になどなりえない。何故ならば……、

「でも、おれ相手に長期戦は自殺行為(、、、、)だぞ?」

「え……?」

 不意に、ガクンと膝から力が抜けた。

 香澄は突然のことに何が起こったのかまるでわからない。攻撃らしい攻撃は受けていない。痛みだってどこにもない。なのに、

「はぁ……はぁ……! なによ、この疲弊感は……!?

 息切れが止まらない。汗が零れ落ちる。まるで激しい戦いを終えたあとのような虚脱感が香澄の身に降りかかる。

「良いことを教えてやろうか?」

 宏に香澄の声が聞こえたわけではない。しかしその台詞はまるで香澄の疑問に答えるように紡がれた。

「ただの人間族であるおれたち稲葉家がどうしてウォーターサマーで四家と言われているのか、考えたことはあるか?」

「え……?」

「主な理由は二つ。それは従えている者の巨大さと、家系に受け継がれる特異体質があったからだ」

 そして、と宏は振り返り、

「その稲葉の血に刻み込まれた特異体質の名は――『魔力吸収』」

 香澄と目(、、、、)が合った(、、、、)

「周囲にいる任意の相手から、魔力を吸収し自らの糧に出来る力だ」

「なっ……!?」

 気付けば、霧の濃度が落ちていた。

 香澄の魔力が急激に低下したために霧を持続できなくなったのだ。

 まずい、と香澄は背を這う悪寒に従って身を引いた。自らが作り出した霧から外へと姿を現し、

「!?」

 香澄は自分の目を疑った。

 ダ・カーポ兵たちが、変わらずその場にいたからだ。

「あなたたち……何をしているの!? 後続の敵を迎え撃てと言っておいたはずよ!?」

 確かに香澄は待ち伏せ攻撃の前に部下たちに命令をしておいた。敵の主力クラスが出てきた場合はこれを六戦将が引き受ける。その間に後続の敵を殲滅せよ、と。

「で、ですが霧羽殿! 我々は身動きが取れない状況で……!」

「身動きが……? それはどういう――ッ!?」

 そこでようやく気付いた。

 覆われている。自分とその部下たちがいる場所を丸ごと、巨大な結界が覆っていた。

 そんなことが出来る者は、ここには一人しかいまい。

「おれたちの部下ならとっくに先へ進んだよ」

 霧からゆっくりと歩いて出てきた男。……結界師の力を持つ、稲葉宏。

「おれたちも最初から似たような命令をしてたんだ。ただちょっと違うのは……敵の主力とその部隊全てをおれたちが引き受ける、ってところだけど」

「……考えてみれば妙よね。あなたが結界師だったのなら、最初のあたしたちの波状攻撃もあなたが受け止めるべきだった」

 結界師は魔術師に比べ防御や補佐に特化している。にも関わらず水夏に防御を任せたのは、

「この大きな結界を作るためだったのね……ッ!」

「その通り。まぁ本当は水夏もここに残すはずだったんだけど、聖騎士がいたから少しだけ作戦は変更した」

 とはいえ、と無造作に一歩を踏みしめ、

「お前たちくらいなら、おれ一人でも十分だけどな」

 その足元に、巨大な魔法陣が出現した。

「!?」

 膨大な魔力の顕現。吹き荒ぶ魔力の風に香澄は両手で顔を庇いながら、先程の宏の台詞を思い出していた。

『主な理由は二つ。それは従えている者の巨大さと、家系に受け継がれる特異体質があったからだ』

 特異体質は『魔力吸収』。なら最初に言った、『従えている巨大な者』とは……、

「使い魔……!?」

「あぁ。だが、そんじょそこらの使い魔と一緒にするなよ?」

 魔法陣から雷が迸る。強大すぎる魔力の戦慄きに、その場にいる誰もが恐怖した。

 現れいずるは巨大な体躯の蒼き魔神。

 大砲以上の太さの腕と鋭利な爪、二つの禍々しい角、雄々しい一対の翼、不気味に明滅する赤き双眸と黄色の三つ目。

「こ、んな……!?」

 絶句する他にない。香澄は同じ六戦将の水越眞子の使い魔『トァエストロ』を知っているが、これはその比ではない。

 見ただけでわかる。これは、明らかな異常であると。

「紹介しよう。俺の使い魔、『タケミカヅチ』だ」

 告げる。

「正真正銘の、神獣だよ」

「神獣……!?」

 幻想種や霊獣を越え、竜種とさえ匹敵すると言われる神性を帯びた獣。それが神獣だ。

 だが過大表現ではあるまい。この気配、この密度、間違いなくこれは神獣の領域のもの……!

「こんなの……勝てるわけ、ない……!?」

 自身は強固な結界に身を置いたままでありながら、魔力を吸収し、神獣クラスの使い魔が敵を屠る。

 それは最凶の三重殺。

「お前じゃおれには勝てない。おれに勝ちたければ一にもニにも絶対的な攻撃力が必要だった」

 そう、宏を倒したいのであればとにもかくにも結界を貫通できるだけの力が必須になる。

 そういう意味では宏は四家の中では最も弱いだろう。良和も、さやかも、小夜も、宏の結界を容易く破る力を持っているのだから。

 ……だが、そんなことは関係ない。宏にとって最も大切なのは家族であり、それを脅かすのであれば誰であろうと許さない。

 それだけだ。

「――終わりにしよう」

Aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!」

 タケミカヅチが応じるように吼えた。大砲のような太さの腕を振り上げると、そこに渦を巻くように強大な魔力が集約していく。

 それを感じ取り兵士たちが逃げようとするが、無理だ。周囲は既に宏の強固な結界で閉じられている。

 逃げ場はない。かわす術もない。防ぐ手立ても……ない。

「薙ぎ払え、タケミカヅチ」

 無情の宣告。同時、タケミカヅチの振り下ろした腕から極光とも呼べる雷が迸った。

 その膨大な光を香澄は力なく見つめ、

「……明日美。せめてあなただけでも――」

 その言葉は最後まで紡がれず、神の雷が全てを焼き払った。

 

 

 

「!?」

 叶は突如耳を打った轟音に思わず振り返る。

 視界に入ったのは巻き上がる土砂と黒煙。そこは……さっきまで叶がいた場所。そして……まだ香澄たちがいるはずの場所。

「……まさか」

 連想してしまう最悪の事態。だがそれを否定するように叶は首を振る。

 いや、そんなはずはない。香澄は強い。あれほど戦いにくい相手はいない。そう簡単に負けるはずが……。

「ねぇ、余所見している余裕があるの?」

「くっ!?」

 肉薄してきた水夏の一撃を氷の壁で受け止め、叶は後ずさる。

 そうだ。いまは他の者のことを考えている余裕はない。この少女は片手間で戦えるような生易しい相手ではない。

 強い。

 間違いなく、この生涯で戦った誰よりも。

 周囲を見渡せば、凄惨な有様が広がる。店はことごとく破壊され、地面は抉れ、無事なものなど一つもない。二人の激闘をありありと示す惨状。

 そして……傷だらけの自分と、無傷の水夏。

「こ……の!」

 叶が剣を振るえばマナがそのまま氷へ変換され数多の刃となり水夏へ襲い掛かる。しかし、

「ふ!」

 ギメッシュナーの一閃でそれらは全て遮断された。

 一旦氷として具現化したものは神の力どうこうは一切関係ない。これは純粋に水夏の力が強力なのだ。

 ギメッシュナーから吹き出す漆黒の光。刃を象るその黒き力は、その目に見えている部分以上の効果範囲を持っている。

 視覚を誤魔化すための戦法なのか。あるいは強力すぎる魔力が吹き出しているだけか。

 ともあれ本命こそあの黒き光だが、その周囲……おそらく見た目の五、六倍くらいの巨大な力が渦巻いている。

 おかげで切り結んだだけで叶の身体は傷付く始末。よって防御は近付かれる前に氷の壁で防ぐしかない。

「とは言っても、このままじゃジリ貧かな……」

 肉体的キャパシティは圧倒的に水夏が上。魔力量も水夏が上だが、聖騎士である叶にとって魔力の最大量は勝敗に直結しない。しかしそれだけ水夏が強力である、ということは変わらない。

 それに、先程使ったあの白い壁を水夏は一度も使用していない。

 使えないのか、あるいは手を抜かれているのか。……おそらくは後者だろうと叶は考える。

 どういう理由か、水夏は全力ではない。しかし彼女のこれまでの行動を見るに、決して相手を過小評価しているわけではなさそうだ。

 ならば……制約があるのだろうか? 数に限度があるとか、何かしらの強烈な負荷がかかるとか。

「……落ち着け、俺」

 深呼吸。

 勝手に希望を抱くな。だが絶望もするな。諦めてもいけない。自分は聖騎士。ダ・カーポの六戦将。

 この身には多くの命が預けられていて、そしてこの後ろには守るべき者たちがいる。だから負けるな。気持ちに負けるな。状況に負けるな。最後まで抗い続けろ。

「俺にも守りたいものがある。だから――ここで倒れるわけにはいかない」

 決意をしなおし、叶は剣を構える。

 ――ともかく、勝つ見込みはそこしかない。

 全力を出される前に、叩く。聖騎士の自己再生能力が働かない以上、長期戦は自分の首を絞めるだけだ。ならば、

「ここで、一気に畳み掛ける!」

 叶の周囲を吹雪が舞う。これまでのものとは規模が違う、強烈な力に煽られ、空気が唸りをあげる。

「お嬢」

「うん。次で決めにくるみたいだね」

「我輩がやろうか?」

「だーめ。アルキメデスはボクが困ったときだけだってば」

「むぅ……」

「大丈夫。ボクは負けないよ」

「そんな心配はしていない。……我輩もお嬢の役に立ちたいのだ」

「クスッ、……ありがと、アルキメデス。でもボクの気持ち、わかってるでしょ?」

 アルキメデスは何も言わない。いや、わかっているからこそ敢えて言おうとしない。喋ろうとすればきっと出てくるのは不平不満ばかりだろうから。

 ……水夏は、本来は優しい少女である。

 基本的に戦いを好まず、出来ることなら静かに平和に暮らしたいと考えている。

 しかし……力を持つ者にとって望む望まざる関係なく戦いは付き纏うということを水夏は知っている。

 ならば、せめて意味のある戦いをしたい。そう願うのは罪なことだろうか。

 だから水夏はアルキメデスの助力を拒む。出来る限り相手の力に合わせた戦い方をする。

 相手が生き抜いてきた道を受け止めるため、全力をこの身に刻むため、敢えて力をセーブして戦う。

 それは、取り様によってはおこがましいにもほどがある傲慢と言えよう。相手を見下しているし、自己満足と呼べる行為かもしれない。

 でも……『強き者』として生まれ、そして多くの命をこの手にかけたからこそ、せめてそれくらいはしたい、と水夏は思う。

「矛盾してるとは……思うけどね」

 自嘲気味に笑い、水夏もまたギメッシュナーを振り上げる。

「やろう、ギメッシュナー。あの人の全力を受け止めて、そしてその上で……勝とう」

Yes. Let's do as you say.

「うん」

 叶、水夏双方に巨大な力が集まっていく。そのあまりの密度に大気が悲鳴をあげている。

 いや、あるいは集束している力の歓喜の咆哮か。まるでまだかまだかと解放を急かしているかのような。

「「……」」

 数秒の静寂。嵐の前の静けさ。

 ……そして、最初に動き出したのは叶だった。

「凍て付けッ!! 氷月華・燐舞!!」

 吼え、剣を地面に突き刺す。

 するとその瞬間、まるで華が咲くように凝縮された巨大な氷の塊が方々に出現する。それは上から見たらまさに花弁だ。

 全部で三十五。それが叶の足元から全方位に伸び、そして一気に水夏目掛けて突き進む。

 それだけではない。中央にいる叶を花弁が閉じるように幾重もの氷の層が覆い、その身を保護していた。

 攻防一体の、叶最高の大技だ。過去にこれを突破したのはアリス程度のものである。

 ――決まれ……!

 まるで祈るように心中で叫ぶ。これで決まらなければ、もう道はない。

集い、放て。いかなる物も、断ち切る闇を

 だが、叶は勘違いしている。

 水夏は叶の思っているように何かしらの制約があって力を抑えているわけではない。自分の意思でセーブしているだけだ。

 故に、『その隙を突く』という叶の行動に意味はない。

 ……はなから、これは結末の決まっている戦いなのである。

 

漆黒の境界 (デス・ボーダー)

 

 迫る研ぎ澄まされた氷の刃に目もくれず、水夏はギメッシュナーを振り下ろした。

 キン! と甲高く軽い音だけが耳に届き、それ以外一切の音は消え去った。

 伐れた。

 水夏に向かっていった、氷の刃が伐られた。

 切れた。

 叶を守っていた、幾重もの氷の壁が切られた。

 斬れた。

 神の加護を受けた、叶の身体が斬られた。

 それだけだ。それだけのことで……全てが終わる。

 漆黒の境界。

 文字通り、あの瞬間その技は空間に境界線を作り上げた。そしてその境界線上にあったものは全て切断された。

 どれだけ強固な結界を持っても防げない。仮に空間跳躍を用いたとしても逃げること叶うまい。

 空間切断攻撃。これは理論上防ぎようのない攻撃であるのだから(対消滅、次元崩壊系などはその限りではない)。

「……ごめんね」

 囁くと同時、時間が動き出したかのように瓦解の音が響き渡った。操作する主を失った氷柱が崩れ出し、塵へと帰っていく。

 氷の力が消失する。その理由は……ただ一つしかない。

「……がっ、あ……」

 膝から崩れ落ちる。叶は呆然と足元に流れる血溜まりを見つめ、

「……あ、さく、ら……」

 瞳から灯火が消える。そのまま身体を弛緩させ血溜まりの中に倒れこんだ。……もう、二度と起き上がることはない。

 着地した水夏がその光景を見下ろし、

「――さよなら」

 小さく呟いて、黒い外套を翻し立ち去った。

 

 

 

 あとがき

 はい、こんにちはこんばんは、神無月です。

 そういうわけで個人バトルの続きです。今回は霧羽香澄&工藤叶そろって死亡という結果に。

 まぁ正直相性もありますが、水夏はどっちが相手でも勝ったでしょう。宏は叶相手だとちょっときつかったかもしれませんが。水属性なので。

 とはいえ宏はそれをわかったうえで水夏に任せたのですからこれは戦略の勝利とも言えますかね。

 さて、水夏の能力はもう前々回で明らかになっていますし、やはり今回のポイントは稲葉宏の能力でしょうか。

 まぁ今回の話で先の展開がちょっと読めた方もいるかもしれませんが、その手の質問はなしの方向でお願いしますね?w

 で、次回は良和VSアリスなど東門でのバトルです。お楽しみに〜。

 

 

 

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