神魔戦記 第百三十八章

                    「明けぬ夜のグランギニョル(V)

 

 

 

 

 

 門を抹消した秋子が悠然と歩を進める。

 先程の『砕城の夜』から免れた兵士たちが遠巻きに秋子を包囲するが、その顔には恐怖がありありと浮かんでいた。

 その様に苦笑し、

「では、始めましょうか?」

 そう優雅に微笑んだ途端、周囲にいたダ・カーポ兵の三十人ほどが同時に黒い結界に取り込まれる。

琉落( るらく)( よ)

 呟き、そしてパチン、と指を鳴らす。

 それだけ。それだけで結界は割り砕け……その中にはもう誰もいなかった。

「ば、化け物!?」

「あまりそういうことを人に言うものじゃありませんよ?」

「ひっ――」

 男の悲鳴も最後まで紡がれない。同じく『琉落の夜』に包まれて消えた。

 その合間に白亜の騎士が周囲から秋子へ襲い掛かるものの、

「人、ではなさそうですね。……人形? まぁ同じことですが」

 指を鳴らせば、秋子を中心にやや大きめの『琉落の夜』が展開し、それらの人形を全て飲み込み、そして消失した。

 圧倒的だ。圧倒的過ぎる。

 秋子はただ悠然と歩くだけ。周囲の兵士たちは近付く間もなく『琉落の夜』に消され、必死の思いで攻撃をしたと思っても『遮鏡の夜』で防がれる。

 当たれば必死。しかし攻撃は一撃も通らない。

 なんというワンサイドゲーム。なんという蹂躙劇。

 これが水瀬。魔族七大名家の一つ、特殊なる闇、『不通』の力を持つ水瀬の力なのである。

 そして、対多数戦を得意とする水瀬の中でも秋子は無二の天才だった。

 魔力の豊富さ。コントロールの高さ。魔力操作の技術。そして空間把握能力。どれを取っても過去の水瀬の中でトップ。

 例えば『琉落の夜』は媒体なしで空間指定可能、最高射程は対象物が視認できる距離、最高同時展開数は百二十というふざけた能力だ。

 しかも名雪のような未完成なものではない。展開して集束するまで秒もない。取り込まれればそれこそ一瞬である。

 彼女ほど『水瀬』の本髄を極めた者はいない。

 才能だけで言えば伊月や小夜の方が上だが、彼女たちはそれが特殊すぎて別方向に進んだ存在だ。

 こと『対多数戦』というステージにおいては秋子こそ水瀬最強である。

「邪魔です」

 秋子の一言で前を塞いでいた二十人の兵士たちが一瞬でかき消された。そのまま前へ進もうとして、

「ん?」

 超高速で飛来する雷の矢が秋子の結界に衝突した。

 それは『遮鏡の夜』によって霧散するが、いままでの兵士たちの比ではない威力に秋子は足を止めた。

「どこから……?」

 秋子は発射源を特定しようと周囲を見渡すが、相手の姿は確認できない。

 その間にも再びもう一撃が秋子の結界に激突する。

「私の視界より遠くからの長距離狙撃。そしてこの威力。……なるほど。これがダ・カーポの誇る六戦将というものですか」

 秋子の言うことは正しい。

 秋子の立つ場より遥か前方、ダ・カーポの王城の周囲を覆うようにして建つ守護塔の上にその影はあった。

 弓を手に、漆黒の髪を靡かせる少女の姿。

 その少女は、名を胡ノ宮環。ダ・カーポ六戦将の一人である。

 彼女の矢は隣国へさえ届くと言われ、それは過剰表現であろうとも実際この王都中央から王都入り口に立つ秋子にピンポイントで当てている。

 その距離は、どう考えても尋常なものではない。

 再び矢をつがえる環。そのまま一呼吸し、弦を引き絞って、

「ふっ!」

 射る。

 環の属性である雷を付与された矢はまさしく雷光となりて秋子へと突き奔る。

 狙いは、一寸の狂いもない。

「!」

 三度、衝突した。あまりの威力に空間が放電し、秋子の近くにいた水瀬傘下の兵士たちが吹き飛んでいく。

 だが『遮鏡の夜』を貫通するには至らない。秋子は未だ無傷であった。

「この程度の威力であれば私の闇は貫けませんけれど……ただ受けるだけというのも面白くないですね」

 秋子の笑みは崩れない。……否、よりその笑みを深くし、

「では接敵と行きましょう」

 跳んだ。

 路面に皹が奔るほどの力で前方上空へ跳ぶ。しかし秋子は名雪と違い翼はなく、飛行する手段はない。しかし、

遮鏡( しゃきょう)( よ)

 そう秋子が呟くと、彼女の足元に小さな『遮鏡の夜』が生まれた。それを踏み台に、再び跳ぶ。

 その繰り返しだ。

 水瀬の闇は『不通』。そして好きな空間に展開が可能なら、確かにこのような使い道も可能だろう。

 しかも速い。秋子は身体能力の高い魔族の中でもかなり高い部類に入る。肉弾戦だけでもそんじょそこらの魔族では及ぶまい。

 だがその程度、環とて読んでいた。

「皆様! お願いします!」

 次の瞬間、環のやや前方……秋子側に近い家の屋上に次々と弓を構えた兵士たちが姿を現した。

 その数……およそ五百!

「待ち伏せ、ですか。しかし……」

「構え!」

 環の声が響き、

「一斉射!」

 矢が一斉に放たれる強烈な面射撃。しかし、

「その程度で」

 どれだけの数を揃えようと、水瀬の『不通』の闇に意味はない。……だが、

天の神へ捧ぐ 空突きし稲光 とくと帯びて 六根清浄へと誘わん

 六曜の光 二種の極み 我紡ぐは内の六曜が一

 祓給 清め給ふ事の由を

 六曜の神等 諸共に

 我が前に伏す魔を 振立て聞し食と申す

 静かに大気を震わせ紡がれるは、祝詞にして呪刻。魔術でも結界術でも呪術でもない、それは、

「法術!?」

 魔族が跋扈した時代、力の劣る人間族がそれに対抗するため自ら編み出したと言われる、人間族のみが使用可能の新たな術。

 それが法術だ。

 上位種に対して莫大な効力を発揮する、魔術と結界術と呪術を組み合わせた発展型。

 だがそれは魔族だけにあらず。対象は神族にさえ及ぶ。まさに文字通りの対上位種用の術だ。

 しかし、これは魔術よりも扱いが難しく、使用出来る者は生まれながらの才能が必須になる。

 その上使用者の絶対数が少なく、過去の戦争でその大半が殺された。当然だ、そんな術があるとわかった以上使用者を優先的に叩かないわけがない。

 時も経ち、その術は既に失われたものと聞いてはいたが……、

「まさか、使える者が現存しているとは思いませんでした。ということはこの矢の雨は足止め兼目くらましということですね……!」

「参ります」

 環の矢が神々しい輝きを宿す。それは雷光のそれではなく、もっと純然な光……!

秘術 雷神・通天射

 引き絞られた弦が離された瞬間、一条の轟雷が闇夜を切り裂き眩く染め上げた。

 大気の層を容易く穿ち、音は半瞬遅れて耳を打つ。その速度は尋常ではなくかわす余裕などない。

 環が手を離した瞬間には既に秋子に命中していた。爆音が響き渡り、稲妻の炸裂が宙に咲き誇る。

 歓声が沸き立つ。これまで環の『雷神・通天射』を受けて生き残った魔族はいない。それをダ・カーポ兵の誰もが知っている。

 故に終わったと、そう思った。

 ……だが次の瞬間、巨大な漆黒の結界が歓声を上げる兵士たちを纏めて封じ込めた。

 そしてその中には、環も含まれていた。

 その大きさは直径で三百メートルほど。名雪とは桁が違う。下手をすればダ・カーポの王城を丸ごと飲み込めるほどの規模。

 否、元よりこれはそういった対城技なのだ。だからこそその名がある。

「そ、んな……!?」

 目を見開く環。果たしてその驚きは秋子が生きていたことに対してか、この結界の大きさに関してか。あるいは――その両方か。

「正直、驚きました」

 声は煙の中央から聞こえてきた。

 爆煙が晴れていく。するとそこから……手を掲げ『遮鏡の夜』を展開している、無傷の水瀬秋子が見えた。

 だが、すぐにその『遮鏡の夜』が粉微塵に砕け散る。

「あなたは自分の力を誇って良いでしょう。過去、幾万の相手と戦って来ましたが私の結界を破ったのはあなたを含めわずかに五人ですから」

 一人目は相沢慎也。魔族七大名家同士として戦い、その絶対的な力の前に屈した。

 二人目は芳野さくら。桁外れの魔力を込められた古代魔術によって破られた。

 三人目は相沢祐一。慎也の息子であり、光と闇の上位属性の対消滅によって打ち消された。

 四人目は水瀬小夜。どちらが上か決めよう、と戦い完敗。あれは水瀬でありながら水瀬の天敵と言える能力を持っている。

 そして五人目、それが胡ノ宮環だ。

「法術使いが生き残っていたとは思いもしませんでした。ヒヤッとさせられましたよ。もう少し力の上乗せが遅れていれば貫通していたでしょう」

 しかし、と呟き、

「次はありません」

 にこり、と。慈愛に満ちた笑みを携え、

「さようなら、法術使いの弓兵さん」

 無慈悲なる言葉を告げた。

「皆さん、この空間から早く外に……!」

砕城( はじょう)( よ)

 パチン、と指が鳴らされた瞬間、広大な範囲を覆っていた黒の結界は一瞬で消失した。

 中に存在した全てのモノを、一瞬で塵へと変えながら……。

「……ええ、そうでしたね。教訓だったのでしたね」

 舞い上がる白き塵を見下ろし、秋子は自らの手を見やる。

「たとえ誰が相手であろうと油断はしない。慢心こそが私の弱さだと、知っていたはずなのに……」

 そう、だからこそ秋子はここにいる。

 格下だと信じて疑わなかった相沢祐一に敗北し、シュンを経由してウォーターサマーの水瀬に拾われた。

 そこで配下のように扱われることに納得がいかず、完治した後に戦いを挑むが小夜にも負けた。

 自分の慢心さに気付き、そして強さを望んだ。

 水瀬の天才と謳われて自惚れていた自分を変えるために、せめてまずはその気構えだけでも直そうと思っていたのに。

 ……いや、そういう意味では環との戦いは良い教訓になった。相手の種族がなんであれ、見下した時点で油断は生まれる。

「――」

 拳を握り締める。強くならなくてはならない。こうして生を長らえているのならば、

「二度も負けはしません。この、水瀬の姓にかけて」

 相沢祐一。水瀬小夜。

 いつか必ず、この二人を倒してプライドを取り戻す。

「そう。何故なら私は――」

 水瀬秋子。あの相沢慎也の右腕とまで呼ばれた魔族の女。

 自分の名の失墜は、最愛の男の名まで汚すことになるのだから。

 

 

 

「じゃあやってもらいましょうか。……やれるものなら、ねぇ?」

 嘲るように笑い、小夜は軽い動作で両手を広げた。

 彼女の手の先には拳を覆うくらいの大きさの黒い球体が展開されている。

 それを見て眞子は小夜が近接戦闘型だと推測した。どのような魔力かはわからないが、拳を覆っている以上何かしら付与されているに違いない。

 ――なら少し距離を取って戦うべきよね。

 眞子とて近距離戦を好むタイプだが、相手の手の内がわからない以上おいそれと近付くわけにもいかない。

 近距離戦は遠距離戦より刹那の判断が重要になる。だからこそ、判別材料は多いに越したことはない。

 慎重に行こう。そう考え、まずは中距離で相手の出方を見る体勢に入る。

「……ん〜?」

 そんな眞子の意図を悟ったのか、小夜はつまらなそうに肩を落とし、

「ねぇ、あれだけの啖呵切っておきながらそんな受けの体勢なわけ?」

「あたしは是が非でも勝たなくちゃいけないの。あたしはこのダ・カーポの要である六戦将なんだから」

「ふーん、あっそ。……まぁ良いけどね。でも一つ言わせてもらえると」

 一息、

「あんた、そんなんじゃすぐ死ぬわよ?」

 え? と疑問に思う間もなかった。

 次の瞬間には左肩に灼熱の痛みを感じ、眞子はいきなり吹き飛んでいた。

「が、あ……!?」

 地面を転がりながらも、すぐさま右手で勢いをつけて立ち上がり、距離を取る。

「なに、いまのは……!?」

 痛みを感じる左肩を見る。するとそこには銃弾に撃たれたような傷跡があった。

 だが銃ではない。普通の銃弾であれば眞子は見切れる。雷属性の魔術でさえ視認は可能だ。

 が、いまのは見えなかった。いや、微かに何か赤いものは見えたが……それがなんなのか判断するには至らない。

「なるほど。言うだけはあるってことか。無意識に身体が反応してて一撃じゃ死ななかったわね」

 その攻撃をしたであろう小夜は、ただ愉快げに笑うのみ。

「……なんなのいまの技は」

「敵に自らの能力を明かすと思ってんの?」

 それはそうだ。普通はそんなこと口にはしないだろう。

 だが、

「まぁ教えてあげても良いけどね。どうせ教えたところであんた程度には対処できないものだろうし?」

 小夜は嘲るように言い捨て、

「っ……!」

「水瀬の力は不通の闇。囲って全てを遮断し、凍らせ、壊す。そのせいか『氷系』ってイメージがあるけど、そんなことはない。

 使いようによってはね? こういう風にだって使えるのよ」

 無造作に手を差し出した。

貫焔( かえん)( よ)

 手を包むように展開していた球状の闇、その一点に亀裂が奔り、そこから一気に爆発的な炎が一直線に迸った。

「!?」

 その炎が眞子の脇腹を撃ち抜いていく。

 眞子が撃たれる寸前に直感で身体を動かしていなかったら直撃、間違いなく死んでいただろう。

 攻撃速度が半端じゃない。雷属性の魔術でさえ及ばぬほどの強烈なスピード。

 撃たれた、と思った瞬間には既に身を貫いている集束された爆炎。

 それが『貫焔の夜』。

 不通により全てのマナがなくなった闇の中に火を灯し、一点のみ不通を解除。

 そうすれば火は存続せんと外のマナに、酸素に喰らい付く。それは爆発するように膨れ上がり、加速度的にその方向へ迸る。

 しかもその圧力は魔力により凝縮、更に倍々に加速までされ、まるでレーザーのような指向性を持って一点撃破を可能とする。

 水瀬小夜のみが扱う、彼女オリジナルの技だ。

「ふふん」

 小夜は自慢気に髪を払い、苦痛の表情を浮かべ脇腹を押さえる眞子を見下ろして、

「よく二度もかわせたわね……と言いたいところだけど、実はこっちも最初から殺す気なんてなかったのよね」

「……ど、どういうことよ」

「だってさぁ? ようやく邪魔な隣国を潰せるっていう待ち望んだパーティーじゃない?」

 小夜は嘲笑を浮かべ、

「だったらさ、もう少し楽しまなきゃ損でしょ?」

「舐……めるなぁ!」

 眞子の拳が地面に打ち込まれる。

 すると大地が隆起し、数多の茨となって空中に舞い、一気に小夜へ襲い掛かる。

 だがそれらは小夜の手の一振りで全て弾かれてしまう。

 小夜の腕には常時『遮鏡の夜』が展開されている。

 本来は魔力消費が激しく常時展開できるような技ではない。が、小夜はそれを掌を覆う程度の大きさに縮小することにより可能にしていた。

 更に『貫焔の夜』もここから発射することを考えれば、攻防一体の柔軟かつ素早い戦闘スタイルと言えるだろう。

 数で攻めても捌かれ、高威力での攻撃も防がれる。そして攻撃は威力、速度共に凄まじいときた。

 ――こんなの、反則じゃない……!

 そうして悔しさに歯を噛み締める眞子の前方で、

「ねぇ、まさかとは思うんだけど」

 小夜は笑みを消し、

「……本当にこれで終わり、なんてことはないでしょうね?」

 期待はずれだ、と言わんばかりの冷めた表情で眞子を見下ろした。

「っ……!」

「え……ちょっとマジ? やめてよね、折角手加減してあげてんだからさぁ、もっと頑張ってよ。じゃないと面白くないじゃない」

 完全に見下されている。

 眞子は拳を握り締め、キッと小夜を睨み上げた。

 確かに力の差は圧倒的だ。だが、手加減されているという事実が彼女には許せなかった。

 眞子とて一人の戦士だ。敵に手を抜かれたとあれば、黙っていられないとが戦士というもの。故に、

「あたしは……六戦将が一人、水越眞子よ!!」

 吼えた眞子が、拳を地面に振り下ろした。

 穿たれる地。すると次の瞬間、それを中心点として強大な魔法陣が煌々と展開される。

 強大な魔力の迸り。これまでの技などとは比べるべくもない威圧感に、小夜は僅か口元を釣り上げた。

「召喚魔法陣……ねぇ。奥の手ってやつ? 良かった良かった。このまま終わっちゃったらどうしようかと思っちゃった」

 光は夜空を染め上げ、呼ばれし存在の出現を彩っていく。

 地面から浮かび立つようにして現れたそれは、魔法陣の大きさからもわかるとおりに巨大なものだった。

 いや……巨大すぎる。

 大型の魔物、というのは確かに存在するがこれはそんなレベルではない。

 ダ・カーポの王城さえ越すのではと思わせるほど強大なシルエットが魔法陣の上に出現した。

 それは岩の鎧で全身を固めた巨大な兵だった。ゴーレム……に近い魔物のようだが感じられる密度や気配は段違いだ。

「――巨岩兵トァエストロ」

 眞子の囁きに応じるように、その巨人は声とも音とも取れぬ奇怪な咆哮を上げた。

 眞子の奥の手、巨岩兵トァエストロ。

 昔、王都から南西にある古城プライスレスに魔物の討伐に向かったとき、魔物の群れのリーダーとして立ちはだかったのがこのトァエストロだ。

 動きは緩慢だが力は絶大、上級魔術さえ弾き返す頑丈さに撃退には苦労したが、六戦将三人でどうにか倒したという曰くつきの魔物だ。

 地属性故か、眞子と相性が良くその折に使い魔としての契約を結んでおいた。

 間違いなく眞子が扱える最大戦力である。

「トァエストロ! 叩き潰しなさい!」

 巨人兵の拳が振り上げられる。上がるまでの動作は遅いが、振り下ろしは強烈な速度で放たれる。

 拳だけでも民家四件分くらいはありそうな大きさ。それを高々度から叩きつければいかな結界といえどただではすむまい。

 ……なのに、

「ふーん」

 小夜は迫る拳に表情を変えることはなく、ただ無造作に掌を掲げ、

 

 ズン!!! と衝撃が大気を殴りつけた。

 

 鼓膜が破れるんじゃないかとさえ思う強烈な打撃音と破砕音。

 だが、

「そ、んな……」

 小夜は、生きていた。五体満足。傷一つない。

 割れていたのは、トァエストロの拳の方だった。

 無造作に掲げられた掌に展開する不通の闇。それに減り込むような形で、トァエストロの拳にビシビシと皹が奔っていた。

 あの結界は衝撃さえ殺すのか。結界は無事でも展開している術者にかかる衝撃だけでも相当なダメージを期待していたのに、小夜の足元はそんな攻撃などまるでなかったかのように皹一つ入っていなかった。

「大きさだけは一級品。……でも、密度はたいしたことないわね。稲葉んとこのタケミカヅチの半分もないし」

 あーあ、と気だるげに嘆息し、

「ホント、期待はずれだった」

 次の瞬間、小夜の掌から放たれた爆炎によってトァエストロの身体がぶち抜かれた。

「……え?」

 あまりにもあっさり。あまりにも無常に。

 あれだけ自分たちが苦労した魔物を溜め息混じりにただの一撃で、この少女は壊した。

「なかなか硬そうではあったけど、残念ね。貫通力だけなら柾木の鬼にさえ勝るのよ、あたし」

 そう。小夜の『貫焔の夜』は貫通力に特化したもの。水瀬秋子の『遮鏡の夜』さえ貫通する脅威の結界突破技なのだ。

 このゴーレムがどれだけの強固さを誇ろうとも関係ない。何せ小夜の前に防御力など意味を成さないのだから。

 小夜は嘆息。とはいえ、と崩壊していくトァエストロの残骸を見上げ、

「この程度じゃあたしたちの誰と当たっても同じ結果だったでしょうけどね」

「う、そ……」

「ホントよホント。むしろ柾木の鬼や稲葉の死神の方があたしより強いだろうし。もっと圧倒的な結果だったかもね?」

 まさか、この少女より強い者がいるというのか。

 ウォーターサマー。過去幾度と小競り合いを繰り返しながらも戦況は拮抗していた。だからこそ、眞子はその戦力はほぼ同等だと認識していた。

 ……だが、その考えは完璧に間違っていた。

「ダ・カーポ最大戦力の六戦将がこの程度だなんて……期待はずれも甚だしいわね〜」

 拮抗、なんてもんじゃない。

「こんなに弱いんなら、ダ・カーポなんてとっとと潰しておけば良かった」

 明らかな、圧倒的な、桁違いの戦力差がそこにはあった。

「死になさい」

「っ!」

 小夜が手を掲げると同時、眞子は咄嗟に地面を殴りつけ地の防壁を作り上げた。

 無駄だというのがまだわからないのか。 しかし構わず小夜は『貫焔の夜』でその防壁を貫いた。

「……ん?」

 だが、崩れた防壁の向こうに眞子の姿はない。

 おかしい。『貫焔の夜』は貫通力に特化した技だ。死体が残らないほど派手な威力は出ない。ならば……?

「ははぁん。そういうこと」

 近付いてみて、疑問はすぐに氷解した。

 防壁の足元。そこに人一人が通れるほどの穴が開いていた。

 眞子は地属性だ。地面の中を掘り進むという芸当が出来てもおかしくはないだろう。

「逃げた、か。あんまりそういうタイプには見えなかったけど……」

 適当に数回『貫焔の夜』を地面に撃つが、もちろん手応えなどありはしない。

 こういうとき効果範囲の狭い小夜の攻撃では追い討ちができないのが欠点と言えば欠点か。

「ま、いっか。あの程度の実力なら誰と当たったところで勝てるわけなんてないんだし。あたしはとっとと王城へ向かうとしましょう」

 別に全員を殺す必要などはない。

 良和はそのつもりのようだが、小夜としては王族さえ討てればそれで良いだろうと思っている。他は精々ただのおまけだ。

 だから小夜はすぐに眞子のことを意識の隅に追いやり、再び王城へと足を向けた。

 小夜にとって、此度の戦いは所詮その程度の些事でしかなかった。

 

 

 

 あとがき

 えー、どーもー神無月です。

 さて、今回から個人バトルも始まったわけですが……そんなわけで胡ノ宮環死亡。水越眞子は逃亡という結果に。

 水瀬秋子。いや、彼女弱いように見えていたかもしれませんが、ぶっちゃけかなり強いんですよ?

 なんせ最高ランクの防御+命中したら一撃死の攻撃ですからね。ただ防御が強い分回避しようっていう考えが起きないだけで(汗

 で、小夜はこれまでの水瀬とはまったく異なる戦闘スタイルの持ち主です。

 派手な技は持ちえませんが、地味に強力です。大概の結界は貫通しますからね。しかも見て分かるとおりあれで全力じゃないですし。

 防御力にものを言わせて動かないタイプ(秋子や茜、理絵)の天敵でしょう。まぁ理絵の二十重クラスならさすがに不可能ですけど。

 逃亡した眞子がどうなるかは……まぁ追々。

 で、次回は南門の方に視点が移ります。ほにゃらば。

 

 

 

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