神魔戦記 第百三十七章

                    「明けぬ夜のグランギニョル(U)

 

 

 

 

 

 闇の中にいた。

 自分の姿さえ見ることのできない漆黒の中でありながら、確かにそこに少女の存在を知覚できた。

 まだ生まれて間もないのだろう。その少女は立つことが出来ず、ただ這い蹲っている。

 少女の手には木で彫られた星型の何か。それを構い戯れている姿は純粋な赤子のそれだった。

 しかし、違う。

 闇が晴れていく。少女を中心に外の世界があらわになっていく。

 その光景を見て、絶句した。

 血の海だった。

 数百という数の死体が、少女を取り巻くように並んでいる。

 焼け爛れた死体。バラバラに刻まれた死体。凍結した死体。叩き潰された死体。水分を吸収された死体。

 種類は様々なれど、それらは共通して悲痛な顔を浮かべていた。

「素晴らしい」

 気付けば、いつの間にか少女の目の前に老人が立っていた。

 見た感じで老いているのはわかるのだが、眼はまるで死んでいない。野望に満ち溢れ爛々と輝いている。

「素晴らしいぞ風子。お前こそ我らが伊吹家の誇り! 絶対的な支配者だ!」

 誇るように、讃えるように両手を広げて老人は力説する。

 しかし少女は意に介さない。ただ手元のそれを構って遊ぶだけだ。

「風子。偉大なる我ら伊吹の名を、どうか世界に轟かせておくれ」

 慈愛に満ちた声で老人は囁き、いとおしそうに風子を抱きかかえ、

「――がっ!?」

 瞬間、老人の両腕が吹き飛んだ。すとんと落ちた風子が、そのまま老人を見上げる。

 すると左足が燃え、右足が凍り付き、右肩が潰され、左肩が切断され、胸が穿たれ、

「ふ、う……!」

 そして最後に頭が爆発した。

 弛緩した体が地べたに落ちる。その姿はまさしく周囲の死体そのままである。

 だが少女はやはり意に介さない。

 服や頬に血肉がこびり付いていても、少女はただ無心にその星型の何かで遊ぶ。

 ……つまりは、それだけの理由である。ただ少女はそれで遊びたかっただけ。それを邪魔したからどっかに行って欲しいと願っただけ。

 それだけで命が消える。

 周囲の死体もまた、彼女の絶対的な力を我が物にしようとした連中。だが結局誰も少女を手にすることはできない。

 彼女の邪魔をすれば、死ぬ。

 そんなルールが、もうこんな段階で出来上がっていた。

 彼女が正義で、彼女がルールで、彼女が法で、彼女が絶対。

 誰も何も言えず、出来ず、ただ遠目に見るばかり。

 彼女は常に一人。

 近くにあるのはその星型の木彫りだけ。

 それが彼女の全てであり、そして彼女にはそれだけで十分だった……。

 

 

 

 そこで、朝倉純一は目を覚ました。

「っ……。いつの間にか寝ちまってたのか」

 早々に痛みを感じ、眼を押さえる。

「今回は魔眼みたいだな……」

 また他者の夢を見た。だが今回はどうやらこの夢現の魔眼のものであったようだ。

 しばらくすれば痛みも止む。そうとわかっている純一はそのまま数分じっとしていた。

「……ふぅ」

 痛みが引いてきたので、純一はゆっくりと身体を起こす。珍しいことではないとはいえ、やはり他者の夢を見るのは面白くない。

 しかも今回見た夢は、あまりに惨いものだった。

「……でも魔眼で見たからには、あんなやつが世界のどこかにはいる、ってことだよな」

 絶対的な力を持って生まれた少女。それ故にどんなことさえ許され、一人で育った。

 それは恐ろしくもあったが、同時に、

「……悲しいよな」

 下手な感傷か、と純一はベッドから腰を上げる。凄惨な夢を見たせいかどうも頭がハッキリしない。顔でも洗おう。

 廊下に出て、そのまま居間へ抜ける。

「あ、おはようございます兄さん。お昼寝とは良いご身分ですね?」

「ぬぐ、おはよう音夢……」

 居間では音夢が洗濯物をまとめて畳もうとしているところだった。眼が「こんな夜まで昼寝とは良い度胸だ」と物語っている。

 このままここにいては間違いなく嫌味と説教の二重攻撃になるのがわかっているので、純一はすぐさま退散を決め込もうとする。

 が、ふと純一は視界の中に気になるものを発見した。

「なぁ音夢」

「なに兄さん」

「あの窓に止まっている鳥って確か……」

「え? あ――」

 音夢も気付かなかったようだが、閉められた窓の向こうでじっとこっちを見ている鳥がいる。それは純一も音夢も見た覚えのある鳥だった。

「あの鳥って確か、お前が文通している……」

「うん。さやかさんの鳥だね」

 朝倉音夢はあのウォーターサマー四家、白河家の当主であるさやかと文通をしていたりする。

 以前、まだ音夢が六戦将だった頃の関係で、王同士の会議に出席したときに知り合ったのがきっかけである。

 ちょっとした出会いではあったものの、二人は意気投合し、こうして誰にも内緒で秘密の文通を続けていた。

「でも変だなぁ。さやかさんの手紙はいつも決まって朝に届くのにこんな夜に届くなんて……」

「何か悪い知らせとかな?」

「もう、やめてよ兄さん。そんな縁起でもない」

 苦笑しつつ、窓を開ける。すると凄い勢いで鳥が音夢の肩に飛んできた。

「わわっ」

「? ……なんか、様子が尋常じゃないな」

「う、うん」

 何か良からぬ気配を察知し、純一も近付いてくる。音夢も嫌な予感が抜けないのか、鳥の足に結われた手紙を緊張した面持ちで解いていく。

 軽く息を呑み、そして手紙を広げれば、

「………え?」

 音夢はただ呆然と、呻くように呟いた。

「おい、どうした音夢。何が書いてあったんだ?」

 しかし音夢は何も答えない。目を見開いたままだ。

 純一は舌打ちすると、音夢の後ろに回りこみ手紙を覗き読んだ。

「なっ……!?」

 そこに書かれていたことを目の当たりにして、純一も思わず息を呑んだ。

「ウォーターサマーが、ダ・カーポに宣戦布告をする……!? しかも今夜中に攻め込んでくるだと!?」

 手紙に書かれていたのは、ウォーターサマーの会議でダ・カーポとの戦争が決まったこと。

 今夜中には動き出すだろうこと。

 白河家は今回の戦いに参加しないということ。それらが記されていた。

 そして最後に、

『多分王都を攻め込んで落としたら、他の街にも侵攻すると思う。でもきっとタイムラグがあるはず。

 だからお願い。その間に逃げて。絶対に戦おうなんてしちゃ駄目だからね』

 そう書かれて、手紙は終わっていた。

「に、兄さん……」

 音夢が純一の腕を掴んでくる。だが、純一はまったく気付いていなかった。

 ――ダ・カーポが攻め込まれる……?

 いまは離れたとはいえ、王都は純一の生まれ故郷のようなもの。知人も友人も多くいる。

 そこが、もうすぐ戦場になる……?

 考えるまでもない。その時点でもう純一の行動は決まっていた。

「に、兄さん!?」

 突然踵を返す純一に、音夢が当惑の声をあげる。だが純一は振り返ることなく、

「アイシア! 美春! 来てくれ!」

 二人を呼ぶ。すると夕飯の支度をしていたのだろう、エプロンをつけた二人が居間へとやって来た。

「なんでしょうマスター」 

「どうしたの純一? 夕食ならもうすぐ……純一?」

 二人とも純一の様子を見て何かただごとではないと察したのか、すぐさま表情を変えた。

「……何かあったの?」

「隣国のウォーターサマーがここ……ダ・カーポに侵攻してくるらしい」

「「!?」」

 事態が思っていた以上に大きいことに驚く二人。そんな二人を等分に見下ろし、純一は口を開く。

「頼みがある。二人の力を俺に貸してくれ」

 拳を握り締め、

「――ダ・カーポに行って皆を助ける。黙って見過ごすことなんて出来ない」

「兄さん!?」

 音夢の驚きの声が耳に届くが、純一はこの手紙に書かれているように逃げる気になどなれなかった。

 決して王都に良い思い出は多くない。だが、ないわけではないのだ。

 王都で出会った友人たち。叶や杉並、眞子やアリス、萌やななこたち……そして、

 ――朝倉くんっ。

 白河ことり。王女でありながら落ちこぼれの烙印を押された純一にも普通に接してくれた、優しい少女。彼女の歌声はいまでも耳に残っている。

「皆を置いて、自分たちだけ逃げるなんて出来るか」

 自分は目の前にいるアイシアのような英雄じゃない。誰かを救えるなんて自分の力を過信もしない。

 しかし、だからって逃げられるわけもない。

 あるいは、これは自己陶酔や自己満足の一つなのかもしれない。綺麗事を並べる前に自分の命を大切にするのは、おかしくはあるまい。

 だが嫌だった。そこまでスパッと割り切れない。たとえ自分が出向いたところで何にも出来ないにしても、

「俺は、せめて自分の手が届く範囲だけでも救いたいんだ」

「さすが純一! それでこそ私のマスターです!」

 その言葉に真っ先に反応したのはアイシアだった。

「純一の救いたい人は私にとっても救いたい人です。

 そのウォーターサマーという国がどの程度のスピードで動くかはわかりませんが、すぐに向かいましょう。手遅れになる前に!」

 音夢や美春はそんなアイシアの過剰とも取れる反応にやや驚いている。だが彼女の過去を夢に見た純一からすれば予想できた答えだった。

 あのときの怒りが少しだけ込み上げるが、その力を当てにしたのは自分だ。それに……程度の差こそあれ、馬鹿さ加減は自分もそう変わるまい。

 自覚し、その上で美春を見る。

「美春はどうする?」

「はい?」

 美春は目をパチクリとさせる。……なんか、驚いているようだ。

「いや、だから……お前はどうする? 俺の我侭に付き合う必要はないんだぞ」

 なんだそんなことですか、と美春は平然と呟き、

「そんなの決まってます。美春はマスターについていきますよ。当然じゃないですか。美春はマスターの魔導人形なんですから」

「いや、だからそういう意味では……」

「マスター」

 ずいっと顔を突き出す美春に言葉が遮られる。

 まったく、と息を吐き、美春は聞き分けのない生徒に言い聞かせるように背を反らせ、

「魔導人形にとって主とはそれこそ命以上に大切な存在なんです。マスターが戦場に向かうというのに、美春が行かないわけないじゃないですか」

「けどそれは魔導人形に埋め込まれた思考だろう?」

「確かに魔導人形に埋め込まれた思考回路でもそうです。主を絶対に守れ、と。ですが、美春にとっては少し違います」

「違う?」

「美春は魔導人形ではありますが、魂が存在します。感情もありますし、思いもあります」

 だから、

「マスター。美春は……美春さん(、、、、)はその意思で、マスターを守りたいと願ってるんです。

 だから美春はあのときマスターの傍に行くことが出来ました。戦うことが出来ました。その意味が……わかりませんか?」

 そう。あのとき美春は純一との主従関係を確立させる前から、純一を守った。

 それが結果で……そしてそれだけで十分だった。

「……そうか。なら、また不甲斐ない俺を助けてくれ」

「はい! 美春にどんと任せてくださいっ!」

 その笑顔が心強い。

 美春にアイシア。彼女たちがいれば、百人力だった。

「俺たちは行く。音夢は逃げてくれ。国内に留まってるのは危険そうだから……ベイチャーに行けばまだ船も出てるはずだ。そっちへ――」

 言いつつ玄関へ向かおうとするが、その動きは服を引っ張られて止められてしまう。

「逃げません」

「な……?」

 振り向けば、服を引っ張っていたのは音夢だった。

 彼女は、真剣な表情で彼を見上げる。

「私が、兄さんを置いて逃げるなんて出来るはずない。私がどうしてここにいるか……それを考えてよ」

「音夢……」

「それに王都に友達がいるのは兄さんだけじゃない。眞子や工藤くん、胡ノ宮さんたちは……私にとっても大事な仲間だもの」

「……そうだな」

 そんなことさえ忘れてしまうなんて、かなり冷静さを欠いていたらしい。身近な者さえ気遣えず、どうやって人を助けようというのか。

 純一はそんな音夢の頭を撫でて、そして告げる。

「よし。――皆で救いに行こう。あいつらを」

「「「はいっ!!」」」

 

 

 

 ダ・カーポ王城の作戦会議室ではすぐさまウォーターサマーへの対策会議が開かれていた。

 先程の面々から更に各部隊の隊長や、民間の警備部隊や傭兵斡旋所の支部長さえ集めての大々的なものである。

 これが従来の王や女王であったなら、ここまでのことはしなかっただろう。軍のみを集めてそれで終わりだったに違いない。

 だが、やり手と評判の白河暦女王は違った。

 彼女は城塞都市マデルトの早期陥落を軽く見ず、出来る限りの最大戦力をすぐさま整えた。

 王族や軍のメンツなどどうでも良い。国民が助かった後でなら、いくらでも頭を下げよう。

 だが、何より重要なのは国民の命。それがわかっているからこそ、暦は皆の信頼を一身にする女王なのだ。

「――状況は以上です」

 軍師たる霧羽明日美により城塞都市マデルトの陥落が言い渡され、室内にどよめきが走る。中には半信半疑の者もいるようだ。

 まぁ無理もない話ではある。城塞都市とは文字通り戦闘に特化した都市だ。そこを一人に、しかも数分で落とされたなどと信じられるはずもない。

 だがこれが紛れもない事実であるからこそ、こうして集められるだけの戦力が集められているのだ。

「ウォーターサマーの進軍速度からして、到達まであと一時間というところでしょう」

「配置はどうなっているのですか?」

「いまから資料を配布します。その通りに部隊の配置をお願いします」

 軍部の兵が集まった面々に紙を回していく。だがそれを見た一人が、思わず疑念の声を上げた。

「戦力を全方位の門に分散するのですか……?」

 王都ダ・カーポには各方位に門が存在する。

 交易都市ベイチャーと繋がる北門、ルドアの街に繋がる西門、アマシスの街に繋がる南門、そして城塞都市マデルトに繋がる東門だ。

 敵は城塞都市マデルトを落とし、東から攻め込んできている。普通に考えれば全ての戦力を東に集中するべきだろう。

 だが明日美はそうは考えない。

「ウォーターサマーは王国とは名ばかりの代表四家による共和国のような国です。

 が、四家はさほど協力的というわけではありません。各々出来る限り関わらないようにさえしている節があります。

 更に城塞都市マデルトを瞬時に落とすだけの力があるのなら、敵は自分たちの力に絶対の自信を持っているはずです。

 以上の点から考えれば、ウォーターサマーは兵力をそれぞれ四家に分散し、別の箇所から攻め込む確率が極めて高いと考えました」

「しかしもし読みを外して全戦力が東から攻めてきたら? そうなっては分散した戦力では抑えきれないかもしれない」

「その場合は最低限の戦力だけを残し他三箇所の兵を中央に集めます。東門の戦力は、頃合を見計らって後退してください」

「敵に背中を見せろと?」

「拮抗していない戦力で踏ん張っても打撃は与えられません。攻め込まれている以上追い返さなければいけないのですから、ここは時間稼ぎではなく効率的に敵を撃退する策を取ります」

「しかし……」

「そのため、国民の避難も東から優先的に行っています。問題はありません」

 断言することで、兵もその矛先を納めた。

 明日美にしても際どい策だとは思うが、四つに戦力を分散する可能性がある以上この方法でしか対応できない。

 もし仮に東に戦力を集中して他から攻撃されたら、それこそアウトだ。

 だから明日美は軍師として、自信を込めて断言した。策を提示する者が弱腰ではいけないからこそ。

 明日美が暦を見る。暦の頷きを見て、明日美は告げた。

「では、作戦は以上です。時間はそうありません。迅速かつ的確に準備をお願いします!」

「「「「「了解!」」」」」

 ガタガタと椅子を鳴らし、各々割り振られた責務を果たすため早足に会議室を出て行く。

 彼らの背中を見送って小さく息を吐いた明日美に、

「お疲れ、明日美」

 ポン、と肩を叩いて姉の香澄がやって来た。

「お姉ちゃん」

 その後ろには他の六戦将や親衛隊の者もいる。

「やっぱ明日美は凄いわ。あたしじゃ絶対こんなところまで考え至らないもの」

「そうじゃなかったら軍師なんて出来ないよ」

「そりゃそっか」

 苦笑し、一歩引く。そうして皆と並び、

「で、それじゃああたしたちはどこに向かえばいいのかな、軍師様?」

 とぼけた言い草に明日美は微笑。それがこちらの緊張を解すための軽口なのだとわかっているからこそ、明日美は一層気を引き締める。

「六戦将も各方面に散らばってもらいます。まず西門。最も東門から離れているので一番敵襲率は低いし、仮に襲撃が来たとしても他の箇所よりはタイミングが遅いので対応は出来ると思います。ここを、彩珠さんにお願いします」

「うん。わかった」

「北門には眞子さんと胡ノ宮さん、南門には工藤さんとお姉ちゃんにお任せします」

「了解よ」

「わたくしにお任せを」

「尽力しよう」

「まっかせて!」

 四者それぞれの返事を聞き、続ける。

「で、最後に東門ですが、ここを月城さんと……あと親衛隊の皆さんにもお願いしたいのです」

「え、あたしたちも?」

 親衛隊の一人である森川智子が自分を指差す。

「はい。本来なら王族を守ってもらう任の親衛隊の方々にこんなことを言うのもなんなのですが、正直東の戦力が足りません。

 一応比率的には東に全戦力の四割を配分していますが、その分個人戦力が薄くて……」

 だからといって北や南の六戦将を東に回してしまっては、襲撃があったとき残った戦力で迎撃するのは難しい。

 いまは城内に留めておく戦力さえ惜しい。そういう明日美の判断だった。

「女王からは既に了承を取っています。すいませんが、お願いします」

「まぁ……女王がそう言うのなら従うしかないけど」

「うん」

 智子と加奈子がお互いを見合い、頷く。

「では皆さん……お願いします。どうか、ご武運を」

 その場にいる皆が力強く頷き、そして散って行った。

 皆、想いはただ一つだ。

 ……この国を守る、と。

 

 

 

「ともちゃん! みっくん!」

 親衛隊の智子と加奈子が揃って王城を出ようとしたとき、不意に声が耳に届いた。

 振り返るまでもなく、二人はその相手が誰だかわかった。当然だ、それだけの時間を三人は共有してきたのだから。

「「ことり」」

 息を切らせてやって来た白河ことりが、突然二人に抱きついた。

「ちょ、ちょっと……」

「どうしちゃったのよことり」

「……二人とも、行くんだよね?」

「そうだけど」

「何、不安?」

 軽口で言うが、しかし予想外にことりは頷いた。

「……すごく、不安。なんか嫌な予感がするの……」

 そこで初めて気が付いた。ことりの身体がわずかに震えている、ということに。

「……ことり」

 そんなことりを二人は抱き返し、そしてあやすように背を撫でる。

「ま、そう心配しないでよ。ことりのことはあたしたちが守るからさ」

「うん。大丈夫だよ、きっと」

「そうじゃなくて……!」

 わかっている。ことりが自分たちの心配をしていることくらい。だがそれでも……いや、だからこそ二人は微笑む。

「ちゃんと帰って来るから」

「待っててね?」

「あ……」

 ことりを引き離し、二人は走り去ってしまった。

 その背中を見つめ、ことりはゆっくりと祈るように腕を組み、その場で膝を着。

 ――どうか、どうかこの不安が杞憂でありますように……。

 それでも震える手。不安は消えることもなく、ただただ嫌な予感が頭を占めてしまう。

「怖いよ、朝倉くん……」

 その呟きに、しかし返事はない。

 

 

 

 ウォーターサマーの軍勢はいよいよ王都ダ・カーポの間近にまで迫っていた。

 あと数分もすれば視力強化を施せば見えるであろう距離。

 復讐の時は――近い。

「北門は水瀬家」

「はーい」

「南門は稲葉家」

「ああ」

「東門は俺たちが。西門は風子、お前に任せる」

「わかりました」

 頷き、良和はゆっくり視線を前に向ける。

 すぐ近くにまで迫った王都ダ・カーポ。それを見据え、

「……さぁ」

 足並みが揃う。闇が蠢く。

 心を高ぶらせ、憎しみを募らせ、歓喜に酔い痴れ、胸に痛みを抱いて。

 良和が、告げる。

「さぁ――狩りの時間だッ!」

 咆哮が夜闇を穿つ。

 

 

 

 東門。

 

 ウォーターサマーの宣戦布告の後、時間を置かずに巡った城塞都市マデルト陥落の報により王都は完全に浮き足立っていた。

「守備配置はどうなっている!? 我々はどこに行けば……!?」

「お前たちは南門だろ! 早く動け!」

「十三番隊はまだ来ないのか!?」

「弓兵は早く門の上に並べ! 魔族どもがいつ来るかわからないんだぞ!」

「東西南北門の守備ではない兵は一般人の避難を最優先だ! 急がせろ!」

 飛び交う怒号。ダ・カーポは……ウォーターサマーの動きにまるで対応できていなかった。

 いかに明日美が優秀な軍師であろうとも、それを行使できる兵がいなければ意味を成さない。

 そしてそれはウォーターサマーの目論見通りであり……そして既に結果と言えようか。

 東門の上で視力強化の法具を使用し遠方を見ていた兵士が、その『遅さ』を身を持って痛感した。

「て、敵を確認!」

「な、もうここまで来たというのか……!?」

 林道の向こう側、そこから黒の波が押し寄せてくる。

 言うに及ばず。良和を筆頭に柾木傘下の者たちである。

「射て、射てぇ!!」

 門扉の上から矢を放つダ・カーポ兵たち。だが、

「ふっ!」

 良和の隣を走っていた公子が手を掲げた途端、放たれた矢が突風に晒されたかのように吹っ飛んだ。

 兵士たちが驚く暇もない。その間に良和は異常な脚力で前方へ跳躍、門扉中央へ身を投げる。

「あ、案ずるな! 超魔術にさえ耐える材質で出来た門だ、そう簡単に壊されはせん! いまのうちに矢をつがえて第二射を――」

「バカだね、君たちは」

 ニィ、と良和の口元が釣りあがり、

「この程度の守りで安心しているなんて、さ」

 良和の右腕が一気に膨れ上がる。

 服を切り裂き現れた巨大な腕は黒く、鋭角的で。禍々しくもどこか魅了する漆黒の靄に包まれたその腕は――鬼の魔手。

 鈍く輝く爪。拳が握られ、それが振り放たれれば、

 

 ドゴォォォ!! と、いとも容易く門扉が破壊された。

 

 その威力の凄まじさが呼び込むは貫通ではなく破壊。門扉だけではなく門壁にさえ破壊は至り、支えが崩れ門全体が倒壊する。

「ば……かな!? 超魔術でさえ耐えるはずの門を、たかが拳一つで……?!」

「魔術や特殊な術なんて必要ない。純粋な破壊の力。それが……鬼の力だ」

「なっ――!?」

 その兵士は次の瞬間、その場から姿を消した。

 振り放たれた良和の魔手によって、一瞬でただの肉塊と化したからだ。

 ボトボトと落ちてくる赤い血肉。残虐すぎるその光景に、多くの兵士たちが錯乱する。

 だが良和は手を緩めない。動かなかろうが、逃げようが、命乞いをしようが、立ち向かって来ようが関係なく駆逐する。

 振るう度に命を狩り取る鬼の爪。それは打撃や斬撃などといった次元ではない。粉砕、だ。

「あははははははははは!!!」

 爛々と輝く真紅の双眸は狂気の証、鬼の血か。滾る感情そのままに良和は魔手を振るった。

 だが、それは数十秒も続かなかった。

「……ちっ、つまらないね」

 動きを止める良和。

 もう周囲に敵の姿が無い。……門の警護を務めていた守備隊を既に壊滅させてしまっていたのだ。

 その頃になってようやく公子率いる後続の部隊が到着した。顔だけを振り向かせ、良和は部下に告げる。

「誰も逃がすな。目に付いた者は構わず殺せ」

 振り返り、前を見て、

「――虐殺だ!」

 オォォォォォォ!! と、まるで解放された猛獣のように歓喜の雄叫びを上げ、獲物を求めて兵士たちが散っていく。

 その中で、そっと良和の斜め後ろに公子が並んだ。

「公子、お前は僕と一緒に来い。このまま真っ直ぐ王城を目指す」

「仰せのままに」

「よし。……っと、その前にお客さんのようだな」

 軽い動きで良和が肩を竦めた瞬間、真正面から強烈な稲光が迸ってきた。

 魔力の規模、その効力からして雷属性の超魔術『天罰の神雷道(ジャッジメント・ゼロ)』である。

 速度重視の魔術だ。ろくに構えてもいない良和や公子ではかわす術はない。……が、

「まぁ、かわす必要性もないんだが」

 無造作に伸ばされた鬼の魔手。大振りでもなんでもない、そこに置いただけのような動作で、

 迫る雷の波濤を、なんでもないことのように握りつぶした。

「え……?」

 呆けたような声は良和たちのずっと先から。

 超魔術を繰り出した張本人である、佐伯加奈子である。

「嘘……。超魔術を、魔術的な要因一切なしで、握りつぶした……?」

「粗末なプレゼントをありがとうお嬢さん。お礼に君には痛みを伴う残酷な『死』をプレゼントしようか」

 その声は、遠く離れているにも関わらず鮮明すぎるほど耳に届いた。

 ヒッ、という短い悲鳴。それを合図とするように物凄い速度で良和が距離を詰めてくる。

「下がって!」

 割って入るように森川智子が剣を構える。連携を得意とする二人にとって前衛は智子、加奈子が後衛というのはいつものポジションだったが、

「駄目、ともちゃん……!」

 そんな小手先の技術が通じる相手ではなかった。

 加奈子の言葉も遅い。良和の魔手はいとも容易く振るわれた剣を破砕し、そのままに智子を吹っ飛ばした。

「うわぁぁぁ!?」

「ともちゃん!?」

 剣に込めた魔力、とっさに加奈子が張った防御結界の二つの要因で一撃死こそ免れたがごっそりと右肩を持っていかれ智子は道を転がっていく。

 慌てて治療のために追いかけようとするが、その加奈子の前に良和がゆっくりと立ち塞がった。

「残念だが、通行止めだ。その代わりと言っちゃあなんだけど……地獄への片道切符はいかがかな?」

「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」

 恐怖に駆られるように超至近距離で超魔術を撃ち放った。周辺民家や味方兵士たちへの被害など考えている余裕なんてなかった。

 だが、結局それは良和に片手で払われるだけで効力を失った。あまりに無造作に、あまりに軽く。

「あ……ああ……」

 へなへなと崩れ落ちる。

 桁が、次元が違いすぎる。自分の最高の攻撃を片手で無造作にいなしてしまうような化け物相手に、いったい何が出来るというのだろうか?

 良和は、強い。鬼には他の四大魔貴族と違って強さによる呼び名はないが、吸血鬼で言えば死徒二十七祖、大蛇で言えば八岐の領域にいる。

 そんな相手と一対一で戦える相手など、そうはいまい。

「死ね」

 良和の魔手が振り上げられる。その一撃は超魔術の結界さえ貫く破壊の化身。もはや、助かる術は――、

「……離れて」

 だがその声が聞こえた瞬間、良和を白亜の槍が埋め尽くした。

「きゃ!?」

 加奈子が衝撃で吹っ飛ぶ先、良和のいた場所にいま三十もの槍騎士が槍を突き立てている。

 言うまでもない。民家の屋根の上に悠然と立っているのは……人形遣い、月城アリスだ。

「……大丈夫、ですか?」

「あ、うん。ありがとです」

「あなたはさっきの人の治療を。……ここは私が引き受けます」

「あ、はい!」

「おいおい、勝手に人の獲物を逃がすなよ」

 ドガァ!! と轟音と共に槍騎士たちが一気に真上に吹っ飛ばされる。

 そこには、無傷の良和が平然とした顔で立っていた。そして加奈子へ視線を向ける。

 射竦められ動きを止めた加奈子だったが、その視線を遮るようにまた十体近い人形が良和へ襲い掛かった。

「早く!」

「は、はい……!」

 そこでようやく我に返り、加奈子が走り去っていく。

「ち。……公子」

「はっ」

 舌打ちしつつ、良和はやって来た人形のうち四体をたったの一振りで全壊させ、

「僕はこいつを殺ろう。あっちはお前に任せる」

「わかりました」

 瞬時に公子が駆ける。それを遮るように人形が出現するが、公子は相手にはせず異常な跳躍力でそれらを跳び越えていった。

 それを見ていたアリスも、諦めたように良和へと視線を戻す。

「彼女を補足するのはなかなか至難の業だけど、どうする?」

「……構いません。私には問題のないことです」

「諦めたか? ならついでだ。自分の命もここで諦めると良い。君程度の力で僕には勝てないぞ」

「一人では……確かに勝てないでしょう」

 でも、とアリスは片腕を上げ、

「……私は、一人じゃない」

 パチン、と指を鳴らした。

 瞬間、良和を包囲……否、一区画を丸ごと包囲するように白亜の騎士が姿を現した。

 槍を持つ騎士。剣を持つ騎士。それだけに留まらず、弓兵や騎兵までもがいる。

 その数、千は優に超えている。二千、あるいは三千か。

「……いや、違うか」

 それはあくまでここ一区画(、、、、、)の話。

 もっと気配を読む範囲を広げれば、ここだけではない。至る場所に同じ人ならざる微かな気配を無数に感じる。

 気配探知の限界もあるため全部は把握できないが、感じられる範囲にいる人形の密度、そしてダ・カーポの面積を計算すれば、

「……ざっと一万ってところか。驚いた。こっちの兵力とほとんど同じじゃないか」

 さっきアリスが問題ないと言ったのはこういうことか。どれだけアリスから離れようと意味がない。

 既にこの王都はアリスの人形で埋め尽くされている。

 しかし、

「この程度で驚かれても困ります」

 再びアリスが指を鳴らす。

 すると今度は上……、上空に白亜の騎士が出現した。

 翼を生やした、神族を模したかのような空飛ぶ騎士。ざっとその数は地上に出現した数と同じ――いや、更に増える(、、、、、)

「――ハ」

 数えるのも馬鹿らしい。思わず失笑してしまうほどの膨大な数。

 誰が考えようか。地と天を埋め尽くすこの白亜の軍勢。これらが全てただ一人の少女により操作されているなどと。

 その最大数、なんと五万。

 ダ・カーポやウォーターサマーの総兵数さえ凌駕する圧倒的な数。それこそ月城アリスが“『群』の人形遣い”と呼ばれる所以。

「なるほど。これが四大人形遣い、月城アリスの力か」

「……あなたがどれだけ個として強くても、意味のないことです」

 スゥ、とアリスの指が良和に向けられる。

「個は、群には勝てない」

 それを号令とするように、一気に千近い人形が良和に踊りかかった。

 だが良和は怯まない。むしろ――笑みをその顔に刻む。

「面白い。なら証明してやろう」

 暗黒の拳を握り締め、獰猛な視線で群がる人形を見やり、

「絶対的な個は……どれだけの数を揃えようと打倒できないのだと」

 白亜の武器の雨が、良和に降り注いだ。

 

 

 

 北門。

 

 直進である東門とは違い、距離のある南北の門への到達はやや遅くなってしまう。

 もちろんその頃には、門は既にダ・カーポ兵が守備を固めている。

「あらら。ま、当然こうなるわよね」

 しかし、北門を任された水瀬家の代表たる小夜は、まるで気にしてはいなかった。

 なんせこんなもの……なんの意味もないのだから。

「さて、任せて良いかしら秋子?」

「はい」

 彼女の横に、水瀬秋子が並び立つ。

 小夜一人でも門の攻略は容易だろう。しかし能力の性質上、時間が掛かるのは避けられない。

 だが、秋子は違う。彼女は生粋の水瀬の力の持ち主だ。故に、攻略は一瞬ですむ。

「敵を捕捉!」

「ってー!!」

 門の上から一斉に矢が放たれる。しかし、

「その程度の攻撃が、この水瀬秋子に届くとでも思っているんですか?」

 秋子の不通の結界にそれらはことごとく防がれる。一撃たりとも彼女には届かない。

「すぐに終わらせましょうか」

 スッと手を掲げる。

 水瀬の特性は対多数にこそ発揮する。

 ……いや、違う。正確に言えば対多数ではない。水瀬の力とは、

砕城( はじょう)( よ)

 広範囲の一撃破砕だ。

 秋子の指がパチンと音を奏でた瞬間、門を丸ごと漆黒が包み込んだ。

 突然のことに対し、巻き起こる悲鳴、怒号。だが、今更何を騒ごうと無意味である。

 五秒。

 それで全ては終わりだ。暗黒の球体ごと、門が綺麗さっぱり消え去った。

 水瀬傘下の者たちから感嘆の声が響く。

「さすが秋子ね」

 小夜もまた満足げに頷き、

「さぁ、行きましょうか。秋子はこのまま門周辺から敵を掃討しつつ進んで」

「小夜さんは?」

「あたしは一足先に王城へ向かうわ。女王の首はあたしが貰う」

「わかりました」

「よし。ここは秋子に任せる。他の者はあたしについてきなさい! 突撃するわよッ!!」

 そうして水瀬もまた進軍を開始する。

 小夜を先頭とし、水瀬傘下の者たちが雪崩れ込むように王都内を突き進む。

 ダ・カーポ兵も応戦はするが、その力は弱々しい。守りの要たる門が一瞬で消失したのだ、恐怖するなと言う方が無理か。

 ダ・カーポ兵による守備尾陣形が瞬く間に突き崩される。このままの調子なら、数分と待たず王城へ到達するだろう。だが、

「む!」

 唐突に両脇から出現した複数の白甲冑の騎士に行く手を遮られ、小夜は動きを止めた。

 小夜だけではない。いたるところから湧いて出てくるようにその白き騎士たちは現れ、水瀬傘下の者たちを取り囲んでいた。

「人間……じゃないわね。とすると……そうか、ダ・カーポにいるという人形遣いの……」

「そういうことよ!」

 声と同時、大地が隆起し、巻き上がった砂がそのまま槍となって小夜の元へ降り注いだ。

 それを小夜は後ろに跳んで回避する。これまでの敵とは違う、大きな気配。

「アリスの人形やあたし……六戦将がいる以上、もう好き勝手はさせないわ」

 現れたのは甲冑を着込んだ一人の少女。拳に魔力を宿し悠然と歩いてくるのは、

「あなたは?」

「六戦将が一人、水越眞子」

 拳を握り締め、

「あなたを倒す者よ」

「……へぇ?」

 すると、面白そうに小夜が口元を釣り上げた。

「あたしを、倒す? ふーん」

 心底愉快だ、と言わんばかりに小夜は笑う。それは……どこまでもおぞましい笑み。

「予定変更ね」

 小夜の両手に、拳くらいの大きさの漆黒の球体が生まれる。

 それらを携え、小夜は告げた。

「じゃあやってもらいましょうか。……やれるものなら、ねぇ?」

 

 

 

 南門。

 

 こちらには稲葉家が進む。

 だが北門同様、既にダ・カーポ側の守備配置は完了している。あの門を普通に攻略しようとすればかなりの時間を食うことになるだろう。

 とはいえ、柾木も水瀬もあの程度の門なら真正面から撃破しているだろう。宏も、ここにはいないが白河さやかもその程度の芸当は造作でもない。

「仕方ない。あれを使うか」

 宏の奥の手。彼が稲葉家当主として他の四者に引けを取らない理由の力。それを解放しようとし、

「ううん。宏くんは温存してて」

 だが、それを水夏が遮った。彼女は前を見たまま、

「あれはボクがやるよ」

「……わかった。任せる」

「うんっ」

 水夏が跳ぶ。まるで羽が生えたかのように軽く……否、羽が――ある。

 彼女の外套の上から展開される黒き翼。だがそれは質量のあるものではない。魔力で編みこまれた擬似の翼だ。

 月を背に、少女は幾多もの羽を散らして、まるで踊るように夜空へ舞い上がる。

 その光景は幻想的で、思わずダ・カーポの兵さえ目を離せなくなるほど。その姿はまるで黒き天使のように華麗だった。

 中空で停止する。彼女の左手には相変わらず黒猫の人形が抱えられているが、右手にはいつの間にか鎌が出現していた。

 黒猫の人形は名をアルキメデス。そしてその鎌こそ神殺しの第六番・魔鎌『ギメッシュナー』である。

「さぁ、行こうか。アルキメデス。ギメッシュナー」

「我輩はどこまでもお嬢と共にある。それはギメッシュナーとて同じであろう」

Yes.

 黒猫の人形――アルキメデスがまるで生き物のように返答し、ギメッシュナーも同意した。

 こくん、と頷き水夏が頭を下にして、そのまま飛翔。急速なスピードで門へと落下する。

「や、矢を放てーッ!」

 そこでようやくダ・カーポ兵たちが動き出す。号令と共に一斉に矢が放たれるものの、それらは一本たりとて水夏には当たらない。

 彼らの腕が悪いわけではない。水夏が微細な軌道でそれらを回避しているのだ。

「お嬢。我輩がやろうか?」

「ううん。アルキメデスはボクが困ったときだけだよ」

「むぅ」

Please leave it to me.

「こやつはなんと?」

「自分に任せて、って」

「ふむ。ならばここは貴様に譲ろう」

Thank you.

「よーし。それじゃあ、大きめなの一発、やるよギメッシュナー」

All right. It shifts in the second of the third forms.

 ギメッシュナーが即座に水夏の意を汲み、形態を変化させる。

 刃の周囲を光が覆い、その勢いは絶え間なく増え広がる。柄の駆動部からも光が漏れだし、それは光の武装へと変化する。

 だがそれも一瞬。すぐにその光は闇へと染まり、握っている部分はまるで溶けるように液体化し水夏の腕と合一した。

 それは第三形態、その二番である。

 神殺しの第三形態には一番と二番の二つが存在する。

 一番は長期戦闘型。攻防共に能力は上昇し、効率運用が可能な形態。

 そして二番は短期戦闘型。攻防共に上昇率は一番の比ではないが、消費魔力量も半端なものではない。並の魔術師なら数秒で空になるだろう。

 だが、そんな者を神殺しは所有者に選ばない。神殺しの所持者になるためには、少なくとも常人を凌駕する魔力量が必須になる。

 それは現段階ではなく、将来的な数値でも構わない。神殺しはそれを察知して、『いずれ自らを完全に扱える者』を所有者に選ぶ。

 故に、第三形態への移行を神殺しが認めているのであれば――いかに第三形態の二番とてそう簡単に魔力は枯れない。

「ふっ……!」

 旋回。空中で体勢を反転させ、頭を上に。そして同時にギメッシュナーも振り上げる。

集い、放て。いかなる者も、眠らす闇を

 集束するは闇の魔力。応じるように漆黒に染まった刃が見る見る力を蓄え、

 

漆黒の揺り籠 (デス・クレイドル)

 

 振り下ろされた鎌から漆黒の波濤が放たれた。

 それはすぐさま門と、その上にいる兵士全てを巻き込んで――しかし何も起こらない。

 門に傷一つない、どころではない。ろくな防御さえ出来なかった弓兵にさえ怪我はどこにもなかった。

「な、なんだ。こけおどしかよ……!」

 ある兵士がすぐさま弓を構えようとする。だが、カラン、と軽い音をたてて弓が落ちた。

「え……?」

 わけがわからずその弓を見下ろし、次いで自らの腕を見た。

 ない。

 そこにあるはずの、自分の腕がない。

「なっ――!?」

 男が悲鳴を上げるより早く、

いざなえ。永劫の眠りへ

 呟き、水夏がギメッシュナーを振るい第三形態を解除した。それと同時に、

 

 サラサラと。闇に触れた物質……人、物、問わず全てが灰になり消えていった。

 

 風にさらわれていく白き灰。まるで鱗粉のように舞い上がるそれは星明りにキラキラと照らされて、より一層水夏を幻想的に照らし上げる。

 これが稲葉水夏。『稲葉の死神』として他の三家から恐れられる、稲葉傘下の最大戦力。

 その頼もしい背中を見て稲葉の士気は否応にも上がる。だが宏だけはその背中を悲しそうに見つめていた。

 ……だがそれもわずか数秒。すぐさま憂いを振り払った宏は振り返り、部下全員を見渡して、

「行くぞ。ダ・カーポにおれたちに怒りと憎しみを叩きつけるときがきた!」

「「「応!」」」

 告げる。

「剣を取れ! 槍を持て! 弓を引け! いかなる敵をも撃退し、我らが力を見せ付けろ!」

「「「応!」」」

「お前たちにはおれがいる! おれにはお前たちがいる! 故に、恐れることなどなにもない。……そうだな!?」

「「「然り! それが我らが絆なれば!」」」

 踵を返す。見るのは前方。王都ダ・カーポ。

「そうだ! 恐怖とは敵に見せ付けるものだ! 故に、さぁ進むぞ! この軍靴を道として、敵を打倒するために!」

「「「応!」」」

「進撃する……! 皆の者、おれに続け――――――ッ!!」

「「「オオオオオォォォォォォォォォォォォォッ!!!!」」」

 そして、稲葉もまた進軍する。

 

 

 

 西門。

 

 そこは、おそらく最も残酷で圧倒的な終わりを迎えていた。

「う……そ……?」

 六戦将の一人であるななこが駆けつけてきた頃には、もう西門は完全に破壊されていた。

 ……いや、門だけではない。周囲一帯が根こそぎ、それこそ爆撃でもされたかのように焦土と化していた。

 一体どれだけの戦力が攻めてくればこんな惨状になるのだろう。そう考えたところで、

「おや、まだ残っていたのですか。風子少し驚きました」

 ゾクリ、と。それこそ背筋が凍りつくような存在を目の当たりにした。

 死の臭いが充満する只中において、唯一無傷で立つ少女。

 伊吹風子。

 彼女を見て、ななこは本能的に悟った。

 この子だ。

 この門を壊滅させ、城塞都市マデルトを一人で落としたのは――間違いなくこの子だ、と。

「一回で終わってしまったので物足りなかったのです。あなたは風子を少しは楽しませてくれますか?」

 無造作に踏み込まれた一歩に、ななこは過剰反応するように大きく飛び退き、剣を抜いていた。

 本能が告げている。

 逃げろ、と。

 お前ではどうあってもこの相手には勝てない、と。

 だが同時に理解出来ていることもあった。

 逃げられない。この少女を相手にした時点で、逃走なんていう道は閉ざされてしまっていると。

 そんなの、反則だ。勝てないのに、逃げられない。そんなの、行き着く先なんて一つしかなく……。

「っ……!」

 汗が垂れる。喉が渇く。動悸は激しく、手も震えて仕方ない。

 ななことて六戦将に抜擢された者。相当の実力者だし、これまでかなりの修羅場を乗り越えてきた。

 だが、駄目だ。

 これは、そんなレベルの話じゃない。

「風子はこの先に用事があるんです。ですからあまり遊んでいる時間もありません」

 でも、と少女はこちらを見て、

「せめて十秒は持ってくださいね?」

 わずかに笑みを浮かべた。

 

 

 

 そしてダ・カーポの長い長い夜が始まる……。

 

 

 

 あとがき

 はい、どーも神無月でございます。

 ……いやー、前回以上に長くなっちゃったよ。

 というか歴代二位の容量に膨れ上がってしまいましたとさwww

 予定通りの話数で進めようと意地になったのが悪いのか。いやしかし今回は切り所なかったしなぁ(汗

 ともあれ、バトルスタートです。次回からは各々の戦いに突入します。

 なんかあれですね。やたら明日美の出番が多いですけど、軍師という立場上仕方ない。ことりの出番を渇望している皆様はもう少し我慢くださいw

 さて、次回は北門にスポットがいきます。

 ではまた。

 

 

 

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