神魔戦記 第百三十六章
「明けぬ夜のグランギニョル(T) 」
ウォーターサマー、四分土・白河。南に位置する、白河家が統治する領地。
四家それぞれがウォーターサマーからは独立しており、一種の治外法権下とも言える場所である。
ウォーターサマーの国としての在り方はかなり特殊だ。
王国を名乗ってはいるもののその実情は共和国のそれに近い。いや、共和と呼べるかどうかも疑問ではある。
そもそも何故王国を名乗っているかと言えば、ウォーターサマー建国当初の四家当主が考えた周辺国家に対してのポーズであった。
当時はまだウォーターサマーに戦力はなかった。生き延びた、あるいは落ち延びた者たちが力を集めて作った国。
しかし魔族と人間族との共和国なんて名乗れば、すぐさま淘汰されるのは目に見えていた。
だからこそ、表面上は王国を名乗った。それがウォーターサマーの奇妙な国の形の根源だった。
……だが、その影もいまやない。
四家はそれぞれ力を持ち、国の内情も周辺国家の大半は知っている事実だ。
……そして、自ら戦を仕掛けるまでになったウォーターサマーは、はたして『成長』と判ずるべきか『退化』と判ずるべきか。
「……これで良し、と」
領地の中央に位置する白河本家。その自室にて、当主たる白河さやかはそんなことを考えながら筆を置いた。
んー、と背を伸ばす。窓から外を見ればもう真っ暗だ。
夜。即ち……刻限が近いことを意味する。
「失礼します先輩……って、お手紙ですか?」
ノックしつつ入室してきた蒼司が、さやかの手元にあるものに気が付いた。
振り返りつつもさやかは手紙を折る手だけは止めなかった。
「うん。ダ・カーポに文通してる人がいるからね。その人にちょっと、これからのことを」
「そうですか」
「勝手な言い分だけどね、助かって欲しいと思うよ。……まぁそう簡単にやられる人じゃないってことはわかってるけどさ」
便箋に封をし、それを蒼司に差し出す。
「悪いけど、また萌ちゃんに配達を頼んでくれるかな」
「わかりました」
「ごめんね、わたし小鳥クラスの使い魔さえ使役できないから」
「先輩、魔術四つしか使えませんもんね」
そう。さやかは四つの魔術しか使えない。
生まれた瞬間から三つの魔術が扱え、生まれてすぐに四つ目の魔術を会得した。
が、以後どれだけ魔術の勉強をしたところで他の魔術は覚えられなかった。
それも当然。それこそ『白河の魔女』として恐れられた原因にして発端なのだから。
……だが、
「ところがねぇ、そうでもないんだよ〜」
「え?」
「『五つ目』。出来るようになっちゃった」
「!」
蒼司の顔に緊張が走る。
「まさか……また始まるんですか、あれが」
「というか、もう始まってるんじゃないかな? 『五つ目』の魔術が出来るようになったってことはさ」
さやかは自分の胸――心臓のある部分に手を置く。
この中にあるもの(。その存在を感じ取りつつ、
「まぁでもこれからいろいろと忙しくなりそうだし、ある意味都合が良いのかな?」
「でも先輩。先輩の扱う魔術は――」
「蒼司くん」
ピッ、と口を封じるように指で抑えられた。
それは立ち上がったさやかの指だ。彼女はただニッコリと微笑み、
「だーめ。それ以上は言っちゃいけないよ?」
「でも……」
「ありがとう。心配してくれるのは嬉しい。でも程度の差はあっても、こういう問題は皆が抱えていることだから。だから気にしないで。ね?」
そんな笑顔で言われては、蒼司としても何もいえない。
やっぱり蒼司くんは優しいなぁ、と思いつつ、そんな優しさに甘えていることも自覚したうえで、さやかは蒼司の肩にそっと手を置いた。
「せんぱ――」
引き寄せ、口を塞ぐ。
「ん……」
唇が重なりあっていたのはたったの数秒。顔を離し、とん、と軽く後ろにステップを踏むさやかは髪を靡かせながら、
「蒼司くん。大好き」
笑顔で告げた。
「だからお願い。……ずっと、わたしと一緒にいてね?」
これからさやかのしようとしていること。
それは蒼司では到底考え付くようなことではなく……そしておそらくは、この状況を作り出したゲームマスターでさえ予測はすまい。
しかし、そんな大それた行動だからこそ不安は募る。彼女の行動一つが、白河傘下の者たちの命を失いかねない。
それだけではない。彼女の力はあまりに異端で、そして特殊だ。
その強力さが白河本家の当主たる座に着かせているものだが、その力は万能ではない。さやか自身に返ってくるような代物でさえある。
他者の命、自分の命。さやかには自分を含め白河傘下の者の全ての命が背負われている。
さやかはいつも笑顔でそんな重圧を感じさせない人物だが、それは飾りでしかないことを……蒼司はよく知っている。
だから、こちらから近付いてその身体を抱きしめた。
「お願いされなくてもこっちからついていきますよ。先輩を離したりはしません。一人にもさせません。……僕が、ずっと傍にいますから」
「……あは。蒼司くんったら。男の子だなぁ〜」
嬉しくなっちゃうよ、と首に腕を絡め、
「頑張ろうね」
再び唇を交わした。
ウォーターサマー、四分土・稲葉。
この国の中で最も平和と称される領地において、しかしその評価もいまは霞む。
人の流れが慌しい。
戦準備である。
稲葉宏は決して戦いを強要はしなかった。が、傘下の者は次々と志願し、最終的には予想の三倍以上もの兵力が集っていた。
それはダ・カーポへの募りに募った憎悪もあるだろう。ダ・カーポと思われる敵に殺された者の家族たちは復讐もあるだろう。
しかし、その大半は宏の人望だ。これまでの彼の恩義に答えるべく立ち上がった者が半数以上を占める。
そんな者たちの姿を稲葉本家の屋敷から見下ろし、嬉しいことだな、と宏は思う。
皆、自分の我侭に嫌な顔一つせず付き合ってくれる。これほど当主冥利に尽きることはない。
ならば自分はその信頼に応えなければ。そして華子の仇を討つ。
「宏くん……」
「水夏か」
気配はない。が、来るだろうとは思っていた。
振り向いた先。そこに黒猫の人形を抱え、黒の外套に身を包んだ小柄な少女がいる。目に栄える銀髪。そしてルビーのような赤い瞳。
稲葉水夏。それが彼女の名だ。
彼女もまた、宏にとっては家族のような大切な者である。
「支度は良いのか?」
「ボクには支度なんてないから」
「そうか。お前の武器は神殺しだもんな……」
水夏も今回の戦いには参加することになっている。
その実力は宏でさえ凌駕し、おそらくは白河の魔女とも柾木の鬼とも対等以上に戦えるであろう実力の持ち主。
彼女の得物は神殺しの第六番・魔鎌『ギメッシュナー』。
闇属性の刃を宿す鎌を抱え、黒の外套を靡かせる姿から彼女は他の三家からは『稲葉の死神』と呼ばれている。
だが水夏は死神なんて大それた名前がつくような殺戮者ではない。ちょっと天然で、どこかとぼけてて、そして優しい……普通の女の子だ。
「ごめんな、水夏。お前まで戦いに巻き込んで」
彼女がどれだけの実力者であろうと関係ない。戦いを嫌っていることは、直接言わないにしても態度でわかっていた。
だが水夏は首を横に振る。
「ううん。連れてって、って言ったのはボクだもん。気にしないで」
「……あぁ、すまない。ありがとう」
水夏が宏を気遣って一緒に来てくれると言ったこと。それもわかっている。
ちとせが戦いを拒絶し、水夏まで拒絶してしまったら宏は孤独になる。それがわかっていたから彼女は宏についた。
だがそれを口に出すほど宏は野暮じゃない。わかっているのだから、敢えて口に出す必要なんてない。
だから言えることは謝罪と感謝。それだけだ。
「――よし、俺たちも行こう」
いろいろと考えるのもここまでだ。歩む道は既に決まっている。あとはそれを突き進むだけ。……だが、
「お兄ちゃん……」
ハッとして扉の方へ視線を向けると、そこに車椅子でこちらに向かってくるちとせの姿が見えた。
「ちとせ! 何やってるんだお前!」
慌てて駆け寄り、車椅子を制止する。
「お前、ここ最近前以上に体調悪いじゃないか。安静に寝てなくちゃ……」
「病気じゃないんだから、そこまでする必要ないよ」
「でもな……」
「それよりお兄ちゃん。本当に戦争に行くの?」
その悲しそうな瞳に射竦められ、一瞬動きが止まる。……だが宏はかぶりを振り、
「あぁ。華子の仇をとるためにな」
淀むことなく、そう告げた。
「でも……!」
「ちとせ。お前は静かに寝ていろ。大丈夫、何も心配することはないんだから」
有無を言わさず言葉で上塗りした。
非難めいた視線から目を逸らし、宏はちとせの横を抜けた。
「行ってくる」
「お兄ちゃん!」
だがもう彼は振り返らない。振り返ってはならぬと言わんばかりに、頑ななまでに呼びかけに応じなかった。
「水夏ちゃん……!」
「……行ってきます。ちとせちゃん」
水夏もまた、ちとせの横を通り過ぎていく。
水夏は宏についていくと決めていた。だからちとせの言葉では止まらない。
「水夏ちゃん!」
だが声は虚しく響くばかり。
……そして、部屋にはちとせ一人になった。
「……どうして」
服を握り締め、俯く。
「……どうして、戦わなくちゃいけないの……?」
華子が死んでしまったからこそ、もう誰にも死んで欲しくないと思うだけなのに。
復讐に駆られるままに戦いを続ければ、そんな悲しみが連鎖するだけだと、どうして誰も気付かないのか。
「――っ!」
と、ちとせは突然顔を上げると振り返って叫んだ。
「誰!?」
不意に気配を感じたのだ。しかしそれはどこかで感じたことのある気配。
誰だろうか、と考えている最中、返ってきた反応は思いもよらぬものだった。
「はよはよ〜」
そんな気の抜けた挨拶と共に現れたのは、
「……さやか……さん?」
白い帽子を被せ、にこにこと微笑む白河さやかであった。
ウォーターサマー、四分土・水瀬。
ここは寒い、と領地の当主たる水瀬伊月は思う。
それは肌で感じる気温……ではない。雰囲気が、人と人との間にある空気が寒い。
しかもおそらくは――伊月の周囲だけが。
水瀬とは元来好戦的な一族だ。その傘下に収まる魔族もまた、大半が好戦的な者で占められている。
そんな中で平和を、静寂を望む伊月は異端でしかない。彼女は水瀬の生まれだとは考えられないほどに血の気がなかった。
だが誰も彼女に反旗を翻すことはない。性格や方向性がどうあれ彼女が水瀬の当主であり、相応の実力を持つことはわかっていることだからだ。
だから、抗うのではなく無視する。
誰も伊月に従わない。戦いを嫌う彼女が自ら手を出すことはないと知っているから。
――寒い。
伊月は自室でただ一人、座っている。
他の者は数時間後に迫った戦の準備で忙しいに違いない。きっと皆は久しぶりの戦いへの歓びに打ち震えているだろう。
そして誰もが小夜を崇める。
戦いを望む生粋の水瀬。明るく物言いもしっかりとしているし、力も伊月のように惜しまずその圧倒的な力で傘下の者を支配する。
基本的に魔族はそういう種族だ。強き者が弱き者を従える。力こそが絶対。
だが伊月はそんな魔族の法則にさえ納得がいかなかった。言葉で解決するならそれに越したことはない。力にだけ頼るのはおかしい、と。
根本的な、思考の齟齬。それが伊月の存在をより浮き立たせてしまう。
結局、当主なんていう肩書きはなんの価値もない。実際のところ当主は小夜のようなものなのだから。
「伊月」
その小夜が伊月の部屋にやって来た。後ろに氷上シュン、そして水瀬秋子を従えて。
氷上シュンは小夜が連れてきた魔族で、水瀬秋子はそのシュンが連れてきた魔族だ。
秋子はカノンにある分家筋の水瀬の者であり、その能力は伊月や小夜よりも水瀬に忠実だ。この戦いでは大きな戦力になるに違いない。
……そんな秋子を連れて行くということこそ、小夜の本気が窺えたが。
「小夜ちゃん……」
「戦の準備が出来たから、もう出るわ。あたしたちの留守をお願いね。まぁ伊月なら一人で並大抵の敵は倒せると思うけどさ」
小夜だけが伊月に普通に接してくれる。
……だが、それでも二人の思いはかけ離れている。まったく別のベクトルに進んでいる。
それが、伊月にはたまらなく悲しかった。
「さて、行くわよシュン。秋子。あんたたち二人にもしっかりと働いてもらうから」
「わかってるよ」
「ええ。リハビリにはちょうど良い相手でしょうし」
二人を引き連れてさっさと部屋を後にする小夜。別れの挨拶も何一つない。それが答えだ。
――寒い。
自分は、ここにいてもいなくても良い存在で。
それを誰もなんとも思わなくて。
それが当たり前になっている世界。
でも、だからって伊月は考えを変えたくはない。自分の意思を誤魔化す、ということはそれこそ自分を殺す行いだ。
ならどうすれば良いんだろう、と考えたところで、
「寒いですねここは」
ふと、そんな声が聞こえた。
思っていたことをそのまま言われ、思わず瞠目する。
「失礼します。一応、声は掛けたんですけど返事がなかったので勝手にあがらせてもらいました」
静かな足音で部屋の前までやって来たのは、一人の青年。あまり話をしたことはないが、しかし面識はあった。
「あなたは……白河の……?」
「はい。上代蒼司といいます」
青年――蒼司は頷き、そしてなんでもないただの雑談のような口振りで、
「ところで……あなたの居場所を探すつもりはありませんか?」
そんな謎掛けのような言葉を口にした。
ウォーターサマー、四分土・柾木。
ウォーターサマーの四家において最も人口が少ないのがここだ。
柾木は鬼の一族である。その傘下にある者も、鬼の血筋である者が多い。ただでさえ少ない鬼だ、集まったところでさほどの人数にはならない。
だから、というわけでもないが、既に柾木の領土は静かだった。戦の準備などとうの前に済ませてあるからだ。
否、正確に言うのであれば準備とて必要ない。鬼の力は己の身体に宿るもの。武器や装備の準備など無用なのだ。
そんな中において、良和はただ静かに本家の庭先に立っていた。
足元には石の山。無骨で傍目にすぐはわからないが……それは墓だった。
「……茜。待ってろよ。お前を殺した相手は、必ず俺が八つ裂きにしてやるから」
柾木茜。彼の最愛の妹。最後の家族。
既に冷たくなり、物言わない彼女の死体を抱えたときの痛みを、まだハッキリと思い出すことができる。
気を抜けば自分の周囲を根こそぎ破壊してしまいそうな、激しい憎悪。それをぶつけるべき相手と今宵、戦うことになる。
「――ハッ」
考えただけで、思わず笑みがこぼれた。
いますぐに奴らを殺したい。目に付く者全てを殺し、殺し、殺し尽くして……絶対の恐怖を味合わせてやらなくては、気がすまない。
「皆、もう待っていますよ」
足音もなくやって来た一人の女性。
伊吹公子。戦闘面だけでなく知慮にも長け仲介能力も高いので傍に置いている、彼の右腕のような存在だ。
良和は公子に絶対の信頼を置いている。それだけの能力を持っているし、それだけ忠実でもあった。
「もう行く。……公子」
「なんでしょうか」
「風子はもう行ったか?」
「……はい」
風子とは公子の妹である伊吹風子のことだ。
鬼の一族、伊吹。柾木より歴史こそ長いがそれほどの実力者を輩出できなかったこの一族の中で突如現れた異端児。
暴力の具現者。それが伊吹風子である。
良和にとって風子はいわゆるジョーカー。この手札を切った時点でもう戦いの結果は決まっているようなものだった。
「よし、なら行こうか。ついて来い」
「御意」
踵を返し、歩を進める。そっと後ろに従う公子共々、部下が集まる場所へと向かう。
と、その途中である女性が良和の前に躍り出た。
黒髪の綺麗な女性。彼女は京谷透子。良和の許婚である鬼の女である。
「よ、良和。あの――」
透子は鬼の中では出来損ないと蔑まれるほどに、弱い。故に今回の戦いにも参加しない。
透子が良和の許婚……というのは多少語弊がある。本当ところは、供物(だ。
実力はともかく、透子は美人だ。スタイルも良い。つまりは、当主たる良和に捧げられたもの。
だが、透子自身それを苦とは思わなかった。何故なら彼女は心底良和を愛していたからだ。
しかし、だからこそ彼女は戦いの動機に納得がいかなかった。言うなればこれは茜のための戦いだ。
そう。つまりは嫉妬。妹を溺愛し、死んでからも盲目的なまでに寵愛し、戦争を起こすほどに激昂する良和を見たくなくて。
だから透子は良和を止めに来た。いや、止まらなくても良い。ただ一言、自分の方が大事だと告げてくれるなら、見送るつもりもあった。
……しかし、そんな事情は良和にはまったく関係のないこと。
「透子。悪いが話はこれが終わったらにしてくれ」
「待って良和! 私の話を……!」
「――黙れ」
「ッ!?」
睨まれ、透子の動きが止まる。
「透子。頼むから僕の邪魔をしないでくれ。いま止められたら……僕は君であろうと殺してしまいそうだ」
「あ……」
その言葉は、致命的だった。
茜が死んだらここまでするのに。透子は殺してしまうかもしれない、と。良和はいま確かにそう告げた。
目を見開く透子の目の前を、良和は何の言葉を告げることもなく通り過ぎていく。
「良和……」
そしてその背中に、ただそれに付き従うように歩く公子がたまらなく憎くて、
「あああ!」
爪を振るう。八つ当たりだ。
しかし、公子は手も出さず能力も使わずその爪をかわした。つんのめって透子が倒れる。
それを一瞥だけして、公子もまた歩き去っていった。
「……!」
その視線がたまらなく憎く、悔しく、透子は拳で地面を叩きつける。
「……良和、どうして……!」
そんな彼女に、人影が落ちたのはしばらく経ったときだった。
「やぁ。こんにちは」
どこまでも白くて黒い誘い手が、両手を広げて立っている。
国境都市ラチェルトはダ・カーポにもウォーターサマーにも属さない独立都市である。
故に、彼らはこの事態が何事なのかまるで理解できなかった。
いや、その光景を見ればこれから起こることは想像できるはずだ。ただ想像したくないだけで。
国境都市ラチェルトの入り口からわずか離れた先。否、わずかしか(離れていない場所。
そこに、完全武装したウォーターサマーの軍勢が不気味な静けさで立ち聳えていた。
「……そろそろ刻限だけど、白河家の姿が見えないわね」
その先頭。水瀬家を率いる小夜が時間を正確に指す小型呪具、腕時計を見る。
「まさかとは思うけど、戦いに参加しないつもり……?」
それはありえないはずだ、と小夜は思う。『血約』に従わない場合、それは裏切りであり破滅対象となる。
いかに四家のうちの一つとはいえ、他の三家を敵に回して生き残れるとは思えない。
そしてそれがわからないほどさやかは愚かではない。いや、むしろさやかであればそんなことはわかりきっているはずだ。
「彼女の考えなんかどうでも良い」
だが隣に立つ良和は不敵に微笑む。
「理由はどうあれ、刻限に間に合わないのならそれは『血約』の違反になる。この戦いが終わったらそのまま白河家に乗り込んで報復するだけさ」
「それは早合点しすぎじゃないか? もしかしたら何かトラブルがあったのかもしれない」
稲葉を率いる宏がそう言うものの、良和は納得しない。
「些細なトラブルならあの女は軽々と切り抜ける。『白河の魔女』は一見とぼけてはいるが、実際は頭の切れる女さ」
それは小夜も宏も頷ける。
白河さやかという少女はああ見えて頭の回転が早く、そして大胆不敵だ。
「つまり総合的に判断してあいつは自分からここに来ない選択をした、と考えるのが妥当だろう」
「しかし……」
「『血約』に例外はない。例外を認めてしまえばそれで『血約』の存在意義は破綻する。違うか?」
良和の言うことは正しい。だから宏も言葉を飲み込まざるを得ない。
結局ルールというのは遵守しなければ成り立たない。罰則とて、実際に行わないのであればそのルールに意味などなくなってしまう。
そしてどうあれルールを破ったのは白河だ。ならそれを許す道理がどこにあろう?
「……刻限よ」
「そうか」
白河家は来ない。
まぁ来ないなら来ないで構わない、と良和は思う。
あの魔女が何を思ってここに来ないかは知らないが、そんなことはいまは関係ない。
彼の頭にあるのはただ一つ。
ダ・カーポの殲滅だ。
「ちょうどいま、ダ・カーポに宣戦布告が届いた頃合だな」
今頃ダ・カーポは慌てふためいているだろうか。そう考えるだけで良和の顔に笑みが浮かぶ。
大いに慌てるが良い。防御を固めて見せろ。そうでなくては面白くない。
……そして、もう一つの楽しみも。
「公子」
「はっ」
「刻限になった合図は風子に送ったか?」
「既に」
「そうか。ならあまり待たせるのも悪いな」
「ウォーターサマーよ! ここで何をしている!」
ではそろそろ進軍しようか、というときに国境都市ラチェルトの市長が警備部隊共々姿を現した。
とはいえ、所有兵力はこちらの十分の一にも満たない。蹴散らすのは容易いが……、
「おれたちはいまダ・カーポに宣戦布告をした。つまりこれから戦争が始まる」
「なっ……!?」
良和よりも早く宏が口を開いた。
良和が興奮状態にあるのを察知しているからだろう。良和に任せては無益な争いが生じる可能性があると考えたから。
「だからここを通して欲しいラチェルトの者たちよ。おれたちの敵はダ・カーポであってあんたたちではない。ただ通してくれればそれで良い」
ラチェルトの者たちが困惑し、ざわつき始める。
ラチェルトは独立都市だ。両国の争いに介入する権利もなければ、どちらを守る義務もない。
そしてこの軍勢。真正面から激突してラチェルトが勝てる見込みは万に一つもありはしない。
答えなど、最初から一つしかないようなものだろう。
「……我らに被害は出ないのだな?」
「あぁ。通してくれるだけで良い。絶対に手は出さないし、出させない」
「……わかった。通るが良い」
市長がそう告げると、警備部隊の壁が分かたれ道が開かれる。市長として市民の安全を最優先した結果である。
「無血の選択をしたラチェルト市長に敬意を送ろう」
宏の言葉を皮切りに、ウォーターサマーの軍勢がゆっくりと進軍する。
その響きはやけに静かで、不気味。まるでこの夜闇に紛れるようにせんとする怨霊のようだ。
が、彼らのドロドロに煮えきった憎悪はそれより濃く深く。
彼らは闇。
魔族と、そして神を嫌った人間族。それらで構成されたウォーターサマーであればこそ、夜は彼らの時間だ。
ただ進む。
敵を目指し、ただただ前へと。
そのしばらく前。
王都ダ・カーポの王城ではいま小さな宴が開かれていた。
「〜♪」
王城の広間。そこに響くのは、清涼な歌声だ。
聴く者全てを幸福という海にたゆたわせる美声。どこまでも澄み渡るそれは、まさに天使の歌声と賞賛するに相応しい。
女王白河暦もまた、上座にてその歌声に酔い痴れていた。
観客は彼女を含め十人程度。円卓に座る六戦将。そしてその他親衛隊長や軍師など主要メンバーが揃う会議。
それらを労うために開かれた小さなステージ。そこで歌を披露しているのは女王の妹である白河ことりであった。
聖なる歌姫。
人は彼女をそう呼ぶ。
この歌声を聴けば誰もが納得し、頷くに違いない。この歌には力がある。普通の歌声にはない響きがある。
それもそのはず。彼女は歌に魔力を乗せることができる稀有な能力者だ。
代々水属性の白河家にありながら、特殊属性の『音』を持って生まれたことり。それの応用として彼女は歌に魔力を宿すことができる。
皆が幸福感を感じるのもまた当然。この歌には癒しの魔力が込められている。
こうしてことりが歌うのは労うという意味もありながら、何より休息としての意味合いも併せ持つのだ。
「〜La」
歌が終わりを迎える。
一瞬の静寂の後、巻き起こったのは拍手喝采だった。
「あ、ありがとうございます」
ぺこぺこと頭を下げることり。そんなことりの肩を叩き、女王たる暦は笑顔を浮かべた。
「いや、我が妹ながら相変わらずことりの歌は良いね。疲れも取れるし、頑張ろうって気になれる」
「言いすぎだよお姉ちゃん」
「言いすぎなもんか。なぁ?」
皆に振れば、皆もまた頷いた。それは彼らの本心からの同意だ。
「ことりも、どうせなら朝倉にも聴いて欲しかったかな?」
「く、工藤くん!」
ことりの顔がポッと赤く染まる。叶が笑い、暦は苦笑。他の者も似たような表情だったが、ただ香澄が気遣うように明日美を見ていた。
「さーて。それじゃあ疲れも取れたことだし、会議を始めるとしましょうか」
ことりの頭を撫でながら、暦は再び着席した。
円卓にはそれぞれダ・カーポの軍部に属する重要人物たちが座っている。
まず六戦将。暦の右から順に水越眞子、工藤叶、月城アリス、胡ノ宮環。そしてつい最近六戦将になった彩珠ななこに霧羽香澄。
更には軍師の霧羽明日美、王族親衛隊長の二人、佐伯加奈子と森川智子だ。
「まず一番の懸案事項はウォーターサマーの動きね。明日美、どうなってる?」
「あ、はい」
明日美が書類片手に立ち上がる。
「ウォーターサマーの動きはますます活発になっています。戦の準備とも取れる動きも見え隠れしていますので、戦争はもう避けては通れないかと」
「……こちらからの協議要求も突っぱねられたままだし。どうにかならないもんかね……」
「もうこちらの言葉を聞く気がないのかもしれません……」
と明日美が俯いた瞬間、不意にアリスが窓に視線を向けた。
「――侵入者。ここに向かってきてます」
「ですね。敵意はないようですが」
アリス、そして環の言葉と同時、窓を突き破って何かが侵入してきた。
だがそれが何をするより早く、それは白亜の甲冑を着込んだ槍騎士六体に囲まれる。
突如出現した白き騎士。それらはアリスの人形だ。
召喚のタイムラグさえなくどうやって出現させたのか。それこそアリスの六戦将の能力を示唆している。
「……魔物、ですね」
槍騎士に囲まれているのは、大型の蝙蝠のような姿の魔物だった。だが環の言うとおり殺気や敵意といったものはまったく感じられない。
何者かの使い魔だろうか、と考えたところで、
「ダ・カーポノモノドモニ、ツグ」
「「「「!?」」」」
妙に甲高い人ならざる者の声。それは間違いなくこの蝙蝠から放たれていた。
「ゲンジコクヲモッテ、ワレワレ、ウォーターサマーハ、キサマラダ・カーポニ、センセンフコクヲスル」
「宣戦布告……!?」
暦が椅子を蹴って立ち上がる。
「正気か!? なんの話し合いもなく……!」
「ワレワレノウラミ、ワレワレノニクシミ、ソノミヲモッテアジワウガイイ!」
言うだけ言うと、蝙蝠の魔物は勝手に血を吹き出しその場で息絶えた。
アリスの人形たちは何もしていない。おそらく言伝を終えた時点でこうなるような魔術か呪術を込められていたのだろう。
「……くそ!」
机を殴りつける暦。会議室は静寂に包まれる。
「……ともあれ、女王陛下。こうして宣戦布告をされたからには、我々も準備をしなければ」
一番最初に動きを見せたのは叶だった。暦を見、凛とした声で、
「戦争を回避する話し合いは残念ながら無駄に終わりましたが……話し合うべきことは残っています。皆を守る方法を。女王」
「……そうだな。ただ滅びを待つわけにもいかない。戦いが避けられないのなら、もう道は一つだ」
皆の頷きを見て、暦は告げる。
「これより防衛対策会議に移る!」
「「「「「「御意ッ!」」」」」」
皆が覇気を込めて頷く。
もう戦いは避けられぬ。ならば戦うだけ。
そして国の民を守ることだけに終始する。それが女王として自分のすべきことだと、そう思う。
「ことり。悪いんだけど、しばらく出ててもらえるか?」
だが、王女として平和の象徴でいてほしいことりには、こんな血なまぐさい会議にいてほしくはなかった。
それは自分の妹として、ちょっとした甘さもあるかもしれない。だがこれは願望に近い。
彼女は歌姫。彼女だけは戦いなんてものとは一切関係のない平和な世界にあって欲しい、と。
「あ……うん」
だがことりからすればそれは、あまりに寂しい。
皆が頑張っているのに、自分だけのうのうと守られる。皆はそれで良いと言うが、
――それって、辛いんだよ。お姉ちゃん。
しかし皆がことりのことを心の底から心配しているのはわかる。なんせ彼女は精神感応能力者でもある。心の声が聞こえてしまうのだ。
皆の迷惑になるわけにはいかない。わかってしまうが故に、そう結論付けた。だからことりはとぼとぼと会議室を出ようとして、
「し、失礼いたします!」
しかしことりが手を掛けるより早く、一人の兵士が会議室に飛び込んできた。
「何事だ、会議中だぞ!」
「か、火急の報告です!」
「……良いわ。報告して」
兵士の様子からただ事ではないことを察知した暦が先を促す。兵は恭しく膝を突きながら、
「城塞都市マデルトに先ほど敵が侵入! 数は一!」
「敵……!? もう!?」
ななこの驚きに、しかし香澄が首を傾げる。
「でも数が一ってどういうこと……? 潜入して内部工作でもするつもりだったのかしら?」
「まぁ一人なら先行も出来たでしょうし、そうかもしれませんね。それで、もう撃退は出来たのですか?」
「い、いえ、それが……」
言い淀む兵士。次に彼の口から出た台詞はこの場にいる誰もの予想を大きく超えるものだった。
「……その一人の攻撃によって城塞都市マデルトは数分で壊滅。……報告者も含め、生存者は無しとのことです」
全員が絶句した。
たった一人で、城塞都市を壊滅? にわかには信じがたい報告。
だが……それは紛れもない真実である。
「――」
そこは、まさしく地獄絵図だった。
これからダ・カーポを潰そうと進軍するウォーターサマーの軍勢でさえ思わず絶句してしまうほど、無残な荒野が広がっていた。
本来であれば、ここにはダ・カーポの最後の防衛ラインである城塞都市マデルトがある……はずだった(。
それが、ない。
あるのは残骸。焼け、砕け、刻まれ、爆ぜ、溶け、潰された……瓦礫と肉塊(。
どれもこれも原型を留めないほどの、ナニか。
城砦、だけではない。街さえ消失したその荒野の中でただ一人――無傷で佇む者がいた。
「随分と遅かったですね、皆さん」
声は、少女のものだった。いや、燻る炎に当てられて映るシルエットはまさに子供のそれ。
「風子、待ちくたびれてしまいましたっ」
少女が足を踏み出した瞬間、まるで怯え逃げるように炎が消し飛んだ。
木彫りの星のようなものを抱えた小柄な少女。名を――伊吹風子。
「どうだい? 久しぶりに暴れまわった気分は?」
その風子に対し、軽い口調で言葉を投げたのは良和だ。
だが風子は面白くなさそうな表情で良和を流し見るだけ。
「失礼です。風子暴れてなんかいません。ちょっと遊んだだけです」
「それじゃあこう言い換えようか。遊び足りたかい?」
「いえ、まったくです。どれもこれも脆すぎます。おかげでたった二回(で全部終わってしまいました」
その台詞に、多くのものがギョッとした。
果たして誰が思えよう。この惨状が、この少女一人で起こしたものなのだと。
「柾木。その子は……?」
小夜の言葉に良和が頷く。
「ああ、そうだったね。それじゃあ紹介しようか。この子の名前は伊吹風子。おそらくは、この世界で最強の――鬼だ」
その言葉に、誰もが一瞬耳を疑った。
「最強の鬼って……あんたより上ってわけ!?」
「ああ、そうだよ水瀬小夜。ちょっと悔しいけど、僕じゃまず勝てないだろう。この子の力は多分吸血鬼の赤い月や蜘蛛の比良坂初音と同等だから」
「なっ――!?」
言葉を失う。
あれらはもはや小夜たちでさえ『化け物』と呼ぶほどの異常者たちだ。直接対峙すればおそらく結果は死しかない。
そんなレベルだと? この少女が……?
だがあの良和が負けを認めるという時点でかなりの実力者であることは間違いない。
その事実が、この場にいる誰もを恐怖させた。
しかしその当の本人である風子はただつまらなそうに立っているだけ。
「さぁ風子、次の遊び場に移動しよう。ここよりは楽しめるはずだ」
「だと良いのですが」
憮然とした表情の風子。そんな彼女の頭を撫で、踵を返した。
「さて、行こうか、皆。セレモニーは終わった」
灰燼と化した破片を跨ぎ、前を見る。
「あとは王都に攻め込むだけだ。パーティーの時間に遅れないようにしないと」
皆が頷き、その歩みに同調する。
夜。
焦土をウォーターサマーの軍勢が踏みしめていく。
夜。
星も、月も、何もかもが彼らの歩みを止めることかなわず。
赤き夜。
陽炎に揺れるその進軍は、破滅のパレード。終着点は、もう間もなく。
鮮血の夜。
破滅の刻(は近い。憎悪の成就を誓い闇は夜を行く……。
あとがき
また長くなってしまった……(汗
ってわけで、こんばんは神無月です。
えー、これでも予定より短い切り方なんです。
本当はウォーターサマーがダ・カーポに到着するまで書きたかったんですけど、長くなったので次回に回しました。
さぁ、いよいよ開幕です。開幕ですよダ・カーポVSウォーターサマーが。まぁ結果はもうわかってるんですがねw
破滅へのカウントダウン。さぁ、これからどうなっていくのか。
では、また次回にw