神魔戦記 第百三十五章
「ウォーターサマーの決定 」
そこは、ただただ真っ赤に染まっていた。
鼻につく腐臭。焼け焦げたような臭いもあった。
気をしっかりと保っていなければ吐き出してしまいそうな嫌悪感。
「……っ!」
それでも少女は耐えた。崩れそうになる膝を踏ん張り、足を踏みしめ、前を見る。
燃える家屋。事切れた死体の山。直視するには、あまりに酷すぎる惨状。
それでもなお少女は歩き続けた。
諦めず、生存者を探し続けた。きっと探し出せば生きている人がいる。
だったら助け出さねばならない。この苦しみから早く助け出さなくては……。
「――! ――!」
少女はただがむしゃらに叫び続けた。呼びかけた。
誰かいないのか、と。誰か生きてはいないか、と。
弱々しいながらも気配を見つけては家屋から掘り出し、しかし処置も間に合わず腕の中で息絶えていく人々を見ながら。
それでもなお少女はその炎の中を歩き続けた。涙を流しながら、ずっと。
……その果てに、彼女が救い出せた命は五人だった。
子供、母親、老父……。その誰もが少女に「ありがとう」と告げた。救ってくれてありがとう、と。
けれど少女はそれを誇りに思うでもなく感受するでもなく、首を横に振った。
ごめんなさい、と。
もっと救えなくてごめんなさい、と。
子供には両親が、母親にはその子供が、老父にだって家族はいた。それを救えずにごめん、と少女は謝った。ただ涙し、謝り続けた。
……そんなのはおかしい。
この火災は彼女のせいではない。むしろ彼女は火災が起きたと聞いて一番に駆けつけ、火を放った賊を瞬時に一網打尽にした。
それに少女はその後も一生懸命に駆けずり回った。その果てに五人だけとはいえ命を救ったのだ。彼女が動かなければ消えていた命だ。
決して彼女が謝るべきことではない。彼女は頑張ったのだから。
だがそれでも少女には耐えられなかった。悔しかったのだ。
救えなかった命がある、というその事実に。
なんという傲慢。彼女は自分一人で全ての命を守ろうとでも言うのか。
否、そんなことが不可能であることは少女とてわかっている。しかしわかっているからこそ、せめて目に映るだけの人々は救いたいと願った。
それがその少女だ。
貧困に苛まれる者いると知れば金品を渡し、
飢えに喘ぐ者いれば食料を届け、
病に苦しむ者いれば入手困難とされる薬草を採り、
不条理な暴力に晒される者いれば身を挺して庇う。
その少女の姿を滑稽に思う者もいたし、そんな彼女を良いように扱った者だっていた。
そんな悪意を知りながら、それでも少女は笑顔を忘れなかった。
その手で救えた者がいるのならそれで良い、と。それだけで彼女は幸福だったのだから。
愚直なまでに救いの手を差し伸べ。
偽善だ傲慢だと囁かれながらもその姿勢を生涯崩さず貫いた少女はいつしか『英雄』と呼ばれるようになった。
座につく資格を手に入れたのだ。
少女は歓喜した。
死してなお人々に救いの手を差し伸べることができるならこれ以上の幸せは無い、と。
だから、
「契約します。私は――英霊となって、この世界をずっと、……そう、ずっと見守りましょう。そして救いましょう……」
今際のときに、彼女はそんなことを口にした。
そこで彼女の生涯は閉じる。
彼女を邪魔な存在だと認識した連中にはめられた果てに数多の槍で串刺しにされるという、惨い終末だったというのに。
ただただ『人を救う』ためだけに生き、そして死んでいった愚かな英雄は、
――最後の最後まで幸せそうに微笑んでいた。
「……」
朝。
鳥の囀りを遠くに聞きながら、朝倉純一は最悪の目覚めを味わった。
「くそ、なんだったんだいまの夢は……」
彼は他者の夢を見ることに慣れている。
夢現の魔眼。
そう呼ばれるノウブルカラーを生まれ持った彼は、魔眼を制御できずこうしてよく他者の夢を覗き見てしまう。
正直言って、それは決して面白いものじゃない。
その場における純一は完璧なイレギュラー。ただの観察者でしかない。当事者でない以上夢を操れるわけでも体験できるわけでもなく、ただボーっとそれを見ていることしかできないからだ。
……しかし、その気持ちはきっと他人の領域を勝手に覗くことに対する罪悪感もあるだろう。
だがそうして数多くの他者の夢を見てきた純一にとっても、今回の夢は一際凄惨なものだった。
いろいろな災難に巻き込まれ苦悩する者の夢は見たことがある。
だがあれだけの災難の中へ自ら飛び込み、挙句苦悩するわけでもなく、あんな終わりでありながらも幸せを感じていた少女の行く末。
正直、理解できなかった。
純一とて、願わくば平和であれば良いと思う。自分の助けられる範囲でなら誰かを助けたいし守りたいとも思う。
しかしあれはどう考えても個人の容量をオーバーしている。悲しいことだが、人一人が助けられる人数なんてたかが知れている。
だがそれでもその少女は諦めなかった。愚かなまでに救済を願い、望み、その果てに死んだ。
「……そんな人生に、なんの意味があるんだよ!」
わけのわからない憤り。そのままベッドに拳を叩きつけて……ふと違和感を覚えた。
いつも他者の夢を覗いた後に疼く眼が――なんの痛みも感じない。
「まさか、いまの……魔眼……じゃない?」
いや、そもそも夢とは人が寝ているときに見るものだ。即ちそれは生きているはずである。
しかし夢の最後、その少女は間違いなく“死んだ”。
それは、矛盾ではないか?
もちろん自分が死ぬ夢を見る場合もあるとは聞く。だがあれはどう考えてもあの少女の生きた道そのものだ。理屈ではなく直感でそうとわかる。
しかし、だとするならばあれは……?
「純一〜、朝だよー!」
突然、バターン! とノックもなく派手にドアを開け放たれた。
ウェーブのかかった白髪に緑のリボン。右手にお玉、左手にフライパン、そしてエプロン姿というその少女の名はアイシア。
一見普通の少女……というか明らかに給仕姿だが、彼女は英霊。聖杯に呼び出された純一のサーヴァント、キャスターである。
最初の時こそ純一のことを『ご主人様』と呼んでいたが、いまじゃこの通り呼び捨てだ。
というのも、音夢がその呼び方にやたらと突っかかってきたためだ。まぁアイシアや美春を連れてきたときの剣幕に比べればマシなもんだが……。
まぁ別に構わないけど、と苦笑しかけて……。
「? どうしたの、純一?」
その顔を見て、ふと思う。
夢の中で見た少女。あれはもしかしたら……アイシアなのではないか、と。
「なぁアイシア。お前ってサーヴァントなんだよな」
「そうだけど……。いきなりどうしたの? 変だよ純一」
マスターとサーヴァント。使い魔のように精神的なラインが繋がった二人であるならば、相手の過去を夢見たとしても不思議ではないのでは?
そう考えたら、もう黙っていることが出来なかった。
「アイシア。聞きたいことがある」
「良いけど……どうしたの純一? 顔が少し怖いよ」
「正直に答えてくれ。アイシア、お前は聖杯に何を望む?」
聖杯は万能の杯。それの恩恵を受けるため、各々の魔術師たちは聖杯戦争に身を投じる。
しかし、それは決してマスターだけには留まらない。聖杯の招きに応じて召喚されるサーヴァントらもまた、何がしかの願望を持っている。
さもありなん。過去に英雄とまで呼ばれた者が自分より格下の魔術師に従うのは、それだけ聖杯を欲するからだ。
マスターだけでは得られない。サーヴァントだけでも得られない。
だからマスターとサーヴァントは共に聖杯戦争に望むのである。それが本来のスタイルのはずだ。……だが、
「私は聖杯には何も望まない」
アイシアは、なんでもないことのようにあっさりとそう告げた。
「聖杯に……何も望まない?」
「うん。だって私の願いは、もうとっくに叶ってるから」
その答えで、その笑顔で確信した。
あの夢は、間違いなくこのアイシアの人生。この幸せに満ちた笑みと、聖杯に何も望まぬという答えが明確な証拠だ。
本人が幸せならそれで良い。普通なら……いつもの純一ならそう思っただろう。
だが、どうしてかこれだけは納得ができなかった。
理由はわからない。これはアイシアの人生で、しかも既に終わってしまったことだ。純一がとやかく言う筋合いは微塵もない。
それでも怒りが込み上げた。だから純一は自分でさえわけもわからないまま怒鳴ろうとベッドから起き上がり、
リーン、と鈴の音が響き渡った。
「誰か来た……!」
最初に反応したのはアイシアだった。その顔を見てただ事ではないことを悟り、純一は怒りを押さえ込む。
「どうした? この鈴の音は?」
「結界の音だよ。一定以上の魔力値を持った人物が入ってきた場合に反応するタイプ。合わせて私と美春の気配を完璧に遮断する効力もあるけど」
「いつの間に……」
「私はキャスターだからね。工房……というか本拠地にいろいろと細工するのは当然でしょ?」
陣地作成。
キャスターのクラスが持つスキルであり、アイシアのそれはB+に相当する。
純一の知らぬうちに朝倉家から周囲一帯には複数の効果を持つ結界が張られており、常時作動しているものと故意に作動できるものとがある。
現段階で朝倉家に攻め入るのはおそらくダ・カーポの王城を攻め落とすより困難に違いない。
「ともかく、私と美春は後ろに下がらせてもらうよ。もし敵じゃなくて純一か音夢の知り合いだったら困るし」
「そうか。敵味方の判別はできないのか」
「さすがにね。だからもし敵だったらすぐに念話で知らせてね。魔術なしでも、契約を交わした私や美春になら届くから」
「わかった」
バタバタと部屋から出て行くアイシア。おそらく音夢や美春に知らせにいったのだろう。
純一は起き上がり着替えると、念のために自らの武器たる呪具『トゥルーメアー』を腰に差し、居間へと向かう。
そこにもうアイシアと美春の姿はなく、音夢だけがいた。彼女は椅子に座り、ただ目を閉じている。
「音夢」
「わかってる。アイシアから聞いた。……いま確認してる」
音夢は特殊属性の持ち主だ。彼女の能力は主に防御に向いているが、探索などにも活用できる。
いま音夢はその能力を用いてこの家に向かってくる者たちを確認しているのだ。
そうして数秒経って、音夢は小さく息を吐いた。
「……大丈夫、敵じゃないよ」
「誰だ?」
「眞子と工藤くんだったよ」
「眞子と工藤?」
その面子を聞いて、純一はおおよその目的を理解した。
「なるほど。つまり狙いは音夢か」
「……兄さん。その発言は笑えないよ」
「わりぃわりぃ。でもそう思わないか?」
「……まぁ、私もそう思うけど」
ともあれ、敵でないのなら身構える必要もあるまい。アイシアと美春に関してはやはり隠れていて貰った方が良いとは思うが。
「というわけで二人はそのまま待機なー。俺はアイシアの用意した飯を食べさせてもらおう」
『あ、卑怯だよ純一〜!』
『ま、マスター! それは反則だと美春は思うのですがっ!』
だが純一は聞く耳持たない。平気な顔で用意された食事を頬張っていく。念話で文句を言われるがやはり無視だった。
それは先ほど話を中断された純一の小さな仕返しだったのかもしれない。
そんなことをしているうちに純一でもわかるくらいの距離に二人の気配が近付いてきた。
しばらくして呼び鈴。純一は音夢を見るが、出たくないのか動く素振りがない。やれやれ、と嘆息し仕方なく純一が席を立った。
「はいはい、どちらさま〜」
「朝倉。わかってて聞くのはどうかと思うぞ」
扉を開けば案の定、そこにいたのは工藤叶に水越眞子であった。
「工藤に眞子、か。六戦将である二人がわざわざこんな場所に何の用だ? 散歩か?」
純一の言うとおり、二人は共にダ・カーポの誇る六戦将である。
叶は氷の聖騎士。世界に六人しかいない聖騎士の一人であり、間違いなく現六戦将の中の最高戦力である。
眞子は地属性の格闘家。水越家はあまり血の濃い家系ではないものの、地属性所持者は眞子だけだ。
二人は共に純一や音夢の友人ではあるが、遊びに来た、ということはないだろう。さすがに六戦将を二人も同時に休暇は出せまい。
となればもちろん、
「音夢を説得に、ね。音夢はいる?」
眞子の言葉に純一は、あぁやっぱり、と心中で呟く。
「あぁ、いるよ。奥にな」
「そう。あがるわよ」
廊下を進む眞子と叶の後姿を見て純一は嘆息。二人の来た理由は予想通りだったようだ。
純一も後ろから二人についていく。居間にはもちろん音夢しかおらず、結界のおかげで二人ともアイシアたちには気付いていないようだった。
「音夢。お願いがあってきたの」
眞子が開口一番言い放つ。その表情は……やや怒っているようにも見える。
対して音夢はすまなそうな表情で顔を俯かせていた。
「……なに、眞子?」
聞く音夢とて眞子の意図はわかっているはずだろう。しかし敢えて聞かれれば、眞子とて本題を言わねばならない。
眞子はテーブルに手を付き、音夢の顔を覗き込むようにして、
「六戦将に戻ってきて」
「……」
そう。朝倉音夢の王都にいた頃の肩書きは六戦将だった。
元・六戦将の一人。朝倉音夢。六戦将の中でも防御に秀でており、彼女がいるだけで戦いの生還率が大幅に上がるとさえ言われていた。
しかしそんな音夢もとある経緯で六戦将を……というよりダ・カーポ王国軍を辞めた。
芳野の目が及ぶことを嫌った純一がルドロの街に一人で住もうとしたときと同時だった。
……まぁつまり、音夢は純一を追って王国軍を辞めて自警団に籍を置いたのである。
純一としては音夢には王都にいてもらうつもりだったのだが、
「兄さんを一人暮らしなんてさせたら一週間も経たずに死んじゃうよ」
と、頑として聞き入れてはくれなかった。
「眞子。私は……」
「お願い音夢。ウォーターサマーの活動がここ最近活発なのは音夢だって知ってるでしょ? あんたは自警団なんかに収まってる器じゃないのよ」
「でも新しい人が六戦将の座に着いたんでしょう?」
「それは……」
「うん、確かに君や行方不明になった萌先輩の代わりに彩珠や香澄さんが六戦将になったよ」
叶が言葉を受け継ぎ肯定する。そんな叶を眞子は批難の目で見るが、その視線に叶は頷き返して制止し、音夢を見やった。
「でもね、やっぱり君の力がいまは必要だと思う。実際ここ最近は要人なんかの不可解な死もあるし、先日は天枷まで姿を消してしまった」
ギクッ、と純一は肩を震わせる。
天枷美春は現在行方不明扱いになっている。当然だろう、死体は灰になってしまったのだから死亡確認はできない。
加えて言うと、魔導人形の美春に関してはまったく情報が出回っていない。
機密情報だったのか、あるいは無くなったことを秘匿しているのか。こっちに関しては全然騒ぎが起きていないのだ。
美春の件に関してだけはその全容を知っている純一だが、さすがにそれを言うことはできなかった。
「お願いよ音夢! 戻ってきて!」
テーブルを叩き眞子が懇願する。
だがそれでも音夢は首を縦には振らなかった。
「音夢ッ!」
「……水越。よそう」
「でも工藤……!」
叶が首を横に振る。
「いつウォーターサマーが動き出すかわからない以上、あまり俺たちが王都から外れるわけにはいかない」
おそらく二人とも限られた時間の中で音夢の説得にやって来たのだろう。
ダ・カーポにとって音夢という少女はそれだけの存在ということだ。
「……わかったわよ」
眞子は悔しそうに拳を握り締めながら、踵を返しさっさと出て行ってしまった。
それを見送った純一の横に、叶がやって来る。
「やっぱり水越は悔しそうだね」
「六戦将時代はずっとチーム組んでたらしいからな。一番音夢の実力を知ってるのはあいつだ。だからこそ、戻って欲しいと思ってるんだろうさ」
「そこまでわかってるなら朝倉、一応お前からも頼んでみてくれないか?」
「工藤。お前なら知ってると思うが、俺は音夢が来るときもきちんと反対したんだぜ? それでも音夢はここにいる。それが答えだ」
「……そうだね。朝倉の言葉を聞いてくれるような子じゃない、か」
叶は苦笑。でも、と前を見て、
「まぁ個人的にはこれでも良いかな、とは思ってる。王都にだけ戦力を集中してもしこの街が襲われたりしたらたまらないからね。
そういう意味ではこの街ほど安全な場所はないだろう。朝倉もいるしね」
「よせよ。俺は音夢やお前たちみたいに優秀じゃない。誰も彼も救えるほど器は広くないんだ」
「でもお前はお前が助けたい、守りたいと思う相手だけは絶対に守りきるはずだ。違うか?」
思わぬ台詞に、純一は言葉を失う。叶は微笑み、
「そう卑下するな朝倉。お前は強い。能力とかそういうんじゃない。心が、な」
「……お前はどうしてそう恥ずかしいことを平然と言うかね」
「そうか? そんなつもりはないんだけどな。……それじゃあ俺ももう行くよ
足を踏み出しかけ、しかし何かを思い出したのか「あぁそうだ」と叶は振り返り、
「最後に一つだけ。ことりが会いたがってた。気が向いたら彼女に会いに王都に来い。俺が取り持ってやるから」
「そうか。いつか必ず、って伝えておいてくれ」
わかった、と頷き叶も去っていった。
叶を見送り、純一はボリボリと頭を掻きながら居間へと戻る。
未だ俯いたままの音夢の前に座り込み、テーブルに肘を着いた。
「なぁ音夢。そこまで落ち込むんなら戻れば良いんじゃないか? お前、六戦将の仲間気に入ってただろ。
ほら、家事やら何やらならいまはアイシアや美春がいる。音夢の手を煩わせる必要もない。俺の世話なんかしなくても――」
「……兄さんは、私がいらないって言うの?」
思わず目がパチクリ。どうしてそんな話になるんだか、純一にはわからない。
「おいおい、誰もそんなことは言ってないって」
「だったらここにいさせてっ!」
思いの外強い言葉に純一の動きが止まる。
だが驚いたのは音夢本人も同じだったようで、一層縮こまって、ぼそりと、
「……いたいの、兄さんと」
頬を掻き、溜め息一つ。純一は腰を上げると音夢の横に立ち、その頭をポンポンと軽く叩いた。
「ったく、お前は……」
「な、なによぅ……」
「いやいや。なんだかんだ言ってもお前は俺の妹なんだなぁ、と思っただけだ」
「何よ、それ……」
こてん、と音夢が頭を押し付けてくる。甘えん坊め、とは口が裂けても言えないが、手だけはずっと音夢の頭を撫でていた。
で、姿を隠していた二人は。
「ねぇ美春」
「なにアイシア」
「なんか出るタイミング逃したよね」
「さすがにこの場面で出て行くわけにはいかないですしねぇ……」
「ご飯冷めるね」
「冷めますねぇ……」
ひもじい思いをしていた。
王国ウォーターサマーの王城、その会議室に再び四家が集っている。
だが前回のように一人ではなく、それぞれ二人ずつ着席していた。
今日は前回決めた二週間後、その期日である。
そう、今日こそウォーターサマーの方針を決める最後の決議なのだ。
「……ふーむ」
隣に上代蒼司を控えさせる白河家代表のさやかは、その面々を見やり腕を組む。
――水瀬小夜ちゃん、か。好戦的な人だって聞いてるけど、伊月ちゃんはちゃんと説得できたのかな。
水瀬家代表の伊月の横に座っているのは水瀬小夜。伊月と顔がそっくりだがそれも当然、彼女たちは双子である。髪の長さが違わなければ見た目だけでそう簡単に判別はつかないだろう。
だが二人は性格も真反対なら能力も真反対である。ここはどうなるかわからない。
――稲葉家は妹のちとせちゃん、か。
稲葉家代表である宏の妹、稲葉ちとせ。どういう理由かは知らないが昔から身体が弱く、歩くことさえままならないと聞いている。
だがそんな儚さの中に力強い意思が見え隠れしていた。宏は戦争肯定派だが、彼女がどういう答えを出すかはわからない。
そして……。
――柾木家。まったく未知の存在、伊吹公子さん、か……。
良和の後ろ控える女性、伊吹公子。気配は魔族のようなので、やはり柾木傘下の者なのだろう。
だが伊吹なんて聞いたこともないしどういう人物かはまったくわからない。一見大人しそうな綺麗な人だが、外見だけで判断するわけにいかない。
メンバーを見るだけでは結果がどうなるかわからない。戦争するか否か。どっちに転んでもおかしくはないか、とさやかは考える。
「……結局、なるようにしかならないのかな」
「先輩?」
「ううん、なんでもないよ。……あ、そろそろ始まるみたいだね」
会議室の扉が開き、慌てた様子で飾りの王がやって来る。かなり急いで来たのだろう、息が切れている。
「す、すいません! 遅れてしまって……!」
だが彼の顔に浮かぶ汗は疲労だけではあるまい。冷や汗、そういう類のものもあるだろう。
皆の無言の視線を批難と受け取ったのか、王は引け腰になりつつも端へ足を急がせる。
「で、ではこれより最終決議に入りたいと思います。なお、『血約』によりこの会議による決定に対する反対は不許可となります」
四家の決議で決定したことには、反対者とて従わねばならない。それがルールだ。
互いを牽制し合うように見合う当主たち。その中で王が手を上げた。
「で、ではまず柾木家の方々」
「戦争に賛成する」
「……賛成します」
良和、次いで公子という女性も賛成を告げた。
やはり柾木家はこうなったか、とさやかは内心思う。公子の態度は明らかに良和に従っている。反対意見はまず出ないだろうと思っていた。
「では稲葉家の方々」
「戦争に賛成する」
これで賛成が三。反対なし。やはり無理か、とさやかが思うと同時、
「……戦争に反対します」
ちとせの口からそんな言葉が放たれた。
「ごめん、お兄ちゃん。わたし、やっぱり賛成できない……」
瞠目し思わず腰を上げた宏にちとせが静かに言う。宏はすぐさま我に返り、
「ちとせ、本気か……!? 華子が殺されたんだぞ!?」
「……でも、それがダ・カーポのせいだって決まったわけじゃない。仮にダ・カーポだとしても憎しみのままに戦ってたら争いなんて止まらない」
それに、とちとせは悲しそうな顔で宏を見て、
「戦いになったら、お兄ちゃんも水夏ちゃんも戦場に出るんでしょ? ……そんなの、嫌だよわたし。もし二人が死んじゃったら、わたし……」
「ちとせ……」
宏は静かに腰を下ろした。それが舞台を進ませる合図となる。
「白河家の方々」
「戦争に反対でーす」
「同じく反対します」
これで票数は同じく三対三。そして残った水瀬家は前回戦争反対を表明している。ここで二票が反対になれば戦争は回避される。
おそらくもう伊月はそう確信しているのだろう。安堵の表情を浮かべていた。
しかしさやかは伊月ほど簡単には考えられない。
水瀬小夜。おそらくは伊月に説得されてはいるのだろうが、彼女がどう出るかさやかにはまだ確証が持てなかった。
「では最後に水瀬家の方々」
「戦争に反対します」
即答する伊月。だが隣に座った小夜は口を開かない。
伊月が当惑の視線で小夜を見る。そして数秒、小夜は口元を釣り上げ、
「戦争に賛成するわ」
「小夜ちゃん!?」
やっぱり駄目だったか、と嘆息するさやか。だが伊月の驚きを見るに、やはり小夜は土壇場で意見を変えたのだろう。
「どうして小夜ちゃん!? 昨日は戦争に反対だって言ってたのに……!」
「気が変わったの。ほら、やっぱり舐められっぱなしって癪じゃない? あたしたちの怖さを知らしめてやるのも良いかなぁ、って」
「小夜ちゃん!」
「伊月には悪いけど、あたしはもう決めちゃったの。あ、もし戦争することになっても伊月は戦わなくて良いから。その分あたしと秋子でやるし」
――秋子?
それも聞き慣れない名だ。しかし小夜の言葉から察するに相当に強いのだろう。水瀬は小夜が最大戦力だと聞いていたが……。
「これはまずいですね、先輩」
「うん」
蒼司の言うとおり、まずい状況だ。
結局票数は四対四。四家の票は完全に真っ二つに割れ、未だに決まらない。
となると……九票目。その資格を持つ、このお飾りの王にウォーターサマーの未来が委ねられることになる。
王らしい責務だ。が、その王は決して選択権を得て喜んだりはしなかった。むしろどうして良いかわからず迷っている。
当然だ。自分の動き如何によってはこの場で殺されてしまう可能性だってある。所詮飾りの王。代用などいくらでも出来る。
それを自覚しているからこそ、王は選択権なんて欲しくはなかった。全部が全部勝手に決まれば良いと思う彼にとってこの権利は重荷でしかない。
「わ、私は……!」
皆の視線が集まる中、ガタガタと震え出す王。
と、不意にガタン! と一際大きな音が響き、ビクリと王の肩が大きく揺れた。
それは良和がテーブルに肘を落とした音だ。次いで、笑み。
それで――全ては決まった。
「わ、私は戦争に賛成します!」
「ちょっと待って!」
さやかがガタッ、と椅子から立ち上がり、
「卑怯よ! いまのは脅しだわ!」
「言いがかりだ『白河の魔女』。僕はただテーブルに肘を着いただけだけど?」
「あの状況でそんなことをしたら脅し以外に受け取れない」
「相手がどう受け取ろうと自由だが、僕にはそんな意図はなかったよ」
いけしゃあしゃあとよく言う。だが実際問題脅し文句を言ったわけでもなんでもない。言い逃れられては追求のしようもないのは事実だった。
ともかく、と良和は笑みを浮かべながら立ち上がり、
「もう決まったことだよ。だったら『血約』に則ってこの決定に従ってもらおうか?」
言うことはそれだけだ、というように良和は会議室を出て行く。公子が皆に一礼をし、それに従って行った。
さやかが歯噛みする横で、水瀬小夜もまた席を立つ。
「さーて、戦争することに決まったわけだし、帰って支度でもするかな〜」
チラッとこちらを一瞥する小夜。そして……嘲笑。
「っ……」
その笑みの中に、確信めいたものを感じ取り、さやかは察した。
おそらく、小夜は最初から良和あたりと口裏を合わせていたのだろう、と。
「ほら、行こう伊月」
「ま、待って小夜ちゃん! 考え直して!」
「無理よ。もう決まったことだもの。それが『血約』でしょ?」
「でも……」
「だーから心配しなくても伊月まで駆り立てたりしないわよ。伊月は戦いが嫌いなんだもんね?」
「そ、そういう問題じゃ……!」
だが小夜は聞く耳を持たずさっさと行ってしまう。伊月は小夜の背中とさやかを見比べ、小夜の背中を追っていった。
「……行こう、ちとせ」
ちとせは無言だった。この決定に不満を抱いているのはありありと感じられる。
だから宏も無言のままちとせを押して出て行った。
王も慌てて会議室から出て行く。
そうして残ったのは、さやかと蒼司だけになった。
「はぁ〜〜〜……」
重い溜め息と同時、どかっと勢いよく椅子に座り込むさやか。
「結局、ゲームマスターさんの思うがままってこと、かぁ……」
「戦争……回避できませんでしたね」
「まぁ多分こうなるとは思ってたけど……誰かの思い通りってのはすっごい癪だよねぇ〜」
おそらく数日中には侵攻作戦が開始することになる。
もし何かを行うにしてもそう時間はない。これから自分の……自分たちのできることとはなにか?
「どうします、先輩?」
「んー」
指を口元に添え、数秒。しばらくすると何かを決めたのか「うん」と頷き、
「蒼司くん。白河傘下の人たちを皆一箇所に集めて。あと、折を見てちょっと水瀬に行ってきてもらえるかな? わたしは稲葉に行ってくるから」
「良いですけど……どうするんです?」
さやかはまるで踊るように振り返ると、満面の笑みを浮かべ、
「蒼司くん。逃避行、ってどう思う?」
そんなことを聞いていた。
あとがき
はい、どーも神無月です。
今回はアイシアの過去、音夢の素性、あとウォーターサマー側の動向、ってとこでしょうかね。
アイシアに関して、「アイツにそっくりじゃねぇか!」と思った方も多いでしょう。ええ、そっくりです。ただそのときの考え方が続いているかどうかという違いがあります。
もちろんその人ともいずれ激突することになるでしょう。正義とはなんなのか、とねw
まぁそれはともかく次回からいよいよ本格的に戦闘が開始されます。
純一たちは? 六戦将は? ウォーターサマーは?
そしていまだ出てこない某歌の上手い王女とか某名雪の母親とかの動きもお楽しみにw