神魔戦記 間章 (百三十五〜百三十六)
「朋也」
初めて出会ったとき思ったことは、なんか変な子だな、という程度のことだった。
だけどいつからだっただろう。彼女のことを目で追うようになっていたのは。
泣き虫で。
臆病で。
ひ弱で。
……でも。
優しくて。
努力家で。
心が強くて。
彼女の笑顔に、救われたことがあった。彼女の優しさに、癒されたことがあった。彼女の強さに、守られたことがあった。
他にも自分を支えてくれる人は多くいたけれど、彼女の存在はより特別だった。
だから、勝手に誓ったんだ。
彼女の笑顔を守ろう。彼女が挫けそうになったとき、傍で共に笑っていよう。彼女が諦めそうになったとき、励まし共に歩もう。
彼女から貰った救いと癒しを今度は自分が与え、そして守っていきたいと。強く願った。
だけど彼女が本当に辛い状況に陥ったとき、自分は何も出来なかった。
守ることさえままならなかった。挙句、そのときの烙印で暴走までする始末。
……最悪だ。
苛まれる無力感。胸を軋ませる悔しさ。
……だが、過去は過去だ。いつまでもそんなことに囚われているわけにもいかない。
道は開けた。いろいろ辛いこともあったが、いまはなんとか光明が見えてきている。何も全てが絶望に包まれたわけじゃない。
だからこそ、いつまでも過去のことを引きずっていてはいけないと……そう思う。
古河渚。
愛しき人。何よりも、誰よりも優先されるただ一人の存在。
彼女を守るために……前へ進むために、過去の自分にケジメをつけなくてはいけない。
鳥の囀りが耳に心地良いカノンの朝。早朝と呼んでも遜色ないこの時間帯はかなり冷え込む。
外はもちろん、それは城の中であっても大差ない。部屋の温度を一定に保つ呪具もあるにはあるが、普及しているのはまだリーフ大陸程度だ。
他大陸ではまだ高級品……というよりそれ以前に数が少ないないので、王城の、しかも数箇所にしか配置されてないのが現状だ。
しかしそんな中を平然とした顔で歩く男がいる。
岡崎朋也だ。
すれ違うカノン兵と互いに軽い会釈を交わし、思わず苦笑。そんな動作が反射で出てしまうほどもうこの場所に長くいるということだ。
カノン王国。一度は敵対し、憎悪を抱いた国。
目の前で有紀寧を奪われ……再び『無力』を突きつけられた相手が統治している国。
しかし同時に、渚の命を救ってくれた国でもある。
朋也の心中は複雑だ。だがそれもここ最近は……薄れつつある。
この国が理想の国家であることは、もはや疑いようのないものだろう。この国にわずかでも身を置けば、誰でも実感できるに違いない。
だが、かと言って全てを認められたわけじゃない。
また、彼の立ち位地もかなり曖昧である。
朋也はカノンにいるがカノン軍人でもなければカノン国籍さえ持っていない。亡命した……というのが一番妥当なのだろうが、それらしい手続きをした覚えもない。
つまり朋也と、そして渚はここにいるがここの人間ではない。ふらふらと浮いている、異端の存在なのだ。
とはいえクラナドは落ちた。近いうちに正式にカノンの領土に組み込まれ、帰る場所はなくなるだろう。
だがそのままカノンに帰属しなくても良い。そう祐一なら言う筈だ……と、杏は言っていた。だから朋也たちもなし崩し的にカノンに属する必要はない。
ならどうするべきか? どうしたいのか? どうなりたいのか?
……それらを自問しつつ、嘆息。目的の場所に到着したのでその思考は一旦心の奥に仕舞い込んだ。
「渚、入るぞ」
ノックをし、軽く声をかけて扉に手を掛けた。
返事がないことはわかっている。クラナドを出て以来、渚はまだ眠ったままだ。
クラナドを出た反動で再び上昇した魔力が、渚の身体を痛めつけている。意識を失ってからそのまま一度も目を覚ましてはいない。
そんな渚の姿を見ていると、たまに迷うことがある。……これで良かったのだろうか、と。
結果から言えば、秋生も早苗も生きている。だが秋生は重傷で、早苗は魔力を吸い取られてしまった(渚ではなく早苗を狙ったのは、おそらく渚の魔力をレンタルした場合その圧倒的な総量で自滅する可能性があったからだろう)。
あのとき他にもやりようがあったんじゃないか。そんな考えがごちゃごちゃと頭を駆け巡る。考えていても仕方のないことだ、とはわかりつつも。
――やれやれだな。
またいろいろ考えてしまった。軽く頭を振って気を取り直し、扉を開く。と、
「フェルミナ……?」
渚以外誰もいないだろうと思っていた部屋の中には、ルミエ=フェルミナが立っていた。
いくら考え事をしていたとはいえ、人の気配に気付かないなんて……と失笑。
彼女は瞼を閉じ、両手を中空に掲げて何かしら呟いている。この部屋に新たに設置された呪具の経過確認でもしているのだろう。
朋也は呪具の技術に関してはよくわからない。だが精密な作業のはずだ。しばらく外で待っていた方が良いか、と後ろに下がろうとして、
「気にしなくても良いわ。じきに終わるから中に入ってなさいよ」
しかしルミエは作業を続けながらそんなことを言ってきた。
一瞬躊躇したが、本人の了解は出ているので朋也は改めて部屋に入りなおす。そこで、部屋の各所に設置された呪具が淡く明滅していることに気が付いた。
「何をしてるんだ?」
聞くのも作業の邪魔か、とも思ったが口を開いてしまう。なんとなく、無言が気まずいのだ。
「経過確認よ」
特になにもなくルミエも淡々と返す。やはり経過確認だった。だが、本当にさほど集中する作業ではなさそうだ。
「で、経過は?」
「そうね。……まぁひとまずは良好と言って良いかしら」
「本当か?」
「ええ。とはいえ、それほど楽観的にはいかないけど」
スゥ、とルミエが瞼を開け腕を下ろした。作業が終わったのだろう。その証拠に呪具の光も消えている。
「とりあえず、私の改造した呪具が渚さんの一日の魔力回復量を上回る速度で魔力は吸っている。だからこれ以上増える心配もないし――」
「このままいけば渚の魔力はどんどん減っていくのか!?」
それは朋也にとってとても喜ばしいことだった。
クラナドでは魔力の回復量を抑えることしか出来ず渚を苦しめるはめになった。
カノンに来てしばらくはリリスの『慧輪』で魔力を吸っていたが、回復量とほぼ同等で焼け石に水だった。
けどこれからは違う。着実に渚の魔力は減るのだ。つまり、渚はいずれこの苦しみから解放されるということになる。
「ええ、まぁ……」
だが、ルミエの表情は晴れない。訝しく思い、朋也は気を落ち着ける。
「……何か問題があるのか?」
「いえ、特にそういうわけでもないんだけど……ただ、相当の長丁場になるわ」
ルミエは渚を流し見て、
「渚さんの一日の魔力回復量は半端じゃない。しかもどこかの機能が欠落しているのか、魔力が100%回復していてもそれが一行に止まらない。
魔力はどんどん上乗せされ、その余剰分が渚さんの身体を蝕んでいるわけだけど……それが積み重なりすぎたわね。
いまの彼女の魔力量は大きすぎる。いくら回復量より吸収量が上回っているとはいえ微々たるもの。そう簡単には安定領域まで持ち込めない」
「……そこに行くまでどれくらい掛かるんだ?」
「……大雑把な計算だけど、早くとも半年。遅ければニ、三年ってところね」
「結構幅があるな」
「いまの回復量のままなら半年で終わるわ。でも渚さんの身体に少しでも余裕が出来たら、もしかしたら回復量が増加するかもしれない。
その可能性を考慮すれば、どうしたって数年越しになってしまうわ」
俯き、
「……ごめんなさいね。私の力じゃこれが限界なの」
「いや、フェルミナが謝ることじゃないだろう? むしろ俺は礼が言いたいくらいなんだから」
「え?」
顔を上げるルミエに、朋也はしっかりと頭を下げて、
「ありがとう、フェルミナ。俺たちだけじゃどうしようもなかったところを、あんたは救ってくれた。
どれだけ時間が掛かろうとも、渚が助かるのなら俺はそれで十分だ。……これまで光さえ見出せなかった道を照らしてくれて、本当にありがとう」
「〜っ!」
そこまで真正面からの謝辞に慣れていないのだろう。ルミエはボッと顔を真っ赤にし、やや慌てた調子でドアまで進むと、
「れ、礼なんていらないわよ! 私は祐一の指示があったからこうしているだけだし」
祐一の指示、というところで朋也の身体がピクリと反応した。
「……なぁ、ちょっと変な質問なんだが聞いても良いか?」
「? なによ」
扉に手を掛け既に部屋を去ろうとしてたルミエが顔を振り返らせる。その顔を正面から見据えて、
「あの男……相沢祐一はどうしてこんなことをすると思う?」
余程予想外の質問だったのか、ルミエはパチクリと瞬きをしている。
無論、朋也とて秋生たちが祐一に交渉した内容は知っている(後で聞いた)。
確かに渚の力……魔族七大名家・古川の先祖還りの力は巨大だろう。
だが、どうにもそれが目的ではないように朋也は感じている。そもそも渚の力が欲しいのなら朋也共々すぐにでも軍属に入れるだろう。
しかし軍属はおそか国籍さえ登録しておらず、いつでも外国に出て構わないという。それは明らかな矛盾だ。
あるいは朋也が渚の容態を考えて出て行かないと踏んでいるのか。だがそれでも朋也だけでも戦いに参加させるはずだ。が、それも自由意志。
朋也には祐一の真意が掴めない。
そんな朋也を見て、何故かルミエは苦笑。
「……なんかいろいろ難しいこと考えてるみたいだけど、それって無駄なことよ。私も経験者だからわかるけど」
「え?」
「あの男はね、確かに頭が良いし数手先のことも考えて動いてる。でもね、根本的な部分はあいつ、とても単純な考えしかないわ」
フッと笑みを浮かべ、
「救いの手を差し伸べられるのなら救う。強き者におびやかされる弱い者がいるのなら守る。ただそれだけよ」
「それだけ……?」
「そ。あれだけの聡明さがあって、言葉も上手く駆け引きだってお手の物なのに……結局根本はそんな些細な願望で出来ている」
笑っちゃうでしょ? とルミエは髪を手で払い、
「でも、だからこそ祐一の近くに人は集まる。多くの、そして大きな力を持ちながらなおもそんな単純なことにしか力を使わないからこそ。
……力と命を預けても、この王なら絶対に道を誤らないとわかるから」
「それが……相沢祐一か」
「私も一時期は反感を覚えてたけど、結局馬鹿らしくなっていつの間にかそんな感情消えうせてたわ。……そうね、あなたもケジメをつけたら?」
思わぬ言葉に朋也は聞き返す。
「ケジメ?」
「あら、違うの? あなたが求めていたものはそれだと思ってたけど?」
からかうような口調だが、ルミエの言葉は確かに的を射ていた。
朋也はこの国の在り方を認めた。一度は敵対した国であったがその内情を知って、理想の国家であると認めた。
だが朋也はこの国を作り上げた『相沢祐一』という男をを認めたわけではない。
……いや違う。ただ認めたくないだけだ。
「あなたの悩みの大本が何かは、私にはわからない。でもウダウダ考えていても何も始まらないでしょう?
男ならあれこれ考える前に動きなさいよ。言葉で語るより拳で語ったら? ほら、相手を理解するのはそれが一番なんじゃない?」
思わぬ提案を持ちかけるルミエに朋也は瞠目する。
「お前……思いの外豪快な性格なんだな」
「む、なんか気に入らない言い方だけど……、そうね。少しくらい豪快じゃないとリディアやシャルとはやっていけないのよ。
ま、どうするかは貴方次第。私は私の仕事をするだけだもの」
それじゃあね、と後ろ手に手を振ってルミエは去っていった。
その背中を見送り、そして一度渚を見て、
「ケジメ……か」
頷き、立ち上がった。
「は……? なんだって?」
思わず、祐一は間の抜けた声で聞き返してしまった。
「だから俺と戦ってくれ。手加減なしの、全力で」
ここは祐一の自室。大量に積み上げられた書類を片付けていたらいきなり朋也が入り込んできてこの状況だ。
さしもの祐一と言えど、これで驚くなという方が無理だろう。
「朋也。あんたいまどういう状況かわかってんの?」
傍らにいた杏が問う。ここにいるのはあくまで偶然で、書類が終わった後のクラナド行きの話をしに来ただけだった。
そんな杏に朋也は真顔で頷きを返す。
「重々わかってる。相沢祐一が多忙なことも、シズクとの戦いに時間がないことも」
「だったらそんなのやめなさいよ。あのね、二人の全力を知っているからこそ言わせてもらうけど、あんたたち二人がまともにぶつかり合ったらとんでもない被害が出るわ。それに二人がここで戦線に出れなかったり……万が一死亡だなんてことになったどうするわけ?」
あながちありえない話ではない。祐一も朋也も、やろうと思えば一人で一つの街を壊滅させられるような者たちだ。
そんな二人が真正面から全力で激突すれば、どちらかが死んだとしてもなんら不思議ではあるまい。
が、それをわかっていながらも朋也の意思は変わらない。
「それも理解してる。でもその上で、頼む。全力で俺と戦ってくれ」
「だーかーらー」
「まぁ待て」
祐一が手で杏を遮る。杏も祐一に任せる方が良いか、と渋々口を閉ざした。
だが祐一の口から放たれた台詞は、杏の予想を外れていた。
「岡崎朋也。それら現状を全て踏まえた上で、何故いま戦いを望むか。その理由を聞かせてくれ」
杏、思わず唖然。
この言い方は……もし納得できる理由なら戦うこともやぶさかではない、と聞こえる。
嘘でしょ? と思うが祐一の表情はいたって真剣だ。で、相対する朋也もまた真剣そのもの。
嫌な予感。
「俺は……ケジメをつけたいんだ」
「ケジメ?」
「ああ。俺が俺として先へ進むために、ケジメをつけたい」
「それは俺に勝つことで、か?」
朋也は首を横に振った。
「違う。勝ち負けなんかどうでも良い」
「なら……」
「俺はこの国を認めた。確かにこの国は良い国だ」
でも、と祐一を見据え、
「俺は……俺はお前を認めたわけじゃない」
言い放った。
「俺はあのとき……有紀寧をさらわれたとき、力を封印されていた。全力で戦えなかった。
あのときの無力感が、拭えない。お前に対する個人的な憎しみもなくはない。だから全力で戦ってみたいんだ。
俺とお前、どっちが上で、どの程度の差があって、俺はどこまでやれるのか。そして――」
お前を認めたい、と。その思いを、しかしわずかな意地で押し留める。
だが聡い祐一と杏だ。言葉にせずともその真意はもうわかっていた。
そして同時、杏はこれから先の展開を確信し、嘆息した。
「……良いだろう。そういうことなら、戦おう」
「ほーらきた」
「杏、この国にいるありったけの魔術師を集めてくれ」
肩を落とす杏に祐一が指示を出す。
「わかってるわよ。結界でしょ? ……とはいっても、佐祐理や美咲でもさすがに二人の力を防ぎきれないと思うけど」
「だったらユーノにも手伝ってくれるように言ってくれ。結界の力が凄いらしいことはなのはから聞いている」
「りょーかい」
辟易とした風に頷き、杏は踵を返す。と、その途中、
「朋也。余計なお世話かもしれないけど言っておく」
肩を叩き、すれ違いざまに小声で一言。
「十中八九、いまのあんたじゃ祐一には勝てないわよ」
「!」
そう言い残し、杏は準備のために出て行った。
「さて」
そして祐一もまた書きかけの書類を横にどけて、
「俺たちも行こうか」
不敵な笑みで立ち上がった。
なんか、やたらギャラリーがいた。
杏が集めたのであろうユーノや美咲、佐祐理などの魔術師たちとは別に、どう考えても興味でやって来たと思しき連中が多くいる。
舞や二葉、恋たちや浩一たち。見回りしているはずの美汐や名雪までいる始末だ。
「ま、あんたたちレベルの戦いなんてそうそうお目にかかれるもんじゃないからね。良いんじゃない?」
と、審判役を買って出た杏がニヤニヤしながら闘技場に降りてきた。
「……お前、楽しんでないか?」
「なーに言ってんのよ朋也。こんなこと、楽しみにでもしないと胃が痛くてやってられないわ」
ともかく、と杏は話を切り、
「良い? 全力なのは仕方ないとして、出来る限り相手を殺したりしないように。あたしが止めたら絶対に止めること。それが条件よ」
「だが――」
「けど――」
「『だが』も『けど』もなしッ! あんたたちは二人ともこんな訓練とか私闘で死んで良い存在じゃないの! わかってんの!?」
がーっ! と吼える杏に祐一も朋也もそれ以上の反論はしなかった。まぁ事実ではある。
やむなくその案を了承し、二人は互いに距離を取った。
闘技場。そのステージのそれぞれ反対方向に立ち、構える。
「結界展開!」
杏の号令と同時、結界が闘技場の周囲を覆う。闘技場自体にも門と同様の魔術処理はされているが、この二人の戦いでそんなもの何の役にも立つまい。
メインはユーノの結界。それを他の魔術師たちが揃って増強、補正をする。この中ではやはりユーノの結界が一番硬い。
準備は整った。
祐一も朋也も、もう互いしか見ていない。そして、数秒の静寂の後、
「――はじめッ!」
杏の宣言と同時、二人の魔力が一気に吹き荒れた。
「行くぞ、岡崎朋也!!」
祐一の双眸が金色に輝き、背に漆黒と純白の双対の翼が出現し、
「来い、相沢祐一!!」
朋也の瞳が澄み渡る透明に近い銀の色を顕現する。
互いの魔力は共に異常。見物に来た者たちも、結界越しでありながら肌に伝わるその威圧感に思わず身震いするほどだ。
「っ!」
同時、二人は床を蹴り――交錯。
剣と剣がぶつかり合う。数秒の鍔迫り合いの後、共に一歩引いて、剣を打ち合う。響きあう剣戟音は、まさに怒涛そのもの。
だが、両者はそれぞれ『剣士』ではない。剣の腕も相当のものだが、二人の本領は剣にあらず。
だからこれは様子見。互いの出方を窺うその一手。
「ふっ!」
「!」
先に動いたのは朋也だった。剣を全力で打ちつけ祐一を突き飛ばすと、手を掲げた。再現されるのは、
「『断罪の業炎道(』!」
火の超魔術!
しかもただの超魔術ではない。それはクラナド軍が一の魔術師、一ノ瀬ことみの超魔術。
故に、通常のそれよりはるかに強力である。
だがそれを祐一は翼をはためかせ空中で回避した。振り返り様に魔術を放とうとするが、
「アイスバニッシャー!」
「!?」
マナの動きを止められ、魔術が使用不能になる。その隙を朋也は逃さない。
「クルシフィクション!」
今度はクリスの神剣魔術。闇の鎖が出現し、一斉に祐一を巻き取っていく。その間に朋也は疾駆し、跳ぶ。
剣を肩に担ぎ、集束していく魔力。それは、
「留美の……!」
「獅子王覇斬剣 ――ッ!」
圧倒的な重力の波濤が祐一へ襲い掛かる。だが、
「喝ッ!!!」
咆哮。祐一の身体から迸った強烈な魔力の奔流が鎖を引きちぎり、重力の波を相殺し、あまつさえ朋也の身体を吹き飛ばした。
「なっ……!? くそ!」
「生半可な攻撃は俺には届かないぞ!」
祐一が手を掲げ、魔術を撃つ。今度はアイスバニッシャーも間に合わない。
「『月からの射手(』!」
「!?」
上手い。術者から直接放たれる魔術ではなく対象者の上から降り注ぐこの魔術なら、朋也の魔眼で相殺できない。防御せざるを得なくなる。
「ちぃ!」
朋也が手を頭上に掲げ結界を展開し光の雨を防ぎきる。だがその間に祐一の片手に生み出されるは、
「『陰陽の剣(』」
いかなるものも断ち切る対消滅の剣。
通常の剣と二刀流の構えで翼を羽ばたかせ、祐一は弾丸の如きスピードで朋也に接近する。
「『静寂の水流道(』!」
それを妨害するために朋也は超魔術を放つが、それは『陰陽の剣』の一閃でたちまち無効化される。
「遅いぞ」
「くっ!?」
肉薄してきた祐一に、朋也は咄嗟に、
「『陰陽の剣(』!」
祐一の手に持つその剣を『再現』し向かってくる刃に突き立てる。
いかなるものも断絶する対消滅の刃が、激突し拮抗する。属性も同じ、魔力も同じ、ならば拮抗するのも当然だろう。だが、
「なっ!?」
朋也の『陰陽の剣』が祐一の『陰陽の剣』に侵食される。
「当然だろう? お前は見なければ再現できないかもしれないが、こっちは俺の魔術だ。魔力の上乗せなど造作もない」
そう、同じだから拮抗しているのなら……力を強めれば良いだけのこと。
放出系であれば上乗せする前に相殺されて終わりだが、剣のように形を維持する魔術ならその程度出来ないはずがない。
だから――断ち切られる!
「!?」
朋也はほぼ無意識に剣が消失するまえに後ろへ跳んだ。だが祐一もすぐさま疾駆し距離は離れない。
――とにかく、足を止めさせないと……!
考え、朋也はその力を『再現』する。
「二十重束縛結界“水の処刑台”ッ!!」
出現するのは水の結界。それが一重二重と重なり合い、絡み合い、瞬く間に祐一の周囲を覆っていく。
祐一はすぐさま『陰陽の剣』で切り払おうとするが、
「硬い……!?」
寸断できない。いや、実際『陰陽の剣』は“水の処刑台”の結界を突き破っているのだが、そこからなかなか動かないのだ。
さすがは世界でも屈指の結界師、仁科理絵の最高束縛結界。対消滅を持ってしても『陰陽の剣』クラスでは破るのに時間が掛かるようだ。
その間に朋也は距離を取り、息を整える。次の手段を考え……、
「なっ……!?」
そこでようやく気付いた。
自分の立った場所。そこを……包囲するように『光の剣』が八本、突き刺さっていることに。
「そんな、いつの間に――まさか、さっきの『月の射手』!?」
まさにその通りである。
祐一は『月の射手』で誤魔化しながら一定範囲を切り取るように『光の剣』を配置していた。しかも朋也がそっちに退避するように接近して。
トラップだ。しかし朋也は気付くのが遅すぎた。
その空間には、既に魔術が仕込まれている!
「『重圧洗礼・白き十字架(』!」
「ぐっ……!?」
咄嗟に風の魔術で空に逃げようとしたが、時既に遅い。朋也は光の重圧に捕まり、地面に叩きつけられた。
この『重圧洗礼・白き十字架』は対魔族用で人間族に殺傷効果はない。が、このように重圧のみは押しかかるので行動を封じることは出来る。
そしてその間に祐一は“水の処刑台”から脱出し、形勢は逆転した。
「く、そ……!」
翻弄されている。それを自覚し、舌打ちする。
自分の方が明らかに手は多いはずだ。それなのにどうしても先を取られている。
バトルメイク。これが頭脳の差なのか。
「岡崎朋也。お前は強い」
祐一は唐突にそんなことを言い出した。
嫌味か、と朋也は思う。こうして終始アドバンテージを握っているのは明らかに祐一だ。
が、祐一の言葉には続きがある。
「誰かのために強く在ろうと思える者は、その真っ直ぐさ故にどこまでも強くなれる。それがたった一人のためであるのなら、なおのことその傾向は強いだろう……」
だが、と祐一は着地し、
「同時にそれこそがお前の弱点でもある」
「……どういう、ことだ」
だが祐一はそれに答えず、わずかに話の矛先を変える。
「お前のその魔眼は強大だ。その力は誰にとっても大きな脅威となるだろう。だが――」
一息。
「どれだけ強力な魔眼であろうとも、使っているのはただの人間だ(」
「……何が言いたい」
わからないか? と朋也に近付きながら、
「お前の魔眼の能力は、大雑把に言えば他者の技をコピーすることだ。それは確かに有利だろう。
どんな状況であろうとも、お前にはそれに対応できるだけの多くの技のストックが存在する。つまり多様性があるということだ」
それこそ朋也の『鏡界の魔眼』の能力にして利点。だからこそ朋也はクラナド王国最強と言われていたのだ。
……しかし、祐一はその利点にこそ弱点を見出していた。
「多様性があるからこそ、お前には常に選択肢が与えられる。……つまり、思考のタイムラグが出る。それがお前の弱点だ」
「!」
「持ちカードが一つしかなければそいつはそれを切る場面を待つか、あるいは使える場面に自ら持ち込むしかない。迷うことはないだろう。
だがお前はなまじ切れるカードが多いからこそ、どこで何を(出すか迷う(ことになる」
そこで、ようやくこれまでの違和感の理由を悟った。
朋也はさっきから祐一に先制を取られているような感覚を得ていたが……それは間違いなのだ。
祐一が早いのではない。朋也が遅いのだ(。
考えてみれば、確かにその通りだろう。
祐一とてニ属性による多種の魔術を扱える。だが、使える技や魔術の数は朋也の比ではない。
数が多ければその分どのような状況であろうと対応は出来るだろうが……必然的にそれを選ぶ必要性が出てくる。
しかも朋也の『鏡界の魔眼』に際限はない。見れば見るだけそれは蓄積され、手段の一つとして記録される。
だが、そこから何を使用するかを選択するのは他でもない、朋也自身だ。
朋也が特殊なのはその魔眼であり、他は普通の人間と変わらない。脳だって同じだ。
故に、隙が出来るのは当然のこと。十の中から一つを選ぶより、千の中から一つ選ぶ方が遅くなるのは当然の真理である。
「だからこそ、お前は最も冷静さを欠いてはいけない。激情に駆られればそれだけ思考は埋没する。
……気付いてないだろうが、お前の攻撃はさっきからワンパターンだぞ?」
「!?」
祐一から見れば、朋也の動きはまさに一辺倒だった。
距離が離れれば牽制の意味も込めて超魔術、そこから束縛系の攻撃に繋げ、そして最後に大きな一撃を叩き込む。技は違えどそのパターンは変わらない。
いかに手札が多かろうと、戦法が似ていればなんの利点もありはしない。故に、
「だから――俺には通じない」
『十中八九、いまのあんたじゃ祐一には勝てないわよ』
杏がそう言った理由は、まさにこのことだった。
祐一は確かに強い。光と闇の力を覚醒させたときの身体能力も魔力も、朋也のそれを大きく上回っている。
だが……それらより何より祐一の凄いところはその『洞察眼』と『思考力』にある。
おそらくは、戦闘の組み立て方……『戦法』においては杏の方が一枚上手だろう。だが祐一は相手の弱点を見つけ出すのがとにかく上手い。
時谷や神奈と戦ったときが良い例だろう。祐一は戦っているその短い間に相手の弱点を看破してしまうのだ。
杏も朋也のその弱点には気付いていた。が、それを知ったのは他の面々と模擬戦をしていたときなどであり、わずか一戦でそれに気付けたとは思えない。
普通の者なら、まずそうそう気付かない。杏でさえすぐには気付かなかった。だが祐一はすぐに気付いた。
それが相沢祐一という男の本当の強さだ。
「お前は多くの技を知っている。だが、だからこそのリスクもあることを忘れるな。冷静であれ。視野を広く持て。意識を戦いに集中しろ」
「戦いに……」
「そうだ、岡崎朋也。誰かを守るということは……一度も負けられない、ということだ。そうだろう?」
誰かを守るためには死んではならない。故に常勝でなければならない。……生き残り、勝利しなくてはならない。
守る、とはそういうことだ。
『同時にそれこそがお前の弱点でもある』
そして結論は先程の話に繋がる。
「お前にとって古河渚の存在は大きい。そして一度も負けられないことをお前もちゃんとわかっている。
……だからからこそ、お前は自分が境地に立たされると途端に思考が鈍る。感情が揺れやすい。現にこうしてお前は冷静さを欠いている」
想うが故の強さでありながら、同時にそれが朋也の弱さに繋がる。
想いの空回り。負けてはいけない、という追い込みが自らの集中と思考を妨げる障害になってしまっている。
それでは勝てない。自分の力を活かしきれていない。だから、
「戦うときは戦いにだけ集中しろ。後悔が先に立たないことくらい……お前は身を持って知っているはずだろう?」
「っ……」
知っている。痛いくらいに、知っている。
だからこそ負けまいとしていた。……その思考が仇になっているとはこれまで気付きもしなかったが。
後悔は、これまでに何度も味わった。そのどれもが最終的には救いに繋がったが、これからもそうであるとは限らない。
もう二度と、あんな思いをしたくないのなら……。
「……すぅ……ふぅ」
深呼吸。悔しさや怒りといったありとあらゆる感情を沈静化し、ただ一つのことだけを考える。
勝つ。
落ち着かせろ。高ぶるな。思考を一定に。常に戦法を吟味しろ。先を取れ。戦いの前後のことなど考えるな。この一戦に集中せよ。
守りたいのならば。
負けられないのならば。
勝ちたいのならば。
余計な一切合財を捨てて――『全力』で戦いに挑め!
「ォォォォォォォォォおおおおおおおおおおおぁあああああああああああッ!!!」
裂帛の気合と共に、朋也は重圧を弾き飛ばして立ち上がった。
朋也の身から魔力が迸り、結界を構築していた『光の剣』が霧散して『重圧洗礼・白き十字架』も消失する。
それは計り知れぬ力。なにせ祐一が『覚醒』中に、しかも『光の剣』という魔術で補填してまで作った魔術だ。
階級で言えば上級魔術に位地するものの、その威力や内包魔力は既に超魔術と遜色ない。それを気合でねじ伏せたのだ。
これが岡崎朋也本来の力にして姿。
「……そうだったな。こんな簡単なことまで忘れていたなんて」
クラナド兵二千を相手に回したとき、まさしく朋也はこのような姿勢で戦っていたはずだ。
ただ戦いに集中し、敵だけを見ていたはずだ。
だがそこで敗北に帰し、渚を苦しめた結果、『もう負けられない』という観念が頭にこびりついてしまっていた。
しかし、朋也はそれら全てを理解して……再び立ち上がる。
「……ようやく、良い勝負できそうなところまで来たじゃない」
審判役として闘技場に立つ杏が、朋也を見て笑みを浮かべた。
いまの(朋也じゃ勝てない……と言ったのは、即ちそういうことだ。昔の朋也なら、あるいは祐一とも互角に戦えるかもしれない。
祐一や自分ほどではないが朋也も頭の回転は良い、と杏は思っている。戦法の立て方もかなり上手い。
そもそも、そういう能力がない者にあのような魔眼は宿るまい。幾多もの技を持つ者は、それらを全て御し得る者でなければ。
「……やっぱ、凄いなお前は」
剣を拾いながら朋也は祐一に視線を向ける。
「それが『王』の器か。……いや、お前自身の力か。さすがにこんな国を作る男だ」
苦笑し、
「認めよう。お前は間違いなくこの国の王で、魔族だとか関係なくたいした男だよ」
一転。清々しい笑みを浮かべて、
「そして同時に告げよう。俺はカノンにつく。お前が渚を保護してくれている間は、俺はお前の下で戦うと誓おう」
「……岡崎朋也」
「朋也で良い(さ。我が王よ」
後半を軽口気味に言う朋也。が、
「とはいえ、戦いはまだ続けるぞ? 俺の目を覚ましてくれたお礼だ。全力を見せてやるよ、祐一」
「……そうか。なら時間一杯は付き合おう。いまの俺なら三十分は覚醒が持つ。全力で相手をしよう、朋也」
互いが互いの名を呼び合う。
これまで数回共に戦ったが、ここでようやく二人は同じ位地に立った。
そんな二人を見て、杏は苦笑。
「まったく……。子供みたいな顔しちゃって」
祐一と朋也。二人はそれぞれ無邪気な笑みを見せていた。理解者と力強き仲間を得て、二人は、
「「おおおおおおおッ!!」」
再び激突する……!
結論を言えば、決着は着かなかった。
祐一の覚醒限界である時間を丸々戦いきり、勝負は引き分けになった。
もちろんそのまま戦っていれば朋也の勝ちだっただろうが、あくまで『全力で』の勝負のため、それは引き分けなのだろう。しかし、
「……あいつの方が上手だろうな」
朋也は思う。
後半はともかく、前半であれば祐一は致命打を放てるタイミングがいくつかあったはずだが、それを敢えて見過ごしていた。
それに祐一は最強の一手である『光と闇の二重奏』を使ってはいない。
無論そんなものを使えば結界はおろか城や城下まで被害が出るので自重したのだろうが、結局手加減されていたことに変わりはない。
「強くなろう」
そう思う。
もっともっと強くなろう。渚を守れるように。そして、
カノンの一員として、祐一の部下として誇れるように、強く。
あとがき
こんにちは、神無月です。
もう毎度毎度のことですが、長いですね。……自重しようとは思ってんですがこれがなかなかorz
それはともかく、間章「朋也」。いかがだったでしょうか?
渚の経過、秋生さんや早苗さんのその後、朋也の想いや考え、そして朋也の弱点、そして最後にようやく正式にカノンに参入、と。
……そーだよねぇ。これだけ書けばそりゃー長くもなるってもんですよねぇ〜。わかってるんだけどね〜。
ちょっと前半のルミエとの会話が予想より大幅に増えたのも原因の一つかなー。
さて、当分間章はありませんが、次回の予定はいまのところ「拓也」です。はい、月島兄さんですね。
サーカス大陸編が終わってしばらくしてからになります。どうぞお楽しみに。
ではまた。