神魔戦記 第百三十二章
「星の記憶」
エア王国。
世界に二つある神族国家の一つにして、キー大陸の実質的な長とさえ呼ばれていた国。
だがこの前の戦いによりその優位性は崩れ、むしろクラナドが落ちたことでエアはほぼ孤立していた。
キー大陸で最高と呼ばれていた兵力も、いまやシズクにその大半を奪われてその強大さを失っている。
もしいまカノンとワンが同時に攻めてきたらエアは間違いなく落ちるだろう。
とはいえカノン王祐一もワン王浩平も、一時的にストップしていた食料その他の輸出などを再開し、外交はそれなりに纏まっている。
そこにはエア女王神奈の手腕や彼ら二人の人の良さもあるところだが……。
しかし国民にはそれを良しとしない者たちもいる。
この状況下での輸入再開や復旧援助は、見下されている証である。人間族に頼るなど神族としての名が泣くぞ、という一種の過激派だ。
「たわけが……。ならば餓死せよとでも言うつもりか」
エアの王城、その私室で女王たる神尾神奈は書類に目を通し思わず嘆息した。
最近、そういう神族主義の強い連中が徒党を組んで輸入を妨害したりしているらしい。
もちろん国レベルで見たらこんなものは小数で、多くの民は周辺国家の援助を受け入れている。
特に実際にカノンやワン、リーフ連合に救われた王都民はその傾向が強い。良しとしない連中は大概周囲の街や村の者だ。
「とはいえ、何の対処もしないわけにもいかぬ……」
相手方もこちらの状況を理解しているとは言え、そう何度も何度も妨害されて良い気はしないだろう。
祐一や浩平ならそれでも援助を続けてくれるとは思うが、そんな彼らの優しさに甘えるわけにいかない。
かと言って対シズクの調整や編成を行っている現状、そう容易く軍を動かすことも難しい。
「やはり往人に任せるのが最良だろうか。しかし、あやつはなぁ……。うーむ」
さてどうしたものかと頭を捻っていると、不意に気配を感じた。
ゆっくりこの部屋に近付いてきている。ドアの前に立ち止まったので自分に用があるのだろう。
「ノックは良い。入れ」
「はい」
相手も慣れたもので、事前に気付かれたことへの驚きはない。
扉を開けて恭しく入室してきたのは裏葉であった。
「どうした? 茶……ではなさそうだな?」
「はい。お渡ししたいものがございまして」
「ふむ?」
近付いてきた裏葉が差し出してきたものは一通の書簡だった。裏を返せばそこには、
「カノン王国の紋章? 祐一か」
封を開け、神奈は文面に目を通す。
「……ふむ。このタイミングでか」
「神奈様? 何かお困りになってしまう内容だったのですか?」
神奈は何も言わず紙を裏葉に渡した。読め、ということなのだろう。
裏葉が一礼しそれを受け取る。そして中身を読んで、「まぁ」と驚いているのかいないのかわからない単調な声を漏らした。
「観鈴様がこちらに来たいと言ってらっしゃるようですね」
「しかも護衛に美凪にあゆときた。まったく……祐一め、意地の悪い」
神奈にとっては誰もが縁ある者たちだ。祐一の決めたことなのか、はたまた観鈴が言い出したのか……。
「一応、形式上は観鈴様を臨時の外交使者とする形なのですね」
「そうでもしなければ面目は立つまい。あくまでエアとカノンは休戦状態なのじゃからな」
まぁ実際のところ外交員は必要だろう。いままでカノンはほぼ外交とは無縁だったが、これからは違う。
シャッフルやエターナル・アセリアは国王たる祐一がトップで話をしたし、ワンとの外交は茜による橋渡しが大きい。
しかしこれから他の国とも提携をしていく以上、カノンも外交員という存在が必要になるだろう。全部祐一一人でできるわけではないのだから。
それが観鈴になるのかはわからない。神奈からすればこれは今回限りの処置にも見えるが、もしかしたら本当に観鈴を据えるのかもしれない。
……とはいえ、王妃を外交員に据えるなんていうのは前代未聞なことなわけだが。それも祐一だとなんとなく頷けるのは何故だろうか。
いや、それはともかく。
「観鈴がここに来るという以上は、それ以上の用件があるのだろう。それが祐一の思惑なのか観鈴の思惑なのかはわからぬが」
「返事はどうします?」
「どうするもこうするも、外交員の入国を突っぱねるわけにもいかん。休戦協定を結んでいる以上はな」
「それさえ読んでの人事でしょうかね」
「祐一ならそうであろう。……委細任せる」
「御意」
恭しく頭を垂らし、裏葉が出て行った。
それを見送り、神奈は小さく息を漏らすと再び政務に着手した。
カノン側の行動は早かった。
裏葉が来国許可という意の書簡を送ると、その日のうちに返事が来て『明日に向かう』と記されていた。
そしてその翌日――即ち、今日。
昼を少し過ぎたところで、ここ最近見慣れた小型空船がエア王城の庭に着陸した。
降りてくるのはもちろん、
「観鈴……。それに美凪にあゆ、か」
姿を現す三人に、神奈は複雑な気持ちが去来する。
しかしそんな素振りを一切抑え、エアの女王として三人を迎えた。
「ようこそエアへ」
「カノン王国王妃、相沢観鈴です。本日は急な謁見、お許しください」
周囲から見たらとんだ茶番劇だろう。実の姉妹が他人行儀に形式に拘る様は。
しかし、だからこそ形式に則った対応でなければそもそも周囲は納得すまい。
事実、こうして迎えるために整列した兵士たちの半数くらいは敵意を露に観鈴たちを迎えている。
こんな状況で昔のように彼女たちを迎え入れてしまっては、そんな彼らの怒りを更に煽る結果になるだろう。
しかしそんな視線に気付いていながら、観鈴もあゆも美凪も、誰一人として表情を変えはしなかった。
美凪はともかく、昔の観鈴やあゆじゃこうはいかなかっただろう。
あゆは以前来たときもそのような強さは見せていたが、観鈴もいろいろと成長しているようだ。
「どうぞこちらへ。ご案内いたします」
随伴した裏葉がいつもの笑みのままに三人を先導し、入城を促す。神奈はそんな三人の最後尾につくような形になったが、
「……」
ふと足を止めて振り返る。
いままさに飛び立とうとしている小型空船の中に知った気配があったからだ。
――祐一、か。
心配でついてきた……というわけではなさそうだ。祐一も他の場所に用があった、ということだろうか。
「神奈様?」
「いや、なんでもない」
怪訝そうな表情の兵に去って良い、と手を振り、再び歩き出す。
裏葉がつれてきたのは、やや広めの応接室だった。
謁見の間では近衛兵などもいるし、今回は名目上『極秘案件』ということでこのような場所にしておいた。
まぁおおよそ観鈴の聞きたいことはわかっているので、その内容を考えればあながち間違ってもいないだろう。
「どうぞ、こちらにお座りください」
部屋の中央には長方形の大き目のテーブルがあり、それを囲む形で客人用のソファが並んでいる。
観鈴たちは裏葉に一礼するとそこに腰掛けた。観鈴を中央に、あゆと美凪がその左右を挟み込むようにだ。
裏葉が茶を淹れている間に神奈は上座に腰を下ろした。その一瞬それぞれと視線が合ったが、誰も視線を外したりはしなかった。
「どうぞ」
事前に用意してあったのだろう、数分と待たず茶は注がれ、三者と神奈の前に置かれていく。
その最中、
「ふふ」
「……」
美凪と裏葉の間で視線が交錯した。美凪はやや顔を下げ……礼をしたようにも見える。対して裏葉は一際優しい笑み。
一時は追っ手と反逆者として戦い合った二人だ。いろいろと思うところあるのだろう。
裏葉は……こうしてまた会えてよかった、という類の笑みだろうか、と神奈は推察した。
「では、私はこれで」
「うむ」
一礼して裏葉が部屋を出て行った。しかし彼女はこのまま部屋の前で守備につく手筈になっている。
それは外敵から守る……というよりは近付かせないための細工だが、それはそれだ。
神奈はまず茶に口をつけ、そして観鈴を見た。
「……ここから先は畏まった喋り方をせずとも良い。何か余に聞きたいことがあるのであろう?」
直球の物言いに、わずかに観鈴の肩が強張った。まさかいきなり来るとは思わなかったのだろう。そんな様に苦笑を浮かべ、
「遠まわしに探り合う必要などない。いまは敵対国ではなく休戦状態。そこまで気を張り合う必要もない。違うか?」
観鈴はしばらく硬直していたが、ゆるゆると肩の力を抜いていった。
しかし抜きすぎることはなく、適度に引き締まった表情のままわずかに身を乗り出した。
「教えて欲しいことがあるの」
「それは?」
「……『星の記憶』のこと」
やはりか、と神奈は茶を飲んだ。
聞いた話では観鈴も『星の記憶』を使用したらしい。
……とはいえ、観鈴の中に『星の記憶』の力が流れているのは随分昔から感じ取っていたのでそこに驚きはない。
そして、この状況でこんな強引な方法を取ってまで聞きに来るようなことと言えばそれだけしか考えられないだろう。
しかし観鈴の考えを確認するために、敢えてその先を聞く。
「……それを知って、どうするつもりじゃ?」
「わたしの望む、そして願う道のために必要なの。……だから、教えて。『星の記憶』っていったいなんなの?」
向けられる瞳はどこまでも真剣。
姉妹として生まれ育ってきた神奈でも、これだけの目を見せる観鈴を何度見ただろうか。
――エアを出て行く、と決めたときくらいか。
肩を竦め、神奈は頷いた。
「わかった。教えよう」
「お姉ちゃん……!」
「礼などいらぬ。余は必要じゃと思ったから言うまでじゃ」
それと、と前置きし。
「先に言っておこう。余も全てを知っているわけではない。所々に推論も入っているから、あまり鵜呑みにはせぬようにな」
「うん。わかった」
神奈は椅子から立ち上がり窓に近寄っていく。コツコツという足音が響く中、口を開く。
「神族とは神の眷属である、というのはもちろん知っているな?」
「うん」
「我ら神尾の始祖……つまり神は、『記憶』、あるいは『記録』を司る神であったらしい」
これは神奈も昔、母――郁子から聞いた話だ。
神族とは神の系譜。即ち大本となる始祖は神そのものである。
神族四大名家にはそれぞれ強大な神が始祖になっているという。神尾以外の三家がどういう神の系譜かは知らないが。
「『記憶』や『記録』……? そんなもの、神様に必要だったの?」
首を傾げるのはあゆである。まぁ一般的な神族からすれば神というのはまさに偉大な種。そのような必要もないと考えるだろう。しかし、
「神といえど万能ではないということだ。『根源の渦』に至ることは神でさえ困難であったらしい。
だから神という種族には、その中だけでの『記憶』や『記録』が必要だった。……そういうことなのじゃろう」
ふーん、とわかっているのかわかっていないのか、あゆ。まぁそもそもあゆに難しい話がわかるとは思っていないので敢えて何も言うまいが。
「話を戻そう。ともかく我ら神尾の始祖はそういう神だった。じゃが、第二星界時代の末期、何か重大な事件が起きた。
そう、この世界をこれ以上観測できないような、重要な事態が」
それがどういう状況だったのか、それは語り継がれていない。そもそも第二星界時代の話は一部には眉唾とされているものだ。
神奈も全てを全て信じているわけではないが、語り継がれている話を噛み砕けば、この状況に筋が通るのもまた事実。
だからこそ神奈は全部とは言わないが、そのほとんどは事実なのだろうと考えている。
「それで我らが始祖は子を産み、『世界の記録』という任を託したのじゃろう。それが――」
窓の淵に手を掛けて立ち止まる。
観鈴らに背を向ける形。そこで神奈は『力』を解放した。
「「「!」」」
観鈴、あゆ、美凪の目がそれぞれ見開かれる。
神奈の背に出現した、華麗な三対の純白の翼。それこそ、
「この、『星の記憶』じゃ」
それを見た美凪が思わず唾を飲む。
戦ったときに見はしたが、こうして冷静に感じ取ればよくわかる。……その力の壮大さが。
「この翼には……否、羽一枚一枚に創世からの『記憶』や『記録』が詰め込まれている。人や神だけに限らず、数多の生物、非生物に至る全ての。
故にただの『記憶』でありながら力を持ち、それを余……いや、神尾の長女たちはそれぞれ魔力へと変換して行使することができる。
我ら神尾が膨大な魔力を持つのはこれが原因じゃ。『星の記憶』を解放した際に溢れる過去からの『記憶』という力の一端が流れ込んでくる」
だが、と神奈は翼を消失させ、振り向く。
「これは『星の記憶』本来の使い道ではない。確かに大いなる魔力を持ち、戦闘にも使える代物ではある。
じゃが、本来は我らが生きているこの時代のことさえ『記録』するために発現している末端でしかない」
「末端……?」
「左様。我らの始祖となった神が未だに健在するのかどうか、それは知らぬ。だが、どちらにせよこの世界の記録は我らが受け継いだのだ。
だから、『星の記憶』は本来一人しか現れぬ。記録者は一人で十分ということなのじゃろう。それが何故女性にしか顕現しないのかはわからぬが」
「それじゃあ、わたしが祐くんや二葉ちゃんにその過去を見せたのは……」
「『記憶』したものを逆に他者に流し込んだのじゃろう。それは決して珍しいことではない。過去にも似たようなことはあったらしい」
「それじゃあ、お姉ちゃんにも同じことができたの?」
「いや、できぬ」
「え……?」
「『記憶を見せる』という力を自在に扱うことはできないのじゃ」
受け継いだ際に制限されたのか、あるいは交配を繰り返すことで力が弱まったのか。
はたまた神尾がこれを戦闘力としか見なさずその力を使わないが故に能力を失ったのか。
ともかく、いまの神尾にはそういった能力は実在しない。少なくともここ最近の数代においては皆同じく。
だが時折、そういった力が偶発的に現れるのもまた事実である。今回の観鈴のように、ほぼ無意識下で。
「まぁ、余にそんなことが出来ておったら最初から二葉に事実を教えていただろうな」
言葉だけでは絶対に通じないと思ったから何も口にはしなかったし、それは祐一や二葉の問題であるから口出しすることでもない、と思っていた。
が、もしそうして事実の過去を見せ付ける力が神奈にあったとするならば、
――そういった理論を捨てて、二葉に見せ付けていただろうな。お前の兄は何も悪くは無いのだ、と。
だがそれは所詮『もしも』の話であり……そして結局二葉は祐一と和解したのだからそれで良い。
二人のために何もしてやれなかった、と。そんなことを思うこと自体がきっと傲慢なのだろう。
「お姉ちゃん……」
「話が脱線したな」
ともかく、と神奈は息を吐き、
「これまでが『星の記憶』の経緯や能力なのだが」
だが、だ。
神奈は真っ直ぐ観鈴を見て、告げる。
「我らに限っては問題はもっと別のとこにあるのだ、観鈴」
「問題……?」
そうじゃ、と頷き、
「さっき余は言ったな? 過去、これまで『星の記憶』所持者は必ず一人であったと。それは記録者は一人で十分だったからじゃ、とも」
あ、と観鈴がその意味に気付く。そう、それは、
「何故、今代に限って能力所有者が二人もいるのか、ということじゃ」
そう、それはいままでなかったケースだ。
神尾の歴史の中で、『星の記憶』所持者は最高で一人。最低でゼロということになっている。後者はつまり男児しか生まれなかったということだ。
しかしいまだかつてそれが二人だったことは一度もない。
ならば今回が異常事態ということになる。それはつまり、
「……何か原因があるんだよね、きっと」
「偶然、ということも考えられなくもない。が、そういう短絡的な考えは最後に回した方が得策じゃろうな」
考え込む観鈴。しかし彼女は基本的に考えるのは苦手だ。頭より先に身体が動くタイプである。だから結局、
「わ、わからないや……」
そういうことになる。
「気にするな。別に観鈴に期待などしてはおらん」
「が、がぉ……」
「とりあえず今回は余の考えを聞いておくだけにしておけ」
「お姉ちゃんはわかったの!?」
「無論、確信はないがの」
神奈は腕を上げ、指を二本立てた。
「余が考えた結論は二つある」
「二つ?」
「うむ。一つはこれが事故の場合、そしてもう一つが必然である場合じゃ」
わけがわからず首を傾げる観鈴とあゆ。美凪だけは神奈の言わんとしていることがわかっているようだ。
遠まわしに言っても意味はない。神奈は早速自分の推察を披露することにした。
「まず一つ目。これが事故である場合。これはつまり偶発的に能力が二つに分かれてしまった、と考える場合じゃ。
この場合、最も考えられるのが母上……つまり先代の『星の記憶』所持者である神尾郁子様の死亡時期が問題となる」
「お母さんが? どういうこと?」
「観鈴。余はさっきから『星の記憶』は長女に受け継がれる、と話したな?」
「うん。でもそれがどうしたの?」
「ならば問題を出そう。母上は余――つまり『星の記憶』の後継を生んだ時点で、能力が消えていたか?」
「え? ……あ」
「そう。その時点ではまだ消えていたわけではない。『星の記憶』は一瞬で受け継がれるものではないからじゃ」
神尾に受け継がれし能力『星の記憶』に込められた魔力は膨大。それこそほぼ無尽蔵と考えても間違ってはいない。
だがそんな強大な魔力を、まだ育ちきっていない子供の身に受け継がせたら、制御が効かずすぐに崩壊してしまうだろう。
現状の神奈でさえ、『星の記憶』から流れてくる魔力を抑えて、流れ込み過ぎないように調整しながら使用しているのだから。
故に、『星の記憶』の力は徐々に、成長するに従って親から子へ推移していく。
おおまかには子が十歳になると完全に受け継がれると言われている。
子が『星の記憶』の能力を完全に受け継いだその瞬間に、親である先代からその力は失われるのだ。
だが、
「考えてもみると良い、観鈴。母上はいつ、どうして死んだ?」
「九年前。ムーン王国との全面戦争で、天沢郁未女王と刺し違えて……あ、あのときお姉ちゃんはまだ……!?」
「そう。十歳を迎えてはいなかった」
なまじ『星の記憶』の力が残っていたからこそ郁子も戦場に赴く羽目になってしまった。
十歳にはなっていないとはいえ、その力の大半を既に神奈に与えていたにも関わらず、だ。
だがそこで一つ問題が起こる。
そう、神尾郁子は『星の記憶』の全てを受け継がせる前に死んでしまった。
ならば、この郁子に残っていた部分の『星の記憶』の力はどこへ行ったのか?
そのまま消えてしまったとも考えられるし、一気に神奈に受け継がれたとも考えられる。だが考え方によっては、
「……その時の力が観鈴さんに宿った、と考えられると?」
「美凪の言う通りじゃ」
決して考えられない話ではない。
神奈はまだ十歳を迎えてなかったために、『星の記憶』の全容量を入れるだけの内包量を構築できていなかった。
そこで行き先を失った力は、同じく神尾として生まれた観鈴に矛先を変えその身に収まった。そう考えられなくもない。
神奈の身を考えれば、この帰着が最も筋道が立つ。
「すごい! お姉ちゃん! きっとそうだよ」
「たわけ」
「あぅ!?」
興奮気味に身を乗り出してきた観鈴の頭にゲンコツ一発。
「あくまで推論じゃ。結果を急ぐな。それにもう一つ考えていることもある」
「うぅ……。それは何?」
「二つ目。それが必然である場合じゃ。これは多少強引な考え方でもあるが、あながち間違ってもいないと思う」
皆の視線が集まる。それを確認し、口を開く。
「『星の記憶』の能力はこれまで延々と受け継がれてきた。始祖たる神そのものが『記憶』が出来ないとわかったら子を成してまで継がせるほどに。
つまりこれは絶えず続けていかねばならぬ責務であると考えて良い」
「それが何か関係あるの?」
意図の見えない語りにあゆや観鈴が顔を見合わせる。しかしその横で、美凪一人が頷きを見せていた。
「……なるほど、なんとなく言わんとしていることがわかりました。……つまり、生存本能、ということですね?」
「ふっ。さすがは美凪。頭の回転が早い」
「「???」」
もちろん二人は意味がわかっていない。だから美凪は向きを二人の側に変え、説明する。
「つまり、神としては……いえ、あるいは『星の記憶』という力自体が、どんなことがあってもこれを後世にまで受け継がせたいと考えているのです。
しかしもし、それが叶わぬと悟ったら。……つまり、所持者が子を成す前に死亡し、『星の記憶』という能力が消失してしまう危険を感じたら――」
「既存の『受け継ぐのは一人』という原則を打ち破ってまでも能力所持者を二人にして受け継がれる確率を上げようと考えてもおかしくはない、ということじゃ」
観鈴とあゆの顔に驚愕が走る。
だって、それが本当であるのなら、
「お姉ちゃんが――近いうちに死んじゃう、ってこと!?」
「たわけ」
「あぅ!?」
またぶたれた。
「だからさっきからあくまで推論じゃと言うておろうに。もう少し落ち着け」
「が、がぉ……。で、でもぉ〜……」
「それに、こちらは最初に言ったとおり多少強引な論法ではある」
「そ、そうだよ観鈴さん! いくら『星の記憶』の能力が過去を全て『記憶』しているからって未来のことまでわかるはず……!」
「いえ、そうとも言えないかもしれません……」
あゆの言葉を封殺したのは美凪だった。観鈴やあゆが批難の目で見るが、美凪はそれを受け止める。
「聞いた事がある程度なのですが、未来視の能力の一つに過去の出来事をベースに未来を『予測』する、という過去視の発展型があるようです。
……そういう能力がある以上、膨大な過去の記憶を保有している『星の記憶』が未来を予測したとしても不思議ではないかもしれません」
さすがは美凪だ、と神奈は思う。事実この論理の根本にあるのはその未来視の能力である。
過去から未来を予測する。そんな能力が実際にあるのであれば、『星の記憶』にそれが出来ないと断言はできない。
「それに……それ以外にも考えるべき点は……あります」
美凪は続ける。
「もし……最初に神奈様が説明した事故の場合、元々郁子様が持っていた力が二つに分かれたことになります。
即ち、逆に考えるなら郁子様より神奈様の能力は弱くなくてはなりません。ですが父から郁子様のことを聞いた限り、そうではなさそうです」
実際、両者の力を知っている柳也や裏葉は口を揃えて神奈の方が力は上だと言っていた。
神尾神奈は、明らかに神尾郁子より強い。だがこの結果が矛盾を孕む、と美凪は言う。
「もちろん……それは神奈様自身のキャパシティが高く、郁子様以上に力を引き出せるだけなのかもしれません。……ですが」
「うむ。普通に考えるならば、一つ目の案の否定材料にはなりえる」
「そしてより強く残そうと考える『星の記憶』の効果かもしれない……と考えれば二つ目の案の補強にもなります」
「そ、そんな、二人とも……!」
思わず観鈴は立ち上がる。
いまでは袂を分けたとはいえ神奈は観鈴にとって最愛の姉である。
それが仮に推測であろうと死ぬことを前提とした話など聞きたくはない。
しかし、そんな観鈴の肩を美凪が静かに叩いた。
「……観鈴さん。お気持ちはわかります。ですが、だからこそこの真偽はハッキリとさせないといけません。……違いますか?」
「そう、だけど、でも……!」
やっぱり嫌なものは嫌だった。
カノンとエアが激突したときは覚悟を決めたつもりでいた。でも二葉との和解が上手くいき、休戦協定も結べたいま、それ以上を望んでしまうのは仕方ないことではないだろうか。
ゆくゆくはワンのように同盟国として、エアとも普通に行き来出来るようになれば良い、なんて考えていたのに……。
その未来が神奈にはないと言うのか? そんなのは、
「嫌だ……!」
「ふぅ」
嘆息は、その神奈本人だった。やれやれ、とでも言いたげに肩を竦め、椅子に座りなおす。
「まぁそう大きく考えるな。あくまで頭の片隅には入れておけ、という話であっていますぐに結果を知らなければいけない問題ではない」
「でも……」
「それに、観鈴。お主は今日なんのために来たのじゃ? そうして泣くために来たわけではないのだろう?」
「そ、それは」
「ならば落ち着け。そして涙を止めろ観鈴。お主の「知りたい」という要求に対し余は答えた。それでお主の訪問理由は終わりか? 違うのじゃろ?」
「――」
神奈の台詞に、言葉が出ない。
重い。それはどこまでも重く圧し掛かってくる強い言葉だった。
「前を見ると良い、観鈴。そこにお主の進みたいと願う道がある。横を見ると良い。そんなお主を支えようとしてくれる仲間がおる。
だが後ろを見るな。人によっては見ても構わんと思うが、お主が望む未来に『振り返る』という選択肢は必要か?」
それは姉としての言葉であり、女王としての言葉。
だがその重圧は決して観鈴を押し潰そうとするためのものではない。耐えて見せろと、成長を促す言魂だ。
「さぁ観鈴。言え。お主は何を望みここまでやって来た? 何のために『星の記憶』を知りたかった? お主がすべきことは、どこにある?」
「わたし――」
涙を拭い、前を見る。
訪れるかどうかわからない未来に怯える必要はない。
もしそんな未来が訪れるのなら、そんな未来は否定する。
そのためにも、
「わたしに、『星の記憶』の使い方を教えて欲しい」
観鈴は胸に手を当てる。その中に宿るものを、探るかのように。
「どういう理由でわたしの元にこの力が流れ込んできたのかはわからない。でも折角手元にあるのなら、それを使ってわたしは前へ進みたい。
支えたい人を支えるために、守りたい人を守るために、想いを通すために、誓いを貫くために。有効活用したい」
どうせなら、そのために宿った力だと思いたい。
観鈴がしたいことをするための手段。そのために神様がくれた力なのだと。
「祐くんの全種族共存の道を手助けするんだ。神奈お姉ちゃんも絶対に死なせたりしない。皆が皆で、ハッピーエンドを迎えたいから」
だから、
「だからそのために……お願いお姉ちゃん。わたしに、この力の使い方を!」
「「観鈴さん……」」
あゆと美凪が思わずその名を呼んだ。
もう観鈴は二人の知っている頃の観鈴とは違う。人のために泣ける優しさなどそういった部分は昔のままだが、明確に違う部分があった。
進もうとする意気。挑もうとする勇気。そういう類の気持ちである。
きっとこれまでの出来事全てが観鈴を変えた。いろいろ考えて、悩み、想い、そうして観鈴はこうしてこの場に立っている。
昔から根っこには強い心を持っていたが、それはより強固になり、こうして神奈を正面から見つめている。
「……ふ」
思わず神奈は笑みを浮かべる。
一番最初に浮かんだ感情は『羨ましい』というものだった。
それがどういう想いの上でやって来る感情か。それを考えはせず……しかしただ一言、心の中で呟いた。
――祐一。観鈴を泣かせたりしたら容赦せんからな。
観鈴はいろいろな人を助けたい、守りたいと言っている。その言葉に嘘はあるまい。
だが、それでもやはり一番中心にいるのは祐一なのだ。
祐一のために強くなろうとしている。祐一のために前に進もうとしている。共に生きていきたいから。共に歩んでいきたいから。
それで良い、と神奈は思う。
観鈴はこうやって誰か一人のために生きていけば良いのだ。自分のような重荷を背負うことなく、想うがままに誰かのために。
だから、
「……わかった。教えよう」
そう、告げた。笑いながら。
「本当!?」
「あぁ。ただしすぐではないぞ? まずは『星の記憶』を解放できる程度の下地を作らなければならぬだろう。
そのためには魔術の勉強をし、少なくとも上級魔術が無詠唱で扱える程度の技術と能力が必須になる。やれるか?」
「やる!」
耳に心地良い断言だ。だから神奈も頷き、
「それだけの下地……身体に魔力が馴染み技術を会得したら、『星の記憶』の解放から使用方法まで教えよう。そのときにまた来ると良い」
「うん、わかった。ありがと、お姉ちゃん!」
意気揚々と礼をして、観鈴はすぐさま踵を返し走り出すと、部屋を飛び出していった。あゆが慌ててそれを追いかけていく。
やる気満々だ。早速帰って誰かに教えを請うつもりか。相変わらず行動が早いというかなんというか。そんなところは変わらない。
「神奈様」
一人残った美凪が静々と膝を折った。恭しく跪き、囁くように言う。
「観鈴様ではありませんが……私も否定しましょう。もし仮に『星の記憶』が神奈様の死を予測していたとしても、絶対にさせません。
神奈様の死は……子を成して、孫も生まれ、平和な世界を見ながら……寿命で迎えてもらいます」
「ふふ、それはまた、随分と幸せな未来図だな」
「未来を想い描くのは自由です。……ですから神奈様もどうか、予測があるとはいえ早まった行動はしないでくださいね」
最後に顔を上げ、懇願するように見上げてくる。
そんな表情は卑怯だ、と神奈は思う。そんな目で見られては、約束せずにはいられないから。
「わかっているとも、美凪。余はエアの女王だぞ? 民の命を預かる以上、それ以上に自らの命は軽視せぬ。
……それに、祐一と観鈴の子なども見てみたいしな。たとえそんな未来予測であったとしても、跳ね除けて見せるわ」
「はい。……そうして強気な姿こそ神奈様らしいです」
「ふん。言うようになったな、美凪?」
「ええ。私も強くなったのですよ、あの人の下で」
告げて、最後にもう一度一礼すると美凪も静かに去っていった。
途端に静寂に支配される部屋。
その中で神奈はゆっくりと立ち上がると、窓の外の青空を眺めた。
「抗ってみせるとも。たとえどのような苦境が待ち構えていたとて、母上が命を賭してまで守ってくれたこの国のために。そして……余のために」
きっと郁子は自分や観鈴を守るために、戦ったはずだ。だからこそ、そうして守られた者として、自分たちは歩いていく。
「共に強くなろう、観鈴。余もお主も、きっとまだまだ強くなれるから……」
窓を開け、手を空に掲げる。
この言葉を、誓おう。
――母上がいるであろう、この輝く青空に……。
あとがき
はい、こんにちは神無月です。
え〜……思いのほか長くなった百三十二章でございました。
本当はもうちょっと短く纏まるかなぁ、と思ってたらいろいろとw
今回は『星の記憶』の説明もありつつ、各々の気持ちや想いなんかもチラチラと触れましたね。はい。
さーて、次回は再び祐一たちの視点に戻り、舞台はワンに。そして新キャラの登場ですね。そう、彼女です。
ではまたー。