神魔戦記 第百三十章
「小牧姉妹(後編)」
郁乃の思考は完璧に停止していた。真っ白だった。
ただただ目の前に佇む祐一に目を奪われていたのである。
一体誰がこんなことを予想しただろうか。いや、姉はおろか当の本人でさえこんなことが起こり得るとは考えていなかった。
そもそも理性型で何事も考えてから行動する郁乃にとって、一目惚れなんて感覚による好意など否定すべき事象でさえあった。
そんな自分が一目惚れ? ありえない。
そう思いながらも現実に郁乃の心臓はうるさいくらいに高鳴り、頬が紅潮しているのも自覚できるし、一切の感覚が祐一にのみ注がれていた。
「おい、どうした。大丈夫か?」
急に動かなくなった郁乃を訝しんで祐一が目の前で手を振る。そんな簡単な動きにさえ郁乃は「ビクッ!」と過剰反応し、大きく後ずさった。
「……?」
「な、なんでもない! なんでもないから気にしないで!」
祐一に、というよりむしろ自分に言い聞かせるように郁乃は大声を上げた。
とりあえず落ち着けあたしの心臓! と胸に手を当てる。とはいえそんなことで収まってくれないのはわかっちゃいるのだが。
とにかくこのままではまずい。何がまずいかさえわからないほどテンパっているのだが、とにかくまずい。冷静になれ。
そうやって自己暗示のようなことをしている郁乃の耳に、
「おーい、祐一〜。見つけたわよー!」
そんな声が響いてきた。
それだけなら気にならなかっただろうが、その声がどんどん近付いて来ていた。
女だった。その女は祐一の傍にまでやって来ると慣れたように肩を叩いた。どうやら知り合いらしい。
だが、郁乃の思考はまたもその直前に固まっていた。
「まったく。工房を見つけたと思ったら今度は祐一がいないし。探したわよ〜、もう」
「あぁ、すまない。ちょっとあってな」
「ふーん?」
そうして女は郁乃に向けられた祐一の視線に気付いたようで、それを追うようにしてこちらを見た。
目が合う。
「「――」」
もう間違いなかった。一瞬の静寂の後、二人はそろって互いを指差し、
「杏!?」
「郁乃!?」
叫び合ったのだった。
「どうぞ。粗茶ですけどー」
「あぁ、ありがとう」
礼を言って、テーブルに差し出されたカップに祐一は手を出した。
場所は変わって、現在小牧姉妹の工房に祐一と杏はいた。
あのあととりあえず話しは工房でしよう、という流れになり郁乃を先頭にここまで移動してきたのだ。
「へぇ、これは美味い」
「ありがとうございます〜」
微笑むのはお盆を抱えるようにした姉の小牧愛佳。見ているだけで癒されそうな柔和な笑みがなんとも可愛らしい少女だ。
茶を褒められたことに気を良くしたのか、ニコニコ笑みを浮かべたままテーブルの向かいに腰を下ろす。
しかしその妹でありここまで案内してくれた郁乃はやや離れた窓際に背を預け外を眺めていた。まるで意図的にこちらを見ないように。
――なんか嫌われることでもしたか?
とりあえずそんな覚えはないんだが、と祐一は首を傾げる。
祐一がカノンの王であると知ったときは驚いていたようだが(しかもかなり)、まぁ当然の反応だろう。誰でも他国の王が護衛もなく街でボーっとしているとは思うまい。
祐一は祐一で小牧姉妹の妹、郁乃であると知ったときは多少なりとも驚いた。盗人を追いかけていた動きはかなりのものだったからだ。
呪具開発の天才と呼ばれていたからてっきり技術師であるのだろうと決め込んでいたのだが、なるほど。どうやら呪具を使うことにかんしても天才であるらしい。
ともかく、驚きこそすれ何か失礼をしでかしたわけじゃない、と祐一は確信しているが……あくまで自分が気付いていないだけで粗相をしたのかもしれない、と祐一は考えていた。
実際は郁乃の驚いた意味から全部見当違いなのだが、さすがにそこは祐一でも判断がつかなかったようだ。
「それで、えーとカノン王国の王様がわざわざこんなところになんのご用でしょう……?」
折り合いを見て、愛佳が訊ねてきた。当然の成り行きだろう。
「実は――」
祐一も手短に用件を述べた。さくらの体内に残された原初の呪具のこと。その対策として呪具の停止をしてほしいということを。
それをしばらく黙って聞いていた愛佳が、ゆっくりと口を開いた。
「……そう、ですね。まず最初に言うと、停止は可能だと思います」
「本当か?」
「はい。でもあくまで停止であって解体ではないですから……大本の呪具の効力が発動した場合の危険は残ると思います」
「そうなのか……?」
「はい。とはいえ分離・遠隔型の呪具ですから、たとえ呪(いを読まれても即座に効果を発揮、ってことにはならないと思います」
「つまり時間の猶予は作れると?」
「はい。でもやっぱり最終的には霊的医術による取り出しか、呪具本体の完全破壊かしか解決策はないと思います」
エアと休戦協定を結んだのだから、さくらの体内に呪具を埋め込んだ聖本人による摘出が最も好ましい方法だったのだが、その聖はシズクに連れ去られてしまっている。
しかも皮肉なことにこの近辺で一番霊的医術に長けているのもその聖なのである。これではそのどちらも対処しようがない。
「……ともかく、いまは停止という方法しか残された道は無い、か。そういうことで、すまんが頼めないだろうか?」
けれど愛佳はバツが悪そうにカップを置いた。
「ええと、ですね。そうして差し上げたいのは山々なんですけど、その、こっちにもいろいろと納期なんかの事情がありまして――」
「あたしが行く」
だがその愛佳の言葉を遮る者がいた。
無論それは――それまでまったく口を挟んでこなかった郁乃である。
郁乃は集まる視線を正面から受け止め、もう一度告げた。
「あたしが行くわ」
その言葉に一番驚いたのは他でもない、ガバッと立ち上がり振り向いた愛佳だった。
「ちょ、ちょっと郁乃!? 待って、納期が近い呪具の発注は郁乃の方が多いじゃない……!」
「問題ないわ。一日で仕上げる」
「え、ええ〜〜〜っ!?」
慌てる愛佳から視線を転じ、今度は祐一を見た。
まだ驚いた様子の祐一と視線が合い、何故か頬を少し赤くして視線を反らした。
「……何よ、文句ある?」
「文句なんてとんでもない。だが……良いのか?」
「あたしが行くって言ってるんだから素直に頷いておけば良いの。それともあたしの力は必要ないわけ?」
祐一には郁乃の思惑がよくわからない。
だが悪意はまったく感じなかった。そしてここに来た目的を考えるのならば、取るべき返事はただ一つ。
「力を貸してくれ」
郁乃はふん、とそっぽを向いて、
「最初っからそう言ってれば良いのよ。それじゃあ、一日だけ待ってなさい。全部片付けてきて明日そっちに向かうから」
最後にビッと指を差して言い放つと、郁乃は踵を返した。
「ちょ、郁乃〜!」
それを慌てて追おうとし――祐一たちがいることを思い出しわたわたと一礼して――そして愛佳もまた工房の奥へと下がっていった。
そうして取り残される祐一たち。
「……結局、どういうことなんだろうな?」
いきなりの展開に首を捻る祐一。承諾してくれたのは素直に嬉しいのだがやはり疑問は残る。
しかし何かを察したのだろう、杏はハハァン、としたり顔で口元を歪め、
「なるほど……。そういうことか」
「? どうした杏」
「いやいや。祐一ってば罪作りな男だなぁ、と思って」
「どういうことだ」
「さて、どういうことでしょうね〜。あたしには関係のないことだから精々楽しませてもらうわー。それじゃああたしたちはカノンに戻りましょうか〜♪」
いまは一分一秒でも惜しいでしょうからねー、とかのたまいつつ工房を出て行く杏。
「……?」
杏の言わんとしていることが結局わからないまま、祐一もその後に続くのだった。
郁乃は自分の部屋へ真っ直ぐ入っていった。
それを追いかけてきた愛佳はとりあえずノックし入ることを伝えてから、そのドアを開ける。
郁乃は自分のベッドの上で仰向けに天井を見つめていた。
ボーっとしている。……いや、緊張している? ともかく一連の郁乃の行動や様子は何から何までおかしかった。
「ちょっと、どうしたの郁乃。なんか変だよ?」
「大丈夫。自覚してる」
「え……?」
眉根を寄せて、郁乃。一見すれば怒っているのかとも思ったが、違う。
それはむしろ……恥ずかしさを誤魔化そうとしてわざと顔に力を入れているような、そんな歪な表情だった。
それにほのかに頬も赤い気がする。
風邪かな? だからあんなこと言っちゃったのかな? と見当違いな思考をする愛佳であったが、
「仕方ないじゃない。近くにいたいって思っちゃったんだから……」
「へ……?」
ごろん、とうつ伏せになった郁乃から漏れたその言葉に、そんな愚かな考えもぶち壊された。
愛佳は郁乃の姉である。それ以前に同じ女でもある。
郁乃の気持ちが、わかってしまった。
いかに愛佳が元男性恐怖症の人間でありその手の経験が少ないにしたって、それとわかる、あまりに顕著な反応。
「郁乃。まさか……」
それでも『あの郁乃が』という思いから信じきれず、確認してしまう。
けれど、いつもであればバカじゃないの? とでも一蹴するはずの郁乃は反応なく、ただただ枕に顔を沈み込ませてくぐもった声で呟いた。
「……あー、うん。どーもそのまさかみたい」
「え、ホントに? 冗談じゃなくて?」
「あたしがこの手の冗談を言うと思う?」
思わない。だからこそ、それが答えだった。
「え、え〜〜〜〜〜〜っ!?」
愛佳はアワアワと右往左往して目を回したり腕を回したりわけわからん行動を数秒、そうしてようやく落ち着いた……わけでもなさそうだが、郁乃に詰め寄り、
「な、なんで!? どうして!? 何があったの!?」
「別に何も……」
「何もって……え、じゃあまさか、ひとめぼにゅ!?」
あまりの事態に最後舌を噛んだが、そんなことさえいまの愛佳は気にならなかった。
あの郁乃が『恋』というだけでもとんでもないことなのに、よりにもよって一目惚れ。
「わかってるわよ! ……あたしだって、まさかこんなことになるなんて思わなかったし……」
真っ赤になって怒鳴り、その自分の様を省みて更に赤くなり、ぼふっとベッドに沈み込む。
そんな行動が、もうまさしく恋する乙女であった。
でもそれは、ある意味で愛佳が望んだことではある。郁乃にもいつかちゃんとした恋愛をして欲しい。
過去のいろいろな出来事から普通の人間より一歩引いた視線で物事を見てしまう郁乃だからこそ、そういう経験をして欲しいな、と。
しかしそれはあまりに急で……。そして相手があまりに悪かった。
「で、でも郁乃……。相手は他国の王様だよ? さすがに……」
無理だと思うよ、と。さすがにそこまでは言えず台詞は飲み込まれた。
だがそこは妹。愛佳の言わんとしていたことを察し、しかしそれでも郁乃は起き上がって、
「ふん、無理なんてのは大抵言い訳なのよ。やる前から諦めるのなんて絶対に嫌」
平然と、そんなことを言ってのけた。
「い、郁乃……?」
「お姉ちゃんだって知ってるでしょ? あたし、負けず嫌いなの」
「それは――」
知っている。
郁乃は『諦める』ということを極端に嫌う。
それはあのとき……愛佳と郁乃のその後の人生を決定付けたあの事件(からそうだった。
郁乃が諦めに近い言葉を口にしたのはあのときが最初で最後。そして郁乃自身それを悔いているからこそ、二度と諦めるなどとは口にしない。
「王様、大いに結構じゃない。妃がもういる? 既婚? だからなに? 一夫多妻制なんだもの、そんなの諦める理由にはならないわ。
むしろ玉の輿じゃない。王を好きになったんじゃないの。好きな相手が王だっただけ。ただそれだけよ」
だから郁乃の口から放たれた言葉はそりゃあもうえらくポジティブなもので。
そしてそう語る郁乃の顔はこれまで見たこともないほどの活力に満ち溢れていた。
「――そっか」
その顔を見て、愛佳は納得した。
「そうだね。それくらいじゃあ、諦める理由にはならないよね」
思わず笑みがこぼれる。
心配することなんてどこにもない。郁乃は郁乃として、もう既に前を見ている。
郁乃は自分で考え、自分で動くことを決めたのだ。だったら自分は姉として、その背をそっと押すくらいでちょうど良い。
「それじゃあ、郁乃の呪具製作お姉ちゃんも手伝うよっ」
「え? 別に良いわよそんなの。あたし一人でも十分」
「だーめ。それくらいお姉ちゃんにもさせてよ。ね?」
「……はいはい。わかったわよ。お姉ちゃんはこれで結構頑固なんだよねぇ」
「うふふ。ま、郁乃には負けるけどね」
「ちょっと。それどういう意味?」
「さぁ、どういう意味でしょ〜?」
笑い合う二人の姉妹。
そうして、二人の作業は夜中まで続いた。
「お待たせ」
郁乃が乗った小型空船がカノンにやって来たのはその翌日の昼少し前のことだった。
片手で持てる程度の大きさの鞄を持ち中庭に降りた郁乃を迎えたのは一旦先に戻った祐一や杏たちだった。
「ようこそカノンに」
「ん……どーも」
迎えの挨拶として握手を求めた祐一に、郁乃は一瞬躊躇しながらもその手を握り返した。
同時、郁乃の顔が少し赤くなったような気がした。
「どうかしたか?」
「べ、別になんでも。それよりカノンは本当に寒いのね」
若干、話を逸らされたような感じがあったが、祐一は特に気に留めなかった。本人がなんでもないというのならなんでもないのだろう。
「カノンは水、氷のマナが豊富だからな。特に水のマナは世界でもトップクラスなんだろう。水の正教会があるくらいだからな」
「話には聞いていたけど、地形だけじゃなくてマナの質でこうも気温が変わるなんて……。実感してみないとわからないものね」
「外国は初めてなのか?」
「外国は初めてじゃないけど、別大陸は初めて」
心なしかその台詞はどこか楽しげだ。ちょっとした旅行気分なのかもしれない。
「そういえば、予定より少し早いな。それに荷物も思ったほど多くはない」
予定では一日、つまり昼を過ぎた時間だったはずだ。しかし郁乃は自慢げに笑みを見せた。
「注文されてあった呪具は昨日仕上げたから問題なし。
呪具関係の仕事で外に出るのは珍しいことじゃないから、道具なんかの準備は事前にしてあるの。こっちも問題はない。
あたしはいつでもいけるわよ?」
「そうか。それじゃあ行こう。いまは時間が惜しいからな」
「その前に聞きたいんだけど」
と、祐一と杏以外にその場にいたもう一人に郁乃は視線を向けた。
「その人は誰?」
庭から城内に入る通路の横、壁に背を預けるようにして佇む黒髪を肩で切りそろえ眼鏡を掛けた少女がいた。
「あぁ。彼女はルミエ=フェルミナ。呪具改造のスペシャリストだ」
ルミエは祐一が呼んでおいた。
同じ呪具を基本とする技術者同士、意見を交換し合ったり仲良く慣れるのではないかと思って。
だが、祐一の目論見は甘い。その言葉を聞いたとき、郁乃は確かに眉を顰めたのである。
「改造、ねぇ……」
呟き、郁乃は意味ありげに杏の腰に下がった大黒庵や小貫遁を流し見た。
「杏の呪具に覚えのない呪(いが刻まれていると思ったら……そういうこと」
視線が戻る。そこに込められたものは、決して友好的なものではなかった。
「別の呪具から別の呪具に呪(いを移すなんて、無駄に几帳面なことを……。
技術は認めるけど、あんまり綺麗なやり方じゃないわよねぇ?」
「ふん。創造が技術の最上位だなんて思わないで。使えないものを使えるように改良するのも立派な技術だわ」
対するルミエも似たような態度だった。どこか憮然とした様子で……むしろ挑発的な視線さえ見せている。
やたら険悪な雰囲気が漂い始めていた。この展開はさすがの祐一や杏でも考えが至らなかったようで、困惑気味である。
まぁ無理もない。いかに聡明な二人とはいえ、彼女たちの憤りはそれぞれの『技術者』としての側面からくるものだ。それをわかれ、と言われたところでわかろうはずもない。
「改良? ええ、確かにあなたの技術は凄い。こうして見てもまるでムラや破損がない。まるで最初からその道具に呪(いを刻んだように。
……でもね、あくまであなたのやっていることは完成されたものを破壊して張りなおすという創作者に対しての侮辱だわ」
「それはエゴよ。使い手には使い手なりの考え、要求があるの。作ったからハイおしまい、だなんてふざけてる。
あなたたち姉妹の実力は認めるわ。でも使いやすさ、特性や相性を考えて改造する私の力を否定されたくはない」
郁乃もルミエも、互いの成果である呪具を見て実力は認め合っていた。が、その上でなお、相手を許せないと批難した。
郁乃には創造側の、ルミエには担い手側の主張があり、その意見は真っ当から対立している。
同じ技術者にして使い手であっても、二人の観点は完全に反対の位置にある。主張がぶつかるのも無理もないのだろう。
「「ふん」」
だがそういう『技術者』としてのプライドや考えというものをちゃんとは理解できない祐一と杏は、顔を見合わせ嘆息した。
「これは……失策だったかもしれないわね」
「あぁ。俺もそう思った」
「相沢王、ほらさっさと連れてって。こんな人と話している余裕はないわ」
「あ、あぁ」
本人を目の前にして直球な物言いをする郁乃。だがこのくらいの度胸でなければいきなり喧嘩腰にはならないだろう。
ルミエもそのことには何も言わず、目で『さっさとしろ』と祐一に文句を言っていた。
険悪になった空気に自分の迂闊さを呪いながら、祐一たちは城の中へ足を向けた。
「ここだ」
静寂が支配する、カノン王城の地下。
灯りの数が少ないのでやや暗いのだが、あまり暗いと感じさせないのは中央に立つその氷柱があまりに綺麗だったからかもしれない。
「これが……」
「はい。原初の呪具をその身に流し込まれた、芳野さくらさんです」
答えたのは祐一たちではない。
この氷結封印を施し、その場で祐一たちが来るのを待っていた鷺澤美咲だ。
その隣にはシャッフル王国軍所属で現在は使者としてエターナル・アセリアに派遣されているはずのカレハまでもにこやかな笑顔でそこにいた。
さくらは腕を失ったまま封印されている。封印を解除すれば、腕の出血も再び始まってしまう。
だがカノン軍きっての治療術士である栞はシズクに連れ去られてしまっているため、さくらの一件が片付くまでカレハには残ってもらっていたのだ。
会釈してくるその二人の女性を見て、郁乃は半目で、
「女ばっかり……」
「ん?」
「なんでもない。気にしないで」
ともかく、と郁乃は仕切りなおすように咳を一つ。次の瞬間には表情が引き締められ、呪具製作の天才としての顔が戻った。
「それじゃあ、早速診てみましょうか」
それから数分経っただろうか。
その間郁乃は一言も喋らず、ただ瞼を閉じてさくらが眠る氷柱に手を当てているだけ。
美咲もカレハも杏も、これがどういう作業なのかわからない。魔術的なマナの流動もないのでそれこそただ手を当てているだけに見える。
しかし祐一はこれと同じ行動を以前にも見ていた。
そう、以前ルミエがさくらを診たときと同様の仕草だ。
「前も思ったんだが、あれは何をやっているんだ?」
隣に並び訊ねる祐一を横目に、ルミエは何故か面白くなさそうな表情で答える。
「呪具の構造は知っている?」
「専門的なことは知らないが、多少。つまりあれは文字に術式として完成させたある種の概念を封じ込んだものだろう?」
ルミエは頷く。
「要するに法具と違って呪具本体には魔力というものは存在しない。魔力はあくまで呪具の所有者が使用するもの。
でも遠隔型や設置型の呪具は別。それはある種発動中のようなものだから、反応を返す分だけの魔力は残っているわけ。
だからあれは手を当てて呪(いに込められた魔力を探ってるの。
そして込められた魔力によって呪(いの術式は浮き彫りになる。優秀な者ならあれだけで術式の骨格がわかるはずよ」
例えるなら、それは紙に刃物で刻んだ傷だ。
刃が細かすぎれば、紙に傷をつけても遠目じゃ判断できない。だが暗闇の中、その後ろから光を当てれば傷は自ずと浮かび上がる。
傷が呪(い、光が魔力だ。
だから魔力での走査は必要ない。光を探るのに光を用いるのは無意味だからだ。
「まぁ呪(いの術式を探るために呪具に魔力を通すっていうのは基本なんだけどね」
「そうなのか」
「とはいえ直に触れているんならともかく、人の身体越しどころか氷柱越しで探れるのなんて世界にもそういないけど」
悔しそうに言っているが、それはルミエも出来たことのはずだ。
「……そういえば、ルミエと違って随分と時間を掛けてるな」
「あいつだってとっくに術式骨格なんて解析してるわ。いまやってるのは更にその奥よ」
「奥?」
「内部術式の探査。骨格だけじゃ駄目。術式の中身も全部掌握しなければ停止なんてできやしない。もうここからは私じゃできない領域だわ」
ルミエだってできることはできる。が、浮き彫りになった術式が理解できないのだ。
彼女は……おそらく自身の起源にも関連するのだろうが、一から何かを作り出すことができない。
それは技術が足りないのではなく、根本的な『想念』が足りないのだ。故に、製作の過程で込められた全てをルミエは理解できない。
ただ、彼女は作られ『完成』されたものを基盤にして付け加えたり、移し変えたり、削ったりすることだけが出来るだけ。
それは言うなれば上塗り。創造主の意思など無関係に、自らを書き込む所業に他ならない。
ただ洗練されているのは、根本となる創造主の『想念』を破壊して再構成するのではなく、上塗りをして別個のものとして独立させる技術。
人の意思が宿った道具を、その意思を否定するのではなく『歪曲』させて個として破壊せず保たせる。
だからこそルミエは改造のスペシャリスト。『損なわずに改める』という一点においては彼女の右に出る者は世界にもいるまい。
けれど、
「凄い。さすが世界最高の効率化を施す小牧郁乃……」
己の領域において比肩する者など皆無というのはこの小牧郁乃も同じこと。
既存のものを解析し尽くし、一見完璧に見えるその中身の『無駄』を発見し、それを『削除』し効率化させるプロフェッショナル。
それもまた彼女の起源に由来する力なのだろう。おそらくさくらの体内に残った呪具の停止。発動した呪(いを停止させるなんて荒業は、
「――解析完了」
姉の愛佳でさえそう簡単にできはしまい。
愛佳はあくまで創造主。新たなものを創り出す存在。『0から1』を生み出す愛佳にとって、『あるものを解析する』なんて作業は意味が無い。
創り手として、一応把握はできるだろう。だが愛佳の場合は「おおよそこういうもの」程度の実態しか掴めない。だから、
「これから停止させるわ」
それを成し得るのは――おそらく郁乃ただ一人。
「!」
瞬間、氷柱を包み込むように魔力の流れが展開した。
だがそれは攻撃的というほど荒々しくなく、そよ風かと勘違いするほどのささやかなもの。
祐一をはじめ、杏、カレハ、美咲には何が起こっているのかわからない。
ただ一人この異常性を理解しているのは冷や汗を垂らすルミエだけだった。
「呆れた……。まさか停止作業さえ触れずに遠隔でやるだなんて信じられない」
「そんなに凄いこと……なのか?」
「原初の呪具を遠隔で停止するなんてどれだけの解析・構築能力だか……。わかる? 原初の呪具であれなら、普通の呪具なんて一瞬よ?
シャルや私みたいに呪具をメインに行動する者にとって、これほど脅威なことなんてないわ」
原初の呪具が現在の技術で再現できないのは、ひとえに術式が複雑であることに起因する。その内部解析・停止作業にわずか数分。
これが現在出回っている並の呪具であれば、たとえ戦闘中であろうとも三秒もあれば停止させられるはずだ。しかも遠隔で。
「正気の沙汰じゃないわよ……」
ルミエが呻いた瞬間、漂っていた魔力が溶け込むようにして氷柱の中に消えていった。
次いで、郁乃の大きな吐息の音。
「終わったわよ」
宣言に、思わず誰もが唖然とした。
あまりにあっさり。あれだけ解決策が見つからず悩んでいた事項をたったの数分で。
「もう……終わったの? あれだけで?」
杏の言葉に振り返った郁乃は、手応えに確信を持った自信の笑みで、
「あたし天才だから」
そう言い切った。
あとがき
はい、こんにちは神無月です。
まずはすいません。さくらの復活、中途半端なところで切れてしまいました(汗
いや、当初はさくらの封印解除まで書くつもりだったんですが、諸事情でここで切りました。次回それに関連して書きたい場面が増えたので。
しかしその分呪具に関する話や、郁乃やルミエの『起源』にまつわる話を追加しました。
TYPE-MOON系の話を知らない人は「起源ってなんぞや」と思うかもしれませんので近いうち専門用語に追加します。
まぁ簡潔に言うのであれば『生まれた時点で既に定まっているその人物の本質』とでも言えるものでしょう。難しく言えば混沌衝動。
それはともかく。神魔のいくのんは勝気というか強気でGO。逆境なんてなんのその。負けん気の強さでひたすら前へ進みます。
美咲や名雪、あゆのように相手を思って止まったりしません。そんな行動に価値などないと豪語するのがいくのんなのです。
とはいえ玉砕型というとそうでもなく、足場が磐石になってからでなければ動かない。なんせ負けるの嫌いだから。それが郁乃。
まぁ次回以降また当面出番なくなりますが、彼女はレギュラー化しますんでお楽しみにw
ではまた。
次回は書くこといっぱい。