神魔戦記 間章  (百三十〜百三十一)

                      「留美」

 

 

 

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ……」

 まだ靄がかったカノンの早朝。

 肌に突き刺さるような寒さの中、彼女――七瀬留美は白い息を断続的に吐きながら日課の素振りをしていた。

「ふっ、ふっ、ふっ……」

 黙々と素振りをしながら考えるのは、これまでのことだ。

 ここ、カノンに来ておよそ四ヶ月。祐一と共に戦い、新生カノン王国の騎士になってからはざっと三ヶ月。いろいろなことがあった。

 傭兵として旧カノンに雇われ祐一と激突、敗退。そのまま祐一たちの傘下に入りカノンを打倒した。

 最初はヤケだった。一人の騎士を目指す者として、約束を反故にはできないと意地でカノンと戦っていた。

 だが戦場で秋子たち魔族や、カノンの者たちと戦うにつれて留美の心境は変化していった。

 エフィランズでの行い。戦禍に苦しむ人々。祐一たちの想い。願い。

 それは――ただただ『七瀬』の人間として強さを求めていたときの留美には、まったく気付かなかったものだった。

 その上で……怒り、そう、怒りを覚えたのだ。カノンの行動全てに対して。その当時は、なぜ怒っていたのかはわからなかったが。

 戦いになれば主義主張が食い違うことなんて当然だし、それで誰かが死ぬのは当然だと思っていた。

 けれどいつしか留美は……カノンとの戦いで『勝ちたい』と思うようになっていた。

 いや、『勝ちたい』と思わなかった戦いなんて一度もない。だがその重さは――それまでのものとは比べるべくもなく、強いものだった。

「ふ!」

 剣を振るう。

 この剣で、皆の力で、カノンを打倒した。

 あのときの喜びを、留美はいまでも覚えている。

 しかしそれは相手に打ち勝ったからだろうか? 自分の力が証明されたからだろうか?

 あのときはそう思っていた。でも――いまでは違う。

 祐一が王となり、新生カノン王国が誕生しその騎士となって、今度はエアやクラナドと戦う過程の中で……留美はようやくそのことに気が付いた。

 そして、

『真の強さというものを理解できない貴様に、聖剣を受け継がせるわけにはいかん』

 父や、

『お前……強さ、ってもんを履き違えてるよ。それがわかったらもう一度来い。それまではこの門潜るんじゃないぞ』

 浩平や、

『あなたは強さというものを理解していません』

 美凪が言っていたその答えも、おそらくは。

「……ふっ!!」

 最後に大きく一振り。靄を切り裂く剣先を、留美はどこか鋭い視線で見つめた。

「……あたしは」

 この先、戦いはこれまで以上に苛烈になっていくだろう。

 トゥ・ハートに赴いた祐一がどのような決断をするかはわからない。だが、あの男がこのまま終わらせるはずなどない。

 ならば自分には、

「すべきことがある」

 七瀬留美として。そして、

「……カノン王国の、騎士として」

 

 

 

 遠野美凪はその日、兵士の訓練に付き合っていた。

「はぁ!」

「……踏み込みが甘い、です」

「ぐぁ!?」

 斧を振り上げ突っ込んできた男の懐に自ら突っ込み、刀の柄尻で脇腹を強打、そのまま身体を振り回すようにして吹っ飛ばした。

「斧などの大きな武器は重心が大事です。……そんな足捌きの上に大振りでは、こうやって軽い動作で全てを帳消しにされてしまいますよ?」

「き、肝に銘じておきます!」

「そうしてください。……では次」

「はっ!」

 美凪が相手をしているのは元エアの第四部隊……つまり美凪の部下たちではない。元々カノンに仕えていた兵士たちだ。

 旧カノンが崩壊して三ヶ月。祐一の下に残った彼ら彼女らは、しかし真剣に訓練に従っている。

 新生カノン王国が始まった頃の嫌悪感や怯えなどは一切ない。いまでは新しい王である祐一に誰もが忠誠を誓っている。

 兵士として間近で祐一の後姿を見てきた彼らだからこそ、祐一が信頼にたる王であると認めている。そう美凪にはわかった。

 美凪は新生カノンが樹立して二ヶ月ほどでエア、つまり敵として相対したことがあるからわかる。

 あのときもそれなりに信用はあったようだが、いまこの兵士たちから感じる意思はそのときとは明らかに異なっていた。

 事実、こうして純粋な神族ではなく魔族の血も流れているとわかった美凪に直々に訓練をつけて欲しいと言ってきたことも一つの証拠だろう。

 彼らはもう種族など気にしていない。国民の中にはまだ疑心を抱いている者もいるが、兵士に限ってはもうほとんど皆無だった。

 美凪に対してもそれこそ真摯に、国のために強くならんとして向かってくる。

 良い傾向だ、と美凪は心底から思う。

 確かに新生カノンは先の戦いで多くのものを失った。でもいま、それ以上に尊いものがここにはある。

 プラスマイナスゼロ、などと損得勘定をするつもりはない。しかしそれでもなお誇れるべきことがこの国には生まれつつある。

 そして……。

「遠野美凪」

「?」

 兵士たちとの訓練を中断し振り向いた先にいたのは、騎士甲冑に身を包み込んだ七瀬留美であった。

「いまちょっと良いかしら?」

「用件にもよりますが……なんでしょう?」

「あたしと――戦って欲しいの」

 ここにもまた、変わった人物が一人。

 その表情に何を感じ取ったのか、美凪は礼を重んじるかのように身体ごと振り向いて、

「……はい、わかりました」

 承諾したのだった。

 

 

 

 場所はそのまま訓練場。

 周囲には美凪が先ほどまで相手にしていた兵士たちが、見学ということで座って舞台上を見つめている。

 そこで相対するのは二人の少女。

 五大剣士、『獅子の七瀬』の末裔たる七瀬留美。

 同じく五大剣士、『鳳凰の遠野』の末裔たる遠野美凪。

 二人はあれ以降、一言も言葉を交わさなかった。

 唐突な申し出であったにも関わらず、まるで示し合わせていたかのように進んでいく展開に周囲の兵士たちは怪訝な様子を見せている。

 しかし二人の剣士はそれぞれ相手の真意を理解していた。

 だから言葉など必要ない。必要なのはただ一つ。

「では、尋常に……」

「勝負ッ!」

 叫び、留美が剣を抜いた。美凪は柄に手を置くだけの抜刀スタイル。瞬間、視線が交じり合い

「っ!」

 留美が疾駆した。

「!」

 以前戦ったときよりわずかに速い。そう察知した美凪がすぐさま二刀の居合いで留美を近付かせまいと刀を振るう。

 以前戦ったままの留美であれば、その剣撃に対応しきれず後退したことだろう。だが、

「はぁッ!」

 気合一閃。

 留美の振り放った一撃が、数多の居合いを相殺した。

「!?」

「まだよ!」

 驚く美凪を尻目に、留美は足を止めずに突き進む。

 さらに居合いの密度が増す。だがそれさえも留美は打ち払い、身体の細部に傷を追いながらも突っ込んでいった。

「これは……!」

 見ている兵士たちにとっては、一見無茶な突進に見えたことだろう。留美の相変わらずの力押しである、と。

 だが実際は違う。

 留美は意地で突撃しているわけではない。この行動は考えた上でのものだった。

 留美は自分にスピードがないことは百も承知だ。誇れるべき部分はただ一点、そのパワーのみである、とも。

 だったら答えは一つしかない。舞のように足でかわしたり、智代のように技術で受け流すことができないのであれば、

「出来ることを、すれば良い!」

 答えは至って単純。

 力の限り、真正面からぶち壊す。

「ぉぉぉぉぉおお!!」

 降り注ぐ居合いの嵐を、留美は気合の一撃で薙ぎ払った。

 ……しかしこの行為は言うほど簡単ではない。

 渦中に身を投じているのだ。少しでも力が押し負ければ留美の身体はそこで細切れになる。

 以前までの、自分の力を信じていなかった留美ならばおそらくこんなことはできなかっただろう。

 だがいまの留美の目に――迷いは存在しない。

「そこだぁ!」

 剣戟の嵐を抜け、留美の間合いに美凪が入った。剣が、来る。

「!」

 打ち合うのは美凪にとって不利だ。

 刀は剣と違って切り結ぶためのものではない。聖剣ならまだしも模擬戦ということで一般の刀を使用している状態。ただでさえ力で劣る美凪だ、下手をすれば一瞬で叩き折られる。

 だからその剣を最低限の力で受け流し美凪はすぐさま後退する。

 流され、舞台を刺し穿った留美の剣を見て……美凪はわずかに微笑んだ。

「なるほど。以前までのあなたではない、ということですね……」

「さぁ、あたし自身はわからないけど、でも――」

 剣を抜き正眼に構え、留美もまた小さく笑い返した。

「それを確かめるために、あたしはいまここに立っているッ!」

 それから繰り広げられた戦いに、見守っていた兵士たちは思わず固唾を呑んだ。

 ここにいる誰もが留美の強さを知っている。だが美凪の力も知っているからこそ、決着はそう遠くないうちにつくだろう、と誰もが思っていた。

 美凪の圧勝で終わるだろう、と。

 だがこれはどうだ。

 既に戦い始めて二十分近くが経過した。

 それでもなお、両者は戦っている。戦い続けている。

「はぁ!」

「ふっ!」

 しかも様相はほぼ互角。決して美凪は手加減をしていない。紅赤朱にはなっていないが、間違いなく通常状態の本気を出していた。

 それでありながら留美は引けを取っていない。否、むしろ兵士たちには留美が若干押しているような気さえする。

 何が違うのだろう、と誰もが思う。

 見た限り、留美の力に劇的な変化があったようには見えない。もちろん以前より全体的にレベルアップしているのはわかる。

 剣の動きは鋭くなったし、足運びは綺麗になったし、速度も上がったし、周囲を冷静に見るようになったし、力も上がっている。

 だがそのそれぞれも若干の変化である。いまなお、端々の技術は美凪や舞の方が上手に見える。

 ならば何故……?

「くっ……!?」

 留美の圧倒的な破壊力のある一撃を寸でのところでかわし、美凪は冷や汗を垂らしながら距離を取る。

「……正直、ここまで変わるとは思いませんでした」

 剣をぶつけ合う美凪には、しかしその正体に気付いていた。

 否、最初からわかっていた、というべきか。

 七瀬留美という剣士は、決して弱くはない。七瀬の血筋に恥じることのない、十分なキャパシティを持っている。

 純粋な肉体的能力で言えば決して舞や智代にも引けを取らないはずだ。

 ならばどうしていままで留美は美凪や祐一などに完敗を喫したのか。

 それはひとえに、

「心の在り方……」

 振り抜いた剣をゆっくり抜いて留美は静かな口調で告げた。

「あのときはわからなかった。でも、いまならはっきりとわかる。これが……真の強さなのね」

 人には感情や意思、というものがある。

 それは個を形成する上で最も重要かつ根本にあるものだ。そしてそれがあるからこそ、人は何かを決めたり動いたりすることができる。

 そして人はときに、その意思や想いで信じられない強さを発揮したりもする。

 それは極端な例としても、やはり人は何かを想う……目標を定めることで強く在れるのだ。

 美凪はミチルを守るために、強くなった。

 舞は国――強いては佐祐理などの大切な者たちのために、強くなった。

 智代は家族のために、強くなった。

 祐一は復讐のために、強くなった。

 目標は正であろうと負であろうと関係ない。強くなる目的があるからこそ、人は迷いなく、そこに向かって突き進むことができる。

 それが強さだ。人の持つ、意思を持つ者のみが持ち得る己の強さ。

 だが――留美にはそれがなかった。

 彼女にとって……強くなること、それ自体が目的だった。そう、皆が『手段』として考えているものを『目的』に据えてしまった。

「そんなんじゃ、勝てるはずもないわよね」

 もっとずっと先を見据えて戦っている者に、想いの強さで敵うわけがない。

 いくら能力が同等であろうとも、迷いなき者に迷い続けている者が勝てるはずがないのだ。

 留美は七瀬の家の者として、恥じのないように強くなりたいと思っていた。そんな保守的な感情で、真に強さを願う者に届くわけがない。

「……でも、いまは違う」

 柄を強く握り締め、留美は揺るぎなき視線で美凪を見つめた。

「いまのあたしには、わかる。そして、目的もハッキリと見つけた」

 留美はカノンに身を置き、数多の戦いを潜り抜けてきた。

 その過程で、その上で……見てきたこと、感じたこと、思ったこと、その全てが留美の中にはある。

 他者の生き様を、戦い様を見て、気付いたことがある。

「それは……?」

 美凪の問い。

 その答えに対し、留美はゆっくりと向き直り正面から胸を張って答えた。

「あたしはカノン王国の騎士として、そして祐一に仕える騎士として……全種族共存の道を、手助けしていきたい」

 胸に手をやり、

「強くなることが目的じゃない。あたしはそのために強くなる。そして――それで一人でも多くの笑顔を守れることができたのなら――」

 強くなることだけを考えていたときには見向きもしなかった戦いの跡。

 子を失い泣く親、親を失い泣く子、友を失い嘆く者、恋人を失い崩れ落ちる者。

 種族の違いで蔑まれ、疎まれ、生まれる争い。その末に悲しみと憎しみが孕まれるのであれば、その根源を断ち切りたい。

 戦いが終わり復興したカノンを見て、

 戦争孤児になりながらも笑顔で学園に向かう子供たちを見て、

 仲間たちの死を悔やみながらも、それでも前を向いて精進しようとする兵士たちを見て、

 ボロボロになりながらも生きていこうとする街の者たちを見て、

 各々の目的のために真っ直ぐ前を見て進んでいく仲間たちを見て、

 想う。

 こんな人たちを自分の力で守っていけるのならそれは、

「どれだけ価値があって、どれだけ誇れることなんだろう、って思うの」

 自分の力は決して七瀬という看板のためでも、恥を恐れてのためでもない。それではいけない。

 この力で、少しでも自分の視界に映る者たちを守りたいと。そう思ったのだ。

「……なるほど」

 聞き入っていた美凪は、囁くように息を吐き、そして笑顔を浮かべた。

「あなたは、立派な『騎士』になったのですね」

 力としての象徴たる『騎士』ではなく。

 本当の意味での国の『騎士』に。

 しかし、

「いえ、まだよ」

 留美は首を横に振った。

「そのためにも、あたしには力が必要。『目的』としての強さじゃなく、『手段』としての強さがね」

 一拍。その間を置いて、留美は厳かな面持ちで天井を眺め、告げた。

「……だからあたしは聖剣を貰いに行く。七瀬本家から、『地ノ剣』を」

 だから、と今一度前置きし、視線を下ろして美凪を見据える。

「その前にあなたと戦いたかった」

 剣を持ち上げ、その切っ先を向けて、

「あたしがここのあたしから更に一歩を踏み出すために、ケジメとしてあなたと戦っておきたかった」

「……ええ」

 美凪は頷く。

「ええ、わかってました」

 最初、ここにやって来た留美の表情を見たときから理解していた。

 留美は、何かを始めるために、その一番最初の一歩として戦いを挑んできたのだと。だからこそ、

「……手加減はしません。次で決めます」

 美凪の周囲に炎が舞い上がる。

 次の瞬間にはその髪は紅蓮に染まり、瞳は灼熱の色を宿す。

 紅赤朱。美凪の真髄がここに具現する。

「……どうぞ、あなたの想いを、誓いをかけて次の一撃を。正面から挑み、そして先へと進んでください。それがきっと、私のできる唯一の手向け」

「余計な気遣いは結構よ。いままであんたにやられた分、全部熨斗つけて返してやるだけなんだから」

 留美は笑って剣を握った。そこには一切の怒りはない。

 留美の周囲にもまた強大な魔力が迸る。舞台に亀裂が奔り、重力の力が余波として持ち上がった欠片を押し潰す。

 圧倒的な力の奔流。周囲で見守る兵士たちが思わず後ろへ下がってしまうほどの威圧を醸し出しながら、

「「――ふふ」」

 しかし当事者たちは笑い合っていた。

「行くわよ美凪。あたしの誓いは、とんでもなく重いから押し潰されないように注意しなさい?」

「私の想いはそう簡単に追い抜けませんよ? 精々前だけを見すぎて転んでしまわないように、ご注意を」

 軽口を言い合って、

「「――――――ッ!!!」」

 地と炎の激突が、訓練場に美しく咲き誇った。

 

 

 

 あとがき

 ほい、どもども神無月でございます。

 今回は間章「留美」です。さて、いかがでしたでしょうかね。

 本文にあるように、実際留美の身体能力は低くはないんです。それだけで言えば他の五大剣士ともさほど変わらないんですけどね。

 想いの強さ。目標への努力。

 やっぱり遥か先を見据えている人ってのはどんなことであっても強いんです。それが善悪どっちであろうとも。

 まぁそんなわけで留美のスイッチがいよいよ入りました。さぁ、もう足手纏いなんて言わせない!

 勝負の結果は百三十一章を参照のこと。

 で、まだ最後の試練。七瀬本家でオヤジさんとのバトルが待ち構えてはいますが、留美は突き進むぜ!

 ってなわけで、留美の話は第百三十四章に続きます。

 ほにゃらば、今回はこの辺で〜。

 

 

 

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