神魔戦記 番外章
「葉の出会い」
覚えている。
無力で、泣くことしかできなかった自分を。
だがそんな自分を両親は恐れ、捨てた。
ただ一人自分の味方でいてくれた兄とも離れ離れ。
一人ぼっちになった。
彷徨い、泣きじゃくり、途方にくれて、そして死を覚悟した。
ただ生まれが特殊だっただけなのに。そう生まれてきたわけでもなかったのに。
そんな理由で自分は存在理由を拒絶され、そして誰に見送られることなく死んでいく。
あぁ、虚しい。去来する絶望感。
しかし同時に、もうこの世界の全てがどうでも良くなっていた。
この苦しみともお別れだ。そう思えば少しは死の不安も安らいだ。
だからこのまま死のう。そうして悲しいことや苦しいことの一切合財を全部終わらせてしまおう、そう思い目を閉じて、
「こんなところで終わるのかよ、お前」
その声を、聞いた。
「あいつが言ってたんだ。ここに俺と同じやつがいる、って。それってお前のことだろう?
だったらお前、こんなところで死んで良いのかよ? それで悔しくないのかよ?」
無遠慮な声。目の前で死に向かおうとする人物に対してのものとは到底思えない辛辣な言葉。
だけど、
「『死ぬ』なんて簡単な逃げ道を選ぶなよ。それってただの負けじゃないか。俺たちをこんな風にしたやつらに、負けたのと同じじゃないか。
生きろよ、お前。生きて生きて、そして目にもの見せてやれよ。お前が俺と同じなら、それくらいのことして見せてくれ」
初対面でどこまでも自分勝手な、とも思うが……その言葉は胸深くに突き刺さった。
決して死にたいわけじゃない。生きることができるなら生きていたい。でも、その手段が自分には無いだけなのだ。
「いや、ある」
声は言った。
「方法なんていくらでもある。それこそ諦めなければな。俺はそれを見つけた。そしていまそれを磨いてる。お前はどうだ? その意思があるか?」
あるのなら、と声は前置きし、
「俺がお前をそこに連れてってやる。お前は俺と同じだ。だからそこに行ってあいつにいろいろ教われば良い。そうすればお前は生きていける。
いや、生きていけるだけじゃない。お前のしたいように生きる、その力を手に入れることができるはずだ」
「力……?」
思わず、瞼を開けていた。
視界に入ってきたのは、自分より少し年上と思われる少年だった。
けれど、その目はその自分たちと同じ年代のそれではなかった。
ギラギラと。鋭利な刃物のような、冷たい瞳。けれど何故だろう。同時にその中に、暖かさを感じたのは。
「そうだ、力だ」
少年は言って、手を差し出した。
「生きたいのなら、生きて力を手に入れたいのならこの手を取れ。ただ全てのことに目を瞑って逃げたいのならこのまま死んでいけ。もう止めない」
さぁ、と少年は問うた。
「お前が決めろ」
少年は本当にそれ以上何も言ってこない。ただこちらが決めるのを待つだけ。
自分はどうしたいか?
……自問するまでもない。その道があるのなら、
「――わたしは、生きたい」
その手を、握った。
「なら来い。俺とお前は同じで――仲間だ」
少年が手を引き、そして薄く笑った。
この日、この時から。
自分は、『二人目』の兄を手に入れた……。
「……ん、んん?」
目が覚めた。
ボーっとした視線で周囲を見渡せば、そこは狭い空間だった。木造の一室。向かい合うように腰を下ろす場所がある。そして揺れている。
そう、これは馬車だ。
「……夢……?」
「お目覚めになりましたか? 郁美ちゃん」
声に振り向けば、正面に見慣れた女性が座っていた。その女性はそんなこちらの挙動を面白そうに微笑みながら見つめている。
「……南、さん?」
「あらあら。まだ少し目覚めきってないみたいですね。やはりここ最近のご公務の疲れが溜まっていらっしゃるのでは?」
「そう、かもしれませんね。ここ最近は睡眠時間も二、三時間しか取れていませんから……。正直、まだ眠いです。……あふぅ」
口元を手で押さえ小さく欠伸するのは少女は、立川郁美。王国コミックパーティーの現女王である。
郁美は本当に疲れているのだろう、いまにも目と目がくっつきそうだ。だがそれを阻止せんと手で目尻を拭った。
「まだ道中時間はあります。もう少し寝ていられたらいかがですか?」
「そうしたいのは山々なんですが、いまのうちに受け取った資料にも目を通しておきたいんです。国に帰ったら帰ったでいろいろやることありますし」
「では、お茶でも淹れましょうか?」
「あ……はい、お願いします」
クス、とその女性――牧村南は微笑みを増しながら、腰を曲げて席の下を覗き込んだ。
するとそこには小さな収納スペースがあり、南はそこからいろいろと物を取り出した。
一つは使い捨て可能の紙で出来たコップ。そしてもう一つは保温性の極めて高いホットポットと呼ばれる魔道具だ。
これはトゥ・ハート王国で開発されたもので、円筒状になっており、その周りの材質に微細な文字魔術が仕込まれていて、大気中の火のマナを取り込んで半永久的に中の飲み物を温かいままにしておく、という優れものだ。
しかしこれは特殊なものではなく、トゥ・ハート王国内では普通の雑貨店でさえ手に入る割と一般的な代物だ。
その蓋を開けて、中に入れておいた茶を紙コップに移す。するとまるでいま淹れたばかりのような湯気がコップから上がった。
リーフ連合の中では技術協力も含まれているのでこういった代物もそのうちコミックパーティーやウタワレルモノにも流通し出すだろう。
とはいえ、いまはまだ『珍しい』と呼べる一品。このホットポットもトゥ・ハートから好意で譲り受けたものだ。
同盟を組んでからは、そういった技術面ではいろいろと援助を受けている。喜ばしいことだ。
「どうぞ。しかし、こうして帰り道にもこんな温かいお茶が飲めるのもトゥ・ハート王国のおかげですね」
そう、いまはトゥ・ハートで行われた三国の臨時首脳会議の帰り道。
ハードなスケジュールの中にさらにその会議を押し込んだことで昨日なんかは徹夜になってしまったので、いま眠いのも仕方ないことだろう。
とはいえ、先程も言ったように国に帰ればまだやることはたくさんある。だから書類関係にはいまのうちに目を通しておきたかった。
そう思いつつ膝の上に置きっぱなしだった書類をめくり、残りの手でコップを受け取り、
「どうもです。――ん、美味しい。やっぱり南さんのお茶は美味しいですね」
「ありがとうございます」
「しかし、南さんの言うとおりあの国の技術力は本当に素晴らしいです」
茶を口に含みつつ、郁美は書類に目を通して言う。
書類に書かれているのは、現在トゥ・ハート王国が全力をかけて製作しているとある物の図面だ。
重要技術なので設計図というほど詳しくは記されていないが、それでも大まかにはどういったものかはわかる。
郁美の常識からすれば規格外も良いところだ。が、このホットポットを初めとして、トゥ・ハートの技術はそもそも全て規格外だ。
たとえば魔力炉を積んだ半自動で動く『自動車』なる交通手段があったり、たとえば氷のマナを利用した『冷蔵庫』なる食材保管庫があったり。
どれもこれも常識を突破した代物だ。今更こんなものを出されたところでもう驚きはしない。
……いや、もちろんこれを見せられたときはとても驚いたが。
「確か名前は『エルシオン』だったでしょうか? 前回来たときはまだ製造中とのことでしたが――」
「ええ。今日の段階ではどうやらもう完成していて、いまは試運転中とのことです。そこでなんの問題も出なければ四日後くらいには発表するとか」
「国民もさぞ驚くでしょうね」
「どうでしょうね? 特にトゥ・ハートの国民はもう慣れてしまってそれほど驚かないかもしれません」
確かに、と南は自分にも茶を淹れながら苦笑。しかしすぐに表情を元に戻し、
「しかし、四日後となるとキー大陸には……」
「はい。おそらく五日後以降、ということになるでしょうね」
郁美は嘆息しながら、また書類をめくった。
次のページ以降書かれていることこそ、今回の臨時会議の主題であった。それは、
「シズクによる本格的なキー大陸への侵攻……」
昨日の情報だ。国家間抗争がいよいよ本格的になりエア・クラナドとカノン・ワンがワン自治領の国境線上で激突したらしい。
だが、そこになんとシズク――しかも月島拓也が現れたのだ。
そして拓也の精神感応により、四国の兵力がそれぞれごっそりと持っていかれた、ということらしいのだが……。
「奇妙なことに、巡回中の船舶からはシズクらしき者たちを見かけなかった、ということですね」
シズクはキー大陸に前線基地があるらしい、との情報もあるのでシズクの兵士が出没するのは特におかしいことではない。
問題は、シズク本国にいたはずの月島拓也がキー大陸で確認された、という事実だ。
シズクのキー大陸侵攻を阻止する意味で、キー大陸とリーフ大陸の間の海には、トゥ・ハート王国主動の偵察船舶がいくつも存在している。
キー大陸に入るためには必ず海を渡る必要があるので、見つかならないわけがないのだが……。
「あるいは海を渡る以外の特殊な移動方法があるのかもしれない、とハクオロ皇が仰っておられましたね」
「まぁ、そう考えるのが妥当でしょう。というかそれ以外に考えられないとも言えますが……」
しかし、と郁美は心中で一つの可能性を思い浮かべる。
もし、もしも月島拓也の精神支配が『目に見えてわかる範囲でなくとも可能』な場合、その限りではない。
たとえば精神支配された偵察船舶の兵士たちが、虚偽の情報を流している、とも考えられるからだ。
だが、もしこれが本当であれば、由々しき事態となる。
周囲にいる味方だと思っている者たちでさえ、シズクに支配された敵かもしれない。
おそらく聡明な二方だ。口では言わずとも来栖川芹香女王もハクオロ皇もこの疑念には気付いているだろう。
しかしこれを口にしてしまえば、兵にいらぬ不安が広まってしまう。
そして誰も信用することができなくなり、下手をすれば暴動ということにもなりかねない。
やれやれ、と郁美は小さく嘆息する。
――まぁ口では言わずとも私含めトップは勘付いてるんですから、いくらか対処のしようはあるでしょう。
とはいえ、それも『無いよりはマシ』程度のものなのだが。結局兵に情報を開示せずに物事を統制するなんてほぼ不可能に近いのだ。
だから結局トップがいくらか注意する、程度しかできないわけだ。
「シズクの戦力が増えるのはこちらとしても問題ですが、何より問題なのはキーの四国かもしれませんね」
郁美はその言葉に一人の男を思い浮かべた。
「これでキー大陸四国の抗争が一時的にでも停止すれば良いんですけど……まぁ、あの人ならそんなことはしないでしょうね」
さっき夢に見たせいもあるかもしれない。あの人はきっとこの状況であろうとも活路を見出し戦いに赴くに違いない。
ここ最近、風の噂で聞くあの人の性格は自分の知っているときのものと随分違うようだが、根本的なところは変わってないだろう。
残された道が戦いしかないと思えば、間違いなくあの人は進むだろう。あの人はそういう人物だ。
「あの人……?」
と、南がその郁美の単語に首を傾げた。そういえば、と郁美は書類から視線を上げ、
「えぇ。南さんには言ったことなかったですね。実はわたし、カノンに知り合いがいるんですよ」
「あら、そうなんですか。それは……心配ですね」
「いえ、心配なんかしてませんよ。信じてますから」
南の表情が驚きに染まった。あまりにもさらっと言いすぎただろうか。だが南はすぐに笑みに表情を変えると、
「それは……素晴らしい関係ですね。無条件に信じられる相手なんて、そうはいませんから」
「そんなことはないですよ。わたしにとっては南さんもそういう人ですから」
「あらあら。それはどうも、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそ」
言って、二人笑い合う。
こういう仲間がいる自分は、とても報われているんだろうなぁ、と自分の幸運さを再認識したところで、
「わっ」
いきなり身体が前に傾いた。
いや、正確には動いていた馬車が急に止まった、と言うべきか。
南と二人、顔を見合わせる。いったい何があったのだろうか、と。
気配を探るが、特に殺気といったものは感じられないので魔物や山賊といったものではない。そもそもそんなものであれば二人ともとうの昔に気付いているだろう。
ならばどうしたのだろう、と取り付けられた小窓から外を見れば、
「だからお嬢さん、この馬車は普通の送迎馬車とは違うんだよ」
「だ・か・ら! そこを曲げて乗せて欲しいって言ってるのよこっちは!」
なんか口論が聞こえてきた。
再び南と顔を見合わせ、とりあえず降りてみることにする。
「あの、どうしました?」
「あぁ、郁美様。いえ、この方たちがいきなり……」
手綱を引く従者が辟易とした様子で言うその先、道のど真ん中でまるでこちらの行く手を遮るように一組の男女がいた。
「良いじゃないの別に! こっちはちょっと馬車に乗せて欲しいって言ってるだけじゃない!」
怒っているのは少女の方。紫の髪をリボンで纏め上げた、吊り目で勝気そうな少女だ。頭にある猫の耳みたいなものは飾りだろう。気配は獣人族のそれではなく、れっきとした人間族のものだし。
っていうか女である郁美の目から見てもすごい可愛い。っていうかむしろ胸でかい。
「……」
郁美はそーっと自分の方に視線を向けて……思わず肩を落とした。
「郁美ちゃん?」
「いえ、ちょっと黄昏たかっただけです気にしないでください」
「人の話を聞けーっ!」
その少女は地団駄を踏みながら怒鳴り散らしている。その少女をもう一人の青年が困ったような表情で宥めていた。
「お、おい鈴木! 頼むからこういうのは勘弁してくれ! やってることが山賊とたいして変わらないぞ……!」
目に鮮やかな赤毛の髪で活発そうなのかと思えば、顔はむしろ優しそうな雰囲気の青年だ。なかなか格好良い。
「しかし……ふむ」
郁美はそんな二人の格好を見てなんとなく素性を理解した。
おそらく冒険者。
宝探し(や魔物退治(、未開の地の調査や護衛、あるいは傭兵になったりと、まぁつまり各能力を生かして資金を稼ぎ各国を渡り歩くのが冒険者だ。
だがその二人はその郁美にすら気付かず口論を続けていた。
「うっさいわね薙原あんたこっからコミックパーティーの王都まで歩いてどれだけ掛かると思ってんの!? 歩きじゃ間違いなく二日は掛かるわ!」
「そんな、たかが二日じゃないか。いままでだってそれ以上歩き通しだったこともあるんだからそのくらい……」
「へぇ……薙原、あんた携帯食料なしで二日も歩き続ける自信があるのねぇ〜。そーんな余裕があるなら是非ともおぶって行って欲しいわ」
「えっ!? 携帯食料なくなってたのか!?」
「だーから最初っからそう言ってるでしょうが人の話をしっかり聞きなさいよねッ! このち○こち○こ、ち○こー!!」
「うわぁ、だからそういう言葉は汚いからやめろって何度言わせればっつか『鬼鉢』なんか振るんじゃねぇそんなんで殴られたら一発で昇天する!!」
「馬鹿は死ななきゃ治らないのよ!!」
「マジで振り下ろすな! 地面陥没してんじゃねぇか!!」
ドガァン!! と凄まじい勢いで砕ける地面を見て、えーと、と郁美は頬を掻き、
「つまり……新手の漫才かなんかでしょうか?」
「死活問題の話をしてるのよ!!」
怒られてしまった。
まぁ、ともかくだ。
「ようは馬車に乗っていきたい、ということですよね? 私なら別に構いませんよ。スペースも余裕がありますし」
「郁美様!?」
「心配しなくても大丈夫ですよ」
驚きの声を上げる従者を郁美は片手で制す。
「えっと……あなたがこの馬車の持ち主?」
「はい、そうですよ。いろいろとわけありのようですし、どうぞお乗りください」
すると少女から怒気が消え、微笑が浮かんだ。
「ありがとう。本当に助かるわ」
あ、やっぱり綺麗な人だなぁ、と郁美は改めて思った。
で、二人を迎えて馬車の中。
もともとスペースにゆとりがあったので、四人になっても特に狭いと感じることはない。
詰めればきっと八人、余裕を見ても六人は乗ることが出来るだろう。個人の持つ馬車にしてはかなり大きめだ。
が、王家が使用するような馬車でもない。
というのも、今回の首脳会議は内密なものなので、王家の使うやけに煌びやかで無駄にでかい馬車は使用を止めたのだ。
とはいえそれでも王家の人間にはそれなりの馬車が必要だ、という臣下の配慮で通常のそれに比べて一回り大きいものが選ばれた。
ざっと貴族関係が持っている馬車とほぼ同等、といったレベルか。
というか、むしろこれが王家縁の馬車であるとわかっていればこの二人も切羽詰っていたとはいえこんな真似はしなかっただろう。
……いや、貴族クラスだとわかっていながらやっている時点で凄いと言うべきか。
おそらくそんな反省があるんだろう。青年の方は馬車に乗ってからこっち、ずっと感謝と謝罪をしてばかりだった。
「もう、ホント申し訳ありません。なんて言ったら良いか……」
「いえ、ですからあまりお気になさらないでください。わたしは気にしていませんから」
そこで南が先程と同じようにコップに茶を淹れて、二人に渡す。
二人はいまだに湯気が出ている茶に少しびっくりしたようだが、礼を言ってコップを受け取った。
そこで青年の方が何かを思い出したように「あ」と呟いて、
「すいません、自己紹介が遅れました。俺は薙原ユウキって言います。今回は本当に、ありがとうございました。で、こっちは――」
「鈴木ぼたん。ぼたんって呼んで」
「……お前は相変わらず誰に対してもマイペースだなぁ」
「感謝の気持ちは告げたんだし、それで良いじゃない。あまり卑屈になるのもどうかと思うわ」
「ホント、すいません。本当は鈴木は冷静な奴なんですけど、食べ物絡むとちょっと怒りっぽくて……」
「こ、こら薙原! あんた私がまるで大食らいみたいに……!」
再び口論が始まるが、しかしその中に感じられるのは剣呑としたものではなく、むしろ親愛の表れに見える。
ほうほう、と郁美はそんな二人を見て一言。
「恋人同士で冒険者、ですかぁ。愛し合う二人で世界を歩き渡るってロマンがあって良いですね〜」
瞬間、二人が盛大にお茶を吹いた。
「あれ? わたし何か変なこと言いました?」
郁美のその目はいつの間にかキラキラと輝きを放っていた。
王国コミックパーティーの女王だろうが人間族屈指の魔力の持ち主だろうが、彼女はまだ十台前半の少女だ。
恋話に夢を見たり騒いだり、というのはある意味当然なのかもしれない。……多分。
「い、いやぁ、別に変ってわけじゃないけど……」
「い、いきなりにもほどがあるわよ!」
えー、と不満そうに郁美はぼたんを見やる。
「でも、恋人同士なんですよね?」
「え? あー……えと、そ、それは、そのぅ……」
「違うんですか?」
「ち、ちが! ……くは、ない、けど……」
視線があっちに行ったりこっちに行ったり。
あと一押しだろうか。
「じゃあ、愛してるんですね?」
「愛!?」
「違うんですか?」
「え、い……いや、そりゃあ、私は……薙原のこと、好き、だけど……でも、愛しているって言葉は……ちょっと抵抗がある、っていうか……」
ごにょごにょ、と顔を真っ赤にして俯いていくぼたん。見ているこっちまで恥ずかしくなってきそうな態度に郁美は満面の笑顔を浮かべて、
「可愛い〜。はぁ、私もいつか恋したいな〜」
「なぁ!? わ、私もしかして遊ばれた!?」
「遊んだなんて人聞きの悪い。ちょっとした野次馬根性ですよ」
ぺろ、っと舌を出す。すると悔しいのかぼたんは「キー!」とか奇声をあげている。
だが郁美の猛攻は終わらない。今度はユウキに向き直り、キラキラした目で再び質問攻めが始まる。
「ユウキさんはぼたんさんの何が好きになったんですか?」
「どえぇぇ!?」
「あれ、どうして驚くんです? あれ、もしかして本当は好きじゃないとか――」
「い、いや、そんなことはない! そんなことはないから鈴木もそんな目で俺を見るな!!」
「じゃあ、どこが好きなんですか?」
「え、あ、う……」
しどろもどろになるユウキだが、郁美の向こうでぼたんが何かを訴えかけるような目で見つめているのを見て、諦めたように嘆息した。
「あー……鈴木は性格も頑固でマイペースですぐ殴るしなかなか素直じゃないし思い込んだら止まらないところもあるけど――」
「それって全部欠点じゃ……」
「けどッ!!」
ぼたんの腕が『鬼鉢』に伸びたのを見てユウキは慌ててもう一度声をあげ、
「――けど、鈴木はいざってときは優しいし頼りになるし結構健気だし……なによりそういう全部をひっくるめて俺は鈴木が可愛いと思うし」
「なっ……」
「だからどこ、とかじゃなくて……俺は鈴木ぼたんっていう女の子全てが好きなんだ」
言い切った。臆面もなく。
おー、と思わず郁美は感嘆の吐息。
郁美は両手で頬を抑え余韻に浸り、南はまるで見守る母親のようににこにこ微笑み、ぼたんは真っ赤になって完全に動きを止めていた。
馬車の中が妙な雰囲気に包み込まれた――その瞬間、
「「「「!」」」」
四人の顔に一斉に緊張が走った。
「馬車を止めて! いますぐ!」
さっきまで赤面していたとは思えない速度でぼたんが従者に声を飛ばす。そして馬車が止まりきる前に跳び下りて、周囲を見やった。
「……囲まれてるわね」
続いて郁美たち三人も降りる。
そう、先程感じたのは純然たる殺気。しかも四方八方から遠慮なしにこちらに向けられている。
盗賊や山賊、ではないだろう。奇襲を常とする彼らがここまで殺気を垂れ流しにしているのだとすれば、自信家か相当な馬鹿だろう。
ならば? と郁美が周囲に気を張っていると、馬車の正面方向からそれが現れた。
巨大な体躯。額に小さな角があり、獰猛な牙を剥き出しにした二足歩行の正体は、
「これは……トロル、ですか」
魔物、トロル。
この一帯では確かに珍しくない部類の魔物ではある。しかし……、
「でも、おかしいわ……」
ぼたんが怪訝そうにトロルを見る。
「トロルって確か夜行性のモンスターでしょ? なんでこんな真昼間に、しかも平気な顔で現れるの……?」
確かにぼたんの言うとおりトロルは本来夜行性の魔物だ。というより、太陽の光が駄目、と言った方が正しいか。
しかし、目の前に立ちふさがるこのトロルたちは日の光を嫌うどころか全然平気な顔で威嚇するようにこっちへ近付いてくる。
それにトロルは本来群れで行動したりはしない。それは知能が低いことに起因するとされているが、だからこそこんな風に『周囲を取り囲む』なんて芸当は本来出来ないはずなのだ。
そんなトロルたちを観察して、ポツリとユウキが呟いた。
「……もしかしたら、誰かの使い魔なのかもしれない」
「なるほど。それは考えられそうね」
確かに誰かに操られているなら集団行動も合点がいくし、主によって何がしかの力を施されたりしていれば日中で動けても不思議はない。
仮にこれが誰かの使い魔であるとした場合、問題は……誰が、何のために、というところだ。しかし、
――近くにそれらしい気配は、ない。かなり遠くから操られているのか、あるいは……。
シズク、という三文字が郁美の脳裏を横切った。
そもそも月島拓也が人間しか操れない、なんて決まっているわけではない。人間が操れるのなら魔物を操れたところで不思議はないくらいだ。
が、いまはそんな憶測を並べていても仕方ない。いまはそんなことを考えるよりも、
「このトロルたちをどうにかする方が先決ね」
郁美の思考と同じことをぼたんが言って、『鬼鉢』と呼んでいたその棍棒を振り上げた。
「重量解除」
それが何かのキーワードなのか、先程まで馬車の中に入れてもなんともなかった棍棒が、置いただけで地面が割れた。
置いただけで地面が割れるなんてどれほどの重量なのかわからないが、それをぼたんは軽く片腕で回しながら首だけを振り向かせ、
「ここは私たちに任せて。馬車に乗せてもらう礼賃くらいには働くわよ」
「だな。二人はそこでジッとしてて。大丈夫、このくらいなら俺たちですぐ片付けるから」
そう言って、二人はトロルの群れに突っ込んでいった。
そこに南も続こうとしたが、それを郁美は制した。
「郁美ちゃん?」
「ここはお二人にお任せしましょう」
「え? ですが――」
「ちょっとあの二人に興味があるんです。お手並み拝見と行きましょう」
「……はい」
そうして二人が見守る中で、ユウキとぼたんが疾駆する。先頭はぼたん。どうやらユウキは後衛らしい。
「行くわよ……!」
ぼたんが更に加速した。身を低くし、まるで弾丸のように一足飛びでトロルの群れに身を投じ、
「はぁぁぁぁああああ!」
巨大棍棒『鬼鉢』を振り回す。トロルたちの巨躯がまるで嘘のようにその一撃によって薙ぎ払われていった。
そのうち巻き込まれなかった一体がぼたん目掛けて拳を振り下ろすが、それも『鬼鉢』の腹で受け止めていた。
ビクともしない。トロルのパワーは魔物の中でも高い部類にあるのに、ぼたんは平気な顔だ。
「残念ね。これはアリス大陸の『混沌天使の塔』ってところで見つけた、竜種を叩き落としたっていう伝説の聖剣よ」
「剣じゃないけどな」
「いらない突っ込みはいらないのよこのち○こ! ……ともかく、トロル風情にはもったいないほどの一品なわけ。だから――」
ガッ、とその腕を弾き飛ばし、
「その身でしっかりと味わいなさいッ!」
轟音を伴った一振りがトロルの身を爆砕した。
それを少し後ろで見ていたユウキが小さく笑い、
「さて、それじゃあ俺もさくっといきますか」
グローブをはめた彼の手が淡く発光する。左右から迫るトロルに対しユウキはその両腕をそれぞれに向けて、
「『突き抜けし水の刃(』、『突き抜けし風の刃(』」
右には水の刃が、左には風の刃が発生し、そのトロルたちを切り裂いた。
その光景に、おぉ、と郁美は感嘆の息を漏らす。
「二種同時詠唱ですか。彼は優秀な魔術師ですね」
だが郁美のその言葉は外れだ。なぜなら、
「薙原、一体行ったわ!」
「おっけー」
ぼたんの攻撃を掻い潜ったトロルがユウキに迫る。呪文詠唱は間に合わない。しかしユウキの表情に焦りはない。
「よっと」
繰り出されたトロルのパンチを軽い動作で避け、ユウキは腰から一振りのナイフを取り出した。いや、それはナイフではなく、
「――真の刃は魔力で成す――」
魔力剣。
呪(いにより出現した魔力刃がトロルの身体を二つに切り裂いていた。
刀身の周囲には風が蠢いている。どうやら込められた魔力の属性によって刃の属性も変わる呪具のようだ。
しかし、鮮やか。彼はただの魔術師ではなく、魔術剣士だったらしい。
「二人とも、かなりできますね」
「そうですね」
頷く郁美の視線の先で、ユウキとぼたんが次々にトロルたちを撃退していく。
この様子なら自分たちが加勢するまでもないか、と考えていたが……、
「――む」
郁美たちの真後ろから突然トロルが飛び出してきた。
「しまった……!?」
「危ない、逃げ――」
ユウキが逃げろ、と叫ぶ瞬間、轟音と共にトロルが吹っ飛んだ。
「……ろ?」
「申し訳ありませんが、郁美ちゃんには指一本も触れさせませんよ?」
郁美とトロルの間に割って入ってきたのは南だった。その腕が霞んで見えた瞬間にはトロルが吹き飛ばされていたのだ。
思わず呆然とするユウキとぼたんの表情がちょっとだけ面白くて、郁美は微笑。しかしその表情をすぐに引き締め、
「南さん。ここはわたしがやりましょう。数の多いこの状況では、南さんでは時間が掛かりますから」
「確かに。では、お任せします」
「はい。――ブレイハート」
手を中空に掲げ、自分の相棒の名を呼ぶ。
すると空間が裂け、そこから一本の杖が出現した。
神殺し第十番・魔杖ブレイハート。それがその杖の名だ。
郁美はそれを手に取り、自分の身長の二倍ほどもあるそれを軽く振りながら、周囲を見渡した。
「まだいくらか隠れていますね。……燻り出しましょう」
瞬間、強烈な重圧が周囲一帯を覆いつくした。
「なっ……!?」
「なんなの……この魔力量!?」
ユウキとぼたんの驚愕の声。
そう、この重圧は純粋な魔力の放流。ユウキやぼたんがいまだかつて感じたことのない規模の魔力が、郁美の身体から溢れ出ている。
だが驚くべきは、これだけの魔力を放出しておきながら、まるでその表情に変化がない郁美だろう。
つまり彼女からすればこの程度の魔力、出したところでなんともないという規模のものでしかない。
「……来ましたね」
すると次の瞬間、左右の林から次々とトロルたちが姿を現し、郁美に殺到した。
強大な魔力に煽られ、トロルたちの生存本能が揺り動かされたのだ。つまり――この少女を速やかに殺さなければ生きていられない、と。
その数、三十四体。よくぞここまで集めた、とむしろ褒めたいところだが、
「まぁ、ともあれ駆除といきましょう」
ブレイハートが発光する。それを手の中で振り、軽く空に掲げて、
「『月からの射手(』」
無詠唱で放たれた光の雨がトロルたちを一瞬で焼き払った。
空から放たれた光の奔流はきっかり三十四本。しかも本来手の太さくらいであるはずの光はその一本一本がトロルを飲み込むほど巨大。
そして光は寸分違わずトロルたちをそれぞれ一撃で抹消していった。
「これで一安心ですね」
まるでバトンのように軽やかにブレイハートを振り、再び空間に戻しながら郁美は軽く言ってのけた。
しかし、魔力量、魔力コントロール、魔術操作。いまの戦いで証明されたそれは明らかに格が違う。
「君は、いったい……」
呆然と呟くユウキ。それに対し郁美は、小さく苦笑して、
「申し訳ありません。そういえば自己紹介がまだでしたね。わたしの名前は立川郁美。王国コミックパーティーの女王です」
「女王!?」
「立川郁美――って人間族で比肩する者はいないとさえ言われ、魔族や神族ですら敬遠するという膨大な魔力量を持つ、っていうあの……!?」
するといきなり慌てだしたのはぼたんだ。わたわたと手を振りながら、
「あ、あの! 女王様とは知らずさっきは失礼な物言いをして本当に、えっと……し、失礼しました!!」
「そんな畏まらないでくださいよ。わたしはさっきのやり取りみたいな方が好きですから」
「で、ですが……」
「お願いします」
「う……わ、わかりまし――わかったわ」
にこりと微笑む郁美。ユウキとぼたんは互いを見やり……そして苦笑した。
「噂ではすごいことばかり言われてたからどんな怖い女王かとも思ってたけど……」
「噂は寸分違わず、って感じだけど……こんなに可愛い女の子なんだもんなぁ」
「可愛いですか? それはありがとうございます。……でもユウキさん、隣でぼたんさんがちょっと怖い顔してますから、他の女の人をあまり褒めちゃいけませんよ?」
「いぃ!? ち、違うぞ鈴木!? そもそも女王は俺たちより随分年下なんだしこのくらい――」
「ふん!」
「あぁ、ちょ、鈴木〜」
フフフ、と郁美はその光景を見て笑う。
「お二人はとても面白いですね」
「それって喜んで良いのか悲しんで良いのか、複雑だね」
「あはは。さ、ともかく片付いたことですし馬車に乗りましょう。コミックパーティーに向かうんですよね?」
「あぁ、うん」
「あ、そういえば聞くのを忘れてましたが、どうしてお二人は我が国に?」
あー、それは……、とユウキがぼたんを見やる。するとぼたんはユウキに背を向けながらも言葉を受け、
「トゥ・ハートが技術の国ならコミックパーティーは芸術の国として有名だしね。絵画展や漫画の即売会なんかも頻繁にしているし。
私は漫画が大好きだから、いつかコミックパーティーに来ることを目的にしてたのよ」
「なるほど、そういうことですか。……けれどいまは戦時中ですから、あまりそういうことができない状況なんですよね」
「ええ、そういう話もここに来るまでに他の国で聞いた。だからそんな戦い早く終わらせるためにコミックパーティーに傭兵として志願しようと思ってたんだけど……」
「わぁ、それは本当ですか!?」
「え、えぇ……」
郁美は両手を叩き満面の笑みを浮かべる。
「そういうことなら大歓迎です! むしろこっちからお願いしようかとも思っていましたから」
「そんなあっさり、良いの?」
「ええ。お二人の実力は見たばかりですし、申し分なしです。それにわたし女王ですから権限ありますしね!」
えっへん、と胸を張る郁美。後ろで南が小さく溜め息を吐いているが、それでもその表情は笑っていた。
対するユウキたちは顔を見合わせ、そして微笑し、
「ま、最初からそのつもりだったし……」
「良いんじゃない?」
そんな二人に近寄って郁美がそれぞれの手を取った。そうして笑顔でユウキとぼたんを見上げ、
「それではユウキさん、ぼたんさん。しばらくの間、どうぞよろしくお願いしますね」
「ええ、こちらこそ」
「よろしくな、郁美ちゃん」
こうしてコミックパーティーに新たな力が加わったのだった。
あとがき
えー、どもども神無月です。
はい、長いですね(ぁ
まぁ番外章に限っては「切って次にもっていこう」ってことができないので仕方ないと言えば仕方ないんですけどね……(汗
それはさておき。登場の「ぱすちゃC」組の薙原ユウキと鈴木ぼたんです。しばらくはコミックパーティー勢として登場します。
これからの彼らの活躍(とバカップル振りw)にご期待くださいな〜w
さて。次回の番外でキー大陸編の番外は終わりです。次回も新キャラが数人出てきますのでお楽しみに。
ではまた。