神魔戦記 第百二十九章

                       「小牧姉妹(前編)」

 

 

 

 

 

 六ヶ国首脳会議は終わった。

 その場で解散となり、帰りもトゥ・ハートの小型空船で送ってくれるのだという。

 だが、

「香里、お前は一足先に戻っていてくれ」

 トゥ・ハートの王城内、その廊下を歩きながら祐一はそんなことを言った。

 だが隣の香里も既に理由はわかっているのだろう。驚くことなく頷く。

「あの小牧姉妹に会うのよね?」

「あぁ」

 小牧姉妹。

 呪具開発においては右に並ぶ者なしとさえ言われ、事実現在世界に出回っている呪具の大半の元はこの小牧姉妹によるものである。

 そんな小牧姉妹に会うのは、呪具を作ってもらうという理由ではない。

 芳野さくら。

 凍結封印された彼女の身に刻まれた原初の呪具を停止、あるいは取り除いてもらうためだ。

「上手く会えれば良いわね」

 少し驚いたことなのだが、小牧姉妹はどうやらトゥ・ハートの軍属ではないらしい。

 いや、よく考えてみればそれも当然なのだ。でなければ他国の軍属である杏や茜に呪具を作り渡すはずなどないだろう。

 よってトゥ・ハート軍を頼ることはできない。軍としても小牧姉妹を束縛する気はないようで、自由にさせているのだとか。

 ――さすがは芹香女王ってところだな。

 本来それだけ突出した能力があるのなら国で束縛するだろう。特に兵器開発の第一人者ともなれば、他国にさらわれるなどの危険性も出てくる。

 けれどそれをしないというのは、おそらく小牧姉妹の人権や自主性を重んじているから。

 それは簡単なようで、なかなか難しい決断だろう。それを通しているだけやはり大物だと祐一は思う。

 二人は廊下を抜け、そのまま小型空船が並んでいる屋外に進んでいく。

「小牧姉妹の住居……というか工房の場所は知っているの?」

「知らない。だからあいつを連れてきたんだろ?」

「あ、そういうことだったのね」

 そうして二人が見る先。カノン用の小型空船の横に一人の少女が立っていた。

 紫の長髪を靡かせてカノンの紋章が刻まれた鎧を着込むその少女は、

「おかえり」

 藤林杏だ。

「案外早かったのね?」

「あぁ。エアとの休戦協定と対シズクの作戦概要を説明してもらっただけだからな」

「ふーん。そのまま親睦会とかにはならないんだ?」

「さすがにやることの多い現状ではな。……ん?」

 そこで祐一は杏の表情がわずかにおかしいことに気が付いた。

「お前……なんか疲れてないか?」

「あ、やっぱわかる?」

「あぁ、少し覇気がない。どうした?」

「いや、さっきまで探し回ってたから」

「探し回っていた……ってなにを」

「正確には『何』ではなく『誰』ね。で、探してたのはリリス」

 思わず祐一と香里は互いを見やった。

「……リリス?」

「そ」

 杏は頷き、溜め息混じりに手を振り、

「あの子、どうやらあたしたちと一緒に小型空船に勝手に乗り込んでたみたいなのよね」

 リリスには気配完全遮断の能力がある。確かに隠れて乗られたら気付くことはできないだろう。

「どうも祐一を驚かせたかったらしいんだけど寝入っちゃったらしくて。で、あんたに会うのは駄目、って言ったら逃げちゃったのよ」

「なるほど。それでお前がリリスを探しに行ってくれたわけか。……それで、リリスは?」

 周囲を見回すが、リリスの姿は見当たらない。まさかまだ見つかってないのだろうか?

「一応、見つけはしたんだけどね。説得に失敗したというか……」

「説得?」

「うん。あの子、しばらくトゥ・ハートに留まりたいんだって」

「留まりたい?」

「あたしが見つけたのはトゥ・ハート軍の訓練場。そこでトゥ・ハートの部隊の人にいろいろ教わってたわ。

 知ってるでしょ? 速術機甲部隊。トゥ・ハートの四大部隊の一つの。あそこでね」

 杏は嘆息。しかしその表情は呆れというより……むしろ誇らしげな微笑。

「強くなれそうだから、このままここに留まって訓練をしたい。強くなってパパやママや皆を守りたい……だって。

 あのリリスがよ? とんでもないこと言い出すけど聞き分けは良いあのリリスが、自分で決めてあたしの言葉を遮った。

 祐一や佐祐理としばらく離れることだってわかっていながら、そう言ったの。そこまでの想いを……あたしは止められないわ」

 杏の視線が祐一に向けられる。

「どうする祐一? 引き戻す?」

「……いや」

 祐一は首を横に振った。

「そういうことなら、任せよう。速術機甲部隊の連中はリリスがカノンの者であるとわかった上でも、教えると言ったんだろう?」

「うん。何倍にも強くして帰してやるよ、って隊長さんからの伝言」

「そうか。なら言うことはない。リリスはしばらく預けることにしよう」

 ここ最近、確実にリリスは感情が豊かになり始めている。

 以前であればそんなことは言い出すまい。少なくとも強くなることより祐一や佐祐理の傍にいることを望んだだろう。

 けれどそれを蹴ってまで彼女はここに留まる決意をした。強くなる、という確信のもとに。

 ならばその意思を尊重したい。リリスが自分で決めて出した結論であるのなら、祐一には何を言うつもりもなかった。

「……ふふ」

「なんだ香里。やぶからぼうに笑い出して」

「いいえ。リリスのことを考えているんでしょうけど、本当にあなたは父親なんだな、って」

 言っている意味がわからず目を瞬かせる祐一に、香里は悪戯っぽい笑顔を浮かべて、

「すっごい父親っぽい顔してたわよ、あなた。娘の成長を誇らしく思うようでいて、一抹の寂しさを感じてるような、そんな微妙な表情」

「……そんな顔、してたか?」

「してたわ。ねぇ、杏?」

「ええ、確かにそんな感じの顔だったわね」

 笑い合う香里と杏。その二人の態度に祐一は渋い顔を見せた。

 と、

「お、相沢王か」

 穏やかでありながらどこか威厳も含んだ低い声に、祐一たちは誘われるようにしてそろって振り返った。

 そこにいたのは白い仮面を被った男、王国ウタワレルモノの王、ハクオロだった。

「ハクオロ皇。帰るところか」

「こちらとしても戦の準備をせねばならないからな。……本当であれば、相沢王と酒を交わしたりもしてみたいところだが」

「そうだな。それは俺も思う」

 祐一の後ろに控える香里と杏、そしてハクオロの後ろに控えるベナウィもまたそんな二人の気持ちがなんとなくわかった。

 似ているのだ、この二人は。

 誰もを惹き付けるカリスマ性、的確な指示、抜群の統率力に加えてその聡明さ。

 かといって鼻にかけるようなことはなく、あくまで周囲と対等の位置関係を望み、信頼を勝ち取る。

 更に言えば、仲間と共に当時の国主を討ち新たに国王として君臨した、という過程さえ二人は酷似していた。

 それだけ共通点が揃っていれば、互いが互いを気にするのは道理だろう。

 どういう気持ちでこれまでの戦いを切り抜けてきたのか。これからの未来をどう思うのか。おそらく二人の会話は事欠かないはずだ。

「……けれど、いまはそんなことをしている余裕もない」

 祐一の苦笑に、ハクオロも頷く。

「あぁ。一献交わすのはシズクの件が片付いてから、だな」

「それは楽しみだ。ハクオロ皇とはいろいろと話したいこともあるし、聞きたいこともある」

「それはこちらも同じだ」

 決して王としての駆け引きはそこにはない。純粋に相手を知りたいと思う……そう、一種の友情がそこにはあった。

 まだほとんど知りもしない国の王相手にその態度はあまりに友好的すぎやしないか、とも周囲の者たちは思うが……それは違う。

 噂を聞き、己の目で見て、互いに理解したのだ。この男が王である以上、この国と戦になることは断じてないだろう、と。

「では、その時を楽しみにしていよう。私たちはそろそろ戻る」

「あぁ、それではまた一週間後に。ハクオロ皇」

 ハクオロが頷き、後ろに付き従うベナウィも一礼してその場を後にした。

「……はー。人を無条件に惹き付ける存在って案外いるもんなのねー。まさか祐一クラスの人間が他にもいるなんて、驚きだわ」

 その後ろ姿を目で追った杏が賛辞を呟く。だがその隣にいた香里は違ったらしい。

 その表情は、どこか複雑なものだった。

「どうしたの香里?」

「……いえ。この前の戦いのときからちょっと気になってたんだけど……ハクオロ皇を見ていると変な気分になるのよね」

「変な気分?」

「ええ。……憎しみ、寂しさ、喜び、安らぎ。相反するような感情が渦を巻いているとでも言うのか……」

 当人もよくわからないのだろう。要領を得ない説明だった。

「ふーん。まぁ生理的に受け付けない者って少なからずいるし、香里にとってハクオロ皇がそういう相手だったんじゃない?」

「そう……なのかしら」

 だがその当惑も一瞬で消える。香里はすぐに表情を戻すとかぶりを振り、

「まぁ良いわ。あたしも一足先にカノンに戻るわね」

「頼む。国内の政務に余裕があるようなら先にクラナドへ向かっておいてくれ」

「御意」

 一礼。踵を返し香里は小型空船に向かっていった。その後ろ姿を見送り、祐一と杏は互いを見やる。

「さて、それじゃあ俺たちも行くか」

「そうね」

「ちょっと待ってくれ相沢王」

「ん?」

 だが動き出す前に、そんな声が届いた。

 少し慌てたようにして駆けてきたのは浩平だった。その後ろには茜もいる。

「折原王。どうした」

「いや、ちょっと帰る前に聞きたいことがあったんだ……が、どうやら帰るわけじゃないみたいだな?」

「あぁ、ちょっと野暮用がな。それより、用件は?」

「そうだったそうだった」

 浩平の表情がわずかに翳る。彼にしては珍しい表情に祐一が眉を顰めた。

「どうした?」

「いや。あのさ、クリス……カノンにいたりしないか?」

「クリス? クリス=ヴェルティンのことか?」

 頷く浩平。だが、

「……いや、俺の知る限りじゃ来てはいないと思う。杏は知っているか?」

「あたしも知らないわね」

「だ、そうだが」

「そっか」

「どうかしたのか?」

 あー、と浩平は唸り、

「実は、な。……この前の戦い以降、クリスのやつ行方が知れないんだ」

「行方不明……?」

「あぁ。一応、戦死したわけじゃないっていうのは確認取れてるんだけど……」

 なんとなく、祐一にはその理由が思い浮かんだ。おそらく浩平もわかっているのだろう。ただそう思いたくないだけで。

 クラナドの王、宮沢和人に成り済ましていた高槻和幸はクリスにとって最愛の彼女を殺した怨敵だった……という事実は有紀寧から聞いた。

 そして――永遠神剣に呑み込まれたことも。

 剣格が上がるという異常事態が発生し、クリスの性格からは考えられないほどの凶暴性を見せたという。

 剣格が高ければ高くなるほど神剣の意思は強まり、自我も強烈になる。

 特に四位は自我が強く、所有者の意思を無視して――というより意識を乗っ取って好き勝手に動く剣もあるのだと聞く。

 クリスの神剣は四位になった。その危険性は……極めて高い。

「……ま、あいつなら心配しなくても大丈夫だろ」

 浩平とクリスは国主と部下という関係以前に友人でもある。

 心配しているのははっきりと見て取れるのに、それでも浩平は笑ってそう言い切った。

「おっと、そうだった。もう一つ」

 そしてそんな表情もすぐに打ち消され、いつもの軽い調子に口調が戻る。

 決して表情同様に心もすんなり切り替えられてはいまい。が、それをおくびにも出さないのがこの浩平という男の在り方なのだろう。

 そのひょうきんな物言いや表情の裏に、いったいどれだけの思いが隠されているのか。

 ともあれ、祐一は浩平の言葉の続きを待つ。だが、今度聞こえてきたのは予想外の台詞だった。

「すぐじゃなくて良い。けど近いうちにワンに来てくれないか?」

「俺が?」

「あぁ。あと出来れば水瀬家の人も一緒に」

 思わぬ名が出てきた。

「どういうことだ?」

「いや、実はちょっと説得して欲しい相手がいるんだ」

「説得……?」

「あぁ。うちの領土の中に広範囲戦闘が出来るやつに一人心当たりがあるんだ。できれば力を貸して欲しいんだがあそこは頑なだし……。

 同じ魔族七大名家なら少しは聞く耳持ってくれるんじゃないかと思ってな」

「同じ魔族七大名家? 待て、それはまさか……」

 祐一はすぐに悟った。

 七つの家系においてワンを生まれとする者はいない。とすれば移住してきた者。そして広範囲攻撃を主とする家系となれば、答えは一つしかない。

「まさか姫川家がいまワンにいるのか!?」

「さすが同じ魔族七大名家。いまの会話だけでわかるのか」

 だが、祐一はすぐに難しい表情を浮かべる。

「……いや、だとすると正直俺たちでもどうにもならないかもしれないな」

 姫川家といえば魔族とは思えないほど温厚な一族で、むしろ戦いを拒絶している者たちだ。

 もちろん魔族七大名家に名を連ねるほどの者、その能力は極めて強力なのだが……。

「なんせ、あそこはむしろ人間族や神族より魔族を敵視している」

「え、そうなのか?」

「まぁ無理もないんだけどな。あそこは魔族では臆病者、裏切り者と呼ばれている家系だ。むしろ敵は魔族の方が多かったんだろう」

 降りかかった火の粉を払いはするが、極力戦いを避けるため姫川の家は一つの場所に留まらない。

 見つかり襲われたら敵を迎撃し、移動。その先でまた見つかり襲われたら敵を迎撃し、移動。その繰り返し。

 故に姫川は『流浪の家系』と呼ばれている。一つの地に根を下ろさず、移動する一族。

「そうかー。……でも、駄目元でどうにかならないか?」

「……まぁ、そういうことなら」

 十中八九無理だとは思うが、祐一は頷いた。

 祐一は魔族七大名家の知識こそあれほとんどの者たちと会ったことはない。

 自らの相沢を除けば、水瀬と君影――正確には違うが古川の三家のみ。正直な話、祐一は今代の姫川家の当主に会ってみたかった。

 まだ魔族が世界に跋扈し争いを好んで生み出していた騒乱の時代の中でさえ不戦を貫いた温厚なる魔族、姫川家。

 多分に自己の興味が含まれていたが、それでワンの助けになるのならこの貴重な時間を割くだけの価値はあるだろうから。

 そんな祐一の返答に浩平は満足気な笑みを浮かた。

「おう、助かるわ。で、こっちに来るのどのくらいになりそうだ?」

「ここでの用事が終わったらすぐ向かおう。……早ければ明後日には」

「オーケイ。それじゃ、歓迎の準備をして待ってるよ」

「ほどほどにな。話を弾ませる時間はないぞ?」

「わーってる。あくまで礼の範疇で収めるよ。じゃ、あまり足止めするのもどうかと思うから行くわ」

 じゃあな、と手を振り浩平、続いて茜が去っていく。

 そんな二人を一瞥し、杏は祐一を見上げ苦笑する。

「王様もいろいろ大変ねぇ」

 祐一は仕方ないさ、と軽く嘆息。

「上に立つとはそういうことだ。お前も……王とは言わず部隊長くらいにはなってみると良い。少しは苦労が分かるぞ?」

「結構よ。副隊長ってだけでも面倒なのに、これ以上責任負わされたらたまったもんじゃないわ」

「そうか。お前なら十分優秀な指揮官になれると思ったんだが。……ともあれ、そろそろ行くか。時間も惜しいしな」

「そうね。それじゃあついてきて。小牧姉妹の工房に案内するから」

 そうして祐一たちも移動を開始した。

 

 

 

 呪具開発の天才と称される小牧姉妹。

 姉の小牧愛佳は新たな(まじな)いを込めた呪具を作る才能に特化し、

 妹の小牧郁乃は既存の(まじな)いを縮小化する才能に特化している。

 互いの分野は違えども、その道では間違いなくエキスパート。故に二人揃えばその能力は計り知れないものがある。

 さて、そんな二人はと言えば……。

「郁乃〜、お茶飲むー?」

「飲むー」

 平和な一時を過ごしていた。

 ここは彼女たちの工房。呪具開発を生業としているため働きに出る必要がなく、気ままに呪具を作る毎日だ。

 今日も今日とてそんな日々。

 デスクの上で短剣をいろいろと弄っている小柄な少女。線が細く、髪を横に流し一方で結んでいるその少女は妹の小牧郁乃だ。

 おそらく(まじな)いを仕込んでいるのだろう。専用の針に魔力を通し、短剣の刃に文字を刻んでいた。

 (まじな)いは文字魔術と似てはいるが、まったく違うものだ。

 文字魔術は刻む、あるいは書いた文字に魔力が宿るものだ。これは法具も同じである。

 が、呪具は違う。文字自体は単なる鍵でしかなく、既に術場として出来上がった『呪い』を文字に宿す。そこに魔力は存在しない。

 だから刻んでいる時点でこの呪具の作成はもう大詰めだ。最終工程と言って良い。

「どう、出来は?」

 お盆にティーカップとお茶請けを乗せて奥からやってきたのは郁乃の姉、小牧愛佳。

 どこかぽややんとした雰囲気を醸し出し、にこにこと微笑んでいる様はなんとも平和だ。

 愛佳が郁乃の近くのテーブルにお盆を置いて座る。ティーカップを差し出す愛佳に郁乃はありがとう、と返しつつ短剣を掲げて見せた。

「良いんじゃない? 特に失敗もしてないし」

「今度は何を入れたの?」

「適当。とりあえず小さめなのを五つ」

「五つ? そんな小さいのによく入るねぇ〜」

「お姉ちゃんはなんでもかんでも荒いのよ。新しい場を作るのはあんなに上手いのに、どうして余分なスペースを埋めないのよ」

「うーん、そういう理詰めはちょっと……。余分な部分なんて見えないし。そういうのは郁乃に任せるよ」

「はぁ、これだからこの姉は……」

 呆れたかのような態度ではあるが、その表情は笑みのまま。愛佳もずっと微笑んでいる。

 パッと見では姉妹だとわかるほど容姿も雰囲気も似ていない。だがそんなことを差し引いても二人の間に漂う空気はまさに仲の良い姉妹だった。

「よし、完成。それじゃ休憩にしますか」

「はい。今日のお菓子は……じゃじゃーん、これで〜す」

「スコーン? 別に珍しいものでもないじゃない」

「ふふん? ところが、そうじゃないのよ〜。とりあえず食べてみて?」

 ほのかな自信を見せ、促してくる愛佳。とりあえず言われるままに郁乃はそのスコーンに手を出した。

「ん?」

 口に含んだ瞬間に広がるこの甘さは……、

「……ハチミツ?」

「そうなの〜。アルルゥちゃんから瓶詰めにしてお裾わけを貰ってね? どうせだから使ってみたの。どうかな?」

「ん、美味しいけど」

「でしょー? だよね〜? うん、美味しいよね〜」

 本当に嬉しそうに言う愛佳。ご機嫌な表情で自分もヒョイパクヒョイパクとスコーンを食べていく。というか、

「アルルゥって……ウタワレルモノの? 交流あったんだ?」

「ふぇ? ふんひょっとひほひほと」

「……食べるか喋るかどっちかにしなよバカ姉。そんなことじゃ貴明に嫌われるよ?」

「ふぐっ」

 喉に詰まらせたのか涙目で胸を叩く。そのまま近くにあった紅茶に手を出すのはまぁ仕方ない行動なのかもしれないが、

「あっつー!?」

 それもまたお約束な展開だった。

「ど、どどど、どうしてそこでたかあきくんの名前が出てくるのよ〜っ!?」

 けれど愛佳はその熱さよりそのことの方が気になるらしい。今更、と思いつつ郁乃はスコーンをかじる。

「どうせこのスコーンだって見舞い品として作ったものなんでしょ? んなのわかってるって」

「ち、ちがっ!」

「違うの?」

「ちが! ……く、ない、けど……」

 言葉尻が小さくなっていくと愛佳に郁乃は苦笑一つ。

「お姉ちゃんも一途だよねぇ。もうほとんど完治してるんでしょ? わざわざお見舞いになんか行かなくても良いと思うけど」

「そ、そんなことはないよ? ほら、完治祝いというかなんというか……。それに貴明くんにはいつもお世話になってるし」

「はいはい。惚気もほどほどにね」

「の、惚気なんかじゃないんだってば〜!」

 ぶんぶんと腕を振り回しながら抗議してくる愛佳だが、郁乃は完全にスルーを決め込んでいた。

 スコーンを食べ終え、紅茶を一口。ごちそうさま、とカップを置いて郁乃は椅子から立つ。

「さて、それじゃあちょっと出かけてくる」

「あれ? どこに行くの?」

「ちょっと材料の調達。今日は調子良いからこのまま別のも作っちゃおうと思って」

「あ、それならあたしも……」

「あのね、これでも営業中なのよ? 店番一人もいないでどうするの」

「うっ……」

「わかったら大人しくしてなさい」

「は〜い」

 しょぼくれながらスコーンをかじる愛佳。その姿はさながらリスのような可愛さで、これで傾かない貴明もとんだ食わせ者だとつくづく思う。

 確かに性格は良いし見た目だって悪くない。ただ、姉がここまで入れ込むほどの相手かと問われると郁乃はいつも悩むところだ。

 ――ま、価値観なんて人それぞれだけど。

 それに正直姉と貴明ならお似合いだ、とは思う。まぁ貴明の方は周囲に女性の影が多すぎるわけで、誰が本命なのかまるでわからないんだが。

 とりあえずお姉ちゃんを泣かせたら殺す、と思ってるあたり郁乃は無意識なシスコンと言えよう。

「いってきます」

「うん。いってらっしゃ〜い」

 そんな心配をよそに笑顔で手を振る愛佳に見送られ、郁乃はゆっくり工房から外へ出た。

 直後に降り注ぐ太陽の光に目を細め、郁乃は手で傘を作りながら呟く。

「恋……ねぇ」

 自分にはまだ縁のないものね、と郁乃は街に繰り出した。

 

 

 

 その頃、祐一たちは……。

「……杏?」

「あ、あはは……」

 迷っていた。

 現在いるのは王都でも中央に位置する噴水広場である。ここから東西南北に中央通りが並び、各種の店が立ち並んでいるわけだが……。

「確か俺の記憶が確かなら、ここに来るのは二度目だな? それともこういう噴水広場は二つ三つあるのか?」

「うっ。……わかっててそういうこと言う人間は器量が狭いと思われるわよ……」

「ちょっと言ってみただけだ」

「おかしいわね〜。東西どっちかの中央通りの一つ目か二つ目の脇道から入ったところにあったはずなんだけど……」

 さっきから杏はこの調子で唸ってばかりだ。記憶はあるようだが、どうも細部を勘違いして覚えてしまっているようだ。

 かれこれあれから一時間ほど経っているのだが、いっそ城に戻って誰かに聞いたほうが早いだろうか、と思ったところで杏が勢いよく振り返った。

「よしわかった。あたしが一人で探してくるから祐一はこの辺で待ってて」

「いや、俺も一緒に――」

「駄目! あたしが見つけるの! 絶対待ってなさいよ!」

「あ、おい」

 祐一の制止も聞かず、杏は走っていってしまった。

 案内役を買って出た以上、自分で見つけなければ気がすまないということだろうか。なんとも杏らしいというか……意地っ張りだ。

「やれやれ」 

 仕方なく、祐一は近場のベンチに座る。

 どうやらこの中央広場は東西南北の交差地点というだけではなく、憩いの場としても使われているようで人の出入りはかなり激しい。

「……カノンより少しせわしないな」

 人口が多いのか、はたまた別の要因か。行き交う人々のスピードがかなり早く、時の流れがカノンとは違うような錯覚さえ感じてしまう。

 技術が発展しているからもう少しゆとりある国なのかと思えば、どうやらそうでもないようだ。

 そんな風にボーっと人を観察していると、

「泥棒だー!」

 そんな叫び声が聞こえてきた。

 

 

 

「泥棒だー!」

「んう?」

 郁乃が口にホットドッグをくわえたまま店から出てきたとき、そんな声と一緒に目の前を高速で横断していく三つの影があった。

 兜で顔を隠した三人組。トゥ・ハートにおいてはアンティークと言われても過言ではない何の魔力処理もされてない鉄製の兜だ。

 純粋に防御能力ではなく顔を隠すために使用しているのだろう。

 しかしその土煙を上げている足の装備は、どう見ても走行機甲(スライダー)だ。

 とはいえ旧式。浩之率いる速術機甲(ストライカー)部隊の使用しているそれとは格段に劣る市販品。

「だ、誰か捕まえてくれ! その中には今月の売上金が……!」

 その三人組の後ろ、見るからに重い足取りでやって来る老人。この辺りでよく買い物をする郁乃は、その老人がすぐそこの果物屋の店主であることを思い出した。

「ふぅん」

 郁乃はホットドッグを口に放り込み豪快に飲み下すと、

「ね、ちょっとこれ持っててくれる?」

「は?」

 偶然隣にいた見ず知らずの女に持っていた荷物を放り投げる。条件反射でキャッチするのを見届けて、郁乃は三人組に視線を移した。

「落としたり壊したりしたら承知しないから」

「え、ちょ!?」

 女の制止も聞かず、郁乃は一気に足を踏み出す。

「――勢いは加速する――」

 ダン!! と道に皹が走り、一気に郁乃の身体が風となった。

 立ち並ぶ人の群れを縫うようにしてその身が大気を切り裂いていく。

 速い。まさに高速。三人組の走行機甲(スライダー)が霞むほどの加速を見せて郁乃は数秒で追いついた。

「!?」

 そのうちの一人が郁乃に気付き、銃を向けてきた。

「魔導銃ね。なかなか洒落たもの持ってるじゃない」

 撃つ。純粋な、なんの加工もしていない魔力が弾となって撃ち出される。

 しかし郁乃の対応はその三人組を驚かせるには十分なものだった。

 なんせ、郁乃は素手でその魔力弾を受け止め、挙句握りつぶしたのだから。

「なっ――馬鹿な!?」

「結界作るのも面倒だったし。これくらいなら――ね!」

 急ブレーキ、軸足を立て身体を捻り、郁乃の回し蹴りが魔導銃を握っていた男の首に直撃した。

「〜〜!」

 声にならない悲鳴をあげ、その男が真正面の店の壁にまで高速で吹っ飛ばされた。

 まぁ仕方ない。なんせ現在、「勢いは加速される」という(まじな)いが展開中。吹っ飛ぶ速度も尋常ではない。

 その光景に恐怖を覚えた残りの二人が一目散に逃げ出すが、遅い。郁乃のスピードから逃げ切れるものではない。

 すぐにもう一人に追いつき、かかと落としで地面に減り込ませた郁乃だったが、

「あ」

 そのうちに一人は噴水広場を抜け、狭い路地に入ろうとしているところだった。

 そうはさせるか、と追撃体勢に入ろうとしたところで、

「うわ?!」

「?」

 ガクン! と何かに引っ張られるようにして男の動きが突然止まった。

 どうしたのかと近付いてみると、男の影に剣が縫い付けられるようにして刺さっていた。

「……『影縫い(シャドウ・スナップ)』?」

 とりあえずぶん殴り男の意識を刈り取っておいて、その剣を抜く。すると不意に郁乃の前に誰かが立った。

「それは俺のだ。一応見て見ぬ振りもできなかったから手を出したが……いらない世話だったな」

「あ、そうなんだ。ありが――」

 ありがとう、と最後まで言うことができなかった。

 見上げた先、そこにいる男を見て郁乃の意識は一瞬完璧に吹っ飛んだ。

 黒曜石のような澄んだ瞳、絹のような黒髪、落ち着いた物腰、壮大な雰囲気、節々から見て取れる力強さ。

 そのどれもが、郁乃の何かを掴んで離さない。目が、逸らせない。

「? どうかしたか?」

 その声さえ、届いていたかどうか。

 郁乃は自分の胸に何か温かいモノが灯ったのを自覚した。

 勝手に高鳴る鼓動。周囲の音が一切聞こえない。いま、全ての五感は正面の男にのみ注がれていた。

 そして、それがどういった感情なのかも、うっすらとではあるが郁乃は理解した。

 ――あぁ、こんなことってあるんだ。

 一目惚れ。

 そう。小牧郁乃は、その男――相沢祐一に一目惚れをしてしまったのだった。

 

 

 

 あとがき

 どうも神無月です。

 ……えー、また伸びてしまいました。何故だろう、まだ始まったばかりなのにw

 いや、まぁ理由はわかってるんです。日常風景とか予定になかった会話とか挟んでるからだ、ってことくらい。

 でもやっぱりこういうのは書いておいた方が幅が出るというかなんというか……はい、もう言い訳しません。予測ミスですorz

 ってわけで、次回も小牧姉妹のお話。

 そしてお待たせしました! 多分例の彼女復活もこの回に収まるかと思います!

 

 

 

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