神魔戦記 間章  (百二十八〜百二十九)

                     「リリス」

 

 

 

 

 

 トゥ・ハートに来るため祐一と香里が乗っていた小型空船にはもう一人、杏が乗っていた。

 会議が終わった後、小牧姉妹の工房へ案内する役として、その知り合いである杏が同席したのだ。

 が、実は三人のほかにもう一人、無断で乗り込んだ者がいたりする。

 相沢リリス。

 気配完全遮断能力の持ち主であるリリスは、誰に気付かれることなく一番後ろの貨物スペースに勝手に乗り込み、

「すー……すー……」

 あまりの退屈さに寝息を立てていた。

 

 

 

 リリスがこんな行動を取った理由は、もちろんある。

 先日、ルミエが渚の魔力を抑える呪具をようやく完成させ、リリスに久しぶりの休日が訪れたからだ。

 しかし祐一は会議、佐祐理もまた部隊の再構成で忙しいということでリリスとしては不満が募り――その末の結果だった。

「ん……」

 そんなリリスが目を覚ましたのは、既に小型空船がトゥ・ハート王国に到着した後のことだった。

「……近くに人の気配はない」

 用心深く周囲を確認してから、リリスはドアを開けゆっくりと降り立った。

「おー……」

 リリスはカノンで生まれ、未だカノンから出たことはない(エアにはアゼナ連邦のふもと近くまでしか行ったことがない)。遠征時はほとんど待機組だったからだ。

 即ち、このトゥ・ハートの地がリリスにとって生まれて初めての『外国』と言っても良いものだった。

 リリスは興味深そうに周囲を見やる。

 とにかく、見るもののほとんどがカノンとは違うものばかりだ。ここは城の一区画のようだが、それでもそう思うのなら街に出たらどうなるのだろう。

 その『興味』という感情もまた、昔のリリスにはなかったものだった。

 と、

「え、リリス……? なんでこんなところにいるのよ」

「あ」

 周囲の光景に気を取られて声を掛けられるまで気付かなかった。

 慌てて振り返った先にいるのは、当然カノン王国軍の腕章をした藤林杏である。

 その杏は口をぽかーんと開けてリリスを見ている。しかしリリスの能力を思い出したのだろう、杏は呆れたような表情で溜め息をこぼした。

「気配完全遮断、か。わかるはずもないわね。……それに、それ」

 杏の視線がリリスの右腕に向けられる。

 そこには、杏と同じくカノン国の人間である、ということを指し示す腕章が付けられていた。

「リリスがそんなことに考えが至るはずがない。……誰か差し金がいるわね?」

「ママがついていくならこれだけは絶対につけていなかくちゃ駄目だ、って言ってた」

 リリスがママ、と呼ぶのは戸籍上の母親である有紀寧や観鈴ではない。カノン王国軍の魔術部隊長、倉田佐祐理のことだ。

 杏はどういった経緯でリリスがそう呼ぶことになったかは知らないし、最初こそ佐祐理も慌てていたが、現状ではもはや周知のことである。

 まぁ、最初は観鈴も有紀寧もかーなり複雑そうな表情をしていたものだが……。

 閑話休題。ともかく佐祐理はこのことを知っていたということなのだろう。まぁどことなくこういう悪戯が好きそうな性格である。

「……それで? 隠れてついてきた理由はなに?」

「パパと一緒にいたかっただけ」

 リリスは隠そうともせず本心をすぐに告げた。おそらく当人、悪気などまるでないのだろう。

 杏もさすがにこの態度に怒る気をなくしたらしく、苦笑交じりにその肩を叩いた。

「あのね、リリス。祐一はいま大切な会議に出席してるの。だからあなたと一緒にいるわけにはいかないのよ」

「お仕事?」

「そう。お仕事。だから無理なの」

「絶対?」

「絶対」

「どうしても?」

「どうしても。だからここであたしと待ってましょうね」

 んー、と不満そうに唸るリリス。だが数秒後、納得したかのように頷いて、

「……わかった」

 わかってくれたか、とウンウン頷く杏に対しリリスはビッ! と親指を立てて、

「じゃあ遊んでくる」

「わかってないでしょあんた!?」

「……駄目?」

「可愛く小首を傾げて見せてもあたしは誤魔化されないわよ! 駄目なものは駄目!」

 そんな杏をリリスが半目で流し見る。その表情はまだ諦めているようには見えなかった。

 何かしでかすかもしれない、と無言で注視する杏の目の前でリリスの取った行動は右手を顔に近づけるという一見意味の分からない行動だった。

 杏は知らなかったのだから仕方ない。が、その反応の遅さが仇になった。

「……クラウ」

Aya Ma'am.

「!」

 杏の驚きも遅い。バリアジャケットを展開したリリスは跳躍すると背部ブースターを点火、杏の頭上を跳び越え一瞬で遥か先へすっ飛んでいった。

「ちょっとリリス、あんたまさかそれインテリジェントデバイス!? っていうか待ちなさい!」

「ばいばい」

「こらぁー!!」

 杏の言葉も聞かず、リリスは城壁を飛び越え、彼方に消えていった。

「あぁもう、なんて速さよ! ……いや、それより!」

 リリス自身に悪意がなくても、彼女の行動がトゥ・ハートを刺激してしまえばこの会議さえ危うくなってしまう可能性もある。

 それだけはなんとしても阻止せねば。

「まったく……損な役回りよね、あたしも!」

 そう一人愚痴って、杏はリリスが跳んでいった方向へ走り出した。

 

 

 

 リリスはまだ魔術が使えないので空を飛べない。背部ブースターはあくまで加速装置であり、空を飛ぶ機能は持ち合わせていない。

 だからリリスは城壁を跳び越えて眼下に街並が見えたとき、思わず首を傾げてしまった。

「……あれ?」

 寝ていて気付かなかったようだが、どうやらさっきまでいた場所は城の中でも割かし高い場所にあったらしい。

 つまるところ――かなりやばい。

「!」

 重力に引っ張られるように、身体が落ち始める。やって来る浮遊感に、しかしリリスは慌てることもなく周囲を見渡した。

 このまままっ逆さまに落ちても……まぁ死ぬことはないだろう。

 バリアジャケットがありかつ肉体強化を施しても足が骨折くらいはするだろうが、行動の障害になるような痛みはシャットアウトする無痛覚+最高度の自己再生能力を持つリリスにとってそんなことは問題にはならない。

 しかし着地時の騒音は半端ではないだろう。騒ぎになるのは大変まずい。そんなことになれば祐一の迷惑になりかねない。

 それくらいの分別がつくくらいにはリリスの知能も上がっていた。

 なら、と人のいなさそうな場所……できれば下への勢いを前方への加速で相殺できるような開けた場所を探す。

 そう。ブースターで噴射しつつ滑り込むことができるような滑走路ほどに広い場所を。

「……あった」

 視界の右側。城から隣接するように広大かつ何も建ってない敷地があった。

 大規模演習場、訓練場といった類のものなのだろう。兵力の多いトゥ・ハートが部隊戦闘の演習をするとなれば確かにあれほどの大きさがなければ満足にできまい。

 だがリリスにとってそんなことはどうでも良い。ようは広くて、あまり人がいなければそれで良いのだ。

 問題はリリスの気配察知能力がそれほど高くなく、街に比べて気配が少ない、程度の漠然とした把握しかできないことだが、

「……ん」

 いまはとりあえずそちらに行くしか道はない。

 リリスは身体を捻り、背部ブースターから火を噴かせてその演習場に向かっていく。

 

 

 

 ちょうどその頃、リリスが見つけた演習場では……。

「ねぇ、浩之ちゃん。もう皆演習始めてるよ?」

「んー……だりぃ」

 トゥ・ハート王国軍四大部隊の一つ、速術機甲(ストライカー)部隊の大規模演習がいままさに始まろうとしていた。

 が、その隊長である藤田浩之は備え付けのベンチに座りボーっとただ前を見つめていた。どう贔屓目に見てもやる気なんて欠片もない。

 浩之は、いわゆる典型的な「やるときはやる」タイプである。

 正義感は人一倍強くここぞというときの行動力は半端ではないのだが、その反動か常時の際はかなりのんびり……というか覇気のない性格をしていた。

 そのここぞ、というときに力を遺憾なく発揮させるための訓練ではあるのだが、四大部隊と呼ばれるだけあって速術機甲(ストライカー)部隊の熟練度は極めて高い。

 だからこそ浩之は毎日毎日繰り返すだけの訓練や書類整理などのデスクワークのときは「無駄だよなぁ」という考えが先行してしまいやる気が出ないのである。

「もう、浩之ちゃんったらぁ……」

 その横で小さく溜め息を吐くのは神岸あかり。背中に生える純白の翼が指し示すとおり、彼女はれっきとした神族である。

 しかも神族四大名家の一つ、神岸の者だ。

 個人戦闘力で言えばこの部隊で浩之に次ぐ力を持っている。

 否、周囲の人間はあかりが本気を出せば浩之……そして綾香や環、芹香とも引けを取らないと言っているが、当の本人はいつも首を横に振っていた。

 だからあくまでナンバーツー。あかりは副隊長というポジションに自ら甘んじている。

 それは多分に私情も含まれていたが、実際この浩之&あかりペアは戦闘面もそうでない面でもバランスが良く誰もそれを咎める者はいなかった。

「でも、ほらやっぱり訓練はしっかりしないと、だよ?」

「わかっちゃいるんだがな〜。……こう、たまには変わったこととかないかねぇ? ドカーンと」

 言った瞬間だ。

 ドガァァァァァァン!! と耳をつんざくような破砕音と風を切り裂く大音響が、浩之たちの訓練場に墜落しそのまま横断していった。

「……こりゃまた、随分とまた派手な変化が訪れたことで」

「の、暢気にそんなこと言ってる暇は無いよ浩之ちゃん! 敵襲かも!?」

「わかってるって」

 言うや否や、すぐさま立ち上がり駆ける。

 浩之の足には走行機甲(スライダー)速術機甲(ストライカー)の要とも言える、名の通り走行を補助する法具だ。

「行くぞ、『紅牙』、『紫貫』!」

 浩之の言葉に、両腕にかけられたブレスレットがそれぞれ輝き、次の瞬間には裏神殺し・魔槍『紅牙』と魔銃『紫貫』になっていた。

「ヒロ!」

「浩之」

「浩之さん!」

 異常事態に同じ部隊の志保、雅史、マルチが後ろに並ぶ。

「とりあえず包囲する。油断はするなよ?」

 走行機甲(スライダー)をかき鳴らしながら部隊が濛々と砂煙の舞う墜落地点を包囲した。ここまでわずか三秒。

 一番最初の墜落地点からはかなり離れている。まるで何かを引きずったかのように地面を抉った一つの線がそこからここままで繋がっていた。

 状況を考えれば、

「ブレーキをかけた……ってことか?」

 そう考えれば合点がいく。ただ、どこから飛来して何故ブレーキをかける必要があったのか、だが……、

「まぁ、本人に聞けば良いだけの話……なんだが」

 砂煙の向こうに人の気配が感じられない。もしかしたら人ではなく物ということも考えられる。

 風にさらわれるようにして砂煙が晴れていく。徐々に緊張感を高めていく部隊の者たちの目に、

「……あれ?」

 ちょこん、と小首を傾げる女の子が映りこんだ。

「「「……」」」

 微妙な空気が漂いはじめる。

 いや、この目の前の少女が見てくれに反してかなり強いであろうことは立ち方でおおよそわかるし、彼女の背中にあるブースターからして普通ではないというのはわかる。

 だが、その少女からは殺気どころか敵意さえ感じられなかった。

 つまりはどういうことなんだ? と誰もが状況を理解できず怪訝に眉を顰める中で、真っ先にそれに気付いたのはマルチだった。

「その腕章……あなたはカノンの人なのですか?」

 マルチの指摘に、皆の視線がその腕章に注がれる。

 確かに腕章に浮かぶ紋章はカノン王国のものだった。

 対する少女は静かに頷き、

「リリスは、相沢リリス」

 そう名乗った。

「相沢……? どこかで聞いた名前だな」

「なに言ってんのよヒロ。カノン王国の王様の苗字でしょ。それに魔族七大名家でもあるわよ」

 あぁ、と得心が言ったとばかりに手を打つ浩之。だがすぐに首を傾げ、

「でも相沢王ってまだかなり若いよな……?」

「まぁ、魔族と人間族じゃ尺が少し違うけど……若いのは間違いなさそうね。それがどうかしたわけ?」

 いや、と首を振り、浩之は真面目な顔で、

「頑張ったんだな、相沢王」

「……ヒロ。それかなりおやじくさいわよ」

「ひ、浩之ちゃあん……!」

「浩之……」

 半目で志保、顔を真っ赤にしてあかり、苦笑しつつ雅史。そして言葉の意図を理解できず首を傾げるリリスとマルチだった。

 志保がこほん、と場の空気を戻すようにわざとらしい咳払いをして、リリスの視線に合わせるように腰を折る。

「で? その相沢王の娘さん……王女さまがこんなところに何の用? あんなハイスピードで」

「パパと一緒にいたかったからついてきた。そしたら杏に怒られた。だから逃げてきた」

「……それだけ?」

 こくん、と頷くリリス。

 思わず呆然とする一同。まぁそれはそうだろう。どう考えても王女の行動ではない。

 実際はリリスは祐一の養子であり王女という呼び方も少し語弊があるのだが、そんなことは知る由もないので仕方ない。

「ぷ、あはははは! 面白いなぁ、お前」

 そんな中、腹を抱えて笑う男が一人。

 もちろん、浩之である。

「ちょ、ちょっと浩之ちゃん! 王女さまにそんな口の聞き方は……」

「怒るようなら最初っから怒られてるさ。それより、えーと、リリスだったか?」

「なに?」

「その武装。なかなか面白いな。永遠神剣か……神殺しか?」

「試作量産型神殺し。インテリジェントデバイスのクラウ・ソラス」

「インテリジェントデバイス? それもどこかで聞いた気がするな」

「ヒロ、あんたやっぱバカね。コミックパーティーの桜井あさひが持ってるのと同じものよ、それ」

 呆れ顔の志保に言われ、浩之は納得の色を見せた。

 インテリジェントデバイス。そう、その響きは桜井あさひの所持している武器と同じものだ。

「そうか。するとやっぱその篭手が主武器なのか?」

「違う。これ」

 リリスが手を翳せば、金と黒で装飾された大型の片手銃が出現する。

 それを見た浩之が一際目を輝かせた。

「へぇ、銃か。これは面白いな……」

「「「……」」」

 こと、ここまで至り速術機甲(ストライカー)部隊の皆々はヒシヒシと嫌な予感を感じ始めていた。

 これまでの台詞や言葉。間違いない。浩之の次の言葉を誰もが予想した。

「なぁ。なんなら一戦やってみないか?」

 やっぱり、という態度が面々に浮かぶ。

 藤田浩之。実はこれでちょっとしたバトルマニアだったりする。

 とはいえ相手を選ばないわけではない。ただ強い相手と腕を競うのが好き、という騎士としては別段おかしくはない感覚である。

 ただその感覚が戦場だけに限らないというだけ。道端で強そうな相手を見るだけでも血が滾る、とちょっと行き過ぎなのが浩之なのだ。

「……模擬戦?」

「おう。俺は強いぞ?」

「ちょっと浩之ちゃん!」

「なに、気にすんな。外交上問題が起こるようなヘマはしない。それに……あっちはもうやる気満々みたいだしな」

 浩之が指差す先、そこには覇気を滾らせるリリスの姿があった。

「――やる。ううん、やりたい」

 突然の展開で自身どういう流れでこんな状況になっているかわからないが、リリスは承諾していた。

 リリスとしても浩之がかなりの手練であることは気配や立ち振る舞いでわかっていた。

 だからこそ、実力を計ってみたいというのがリリスの思い。インテリジェントデバイスを手に入れて、自分にはどれだけの力があるのか。

 これからおそらく激しくなるだろう戦火の中で、大切な者たちを守れるだけの力があるのかどうかを……。

 そんなリリスの態度に何を感じたのか、浩之は微笑み、踵を返して手を振った。

「おっし。それじゃあ早速やるか。じゃあお前たちは下がっててくれ」

 浩之の言葉に速術機甲(ストライカー)部隊の面々が下がっていく。

 中でもあかりは最後まで不安そうな顔をしていた。心配性なやつめ、と浩之は思うがそこがまたあかりらしい、とも思う。

 だが、いまはそれよりも。

「偶然の強敵との遭遇に感謝、だな」

 やや離れ、リリスとの距離を取る。

 リリスの武器は銃。右手に持っている大きな片手銃の他に、腰にもホルスターに収まった銃がもう一丁。更にあの篭手。何かある。

 対する自分は槍と銃。武器の性質上距離は選ばないが、一番得意なのはどちらも利用できる中距離(ミドルレンジ)だ。

 振り返り、相対する。

 最初の距離は長距離(ロングレンジ)。そして、

「行くぞッ!」

「――ん!」

 その宣言と同時、リリスがクラウ・ソラスの銃口を向けてきた。早い。良い動きだ。

 対する浩之は腰を落とし、疾走体勢。走行機甲(スライダー)の車輪が轟音を鳴らす。

 弾け飛ぶようにして始まる高速機動の中、浩之は笑って言った。

「俺の相手は、ハードだぜ?」

 

 

 

 その頃、杏はといえば。

「あぁ、もう! あの子どこ行ったのよ!」

 王都を右に左にウロウロしていた。

 リリスが最初に飛び出した方向に足を向けたのだが、途中で進路を変更したのか近場に姿どころか魔力の残滓さえ感じることができなかった。

 そもそもとして杏は気配察知があまり得意な方ではない。

 基本的に気配察知に長けているのはマナを常に感じ取る魔術師か、先天的に世界の機微に敏感な者のどちらかしかない。

 妹の椋ならいざしらず、元々さした才能も持って生まれてこなかった杏にとって『気配を探る』という探査行為はドブの中に落とした小銭を拾おうとすることに等しい。

 つまり「その辺にあるのはわかるが、正確な位置まではわからない」という程度のものなのだ。

 しかも一旦距離を離してしまえば、「そもそも小銭を落としたドブはどこだっけ?」と致命的なまでに見失ってしまう。

「あれだけ魔力をなんの加工もせず噴射させたらいくら本人が気配遮断能力者でも魔力の気配が残ってると思ったんだけどなぁ……」

 やはり、現実はそう上手くいかないらしい。

 仕方ない。こうなったら目で探す方が何倍も効率的だ、と再び足を動かそうとしたところで、

「!?」

 突然東の方角から強大な魔力の激突を感知した。

 そう、気配察知の低い杏でさえありありと感じられるほどの、魔力が二つ。

 片方は知らない。だがもう片方は……、

「リリス!? まさかどこかで戦闘を!?」

 舌打ちし、杏はすぐさまその方向へ身を進めた。

 

 

 

 噴き上がった魔力の放流が、消失する。

 訓練場のその中央、巻き上がる粉塵の只中において両者の激突の決着は既に着いていた。

「チェックメイト、だな」

「……う、そ」

 首筋に突きつけられた、穂先。

 倒れているのはリリス。立っているのは浩之。

 言葉で言う必要もない。それが、勝敗の結果だった。

「……」

 リリスは呆然としていた。

 彼女は決して自分が間違いなく勝てる、などと慢心していたわけではない。負ける可能性だって十分に考慮していた。

 だが……だが、しかし。

 一撃も当(、、、、)てられず(、、、、)たったの(、、、、)三分程度(、、、、)でここまで完敗するなんて、思いもしなかった。

 確かに、リリスにとって浩之は相性の悪い相手と言える。

 リリスの攻撃は必中の魔眼がある以上間違いなく当たる。だが、『かわせない』だけで『防げない』わけではない。

 それを阻止するためのアウルシュトゥスであり慧輪なのだが、これも強固な存在概念に守られた裏神殺しの前ではあまり意味をなさない。

 その上クラウ・ソラスの攻撃も現段階のリリスでは単純な魔力砲撃だ。圧縮も集約もされていない魔力など、一振りで霧散するだろう。

 だが、そんな次元の話じゃないのだ。

 なぜなら――必中の線が一本たりとも(、、、、、、)見えなかった(、、、、、、)

 必中の魔眼。それは決して放った攻撃を必ず当てるなどという概念や因果を捻じ曲げるものではなく、あくまで『その通りに撃てば当たる』というラインを見せるだけの魔眼。

 故に。

 リリスの腕では万が一にも攻撃を当てられない相手の場合は、必中の魔眼はどんな軌跡も映してはくれない。

 いままでどれだけ速い相手――たとえば舞や真琴などと模擬戦をしてもこんな現象は起こらなかった。

 だが、その二人より浩之が速いわけではない。それは純粋に動きを読まれた結果だった。

 舞や真琴と違い、浩之はリリスと同じ銃使い。なればこそ、あいての動きを見るだけでどのように撃ちこんでくるか、あるいは銃の死角を簡単に見つけてしまう。

 リリスは必中の魔眼があったが故に銃の使い方などマスターせずとも相手に当てることができた。

 しかし、こと銃使いのエキスパートとぶつかってしまえばその力はただ歪でなんの力にもならない、と証明されてしまった。

 圧倒的だ。実力の差が……違いすぎる。

 それを残酷なまでに見せ付ける、これがその結果。

「……っ!」

 途端、胸を締め付けられるような痛みにリリスは思わず目を手で覆った。

 自分が最強だ、などとは思わない。けれど、これでも少しは戦えると思っていた。

 自分は戦いのためだけに生み出され、そしていまではインテリジェントデバイスさえある。

 能力も、武器も。戦いにおける重要なファクターは十分過ぎるほどに持っている。

 なのに、この様だ。あれだけ……大切な人を守るんだ、と息巻いておきながら結局この体たらく。

 胸に去来する痛み。視界がぼやけていく。

 そう、リリスは知らない。

 このふつふつと湧き上がる感情を、人はこう言う。

「悔しい、か?」

「くや……しい?」

「俺にはお前の気持ちはわからない。何を背負い、何を想って、何のために武器を取って戦うかを。

 ……でもお前はいま、間違いなくこの結果を悔やんでる。それだけはわかる。……その涙を見ればな」

「なみ、だ……?」

 言われて初めて気付いた。

 頬を伝っていく雫。涙。それはあのとき――祐一の覚醒に当てられて恐怖したとき以来で……、

「……ぅ、ぅぅ、ううっ!」

 それを認識した途端、どうしてかもう歯止めは利かなかった。

 槍を下ろした浩之は、そんなリリスを見下ろして何を思ったのか、

「よし、リリス。よかったら俺たちと一緒に訓練してみないか?」

 そんなことを言ってきた。

「え……?」

「戦ってみてわかった。お前は強い。だけど、元が強すぎるからその能力に依存したり、武器に頼りすぎる感がある。

 相手がそれなりの相手ならそれでも通用するだろうが、そうじゃなければいまみたいに返り討ちにあうだけだ」

 だけど、と浩之は前置きして、

「リリスは戦い方を知らないだけなんだ。それさえ知れば、お前は一気にステップアップするだろ。もう素材は十分なんだからな」

「……ホント? もっと、強くなれる?」

「なれる。間違いない」

 浩之は自信満々に頷き、

「銃の扱い方は俺や雅史が教えてやれる。短剣の使い方は志保が、魔術関係もあかりが詳しい。ほらリリスにとってうちの部隊は都合良いだろ?」

 手を差し出した。

「ほら、どうする? お前の目指すもののために、俺たちは必要じゃないか?」

 この先は自分で選べ、とその顔は物語っていた。

 他の者たちは浩之に全権を一任しているのか、なにも口を挟んでこない。

 だから選ぶのはリリスの意思のみだ。

「……」

 リリスは一瞬躊躇するように、しかし涙を拭ってその手を取った。

「リリスは……強くなりたい」

 そう、ハッキリと告げて。

 

 

 

「……これは一体、どういうこと?」

 大慌てでその場所にやって来た杏だったが、まるで状況が理解できなかった。

「良いか。銃はただ撃てば良いだけじゃない。何よりも優先すべきは撃つ前と撃った後の挙動。無駄があればその分自分の首を絞めることになる」

「うん」

 なんでか、リリスがトゥ・ハートの軍人と一緒に訓練をしていた。

 しかもリリスの方はかなり真面目な顔で。……いままでカノンで訓練していたときでさえ、あんな切羽詰った表情をしてはいなかった。

「杏」

 ボーっとその光景を眺めていた杏に、リリスが気付いたらしい。小走りにこちらに近付いてきた。

 それを見て我に返った杏は、とりあえずの疑問を投げかける。

「リリス。……あんた、何してるわけ?」

「訓練」

「いや、それは見たらわかるけど……」

 聞きたいのはその経緯やら過程のことなんだが、と頭を抱えたところで、

「それは俺から説明するよ」

 さっきまでリリスに銃を教えていた男がやって来た。

「あなたは?」

「俺はトゥ・ハート王国軍速術機甲(ストライカー)部隊の隊長、藤田浩之だ。よろしく」

 差し出される手。杏もまた国に仕える騎士の礼として、自らも名乗って握手を交わす。

「カノン王国軍近衛騎士団副長、藤林杏よ。……それで、どういうことでこんなことになったわけ?」

「あぁ、それはな……」

 そうして浩之は説明を開始した。

 リリスが現れてから模擬戦、そのときの問答やリリスの言葉など……。

「……」

 それを全て聞いた上で、杏は考え込むように顎に手を添え、そしてしばらくしてリリスに視線を向けた。

「ということは、リリスはしばらくトゥ・ハートにいることになるのね。良いの? その間、祐一や佐祐理に会えないのよ?」

 以前のリリスであれば、ここで素直に引き下がっただろう。

 リリスにとって何より大切なのは家族。本当の家族というものを持ち得なかったリリスが心の支えにしているものが祐一であり佐祐理だ。

 だからリリスは二人の傍を離れることを嫌うし、逆を言えばそのどちらかに厳命でもされない限り自分から離れようとしないはずだった。

 けれど、

「うん、構わない。……リリスはそれでも強くなりたいから」

 確固たる意思を秘めた瞳で、その言葉を跳ね除けた。

 あれだけ傍にいたがったリリスが、自分の意思でここに残ることを決意した。

 そのことに少なからずの驚きと、それを上回るほどの喜びを胸に、杏はもう一度問う。

「本当に、良いのね?」

「構わない。リリスは大切な人たちを守れるだけの力が欲しいから」

 杏は祐一がカノンを建国する前からの仲間だから、リリスのことは最初から知っている人間だ。

 祐一や佐祐理ほどではないが、杏もまたリリスという少女をよく見ていた。

 あの何を考えているかわからない無表情から、祐一や佐祐理にだけは甘えるようになり、他の皆とも溶け込み始め、友人も作り……。

 そしていま、自分の意思で物事を決めるところまで成長した。

 その成長が誇らしい。愛娘……とは言わずとも、見知れた近所の子供の成長を見守る隣人のような気持ちで、杏はリリスの頭をゆっくり撫でた。

「リリスの意思はともかく……実際問題、そんなこと勝手にして良いわけ?」

 だから最終確認のため、杏は浩之にそう訊ねた。

 いま同じ場で会議をしているとはいえ、未だなんの結びもなされていない両国である。こんな勝手なことをして問題は無いのだろうか。

「俺は隊長としてそれなりの権限は与えられてるし、それに間違いなく共同戦線を張ることにはなんだろうから平気だろ」

 浩之はあっけらかんとそう言い放った。

 やや不安も残るが……リリスが信じた相手だ。なら自分が疑う余地などないだろう。

「……随分と緩いわね。ま、ともかくそう言うのなら信じましょう」

 佇まいを直し、杏は真摯な表情で浩之を真正面から見据えた。

「リリスを、よろしくお願いするわ」

「任された。何倍にも強くして帰してやるよ、って伝言でもしておいてくれ」

 おどけた口調ではあったが、その言葉に込められた自信は杏にも感じ取られた。

 この男、本気である。

「……わかった。必ず伝えておく」

「あぁ、頼むわ。さて、行くかリリス」

「うん」

 リリスが浩之と一緒に踵を返し、再び訓練へと戻っていく。

 その背をしばらくの間見送って、杏もまたもと来た道を戻ることにする。

「……成長、か。若いって良いわね」

 なんて年寄り染みた言葉を吐きつつ、苦笑を貼り付け杏は足を踏み出した。

 

 

 

 あとがき

 こんばんは、神無月です。

 さて、今回は間章。リリスですね。

 っていうか間章にしては長いな……。こんなだから時間なくなるんよ私(汗

 前半は若干ノリが軽い……というか番々外やキー学に近くする方向を意識しました。まぁ後半はいつもの神魔のノリですが。

 浩之VSリリス。戦闘シーンはなし! 現状で見せるとちと面白みに欠けるので敢えてカットしましたw

 あ、そうそう。 浩之の持っている裏神殺しについて。

 空間を飛び越えて主のもとへやって来る、というのは純正神殺しのみが可能な芸当であり、裏神殺しはそこまで再現できませんでした。

 というわけで持ち運びが便利なように通常時は小型化されるようになっています。この方法が後の量産型にもいかされたわけですね。

 で、次回の間章は留美です。

 多分三大陸編初の戦闘らしい戦闘シーンになると思います。

 ではまた。

 

 

 

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