神魔戦記 第百二十六章
「終局。しかし止まらぬ戦渦」
「どうやら間に合ったようですね」
シズク兵を纏めて消し飛ばした光の先、太陽の逆光を受けて立つ者がいる。
「お前は……!?」
その気配を……祐一は知っていた。
その人物がゆっくりと謁見の間に降り立つ。そして足音を鳴らしながら近付き、その容貌がはっきりとしてきた。
それは桃色の髪を二つにまとめ、漆黒の外套を羽織り、そして身長の二倍はありそうな杖を持った少女だった。
間違いない。その人物は、
「立川、郁美!?」
祐一の驚きの声に、その人物……王国コミックパーティーの女王、立川郁美は小さく微笑んだ。
「はい、お久しぶりです。祐一兄さん。神奈女王もお久しぶりです。こうして会うのは……三度目でしょうか?」
「う、うむ……?」
神奈の返事もどこかおかしい。まぁ無理もないだろう。
彼女はむしろコミックパーティーの女王と祐一が知り合い……しかもかなり親密そうであることにかなり驚きを覚えていたのだから。
状況を把握し切れていないからだろう、恐る恐る近付いてくる美凪にも郁美は笑みを見せる。
そうしてから郁美は視線を戻し、
「まずは……そうですね。お二人の魔力をどうにかするべきでしょうか。ブレイハート」
『All right』
「『遍く交わりの儀式(』」
郁美の持つブレイハートから煌く何かがそっと広がり、祐一とそして神奈に降り注いでいく。
するとどうだろう。先程まで枯渇しかけていた魔力が滾り、動けなかった身体がまるで嘘のように軽くなった。
二人は苦もなく立ち上がり、そして自分の身体を見下ろす。
「これは……闇属性の上級魔術だったな?」
「そうです。対象に自分の魔力を分け与える魔術。まぁ操作が難しいので覚えている人は少ないものではありますし、お二人の魔力を完全回復させるほど私の魔力量もないんですけどね。それでも普通に動けるくらいにはなったと思いますが、どうでしょう?」
郁美の言うとおり、倦怠感はもう一切ない。
全開はもちろん程遠いが、それでも『覚醒』や『星の記憶』を使わない戦闘であれば十分にこなせそうなほどに。
しかし、いくら動ける程度とはいえ二人分もの魔力。相当な量であるはずなのに、郁美はまるで意に介さないように微笑んでいる。
どうやら人間族最高とさえ言われる内包魔力量は健在らしい。
「すまん郁美。正直助かった」
「いえ。間に合って良かったです」
屈託ない笑み。その笑みを見てどこか懐かしさを感じた。そしてコミックパーティーに渡ったいまもその笑みを携えているのなら、
「……どうやらお前は自分の居場所を見つけたらしいな」
「はい。祐一兄さんも」
思わぬ反撃に、苦笑。祐一は昔の癖で郁美の頭をポンポンと叩き、郁美もまた目を細めてその温かさを甘受した。
「こほん!」
と、状況についていけない神奈が咳一つ。半目で二人を見やり、
「……祐一、郁美女王とはどういった関係なんじゃ?」
「なんというか……弟弟子に当たるというか、そんな感じかな。いやそれより」
む、と唸る神奈をとりあえず無視して祐一は再度郁美に視線を向けた。
「郁美。どういうことだ。お前がどうしてここにいる?」
そう。問題はそこだ。
助かったことは事実だが、コミックパーティーの女王である郁美が何故戦闘中であるエアにやって来たというのだろうか。
すると郁美も表情を真剣なものとし、答える。
「ええ。それはシズクがキー大陸四国の首都に対し一斉攻撃を仕掛けたと聞いたからです」
「四国の首都同時、じゃと!?」
驚愕を表す神奈に対し、こちらはあくまで冷静に情報を吟味する祐一は視線を上げ、問う。
「聞いたとは……誰から?」
郁美は眉尻を下げ、
「それが……よくわからないのです」
「わからない?」
「ええ。どういった経緯でもたらされた情報かがよく。いつの間にかリーフ連合各国にその情報が回っていたんです」
待て、と祐一は言葉を止める。
「そんな曖昧な通報でお前たちはこのキー大陸にやって来たとでも言うのか? ……それはあまりに無謀だろう」
いくら隣の大陸だからとはいえ、行き来にはそれなりに時間が掛かる。
もしもそれが罠――たとえばシズクなどであれば、戦力の空いた隙に今度はリーフ連合国が危うくなることだってある。
「ええ、往復の時間やそれに纏わる労力などを考えればこの行為は無謀の一言に尽きるでしょう」
ですが、と郁美は不敵に微笑み、
「我々はちょうどその問題をクリアする“足”を手に入れていたのです」
「“足”……?」
と、問うた瞬間だ。
突如世界が夜になった。
「!?」
違う。慌てて上を見上げれば、太陽の光が何か巨大なものに遮られていたのだ。
「あ、れは……?」
「あれこそが、その“足”」
一息、
「トゥ・ハート王国が作り出した超大型戦術空挺、エルシオン級二番艦アルテミスです」
「空挺……? あの質量の船が空を飛ぶのか!?」
「実際に飛んでいるでしょう?」
確かにソレは間違いなく空を飛んでいる“船”だった。
「そういえば、聞いたことがある……」
祐一同様、神奈も呆然とアルテミスの船底を見上げる。
「トゥ・ハートにて空を飛ぶ巨大な船を建造中だ、と。他国に対する牽制のための出任せと思っていたが、よもや真のことだったとは……」
「ええ、まぁ乗ってきた身で言うのもなんなんですけど未だに私も信じられません。でも、真実です」
あれがあればキー・リーフ間の行き来も一時間と掛からないのだと郁美は語る。
「そして現在、エルシオン級一番艦エルシオンがクラナド、エルシオン級三番艦ルナライトがカノンに向かっています」
ただ、と郁美はやや表情を暗くし、
「問題は、三隻しかないことでワン自治領には援軍を差し出せないということなんですけど……」
「いや、そういうことならカノンに向かっている艦をワンに向けてくれ」
キッパリと言い放つ祐一に郁美はキョトンとし、
「で、ですが――」
「大丈夫。カノンには当てがある」
その笑み。自信に満ち溢れたその表情に、郁美の言葉が止まる。
知っているからだ。彼女は祐一がそういった表情を見せるときに間違いは起こさない、と。だから頷き、
「わかりました。でがこちらから連絡を入れておきましょう」
懐から連絡水晶を取り出し、一言二言話し込んですぐに通信を遮断した。
連絡水晶は便利だが、結局は魔力による通信なので探査などの得意な術師には割り込まれたり盗聴される危険性もあるのだ。
そういった危惧を回避するために要点だけを伝えて郁美はそれを懐に戻すと、美凪を含めた三人を見やった。
「では皆さん。我々も城下へ向かいましょう。下ではまだ激戦が続いていますから」
魔力にゆとりが生まれたいまならばわかる。気配が入り乱れて、城下が混沌としていることを。
沈痛な面持ちを見せる三者に郁美は安心させるような笑みを見せながら、外套を翻した。
「我らコミックパーティーの精鋭もいますが、だからと言って油断できる状況ではありません。いまは力を合わせ、シズクを撃退することだけを考えましょう」
「……そうじゃの。いまは、仕方ないのやもしれぬな」
「だな」
「はい」
いまはお互いにいがみ合って足を引っ張り合っている場合じゃない。
それは神奈や祐一たちだけでなく、現場の誰もが感じている直感にして危機感だろう。
だが、そんな状況でありながらも堪えきれぬ、というように郁美はやや浮ついた調子で祐一の横に並んだ。
「しかし、こうして祐一兄さんと肩を並べて戦場に立つのは何年振りでしょうか」
状況はわかっているが、それでもこうして祐一と共にいられることが郁美は嬉しいのだ。
そんな甘えん坊の妹のような存在だった郁美の、未だ変わらぬ根源の部分を垣間見て、祐一もまた苦笑。
「確かにな。……修行だとか言われて敵対魔族どもの巣窟に放りだされて以来だな」
「ああ、あのときはお互い死にかけましたね〜」
神奈や美凪にはまったくわからない領域の話だ。
その視線に気付いたのだろう。郁美はバツの悪そうに頬を掻き、取ってつけたような咳一つ。
「こほん。ともかく」
そしてクスッ、と郁美は微笑み、そして凛然と言った。
「さぁ、反撃開始です」
二葉は肩で息をしていた。
魔力が、もうほとんど残っていない。あれだけの高威力攻撃を連発すれば無理もないことだが、それでも敵は一向に消える気配がなかった。
辟易するほどの数だ。本当に減っているのかさえ怪しくなる。
さいかとまいかはとっくに魔力を切らしている。時々回復しては牽制程度の魔術を放つが、それだけ。
いま、この場を抑えているのは二葉一人の力だった。
――だから、こんなところで諦めるわけにはいかない……!
託された。任された。ならばそれには応えたい。その信頼に応えてみせたい。
だから再び矢を放つ。既に弓を構えるだけでも辛いのに、それでも魔力を振り絞って矢を射た。
だが、それは傍目に弱々しかった。その一撃によりシズク兵が貫かれるが、わずか数人。
数十、数百とたむろする眼前の敵の中では焼け石に水に近い行為だった。
シズク兵たちもそんな二葉の様子がわかっているわけではないのだろうが、焦らすようにあくまでゆっくりと迫ってくる。
「二葉、ちゃん……」
「はぁ、はぁ、だい……じょうぶ、です。観鈴姉様は、私が……必ず……!」
じわじわと近付いてくる絶望。それに抗うように再び矢を形成しようとするが、
「!」
矢が構築されない。光は現れるのだが、弱々しく明滅するだけで形にならないのだ。
魔力が、尽きた。認めたくない結果がそこにあった。
「くす、くすくすくすくす……」
「うふ、うふふふふふ……」
シズク兵たちのその笑いが腹立たしい。何も出来ない自分を嘲るような、その笑みが。
そしてシズク兵が一気に駆けてきた。こちらに攻撃の術がないとわかったのかそうでないのか、ともかくシズク兵が殺到してくる。
反撃、迎撃。不可能。どれだけ必至に魔力を練っても既に限界を突破した精神力が矢の形成を許さない。
「こんな、ところで死ぬわけには……!」
いかないのに、と。溢れそうになる涙をこらえ、それでも屈しはしない、とばかりに正面を睨みつけた。
「兄さん……!」
そう叫んだときだった。
突然、前方のシズク兵たちが消し飛んだのは。
「え……?」
呆然と呟く。視界のその先では何が起こったのか、焼け焦げたような臭いとクレーター状に陥没する道が見えた。
「ふはははははははははははは!! 困っているのか!? お困りのようだねエア・カノン・ワンの同志諸君よッ!」
いきなりの高笑いに頭上を見上げれば、民家の屋根の上、太陽を背に腕を組み立つ一人の男がいた。
その人物はズビシ! と天を指差し、
「遠からん者は音にも聞け! 近くば寄って目にも見よ!」
地を指差し、
「天が呼ぶ地が呼ぶ人が呼ぶ!」
そしてシズク兵たちを指差し、
「悪を倒せと我輩をよぎゃふ!?」
屋根から落ちた。
「この馬鹿大志! あんた状況わかってんでしょうね!?」
その後ろでメイスを振りかぶったような状態で少女が怒鳴っている。……というかあれで男を殴ったのだろうか。
しかし男はまるで何事もなかったかのように起き上がり、眼鏡を正し埃を払って、
「フ。マ〜イシスター同志瑞希よ。その正義に迸る熱き魂大いに結構! ……しかしその矛先を間違えていやしないかね?」
「あら。あんたを地獄に叩き落せばよっぽど正義の行いだとあたしは思うだんけど?」
「大志も瑞希もその辺にしとけ。いまは馬鹿やってる場合じゃないだろ」
笑いながら睨み合う二人の間に、今度はまた別の青年が割り込んできた。
「……」
……もう、何がなんだか。
先程まで緊迫した空気が完璧に霧散していた。というか気を張っていた分この展開についていけない二葉たち。
「ほら見ろ、この人すっごい唖然としてるじゃないか。えーと、大丈夫?」
苦笑しつつ、青年が近付いてきて身を屈めてきた。
「俺の名前は千堂和樹。王国コミックパーティーの軍師をやってる。
あっちの眼鏡掛けたハイテンション馬鹿は九品仏大志、あっちのサイドポニーテールの女は高瀬瑞希。
あれでもコミックパーティーで有数の戦闘能力保持者なんだ」
「コミック……パーティー?」
「そう。助けに来たんだ」
和樹が二葉たちに軽く手を翳す。
すると温かい光が漏れ出し、一瞬で二葉たちを包み込むとそれは橙色の結界となった。
「ま、ともかく君たちはそこの結界内でジッとしてて。防御力はさほどでもないけど体力も魔力も回復する結界だから」
「え……?」
「フ、心配は無用だ。同志和樹はオリジナル魔術を創り出すことは天下一品だからな! 効果は保障しよう」
眼鏡を掛けた男、九品仏大志がビシィ! とポーズを決め、
「更に同志和樹は頭脳明晰にして人望も厚く、兵法にも長けている! いまは軍師としてその類稀なる力を発揮しているが魔術師としても一級!
更に言えば法具作成に関しても超一級! トゥ・ハート軍の部隊が使っている走行機甲(や我輩が使っているこのッ!」
と自らの靴、そして手袋を順に指差し、
「熱量集束装置(もまた同志和樹の生み出した崇高なるエクセレント武装なのだぁ!」
ハーッハッハッハ、とひとしきり笑うと、ニヒルな笑みを見せ、
「というわけで、安心してそこで見ていたまえエアの同志諸君よ。このような無粋な連中、我輩たちが責任を持って駆除しよう」
「言い方は気になるけど、まぁその通りだからそこでゆっくり休んでて。あとは――」
二本のメイスをそれぞれ両手に構えた、赤髪をサイドで纏めた高瀬瑞希が一歩を踏み出し、
「あたしたちの仕事だから」
シズクの群れと相対する。
「さ、やりましょう和樹」
「ま、あれだ。さくさく行こう」
和樹は苦笑し、右腕を振るった。
袖が捲れ、その腕に巻かれた篭手が見える。手首から肘の先までを覆った金色の篭手。その中央には一直線にややくぼみがある。
その手首部分のくぼみがわずかに光ったかと思うと、その和樹の前後左右にそれぞれ魔法陣が展開した。
それらに手を翳すと和樹はおもむろに頷き始め、
「シズクの侵入経路は北方面からが圧倒的に多い、か。なら鶴翼陣形を敷く。猪名川隊、大庭隊は右翼、御影隊、塚本隊は左翼へ。
極地的にはこっちの方が数が多い。ワンパターンの奴らの動きを逆利用し一気に囲んで叩くぞ。
南方面は敵の数こそ多いが分散してて層が薄い。芳賀隊を筆頭に各部隊で対応、その他続け。一気に突き破って挟み込もう。
東西はエアやカノン・ワン軍に任せて大丈夫だろうし、薙原たちや南さん、あさひちゃんたち単体戦力もいる。俺たちは中央に集中しよう」
淡々と指示を出す和樹。その度に魔法陣が明滅していることを考えると、あれは多方向・大勢に指示を送るための魔術なのだろうか。
あるいはシズクの動向を探る魔術なのか。……ともかく、和樹は瞬く間に陣形を組み立てていく。
そうして和樹は力強い声で宣言した。
「王国コミックパーティーの力を見せようか。――シズクなんか蹴散らすぞ」
クラナド王国側にも、それは来た。
「なんだ、あれ……!?」
誰もが呆然と見上げる天空、そこに巨大な船。
言わずもがな。トゥ・ハート王国軍のエルシオン級一番艦エルシオンである。
「あー、皆こっち見てるわね〜。ま、無理もないか」
その艦内で映し出されるモニターを見ているのは来栖川綾香。来栖川王家の次女、現トゥ・ハート王国女王来栖川芹香の実妹である。
しかしその様相は王家のそれではなく、むしろ戦士のそれだった。
それも当然。彼女はトゥ・ハート王国軍の誇る四つの特殊部隊の一つ、重装突撃(部隊の隊長なのだから。
「セリオ」
「はい」
後ろに控える少女がその言葉に返事を返した。
無機質な瞳。音もなく綾香の隣に足を踏み出したその少女は、人間ではない。
魔導人形。トゥ・ハートが世界に誇る最大戦力がそれだ。
彼女の名はセリオ。形式番号HMX-13。既に量産化も始まりトゥ・ハート軍の兵力の中核をなしているタイプである。
だが、この綾香に仕えているセリオは量産型のセリオとは違う、いわばオリジナル型でありカスタマイズ機でもあった
同じセリオでも量産型が十機同時にかかったところでこのオリジナルセリオには敵うまい。
王家の血筋である綾香に仕える魔導人形とはそれだけ特殊なのだ。
それはともかく。
「とりあえず号令をしましょうか。何はともあれ士気を取り戻してもらわないとね。正体不明のままじゃ不安募らせるだけだし」
「はい」
セリオが綾香に連絡水晶を渡す。
だがそれは特殊なもので、このエルシオンに設置された大型の音声拡大装置に連動していた。
それを受け取り、深呼吸。そして、言い放つ。
『こちらはトゥ・ハート王国軍! シズクを撃退するため、我が軍は貴国らの援軍としてやって来た!
皆、諦めず剣を取り戦っていただきたい! その意思が生きているのであれば、我らは必ずや貴国らの意気に応えよう!
シズクは我ら共通の敵である! いまだけは力を結集し、その邪なる波を粉砕しようではないかッ!!』
どこまでも透き通る、しかし心に響く強き声。
荒々しい鼓舞ではあるが、だからこそその力強さは染み渡り、希望となって絶望を打ち払う。
「とはいえ、元々それほど切羽詰っちゃいなかったみたいだけど。……誰が総指揮をしているか知らないけど、人心掌握は上手い人物みたいね」
「綾香様。いまは……」
「わかってる。先鋒は?」
「浩之さんの速術機甲(部隊です」
「なるほど。適任ね」
スピード特化の特殊部隊。彼らならすぐに駆けつけシズクの包囲網を突破してくれるだろう。
「それじゃ、あたしたちも出ましょうか」
「綾香様も、ですか?」
「そりゃ当然よ。いまこの下では罪のない人々がシズクに意味もなく殺され続けてるのよ? 黙って見ているなんてできないわ」
そもそもシズクはリーフ大陸の国家。本来であればリーフ連合である自分たちがどうにかしなくてはいけない相手なのだ。
それを自分たちのミスや不甲斐なさでキー大陸にまで飛び火して、こうして多くの人命が失われている。
許せるはずが、ない。
「統括指揮ならささらとシルファに任せれば十分よ。そもそもあたしは指揮って柄じゃないしね」
「わかりました。では葵さんや由真さんもお呼びします」
「ああ、あとセバスチャンもお願いね。重装突撃(部隊全開で行くわよ」
「仰せのままに」
恭しく頷き、急ぎ足で下がるセリオを見送りながら、綾香はパシ! と手を打ち不敵に微笑んだ。
「シズク。もうあんたたちの好き勝手にはさせないわ。諸々の借り、返させてもらうわよ」
そしてエルシオンの船底のハッチが開き、カタパルトが四本伸びていく。
本来は魔導人形を発進させるためのその発進部には、何故か十人程度の人間がカタパルトに乗って準備をしていた。
「さーて」
肩を回しながら意気揚々と呟くのは青年。肩にはトゥ・ハート軍の紋章が刻まれ、その下には『S』と記された赤い腕章。
彼の名は、藤田浩之。トゥ・ハート軍で単体戦力であれば綾香や環と並ぶとさえ言われているエースにして速術機甲(部隊の隊長だ。
いつもは覇気のない表情を見せる男だが、さすがにこの場でそんな素振りはない。眼光はどこまでも鋭く、眼下の惨状を見下ろしていた。
『速術機甲(部隊、発進どうぞ』
聞こえてくるアナウンス。それを聞き遂げ、浩之は周囲で同じくスタンバイしている自らの部下に声を叩きつける。
「よし、行くぜお前ら! オレたち速術機甲(部隊の力、見せつけるぞ!」
「「「「「「了解(!!」」」」」」
浩之の号令に煽られ、速術機甲(部隊がそれぞれカタパルトから発射される。
勢い良く空へと投げ出される浩之たち。しかしあまりに勢いが良すぎる。魔力強化を足に一点集中させたとて、このままでは耐え切れないだろう。
しかし浩之を初め、誰もその顔に恐れなどありはしない。
「走行機甲(急速展開!」
彼らの足には走行機甲(と呼ばれる魔装具が取り付けられている。
これは分類的には法具になる。魔力によって刻まれた力を解放し、それにより取り付けられた車輪を回転させ地上を高速滑走するという代物だ。
加えて耐久性も抜群。風属性の保護が掛かっているので衝撃を殺すことも可能だし、高速移動にも一役買っている。
空中戦、地形の悪い密林地帯や砂漠地帯などではあまり効果を発揮しないが、その分こうして舗装された道などの場合その真価が発揮される。
着地、と同時にギャリギャリギャリィ!! と車輪が道を食い散らし、そして爆走を開始する。
「ゴー! ゴー! ゴー!」
速い。人の足など言うに及ばず、馬の速力さえ軽く凌駕している。
「浩之さん! 前方にシズク兵が多数です〜!」
そう言って横に並んだのは、同じく速術機甲(部隊のマルチだ。
名前からわかるように、彼女もまたセリオ同様魔導人形である。型番はHMX-12でセリオより古いが、このマルチもまたオリジナルタイプ。
十分なカスタマイズが施されており、並の魔導人形を遥かに超越した存在になっている。
そして、マルチはこの浩之と主従契約を交わした魔導人形でもあった。
「お出迎えってか。ならマルチ、一つ派手に行こうぜ!」
「はい!」
頷き、マルチは両手を一気に広げ、そして、
「カートリッジロード!」
ガション! というギミック音と共に二の腕から薬莢がこぼれた。
これは使い捨ての魔力補給器とでも言えばわかりやすいだろうか。
本来魔導人形とはマスターと認定した主からの魔力供給で行動している。魔導人形はあくまで人形、自ら魔力を作れるわけじゃないのだから当然のことなのだが、これが戦闘中であったりするとなかなかに難しい。
ただでさえ数が多く、一人の主に対して数十の魔導人形が従う形なのに、魔力を吸いまくってしまったらその主の魔力が枯渇してしまう。
そこで登場したのがこのカートリッジシステムだ。事前に魔力を供給させてもらい、そのカートリッジに保存するシステム。
これにより戦闘中でもカートリッジを使用することで主への負担を減らすことに成功し、更に――ここぞというときの一撃に力を発揮できるのだ。
「行きますッ!」
マルチの身体から金色の煙が噴出す。そして同時、その背部、脚部、腕部からそれぞれブースターが展開し、それが一気に火を噴いた。
滑走する。
ブースターの強引な加速を帯びてその身が弾丸のように飛ぶ。金色の煙はマルチを覆い、そして進む道を照らし上げる軌跡のように尾を引いて、
「ストライク……ブレイカ――――――ッ!!」
叫び、
「とぉぉぉぉぉぉぉぉりゃぁぁぁあああああああ〜〜〜〜〜〜!!」
シズクの群れに突っ込んだ。
まるでそれは黄金の暴風。直撃すれば身体は四散し、そうでなくともその突風に巻き込まれれば身は砕け吹っ飛ばされる。
シズクの包囲に一気に巨大な穴が開いた。
「よし! 俺たちもマルチに続くぞ!」
言う浩之はいつの間にか右手に槍、左手に銃を持っていた。
ただの武器ではない。感じる気配がまるで違う。もとより、所々から光を噴出す武装など数えるほどしかないだろう。
そう。何を隠そうその武器は裏神殺しである。しかも両方とも。
裏神殺し、魔槍『紅牙』と魔銃『紫貫』。世にも珍しい、二種の神殺しを持つ戦士であった。
「敵配置図は腕時計を見ろ。シルファちゃんからダウンロードしてマルチから配信されているデータが届いてるはずだ!」
皆が頷く。それを確認し、
「よし。なら志保の小隊は左へ!」
「はいは〜い!」
「雅史の小隊は右へ行け!」
「了解!」
「あかりの小隊はオレたちについてこい! 空から援護を頼む」
「うん、わかったよ!」
長岡志保、佐藤雅史、神岸あかりという頼れる部下であり仲間たちの返事を背に受け、浩之は紅牙を振り構えて言い放った。
「速術機甲(部隊、全速進撃! 敵を掃討する!!」
「「「「「「了解(!!」」」」」」
そしてワン。
カノンから進路を変更したエルシオン級三番艦ルナライトからもまた、強力な助っ人が現れていた。
王国ウタワレルモノの獣人族たちである。
「敵の流れを寸断する。オボロたちは左翼、ベナウィたちは右翼へ! 怪我人は中央へ運べ!」
その中で、てきぱきと指示を出し続けるのは鉄扇を片手に持ち奇妙な仮面をつけた唯一の人間族の男――ウタワレルモノの王、ハクオロである。
「ご協力、感謝いたしますハクオロ皇」
その隣に並んだ香里がやや緊張気味に頭を垂らした。
突然やって来たことに対する戸惑い、もあるだろう。が、何よりハクオロから感じるその存在感に圧倒された、という方が大きいかもしれない。
香里はハクオロが、どこか祐一と被って見えた。存在感。カリスマ性。そして何より……その瞳が。
「いや、むしろこちらが謝罪をせねばならないだろう。シズクは元々リーフ大陸の禍根だったのだからな」
本当に申し訳なさそうに言うハクオロ。
基本的には温厚な王である、という噂はどうやら本当らしい。
香里でさえ既に疑心を抱いていないという時点で人望に厚い者だということはよくわかる。
「どうした?」
「あ、いえ」
あまりジロジロ見ては迷惑だろう、と意識的に視線を外した。
「お、おそらく現状の戦力ではリーフ連合に勝てないと考えて、我々キーの戦力を奪おうと考えたのでしょう」
「……確かに、そうとも考えられるな」
「?」
妙な言い回しだ。もしかしたら聡明で知られるハクオロのこと、何か別の意図が見えているのかもしれない。
あるいはリーフには別の情報が既にあるのだろうか。そういったことを香里は瞬時に考える。
だがハクオロはすぐに頭を振る。
「いや、いまはそれよりこの場のことを第一に考えよう」
「そうですね」
ハクオロは香里を見やり、
「指揮系統が二つもあると混乱するだろうから、香里君に――」
だがその言葉を先に制するように香里が言葉で上から覆った。
「いえ、ここはハクオロ皇に全権を任せたいと思います」
「だが私は余所者で――」
「それを言ってしまえばあたしもカノン軍所属ですから余所者です。であるならばより兵法に卓越した人に指揮を執っていただきたいのです」
最初現れてからの電撃展開。シズクと拮抗していた戦況が瞬く間に崩れ一気に優勢に傾いたのはひとえにハクオロの指揮するウタワレルモノの部隊があってこそ。
香里はすぐに見抜いていた。こと、兵法などに関してはハクオロの方が数段上手である、と。
そしてそれはハクオロにもわかっていたのだろう。
だからこそ、そうやってすぐに彼我の実力差を考え、プライドなと無視して物事優先に言える香里に感嘆しつつ、頷いた。
「……わかった。残存兵力と現在の配置を教えてくれ」
「御意」
香里の説明はとにかく上手く、そして早かった。
いまは戦闘中。出来る限りの時間の浪費は避けたいところだが、かといって早く説明しても要領を得なければ意味がない。
そういう意味では香里の報告はまさに完璧と評価すべきものだろう。ベナウィでもここまで出来るだろうか、とハクオロは思う。
こういう人材がいるかいないかで国の在り方は随分と変わる。
カノンは恵まれているな、と思いつつハクオロは提示された情報を全て頭に叩き込んだ。
「よし。では部隊指揮はこちらが引き継ごう。香里、君は――」
「報告します! 一部前曲を敵の一団に突破されました!」
言いかけたところで慌ててやって来た兵の言葉が覆い被さった。
前曲が突破されてしまえば、怪我人がひしめく中央への進入を許すことになる。
「!? ここはあたしが――」
香里であれば数十人程度のシズク兵など一瞬で蹴散らすだろう。だがハクオロは首を縦には振らなかった。
「いや、香里は後ろを頼む。いまは堪えているがあの陣形では時間の問題だろう。君に任せたい」
「ですが……!」
「大丈夫だ。そちらにはこっちから人を寄越す。――カルラ」
「お呼びでしょうか、主様?」
やって来た人物を見て、香里は思わずギョッとした。
大人の色香を感じさせる女性だった。獣人族特有の耳に何故か首には首輪と大きな鎖。しかも一升瓶を片手に持っている。……まぁそれは良い。
だが何より驚くべきは、彼女が肩に担いでいるその巨大な剣だった。
いや、剣と呼ぶのも奇妙だろうか。形は剣だが、あまりにでかく、そして太い。あれでは『斬る』ではなく『潰す』になるに違いない。
かなりの重さがあるだろうに、カルラと呼ばれたその女性はなんてことのない表情でハクオロの隣にまでやって来た。
「カルラ。前曲の一部が破られた。至急駆けつけて敵を迎撃してくれ」
「ええ、わかりました。一捻りしてきますわ」
「あぁ、頼む」
飄々とした様子で走っていくカルラを香里がやや唖然とした様子で見ていると、ハクオロが苦笑する。
「驚いたか? しかしあれで実力はかなりのものだ。任せて問題はない」
そう言うのであれば香里が口出しすることはない。
「……わかりました。ではあたしは後ろの援護に向かいます」
「頼む」
ハクオロは信頼に足る人物である、と頭ではない別の何処かで香里は感じ取っていた。
だからそのまま後ろへ向かう。自分のすべきことを、成し遂げるために。
ワン軍が構成した前曲を突破したシズク兵は二十人近い数だった。
一人でさえ普通の兵士ではきついというのに、徒党を組んで走るその群れを単体で止められる者はそうそういない。
しかし、怖いもの知らずであるはずのシズク兵たちが、不意に足を止めた。
「随分と好き勝手していますのね」
その先には、一人の女性が立っていた。
カルラである。
とはいえ、ただそこに立っているだけだ。殺気どころか戦意さえ見せていない。武器も担いでいるだけで構えてすらいない。
一見隙だらけ。シズク兵たちの足なら一瞬で間合いを詰めてその首をへし折ることも可能だろう。
……その、はずなのに。
彼らは動こうとしなかった。
「……ふふ、どうやらただの馬鹿ではなさそうですわね?」
どこか妖艶に笑うカルラ。
シズクたちは本来脳が抑制している理性やその他を強引に遮断され、本能のままに動き、操作されている。
だがその本能故に、彼らにはわかっていたのだ。
この相手の――格の違いを。
「来ませんの? なら……」
目が細められ、
「こちらから、行きますわよ?」
カルラが肩に担いでいた剣をゆっくりと(地面に下ろす。
たったそれだけで轟音と共に地面が割れ砕けた。
その大太刀。名を『覇陣』と言う。
作りはいたって単純。ただただ重く頑丈な鉱石で刃を成し、その上から更に地属性の文字を刻み硬度のみを上昇させただけの剣。
大きさや重さ、扱いやすさを度外視したおかげで、頑丈さだけは聖剣クラスにまで上り詰めたという風変わりの剣がそれだ。
力自慢の男たちでさえ十人がかりじゃないと持ち上げることさえできない重量。普通であれば、そんなもの重くて持てるはずもない。
しかし現にカルラは涼しい顔で、しかも片手でその剣を持っている。それだけでどれだけの怪力の持ち主かは見て取れた。
「!」
その覇気に当てられてか、シズク兵たちが一斉にカルラへ突っ込んでいく。
待っているだけでは殺される。そうわかっているかのように。
だがその高速の襲来を、カルラはただ眺めているだけ。
「あなたたちには何の罪もない。ただ操られているだけの、悲しい存在。であるならば――」
シズク兵たちが肉薄する。死角なく全方位からの一斉攻撃。ろくに構えてすらいない状態では迎撃どころか防御も間に合うこともなく――、
「苦しまぬよう、一瞬で殺してさしあげましょう」
豪風一閃。
絶対に間に合わぬという間合いを、強引に『覇陣』を振り抜き無茶を押し通した。
まさに一瞬。あの重量の刀を秒に満たない速度で一回転させ、二十近い敵をたった一閃で仕留めたのだからその怪力は異端。異常の境地だ。
その勢いのあまりシズク兵の身体は切られるでも吹っ飛ばされるでもなく空中で爆ぜ、四散。
飛び散る鮮血や肉片が嵐の如く周囲へ舞い、しかしその中で化身たるカルラはただ黙祷するように目を閉じて、
「それが、わたくしにできるせめてもの情けですもの」
再び『覇陣』を肩に担ぎ、戦場へと歩き出した。
王国ウタワレルモノの誇る武神が、そこにいる。
一方カノンは、いまだ蹂躙の最中にあった。
圧倒的に兵力が足りない。戦力差は歴然で、方円陣も徐々に縮小、後退せざるを得ないという状況にさえなっていた。
数箇所では突破さえされており、既に中央、王城近くにまでその戦禍は及んでいる。
そして本来カノン軍でない者もまた、この戦いに巻き込まれることになっているのだった。
「FoLLte!」
炎が舞う。
火の竜巻が巻き起こり、周囲にいたシズク兵を根こそぎ吹き飛ばした。
「ああ、もう! どうして私までこんなことを……!」
片手に嵌めた火蜥蜴の皮手袋に炎を宿し、その黒髪を陽炎で靡かせながら憤慨しているのは黒桐鮮花だった。
いま彼女は王城の門付近でシズク兵の迎撃に当たっている。
というのも、現在橙子が建設中である『エーテルジャンプ装置』というのが壊されてはたまらないから誰も入れるな、とほっぽり出されたのが原因なのだが。……しかし、
「っ……!」
身体中を焼かれながら、それでも立ち上がるシズク兵に鮮花は苦々しく唇を噛む。
そもそもその悪態も本心を押し隠すための飾りにすぎない。
……黒桐鮮花は、いま苦しくてたまらない。
腕も足も震えっぱなしだ。それも当然。鮮花は『死』を前提にした戦いなど経験したことがない。
殺すか、殺されるか。両極端な道しかないという戦争という名の戦い。その恐怖はその道に足を踏み入れた者にしかわからない。
鮮花は強い。橙子の弟子を名乗るだけあり戦闘能力は高く、シズク兵が数人まとめて掛かってきても蹴散らすだけの力はある。
だが同時に鮮花は弱い。口や態度では平気そうなことを言ってのけても、心は未だ普通の少女。心は恐怖に染まりいまにも泣き出しそうになる。
これが普通の兵士相手であれば、力の差を見せ付ければ退くなり投降させるなり殺さずに終わる方法もあっただろう。
しかし相手はシズク。足を折ろうが腕を切ろうが、死なぬ限り動き続ける、亡者のような存在。
行動不能にさせるには、殺すしかない。
――けれど、殺しなんて……私は……!
「あはははははは!」
「!?」
油断。思考に気を取られ接近に気付けなかった。
間に合わない。
やられる、そう思い、しかし、
「凶(れ!」
その拳が届く直前、シズク兵の身体がいきなり狂(れ凶(った。
響き渡る骨の粉砕音と筋肉の断裂音。聞くに痛ましいその奏はその身体を逆方向に折り曲げ、抵抗のしようもなく一瞬で殺した。
「……」
こんなことが出来るのを、鮮花は一人しか知らない。
だから見る。そこに立つ……浅上藤乃を。
「藤乃……?」
「鮮花は、殺したくないんですよね?」
ひどく悲しそうに藤乃は囁いた。それも仕方がない、というように。
「鮮花は先輩のこと大好きですもんね。そして先輩は人が死ぬことを嫌う。だから鮮花も自分の手を血で染めたくない……ですよね?」
「あ……」
「わたしなら大丈夫です。前に人を殺してしまったこともあるし……今更だから。それに――」
皮肉……ではないことはわかっている。その言葉にちょっとした棘が交ざっているのは、そういう負の感情ではなく、むしろ羨望。
まだ綺麗でいられる、という……もう掴むことのできない当たり前のことに対する。
だから藤乃は微笑み、そして鮮花からシズク兵たちに視線を移すと、
「わたしの手はもう汚れてるけど、鮮花はまだ違うでしょ? ……だから大人しくしてて。これはきっとわたしの役目だから」
敵は自分が殺すから。だから鮮花は綺麗なままでいて、と。そう藤乃は言う。
そんなことはしたくない。そしてさせたくない、と鮮花は首を横に振る。昔人を殺したから平気だとか、そんなことではないはずだ。だから、
「ふじ……!」
止めようとして、しかし止められたのは自分の台詞だった。
「わたしは、もう殺戮は行わない。……でも、もしそれがわたしたちの未来を邪魔する存在なら、わたしはもう容赦はしない」
その言葉に封じ込まれたその意識と覚悟を、
「全力で、叩き潰すだけです」
感じ取ってしまったから。
シズク兵が一人藤乃に向かって跳ぶ。だが、
「凶(れ」
藤乃の視線に射抜かれた瞬間、その骨格や筋肉を強引に砕き引き千切られ、粉砕した。
躊躇はない。加減もない。そんなものは無駄だとわかっているから。
シズクの猛攻が藤乃に続くが、それのどれもが藤乃に到達するまでに首を、身体を、捻じ曲げられ命を狩り取られていく。
藤乃は何もしていない。ただそこに立っているだけ。
だが彼女の瞳だけが、異様な色に包まれていた。
魔眼。『歪曲の魔眼』。それが浅上藤乃の能力の本質。
視線で捉えた対象の像を捻じ曲げる。即ち歪曲。それがその不可思議現象の正体だ。
視界の中にあるいかなるモノであろうと捻じ曲げることができるという脅威の魔眼だ。攻撃性だけで言えばトップクラスの魔眼だろう。
つい最近まではコントロールもできていなかったが、橙子の弟子となり魔眼の操作を覚え、現在では、
「ふっ!」
連続で向かってくるシズク兵たちを次々と葬るだけの能力を見せ付けていた。
……とはいえ、この魔眼も万能ではない。
「……はぁ、はぁ……はぁ!」
一撃一撃こそ強力無比だが、その分一発に使用する精神力が大きい。
加えて視界にある複数のモノを同時に捻じ曲げることはできず、一つ一つ順番でなければ効果は発揮できないという弱点もあった。
シズクの兵士は無尽蔵。倒しても現れ倒しても現れという無限を錯覚するような連鎖地獄はただでさえ精神的な圧迫となる。
藤乃はすぐに疲労を感じ、思わず膝を着いてしまった。
「藤乃!」
「だい、じょうぶです……!」
大丈夫なわけがない。橙子の元で日々訓練はしていたとはいえ、これだけの連続行使はしたことがない。
身体は無傷でも精神の方が先に悲鳴をあげていた。
そんな友の姿を見て、鮮花は拳を握り締める。
自分だけのうのうと綺麗なままでいようなど虫が良すぎる。友が自分のために負の全てを背負い込むなんて、そんなのはおかしいはずだ。
だから、
「駄目、駄目です鮮花! 鮮花はまだそこに(いられるの! だから――」
「勝手に私を見限らないで、藤乃! ……私はね、親友と呼べるあなたに全てを背負い込ませることを良しとできるほど冷静じゃいられないのよ!」
わかっている。その属性が火であるように、彼女は外見をクールに装っていてもその実、心の中は燃え易い激情家だと言うことくらい。
でも、そうやってすぐ他人の視点で者を見ることができて、その人物のために怒れるような鮮花だからこそ、藤乃はその場(にいてほしいのだ。
だが、そんな二人の考えなど他所に、シズクは二人を取り囲む。
「「!?」」
逃げ場は、ない。
「……藤乃。これでも私に手を出すな、って言うつもり? 私はとっくに覚悟できたんだけど」
「……鮮花。あなたは優しすぎます。でもその優しさがわたしは好きだから、あなたには手を汚して欲しくない」
「でも、見す見す死ぬ気はないわ」
「それは同感ですけどね……」
背中を合わせ、そして互いに笑う。
笑える状況なんかじゃ決してないのに、笑えてしまったのだ。
そう、こうなったら仕方ない。後で兄に、そして先輩に愚痴の一つでもこぼして泣かせてもらおう。
生きるためなら、親友のためなら、守りたかった気持ちの一つくらい投げ出そう。
生きるためなら、親友のためなら、その痛いくらいに伝わる気持ちを汲むしかない。
だから、
「さぁ、来なさい。操り人形の方々」
「同情しますが、容赦はしません。わたしたちも、生きる目的があるんです」
決心をした。
もう迷わない。共に、戦おうと。
けれど、
「『曙光』の名の下に命じる! マナよ、眩き光にて、全ての敵を薙ぎ払え!」
彼女たちの覚悟は思いもよらない形で裏切られることになる。
「エレメンタルブラスト!!」
緑の放流が渦を巻き大爆発を起こし、二人の周囲にいたシズク兵を根こそぎ吹っ飛ばしたからだ。
「「なっ!?」」
何が起こったのかまるでわからずうろたえる二人。しかしその背後から、切迫した現状では考えられないような軽い会話が聞こえてくる。
「おー、さすがはニムちゃん。やるときはやるねぇ」
「ニムって言うな!」
あいたー! という叫び声に振り向けば、一組の男女がそこにいた。
男の方はかなり大柄で鮮花たちよりも年上だろうが、少女の方はまだまだ小さい、子供と呼んで遜色ないものだろう。
しかし男は双剣を、少女は槍を持っていることから一般人でないことは見て取れた。
というか、
「くっ付くな! 離れろコウイン!」
「あぁ、もうニムちゃんったら恥ずかしがりやだなぁ。そんな素直じゃない君も可愛いと思うけどね」
「気色悪い!!」
ゲシゲシと足元を蹴られ、しかし鼻の下を伸ばし喜んでいる男。なんというか……直視したくない光景だった。
「ん? おっととと」
どうやらこっちの視線に気付いたらしい。青年はややぎこちない笑みを浮かべながら手を上げた。
「い、いよう、遅くなってすまない」
鮮花と藤乃は顔を付き合わせる。どちらかの知り合いかと考えたのだが、どうやら違ったらしい。
なので代表して、鮮花が核心を訊ねた。
「あの……あな、たは……?」
「俺か? あ、そういや自己紹介がまだだったな」
青年は手に持つ双剣を肩に担ぎ、顔だけを振り向かせて気さくな表情で言った。
「俺は光陰。碧光陰。王国エターナル・アセリアのスピリット部隊の総隊長だよ。ま、よろしくな」
「陣形を崩さぬように! 敵の迎撃より民の避難を最優先にしなさい! 二十三番小隊、四十九番の穴埋めを! 六十二番小隊、急いで!」
連絡水晶を経由して指示を出しつつ、美汐もまた前線で槍を振るっている。
さすがに指揮しながらでは最前線には足を向けられないが、防衛線から漏れ出したシズク兵たちをここで迎撃するのも重要なことだ。
だが、その人数も徐々に数が増えてきている。討ち漏らしが増えているということは、つまり…… 最前線の戦況が悪くなっている、ということだ。
「前曲部隊が後退を要請しています!」
いくら美汐でも全部隊との連絡水晶は持てない。そんなことをすればとんでもない数になる。
だから連絡用に数人の兵士が美汐に付き従っているのだが、そのうちの一人が大慌てで隣にまでやって来た。
よっぽど状況は悪いらしい。しかし、
「なりません! これ以上陣形を狭めては身動きができなくなります! 増援を寄越しますからもう少し粘らせ――!?」
だが言い切る前に、波と表現できるほどのシズク兵の群れが雪崩れ込んできた。
どうやら最前線は全滅してしまったようだ。間に合わなかったという悔しさと、これ以上はやらせないという怒りで美汐は歯を噛み締めた。
「全員、迎撃! ここを通してはなりません!」
美汐に付いている部下は十人に満たない。この数であの軍勢を押し止めることなどまず不可能だろう。
けれど美汐は退かない。他の者も退かない。どれだけ劣勢であろうと、ここの守りを任されたのだから退くわけにはいかない。
二つの力が衝突する。
……その寸前で、
「ガンバレル、フルオープン――」
その声と共に、
「――バレルレプリカ・オベリスク!」
圧倒的な光の放流が直線状の全ての敵を焼き払った。
「この技は……!」
威力こそ段違いだが、美汐はその技に見覚えがあった。
そう、まだ美汐が秋子の配下であったとき。フォベイン城に攻め込んできた祐一たちと戦ったときに見た光と同じ。つまりこれは……、
「随分と苦戦しているようですね、美汐」
「やはり、その声……あなたですか」
振り向き、背後に立つその人物の名を呼んだ。
「シオン!」
編んだ紫髪を靡かせ、黒塗りの銃を構えているのは間違いなくシオン=エルトナム=アトラシア。
王国エターナル・アセリアにカノンから送った使者だ。つまり、
「あなたがここにいるということは……」
「ええ。つい先程、エーテルジャンプ装置が完成したのです。現在王国エターナル・アセリアの部隊が続々と救援に向かってきていますよ」
その台詞を証明するか如く、カノン王城からハイロゥを展開し空を翔るブルースピリットやブラックスピリットが見えた。
かなりの数だ。これならば、シズクの波を押し返せるかもしれない。
「おーい、シオン」
「光陰ですか」
「光陰……?」
光陰という名を美汐は聞いたことがあった。確か王国エターナル・アセリアのスピリット部隊の総隊長で、単体最高戦力の碧光陰。
まさかあの国はそんな人物までまわしてくれたのだろうか。レスティーナ女王のこの国に対する期待度の高さが窺える。
走ってきた青年――碧光陰はシオンの横に並び、掌で傘を作ると遠くを見つめた。
「おーおー、こっちも派手にやってるなぁ。シズクって国のことは聞き知っちゃいたが、これはまたなんともやり辛い相手みたいだなぁ」
「王城周辺はどうなりましたか?」
「どうにか鎮圧した。いまはセリアに指揮を任せてるよ。怪我人の治療にはカレハさんが取り掛かってくれてる」
「さすがは光陰。手際の良い指揮ですね」
「よせよせ。俺は煽てられると調子に乗るぞ?」
「では自重しましょう」
「あらら」
ポンポンと飛び交う会話。どうやらシオンはエターナル・アセリアで上手くやっているようだ。
「まぁ、ともあれ光陰。援護をお願いします」
「そうだな。ともかくやるっきゃねぇか」
光陰がゆっくりと双剣を構えた。
その双剣、名を永遠神剣『第五位・因果』。光陰を王国エターナル・アセリアで最強たらしめている剣だ。
「神剣よ、守りの気を放て。俺たちを包み、敵を退けよ」
その双剣を振り上げ、言い放つ。
「トラスケード!」
すると守護の光が辺りに満ち溢れた。
その光を帯びた戦士たちに簡易防護の加護が付く。これがあれば重傷となりえる攻撃も軽傷で抑え込むことが可能だろう。
だがその効果範囲が尋常じゃない。王国エターナル・アセリアのスピリット隊だけではなく、カノン軍兵士にまでその効果を及ぼしている。
敵味方の識別だけでも相当のコントロールが必要だというのに、この碧光陰という男。尋常じゃない。
しかしその当の本人は、
「さぁ、気張っていくか」
なんでもないような顔をしながら、軽い調子で言ってのけた。
各国に現れた増援。それにより劣勢が徐々に覆され優勢へと転じていく。
エアにはコミックパーティーが。
クラナドにはトゥ・ハートが。
ワンにはウタワレルモノが。
そしてカノンにはエターナル・アセリアが。
奮戦に続く奮戦。勢いを取り戻した皆のシズクとの戦いはそれから二時間も続いていった。
そして……。
「ふっ!」
「はぁ!」
奔る銀閃が二条。
左右から襲い掛かってきたシズク兵を祐一と神奈がそれぞれ迎撃する。
背中合わせに切り払うその様を見て、美凪は状況を理解していながらも思わず笑みを浮かべてしまった。
二人の戦い方は、歴戦を共に潜りぬいた信頼しきった戦友のそれだった。
祐一が背後を取られても祐一は無視して前方の敵だけを駆逐し、その敵を神奈が撃退する。
神奈が周囲を囲まれても、神奈がある方向を一点突破しようとすれば残った敵を祐一が片付ける。
息の合った連携攻撃。どれだけ離れていようと親友だ、という言葉に嘘偽りはなく、その信頼の高さは誰の目にも明らかだった。
……だが、この共闘も一時の幻。
介入してきた“共通の敵”というものがあったからこその幻視でしかない。
状況が一段落し、落ち着いた後――二人はまた、戦いを始めるのだろうか。
「……」
シズクの襲撃ももう落ち着き始めている。無尽蔵に見えた兵力もそろそろ底を突くのか、あるいは状況を見て撤退を開始しているのか。
どちらにせよこの戦いで多くの民が犠牲になったことを考えれば、それは良いことだ。しかし……美凪の胸中は複雑である。
「これで……この辺りのシズク兵は掃討したか?」
「の、ようじゃな」
剣に着いた血を払い、祐一が剣を収める。神奈も疲れたのだろう、剣を地に刺しその場にどかっと座り込んだ。
「女王ともあろう者が、地べたに座り込むとははしたないぞ」
「やかましいぞ祐一。疲れたのだからそれくらい見逃せ」
皮肉を言い合う様も友人のそれだ。
「仲良さそうですね、二人とも」
近付いてきた郁美のやや意地悪めいた言葉でようやく気付いたのだろう。二人はバツの悪そうな表情で互いにそっぽを向いた。
そんな様子に郁美は面白そうに笑みを浮かべる。一応口元を手で隠す努力をしているが肩が揺れているのでまるで無意味だろう。
あるいはそれも二人をからかう一環なのか。ともかく郁美は笑みのままに指を立て、
「どうやらクラナドやワンの方はもうシズクの動きは消えたようですよ。カノンの方はどうですか?」
「……そっちもどうやら落ち着いてきたらしい。王国エターナル・アセリアの援軍が来てな」
その名前に郁美と神奈が驚きの表情を見せる。
「王国エターナル・アセリア!? あんな遠方の国がどうやってこの短時間で……」
「そっちのエルシオンとかいう空挺と一緒でな。こっちはこっちでいろいろな技術があるんだよ」
そこで何かを思い出したらしい郁美が顎に手を添えて、
「……なるほど。王国エターナル・アセリアと言えばかの有名な大賢者ヨーティア様がいる国。何か特殊な技術があってもおかしくはないですね」
「そういうことだ」
「さすがは祐一兄さん。手広いですね?」
クスクスと笑い……しかしその表情が変化する。
「では状況も落ち着いたようですし……こほん。少々真剣な話を」
歳相応の人懐っこい笑みから一変、一国の女王たる顔を見せる郁美に皆が意識を傾けた。
「エア王国女王、神尾神奈様。そしてカノン王国王、相沢祐一様」
両者を等分に眺め、
「リーフ連合の代表にして王国コミックパーティーの女王、立川郁美として進言させていただきます」
そして、厳かに言った。
「両国、ただちに休戦していただきたい」
「「!!」」
言葉の真意を一瞬理解できず、だがすぐさま我に返り、神奈が勢い良く起き上がる。
「それは国政干渉ではないか!?」
「言い分はごもっとも。しかしいまは我々が戦っている場合ではありません。状況は皆さんが考えているよりはるかに悪いのです」
その言葉には重みがある。
「貴国らが己が意思と誇りのもとで戦うことに異議はありません。
が、もしここでシズクが疲弊したキー四国を潰すことに成功してしまえば、残存兵力はシズクに吸収され、今度はリーフ連合が危機に直面します」
シズクの王、月島拓也の能力の性質上その危険性は確かにでかい。
実際そうしてキー四国の戦力はごっそり奪われている結果となっており、リーフとしてもこれ以上黙って見ていられないというのも本音だろう。
「だが……!」
「事実問題の話です。それに、こうして今回もシズクの勢力は四国の首都を襲いました。……あなた方が争っている場合ではないと思いますが?」
その郁美の言葉に祐一は苦笑。
その建前(に隠された真実(に気付いたからだ。つまり、
「……なるほど。リーフは俺たちが一時的にでも休戦を結べるようにその仲介役を買ってくれるわけだな?」
郁美が悪戯っぽく微笑みつつ、
「私、そんなことは言ってませんよ? それはそちらの都合の良い解釈でしょう?」
「フッ。そういうことにしておこうか」
ここで神奈も美凪は悟った。
立川郁美。このコミックパーティーの女王は間違いなく祐一と神奈の関係を知っている。
その二人の視線に気付いた郁美がいきなり二人に近付き、耳に口を寄せ、
「これだけかき乱されたんです。せめてこれくらいはシズクを利用しないと気がすみませんからね。……ま、現実問題でもありますが」
小声で、ウィンク一つ。
確かにこの状況での休戦協定であれば、エアの国民も納得せざるを得ないだろう。文字通り身を持ってシズクの脅威を実感しているのだから。
「まぁその後は双方の努力に任せる形になりますが……まぁ時間さえあれば溝も埋まると信じてますよ、私は。ちなみにこれは体験談です」
思わず神奈と美凪が互いを見やる。そんな様を眺めつつ後ろへ数歩下がる郁美に祐一が視線を向け、
「で、俺たちを休戦させてどうする気だ? 戦力の漏洩を防ぐ、という理由だけじゃないんだろ?」
「それはまたいずれ。まずは双方とも自国に戻って状況整理をするのが得策かと。人的被害の他、調べなくちゃいけないこともあるでしょうし。
あ、必要であれば隣国の危機に対する援助ということで私たちも協力しますよ?」
「……何を企んでいる、郁美?」
ぷぅ、と郁美は頬を膨らませ、
「あー、失礼な物言いですね祐一兄さん。そんなことこれっぽっちしか考えてないですよ」
「考えておるのじゃな」
「神奈様もそういう突っ込みはしちゃいけませんよ?」
こほん、とわざとらしく咳き込み、
「と・も・か・く! 我々リーフ連合も尽力を惜しみません。まずは最低限の復興活動を。全ての話はそれからです」
「……そうだな。まずはそれからだろうな」
リーフ側からキーに対しての提言。考え付く限りおおよその見当はつくが、確かにこのまま放りっぱなしで話し合いもないだろう。
「では、私たちコミックパーティーはとりあえずこのままエアに留まり復興支援をすることにします。カノンは――」
「状況を見て、だな。被害が大きければそっちにも手を借りるかもしれん」
「そのときはどうぞすぐにご連絡を。ああ、私信用ですが連絡水晶を渡しておきますよ」
それを受け取り、祐一は懐にしまった。
ひとまずこの場はこれまで。数年振りの神奈や郁美との再会もとりあえず置いて、王としてやるべきことをやるとしよう。
神奈も同じ考えなのだろう。さて、と自己修復を開始し始めた『タテノミタマノツルギ』を地面から抜きながら、
「では余も行こう。まずは戦闘中止を宣言せんとな。頭に血が上りやすい者もいるしのぉ。祐一もすぐに自軍を撤退させるのじゃぞ」
「わかってる。それより……神奈」
「む?」
歩き出した神奈を呼び止める。
顔だけを振り向かせる神奈に、祐一は髪を掻き上げながら、
「どういう意味にしろ、決着は見送りだな」
神奈は苦笑。
「……ああ、そうじゃの」
だが、と神奈は顔を戻し背中越しに呟いて、
「折角なら……郁美女王の言うとおりの決着を余は望むがな」
王城へと戻っていった。疲れているにも関わらずその力強い足取りを眺め、
「……あぁ、そうなれば良いな」
心の底からの本意を、誰に聞こえることなく囁いた。
少女は言った。
「……終わったね」
青年は頷いた。
「うん。終わった」
少女は青年の隣で、その光景を見下ろす。
「……危なかった」
「そうだね。かなりギリギリではあったけど……まぁあの連中を全滅させたんだ。望みはあると思うよ」
「リーフ。情報を流しておいて良かった」
「うん。タイミング、ドンピシャだったね」
少女は頷き、そしてゆっくりと前に歩を進みだした。
「行くのかい?」
「……あまり、時間もない」
「そう……だね。それにあっちで僕たち同様この状況を観察してる人に見つかったら厄介なことにもなるだろうし、ね」
青年はどこと知れぬ方向を見やり、苦笑。その方向には何も見えないが、彼には確かに何かが見えていた。
「それじゃあ僕も行くよ。ここからは別行動だけど――」
「大丈夫。……心配いらない」
「……そっか」
笑い、青年もまた踵を返した。
歩く先は真反対。そうしてそれぞれが離れていくその最中で、
「それじゃあ、また。――瑠璃子」
「うん。またね――長瀬ちゃん」
二人はそれぞれの名を呟きあった。
そして別の場所でまた、同じくこの状況を見下ろしている男女がいた。
「月島拓也。……また勝手なことばかりして」
そう苛立たしげに呟いたのは鹿沼葉子だ。衣装はクラナド軍のものではなく、黒衣へと変わっているがそれ以外はなんら変わりない。
「あのまま放っておいてよろしいのですか?」
その怒気を隠そうともせず葉子は隣に立つ真の主の名を呼ぶ。
「――神威様」
そこに立つのは黄金の剣を地面に刺し、その柄先に両手を添えた長躯の男。目にも眩しい白髪と、燃え盛るような紅蓮の瞳。
その男の名は、神威。
「構わんさ。どうせあいつは混乱を生み出すための駒。むしろこのくらいやってもらわねば面白くない」
口元を邪悪な笑みで歪ませ、神威は言う。
「しかし……正直少々厄介な状況にはなってきたな。弱小国とはいえ、群がられてはあいつでも万が一もありえる。その時は――」
「はっ。アレの回収だけは間違いなく」
「あぁ、その時は頼む。まぁ相当なイレギュラーでもない限りそんなことはないと思うがな。……さて」
不意に神威が剣を抜き、ゆっくりと振り返った。その意味不明な動作に葉子が眉を傾けると、
「そろそろ出てきたらどうだ吸血鬼。そこからずっとこっちを監視しているのはわかっているんだぞ?」
「!?」
葉子が慌てて神威の視線を追う。
だがその先には何も見えないし、気配も感じない。しかし、
「……なるほど。さすが、と言うべきか」
声。
まるで空間から解け出るようにして現れたのは、漆黒の外套に身を包んだ剣士風の男だった。
だが、こうして目に見えるようになって葉子は初めて気付く。この相手は人間ではなく……神威の言うとおり吸血鬼である、と。
「まさか我が気配遮断の技が見破られるとは思わなかった」
「気配は確かになかった。が、あれだけ見られては視線で気付くというものだ。
加えてこの禍々しい重圧。その剣から滲み出るものだろう? なぁ……死徒二十七祖。黒騎士のリィゾ=バールシュトラウトよ」
「なるほど。だから私だと気付いたわけか。このニアダークが欠点になるとは、盲点だったな」
苦笑し、リィゾは鞘からその剣をゆっくりと抜いていく。
刀身は闇よりなお深き暗黒。見ているだけで呑み込まれてしまいそうな禍々しい気配を放ち、その刃はまるで生きているかのように蠢いていた。
その刃の切っ先を神威に向け、リィゾはその距離を近づけてくる。
「神威、とか言ったか。貴様の目的はなんだ。キー大陸……いや、その他の大陸も含め貴様は何を企んでいる?」
「ふん。たかだか吸血鬼風情にそんなことを教えてやる義理などないな」
「力尽くで聞くことになるぞ?」
「無駄だ。貴様なんぞに俺は倒せない。女王気取りの黒き吸血姫の犬はとっとと主のところへ帰って寝るんだな」
その一言にリィゾの目の色が変わる。その色は……まさに憤怒。
「貴様……! 姫様を愚弄する気か!?」
「愚弄も何もないだろう? 真祖の血筋にして死徒風情の半端者が女王を気取っているのだ。笑い話にしかならん」
「きっ……さまぁぁぁ!!」
沸点を越えた。リィゾの身体から強大な気配が溢れ出る。
「その言葉、もう取り消したとて容赦はせん! その身、この真性悪魔ニアダークで切り刻んでくれる!」
「やれるものならやってみろ」
激情するリィゾに対し、神威は小馬鹿にしたような笑みを浮かべるのみ。
「くっ……!?」
二人の気配に当てられ、思わず膝を屈する葉子。その目の前で二人が同時に地を蹴った。
漆黒と黄金。二つの刃が激突しようとした――その瞬間、
「はいはいはいは〜い、そこまでだよーお二人さん」
突如黒き炎がその中央で湧き上がった。
「「!?」」
警戒し飛び退く両者。その中央で燃え盛っていた漆黒の炎はすぐさま消え去り、そこに一人の少女が姿を現した。
「喧嘩はノンノン♪ ご法度ですよ〜」
それは奇妙な格好をした少女だった。目つきは鋭いが能天気そうで、しかし服装からどこか異様な雰囲気を醸し出している。
右手には小型のドクロをいくつも着けたような腕輪をし、更に二つに結われた髪もまたドクロによって纏められていた。
どちらにとっても見知らぬ相手であることは互いの反応で見て取れる。リィゾは剣を構えながら、警戒の色を露にし、問うた。
「貴様……何者だ」
「ん? アタシの名は慧花(って言うのよん♪ どうぞよろしく〜」
にこやかに名乗る慧花という少女。
と、神威はその頬に刻まれた刺青を見て、驚愕を示した。
「逆向きの五芒星……。貴様、まさか『ペンタグラム』の……!?」
その言葉に反応し、慧花は目を見開いて拍手した。
「おぉ、さすがは太古の昔から魔を狩り続けた異端の血族、天楼の人間ねぇ。アタシたちのことを知っているなんて」
「!? 貴様……何故それを」
「さぁ、何故でしょう?」
「貴様……何が目的だ」
「当面の目的はあんたたちの衝突を止めること。あんたらさ〜、いまのこの世界がデリケートだってわかってないんじゃないの〜?」
指を立て、説教してますと言わんばかりに胸を逸らせる。
で、すぐそんな格好に飽きたのか慧花はだらしなく肩を下げると掌を振って、
「まぁそれ以降の目的は言うつもりはないけどねん。少なくともあんたがしでかそうとしてることとはまったく関係ないわね。成功しようと失敗しようと」
「邪魔をする気はない、と?」
「今のところは、ね。でーも〜、あまりこの世界が完成しきる前においた(をするようなら――」
指を口元に置きながら目を細め、一言。
「殺しちゃうよ?」
笑いながら、しかしその悪寒はどこまでも身体を縛り付ける。
神威でさえ鳥肌が立つほどの何か。だが、神威だけはそれもある種納得しているようだった。
そのせいか、神威はすぐさま剣を収めた。
「……フン。こちらの邪魔をしないのならばそれで良い。せいぜい貴様の主の復活を待っていることだな」
「へぇ、そんなことまで知ってるんだ。すごいすごい」
「せいぜいテムオリンたちに足元を救われないようにするんだな」
「ご忠告どーも〜」
「行くぞ、葉子」
「え、あ、はい」
葉子を連れて、二人の姿はすぐさま虚空へと消えた。
と、そこで慧花はゆっくりと振り返り……そしてリィゾを見て驚いたような表情を見せる。
「あ、そういえばあんたもいたんだっけ?」
「貴様! 私をおちょくっているのか!」
慧花は手をピラピラと振り、
「や、別におちょくってなんかいけどさ。ってか、そんなことよりさー吸血鬼くん。あんたこんなとこでこんなことしてて良いの?」
「何……?」
慧花は悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべ、手を後ろで組みながらリィゾを流し見る。
「あんたの国。ちょいとピンチよん?」
「どういうことだ!?」
「お隣のフェイト王国が着々と進軍準備してるのよん。
何人かのサーヴァントのマスターを仲間にできたみたいだから、一気に攻め込むつもりじゃないのかしら〜?」
「なっ――」
「そういうわけだから、ほら、とっとと帰んなさいな。どの道直接手を下すことはあんたの主が禁じてんでしょ?
ならいまは自国の防衛に回った方が効率的だとお姉さんは思いますが、その辺どう?」
「ちぃ……!」
舌打ち一つ。リィゾはすぐさまニアダークを鞘に収め踵を返す。
彼の頭にあることはただ一つ。自らの主君である吸血姫の安否のみだった。
「ばいば〜い。……って、さすがにすぐ見えなくなるねぇ」
さすがは死徒二十七祖。その姿はあっという間に見えなくなる。その背中を慧花は溜め息混じりに見送り、
「やーれやれ。お姫様のことになるといきなり鵜呑みにしちゃうんだから。さすがは騎士……ってこの場合褒めて良いのか微妙よねぇ〜」
だが、フェイト王国の動きは事実であり別に騙したわけではない。
まぁリィゾが帰ったことでフェイト王国に負けられても困るのだが、それは大丈夫だろう。
「どうせ状況が悪くなればあの放浪男がなんとかするだろうし」
ともあれ、と慧花は苦笑し、
「舞台の完成はまだ遠く、かと言って怠けてもいられない、っと〜。はぁ、中間管理職は気が緩めませんのー」
ガックリと肩を落とし、二度目の溜め息。
仲間のうち二人は未だ覚醒せず、残り三人はろくすっぽ動きやしない。結局雑用は自分に回ってくるのだ。
救いは部下が有能だ、ということだろうか。まだ負担が少なくて済む。
それに、と慧花は視線をその国――カノンに移す。
「ま、当面の間、相沢祐一と神尾二葉の件は『秩序』のおばさんが動くだろうし、そっちはお任せにしますかね」
ほとんど人任せな気もするが、やることは多い。途中まで行動が同じ者がいるのなら、出来うる限りの雑用はそっちに押し付けて問題ないだろう。
「とするとアタシのすべきはー……聖杯戦争の監視とー……あのうざったらしい桜とー……斬真の血筋の見極めとー……あー、嫌になる」
髪をボリボリと掻き、しかしながら笑みを取り戻し、
「ま、ぼやいててもしょうがないわねん。適当に、手を抜きすぎずやっていきますか。先は長いし〜」
トン、と軽く地を蹴る。
するとまるで重力を無視するかのようにその身体は高々と舞った。その軌跡を描くように漆黒の火の粉が散る。
そして二つにまとめた髪を靡かせ、踊り子のように優雅に空中を一回転。するとその回転に呼応するようにその身を黒き炎が旋回し、
「相沢祐一。封印の鍵にして最上級の生贄。……近い未来、いずれまたお会いしましょう。今度は挨拶も、かねて――ね♪」
暗黒の炎が小悪魔のような笑みを浮かべる慧花の全身を包み込み、次の瞬間一気に爆ぜた。
するとそこにはもう何もなかった。
あるのは残滓。黒き火の粉が風に揺られるだけ。
ゆらゆら、ゆらゆら。
どこまでも不安定に彷徨うその様はまるでこの世界の縮小図のようであり、そして仄かに消え行くその末路もまた、この先の未来の暗示か。
そして世界は、止まることなく混沌へ転がり落ちていく。
あとがき
あーい、というわけで神無月でございますですよ〜。
長かったー。ここ最近ずっと長かったけど、いつにも増して今回の文量は長かった。
さぁ! 何はともあれキー大陸編無事完結いたしましたー! はいそこ、中途半端な終わり方だとか言わない! わかってる!(ぉ
作中で二ヶ月程空いた「カノン王国編〜キー大陸編」とは違い、「キー大陸編〜三大陸編」では一週間程度しか時間が流れておりません。
だから中途半端なのも仕方ない!(ぇ
つまり三大陸編のスタートはこの戦いの後始末とその先の出だし、ということになりますです。
今度は国家間だけでなく、大陸間の話にスケールアップ! ただでさえ登場人物多いのにまだまだ増えます。
このキャラの多さこそ神魔の真骨頂だと私的には思っておりますので、どうぞそういうのが平気な人は以後もお付き合いくださいませ。
で、ここでちょいと注釈。
藤乃の『歪曲の魔眼』。これ原作では『魔眼』という表記は一切なかったと思いますが、とりあえず便宜的にこういう表記にしました。
まぁ多分違うんでしょうが、神魔ではその方向で。
そんでもって、最後に登場した「慧花」というキャラ。
はい、誰だこいつと思ったでしょう。ズバリ、オリキャラです。今回は完璧な敵キャラとしてのオリキャラですが!
まぁこいつに関してはまだまだ出番もあまりないと思うので多くは触れますまい。三大陸編でもちょろっと出るかどうか。
っと、いつの間にか長文になってしまいました。失敬失敬。
さて、では次回からいよいよ「三大陸編」です。プロットでは全編の中で一番話数が少ない予定なんですが、さてどうなるか……w
ではそういうことで〜。