神魔戦記 第百二十二章

                       「兄妹、時を越えて」

 

 

 

 

 

 神奈はエア王城の玉座でただ静かに瞼を閉じていた。

 遠くに聞こえる戦場の音撃。だがそれは確実にここまで近付いている。

 しかし神奈はここから動かなかった。否、動くわけにはいかなかった。

 自分はある意味で、餌だ。自分の首を討ちに来る意思(、、)を持つ者を誘い込むための。

 来るであろう人物は数人。それらとの戦いを、邂逅を誰にも邪魔されることがないように神奈はここで静かに客を待つ。

「……来たか」

 翼が戦慄く。

 どうやらそのうちの一人が来たらしい。

 神奈は瞼を開けながらゆっくりと腰を上げ、玉座に立てかけておいた聖剣『タテノミタマノツルギ』を手に取り扉を見やる。

 重々しい音と共に、扉が開かれてその人物が入ってきた。

 ……遠野美凪だ。

「フッ。やはり城に待機させておいた兵では主の足止めにもならんか。まぁ無理もないやもしれんな」

 紅赤朱状態の美凪を相手にできる者などエアとてそういない。しかもエアにいた頃と違い力の行使を厭わなくなったいまの美凪であればなおさら。

「……目が変わったな、美凪」

「神奈様……」

「様はもう良い。もうお主はエアの者ではないのだから」

「……神奈、さん」

 神奈が一度頷いた。

「いまのお主は随分と生き生きしている。……カノンはどうだ?」

「……ええ。とても素晴らしい国です。どんな種族の誰もが分け隔てなく暮らすことが出来る、まさに全種族共存の国……。夢のような場所です」

「そうか。美凪は自分の居場所を見つけたのだな。良かった」

「……」

「思えば、随分とお主には辛い思いをさせたな。お主のためを思ってしていたつもりであったが、結局お主を追い詰めてしまった」

「いえ」

 美凪は首を横に振る。

「神奈さん――いえ、神奈様と呼ばせてください。あなたがいてくれたからこそ、私は生きてこられました。

 ……確かに辛いことは多くありました。……でも、いま私がこうしてここに生きているのは……神奈様がいてくれたからです」

 神奈がいなければとっくに殺されているか、あるいは世界に絶望して自殺していたかもしれない。

 ゆとりを持ったいまだからこそ、その“もしも”をとても怖く感じてしまう。

 いま生きていることの喜びを噛み締めて、美凪は小さく頭を下げた。

「ありがとうございます。神奈様。私はいまでもあなたを尊敬し、そしてあなたの部下であれたことを誇りに思います。……ですが」

 顔を上げる。

 その表情に浮かぶ意思はただ一つ。ありありとした――戦意。

「だからこそ、神奈様。私が私の道を進む責任として、そしてあなたを裏切った罪として……私はあなたに戦いを挑みに来ました」

「あぁ、わかっておる。わかっておるとも。だからこそ、余もこうして待っておったのじゃ」

 神奈は薄く微笑み、

「お主がここにいる、ということは祐一は二葉とおるのか。……あぁ、勝手なことなんじゃが、あの二人だけは上手く行って欲しいと切に願う」

「私もです。あの二人は……あまりにも悲しすぎますから」

 うむ、と頷き――神奈は美凪を見た。

「まぁ、他人のことはこれくらいにしておこう。我らは我らの戦いをするとしようではないか」

「はい」

 神奈が片手で『タテノミタマノツルギ』を持ち上げ、美凪が『冥ノ剣』の柄に手を添えた。

「加減や遠慮などいらぬ。全力で来るがいい、美凪。――お主の全てを余にぶつけよ。そして……余もそれに応えようぞ」

「はい。加減などしません。私は相沢さんのために、ミチルのために、そして何より自分のために……感謝と誇りと未来を賭けて――」

 美凪の真紅の髪が揺れる。紅蓮の双眸、そこに闘志を輝かせ、

「神奈様。あなたを……討ちます!」

 全力を、ぶつける!

Burning(燃える), burning(燃える), red stars(紅き星々)

 

 

 

「私は……相沢祐一を兄だとは認めないッ!!」

 二葉から矢が放たれた。

 宣戦布告。憎しみの体現にして復讐の証。

 射られし矢は光なれどその中身は漆黒の憎悪で埋め尽くされている。

 それを受け入れたい気持ちもある。悪いことをしたという自覚も……いまならある。だけど、

「祐くん……!」

 こうして隣でギュッと袖を外套を握ってくれる者、他の仲間たち、国の民そして何より――自分と、二葉のために。

「はぁ!」

 その矢を、切り払った。

 霧散する光。それを見据えながら、祐一は観鈴の頭を撫で、

「大丈夫だ。安心して、任せてくれ」

「……うん!」

 前に出る。誓った想いを胸に宿し、祐一は真正面から向き合うために一歩を踏み出した。

「……二葉」

 突き刺さるような憎しみの視線を、甘んじて受け入れる。

 だが――死は受け入れない。

 それは逃げだ。責任からの逃亡。

 あゆが、美凪が、観鈴が。自分を信じて言ってくれたのだから。

 だから祐一は……言葉を紡ぐ。

「二葉、すまない」

「!?」

「お前を……悲しませてしまったんだな。俺を殺そうとするまでに」

 俯き、拳を握り締める。

「許してくれ……とは言いたくない。それは傲慢な物言いだから。……けど、俺の心が告げている。お前と戦いたくない、と」

 だから、と祐一はもう一度二葉を見上げ、

「敢えて、言う。許してくれ」

「……!」

「俺が――いや、俺たちが悪かった。……だから二葉。また一緒に生きていかないか? 俺と」

 差し出す手。

 あの時手放してしまった手を、もう一度掴むために。

 自分勝手な言い分だと理解している。罵られても構わない。

 でも、どれだけ隠そうとしてもこの思いだけは事実で。この世界に残ったただ一人の肉親だからこそ、祐一はもう手放したくはなかった。

 その手を、二葉はいろんな感情がない交ぜになったような表情で見下ろしている。

「……っ」

 だが、

「ふ……ざけないで」

「ふた――」

「ふざけないでよぉ!!」

 心からの叫びが、その手を拒絶した。

「今更! 今更あなたは何を言っているの!? 謝る!? そして一緒に生きよう!? ハ……ふざけるのもいい加減にしなさいよ!

 私が……私がどんな気持ちでエアにいたと思ってるの!? 私がどんな想いでエアに仕えていたと思ってるの!?

 この十年間が、そんな安っぽい言葉だけで埋め尽くされるなんて思ってんの!? 笑わせないでよ……ふざけないでよ!!」

 二葉は目に涙を溜めながら、強くかぶりを振る。

「私は……絶対にあなたを許さない!」

 唐突に、二葉は左手にある腕輪に手を掛けた。

「あなたを殺すことでしか、もう私の憎しみは止まらない!!」

 引き千切る。

 瞬間、強烈な魔力が二葉の身体から吹き出した。

「これは……!」

 身体に圧し掛かる強大な威圧感。

 二葉の身から溢れる魔力の放流がうねりをあげて周囲を襲う。

 この魔力量、相当のものだ。覚醒状態の祐一ほどではないものの、間違いなくさくらや佐祐理よりは大きい。

 だがあまりにも大きいために、その違和感も一際目立った。

 純粋な神族ではない気配、を。

 きっとさっきの腕輪は、強すぎる二葉の魔力から半魔半神であることを隠すために施された、魔力を一定量封印する道具だったのだろう。

 神族寄りに生まれた二葉とはいえ、種族で言えば祐一と同じく半魔半神。父親は相沢、母親は神尾という生まれ。

 その二葉が、確かにあの程度の魔力であるはずがなかったのだが……!

「死になさい、相沢祐一ぃ!」

 二葉の魔力が矢を形成し、それを祐一に向かって射る。

 それはもう矢と呼ぶのもおこがましいほどの一撃。むしろ砲弾。相手を射抜くのではなく消滅させる光の砲撃だ。

「くっ……!」

 その一撃を真横に飛んで回避する。だが一撃では終わらない。

 連射が来る。

 一撃一撃が強大にも関わらず、その速射にこの命中補正はかなりもの。

 詠唱しながら走る祐一は魔力強化を足にのみ集中させてランダムに移動しているにも関わらず避けきれない。

「戦うしかないのか!? 俺たちは!?」

「当然よ! そして死になさい! ……それこそがあなたが私に出来る唯一の贖罪だわ!」

「くそ……! 『陰陽の剣(インシュレイト・ブレード)』!」

 詠唱を完了させ祐一がすぐさま対消滅の剣を作り出し、命中必至のその砲撃を切り払った。

「光と闇の対消滅……! なら――さいか! まいか!」

「「御意!」」

 二葉の声に、それまで後ろで待機していただけの二つの影が応える。

 それは少女だ。二葉よりもずっと幼い、見た目十歳前後の。そしてその二人は双子の姉妹なのか、ほとんど同じ顔をしていた。

 翼をはためかせ、さいか、まいかと呼ばれた少女たちがそれぞれ手を広げる。集まるマナと、そして、

アウェ・リオ・イア・ソムク

エル・デヘル・イア・ソムク

 その独特な魔術詠唱。それは、

「この詠唱は……オンカミヤリュー!?」

「そうよ。私の部下である双子の姉妹、志乃さいかと志乃まいかは神尾ではなくオンカミヤリューの血筋なの。そして――」

 二葉がそっと腿に巻いてある布飾りに手をかざした。

「――魔力は矢と化す――!」

 (まじな)いに応じ、二葉の手に矢が形成される。

 だが、魔力を解放し自力で矢を形成できるようになったいま、その(まじな)いに果たしてどれだけの意味があるのか……。

「――まさか!?」

 だが祐一は気付いた。二葉の奥の手の正体を。

「受けなさい相沢祐一! これが三位一体の攻撃……!」

 二葉が矢を放つ。

 それと同時、さいかから火の魔術が、まいかから水の魔術が放たれた。

 オンカミヤリューは神族でありながら光属性に加え、生まれつき基本六属性のいずれかを持って生まれる一族。

 だからその光景には不思議はないが――放たれたるは、対属性(、、、)

「やはり、これは……!」

 さいかとまいか。双子であり魔力の質がほぼ同調している二人の対属性が、二葉の放った矢に吸い込まれていく。

 魔力は矢と化す。その(まじな)いを具現するように放たれた魔力が合一し、対であるが故に消滅し、

「――消滅陣・抹消の矢」

 二葉が口元を釣り上げた。

「あなたと同じ……対消滅の力よ!」

 一瞬の後に再形成され、消滅の力を宿した矢が墜落する!

「く……!」

 かわしきれないと判断した祐一が『陰陽の剣』でその矢を受け止める。

 対消滅と対消滅。同じ消滅の力が鬩ぎ合い、互いを喰い潰さんと激突する。

 本来であれば上位属性である光と闇の対消滅の方が、火と水よりもずっと強いはず。……だが、

「無駄よ! そんな不安定な状態の上に大した魔力も込められてない対消滅!

 いくら上位属性であろうとも、そんじょそこらの攻撃ならいざ知らず私たち三人の魔力を乗せたこの矢を打ち破れるはずがない!」

 そう。

 祐一は覚醒状態ではない。それでも『陰陽の剣』が使えるのは、この魔術を具現化させる最低限の魔力が低いからだ。

 普通の魔術や攻撃なら、魔力量が少なくとも対消滅の力でどうにかなっただろう。

 だが、下位属性とはいえこの攻撃は同じく対消滅。

 しかも祐一は未覚醒でかつ一人の魔力であるのに対し、二葉たちは遠慮なしの上三人分の魔力量。

 この差――あまりに大きすぎる。

 それを証明するが如く、祐一の『陰陽の剣』が破砕した。そして、

「っ――!?」

 その場所を強烈な爆音が貫いた。

「祐くん!?」

「あははははははは! 死んだ! やっと、やっと殺した! 殺したんだ!」

「っ……!」

 狂ったように笑う二葉を、観鈴が睨み上げる。

「二葉ちゃん! 本当に……本当にこれがあなたの望んでいた結果なの!?」

「当たり前です! この為だけに私はこの十年間を耐え抜いてきたんです! それが叶ったいま……これ以上の幸福があるはず――」

「ならッ!」

 叫ぶ。

「なら! ――あなたはどうしてそんなに悲しそうに泣いているの、二葉ちゃん!!」

「え――?」

 言われて初めて気付いたのか。二葉は瞳から落ちる涙を拭い、驚きに瞳を震わせて、

「涙……? なんで、私……?」

「それが二葉ちゃんの本当の気持ちなんでしょう!? その涙が、心を締め付ける想いが、本当の二葉ちゃんの気持ちなんだよ!」

「違う! 私は、そんな……!」

「違わない!」

 一息。観鈴は腕を振り、

「二葉ちゃんのその憎しみは、寂しさの裏返しだったんでしょ!? 本当は……本当はずっと祐くんを待ってたんでしょ!?」

「っ――!? あなたに何がわかると言うんですか!」

「わかるよ! わたしだってずっと待ってたもん!」

「!?」

「大好きだから! 大好きだったから! ずっと会えなくて、すっごく寂しかった!

 ……もちろん二葉ちゃんの場合はもっと特殊で、いろいろとわたしより辛いことが多かったのも知ってる。でも!」

 涙を流しなら、訴えかけるように、

「でも! 全部じゃないけど二葉ちゃんの気持ちはわたしにもわかるんだよ! だって似てるから! わたしたちは、似てるから!」

「ち、が……違う! わ、たしは……観鈴姉様とは違う! 憎くて、憎くて、殺したいほどに憎くて……! それにもう、あの人は死――」

「死んでないぞ」

「「!?」」

 声に、二葉と観鈴が弾かれるように振り返る。

 その先、濛々と舞い上がる煙の先から一つの人影がゆっくりと歩いてくるのが見えた。それは、

「祐くん……!」

「そ、んな……どうして!?」

 祐一の身体は傷だらけで足元も覚束ないが、確かにそこに生きていた。

 驚愕に身を震わす二葉に祐一は苦笑を浮かべる。

 簡単なトリックだ。

 そもそも敵の攻撃を防御――しかも命中精度の高い攻撃に対処するのに、なぜわざわざ『陰陽の砦』ではなく『陰陽の剣』を使ったのか。

 違う。使わなかったのではなく、既に使って(、、、、、)いたのだ(、、、、)

 この『陰陽の砦』にはほぼ不可視である、というおまけのような能力がある。それを祐一は利用した。

 しかし不可視とはいえ、対消滅クラスの魔力を宿すもの。注視されれば簡単に見つかるだろう。

 だからこそ、祐一は二葉の攻撃を避けているかのようにランダムに走って見せて(、、、)いた。

 そもそも祐一ほどの者なら相手の技量なんてすぐにわかる。回避が難しい攻撃をわざわざ防御を捨てて回避するはずがない。

 二葉の本来の魔力を肌で感じ取ったときに何かまずい攻撃を出された際の奥の手として事前に『陰陽の砦』を展開しておいたのだ。

 そしてあの矢を放たれる直前に『陰陽の砦』のすぐ傍まで移動し、剣が破砕されたあの一瞬でそこに逃げ隠れた……というわけだ。

 とはいえやはり剣同様に魔力差で負けていたので完全防御はかなわずこうして祐一にもダメージがあるわけだが……。

「二葉」

「!?」

 状況に頭が追いつけず混乱の坩堝にいる二葉に、祐一は傷だらけの身体を引きずりながら笑みを見せた。

「俺たち、まだやり直せるんじゃないか……?」

「……!」

 観鈴と二葉の会話を聞いていて確信した。

 この想い。決して一方的なものじゃない。二葉も、心のどこかで祐一を待っていた。それを感じ取った。

 だから、

「二葉……俺の手を取るんだ!」

 もう一度、手を差し出す。

 その手を二葉は悲しそうに顔を歪めながら見つめ……しかし大きく首を振り、叫んだ。

「許せない……許せないのよっ!!」

 二葉が怒りのままに矢を作り出す。

「ずっと一緒にいてくれるって約束したのに! あなたは――お母さんとあゆと一緒に私だけを残して姿を消したぁ!」

 それを弓につがえ、

「だから……だから私はぁぁぁ!!」

 振り落とされる光の砲撃。

 いまの祐一は無理な行動の反動でろくな動きが取れない。

「くっ……!」

 直撃する。

 だがその瞬間、祐一の前に飛び出す影があった。

「駄目ぇぇぇぇぇぇ!!」

 それは――観鈴。

「観鈴!?」

「観鈴姉さ――!?」

 飛来した豪烈な矢が観鈴の胸に吸い込まれ――、

 刹那、観鈴の背中に三対六枚の翼が出現し、世界は光に包まれた。

 

 

 

 相沢祐一は一時期、神尾祐一と呼ばれていたことがある。

 生まれて数年だけのことだが、その記憶は祐一にもある。母が王家を追放されルドロの街に住んでいたころだ。

 神尾という苗字は王家のものだが分家も多い。だからエアにおいてその苗字は別段珍しくはない。

 だからルドロに移り住んでいたときは祐一は『神尾』の姓だった。

 王家は独身である時子が子を産んだことで王家を追放しただけで、まだこのとき祐一の父親が魔族であるとは気付いていなかった。夢にも思わなかったに違いない。

 祐一の母、時子は三女ということで公に出てくることもまずなく、あまりその外見を知る者はいなかった。それに周囲の者たちもまさか王家縁の者がこんな田舎町にいるとは思わなかったのだろう。誰もそれを気付くことなどなかった。

 細部こそあまり覚えていないが、漠然とした感情は覚えている。

 幸せだった、と。

 時々町を抜けて出会っていた父。そして生まれた祐一の妹――二葉。

 そしてほぼ時を同じくして孤児であったあゆを時子が引き取り、四人で本当の家族のように暮らしていた記憶。

 少し大きくなってからは、時子の姉である郁子の計らいで、従兄妹に当たる神奈や観鈴とも出会い、遊んだ。

 親類は誰もが時子を汚いものを見るような目で見ていたが、郁子、晴子、時子の三姉妹は仲が良かったのだ。

 彼女たちを慕う極数人の間者たちを使い手紙のやり取りもしていたようだ。

 だからこそ、祐一、二葉、あゆ、神奈、観鈴は出会うことが出来た。遊ぶことが出来た。触れ合うことが出来た。

 五人で遊んだ。笑い合った。ずっと一緒だよ、と皆で約束した。

 父、慎也はそれこそほとんどカノンから出てこなかったけれど、それでも十分幸せだと感じていた。

 そう、幸せだったんだ。

 だが、

 ……それを、自分が壊した。

 その日は、いつもとは逆に神奈と観鈴がルドロの街に遊びに来ていたときだった。

 いつもは着ないような質素な服に、二人が妙にはしゃいでいたことを覚えている。そしてそれを見て笑っている自分たちも。

 時子に見せてやろう、と思った。いつもヒラヒラしたドレスを着ている二人でも服を変えればなんてことはない。普通の民に見えるんだ、と。

 けれど、そのとき見てしまったんだ。

 見も知らぬ男に、母が押し倒されて犯されそうになっている場面を。

 後で聞いた話では、どうもその少し前から時子が王家から流れた直系の者である、という噂がまことしやかに流れ始めていたらしい。

 きっとそれが原因だったんだろう。

 だがそんなことは関係なかった。子供の祐一はそれがひどく醜悪なものに見えて、怒りが爆発した。

 それが全ての終わりだった。

 祐一の内に秘められていた、闇と光の力が暴走したのだ。

 荒れ狂う光と闇の魔力。魔術を一切知らなかった祐一が融合を制御する、なんて高等技術が出来るはずもなく、そのままであったら間違いなく祐一を含め全員がルドロの街ごと消し飛んでいたことだろう。

 だが、そうはならなかった。

 神奈がいたからだ。

 次期王位継承権一位ということで英才教育を受けていた神奈は、既に自らの力をほぼ自由に使いこなせていた。

 その圧倒的な光の魔力を利用し、融合しようとしていた闇の部分だけを打ち消し、対消滅を打ち防いだのだ。

 そのおかげで街にはそれなりの被害が出たが、死傷者は皆無という結果になった。

 ……しかし、祐一が闇の力を秘めていることが知れ渡ってしまった。

 時子の父親が魔族であることが露見してしまった。

 幸せの終わりだ。

 時子は祐一とあゆを連れてルドロを出る決意をした。否、出なければ殺されるということがわかっていたのだろう。

 だが、二葉は連れて行かなかった。

 あゆは昔から泣き虫だったが精神的に強い一面があった。だが二葉は精神的に脆かった。

 きっとこれからの逃亡生活には耐え切れないだろう。

 だから時子は最後の頼みとして郁子に二葉を委ねた。

 二葉は祐一とは違い、闇の力を受け継がずに生まれた。持っている力は光のみ。翼もある。誰もがれっきとした神族として見るだろう。

 それに二葉はその頃から魔力は十分に高かったし、弓の才能もあった。養子として受け取っても不自然は特にない。

 幸運なことに二葉が生まれたのはルドロに移り住んでから。つまり郁子と晴子以外の王家は二葉が生まれたことを知らなかったから余計に。

 祐一も、子供心に二葉はその方が幸せだろうと思った。

 誰にも見つからないような逃亡生活より、養子とはいえ王家の一員として過ごしていく方がよっぽど幸せに違いない、と。

 それとは別に、この事態を引き起こしてしまったのは自分なのだから、二葉まで巻き込みたくないという『兄』としての責任みたいなものもあった。

 だから時子、祐一、あゆは三人だけでルドロを出て行った。信頼できる間者に寝ていた二葉を預けて。

 時子は泣いていた。あゆも泣いていた。

 でも祐一は泣かなかった。

 これは自分の犯した罪で、そして罰なんだと思ったから。

 だから泣くことはせず、いつかの再会に胸を馳せ、そしてルドロの街を出た。

 ……けれど、世界は子供の想像を遥かに越えて残酷だった。

 神族から離れるようにして移り住んだカノンでも、周囲の目は変わらなかった。否、余計にひどかったようにさえ思う。

 その頃慎也は必死に周囲の魔族たちを説得し、時子が城に住めるように準備をしていたらしい。

 それまでの辛抱だから、と辛いにも関わらず笑った時子を覚えている。

 だけど世界は残酷で。

 間に合わなかった。

 祐一とあゆの目の前で、時子は人間族の手で嬲り殺しにされた。

 覚えている。あの下卑た男たちの笑い声。

 覚えている。あの身と心を切り裂くような痛みを。

 覚えている。あの無力感を。

 覚えている。あの――伸ばされ、しかし掴むことのできなかった母の腕を。

 絶望した。

 その後、父に引き取られた。

 父、慎也は人間族に最愛の妻を殺されたことを知っておきながら、それでも人間族に手を出そうとしなかった。

 だから祐一は父が嫌いだった。

 弱者だ、と。愛していなかったのか、と。罵ったこともある。それに対し父はただ苦笑を浮かべるばかり。

 だが、その父も結局は人の手で殺された。

 絶望した。

 全てに絶望した。

 ただ静かに暮らしたかっただけなのに、世界はそれさえ認めようとしない。

 なら、そんな世界は要らない。

 そんな下らない、醜悪な世界なんて、自分の手で壊してやろうと決めた。

 父の古い知り合いと名乗る者に引き取られ、力を磨いた。復讐のための、負の誓いに想いを込めて。

 そしてカノンに戻り、仲間を集め、復讐のために起った。

 ……けれど、その戦いの間に祐一の心は変わっていった。

 復讐のためではなく、変革のために。

 殺すためではなく、守るために。

 剣を取る理由が変わっていった。

 時は全てを移ろわせる。良い意味でも悪い意味でも。

 過去は過去。現在は現在。未来は未来だ。

 ……けれど、想う。

「ぐす、うっ、うぅぅ……ぐす、お母さん、お兄ちゃん、あゆちゃん……どうして皆どこにもいないの……?」

 真っ白な世界。虚ろな空間。

 その真ん中で、ポツンと一人、膝を抱えて泣きじゃくる少女。

「うぅ……ひっく、どうして、私を……置いていったの……? どうして私だけ……ぐす、う、うあ、ああああん」

 美しい純白の翼と黄金の髪。そしてそれに遜色ない整った可憐な顔。

 泣かないで、と思う。

 折角の可愛い顔が台無しだ、と。

 けれど手が伸びない。その身体を抱きしめたいのに、それをする権利が自分にはないように思える。

「うぅぅ……会いたい、会いたいよ……お母さんっ、お兄ちゃん」

 でも。

「お兄ちゃん……!」

 でも、もう悲しみを見ているだけは嫌なんだ。

「お兄ちゃん……」

 いままでずっと見ていることしか出来なかったんだ。

「お兄ちゃ――――――んッ!!」

 だから――だから、その名を呼んだ。その少女の名を呼んだ。大切な者の名を呼んだ。

 もう二度と同じ過ちを犯さないように。この手から大切なものを取りこぼさないように。

 だから、呼ぶ。

 その名は、

「――二葉ッ!!!」

 

 

 

 白い世界が、崩れ去った。

 

 

 

「……な?」

「え……?」

 気付けばそこは、先程とまったく同じ状況。

 手を広げ祐一を庇う観鈴。その背に生えた、三対六枚の純白の翼。そしてその観鈴に迫る光の矢。

「「!?」」

 祐一と二葉が同時に動いた。

「間に合えええええええ!」

「駄目ええええええええ!」

 祐一が瞬間的に覚醒、超高速で観鈴の前に割り込もうとする。

 二葉は自らの放った矢を強引に軌道を逸らそうとした。

「う、お、ぉ、ぉぉぉ、ぉぉぉぉおおおおお!!」

 その二つが重なり合い、祐一は観鈴に矢が届く前にやや上向きに反ってやってくる矢を、魔力強化した腕で強引に薙ぎ払った。

 あらぬ方向へ飛んでいく光の矢。それを見送ると同時、観鈴の背中から六枚の翼が消え、その身体がゆっくりと崩れていった。

「観鈴!」

「観鈴姉さん!?」

 祐一が覚醒を解きながらその身体を慌てて抱え、二葉その傍に着地して駆け寄ってくる。

「に、にはは……観鈴ちん、頑張ってみた」

 魔力の行使が酷いのか、観鈴の顔はやや青い。

 一体何が起こったというのか。

「いまの……全部過去なの?」

 どうやらいまのビジョンは二葉にも見えていたらしい。

 と、そこで祐一は一つの可能性に思い至った。

「過去……。そうか、神尾家の『星の記憶』か!?」

 神尾家にのみ継承され、神尾を神族四大名家たらしめる特殊能力『星の記憶』。

 確かにあの能力なら他者に他者の過去を見せる、なんていう芸当も容易だろう。

「だが、あれは本来長女にしか受け継がれない力のはず……それが何故観鈴に……いや、いまはそれは置いておこう」

 考えても仕方ないことはいま考える必要はない。祐一は観鈴の身体を起こしながら、

「立てるか?」

「うん……なんとか」

 ゆっくりと手を離す。観鈴はふらつきはしたが、それでもどうにか自分の足でその場に立った。

 ホッという安堵の吐息が二つ。

 それの意味することに気付き、祐一は隣の二葉を見た。

 二葉は慌てて視線を反らす。……が、もう逃げようとはしなかった。

 観鈴の与えてくれたチャンス。

 それがいまなのかもしれない。だから――祐一は身体ごと二葉に向き直り、真正面から二葉を見た。

「二葉」

 名を呼ぶと、二葉の肩が強張るのを感じた。

 だが祐一はもうそこで言葉を止めない。何故なら先程見た過去で、改めてわかったことがある。

 もう見ているだけは嫌なんだ、絶対に手放したくないんだ、と。

 だからその一歩を。動き出すための、初めの一歩を踏み出さねば。

「二葉」

「な、なによ……?」

「すまない」

「っ!」

「今更謝ったところで償えないことはわかっている。けど、俺は――」

 その先の言葉はパン! という小気味良い音で遮られた。

 それは……二葉が祐一の頬を張った音だ。

「私……私は……!」

 祐一の頬を叩いた手がギュッと握り締められる。その奥前髪に隠れた二葉の瞳からは――涙がこぼれていた。

「……あの頃は、まだ私馬鹿だったから! 捨てられたんじゃないか、とか……凄く、凄く悲しくて、寂しかった!

 でも大きくなるにつれて……なんとなくわかってた。……母さんや兄さんが私のことを思って、考えてここに置いていったことくらい。

 いまの過去を見ても、母さんや兄さんの気持ちはすごく伝わってきた。でも……私が望んだのはこんな『幸せ』じゃないっ!」

 二葉がへたり込む。そして涙を止めようと必死に両手で拭いながら、

「……わ、私はただお母さんや兄さんと一緒にいたかった!! 後ろ指差されたって構わない! どんな罵詈雑言を投げられても構わない!

 その先に待っていたのがあんな悲しい死であっても、絶望であっても! それでもただ私は『家族』で一緒に暮らしたかった!

 死ぬときまで、ずっと見ていたかった……! 最後を看取りたかった! 皆で苦労も悲しみも分かち合いたかった!

 それだけなのに……それだけだったのに……私一人のうのうと生きて……それで私が本当に『幸せ』だなんて思えると思ってるの!?」

「二葉……」

「そんなの違う……! 違うじゃないよぉぉ……」

 泣きじゃくる二葉の前に膝を着き、祐一はそっとその身体を抱きしめた。

「あっ――」

 細い肩。小さな身体。

 先程までの勇ましさはどこにもない。そこにいるのはただ弱々しく泣いている……あの頃と同じ妹の、相沢二葉のままだ。

 どれだけ寂しさを背負わせてしまったのだろう。どれだけ悲しさを背負わせてしまったのだろう。

 自分の不甲斐なさ。浅はかさ。その全てが後悔となり心を攻める。

「すまなかった。本当に、すまなかったな」

「に、いさ……」

「俺たちの考えだけを押し付けて、お前の考えを聞こうともしなかった俺たちが悪かったんだな。……本当に、すまない」

 でも、と抱きしめる腕を強めて、

「もうどこにも行かない」

 そう、まだ終わりじゃない。

 こうして二葉はここにいる。生きている。なら――まだやり直せる。

「お前が許してくれるのなら、俺はずっとお前の傍にいる」

「うそ……」

「嘘じゃない。今度こそ絶対だ」

 服をギュッと握られる。俯いた二葉からくぐもった声。

「信じ……られないよ……」

「信じてくれ」

「……もう、裏切られるのは嫌」

「あぁ」

「……もう、あんな寂しい思いも悲しい思いもしたくない」

「あぁ」

「……私、多分もう二度と離れられないよ? ずっと傍にいたがるよ?」

「構うもんか」

「死んでも離さない、よ……?」

「俺が死んでも離さない」

 上がる視線。その瞳を真っ直ぐに見つめ、出来得る限りの優しい笑みを祐一は浮かべる。

「二葉。俺を呼んでくれ」

「……っ」

 さぁ、と促す。すると二葉は涙で真っ赤にした目をわずかに上げ、一瞬逡巡し……しかし小さく呟くように、言った。

「……にい、さん」

「あぁ」

「に、いさん……」

 こぼれる雫。その綺麗な髪を払い、頬を撫で、その雫を手で拭い、

「あぁ、ここにいる」

「兄さん……兄さん、兄さん、兄さん……!」

 いままでの時間を埋めるように、連呼する。

 耐え切れぬように涙が二葉の頬を伝う。でももう彼女は隠そうとも止めようとしない。

 甘えるように、もう離さないとばかりに胸に顔を埋め、

「うわああああああああああああああああああああああああああああん、あ、あ、あああああああああああああああああ!!!」

 心の底から、涙を流した。

 

 

 

「良かったね、祐くん」

「ありがとう観鈴。全部……お前のおかげだ」

 ううん、と観鈴は首を横に振る。そして満面の笑みを浮かべて、

「わたしはちょっと手助けしただけ。……この結果は祐くんの気持ちが導いたものだよ」

 そっと二人を抱きしめた。

 抱き合う祐一と二葉を、更にその上から包むように。

「やっと……やっと、また触れ合えたね。にはは」

 その温かさに、祐一と二葉は互いを見やり、そして観鈴と三人で優しく微笑み合った。

 三人が奏でる十年振りの――笑みを。

 

 

 

 あとがき

 そしてまた長くなってしまった……。

 というわけでどうも神無月でございますよ。

 今回は祐一と二葉。そしてそれを取り巻く過去のお話、ってところでしょうか。

 氷解した思い。憎しみの正体は寂しさ。でもこれで二葉も、きっとこれからは素直に祐一に甘えることができるでしょう。……いや無理か(何

 多分いままでのいざこざや遠慮やら何やらで素直にはなれないんだろうなぁ。ええ、程よいツンデレになるでしょう(マテ

 さいかとまいかも初登場。しかしあまり出番なし。後半は置いてけぼりだぜ(ぁ

 で、オンカミヤリューの詠唱。これがよくわからない(汗

 ウルトとカミュで詠唱が違うんですよね。けど術によって違うわけじゃないから、個人で詠唱が違うんだろう、と判断してこういう形になりました。

 なんで二人ともオリジナルの詠唱にしてあります。でも違うかもしれない。うたわれに詳しい人、知ってたら教えて〜。

 まぁ彼女たちはうたわれのオボロに対するドリグラと似たようなもんだと思ってください。

 それはともかく、次回はあゆVS佳乃ですね。そして美凪VS神奈も。同時上映です(ぇ

 ではまた。

 

 

 

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