神魔戦記 第百十七章

                       「鏡界の魔眼」

 

 

 

 

 

「あは、は、はははは……あっはははははははははははははははははははははははははは!!!」

 高槻の笑みが謁見の間に響き渡る。

 強烈な魔力を醸し出しその存在感を圧倒的なものとした朋也に、誰もの視線が集中していた。

 いままでの朋也とはまるで別人。それだけの存在感と威圧感。

 これが本来の岡崎朋也。『第二の天沢郁未』とさえ呼ばれた、仲間殺しの汚名を被った鬼神。

 その無言のプレッシャーに誰もが固唾を呑んだ。……ただ一人を除いて。

「殺す……殺してやるッ!」

 その唯一の例外はクリスだった。

 朋也同様一変した気配を身に纏い、朋也を一瞥すらせず高槻に突っ込んでいく。

 彼の頭には既に復讐の二文字しかない。それは皮肉にも同じ名を持つ彼の永遠神剣『第四位・復讐』による一種の支配だった。

「おおおおおお!」

 鎌を振り上げ、今一度月の結界を破砕しようとして、

「させん」

「!?」

 一瞬で朋也が割り込んできた。

 速い。が、クリスはその鎌を止める気などない。復讐の邪魔をするのなら、

「一緒に死ね……!」

「クリス!」

 浩平の制止の言葉すら聞かず、振り下ろされる『復讐』の刃。

 だがその瞬間、朋也の『鏡界の魔眼』が煌きを放ち、

「二重防御結界“水の盾”」

 一瞬で構成された水の結界にそれは遮られた。

「なにっ……!?」

 弾かれ、浮いたクリス目掛け朋也は手を翳し、

「『暗黒の走破(リッシュナッパー)』」

「!」

 極細まで編み込まれた闇の光条が慌てて身体を捻ったクリスの脇腹を掠めて行った。

 どうにか着地し、一度下がろうとするクリスに朋也は追いつき、

雷光閃

 今度は雷を帯びた剣戟が繰り出される。それを『復讐』の柄で受け止めるが、柄を伝い感電する。

「っ……!」

 電撃によるわずかな硬直。そこへすかさず朋也が剣を振り抜いた。瞬間湧き上がる強烈な炎は、

「美凪の『炎月』……!」

 杏の言うとおり、それはまさしく『炎上』の炎。クリスは咄嗟にオーラフォトンで防御を展開するが、止まりきらず向かいの壁にまで吹っ飛ばされた。

 その光景を呆然と見ていた浩平の頬に汗が伝った。

「おいおい……。どういうことだよこれは。水に闇に雷に、はては火属性? どういう人間なんだよ岡崎朋也ってやつは……」

「違う。朋也の能力は――」

 だが杏が口を開くより早く、巻き上がる粉塵からクリスが飛び出した。

 一直線に朋也へ向かい、そして振りかぶる『復讐』の刃には影が集約していた。

マナよ、『復讐』のクリスが命じる! 影よ、刃となりて敵を切り裂け!

 それを見て杏がハッと声を張り上げる。

「駄目よクリス! 朋也に中途半端に技を繰り出したら……!」

 だが遅い。

シャドウエッジ!

 刃が影を掬うように振りあがり、その影が斬撃となって一直線に朋也へと突き奔った。

 そこで再び朋也の魔眼が一瞬発光し、

シャドウエッジ

「なっ!?」

 同じ動作。剣で自らの影を掬い上げるようにすれば、クリスが発動したのと同じ影による斬撃が放たれた。

 そして激突、相殺される。

 それを驚きの視線で見ていた浩平はおいおい、と呻き、

「ありゃいったいなんなんだ!? 今度は永遠神剣も持ってないのに神剣魔術!? どういうことだ!?」

「あれこそが朋也の魔眼……鏡界の魔眼の力よ」

 答えたのは杏だ。

「見たものを鏡のように映し込み、具現化する能力。それが鏡界の魔眼」

「技や魔術をコピーするってことか?」

「簡単に言えばそういうことね」

「おいおい……そりゃあ反則だろう?」

「だからこそ朋也はクラナド兵千人を一人で倒せたし、脅威だと封じられていたのよ」

 でも、と杏は前置きし、

「本当はコピーだなんてそう単純なものでもない。……ワン王、あなた『根源の渦』って知ってる?」

「この世の過去、現在、未来の全てが記録されている全ての始点にして終点、っていうあれか?」

「そう。別の言い方では『アカシックレコード』。数ある魔眼の中の数種は、その根源に繋がっているともされているわ。

 時空の魔眼や夢現の魔眼、直死の魔眼、そして……朋也の鏡界の魔眼も同じ。

 あれは『岡崎朋也が見た事象を根源の渦の記録から引き出し再現する』魔眼なの。……わかる?」

「わからん」

 仕方ないか、と杏は思う。杏自身それをしっかり理解するために何度椋から説明を受けたことか。

 根源の渦……アカシックレコードには全てのことが記録されている。これは魔術をかじった者であれば誰でも知っていることだろう。

 そこで朋也の鏡界の魔眼が登場する。

 直死や時空の魔眼が根源の渦にチャンネルを『合わせる』魔眼なら、鏡界の魔眼はむしろ逆。根源の渦にチャンネルを『合わせてもらう』もの。

 無限とも呼べる記録の中から、朋也の見た事象を抽出、それを『鏡のように世界に再現する』ことが鏡界の魔眼の力だ。

 自分という『内』に影響を及ぼす直死や時空の魔眼とは違い、系列的に言えば世界という『外』に影響を反映する夢現の魔眼に近い存在だろう。

 一見、反則とも呼べる魔眼であるようにも思える。が、

「鏡界の魔眼にも欠点はある。それは『見た事象を根源の渦の記録から引き出し再現する』とする以上、力の操作ができないこと」

「どういうことだ?」

「そのままの意味よ。あくまで『見たままを再現』することしかできないってこと。厳密なコピーってことね。

 技をコピーしたとしても、それを手加減して使ったり強めて使ったりすることができないわけ」

「あぁ、なるほど」

「まだあるわ。再現にはもちろん同等の魔力を消費するってこと。だから朋也の内包魔力以上を使う技はコピーできても再現できない」

「ま、そりゃあある意味当然だわな」

「更にもう一つ。『事象を再現』ってところがネックでね。肉体を使う技はコピーが難しいらしいの」

「またなんで?」

「例えば剣の技――そうね、美凪とか。『炎上』はともかく居合い術ね。

 それに関する技をコピーしようとしても朋也の肉体キャパシティがそれに届いてないと再現にならないのよ」

「そうか。厳密にコピーしなくちゃ発動しないんなら、肉体を使った技やらなんやらはあいつの再現できる範囲内だけ、ってことだな」

「そういうこと。あと探せばもう少し欠点はあるけど、重要なのはその三点。つまり無敵じゃない。付け入る隙は十分にあるわ」

 以前朋也が捕まったときも、その隙を突かれたものだった。

 だから無敵じゃない。限りなく強いのは事実だが――手立てはある。

「けど、それより先に確認しなくちゃいけないことがある」

 そう言うと、杏は未だへたり込んだままの有紀寧に近付いていった

「有紀寧、お願い教えて。いったいここで何があったの?」

「……」

「ちょっと有紀寧! 呆けてないでしゃんとしなさい!」

「あ――はい。そうですね、わたしがしっかりしないと……」

 呆然としてやや青褪めてさえいる有紀寧だったが、それでもどうにかこの状況を簡潔に説明し始めた。

 高槻が和人に幻惑の魔眼で扮装していたこと。

 その狙いは岡崎朋也であること。

 レンタルという能力を持つこと。

 もともと月の結界は鈴菜のもので、幻惑の魔眼はクリスのもの。そして和人の聖痕さえも借り受けていたこと。

 更には浩一もクリスも高槻とは浅からぬ因縁があるらしいということ、全てだ。

 それを黙って聞いていた杏たちは納得したように小さく頷いた。

「なるほど……。つまり全ては朋也を手に入れるために仕組まれた戦いだったのね。なるほど、道理でこんな無茶な戦い方をするわけだ」

 杏は考え込むように顎に手を添えながら、んーと呟き、

「でも、多分その『レンタル』という能力の特性からして、力は元に戻るはずよ」

「そうなのか?」

「二度と戻ってこなければ『借りる』ではなく『奪う』よ。敢えて借りると言うからには戻る可能性もあるってこと。つまり――」

「――つまり高槻を殺せば鈴菜に月の力が戻って、岡崎朋也も止まるってことだな!? なら話は簡単だ!」

「ちょ、浩一!?」

 それまで動きを見せなかった浩一が床を蹴った。

 いま朋也はクリスの相手をして止まっている。だから狙うならいまだ。

 ――こいつが鈴菜と水菜を傷付けた張本人……!

 水菜が言葉を喋れなくなるまで弄んだ外道。許さない。許すわけにはいかない。

 二人だけじゃない。この男のために何人が死に、何人が犠牲になったか定かじゃない。

 だから、生かしておくわけにはいかない。

「高槻――お前はここで死すべき人間だ!」

 だから、

「大蛇! ――完全解放ッ!! ぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおおお!!」

 吼えた。

 生まれて初めての完全解放。

 七割で駄目なら全力で。ひどく単純な考えだ。

 完全解放。試したことは何度もある。しかし届いたことはない。

 だが、届く。届かせる。

 七割の解放なんて戯言だと言わんばかりの魔力の放流。押し留めること叶わず、爆発するように身体から魔力が吹き出していく。

 神経をザクザクとナイフで切りつけられるような痛みが全身を奔り抜け、その痛みに意識が落ちそうになるがやはりその痛みで覚醒する。

 大蛇の力の奔流に、人間族の身体が悲鳴を上げている。

 しかし浩一には確信があった。

 いけるはずだ、と。

 いや違う。いかなければならない意地がある。

『先程も言っていたな、その言葉。意地がある、と。……だが、それでどうする? その身体で汝は何ができると言う?』

『できるさ』

 あのとき玄王と戦ったときにも言ったことだ。

 自分には意地がある。中途半端だろうがなんだろうが、相手が強かろうがなんだろうが、そんなものは関係ない。

 ただ必要なのは強い意志、強い決意、そして強い想いだ。

 ここで、この男を倒すことさえ出来ないのであれば、力を持つ意味がない。

 自分はムーンに二人を救出に行って、その凄惨さを見て、誓ったのだ。この二人を守り抜こう、と。

 そしてその決意の前にこの男は邪魔だ。自分たちのためだけではなく、この世界にとっても。

 だから、

「――自分になんて、負けてられねぇんだよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

 魔力の奔流が止まった。まるで栓でもしたかのようにピタリと、だ。

 だが浩一の足は止まらない。ただ真っ直ぐに高槻へ向かい、何度も阻まれた月の結界を前にして、

「無駄だ! 魔族が月の結界を破れるはずが――」

「昔、月の結界を片手で切り裂いた魔族がいるのを知ってるか?」

 何、と訝しむ高槻に対し浩一は軽く手を振り上げ、

「その魔族の名は比良坂初音。音を支配する俺の父親と、月の結界でその補佐をしていた母親を一瞬で殺した――蜘蛛の名だ」

 ほら、と事も無げに言った。

「万能の結界なんてありはしないんだよ」

 とん、と月の結界に浩一の手が触れて、

 

死の烙印(デス・インパクト)

 

 瞬間、音もなく粉微塵に月の結界が砕け散った。

「は……?」

 高槻の間の抜けた声。しかしそれも無理はないだろう。先程まで月の結界はその『死の烙印』を防いでいたのだから。

 ……だが、それはあくまで大蛇の力が七割のときの話。

 完全解放、しかもその魔力を完璧に制御化においたいまの浩一では、その威力には天と地ほどの差がある。

 音の揺れ幅、細かさ、全てにおいて上回っている。

 結界を形成する魔力連結を『物理現象』で強引に崩壊させたのだ。その異常さは推して知るべし。

 いまの浩一の『死の烙印』はまさに必殺。いかなる存在もたちまち崩壊させる魔手だ。

 もしもこの場に浩一の父親を知る者がいれば、恐らくこう言ったに違いない。

 音を支配する才能は明らかに浩一の方が上である、と。

「終わりだ、高槻ぃぃぃ!」

 結界の再構成などさせない。そのままの勢いで浩一は拳を握り締め、床を蹴る。

「ひ、ひぃ!?」

「死ねぇぇぇッ!」

 顔を歪ませる高槻に、浩一は終われ、と思いながら渾身の力を込めて拳を振り下ろした。

 ――終われよ!

 だが、

「!」

 ガキィィ、と。

 その拳は朋也の剣の腹で受け止められていた。

「なっ……!?」

 浩一は咄嗟に後ろを見た。

 するとあれだけの強さを見せていたクリスがズタボロになって床に転がっているではないか。

「……全員、殺す」

「!?」

 浩一は本能の促すままに大きく後ろへ跳躍した。一足飛びで広い謁見の間の端にまで届く跳躍に、しかし朋也は離されなかった。

「な!?」

 なんて速度。魔力が戻った状態の朋也の強化は尋常じゃない。

 そうして驚きに目を見張っていると、朋也は剣を水平に構えた。その構えを浩一は知っている。

「まさか!?」

琉落の夜(るらく よ)

 浩一が暗黒の球体に飲み込まれる。

 何故朋也がこの技を知っている、と浩一は思う。だが知らないのは無理もない。

 朋也がこれを見たのは有紀寧が祐一たちにさらわれていったときのこと。

 そう、朋也がコピーするためには魔眼で見なくてはならない、なんてことはない。使用条件は単純。朋也が見た(、、、、、)ことがあれば(、、、、、、)それで良いのだ。

「ちぃ!」

 だが、二ヶ月以上も前の技だ。名雪の結界の構築の仕方も未熟なときで、『死の烙印』を使わなくてもこの程度なら破壊できる。

 しかし浩一は開けた視界の中に朋也がいないことに気付いた。

 どこだ、と思う問いは恋の声で返ってきた。

「下よ!」

「!?」

「『水の柱・三十三裂(ウェイブウォール・サーティスリー)』」

 打ち上げられるは三十三の水の柱。

 早苗の魔術だ。

 圧倒的な水圧で押し潰そうとするそれらは、しかし浩一の圧倒的な魔力が勝手に作り出した自動障壁によって遮られる。

 それらを全部打ち消して浩一は着地。

「『囚人の石碑(フォービッド・グレイブストーン)』」

 するとそれを待っていたかのように地面が隆起し、閉じ込めるようにドーム状に閉じた。

 今度は芽衣の魔術だ。

 浩一は舌打ち一つ。だがこの程度の捕縛魔術。いまの浩一の前では無意味な代物だ。時間稼ぎ程度にしかなりはしない。

 その壁に手を当て、音による一点爆破。簡単に破砕する。しかし、

我は結ぶ者地より来たれ漆黒の雷天より来たれ純白の雷

 その時間稼ぎこそ――朋也の狙い。

我が剣は陣。天と地を結ぶ世界にして全てを平に還す剣なり

 崩れる石のドームのその上、剣に白と黒の雷を纏った朋也の姿。

 凝縮される魔力はかなりのもの。だがそれでも『死の烙印』には届かない。だから浩一はそれを受け返そうとして、

「駄目! 浩一! 逃げて!」

 杏の叫びが聞こえてきた。

天地雷光陣

 刹那、打ち下ろされる光の刃。

 浩一は杏の言葉に咄嗟に右へ跳んでいた。だが、わずかに遅い。

 その一撃は何をも寄せ付けないはずの自動障壁を容易く切り裂いて、浩一の左肩から腹部にかけてを一気に切り裂いた。

「な、がああああああ!?」

 予想もしなかった激痛に、浩一は堪らず声を上げる。

 天地雷光陣はもともと智代の技だ。そして劣化版とはいえ対消滅系の攻撃。

 いかに大蛇の力を完全に解放した自動障壁といえど、対消滅の前には何の役にも立たない。

 だがそこで終わりじゃない。朋也は天地雷光陣を宿した剣をそのまま更に右に振ろうとしている。

「まず一人」

「!」

 予想外の痛みに硬直している浩一はこのままでは避けきれない。駄目、と思う杏の目の前で、

「こ……のぉぉぉぉぉ!」

 トップスピードで走り込んだ恋が浩一を抱えて跳んでいた。

 剣が空を切る。だが、何も考えずに飛び出したんだろう。恋たちはそのまま受身も取れずゴロゴロと転がっていった。

 ようやく止まった頃になって、恋が頭を抑えながら立ち上がり、左肩から血を撒き散らしている浩一を抱え上げる。

「いつつ……ちょっとあんた! しっかりしなさいよね!」

「っ……すまん、助かっ――あぐっ!?」

「ちょ、大丈夫!?」

「自己再生が働かない……? そうか、あれは対消滅系か何かの類か」

 大蛇を完全解放した浩一の自己再生能力は、本来「TYPE-S」に分類されるもの。

 腕が消失しようが数分から数十分もあれば完全に再生されるほどのものだ。

 だが、その自己再生がまるで機能する素振りを見せない。それこそが、対消滅系の技の証だった。

 すると、それまで黙って見ているだけだった高槻が、耐え切れずというように大声で笑い始めた。

「あ、ははははははははは!! さすがは岡崎朋也! 『第二の天沢郁未』とさえ言われただけのことはある! 素晴らしいじゃないかぁ!」

 その高槻を守るように、中央に朋也は無表情で君臨している。

 そのプレッシャーを肌で感じながら、杏はその奥にいる高槻を睨み付けた。

「高槻とか言ったわね。鈴菜の月の力、クリスの幻惑の魔眼、そして朋也。……あんたはどうしてそこまで力を望むの?」

 ハ、と高槻は蔑むように杏を見て、

「何を当然なことを聞く? 人は上を目指す者だ。そしてどんなことにしろ、上を望むのであれば力は必要に決まっている」

「上……?」

「そうさ、世界っていうのは残酷なんだよ! 無情にして無慈悲! だがそれも当然。万人に都合の良い幸せなんてありはしない。

 なんせ人は強欲だからな。その人の幸せは別の人の幸せを踏みにじり土台とすることで成り立つ! ほぅら、この時点で矛盾だろう?

 結局、真の意味で『平和』なんてものは存在しないのさ。そんなものは、妥協と我慢の上に塗りたくられた泥の仮面さ!」

 手を盛大に振り上げ、どこか悦に浸りながら、

「だがな、それでも人は欲しいのさ、全てがな! そしてそれが勝者と敗者を生むというのなら、私は敗者になどなるつもりはない!

 ならば力を手にするしかあるまい? 勝者になるにはなぁぁぁ!」

「あなた……最っ悪の自己中ね!」

「ははははは、自己中心的! 大いに結構! それはつまり自らを理解し束縛せず開放してると同義よ!」

「く、こいつは……!」

「一人の勝者を導き出すためには、それを越える千、万、さらに多くの敗者が必要なんだよ!!」

 だから、と高槻は狂ったように笑い、

「お前たちはここで死に敗者となって私の踏み台になるが良い! なーに、心配するな。貴様らという土壌があればこそ、俺は上に行ける。

 決して貴様らの死は無駄ではない。後の世の礎となるんだ、さぞ満足だろうよ!!」

「エゴイストがッ!!」

「杏さん!?」

 真っ直ぐに駆ける。

 こんな男にクラナドが振り回され、そして自分たちが振り回されているなんてたまったもんじゃない。

 だから杏は真っ直ぐに行く。その中央、通さぬと言うように朋也がいる。その力は浩一やクリスさえ凌駕するものだが、

「別に戦うつもりなんてないからね!」

 朋也の剣が振るわれる。だがそれでも止まらず、そして腰を落とし、

「――残像を生む――」

 ステップを刻んで、

「――姿は見えなくなる――」

 残像を囮にし、剣の下を掻い潜り一気に後ろへ駆けた。

 いかに相手が強かろうと、この手は必ず一回は通るはずだ。逆を言えば一回しか通用しないとも言えるが、だからこその奇策。

 朋也を抜いた。そしてそのまま高槻に近付く。任意展開型の結界であれば、姿を消した杏でなら通り抜けることが可能のはずだ。

 ――どう!?

 結界が……展開しない。

 よし、という頷きを入れ、杏は姿を消したまま高槻の背後に回りこみ大黒庵・烈を振り上げた。

「なんだ!?」

 そこでようやく気配に気付いたらしい高槻が振り向くが、遅い。勝った、と思い、

「杏さん、後ろです!」

 藍の声と同時に、殺気。

 ハッとした表情で振り向けばいつの間にか朋也がそこにいて、

「しま――」

神剣の主が命じる! 影よ、敵を縛り拘束する鎖となれ!

 だが朋也の剣が振り下ろされるよりわずかに早く、

クルシフィクション!

 朋也の影から出現した数多の鎖がその身体を拘束していた。

 膝でどうにか身体を起こしたクリスの援護だ。

 いまのうちに、とも思うが嫌な予感がして杏は咄嗟に朋也と高槻から距離を離すことにした。

 するとまるで計ったかのようなタイミングで影の鎖が砕け散った。

 単純に魔力総量が半端ではなく、影の鎖が耐え切れなかったのだ。

 どうやら嫌な予感は的中したらしい。

「危ない危ない。……全開状態の朋也はある意味反則だからね」

 あのまま高槻に止めを刺すことにしていたら、おそらく杏の首が飛んでいただろう。

「……朋也に殺されるなんて、絶対成仏できないからね」

 さてどうしたものか、と考えている杏の横を高速で越す人影。

 クリスだ。

 クリスは未だに神剣に意識を煽られている。頭の中にあるのは復讐だけ。

 先程杏を助けたのはその狭間に残っていた『殺させない』という意識だろう。

 いまのクリスに何を言っても無駄だろうと思う。そして朋也はそんなクリスを迎撃するだろう。ならば、

「……皆で一斉にかかるしかないわね。朋也がどれだけの技をコピーできようと朋也の身体は一つだし、数で攻めればどうにかなる」

 実際、以前に朋也が単身でクラナドと激突したときは数で押し負けたところがある。

 ……まぁ朋也があのとき本気であったならクラナド軍は全滅していた可能性も否めないが。

 ――あのときは渚を討伐するってんで国の中だったからねぇ。周囲の住人や家屋を気にして大規模な技や魔術を使わなかったらしいし。

 もしも場所を省みず全力であったら結果は変わっていただろう。

 だが、それはいまは言えない。高槻がいるとはいえ月の結界がある以上それなりに本気は出せるだろう。だからこそ、

「手加減なしの全力で、ね」

「ちょっと。それで大丈夫なの? 仲間なんでしょ?」

 案の定訊ねてくる恋に杏はひらひらと手を振り、

「見ればわかるでしょう? これだけ身体に圧し掛かる魔力を持ってる浩一やクリスが全力でこれなのよ? あたしたちが全力出したって死ぬわけないじゃない」

 それよりも、と杏は恋の横に視線をずらし、

「浩一あんたは大丈夫?」

「大丈夫かと聞かれればノーだが……。戦える。いや、高槻を殺すためにも戦わなくちゃいけない」

「オーケー。なら策もなにもなし。全力で行きましょう」

 大黒庵・烈を構える杏の横に河南子が腕を振りながら並ぶ。

「へ、良いわね。そういう簡単なのはあたし好み」

「そう。じゃあ――」

「突撃だッ!」

 浩平の号令で、そこにいた皆が一斉に走り出した。

 浩平、浩一、杏、恋、藍、河南子の六人が散開し、別方向からそれぞれ高槻へ突き進む。

 もちろん朋也の意識を分断させるためのものだ。だがいまの朋也に手加減の三文字はない。

 迫るクリスを剣で弾き飛ばしながら高槻との間に立ち、

「『厄災の波濤(ノア)』」

 水の大規模魔術が放たれた。上級魔術であるが、効果範囲は超魔術さえ凌ぐもの。

 現れた巨大な大波が全員を飲み込もうと謁見の間に飛沫をあげる。

 だがそうはさせじと片腕の浩一が立ち塞がる。

 

死の烙印(デス・インパクト)

 

 血さえ沸騰させる高速分子振動は無論、蒸発しやすい水など容易く消し飛ばす。正に一瞬だ。

「お生憎様。さっきから調子が良いんだ。心も身体も沸点越えたらしくてな。……いまの俺は祐一よりてこずるぞ!」

 そのまま浩一が朋也に迫る。剣で迎撃しようとする朋也に対し、浩一は小さく指を鳴らすだけ。

 その瞬間、朋也の膝がわずかに崩れた。

「!?」

「三半規管を揺さぶった。お前レベルの相手じゃ一回、しかも一瞬しか効かないだろうが――俺の一度はでかいぞ!」

 拳を握り、隙だらけになったどてっぱらにぶち込んだ。

「なっ!?」

 が、すり抜けた(、、、、、)

 残像だ。つまり、

「まさか――呪具の効力まで再現可能なのか!?」

 答えは来ない。何故なら朋也は姿を消したまま他の誰かを狙いに行ったのだから。

「気をつけろ! あいつは姿を消してるぞ!」

 だが動きが速すぎて気配だけでは捉えきれない。誰もが緊張しながらも、しかし足を止めずに走り、

「!」

 トン、と床を蹴るような音を恋は聞いた。

 気配は近い。見ることもできぬとあればどうすることもできないが、

「残念ね、あんたに構ってる余裕はないの!」

 恋は怯むことなく、むしろ笑って言い切った。

 すると次の瞬間、背後でギィン!! と甲高い、何かがぶつかり合った音がこだました。

「恋ちゃんをやらせはしませんわ!」

 何も見えないところで、恋を庇うように『優雅』を構えているのは藍だ。

 朋也の姿が現れる。何故、という怪訝な表情に藍はにこやかに笑みを浮かべ、

「『優雅』は風を司る永遠神剣。たおやかに舞うその美しい演舞は周囲の風を操ることで成し遂げる。……つまり見えるんですの、私には風が」

 それは『風読み』という『優雅』が持つ特殊能力。

 大気中に漂う風を読むことで相手や攻撃の位置・速度を事前に察知することができるスキル。

 故に藍の前では姿を消していようと意味がない。気配遮断の能力があったとて対応できるほどなのだから。

「伊達にキャンバス王国で近衛軍にいたわけではありませんわ」

「信じてたわよ、藍!」

「お任せくださいな。さぁ……行ってください恋ちゃん!」

「まっかせなさい!」

 跳ぶ。そして、

「杏――ッ!」

「おっけい!」

 恋の呼び声に応え、杏は何かを高槻に向かって投げつけた。それはもちろん月の結界に遮られるが、

「――守る物に意味はない――」

 小貫遁・瞬。

 その(まじな)いに月の結界が一瞬さざめくが――割れない。

「は! たかが呪具程度で――」

「ええ、わかってたわよこのくらいで破れないことは。けど……恋!」

 ゲイルバンカーの光が軌跡となって空中へ踊り、それが炎へ一変すると恋は大気を蹴って、

紅蓮の閃光矢(ストライク・オブ・ベニハス)!!」

 炎を撒き散らし一直線に同一箇所に激突した。

「む……!?」

「こ……のぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 小貫遁・瞬で確かに結界は砕けなかった。……だが、ダメージがゼロだったわけではない。

 それは確実に蓄積されていて、そして寸分の隙も与えなければダメージは目に見えてくることになる。

 つまり……皹だ。

 が、

「くっ!? 恋ちゃん、そっちに行きましたわ!」

「っ!?」

 炎を停止。結界を壁とするように蹴り上げ、真上へ跳ぶ。すると先程まで恋がいたところに水の魔術が突き刺さっていた。

 朋也の姿は……、

「横ぉ……!」

 気配を感じるままに振り向きざまに蹴り一発。するとこちらに振り下ろしていた朋也の剣と激突した。

「どんなもんよ! 空中戦ならあたしだって――」

獅子・爆砕剣

「ちょ……!?」

 突然威力が増し、抑えきれずに恋は地面に激しく叩きつけられた。

「かはっ!」

「恋ちゃん!」

「あたしのことはどうでも良いわ……! 結界を!」

 応えるように地を蹴り打つ音。跳ぶようにして高槻に突き進むのは河南子だ。

 それを阻止せんと朋也が追い縋る。だがそれを妨害するように影の刃が朋也を襲った。

「「邪魔をさせるか!」」

 回避した朋也の前に割り込んできたのは二つの声。

 かなりのダメージがあるにも関わらず、それでも覇気を巡らせる浩一とクリスだ。

「……どけ」

 それに対し朋也が多彩な攻撃で二人を振り払おうとする。

 火、水、風、雷、氷、地の六属性を初め、闇に光、はては特殊属性の魔術、更には複合魔術や剣技、体術などなど。

 だが浩一とクリスも負けてはいない。

 浩一は音を、クリスは影を巧みに操りそれらの攻撃を防ぎ、弾き、かわし、そして距離を詰めていく。

 状況は一進一退のほぼ互角。

 だがそれで良い。朋也を殺すことが目的ではない。あくまで自分たちの目標は――高槻を倒す、ということだ。

「くそ、くそ何をやっている岡崎朋也!! こんな連中相手にてこずりやがって……!」

「あんたみたいなクサレ外道のせいでこちとら良い迷惑なのよ! いい加減くたばれっつーのこのアホンダラァァァァァァ!!」

 ハッとする高槻の正面、向かってくる河南子の右手に強烈な風のうねり。

「玉石同砕ぃ……」

 大気が悲鳴を上げているかのような超高音の響き。高速で巻き上げられる風の響きを余韻とし、河南子は強く踏み込んで、

豪破絶空 ――――――ッ!!」

 ゴッ!!! という轟音が大気を穿つ。強烈な威力に結界の皹が広がり――、

「てめぇ男だろうがよ……タマついてんるんだろうが! だったら結界の奥でのんびり座ってんじゃなくて前来いよ!!」

 更に踏み込む。

「なっ……単純な、なんの特殊効果もない物理攻撃で、月の結界が破られる……!?」

 全面に広がっていく亀裂に高槻が呻き、そして、

「まぁ来ないなら来ないで良いけど? ……こっちから引きずり出してあげるからぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!」

 河南子の咆哮と共に、月の結界が割れた。

 破砕音と同時に限界を越えた河南子が膝を着き、しかし天に向かって吼えるように言った。

「ワン王! こっからはあんたの出番でなんでしょう!? 任せるわよ!」

「おう! 良いとこ貰ってくぜ!」

 そして残るはワン王、折原浩平。

 結界さえなければ問題ない。浩平の右腕のマナ連結が解除され、一瞬で高槻のもとへ伸びていく。

「くそ、くそ、愚民が! 愚かな劣悪種どもが! 調子にのるなよぉぉぉ!」

 だがそれよりも早く新たな月の結界が瞬時に構成されていく。そして、

「しまった!?」

「浩平!」

「!?」

 浩一とクリスの猛攻を掻い潜り朋也が浩平の背後から肉薄していた。

「しま――」

 気付くのが遅すぎた。浩平がマナ連結を解除するよりも早くその剣が浩平の心臓を串刺しにせんとし――、

「もう、誰も死なせるもんかぁぁぁッ!」

 突如横合いから飛び出してきた少女の斧が、朋也の剣を叩き折っていた。

 それは左腕を引きずるようにして現れた、

「亜衣!?」

「わたしだけじゃありません……!」

 え、と呟くよりも早く、

「二十重束縛結界――」

 その凛とした声が響いた。

「――“水の処刑台”ッ!!!」

 瞬間、朋也の足元に巨大な魔法陣が出現し水の結界が折り重なるようにして二十、拘束するようにして朋也を縛り付けた。

「この技は……!?」

 驚き目をやれば、入り口の方向に何人かの影がある。

 それは瑞佳やみさき、留美……そして理絵と葵だった。

「話は全部聞かせていただきました! 私たちも加勢します!」

「え、ちょ、どういうこと……?」

「はは」

 笑ったのは土壇場で助かった浩平だ。

 浩平は悪戯小僧のように無邪気に口元を吊り上げ、

「こんなこともあろうかと、な。数人の兵士に連絡水晶に音声拡張の追加を施した特殊な呪具をあちこちに設置しておいてもらったんだ。

 で、その元である音を拾うのは――ほら?」

 そう言って首元から見せたのはペンダントのようにした連絡水晶。

「ワン王、まさか……」

「勝ち鬨を上げるときにいちいち報告するのも面倒だしな。その面倒を省く意味で持ってきたんだが……予想以上の効果でした、ってな?

 ――だがそれよりいまは高槻だ! 長森、みさき先輩、そして――七瀬! あの結界、ほんの少しでも良い穴を開けてくれ!

 少しでも穴が開けば俺がやれる! できるな!」

 瑞佳とみさきが頷く横で留美がほんの少し驚きの表情。そんな留美に浩平は視線だけを向かせ、挑発するように笑い、

「見せてくれよ七瀬。お前がどれだけ強くなったのかを。んで、俺に後悔させてくれ」

 あのときお前を雇わなかったことをな。

 そう続くであろう言葉を理解し、留美は笑って頷いた。

「良いわ。――見せてあげる」

 そして瑞佳を置いてみさき、留美の二人が疾駆した。

「くそ、くそ何をやっているんだ岡崎朋也ぁぁぁ! そんな結界ぶっ壊してとっととこいつらを殺せぇぇぇ!」

 半ば発狂したように高槻が叫ぶ。その命令を遂行しようと聖痕が輝きを放ち朋也は暴れるが、結界は壊れない。

「いかに岡崎さんの全力がすごくても、私の二十重クラスの結界はそう簡単には破れません!」

 その間に二人が行く。

「先に仕掛けるね」

 そう言って飛び出したのはみさきの方だ。

 みさきが永遠神剣『第六位・明月』を抜き放ち、

マナよ、『明月』のみさきが命じる。月光よ、荘厳なる刃となりて眼前の敵を切り裂け。月の光は全てを包み、全てを滅す!

 帯びる閃光、それが軌跡となり円を描いて、

ムーンライトスラッシャー・エグザ!

 月光の一閃が展開しきってない月の結界に激突した。

「ぐ、がぁ……!」

 展開スピードが遅くなっている。

 それは度重なる月の結界の展開で既に魔力が枯渇し始めているせいだ。その上、

「私の『明月』はこの結界と同じ月の力……。だからこそ特殊な能力は一切通用しない、力だけの勝負だよ!」

 正面から押していく。月と月。同じ力を有する二つの魔力が激しく激突するその上で、今度は留美がその大剣を振りかぶっていた。

「いけええええええええええ!!」

 裂帛の気合。そして振り落とされるは、

獅子王覇斬剣―――ッ!!」

 重力による絶対暴力。

 ズズン!! と床が軋みを上げる。直接的に受けてはいないとはいえ、結界へ激突した余波だけでその有様だ。

 正面と真上。圧倒的な同時攻撃に、展開しきれていない月の結界が悲鳴を上げ、またも皹が走る。

「嘘だ……嘘に決まっている! 倉木鈴菜の……月の巫女の力だぞ!? それがこんな、そう何度も――!?」

「所詮人の力を借りることしかできないあなたはその程度、ってことだと思うよ?」

「強さってのは自分で見つけて、自分で磨いていくものよ。他者から手に入れた力なんかで――勝者を気取るんじゃないわ!」

 みさき、留美の攻撃が更に勢いを増す。

 だが、足りない。押しが足りない。あと一手。あと一手何かがあればそれで結界は破砕するのに……。

マナよ、『復讐』のクリスが命じる! 影よ、断罪の刃を! 処刑の執行を! ギロチンの楔を解き放て!

 そこに、地獄の怨嗟が雄叫びを上げた。

 悪魔とさえ見える眼光。そして聳えるような巨大な鎌を携え、クリスが吼える。

エクスキューションッ!!

 その技の禍々しさを察知した留美とみさきが瞬時に散る。そこへすかさず『復讐』の刃が突き立った。

 既に二人の攻撃で崩壊しかけている結界。であれば……、

「砕け散れぇぇぇぇぇぇ!!」

 その通りになった。

 粉と散った月の結界。だが最初と違い、それは故意のものではなく純粋なる突破。故に『復讐』の刃は止まらず、

「ぎゃあああああああああ!?」

 高槻の両脚を玉座や床共々切り裂いた。

「くそ、痛えぇぇぇえ、痛いぞクソがぁぁぁぁ!!」

 魔力が構成される。再び月の結界が展開されようとしている。が、瑞佳はそれを見逃さなかった。

「いまだよ!」

アイスバニッシャー!」

 瑞佳の号令で、葵の『氷結』から神剣魔術が放たれる。

 それは魔術を事前に阻止する魔術。相手の周囲のマナを氷の力で停止させ、一時的に魔力に還元させなくするもの。

「あ……? なんだ、と……月の結界が、出ないだと……!?」

「残念だったな、高槻和幸」

「ぐぉ……!」

 いつの間にか、浩平の腕が高槻の内部に侵入していた。

 見た目は何もないのに、身体の中の内臓を掴まれるそのおぞましさに高槻が身を震わせ、

「き、さまらぁ……! 平和を語っておいてよってたかって人を殺す気かぁ!?」

「悪いな」

 浩平は軽く笑みを浮かべ、

「お前みたいな悪人には聞く耳も、容赦の心も持ってねぇんだ」

「やめ――」

 浩平が踵を返す。

 と同時、内部で魔力を暴走。高槻は爆散した。

 

 

 

 

 

 

 終わった。誰もがそう思った。

 ――が、

「残念ですが、ここでこの男に死なれるわけにはいかないのです」

 そんな声が耳を穿った。

 誰もが弾かれるようにして振り向く先、さっきまではいなかったはずの女が悠然と立っていた。

 左腕の先を失くした女性。その名は、

「鹿沼葉子……!」

 亜衣の噛み付くような声音に葉子は小さく苦笑。そして一同を見渡し、

「……今回は完全に我々の負けのようですね。ここは一度撤退させていただきましょう」

 葉子の右腕にはボールのような物が握られていた。ピチャピチャと何かが滴る音。それだけでその正体を誰もが看破した。

「……貴様、そんなものをどうする気だ?」

 鬼気迫る浩一のプレッシャーもなんのその。葉子はいつもの無表情で……いや、どこか自嘲めいた笑みを浮かべ、

「残念ですが我々はそう簡単に死ねる体ではないのです。心臓が潰れても脳さえ残ってれば死なない、いえ死ねないんです。まぁ痛みはありますが」

「なんだと……!?」

「そういうわけで今回はここで退かせていただきます。時代が私の真の主や異界者の思う通りに突き進むのであれば、また会うことになるでしょう」

「だからって逃がすと思ってるのか……!?」

 声は葉子の真後ろから。

 いつの間にか回り込んでいたクリスが『復讐』で葉子を叩き斬ろうとして、

「無駄です。いまのあなたたちでは私には勝てませんよ」

 消えた。

 無常にも空を切る刃。誰もが慌てて周囲を見やるが、気配さえもうどこにもない。

『そういうわけですので、此度はどうぞ勝利に酔い痴れてください』

 だが声は届く。

『ですが、これだけは覚えておいた方が身のためでしょう。……我々のような脅威はすぐ身近にあるのだということを』

 一息。そして、

『では、しばしの間。さようなら……』

「待て! 待てぇ!」

 クリスの叫びも虚しく、もう葉子の声は届いてこない。

 もうこの場からいなくなった。

 それを証明するように、理絵の束縛結界の中で朋也が意識を失っていた。

「……くそっ!」

 ガツ! とクリスが苛立たしげに『復讐』の刃を床に突き刺した。

 誰もが口を開かない。半壊した謁見の間を静寂が包み込む。そんな重苦しい空気を受けて、

「ち、なんだこれ……」

 やれやれ、と浩平は肩をすくませながら、どっと床に座り込んだ。

「こんなに後味の悪い勝利なんて初めてだぜ……」

 それはここにいる誰もの代弁となって、風に乗って――消えた。

 

 

 

 あとがき

 はい、どうも神無月です。

 ……え〜、というわけで決戦クラナド、これにて終了です。

 どうでしたでしょうね? まぁ多くは語らないことにしましょう。

 ……それより、うーん。注意書き必要かなぁ? 残酷描写あります、って。

 今回できるだけそうならないように誤魔化しつつ書いた気ではいるんですが……どうでしょうね?

 さて、いよいよ次回はエアとの決戦に移ります。

 ではまた。

 

 

 

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