神魔戦記 第百十四章
「永遠回廊」
剣戟が戦場を駆ける。
ぶつかり合っているのはみさきと葵だ。
葵は強い。
彼女が特務部隊に選ばれたのは何も理絵の友人で連携が上手いから、というだけではなく彼女自身の実力もあってこそ。
永遠神剣との同調率も高く、理想の形で永遠神剣を支配している彼女は自在にそれを操ることができる。
……はずなのに。
「くっ……!?」
押されているのは葵の方だった。
「こんな、こんなことって……!?」
葵の永遠神剣は第五位。対するみさきの永遠神剣は第六位と第八位。二本を足したところで第五位の力には及ばない。
にも関わらず押し込まれているということはつまり、
「もともとの能力差、ってところかな?」
「っ!?」
にこっ、と微笑むみさきのその笑みが皮肉めいたものにしか見えてこない。
葵は怒りに身を任せ強烈な一撃を放ち、その反動を利用して大きく距離を取った。
「あれ、怒らせちゃった?」
「近接戦が得意だからって調子乗らないでよね!」
んー、とみさきは頬を掻き、
「違うよ。私が得意とかじゃなくて、君が近接戦苦手なんだよ。ううん、違うね。防御が苦手なんだね」
「!」
「君はあの結界師の子と一緒に戦うことに慣れすぎちゃってるんだね。だから防御が疎かになってる。
それはきっと君たちの連携の上手さや信頼の現われだとは思うけど……だからこそ一人一人に引き剥がされたらボロが出る」
「っ……!」
確かにそれはある。葵は理絵という稀代の天才結界師と共にいたからこそ、防御という観念を全て捨てて攻撃に専念することができた。
その反動で、個人戦になったとき防御の反応が遅れているのは……癪だが、自身わかっていたことだ。
ええ、と認める頷きをし、しかし葵は笑みを浮かべ、
「でも、あたしはともかく理絵は違う。あの子の防御は完璧よ。あの子にボロはない。あの子は誰にも倒せない」
そう、理絵は違う。
理絵の結界は群を抜いている。この前クラナドに現れた凶悪な使い魔の攻撃すら凌ぎきったほどだ。
が、みさきは苦笑めいたものをその顔に浮かべ、
「あぁ、ごめん。それ意味ないんだ」
事も無げに言う。
「瑞佳ちゃんの能力の前じゃね、どんなに強烈な武器や魔術も、どんなに強固な結界も全てが無意味なんだよ」
「……仁科理絵、です」
「そっか。うん、良い名前だね。それに、とっても素直な人」
でも、と瑞佳は笑みを携えたまま、
「ごめんね。もうわたしの勝ちだよ」
勝利宣言をした。
それに対し、え、と疑問に思う間もなかった。
感じていた悪寒が一瞬にして違和感、そして危機感に変化したのだ。
何かはわからない。だが理絵は本能的にここにいたらまずい、と後ろに下がろうとするが、
「Time is cruel(.」
逸早く瑞佳の口から古代語の呪文詠唱が紡がれた。
瞬間、理絵の足元からマーブル模様の鎖が出現し身体を絡め取られていた。
「な、これは……!?」
それはどのような魔力で編み出された代物なのか。
闇でもない。光でもない。基本六属性のどれとも違う。何色とも取れれば何色とも取れない不可思議な迷彩を放つ鎖。
「We are restrained to it.(
I want to cut it. And, I want to throw it away(.」
謡うように、誘うように。その詠唱はゆっくりとしかし確実に浸透していく。
「If it is not possible to( do, let's newly create it(
そして詠唱が進んでいくにつれ、理絵の感じていた違和感が強くなっていく。
……否、そうではない。強くなっていくというよりむしろこれは、
「世界が……違和感に埋め尽くされていく!?」
惜しい。だが、それも違う。
世界が違和感に埋め尽くされているのではない。
理絵の感じている違和感が蔓延する世界に
「Here is my wo(
沈んでいく。繋がれた鎖に引っ張り込まれるように、理絵は得体の知れない違和感に引きずり込まれていく。
このままでは駄目だ、という思いはあるがこの鎖、何をしようともビクともしない。
結界を編みこもうにもどういうわけか魔力が安定せず、酷くあやふやで紡ぎだすことができない。
焦る理絵。しかし瑞佳はそんな理絵をただ直視しながら――最後の一説を呟いた。
「Your name is(
刹那、世界が一変した。
「……な」
絶句、とはこういうことを言うのだろう。
気付けば理絵は真っ白な大地の上に立っていた。
雪原、ではない。ただ白い地面なのだ。そして周囲を見渡せばどこまでも真っ直ぐに続く地平線。そして空は漆黒。
白と黒。まるで対となるように、世界がモノトーンに彩られている。
そして、その中で唯一この二色から浮いているのが、上空に浮いている巨大な時計。
先程の鎖と同じ色。何色とも呼べないが何色でもあるマーブルカラーの時計が一定のリズムで秒針を動かしていた。
現実感のない光景。そして理絵の感じていた違和感がこの空間全体に広がっている。
確信した。これは、
「……固有結界……」
「うん。正解」
声に弾かれるように振り返れば、先ほどまでは見当たらなかった瑞佳の姿。
「とは言っても、これは紛い物だけどね」
「え……?」
「ま、それは良いよ。本物であろうとそうじゃなかろうと、性能自体は優秀だもん」
瑞佳は後ろで手を組みながら、どこかに散歩にでも行くような軽い足取りで近付いてきて、
「ね、仁科さん。投降する気はない? この空間に取り込まれた時点で勝ちはないよ?」
「そんなのやってみなければわかりません!」
鎖はいつの間にか消えている。魔力も安定している。結界は使用可能。
ならここがどのような規律に縛られていようと、抗いようはある。まずは防御結界を張って、その後に攻撃用の結界を、と魔力を練り、
「ううん。やる前からわかってることなんだよ」
いきなり、目の前に瑞佳の姿が現れた。
「!?」
咄嗟に跳び退く理絵。空間跳躍か、とも思うが、
「無駄だよ。この空間じゃわたしから逃げられない」
その着地地点には既に瑞佳がいた。
違う。空間跳躍ではない。わずかのタイムラグさえないのはいくらなんでもおかしい。同じ理由で高速移動も無しだ。
ならば……?
「まさか……!?」
ハッとした表情で理絵は空に浮かぶ巨大な時計を見やった。
この何もない世界で、たった一つの象徴のように浮かぶそれの意味するところは、まさか、
「そう。そのまさか。この固有結界は――『時間』を支配する」
瑞佳の心象世界、固有結界。その名は“永遠回廊(
時を支配する絶対空間。
この空間の時は、全てが瑞佳の思うがまま。
時を戻すことも、時を止めることも、時を進めることも。どんなことだってできる。
だから茜も澪もみさおもみさきも瑞佳に勝つことは出来ない。
当然だ。どのような攻撃も、どのような防御も、完成する前に対処すれば何の意味もない。
それこそが時の力。最強にして最凶の、絶対の法則だ。
「仁科さんを殺すのも簡単なんだよ?」
言って、瑞佳は腰から一本のナイフを取り出した。理絵の結界の前では意味を成さないような何の変哲もないただのナイフだが、
「例えばこのナイフ。仁科さんの時間を止めて――」
スッと瑞佳が再び理絵の目の前に一瞬で移動した。手にあるナイフは理絵の胸に寸止めされていて、
「その間に心臓に刺して、そこで時間をまた動かせばそれでおしまい。仁科さんはなんの抵抗もなく死ぬことになるんだよ」
「……」
「ね、わかるでしょ? この固有結界に取り込まれた時点で仁科さんの勝ちはないの。ううん、名前を言っちゃった時点で、かな?」
この“永遠回廊(
まず一つ。この空間に引き込む相手の名前を知っていなければならないこと。
二つ。この空間に引き込む者の魔力総量が瑞佳の内包魔力より低いこと。
この二つがこの固有結界成立の条件だ。
二つ目の理由により複数人数を相手には使いにくい固有結界ではあるが、しかしそれ故に持続時間が異常に長いという利点も併せ持つ。
内包魔力量は澪でさえ凌駕している瑞佳だからこそ、こと対個人であれば大抵の相手はこの世界に落とし込むことが出来る。
故に、名前がわかればそれで最後。
この固有結界が完成した瑞佳に例外を除いて敗北の二文字はない。
瑞佳は小さく微笑み、
「この世界でわたしに勝てるのなんて、多分浩平くらいだから」
そう、その唯一の例外が浩平。彼だけが、この瑞佳の固有結界内におけるたった一つのイレギュラー。
彼だけは、瑞佳の時間支配に囚われない。
既に本物
「まぁ、ともかく。投降するのをわたしはお勧めするよ。無駄死にはしたくないでしょ?」
笑顔で言う瑞佳に、理絵は歯噛みして……。
「なっ!?」
葵はその瞬間、何が起こったのかを理解できなかった。
唐突。本当にいきなり、瑞佳と理絵の姿が視界から消えたのだ。
「不思議だよねぇ。あの鎖はどうも対象にしか見えてないみたい。いわゆる一種の幻視なのかな? 目の見えない私でさえ錯覚させられるほどの」
みさきが何を言っているのかまるでわからない。
ひどく頭が混乱する。そしていままで一度とて感じたことのなかった不安が頭を過ぎった。
……まさか理絵が死ぬ?
理絵は優秀な結界師。防御面においては世界でもトップクラスを誇るであろう理絵だからこそ、葵はそんな心配を一度もしたことがなかった。
バーサーカーと戦ったときでさえそんなことは考えなかったのに不安は止まらない。
消える間際のあの理絵の焦った表情が、その不安を募らせてしまう。
あんな顔を葵は見たことがない。どうしよう、どうすれば良いんだろう、と混乱に陥った葵は――しかし大事なことを忘れていた。
「隙だらけ、だね」
「!?」
いまが戦闘中である、ということを、だ。
ガキィン! と甲高い音がこだました。
みさきの振り上げに対し、反射的に防御しようとした葵の『氷結』が衝撃に耐え切れず弾き飛ばされた音だ。
遙か後方で剣が転がる軽い音が響く。それをどこか呆然とした面持ちで聞きながら、葵は首筋に当てられた剣の冷たさに動きを止めた。
「チェックメイト。……投降、してくれるかな?」
「くっ……!」
永遠神剣を失くし、加えてこの実力差でこの状況を覆すことは不可能。
悔しさはある。が……葵は力なく項垂れて、
「……わかったわ。投降する」
命を賭してまでクラナドのために戦う義理はない。クラナドは大事な故郷だが、それは葵の中で命を賭けるほどの理由ではなかった。
みさきの号令で数人の兵が葵を縛り上げた。ちょうどそれが終わった頃、みさきはふと瑞佳たちが消えた方向を見て、
「どうやらあっちも終わったみたいだね」
空間が歪む。すると次の瞬間、瑞佳と理絵の姿が現れた。
「理絵!」
「葵!?」
理絵は葵同様、手錠を掛けられた状態だった。おそらくこっちも投降したのだろう。だが葵は理絵が生きていることに安堵し、大きく息を吐いた。
「……どうやらお互い負けたみたいね。でも、生きててくれて良かった」
「そう、だね。私もそう思う」
互いに浮かぶは苦笑。負けたことは変わりないが、生きていてくれたことが嬉しい、と。
そんな二人を少し離れたところで眺めながら、瑞佳とみさきは互いにグッと親指を立てて互いの勝利を讃えあった。
見た目にクラナドの兵力が少なくなってきた。
反撃も少なく、王城の目の前にまで迫ってきた浩平たちの前にはもはや数十人の兵士しかいない。
城の周囲でさえこんな有様だ。いや、既に中央に配置するだけの兵力さえない、ということなのだろう。
「クリスたちは王妃さんを連れて先にいけ。ここいら一帯の兵は俺と部下たちでなんとかする」
城門手前で足を止め、振り返った浩平が告げる。
以下、随伴していた部下たちも反転し、城を防護していたクラナド兵たちに今度は逆に城へ行かせまいと武器を構えた。
「行け。他の進路を取った連中が合流したら俺たちも行く」
「浩平……」
対多数戦が苦手な浩平がここに留まると言った理由、クリスにはおおよそ見当がつく。
浩平は『守りながら戦う』という戦法が出来ない。苦手、ではなく不可能。
その特性上、浩平は回避はできても防御は出来ない。だから有紀寧を守りながら戦う、というのは無理なのだ。
浩平はあの身体になってからいままで『戦えない誰かを守りながら戦う』ということを経験したことがない。
……まぁそれも仕方ないだろう。浩平の周囲の人間は守ることなど必要のないような猛者ばかりなのだから。
だからおそらく、ここまでの道程でそれを悟ったのだろう。自分が守りに適してなく、ならばここに残り敵を近寄らせないほうが得策だ、と。
だからクリスはすぐに頷き、
「わかりました。それでは僕たちで先に進みます」
「おう! 王妃さんをしっかり守れよ!」
「はい、必ず。では皆さん、行きましょう!」
浩平たちをその場に残し、クリスを先頭に有紀寧、亜衣、浩一の四人でクラナド王城へ走る。
「と、止まれ!」
「悪いけど、止まるわけにはいかないね」
入り口に立つ数人の兵士をクリスたち三人が一瞬で気絶させていく。
格が違う。クリスも亜衣も浩一も、そんじょそこらの兵士たちで足止めができるわけがない。
そして目の前に巨大な門扉が見えてくる。閉まってはいるが、しかし、
「どけ、俺が壊す!」
浩一の一撃で門扉は強引に開かれた。
いよいよ城の中へ突入する。兵の迎撃に備え有紀寧を守るように三人が散開するが……そこに兵士の姿は一人もなかった。
「いまのクラナドに城の中にまで配置する兵力はないのですよ」
だが、代わりというように一つの声が響いてきた。
正門、吹き抜けの広大なエントランスの中央に一人の女性が悠然と立っている。
「有り体に言うのであれば……私が最後の砦、というところでしょうか」
髪を靡かせて優雅に進み出るは、鹿沼葉子。
その姿を見て、亜衣の肩がわずかに揺れた。その横でクリスは『贖罪』を構え、
「ということは、あなたさえ倒せばもう邪魔はない、ということですね?」
「そういうことになりますね。あぁ、ちなみに私に説得などという行為は不要ですので。私はこの戦いに疑問など微塵も感じておりません」
有紀寧を見て葉子は言う。正面から見据えられ固まる有紀寧を庇うように浩一が立ち、
「話は単純、ってわけだな」
「ええ。あなたたちが死ぬか、私が死ぬか。それしか結果はありえません」
葉子がゆっくりと両手を広げる。その両手に得体の知れない力が集束するのを皆が肌で感じ取る。
「さぁ、どうぞ。何人同時であろうと私は構いません。いつでも、どこからでも掛かってきてください」
その言葉にクリスと浩一がそれぞれ動き出そうとするが、
「待ってください」
その二人の中央から、亜衣が一歩踏み出した。
「雨宮……?」
「すいません、浩一さん。ヴェルティンさん。……ここは、亜衣一人にに任せてはもらえないでしょうか?」
クリスは驚きに目を見開くが、浩一はすぐにその意図を察していた。
「……仇討ち、か?」
「はい」
「勝算はあるのか? 感情論だけで言ってるんならそれは――」
「勝ちます」
亜衣は言い切った。
「玉砕覚悟、なんかじゃないです。だって亜衣はまた時谷さんを救い出さなくちゃいけないんですから、こんなとこで死ぬわけにはいかないんです」
だから、と顔だけを振り向かせて、
「お願いします」
その顔は、怒りに染まった顔ではない。激情に駆られた顔でもない。
ただ無心。冷たい心の中に熱き思いを滾らせた、言わば明鏡止水。
幾多もの想いと死を乗り越え、なおも挫けなかった者の顔。十三の少女が辿り着くにはあまりにも悲しすぎるその境地。
しかし、だからこそ浩一は頷くことしかできなかった。
「……わかった。ここはお前に任せよう」
行こう、と促し有紀寧やクリスと上へ向かう。二人は亜衣を一瞥こそしたものの、止まることはなく浩一についていった。
その間、葉子と亜衣は互いから視線をずらさなかった。
「……覚えていますよ。あなたはあのときの少女ですね」
「はい」
「あなたの力は前回見せていただきました。歳にしてはなかなかの実力者でしょう。
そしてそんなあなただからこそ実力差はわかっていますね? それでもなお、挑むと言うのですか?」
「はい」
即答する亜衣に葉子は小さく嘆息し、
「わかりませんね。そこまで無駄死にしたいですか? 仇討ちが美学とでも思っているんでしょうか」
「違います」
亜衣は言う。
「仇討ちは亜衣の私情です。それに、亜衣は負けるつもりはありません。……でも、それより大事な事があるんです」
「それは?」
「訂正を」
ギュッとディトライクを握り、
「あなたはエクレールさんを馬鹿にした。その言葉を撤回してもらいます。いえ、力尽くで撤回させます」
「なるほど。それがあなたの目的ですか。……小さいですね」
「えぇ、あなたからすれば小さいことだと思います。……でも、亜衣にとってはそうじゃない」
首から下げられたペンダント。それをもう片方の手で握り締め、葉子を見やり、
「だから、亜衣は負けません」
「そうですか。では――」
葉子がゆっくりと腰を落とす。
「その蛮勇。私の力で粉砕してあげましょう」
「なら亜衣はその上から叩き切ります」
ドッ! と両者が跳んだ。
葉子は手を振り上げ、亜衣はディトライクを水平に構え、
「!」
激突する。
あとがき
えー、というわけでこんばんは神無月です。
さて、というわけで瑞佳VS理絵とみさきVS葵です。
というよりぶっちゃけ瑞佳の能力お披露目会的な話であったわけですけどねw
でもまぁ、彼女の固有結界はちょいと特殊です。詠唱からして普通じゃないんですけどね。ま、どう特殊なのかは追々明らかになります。
さぁークラナドとの決戦も残り三話。次回は亜衣VS葉子ということになります。
お楽しみに。