神魔戦記 第百十章
「その夜に……」
エア・クラナドとの最終決戦を明日に控えた夜。
皆、各々の想いや誓いを胸にその時を待っている。
「どうにかギリギリ間に合ったわ。これがあなたの新しい武器よ」
そういって、杏はルミエからそれを受け取った。
「これが……」
「『大黒庵・烈』と『小貫遁・瞬』よ」
「見た目は変わってないのね」
「ま、改造したのは中身だからね。でも、応用性の利くものをピックアップしておいたから、あなたの要望にはかなってると思うけど?」
「ええ、十分だわ。さすがは呪具改造のエキスパート」
新しく入力された呪(いも既にルミエから聞いて把握している。
使い勝手が良さそうでしかも応用も利きそうな呪(いばかりだ。これだけあれば戦略の幅も大きく広がるだろう。
「ともかく、ありがと。あなたのおかげであたしはもっと戦えそうよ」
「そう。それは何よりだわ。明日は出撃するんでしょ?」
「ええ、クラナドにね」
グッと呪具を握り締める杏。そんな杏を見てルミエはポリポリと頬を掻き、
「……生まれ故郷なんでしょ? 抵抗はないの?」
「今更ねぇ。この前もクラナド行ったじゃない」
「そうだけど、あのときはまだあなたのことよく知らなかったから。クラナド出身者だって知ったのもつい最近だし」
「なるほど」
んー、と杏は考え込むと、
「……まぁ、強いて言うなら生まれ故郷だから?」
「どういうこと?」
「自分の生まれた国だからこそ、このままじゃいけないと思うわけよね。いまのクラナドは絶対に間違ってる」
魔族批判のことだけではない。ここ最近のクラナドの行動は度が過ぎているところがある。
全種族共存国であるカノンを目の敵にしている……とも取れるが、どうにも杏は不安が拭えない。
何か、裏でそれ以上のことを考えているんじゃないだろうか。そんな漠然とした不安。
しかし、だからこそ、
「わからせてやりたいと思うじゃない? やっぱ。で、言っても聞かない奴はぶん殴ってでも言い聞かせるのよ」
「乱暴な意見ね」
でも、とルミエは微笑を浮かべ、
「そういうの、嫌いじゃないわ」
「なんだ。案外気が合うじゃないの」
言って、二人笑い出す。そうしてひとしきり笑ったら杏は呪具をそれぞれ懐にしまい手を振った。
「そんじゃ、あたしはそろそろ行くわ。ルミエは……居残りだっけ?」
「ええ。城の結界補佐。まぁ本題は古河渚の呪具作りだけどね。……これがなかなか難航してて」
「そう。それじゃああまりお邪魔してもなんだし、これで。……ちゃんと寝なさいよ?」
「あなたこそね。寝不足で負けた、なんて洒落にならないんだから」
違いないわね、と呟き、後ろ手に手を振りながら杏はルミエの部屋を後にした。
時間も良い頃合だ。ルミエに言われた通り寝不足で戦場に立つなんて戦士として怠慢にもほどがあるだろう。
「それじゃ、さっさと戻って寝るとしますか」
そうして自分の部屋に戻ろうと歩を進めて、
「あら?」
その途中で見知った人物を発見した。
岡崎朋也だ。
彼はこっちに気付いていない。ボーっと廊下の窓から虚空に浮かぶ月を眺めているだけ。
杏は一瞬どうしようか迷ったものの、小さく嘆息すると近付いてその肩を軽く叩いた。
「……ん?」
「あんた。こんな時間になにボーっとしてんのよ」
「あぁ、杏か」
「『あぁ、杏か』、じゃないわよ。それ、部屋着? そんな薄着して……風邪なんか引いたらどうするわけ?」
「まぁ、そう言わないでくれ。ちょっと風に当たりたかったんだ」
再び空を眺める朋也。杏はやれやれ、と頭を掻きながらその隣に立ち、壁に背を預けた。
朋也とは逆方向を見る形。しかしそんなことは構わず、杏は腕を組み瞼を閉じて、頭を壁にもたれかけた。
「で、どうしたわけ?」
「……別にどうもしてないさ」
「あーんたは昔っから嘘が下手ね〜。表情でバレバレよ」
「そうか?」
「そうよ。……明日のこと?」
一拍。その間をおいて、本当に小さな返事が聞こえてきた。
「……あぁ」
「あんたもクラナドとの戦いに出るんだっけ?」
「あぁ」
「渚、放っておいて良いの?」
「良くはないだろう」
けど、と前置きし、朋也は窓の淵に肘を置きながら言う。
「これがクラナドとの最後の戦いになる、って言うんなら俺は行かなくちゃいけない」
「渚のために?」
「それもある。だが、それは半分だ。残り半分は――俺自身のため」
「朋也の?」
「あぁ。俺とクラナドとの決着のために」
渚を守りたかっただけなのに、それを貫くためだけに随分とクラナドとは激突した。
人間族にも関わらず、『先祖還り』により魔族の力を持った渚。ただ、それだけのことだったのに。
『本来どの種族であろうと、そこに差なんてないはずなのに。種族の違いなんかで殺し合って良いはずではないのに。
言い訳に聞こえるかもしれませんが、それを良しとしてしまう風習がクラナドにはあったのです』
有紀寧の言葉を思い出す。
『それを正さなくてはいけません。わたしのように種族間の差別の愚かしさを、知らなくてはいけないんです』
「認めたくないが……ここは、良い国だな」
「朋也?」
「いや、認めたくない、っていうのも俺のエゴなんだな。無力感を突きつけられたから、それを認めてしまったら何かが崩れてしまいそうな気がして。
でも、そうじゃないんだよな。そんな風にかたくなにこの国を認めようとしない俺は、いまのクラナドと何も変わらない」
「……そう、かもね」
「あぁ、そうだ。だから認めよう。ここは良い国だ。差別もない。偏見もない。どの種族も普通に暮らしていける理想の国なんだろう」
だからこそ、思う。
「本当は、どこもそうあるべきなんだ。だからこそ、俺はいま――このカノンを知った一人として、クラナドに剣を向けなくちゃいけない」
「知らしめるために?」
「そして、俺自身が認めの一歩を踏み出すために」
杏は見た。
ハッキリと宣言する朋也の横顔を。そしてその顔は……杏がずっと憧れ、好きだった――岡崎朋也という、男の顔だった。
「……そ。なら、勝たなくちゃね」
「あぁ。勝って必ず戻ってくる。渚のもとに」
――渚のもとに、かぁ。
杏は苦笑し、ゆっくりと壁から背を離す。そうして朋也に向き直り、拳を差し出した。
互いの武運を祈り、勝利を手にするために。
それを見た朋也もまた苦笑して、拳を握った。
コツ、と拳が軽くぶつかる。
無言の誓い。そして激励の証。
杏は薄く笑うと朋也の肩を二度叩いて、そのまま去っていった。
「……あいつには敵わないな、ホント」
なんだかんだで励まされた。いつもいつも杏はそうして誰かのために動いている。
そんな杏だからこそ、いまこうして一緒にいられることを力強く感じられた。
もう一度空を見上げる。
この夜空に太陽が昇るとき――それが、決着の時だ。
美咲は闘技場に向かっていた。
夕食が終わった後、一度はベッドで横になったのだがどうしても寝入ることができず、少し身体でも動かそうと思ったのだ。
だが、そこには既に先客がいた。
「ふ、ふ、……ふ!」
呼気を荒げ、一心に斧を振るう少女。
……亜衣だ。
仮想の敵を頭で思い描いているのか、彼女の動きは素振りではなくむしろ実戦のそれに近かった。
一歩を踏み込み、横に薙ぎ、腰を落とし、旋回して更に振り上げの一撃を見舞い、ステップを踏んで追撃。
「はぁ!」
だがその一撃を振り切るより早く、亜衣の動きが止まった。
「……駄目、か。いまの動きじゃ捉えられる」
どうやら仮想の敵にやられたらしい。亜衣は服の袖で汗を拭い、ぺたんと舞台に腰を落とした。
そこでようやくこっちの気配に気付いたのか、はたと亜衣がこっちを向いた。
「あれ、美咲さん……?」
「ど、どうも。こんばんは」
こんばんは、と言うのもかなり微妙だが、正直言うと美咲はなんと言って良いものかどうか判断がつかなかった。
時谷がシズクに連れて行かれたことは聞いていたからだ。
しかし亜衣は笑顔で、
「こんな時間にどうしたんですか? って、ここに来てるってことはちょっとした訓練に決まってますよね。あはは」
思わず美咲は呆然としてしまう。
そこでそうして笑っている亜衣の姿は、本当にいつもの亜衣そのままだったから。
……しかし、
「あ、それじゃあ亜衣はもうちょっと端っこの方に行きますんで、美咲さんはどうぞこの辺りで――」
「亜衣さん」
「はい? なんでしょうか」
「――無理、してませんか?」
踵を返した亜衣の肩がピクリ、と揺れた。背中を見せたまま亜衣は力なく笑い、
「……あー、やっぱりわかります?」
「大丈夫ですか?」
くるりと振り返る亜衣。その眉尻はわずかに下がっており、
「美咲さん、そんなこと聞かないで。だって……大丈夫なわけないじゃないですか」
「亜衣さん……」
「……でも、でもね、美咲さん。亜衣はもう、一人で勝手に助けに行ったりはしないですよ?」
フッと目を細め、
「亜衣はもう、自分の身勝手な行動で誰かが傷ついたり……ましてや命を落とすなんて嫌なんです。それに――」
「それに?」
「……それに、エクレールさんに教わったことだから」
亜衣は首から下げたペンダントをギュッと握る。
『あなたが与えられた責務をこなさなかったことでもしかしたら被害が大きくなるかもしれません。……誰かが死ぬかもしれません。
もっとひどく言えば、あなたが抜けたせいで最も守らねばならぬモノが壊される、殺される、そういったことがあるかもしれません』
その言葉は、いまでも鮮明に思い出せる。
この胸に宿る、エクレールの教えだ。
「いまの亜衣の責務は、明日の決戦で勝って生き抜くことです。……時谷さんたちのことは、その後です」
祐一だって仲間のことを大切に思っている。しかしいま救出に向かわないのは、それよりも優先すべきことがあるからだ。
その祐一が、「救出に向かう」と言った時が最適のタイミング。
「だから、時谷さんを助けに行くのはその時です」
言って、亜衣はディトライクを持ち歩き出す。
その背中が、美咲にはとても大きいものに見えた。
まだあんな歳なのに。人の死を踏み越え、乗り越え、その小さな肩に全てを背負い、なお潰れず前を見る、一種凄味さえ感じさせるその姿。
もし、自分に同じことが起きたら……例えば祐一がいなくなったりしたら、はたして同じようにいれるだろうか。
きっと無理だろう。そう思うからこそ、その強さを素直に凄いと思う。
「うん」
美咲は一度頷き、舞台に上がるとこんなことを言った。
「亜衣さん」
「はい?」
「模擬戦、しましょうか?」
「……はい?」
振り返り首を捻る亜衣に、美咲は悪戯っぽく微笑んで、
「たまには、良いんじゃありませんか? 私たち、いままで一度も手合わせしたことなかったですし」
「でも、亜衣に魔術は効きませんよ?」
「特別ルール。相手に攻撃を当てたら勝ち、というのはどうでしょう?」
なるほど。確かにそれなら亜衣にとっても美咲にとっても良い訓練にはなるだろう。
亜衣は身体を向け直しながら頷き、
「はい、そういうことなら。……でも、どうしたんですか急に?」
「いえ。私も亜衣さんに負けていられないなぁ、と思いまして」
舞台を歩き中央へ。そうして亜衣と適度な距離を置き美咲は相対して、
「頑張りましょうね、亜衣さん」
目をパチクリさせる亜衣に、美咲は頼子を召喚しながら、
「私はエアに。亜衣さんはクラナドに。それぞれ向かう戦場は別ですが、想いは同じですから」
「あ……はい」
「勝ちましょうね」
「はい!」
共に頷き、笑い合い、
「それじゃあ――」
「いきます!」
手向けの戦いが火花を散らす。
浩平は祐一に割り振られた一室でゆっくりとコップを傾けていた。
中にあるのは透明な液体。鼻を突くような独特の匂いのするそれは、
「……浩平。明日決戦だというのに、お酒を飲むとはどういうことですか?」
茜の呆れ顔による抗議の通り、浩平の飲んでいるそれはまさしく酒だった。
「まぁまぁ。景気付けの一杯だ、大目に見てくれよ」
コップの中にあった酒を一気に呷り、浩平は笑う。しかし茜はこれ見よがしに大きく溜め息を吐き、
「……瓶三本も空にしておいて景気付けの一杯とは。どの口が言うのでしょうね」
「この口?」
「串刺しにしますよ」
「はいすいません」
やれやれ、と茜は再び嘆息。浩平の空けた瓶を片付けつつ、新しい瓶の栓を開けた。
「これで最後ですからね?」
「おぉ、気が利くね〜。さすがは茜! っていうかお前も少し飲めよ」
「いえ、私は浩平みたいに酒豪ではないですから……」
「別に酔うまで付き合えなんて言わねーよ。なんなら一口だけでも良い。自分だけ飲んでる、っていうのは気になって飲みにくいんだ」
飲みにくくて瓶三本か、なんて突っ込みはしない。実際明日が決戦だとか関係なければ、浩平は樽ごと一気するような人間なのだ。
確かにこれでも抑えているのだろう、と既に狂い始めている自分の基準点に半ば辟易しつつ茜は自分用のコップを棚から出した。
テーブルに置くと浩平が酒を注ぎ込んでくる。どう見たって一口なんてレベルじゃなくコップが一杯になっているのだが、敢えて何も言わなかった。
そのコップを手に取り、茜は本当に含む程度に口に流し、
「なぁ、茜」
「なんでしょう」
「ありがとうな」
思わずむせた。
「こほ……なんですか藪から棒に」
「いや。思えばさ、こうして俺がここにいるのは全部お前のおかげだなぁ、ってな」
浩平はコップを手で遊びながら、
「俺がワン自治領の王になる前、上月の王家と敵対してたときもそうだった。
お前はあのときから王家に仕えてた腕の良い外交官にして戦士だったのに、あっさりと見限って俺たちの側についたんだよな」
浩平はあのときのことをいまでもはっきり覚えている。
当時、国民による投票により浩平が王位を継ぐことは既に決まっていたのだが、上月家がこれを認めなかった。
国民から強い反発を受けたが、力こそ全てと言って止まない上月家、その集大成とも呼べる澪の存在によりワンは一時期混沌としていた。
そんなときだった。茜が浩平のもとにやって来たのは。
『あなたの部下にしてください』
第一声は、あまりに突拍子のないそんな台詞だった。
『俺はあんたを知らないぜ』
『ですが私はあなたを知っています。王の命令であなたの観察をずっとしてきましたから』
堂々とした物言い。自分が敵方にいたとはっきり言う姿勢に、浩平は少し興味を抱いた。
『で?』
『しかし、そうして見ていて思ったんです。あなたの方がよほど王に相応しいと』
『おいおい。見ただけで判断して良いのか? それはちょっと軽率じゃないか? もしかしたら俺がすげー猫被ってるだけかも――』
『私は、私の見たことだけを信じます』
断言。思わず浩平は唖然とし、そして次の瞬間には大爆笑していた。
そのあまりにハッキリとした言い方に浩平は共感を抱き、そしてすぐに信用に足る人物だと悟った。
そして浩平は茜をはじめ、信頼できる仲間と共に、上月家を叩き、澪を救い出して現在に至る。
「あのときから、そう。そして今回、祐一と出会えたのもお前のおかげだ。お前が認めた相手だからこそ、俺もあいつに興味を持てた。
だから俺がここ、カノンでこうして酒を飲み、そして肩を並べて戦場に立てた。だからな、ありがとうって言いたかったんだよ」
そう言って微笑む浩平は、いつもの馬鹿やっているときとは違って、どこまでも優しいものだった。
そんな浩平を見て茜も薄く笑みを浮かべ、
「……浩平。あなたにそういうのは似合いませんよ。もっと暢気に笑っていなさい」
「あっははは。だよなぁ、俺もそう思う。ま、あれだ。いまのは酒で出ちまったちょっとした本音と思ってくれ」
笑いながらまた豪快に酒を煽る浩平を見て、茜は思う。
――ですが浩平。出会えたことに感謝するのであれば、むしろそれは私の言葉かもしれませんよ?
自分の目に狂いはなかった。
浩平を王にして良かった、と確信している。
浩平はちゃらんぽらんでお調子者だが、誰よりも人を信じ助け、笑い合う。だからこそ人が集まり彼を慕う。
その分部下に回ってくる仕事こそ多いが、それもそういう国のためなら、と頑張れる。だから、感謝を。
――ありがとう、浩平。あなたのおかげで、私はこんな充実している毎日と、生き甲斐を手に入れられました。
けれどそれは決して口にしない。なんせ……恥ずかしいから。
その代わり、というふうに茜は小さく笑いかけた。
「勝ちましょう、浩平。勝って、シズクに連れ去られた者たちを助けて、そしてまた皆で騒ぎましょう」
「おう、当然だ。なんせこれは前祝いだからな!」
景気付けじゃなかったのか、なんて野暮な突っ込みはこの際なしにしよう。
コップを突きつけてくる浩平に茜もまたコップを軽く傾けた。
チン、と軽い乾杯。
それは、どこまでも先を見た、小さな小さな前祝い。
カノン王城の中庭。
寒い国は空気が綺麗だと言う。それを証明するように草木を照らす月光は、どこまでも鮮明で幻想的だった。
祐一は木の幹に背を預けながら、そんな月を眺めていた。
「決戦前にお月見?」
「というより、考え事だな」
突然の声に、しかし驚きもせず祐一は答える。そう、と返したその少女は祐一の隣に座り込んだ。
紫のコートに身を包んだ、白い少女。イリヤだ。
膝を抱えるようにして座るイリヤを一瞥だけして、祐一は再び空を仰ぐ。
「行くのか?」
「やっぱりわかっちゃった?」
「まぁな」
「そっか」
うん、とイリヤは小さく頷き、
「フェイト王国にいるセラ――あぁ、わたしのお目付け役みたいなものだけど、そのセラからね。聖杯戦争に動きがあったって連絡があって」
「そうか」
「ごめんね? 本当は明日の決戦まではいるつもりだったんだけど、セラがうるさくて」
「気にするな。本来ならお前はここにいるはずのない存在だったんだ」
「むっ。ユーイチ、それってわたしがいらないってこと?」
「違う違う。お前に頼ること自体がおかしい、ってことさ」
祐一は微笑み、イリヤの頭をポンポンと叩く。イリヤはやや顔を赤くして、
「ちょ、ちょっと。子ども扱いしないでよね?」
「ちょっとしたスキンシップじゃないか。気にするな」
もう、と頬を膨らませはするもののイリヤは特に拒絶するでなくそのままでいた。
「お前はお前のすべきことをすれば良い。ここに来たのもお前の意思なら、帰るのもお前の意思だ。俺がどうこう言うべきことじゃない」
「そうね。そうして聖杯戦争を勝ち抜いて、今度はあなたを殺しに来るわ。それもわたしの意思」
だから、とイリヤは祐一を見上げ、
「絶対に、勝ちなさいよ。あなたを殺すのは、わたしなんだから」
笑みで言うイリヤに、
「あぁ、わかった」
やはり祐一も笑みで返した。
「――必ず勝つさ」
祐一が自室に戻ってくると、そこには待ち構えていたかのように二人の少女が立っていた。
有紀寧と観鈴だ。
別段ここにいることはおかしくない。ここは祐一の部屋であり、また王妃である彼女たちの部屋でもあるのだから。
しかし雰囲気というか身構えというか。ともかく二人が自分の帰りを待っていたのは察した。
……そして、その内容もおおよそ想像がついた。
「どうした? 二人ともそんな怖い顔で」
「とぼけないでください。陛下なら私たちが言いたいことも予想がついていると思いますが」
にっこりと言っているが怒気が隠れてない。いや、隠そうともしてない。やはりはぐらかそうとしたのが間違いだったか。
はぁ、と嘆息しながら祐一はベッドに腰掛け、
「……まさか戦場に連れてってくれ、なんて言うつもりじゃないだろうな?」
「そのつもりだよ」
強い口調で観鈴が言う。
それに対し祐一は手を前に出し、まぁ落ち着け、と呟いて、
「それがどういうことか、わかってるな?」
「足手まといだ、ということは重々承知してます。けれど――」
「わたしたちは、わたしたちのできることをしたいの。後悔したくはないんだよ」
これが決戦。どういう結果になるにしろ、エア・クラナドとカノン・ワンの戦争はこれで終わる。
だからそれを見届けたい。元・エアの王女として、そして元・クラナドの王女として。その結果をしっかりと見ていたいと二人の王女は思っていた。
「そしてできることなら――」
「無駄な戦いをさせたくない、とも思います」
元王女である自分たちが出て行けばもしかしたら剣を捨ててくれる人がいるかもしれない。話を聞いてくれる人がいるかもしれない。
もちろん、現実はそんなに優しくないことはわかっているつもり。けれど、それが絶対に無いとも言い切れない。だから、
「お願い、祐くん!」
「わたしたちも、どうか戦場にに連れて行ってください!」
二人一斉に顔を下げた。そしてそれきり顔を上げない。
そのまま一秒、二秒と時が進み、十秒ほどしたときだろうか。祐一が口を開いた。
「それが、お前たちの出した結論なんだな?」
「うん」「はい」
即答。すると頭上から小さな溜め息が聞こえ、
「……お前たちも押しが強くなったな。というより、意思か。……いや、思えば前から一度決めたことは頑なだったな。王女とはそういうものなのか?」
諦めに似たような許可が下りた。
それを聞いて、観鈴と有紀寧は嬉しそうに手を繋ぎ合う。そして有紀寧が微笑みながら祐一を見て、
「王女とは国の象徴。一度口にした言葉は最後まで曲げてはならないんですよ」
「なるほど。その主張を押し通す力は培ってきたものか。なら、無理もないな」
小さく笑い、しかしすぐに顔を引き締め、
「だが、これだけは言っておく。戦場では絶対にこっちの命令を聞いてもらう。有紀寧はクラナドだから総指揮は浩平だが、同じことだぞ?」
「わかった」
「はい、必ず」
頷く二人の表情に浮ついたところはない。
この二人とてそのくらいは心得ているだろうが念のための確認だ。だが、この様子なら大丈夫だろう。
――と考える俺は、随分と甘くなったような気もするな。
昔なら「足手まといだ」の一言で切り捨てたような気もするが、生きていれば誰だっていくらかは変わるものだろう。
この二人のように。
「さて、寝るとしよう。明日は早いからな」
そして夜が明ければ、いよいよ決着の時。
――夜明けまで、あと約五時間。
せめてその時間だけは何も考えず安らぎに浸ろう、と祐一は瞼を閉じた。
あとがき
というわけで、どうも神無月です。
さて、数人の心境にスポットを当てた今回でありました。
そして次回からいよいよ最終決戦に入ります。
メンバーは二つに分かれ、場面的にはクラナドとの決戦→エアとの決戦、という形になっていきます。
キー大陸編、終盤も終盤です!
いざ、決戦のとき!