神魔戦記 間章 (百五〜百六)
「観鈴」
エアとクラナドの合同軍がワンへ向かっているという報がカノンへもたらされた。
もちろんそれを黙って見過ごすわけにはいかない。ワンは現状のカノンのライフラインで、そして同盟を目前に控えた重要な国だ。
だからすぐにカノンも出撃準備に入ることになる。
王である祐一も、同様に。
ここは祐一たちの部屋。そこにいま祐一とその妻である有紀寧と観鈴がいる。
祐一は無論、戦闘に出るための準備中。二人はそれの手伝いをしているところだった。
「では、行ってくる」
剣を腰に差し言う祐一。その祐一に外套を渡し、有紀寧は心配そうな表情をしつつも、微笑んで頷いた。
「どうぞ、ご武運を」
「あぁ。古河渚や岡崎朋也のことは頼んだぞ」
「はい」
祐一は有紀寧から外套を受け取り羽織って、部屋を出て行こうとする。
「あ……祐くん!」
それまで黙って見ていた観鈴が、一歩を踏み出しその背を呼び止めた。
その声には、どこか切羽詰ったものがあった。祐一は振り返る。
「なんだ?」
「あ……」
だがそこで観鈴は何かを言いたそうに口を開いたり閉じたりするものの何も言えず、
「……ううん、なんでもない」
ゆっくり一歩を下がって力ない笑みを見せた。
「うん、行ってらっしゃい。気をつけて」
「あぁ」
祐一もそれ以上を訊かず、優しい笑みを浮かべ――戦場へと向かっていった。
閉じる扉をどこかボーっと眺め、観鈴は小さく呟いた。
「……遠い、な」
渚の看病に向かうという有紀寧と別れ、観鈴は一人ボーっと城の廊下を歩いていた。
『観鈴さん。……あまり、深く思い悩まないほうが良いですよ』
別れ際、有紀寧に言われた一言。
きっと有紀寧は観鈴が言いたくても言えなかった言葉がわかったのだろう。有紀寧も考えていることは同じはずだから。
そしておそらく祐一も気付いていた。しかしだからこそ、敢えて訊き返さず彼は戦場に向かっていった。
観鈴の言いたかったことはただ一つ。
「わたしも一緒に、連れてって」
しかし、そう言いたかった。
けれど……言えなかった。言うことができなかった。
どうして言うことができよう? 結局ついていってもただ足手纏いになるだけだとわかっていながら。
……だけど、
「辛いよ……」
エアがいる、ということは神奈や二葉がいる可能性がある。
そしてもしいた場合、祐一と戦う場合もあるかもしれない。いや、戦場で出くわしたら必ず戦うことになるだろう。
それは敵味方として分かれてしまった以上、仕方ないことだとわかっているし、覚悟もしていた。
していたが……、
「待つだけは、辛いよ」
はぁ、と何度目かもわからない溜め息が口から出る。
そして意識せず歩き、角を曲がろうとして、
「わ」
どん、と誰かにぶつかってしまった。
「わ、わ、ご、ごめんなさい。ボーっとして、て……?」
慌てて謝り顔を上げて……そこでようやく相手に気付いた。
「あんたは……元エアの王女の……」
あまり見慣れない男の人。だが観鈴も知っているその人物は、
「岡崎……さん?」
特にどちらが何を言ったわけでもないが、二人はそのまま中庭に出た。
その間どちらも声を掛けることはなく、無言のまま。
「ふぅ」
中庭に辿り着き、大き目の木の下に朋也が座り込む。
「あんたも座ったらどうだ?」
「え、あ、うん……」
観鈴は一瞬迷い、その反対側に寄りかかるようにして座った。
静寂。耳に届くのは風に揺られる、囁くような木の葉の調べだけ。
そんな状況がどれくらい続いた時だろうか。
ポツリと、朋也が口を開いた。
「……何かあったのか?」
「え?」
「落ち込んでるように見えるぞ」
「……そうかな?」
「元気に見えるとでも、思ってるのか?」
「そう……だね」
にはは、と笑っても……自分でもわかる。その笑みは、きっとすごく歪で……力ないものだろう、と。
「祐くん……行っちゃった」
「祐くん? ……あぁ、相沢祐一のことか。そうだな、行ったな」
「わたし……見送ることしかできなかった」
観鈴は空を見る。
近々雨か雪でも降るのか、空は灰色の雲に覆われている。
まるでいまの自分の心みたいだ、と思い視線を落とした。
「本当は、もっといろんなことをしたい。してあげたい。力になりたい。助けてあげたい。祐くんの背負う物を、少しでも減らしたい。でも……」
観鈴は眉じりを下げた笑みを見せ、
「……結局、なにもできないんだなぁ、って実感しちゃって。……にはは」
カノンに来たとき。
観鈴は祐一を想う一心でエアを抜け、やって来た。
祐一が好きだから。大好きだから。ただ城でボーっとしていることが嫌で、どうにかしたくて、祐一の隣にやって来た。
だけど、隣に立つことができたからこそ、自分が何も出来ないことを強く証明された。
そう、何も出来ない。
祐一がカノンに最終決戦を挑んだときも、ジャンヌに殺されかけたときも、エアに城が襲撃されたときも、そしていまも。
自分はただ見送ることしかできず、逆に足手纏いになった時さえあった。
手伝いたい。傍にいたい。役に立ちたい。助けてあげたい。
だけど結局、見ていることしかできない。自分は、ただ無事に帰ってくることを祈ることしかできない。
「わたし、すごい無力だ……」
ギュッと観鈴は袖を握り締める。
怒りを八つ当たりさせるように握り、綺麗なドレスが皺を作っていく。
「……わたし、なんのためにいるんだろう」
戦う力もない。あゆのように苦しみを背負うだけの時を一緒に過ごしたわけでもない。有紀寧のように機微に聡いわけでもない。
自分には、結局祐一の助けになるようなことは何一つできない。
何かをしてあげたいと思うのに、結局何をしたとして足手纏いにしかならないのは目に見えている。
「祐くんが苦しんでるの、辛がっているの、わかるのに……。それを見せたがらない祐くんに、なんて声を掛ければ良いのかわからない……」
もしそれを訊いてもきっと祐一は大丈夫だ、と笑って返すだろう。
大丈夫なわけがない。
神奈も二葉も、祐一にとってかけがえのない存在のはずだ。割り切ろうとして割り切れるものじゃない。
祐一はただ、カノンの国王としてその想いを必死に潰しているだけ。
でもそれがわかっていても、何もできない。そのことを考えているんだと知りながら、その隣に座ることができない。
神奈もそう。二葉だって、そうかもしれない。
誰も彼もが苦しんでいることをわかっていながら、それをどうにかする術を観鈴は持っていない。
昔は……自分と、祐一と、あゆと、神奈と、二葉。五人で笑い合っていたはずなのに。
そしていまでもそうなりたい、戻りたいと皆思っているはずなのに。
それでも、現実はこんなに悲しくて。
……そして、自分はそんな大切な人たちが戦い合うのを見ていることしかできないんだ。
「……何にも出来ない、ってすごく辛いよ……」
「そうだな」
それまで黙って聞いていた朋也が頷き、
「あぁ、それはすごく辛い。その気持ちはよくわかる。俺だって無力だ」
「でも、岡崎さんは戦う力がある……」
戦うだけの力があれば、せめて戦場に一緒に立つことくらいはできただろう。
でも観鈴はそれさえできない。
だが……朋也は苦笑して言った。
「確かに、力はあるかもしれない。だけど、俺には苦しんでいる渚をただ見ていることしかできないからな」
「あ……」
「力があったとしても……どうにもならないことなんて山ほどある」
古河とは魔族七大名家のうちの一つ、古川の分家筋に当たる、と観鈴は聞いていた。
そしてその強大な力を、渚は『先祖還り』という特殊能力で受け継いでしまった。……受け入れるには脆弱な、人の身体で。
人の身ではあまりに膨大な魔力が、渚の身体を苦しめている。
そうやって原因も何もかもわかっていながら、朋也は渚にできることが一つもない。
「あいつはクラナドで悪魔扱いされても笑ってた。何一つ、自分の生い立ちにすら不満を言わなかった。親を責めることなんてなかった。
ただ笑って、密やかにでも良いから、家族で一緒に暮らしたい、と言っていた。……でも、そんな願いすら、俺は守ることができなかった」
自嘲するような声が響く。
「結局、俺も同じさ」
「そんなこと……! 岡崎さんはすっごく頑張ってる!」
観鈴は思わず立ち上がり、反対側に座る朋也の方に身体を乗り出した。
そんな観鈴を見て、朋也は小さく笑った。
「俺さ、思うんだけど。きっと、何かをどうにかできる奴なんてほとんどいないと思うんだ」
「え……?」
「誰もが無力感を感じてる。例えば大切な誰かが思い悩んでるとき、泣いているとき、病で苦しんでいるとき、死んでしまったとき。
どうして自分は見ていることしかできないんだろう、どうして自分はどうにかできなかったんだろう、って。きっと誰もが思うことなんだ、それは」
そこで区切り、朋也は空を仰ぐ。
「……でも、見てるだけじゃ駄目なんだ」
「え?」
「ほんの少し、どんなことでも構わない。思い悩んでれば隣にいてやるだけでも良い。病で苦しんでるなら水をやるだけでも良い。
自分じゃ何もできないから、って決め付けて何もしないんじゃそれこそ何もならない。とりあえず自分のできることだけでも、なんでもする。
……きっと、それが支えるってことだと俺は思う」
「支える……」
「それに、戦場で役に立ちたいならいまから力を磨けば良い。悩みを聞けるような状況じゃなければ、待つのも一つの方法だろう。
いまができないからって、未来も駄目だなんて決まったわけじゃないんだ」
それを俺はある人に教わったんだ、と朋也は苦笑した。
「だから……俺は、絶対『あのときこうしていれば良かった』なんて後悔は、もうしたくない」
グッと拳を握り、
「だからこそ、俺は――せめて渚の前では迷わないと決めた。そして俺のできる範囲であいつを助け続ける。
それがオッサンたちと……自分自身への誓いだ」
渚と共にクラナドを抜けた朋也。
彼は渚を想うからこそ、どんなことこも厭わずここにやって来た。
一度渚を死なせかけてしまったからこそ、もう二度とそんなことはさせないと心に誓って。
もう後悔をしないために。だから朋也は迷わず、動いた。
……そんな朋也を、観鈴はとても凄いと思った。
「強いなぁ、岡崎さん。……わたしも、そうなりたい」
「そんなんじゃない。けど、そう思うんだったら強くなれば良い。あんたも」
朋也は立ち上がり、
「あいつの事でこんなことを言うのは癪だが……あんたにしかできないことが、きっと何かあるはずだ」
「……わたしにしか、できないこと?」
「あぁ。俺もいまそれを探してる。だからあんたも必死に探すと良い。
……悩むにしても、無力感に苛まれているよりずっと建設的だと思うぜ?」
「岡崎さん……」
「あとな。……あんたがあの男を心配してるように、あんたを心配している人間もいるってこと、忘れんなよ」
え? と言うより先に肩を軽く叩いて朋也は観鈴の横を通りすぎていく。
その背中を追えば、その向こう。微笑を浮かべた有紀寧が立っていた。
「有紀寧、さん……」
朋也とすれ違うようにして有紀寧がやって来る。
そして有紀寧は目の前で一度止まり、もう一度笑みを濃くすると、
「え……?」
そっと抱きしめられた。
「一緒に探しましょう、観鈴さん。あの人の支えになれること」
「有紀寧さん……」
「きっと、見つかりますよ。わたしたちにしかできない、何かが」
何も出来ない、じゃない。何か出来ることを探さなくては。
自分の存在意義は求めるものじゃない。きっと自分で探し出すことなんだ。
祐一は全種族共存の国を作る、という目標を探し出した。朋也はいま必死にそれを模索している。
誰もが、一度は通る道なんだ。
「だったら……」
わたしも頑張ろう、と観鈴は強く思う。
「うん」
ここに、誓おう。
自分にしかできないことを、必ず探し出すと。
「頑張ろう、有紀寧さん、一緒に!」
「はい。一緒に」
「よーし!」
手を取り合い、笑う。そしてその手を空高く掲げ、
「観鈴ちん、ふぁいと!!」
あぁ、自分はやっぱりこういう風に笑っている方が良いな、と観鈴は思った。
あとがき
ほい、どーも神無月です。
今回は観鈴の心境のお話です。
近くにいるからこそ感じる、何も出来ないことの歯痒さ。
特に祐一に加え、神奈や二葉のこともありますから観鈴は観鈴でいろいろと思い悩むところも多いんですよね。
まぁ、これからの観鈴にご期待ください。一度こうだと決めてからの観鈴は早いですよ?w
さて、キー大陸編の間章はこれにて終了。
おそらく三大陸編の最初の間章は留美じゃないかなー、と思ってます。
ではまた。