神魔戦記 第百二章

                    「中途半端の意地」

 

 

 

 

 

 浩一は考える。

 いま相手にしている玄王という魔物は強い。それは気配からして戦わずともわかる。

 そしてでかい。彼我の大きさの違いはそれだけで十分なアドバンテージとなる。

 だが、玄王は言った。全員で掛かって来い、と。

 相手の戦法を知らず、加えてこちらより強いというのであれば……様子見という意味でもすべきことは一つだろう。

 それは、

「ふむ。同時攻撃、か」

 玄王の呟く通り。

 前衛の浩一と神耶は真反対から挟み込むように、後衛であるリディア、鈴菜、水菜、亜沙はそれぞれ別方向から挟撃を仕掛ける。

 様子見とはいえ手加減なんてするつもりは毛頭ない。できることならこの一撃で勝負が着けば良いとも思う。

「様子見、ということか。しかし――」

 だが、無論そう簡単に終わるはずもない。

 玄王の首と手足が甲羅に納まっていく。だがその甲羅ごとぶち抜こうと全員の攻撃が殺到し、

「!?」

 しかし鈍重な響きと共に全ての攻撃が無効化された。

 中でも、拳で攻撃した浩一に至ってはその拳が割れるという状態にすらなっている。

「なんて硬さだ……!?」

 浩一は大蛇だ。いくら完全ではないとはいえ鉄をも砕くその拳が逆にダメージを受けるとは、尋常な硬さではない。

 神耶の棺も、リディアの百花杖も、鈴菜の闇の矢も、水菜の魔物の攻撃、亜沙の魔術も。どれをもってもこの甲羅に傷一つ着けられなかった。

「甘いと言わざるをえない」

 そんな笑うような声が聞こえた瞬間、首や手足が出ていた穴から凄まじい水流が出現し、甲羅が一気に回転した。

 水は濁流となり近くにいた浩一と神耶を弾き飛ばす。それだけに留まらずその水流は意思を持つかのごとくうねりを帯びて他の四人にも激突していった。

「水属性!? ちょっと厄介かも……!」

 唯一光の結界により防御に成功した亜沙が毒吐く。

 水というのは基本六属性の中においては最も攻撃力に劣る属性である。

 が、水は変幻自在にして形状自在。壁にぶつかろうが敵にぶつかろうが消えることはなく、二度三度と利用できるという利点を持つ。

 火、雷、風はすぐ消える。氷は残りこそすれ発動後のそれを操作するのは難しい。地はそれら二つは克服できても、柔軟性がない。

 故に、このような閉じられた空間では水属性こそ最も脅威の属性となり得るのだ。

 ――長期戦になれば苦しくなる!

 そう判断した亜沙はすぐさま呪文詠唱を開始した。

 水を避けるようにステップを刻み、

「鈴菜! 合わせて!」

「!」

 壁に背を打ち付けてよろめいていた鈴菜がその言葉に反応してすぐさま弓を構える。

 二人の立ち位置は真反対。玄王を挟み込むようにして二人は攻撃の準備を終えて、

「!」

 水の流れと甲羅の回転が止まる頃合を見計らい、鈴菜と亜沙の視線が交錯した。

 一瞬のアイコンタクト。そして、

「『光羅(ヴェイト)』!」

連黒射!」

 同じタイミング、同じだけの数の光と闇の矢がそれぞれ展開、発射されていく。

 亜沙と鈴菜。二人はある一件以来仲も良く、訓練もよく共にしていた。だからこその完璧な連携。

 狙いは一点。甲羅が駄目なら――その穴から直接本体を狙う!

「む!」

 玄王の焦りのような声。だが再び甲羅が回転しだすよりも早く二人の攻撃は狙い通り穴の中へと吸い込まれていった。そして爆発。

「よし!」

「やった……?」

 動きの止まった甲羅に鈴菜がガッツポーズを取り亜沙が注意深く首を傾げる。しかし、

「良い攻撃だ。……が、浅いな」

「「!?」」

 甲羅から現れる玄王の頭と手足。二人が攻撃したのは腕の穴だったようでその両腕には多少の傷はあったが、しかしそれだけだった。

 しかも、

「再生していく……!?」

「自己再生能力。無いとでも思ったか?」

「っ……!」

 玄王の首が亜沙に向く。その口元に光が――得体の知れない悪寒が集まっており、

「汝はなかなか狙いが良い。頭も良い。そして――戦においてそういう類の敵を優先的に叩くのは常套手段であるな?」

「あら、容赦も手加減もないってこと? それってちょーっと大人気ないとボク思うなぁ〜」

「ふ。……笑えぬ冗談だ」

 刹那、その光が発射された。

「!?」

 回避するつもりだった亜沙だが、咄嗟に結界による防御を選択した。

 なぜならそれは速すぎて、そして太すぎた。振り落ちるまで半秒。そしてたとえ魔力強化で地を蹴っても射線上から外れられないという太さ。

 だから亜沙の選択は正解のようにも思えたが、

「重、い……!?」

 結界が、もたない。

 光のように見えるそれは、なんと水だった。それこそ光速にすら届く勢いだったので光だと思っていたのだが、それは間違いなく水。

 証拠に光特有の熱量攻撃ではなく、それは純粋なる水圧攻撃だった。

 結界の強度云々ではない。それを支える亜沙の魔術回路が焼け切れそうになる。

「このぉ!!」

 それを阻止せんと鈴菜が矢を放ち続けそれらは全て突き刺さるが、玄王はまったく無視で亜沙に攻撃を続行する。

 鈴菜の攻撃は命中率こそ高いが威力はさほど高くない。それを先程の攻撃で看破したのだとしたら、

 ――まずい、かも!?

 亜沙を第一に狙い、害のない攻撃は無視する。この玄王という魔物……頭も相当良い。

 どうする、と悲鳴を上げる魔術回路の痛みに耐えながら考える亜沙の視界の中で、それは動いた。

 高々と跳躍したその影は、

「神耶ちゃん!」

「そうそう……好きには!」

 渾身の力を込めて神耶が棺を玄王の頭に叩き込んだ。それにより玄王の口が閉じられ攻撃が止む……が、

「あれを至近距離で受けてまだ動けたか。……汝も自己再生能力を有する者か」

「なっ……!? ダメージが……ない!?」

「残念ながらこの程度では――な!」

 ブゥン! と大気を切り裂くように玄王の長い尾が神耶を真横から打った。

 しかも大きく吹っ飛ばされた神耶の進行上には鈴菜がいて、二人が激突する。そうして倒れ込む二人を玄王は一瞥し、

「むん!」

 その前足が強く大地を打ち付けると同時、空洞内に撒かれていた先程の水が集約し二人に襲い掛かっていった。

「きゃあ!?」

「ぐぁあ……ッ!」

「鈴菜! 神耶ちゃん!?」

「他者の心配をするとは……余裕だな!」

「!?」

 ハッとした瞬間にはもう遅い。亜沙の両脇から水の壁が迫り、挟み込むようにそれらは激突した。

「時雨! ――ちぃ!」

 それを見たリディアが目を吊り上げさせて駆け出す。

 亜沙なら大丈夫だ、と自分に言い聞かせつつ百花杖を水平に構え、大きく振りつけて、

「――輪は意のままに動く――!」

 輪を周囲へ飛ばす。そして、

「――――形状変化(デテリオレーション)!」

 それらは針へと変化を遂げ、玄王の首目掛け飛んでいく。玄王はそれを横目で見つめ、

「その程度の攻撃が効くとでも――」

「思わねぇよ!」

「何……?」

 瞬間、リディアの指が不規則な軌道をなぞる。すると連動するように針が玄王の周囲を踊りだし、

「――――形状変化(デテリオレーション)!」

 全てが連結し大きな輪となって玄王の首に巻きついた。

「む……!?」

「まだまだぁ!」

 そしてその輪から今度は十本近い鎖が出現し、周囲の壁に突き刺さっていく。そうして完成されたそれは、

「……攻撃ではなく拘束か!」

「鈴菜の攻撃が効かなかったんだ、あたしの百花杖が通じるはずないしねぇ。ならあたしは補助に徹するだけさ。……水菜ぁ!」

 声に水菜が答える。

 水菜の周囲に小さな魔法陣が展開し、そこから小型の魔物が出現する。それは丸っこい形をして、短い角を生やした魔物。

 パッと見では愛らしいその魔物は、名をミスチーフ。

 その愛らしい外見とは裏腹に強力な電撃を放つ悪戯好きな魔物で、雷属性ではポピュラーな魔物でもある。

 ……水属性には雷属性を。誰でも思いつく戦法ではある。

 だがどうするか。いかに雷属性であろうともミスチーフ如きの電撃で神獣クラスの玄王に届くとは思わない。

 しかし……水菜は笑った。自信を表すように。

「!」

 そして玄王は見た。水菜の周囲に展開する魔法陣の数を。

 それは一つや二つなんてものではない。この鍾乳洞を照らしあげるほどの膨大な数の魔法陣が水菜の周囲に咲き乱れる。

 その数、百。

 単純な答えだ。一匹で足りないのであれば――数を増やせば良いだけのこと!

「うう……!」

 水菜の手が踊る。すると指揮されているかのようにそれらはちょこちょこと走り回り玄王を取り囲む。そして振り仰ぐように大きく手を広げ、

「うー!」

 水菜の号令と同時に電撃を放った。

「む、ぅ……!?」

 小型であり一匹一匹の電撃こそそれなりの威力でしかないが、互いの電撃が絡み合い束となってそれは雷撃へと昇華される。

 玄王が身を捩る。それこそ攻撃が通っている証拠。

 いける。リディアと水菜が確信した……その瞬間、

「なめるでないぞ……! オオォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

 圧倒的な魔力が猛る。大気を打ち震わす咆哮は、そのままビキビキと断続的な音へと変わっていった。

「こいつ……力ずくで百花杖を壊す気か!?」 

 金属的な悲鳴が止まらない。その上からリディアが形状変化で破砕分を再構築させていくが、

「追い、つかない……!?」

「ォォォォォォォォォォオオオオオオオオッ!!!」

「まず――!?」

 ガシャアアアン、という破砕音。それは、百花杖の破壊を意味していて。

「クッ!?」

「ええい、鬱陶しい!」

 戒めを解き放たれ自由に首を動かせるようになった玄王はすぐさまその口から光を放ち周囲のミスチーフを消し飛ばしていった。

 慌てて新たな魔物を召還しようとする水菜だったが、それより早く玄王の尾がその身体を吹き飛ばす。

「水菜!!」

「余所見などさせんよ!」

「ッ!?」

 放たれる水の濁流。それを前にしてリディアは虚空に手を掲げ、 

「――――形状変化(デテリオレーション)!」

 粉々に砕け散ったとしてもリディアには意味が無い。それが金属であるならば、再び再構築すれば良いだけの話。

 そうして元の姿に戻った百花杖を掴み取り、今度は盾のように形状変化させてその水流を受け止める。しかし、

「水の軌道、一つであると思うなよ」

「!」

 水の利点は変幻自在。水の流れもまた然り。つまり……それは前方だけとは限らない。

 迂回するように左右、山なりに上から、それぞれの軌道で盾を避けるように水流がリディアに激突した。

「――さて」

 吹っ飛び倒れ、意識を失ったリディアを一瞥。そして玄王は最後の一人を見やる。

「残るは汝一人となったわけだが?」

 その残りの一人……割れた拳を抑えた浩一が、その言葉に歯噛みする。

 ――強い。

 そう改めて実感した。

 しかし、

 ――だからと諦めるわけにはいかない!

「大蛇――三割解放!」

 浩一が大蛇の力を解放する。

「ほう」

 溢れ出る魔力に目を細め感心するように玄王。その余裕の態度を打ち崩さんと浩一が一直線に跳ぶ。

 それを迎撃しようとして――しかし玄王の身体がぐらりと揺れた。

「む、感覚が……? これが汝の能力か」

 音による平衡感覚麻痺。三割でできることと言えばこのくらいだが、それでも十分に戦える。

「もらった!」

 立て直す隙はやらない。浩一はありったけの魔力を拳に乗せて、玄王の顔面目掛け繰り出した。

「どうだ……!」

「まだまだだな」

「!?」

 響いたのはドン、という鈍い音。その音だけ取れば、神耶のそれより威力は高かっただろう。

 ……だが、それでも致命打にはなりえない。

「この程度で、我は倒せんよ」

 水が宙を舞う。

 回転し、錯綜し、交差し、自在に動き回る水の刃が浩一に殺到し、向かいの壁にまで押し流されながらその身を切りつけられていく。

「ぐあぁ……っ!?」

「どうした、この程度か」

 止めと言わんばかりに真上から濁流が振り落ち、浩一は地面に叩きつけられた。

 強烈な圧力に血を吐き出す。喉に詰まり、咽て、さらに血が出る。

 そんな自分を嘲笑うかのように、玄王は無傷でその様を見下ろしていた。

「無様だな。あれだけの啖呵をきっておいて、この様か」

「くそ、まだ……まだだ!」

「では、どうする魔の血と人の血を引く者よ。そのような中途半端な力、我には届かんぞ」

 確かにいまのままでは通じない。このままではどうあっても勝てない。それは身をもって痛感した。

 ではどうするか。

 ……唯一の可能性は音を攻撃として使用できるところまで力を解放すること。

 だが、暴走しないとも限らないし身体が持つ可能性も低い。

 そんな不安定かつ不確定な力を頼って良いのか。

 下手をすれば鈴菜や水菜すら巻き込む、という事実が浩一の思考を縛っていく。

「もう終わりか?」

 問いに、しかし無言しか返せない浩一。それを見て玄王は溜め息を吐き、

「……どうやら、本当にこれまでのようだな。ならば、終わりにしよう。これで全てを」

 言って、玄王の口から光が溢れた。

 放たれるは本気の一撃。迫る莫大な水流。それを前に、浩一は力の解放に踏み切れず歯噛みして、

 ……その影を、見た。

「なっ――!?」

 射線上。両手を広げこちらを庇うように割り込んだ影があった。

 水菜だ。

 どけ、と言う余裕もない。なんで、と聞く時間もない。

 にも関わらず、それは聞こえてきた。

『守られてるばかりは嫌だ……!』

 初めて聞いた声。耳にではなく直接頭に響くその声を、しかし不快とは思わず加えて初めてという気もしなかった。

 すぐわかったから。

 この声が、水菜のものであるということが。

『わたしは、誰かを守れるようになりたい……!』

 どういう理屈で、いままで聞こえなかった水菜の声がいま聞こえてきたのかはわからない。

 水菜の精神感応になにか異変でもあったのかもしれない。

 だが、いまそんなことは問題ではない。

 流れてくる。

 その声と共に、水菜の想いが溢れこんでくる。

『もう、大切な人が傷つくのを見ているだけなんて――ヤダッ!!』

 瞬間、浩一の中で何かが吹っ切れた。

 そして、水流は激突した。

 ……だが、

「なに!?」

 驚きの声は、玄王から。

 強大な水流は、確かに直撃した。したのだが……、

「――そうだ。もう、お前たちの傷つくところなんて見たくない」

 玄王の最大の一撃は、異質の気配を纏った浩一の片手に抹消されていた。

 先程とは逆に、水菜を守るように浩一が前に立っている。

 だが気配がおかしい。

 まるで何かがその中で鳴動しているかのように、波を打つように気配が揺れ動く。

 浩一がゆっくり玄王を見上げた。

「お前はさっき言ったな。そんな中途半端な力でどうする、と」

「む……」

「……確かに、そうだ」

 頷き、

「俺はなにごとも中途半端だ。だが……それでも通したい意地がある!」

 そう、これは意地だ。

 半魔人だからなんだというのか。中途半端だからどうしたというのか。

 ふざけるな、と浩一は思う。

 その程度のことが、何かを諦める理由になるはずが――否、していいはずがない。

 だから抗う。たとえそれが不恰好であろうとも、滑稽であろうとも。

 何故なら誓ったのだ。

 鈴菜と水菜を助け出したあの日、あの時に。

 どんな困難に飲み込まれようとも、絶対にこの二人を守りきってやる、と。

 それが、唯一曲げられない意地なのだと。

 だが、どうだ。

 圧倒的な力の差を見せ付けられ、倒れ、あまつさえ水菜にいらぬ心配をさせてしまった。

 こんなことでは守るなんて言葉、おこがましいにもほどがある。

「先程も言っていたな、その言葉。意地がある、と。……だが、それでどうする? その身体で汝は何ができると言う?」

「できるさ」

 そう、できる。

 だって、いまこうして立っている。立つことができたなら……その先だっていけるはず。

 浩一は祐一と共に歩んできて、知ったことがある。それは、

「大蛇――」

 限界なんていうものは、超えるためにあるのだと……!

「――七割解放ッ!!」

 刹那、浩一の身から鍾乳洞全体を揺らすほどの魔力が吹き出した。

「ッ……!?」

 同時、膝が崩れそうになり浩一は慌てて体勢を立て直す。

 浩一が確実にコントロールできる解放限界は五割。だが、七割ほどないと『音』を直接攻撃として使用できない。

 この領域まで力を解放したのは過去に二度だけ。

 だが、それこそできないわけではない、という証明でもある。

 逆を言えば。

 ――できないはずがない!

「……ぉぉぉおおおおおおお!!」

 身体中が悲鳴を上げる。まるで風船が破裂する寸前まで膨らんでいるかのような、内側から外へ向けられる圧迫感。

 四肢は小刻みに震え、コントロールできないほどの魔力がただ漏れている。

 しかし、それでも。

 浩一は倒れない。

 倒れるわけにはいかない。

 この程度の痛みがなんだ。この程度の苦しみがなんだ。

 誰も死なせない。誰も彼もを一切合財守りきる。そして、

「水菜の思いを無駄にはしない!」

 誰かを守りたいと望み、願った水菜のために。

「だから!」

 いま自分は――意地を通す!

「お前を倒して! 力を手に入れて! 全てを丸く治めて! 帰るのさ、俺たちの場所に!!」

「自分勝手も良いところだな! それが汝の意地か!」

「そうさ、これは俺の勝手だ! だが――」

 息を吸い、

「だからこそ曲げない! この意地は!!」

 駆けた。どうあっても曲げたくない、その意地を胸とこの腕に賭けて。

「ふ。その心意気は認めよう。だが……そんな不安定な能力で我に挑むというか!」

 うねりを上げる水流が四方八方から浩一へ降り注ぐ。

 その勢い、威力、いままでの比ではない。いかにいままで手を抜いていたかがわかるかのような攻撃だった。

 とはいえいまの浩一の力ならこの程度の攻撃は難なく消し去ることができる。

 ……制限がなければ、だが。

 いまの浩一では七割を維持するのは難しい。先程一撃使ってしまった状況では、おそらくもう一撃持つか持たないか。

 その一撃がなくとも十秒は持たないだろうという完璧なオーバーロード。ここで迎撃に力を使えばそれで浩一の身体は本能的に力の解放を停止するだろう。

 ……にも関わらず浩一はまるで避けようとしなかった。

 そして、それに答えるかのように突如現れた光の結界がそれら水の攻撃を全て遮った。

「不安定……?」

 震える声が、耳を打つ。

「そんなの……皆で力を合わせればどうにでもなることだよ!」

 それは、どういうわけか髪の長くなった亜沙だった。

 ボロボロの身体に鞭を打ち立ち上がった亜沙は一度小さく息を吐き、そうして強い目で浩一を見やった。

「羽山くんは前だけを! 他は全部ボクたち(、、)に任せて!」

「ああ、はなから当てにしていた!」

「あはは。なら――期待に答えないといけないね!」

 浩一目掛け殺到する水流。時に細かく、時に荒々しく、時に真っ直ぐに、時に円を描くように。

 だがそれら全て浩一には届かない。亜沙がその都度凄まじい魔術操作で結界を展開、防御していくからだ。

「ちぃ……!」

 その光景に、玄王が舌打ちをする。

 間違いなく、玄王は焦っていた。

 それはいわゆる、本能と呼ぶべきものだろう。玄王は自ら気付かぬうちにやや後ろに下がってもいた。

 まるで絶対の恐怖から逃れるように。

 そうさせるものがいまの浩一にはあった。接触した時点で全てが終わる。そう思わせる、絶対的な何かが。

「ならば!」

 水流では埒が明かないと踏んだらしい玄王が口を大きく開ける。

 亜沙にぶつけたあの攻撃であればこんな遠距離結界、容易く撃ち抜くこともできよう。しかし、甘い。

 亜沙は言った。

 ボクたち(、、)、と。

「させねぇよ!」

「!?」

 開いた口がいきなり閉ざされた。それは、輪となり縛り上げる百花杖。

 その主、リディアだ。

「大技は出させねぇ! しばらく大人しくしてな……!」

 その間にも浩一は疾駆する。

 止まる必要などはなから無い、と言わんばかりに。

 それに対し水流が奔る。数はいままでのさらに倍。亜沙の結界だけでは対処できないような数ではあるが、

「!」

 横合いからその半数を暗黒の矢が撃ち抜いた。

「行って、浩一!」

 次は尾が来る。鈴菜の矢でも止められず、亜沙の結界でも防ぎきれない一撃だ。

 しかし今度は神耶が割って入り、棺でその尾を叩き返した。

「ルヴァウル」

 そしてその棺からはルヴァウルの腕が出現していた。その掌の上に浩一が着地し、

「どのように?」

「速球で」

「ではそのように」

 ぶん投げられた。

 ルヴァウルの豪腕による加速により浩一は一瞬でその距離を詰めていく。

「っ……!」

 迎撃は無理と判断したのか、玄王が甲羅に身を隠した。

 だが浩一の目は死んでいない。その程度の防御でどうにかなるはずがない、と目が語っていた。

 何故なら、これは皆が繋いでくれた一撃なのだ。

 ――効かないはずがないッ!!

 そうして、浩一の手は玄王の甲羅に触れた。

 ……だが、何も起こらない。

 崩れ落ちるように倒れた浩一からも、先程のような気配は消えていた。

 間に合わなかったのか。それとも、間に合っていて効かなかったのか。

「駄目、だったの……?」

 愕然とした鈴菜の声。だが、それに返ってきた答えは、

「ぐ、お、お、ぉおおお……!?」

 震えるような、玄王の苦悶。

 その足元、大の字に倒れこんだ浩一の表情は……絶対の自信に満ち溢れていて、手をゆっくりと掲げた。そして、

「俺たちの勝ちだ、玄王」

 告げて、拳を握り締めた。

 

死の烙印(デス・インパクト)

 

 瞬間、爆発するような勢いで甲羅の中から血が噴出した。

 

 

 

 甲羅から崩れるように現れた玄王の四肢はまるで何百という剣で切りつけられたかのように数多の傷を持ち、血塗れになっていた。

「こ、れは……そう、か。音か……!」

 音とは、つまり振動である。

 その振動が大気を伝い、耳の鼓膜に届いて初めて人はそれを『音』と認識出来る。

 つまり“音を操る”ということは“振動を操る”ことと同義であると言えよう。

 死の烙印。

 それはつまり、高周波の音――超振動を直接叩きつける技である。

 それは身体中を伝い血液中の分子を振動させる。それによりエネルギー準位が上がり温度が急激に上昇する。

 そして一瞬で血液は沸騰し、血管を破裂させて身体の内部から破壊するのだ。

 音は振動。どのような防御であろうとそれを遮ることは難しい。それは玄王の甲羅であろうと同じこと。

 故にこれ触れれば最後。防御無効の一撃必殺。浩一の父を八岐たらしめていた正体だ。

 ……とはいえ、浩一のそれは未だ出力不足で必殺、と言うにはまだまだではあるが――まぁ今回はそれがちょうど良い。

 目的は殺すことではなく、仲間にすることなのだから。

「玄王。これで文句はないな?」

「う、む。……いまのは汝ら全員の気迫が重なった素晴らしい連携であった。その絆、想い、本物であるようだな……。

 加えて、この力。……我が仕えるに相応しいと言えるだろう」

 傷だらけの首を横にずらし、玄王は水菜を見た。

「声なき少女よ。いざ契約を」

「……っ」

 水菜はその声に慌てたように玄王の顔の目の前にまで駆け寄っていく。

 一度躊躇するように浩一を見た水菜だったが、無言で頷き返す浩一を見てゆっくりと瞼を閉じた。

 そして浮かび上がるは契約の魔法陣。主と従者、そのそれぞれの血を盟約の証として魔法陣に溶け込ます。

 いま、おそらく水菜は心の中で契約の祝詞を読み上げているのだろう。

 もう水菜の声は聞こえない。

 けれど、それはそもそも声に出す必要はない。外界に働きかける魔術とは違い、使い魔の契約は主と従者の間にのみ必要なものだ。

 つまり、互いにのみ聞こえれば良い。

 水菜が何かを問うように手を差し出す。それに対し玄王が首肯し、

「我、汝との契約を受け入れる。……我が主、倉木水菜よ」

 告げた瞬間、魔法陣は収束し、一瞬の輝きと共に消失した。

 そして契約の証とでも言うように、玄王の傷が自己再生以上の速度で回復していく。

 使い魔の傷は、主の魔力を使い治すことができるからだ。

 その光景に一安心したのだろう。ゆっくりと座り込んだ水菜に、玄王が小さく笑うように言った。

「契約は完了した。主、水菜よ。汝が我の力を望むとき、いつでも我を呼ぶと良い。我は汝の力に――守りになるとここに誓おう」

 それに対し水菜は『ありがとう』とでも言うようにありったけの笑顔で玄王の顔を撫でたのだった。

 万事解決。これで目的は達成された――、

「お、そうだお宝!」

 ……わけではななかった。

 未だ痛むはずの傷もなんのその。亜沙の治療魔術を受けるよりも早くリディアは傍目元気に奥へと駆けていった。

 そんなリディアを見送った皆は視線を合わせ――そして耐え切れぬというように笑みがこぼれた。

「なんつーか」

「らしい、よね」

 

 

 

 そして浩一たちが亜沙から治療魔術を受け終わった頃、リディアが奥から帰ってきた。その両腕に二つのあるものを持って。

「こんなのがあったぞー」

 それは、

「剣と……腕輪?」

「『水王の剣』と『幻惑殺し』」

 玄王はそう言いながらゆっくりと立ち上がった。

「あぅー……?」

 まだ傷も治りきっていない。慌てる水菜に大丈夫だ、と軽く頷いて見せて、その二つの道具に視線を移した。

「その剣は来たる日に、と我がこれまでひたすら魔力を注ぎ込んだものだ。それを加護と受け取るのであれば、聖剣、と分類できよう」

「じゃあこっちは?」

「その腕輪は魔道具だ。いかなる幻覚、幻惑を無効化する。ある者がここに持ってきたものだ。我が認めた相手に渡して欲しい、と」

「ある者? そいつはいったい何者だい」

「それが……よく覚えておらんのだ。が、かなり昔と言えるだろう。少なくとも、汝らが生まれるよりは古い話だ」

 ふぅん、と頷きリディアはそれら二つを改めて見やる。

「貰って良いんだろ?」

「我は負けた身だ。とやかく言うつもりはない」

「おし。しっかし、この腕輪はともかく……水属性の聖剣、ねぇ。うちにこれが使えそうなやついたか?」

「そもそも水属性の剣士ってのが珍しいな。そして水の力を使いこなすとなればなおさら、だな。いままでそんな奴を俺は一人しか知らない」

 ホーリーフレイム、三幹部が一人エクレール。

 彼女クラスの水属性の剣士であればこのようなものとて使いこなすことができただろう。

 聞くところによれば亜衣と時谷を助けて死んだのだとか。……生きていれば、仲間になれたかもしれないのに。

「ともかく、それは保留にして持ち帰ろう。そっちの腕輪は――」

 と言葉を紡ぎきる前にリディアがそれを投げて寄越してきた。

 慌ててキャッチする浩一の向こう、リディアは軽く笑い、

「それはあんたが持ってろよ、羽山」

「なに?」

「今回の踏ん張り賞はあんただったんだ。誰かが持つってんなら羽山が妥当だろ」

「……踏ん張り賞ってなんだ」

「呼んで字の如くだ。含蓄のある良い言葉だろ。なぁ、時雨?」

「ボクはね、何事も人の価値観はそれぞれだと思う。うん」

「フォローしてるつもりか? つかそっちじゃない。腕輪の方さ」

「あ、うん。それはボクも賛成かな」

「そうだね、私も浩一が持つ方が良いと思う」

 賛同する亜沙と鈴菜に続くかのように水菜と神耶がそれぞれ笑顔と無表情でコクコクと頷いた。

 それらに対し浩一は困ったように苦笑し、

「そう言うなら、じゃあ貰っておこう」

 それを使うような場面があるかどうかはわからないが、別にあって困るものでもないだろう。

 だから、というようにそれを手首にはめて、そして浩一はゆっくり伸びをした。

 解放限界を超えた鈍痛はある。意識もやや朦朧とするが、動けないほどではない。

「さて……」

 皆を見渡す。傷は治れど疲れた様子は誰も同じ。

 だが、それに見合うだけのものを手に入れた。いまはこの倦怠感も充足感へと移行しつつある。

 だからそのゆったりとした感覚に身を任せて、

「帰ろうか、水菜」

 その言葉に水菜は頷き、笑った。

 その笑顔を見ていると、

『ありがとう』

 そんな声が、聞こえた気がした。

 

 

 

 あとがき

 はい、どうも神無月です。

 というわけで水菜パワーアップ+浩一の実力の片鱗という感じの話でした。

 ちなみに浩一の“死の烙印”。構造的には一極的な電子レンジだとでも思っていただけるとわかりやすいかと。まぁあれは音波じゃなくてマイクロ波ですけどね。

 あと亜沙とかリディアもほのかに活躍したかな? どうでしょう。

 さて、次回はいよいよアレのお話ですね。お待ちかねの方もいるようですが。

 リリカルマジカル〜(ぉ

 ではまた。

 

 

 

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