神魔戦記 間章  (百二〜百三)

                     「杏」

 

 

 

 

 

 朝。

 杏は自分のベッドで目を覚ました。

 目に映るのは、ここ最近で見慣れた王城にある自室の天井。

 クラナドにいた頃は近くに自分の家があったので城で寝ることなんてなかったからこの煌びやかさに最初は慣れないものだったが、いまではもう随分と平気になった。

 杏はその天井をボーっとしばらく眺め、そしてゆっくりと身を起こした。

「……はぁ」

 いきなり嘆息。そのまま杏はのそのそと起き上がり、着替えて髪を梳かし始める。

 髪の一房をリボンで巻きつけ、ブラシを置き、立ち上がって――机の上に置かれた自らの武器、大黒庵と小貫遁を見下ろした。

「……」

 何かを考え込むように数秒、そして再び溜め息を吐くと杏はそれらを手に取り、自室を後にした。

 

 

 

 どうやら少し起きるのが遅かったようだ。

 城の中は既に多くの人間が行き交っている。書物や書類を両手に抱えた侍女たち、稽古や警備、休息にそれぞれ向かう兵士たちなど。

 どうやら朝食の時間帯にもずれたらしく、食堂は既に人がまばらだった。

 カノン軍の主要メンバーは朝食と昼食は各自で取ることになっている。いや、普通はそうだろう。各々自分の任務があるのだし。

 が、夕食だけは全員で取る決まりになっていた。表向きは作戦会議を含めた食事会、ということだがあれは純粋に集まって談笑しながら食べているだけだろう。

 祐一のことだ、仲間内のチームワークや信頼感などを考えての配慮なんだろう、と杏は察する。

 だが実際それにより日頃あまり話をしない者たちとも話すことも出来るし、興味深い話だってよく聞く。

 本来王家がするようなことではないが、杏はこっちの方が好きだった。

「……っとと、そんなこと考えてる場合じゃなかった。朝食取らないと」

 とはいえ、別段急ぐ必要もない。本日杏は特にしなければならない任務や仕事はなかった。

 しかし定着した生活スタイル、というものだろう。杏は足早にカウンターへ向かい、適当に注文をすませ、手近なテーブルに腰を下ろした。

「いただきます」

 スプーンでスープを掬い上げ口に運ぶ。……だが、とくに味も感じられなかった。

「……はぁ」

 出るのは溜め息ばかり。

 やっぱり、頭はあのことで一杯らしい。

 寝坊してしまったのも、その考え事のせいであまり寝付けなかったからだろう。その考え事とは、

「……あたし、やっぱ弱いわねぇ」

 俊夫と戦ったときに実感した、自分の弱さ。

 無論、自分が他の皆ほど強くないことは自覚している。

 しかしそれでも、柳也や香里といった一線級の相手に戦って勝てたから、心のどこかで自分は戦えると思っていたのかもしれない。

 柳也も香里も、杏と戦ったときに最初から全力であったなら結果は変わっていただろう。それは杏にもわかる。

 だがそれでも少しは抗えるつもりでいた。が本当に相手が最初から全力だった場合――そう、先日の俊夫との戦いでそんな思いも打ち砕かれた。

 相手が最初から本気であったなら、自分は手も足も出ない。

「……そんなあたしがこれから先戦っていくためには――」

 身体能力を上げる。真っ先に思い浮かぶのはそれだが、なんの才能もない杏では伸びても些細なものだろう。

 それに、いまはすぐに身になる力が欲しい。

 となると……やはり方法はただ一つ。

「相談……してみるか」

 うだうだ考えていても仕方ない。むしろそういうのは自分の性に合わないはず。

 思い立ったら即実行。そのアクティブすぎると言っても過言ではないスタイルが本来の藤林杏というものだ。

「よし!」

 ガタンと椅子を鳴らせて立ち上がり、すぐさま行動を開始しようとして……、

 ぐぅ〜。

「……」

 ゆっくりと座り直した。

「まぁ、人間どれだけシリアスになろうと生理的な欲求には勝てないのよね」

 誰が聞いているわけでもないのに言い訳じみたことを呟き、杏は食事を再開するのだった。

 

 

 

 腹の虫を落ち着かせて杏がやって来たのはとある人物の個室である。

 あまり話をしたことはない。せいぜいが皆で集まる夕食時に誰かを挟んで話した程度。

 しかし、その人物の能力は周知の事実だし、いまはその力を借りたい。

 というわけで、軽くノックをする。

『どなた?』

 返ってくる声。良かった、どうやら部屋にいたらしい。

「藤林杏だけど。入って良い? ちょっと相談があるの」

『相談? ……どうぞ』

 了承を受け、杏はその扉を開けた。

「うっわ……」

 開口一番、思わずそんな声が漏れた。

 なんとも……散らかっている部屋である。

 杏からはまったく用途のわからない物体がそこら中に転がっている。足の踏み場もないとはまさにこのことだろう。

「ごめんなさいね、散らかってて。ちょっといま研究してて何かと物入りでね。……あぁ、ベッドの辺りに適当に座って良いわよ」

「そうさせてもらうわ」

「で……早速だけど、相談って?」

 回るタイプの椅子をギィ、と鳴らして振り向いたのは、眼鏡をかけた理知的な少女。ルミエ=フェルミナである。

 呪具改造のスペシャリスト。だからこそ杏はルミエの下を訪れた。

 そう、彼女が思いついたこととは、

「あたしの呪具を改造して欲しいの」

「改造? またどうして」

 怪訝そうな表情を浮かべるルミエに、杏は数日前のクラナドへの救出戦で俊夫に手も足も出なかったことを話し、その上でこう続けた。

「あたしがもっと強くなるためには……身体能力を上げるより、もっと確実な手段がある。それが――」

「なるほど。『手段の増加』ってわけね」

「さすがルミエ。話が早いわ」

 杏の戦闘スタイルは呪具を使用した翻弄戦。その類稀なる頭脳を利用したバトルメイクが彼女の本領だ。

 肉体的キャパシティも魔力も並である彼女がクラナドの近衛騎士団に所属できたのはひとえにそのどこまでもキレる頭があってこそ。

 だから彼女が手っ取り早く強くなるためには、その手札の数を増加することとなるわけだ。

 手札が多ければ思考も広がり、戦闘の組み立て方、対応、応用全てに幅が生まれる。

 だからこそ杏は、いま持つ彼女の手札である呪具、大黒庵と小貫遁の改造をルミエに頼んだのだ。

「お願いできないかしら?」

「あなたの呪具を見てみないとなんとも言いようがないわね。改造できないものもあるし」

「そうなの?」

「ええ。……まぁ詳しい理屈を説明すると時間が掛かるわ。とりあえず見せてくれる?」

 言われるまま、杏は手のひらサイズの大黒庵と小貫遁をルミエに渡した。

 ルミエはそれらを受け取り、最初こそ普通にそれを見下ろしていたが、しばらくするとどこか驚いた様子で二つを念入りに調べ始めた。

「……どうしたの?」

「どうしたのって……。これ、もしかしてあの小牧姉妹が作った呪具?」

「うん、そうだけど……」

「やっぱり。……どおりで」

 何か納得したように一人頷くルミエ。わけもわからず首を捻る杏に、ルミエはどこか呆れた表情で説明を始めた。

「まぁ、結論から言うと改造はできるわ」

「本当!?」

「ええ。……っていうか、杏、あなたこれどういう経緯で受け取ったの?」

 え、と杏は目を瞬かせ、

「どうって……。昔、あたしの妹が一時期トゥ・ハート王国の大使に任命されたのよ。で、あたしもその付き添いとして一緒について行ったんだけど、そこでまだ天才とか言われる前の愛佳に出会ってね。仲良くなって、それで呪具を作ってもらったのよ」

「私が聞きたいのはそこじゃないわ。受け取ったときのことよ」

「あぁ。ちょっと予定より早く本国に戻ることになっちゃってね。急いで貰ってきたわ」

「……なるほど。だからか」

 やれやれとでも言いたげにルミエはその二つの呪具を指差し、

「杏。これ、未完成だわ」

「え……? いや、だって(まじな)いもちゃんと入ってるし……」

「だ・か・ら! 本当はもっと(まじな)いが込められるはずだったのよ。この二つは」

 良い? とルミエは説明するように指を立て、

「呪具っていうのはね、つまりは入れ物に(まじな)いを込めて、魔力によって発動させる媒体なわけ。

 で、基本的に物質に込められる(まじな)いっていうのは総量が決まってる。

 魔力的な空き……呪具に関わる者は『スロット』と呼ぶからそう呼ぶけど、このスロットがいっぱいになるともうそれ以上(まじな)いは込められないの。

 でもこの呪具、大黒庵と小貫遁はそれぞれそのスロットが空いている。つまり――本来はもっと(まじな)いが込められるはずだったのよ」

「でも、込められる(まじな)いの総量って確か物質の大きさに比例するんでしょ? この大きさじゃそれほどたいした(まじな)いは込められないと思うんだけど……」

「確かにその通り。だけど本当にそうだったら小牧姉妹はどうして天才って言われてると思う?」

「あ……」

「呪具製作、と一言に言ってもその実、その内容は大きく二つに分けられる。

 一つは『いままでなかった(まじな)いを込められた呪具を作る』ということ。

 そしてもう一つは、『既存の(まじな)いをより小さい物体に込める』ということ。

 姉の小牧愛佳は前者、妹の小牧郁乃は後者の、それぞれ天才なのよ」

 仮にここに他の人物がいれば「どうして小型化が作ることになるの?」とかいう質問が飛び出したことだろう。

 しかしそこは藤林杏。なるほど、と頷き、

「小型化……つまり、それは『(まじな)いのスペースを減らす』ということなのね?」

「そう。例えば十のスロットを持つ物質がある。これに十のスペースを食う(まじな)いを込めれば一つしか入れられない。

 けど、これが五になれば、物質には五のスペースが残り、同じく五の容量を持つ(まじな)いを込めることができる」

 それはつまり、効率化だ。

 別に(まじな)いの容量が小さくなったからと言って小型化する必要はない。

 同じ物質にしたって、それだけ一つ一つの(まじな)いの容量が小さくなれば、それだけ多くの(まじな)いを込めることができるようになる。

「この呪具はまだ天才と呼ばれる前の小牧姉妹が作ったものだから、いまのと比べればやっぱり少しだけ荒があるけど……。

 他の人が作った呪具からは考えられないほどの効率化が図られているわ。

 わかる? 特にこの小貫遁に込められた『守る物に意味はない』っていう(まじな)い。結界破壊なんて普通、こんな大きさじゃ収まらないわよ?

 本来これは対城戦で使われる攻城兵器の破城槌なんかに使われる(まじな)いだもの」

 破城槌と一言で言っても大きさはままあるが、一番小さい物でも男が十人くらいで担ぐような代物だ。

 本来あの大きさにしか込められない(まじな)いがこの手のひらサイズの呪具に込められていて、挙句まだスロットが残っているのだという。

 改めて思う。

「……とんでもない話ね」

「だからこそ、『天才』って呼ばれてるのよ。……で、どうするの?」

「どうするって……だから改造して欲しいんだけど」

「確かにできる。でも、また小牧姉妹に渡せばしっかりと最後まで作ってくれるはずよ?

 そっちの方が本来の形になるはずだけど、それを蹴ってまでいま力が欲しいわけ?」

 確かに愛佳たちに渡せば、本来の大黒庵と小貫遁になるのだろう。

 が、現状トゥ・ハート王国に渡るのは難しい。『いま』力が欲しいのであればルミエに頼むのが一番だ。

 重要な選択。しかし、杏の思いは決まっていた。

「お願いするわ」

 一瞬の躊躇いもなく、杏は言い放った。

「良いのね?」

「ええ。だってあたしはいま力が欲しいんだもの」

 これからこのカノンはエア、クラナドと大きな戦いに突入するだろう。

 そのときにまたこの前のような醜態を晒すわけにはいかない。

 だからこそ、いま、力が欲しい。皆と肩を並べて戦っていけるほどの、強さが。

「……そう、決意は固いみたいね」

 するとルミエは肩をすくめて嘆息し……そしてやや複雑そうな顔で呟いた。

「ねぇ……聞いて良い? あなたはもともとクラナドの人間。それなのにどうしてこの国のためにそこまで戦おうとするの?」

「どうしたの急に?」

「純粋な興味よ。いや、あなたに限らずそうだけど、ここっていろいろな人がいるでしょう? なんでそこまでするのかな、って」

「んー、そうねぇ」

 考え込む杏。だがそれも一瞬、彼女は何かを思い出したように薄く笑い、

「まぁ最初は目的があったわけだけど……。いまはそれだけじゃないかなぁ。もちろんその目的もまだ残ってるわけだけど」

「どういうこと?」

「きっとここにいる全員、同じよ。最初の目的や動機こそ別々だけど、ここにいるにつれて皆純粋に祐一のために力を割こう、戦おうとしてる。

 あいつにはね、なんていうかそういうオーラみたいなのがあるのよ。カリスマ性、とでも言うのか……。

 あたしもそう。祐一が困ってるなら助けてやりたいし、祐一が頼ってくるならそれに応えてやりたいし、祐一が戦うというならその横に並ぶ」

 ルミエのキョトンとした視線に、吹き出すように笑い、

「なんででしょうね? あたし自身まさかこんな風に誰かを信頼して仕えることなんてないと思ってたけど……」

 クラナドにいた頃は、純粋に給料が良かったからということと、椋が魔術師団の隊長に抜擢されたことで一緒についていっただけだった。

 王に対する忠誠心なんて欠片もなかったし、与えられた仕事こそこなしたが、それ以上のことをしようとは思わなかった。

 自分はそういう性格だから仕方ないと、そう思っていたのにいまのこの状況はどうだろう。

 祐一の、この国の力になりたいと心から願っている。

 椋を探すためだけに近付いたはずなのに、その存在は杏の中で大きくなり、そしてこの国をまるで本当の故郷のように感じている。

「きっと……祐一が皆のために動いてくれるから、誰もがそのお返しをしようとしてるんでしょうね」

 祐一がカノン王国の王になる以前から、そうだった。

 イリヤや真琴を助けたり、美咲を買い取ったり、栞を気遣ったり、マリーシアを引き取ったり……そして椋の探索を手伝ってくれたり。

 頭の良い祐一のことだ、打算だってあっただろう。けれど、根っこのところはいまのも昔も変わらない。

 結局――復讐を掲げながらにして彼はとことんなまでにお人好しなのだろう。

「だからこそ、皆祐一のために戦える。戦おうとする。でもそれは……あんたも同じじゃないの、ルミエ?」

「え……?」

「あんただって孤児院の件があったからここにいるわけだけど……いまのあなたはどうなの? 本当にそれだけで動いてる?」

「そ、それは……」

 うろたえ始めるルミエに、杏は苦笑。

「言えないか。あんた、素直じゃなさそうだもんね?」

「なっ……!? べ、別に私はそんな! か、勝手に人の性格を決め付けないでよね!」

「いや、わかるわよ。だってあんた、あたしにそっくりだもの」

「なっ――」

「あははは」

 絶句するルミエの肩をポンポンと叩き、笑いながら杏は立ち上がる。

「それじゃあ渚の件で忙しいとは思うけど、お願いね!」

「あ、こら! 言うだけ言って……! それにあんた、呪具何の注文もなしに私に全部任せるつもり!?」

「任せるわ。できれば応用性の利くものが良いけど、そこは専門家にお任せ〜」

「そんな漠然とした注文で……あ、ちょっと!」

 手を振り、扉を閉める。

 ギャーギャーとまだ声が聞こえてくるが、杏は知らん振りで踵を返した。

 ルミエってなかなかからかい甲斐があるかも、なんて思いつつ杏は歩を踏む。

「さて、これからどうしよっかな」

 呪具を預けてしまった身としては、それこそ何もやることがない。となればまぁ、

「……ま、渚のお見舞いにでも行きますか。朋也とも久々に話したいし」

 いろいろと思うところもある。いまのうちにいろいろ話すのも悪くない。

 あのときのこと、いままでのこと、そしてこれからのこと。言いたくても言えず、聞きたくても聞けなかったことも、きっといまなら平気だろう。

 ここはカノン。渚の正体を隠す必要もない、全種族共存国なのだから。

 杏は鼻歌を口ずさみながら歩き出す。

 こうして穏やかな気持ちで二人のもとに行けるのも、祐一のおかげなんだろう。

 だからこそ――杏は、この国が大好きなのだ。

 

 

 

 あとがき

 ほい、どうも神無月です。

 えー今回は杏です。杏のパワーアップイベント+心境の変化の経緯、ってところでしょうか? そして素直じゃないルミエ(ぇ

 杏は神魔において出番の多いキャラになってます。CLANNADで一番好きなキャラはことみなんですが、書いてて使いやすいのは杏だというw

 朋也と渚、杏の会話についてはまぁ……脳内補完でお願いします(ぁ

 さて、次回の間章はキー大陸編最後となる観鈴です。

 ではまた。

 

 

 

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