神魔戦記 第百一章

                    「力を望むわけ」

 

 

 

 

 

 倉木水菜は魔族である。

 が、身体能力は人間族よりも低く、魔力もそれなりしかない。

 けれどそんな彼女には一つの特殊な能力があった。

 それが精神感応。

 精神世界をリンクさせ、相手の心情や感情を読み取り、あるいはこちらの心情を伝える能力。

 それにより魔物なんかと意思の疎通が取れる水菜は、何十、何百という魔物を従えることができた。

 彼女が唯一浩一や祐一たちに役立てることだと思っていた。

 けれど祐一がカノンを統治し、その下に数百数千という兵士が集うようになって、水菜はその自信を失った。

 それでも懸命に頑張った。出来る限りの魔物を使役したし、魔物ならではの戦力や戦略もある。

 しかし……それでも他の皆ほどに役立っているとは思えなかった。

 祐一も浩一も他の者たちも水菜は役に立っている、と言ってはくれるが……どうしてもそれは『しこり』として水菜の心の片隅にあった。

 だから水菜は『絶対的な力』が欲しかったのだ。

 誰かに守られるだけじゃなく、助けを待つだけじゃなく、誰かを守れるような、そんな力を。

 そんなときだった。その言葉が舞い込んだのは。

 

 

 

「霊獣クラスの魔物がいる、だと?」

 昼。

 訓練や見回りなどを終えた者たちが集う城の食堂。その一角で浩一、鈴菜、水菜の三人は『猫の手』の三人組と共に昼食を取っていた。

 見回りから帰ってきた浩一たちをにこにこ笑顔のシャルが一緒に食べないか、と誘ったのがきっかけだったわけだが。

 その昼食の肴として出された話がそんな台詞だった。

「そ。まぁ実際に見たわけじゃないんだがね。シャルが言うには気配の密度からして霊獣クラス。ないしそれ以上ってことらしい」

 肉をガリガリと荒々しくナイフで刻んだリディアが投げ込むように口に運び、ん〜、と美味しさに破顔する。

 その食べっぷりに隣に座るルミエが嘆息しながら、

「でもあのとき感じた気配は確かに相当なものだったわ。思わず足がすくむくらいにね」

「なんでそんな話を俺たちに?」

「そこの子……水菜さん、だっけ?」

 いきなり話を振られ水菜の肩が驚きに震える。そのことにルミエは苦笑しつつ、手を前に出しなにもしないわよ、というアピールをして、

「精神感応能力持ってて魔物を使役するの得意なんでしょ? もしかしたら……って、珍しくリディアがね」

「ほうほう。ほうふればほっひのへんひょくもぼーんほふえへ――」

「飲み込んでから喋りなさい」

「ん。……むぐむぐ、ん、〜ん。そうそう、そうすればこっちの戦力もどーんと増えて嬉しい限り、って言いたかったんだよ。

 それに、あそこには取り損ねた宝もあるしな。一石二鳥ってやつだ」

「……なんかその言い方だと本音は後者のように聞こえるな」

「そんなこたぁないよ。ただ後者の方があたしにとっては嬉しいだけさ」

 それを本音と言うんだろう、と浩一はコップを置き、水菜を見た。

「――で、どうする水菜?」

 浩一は自分がどうこう言うつもりは無い。水菜のしたいようにさせるつもりだった。

 彼女が行きたいといえば手伝うし、そうでなければ何もしない。それは鈴菜も同じ考えなのだろう。何もせずただ水菜を見るのみ。

 強要も、催促もしない。ただ共にいる。それこそがこの三人の姿だった。

 しかし、だからこそ。

「……ん」

 そんな大切な二人と肩を並べられるような力が欲しいと望んだ。

「――そうか。なら決定だな」

 いつもの水菜からは想像できない決意に満ちた頷き。それを見て浩一は小さく口元を崩すと席から立ち上がった。

「それじゃあ俺はそのことを祐一に報告して来る。……っと、そういや大事なことを聞いてなかったな」

「なんだ?」

「その霊獣クラスの魔物はどこにいるんだ?」

「あぁ、そういや言ってなかったな」

 実は案外近いんだ、とリディアはフォークを置き、言った。

「ルトゥ海岸にある鍾乳洞だ」

 

 

 

 ルトゥ海岸。

 カノン王国南に位置するこの海岸には、ちょっとした噂があった。

 曰く、その海岸には魔獣が出没する。

 事実、カノン王国に港がないのはこの魔獣による損害が激しいため手が出せないから、と言われていた。

 とはいえ、実際のところは定かではない。港街の建設が廃止されたのはもう百年も近い前のことだし、カノンもクラナドとの交易などがあったため特に新たな港を必要としなかったという背景もある。

 だが、火の無いところに煙は立たない。

 リディアたちの話から総合すれば事実その魔物は『いる』と断定しても良いだろう。

「さて……」

 というわけで一行はそのルトゥ海岸、そこにある鍾乳洞の前にまでやって来ていた。

 一行とは浩一、鈴菜、水菜、リディア。そして神耶と亜沙である。

 ルミエは、

「悪いけど私は古河さんのために魔力吸収系の呪具を考えてるから、今回は外させてもらうわ」

 ということであり、シャルは、

「別に行っても構いませんよー? 鍾乳洞を崩落させても良いのなら〜。あ、駄目ですかそうですか」

 というわけで今回はメンバーから外れた。

 代わりというように水菜の通訳が定着してきた神耶(とルヴァウル)、魔術戦力兼回復役として亜沙がついてくることとなったのだった。

 その中でもとりわけ亜沙のテンションは高く、

「うっわー、すごいねぇ。ボク、こういう見るからにダンジョン! っていうところ初めて入る〜。

 ほら、こういうのはどうしても戦闘メインの部隊に話が行っちゃうじゃない? こっちにこういう類のお仕事回ってこなかったのよねー」

 だから楽しみー、とあっちにキョロキョロ。こっちにキョロキョロ。緊張感の欠片もなさそうにはしゃぎ回っていた。

 対する神耶はいつもどおりの無表情である。なんでも、

「……この手のダンジョンはよく潜ったから」

 ということらしい。

 しかし……と浩一は面々を見渡して考える。

 相手は霊獣クラスの魔物である。強さを持つ魔物は自我が強いので、まずいきなりこちらに協力してくれる、ということにはならないだろう。

 とすればまず間違いなく戦闘となるわけだが……だとするとこの戦力。ややきついものになるかもしれない。

 この中での最大戦力は浩一。力を抑えている現在の状態であれば、やや神耶のほうが上だろうか。

 亜沙の実力は未知数。鈴菜と水菜もかなりの戦力ではあるものの、浩一や神耶と比べるとやはり下になる。

 以前、地下迷宮で神殺し『グランヴェール』を守護していた魔物も霊獣クラスだったが、あれにはかなり苦戦させられたのを覚えている。

 あのときよりは浩一たちも強くなっていようが、人数を考えればそう楽観もできないような戦力であった。

 とはいえ、カノンもいまなかなか難しい状況にある。これ以上の戦力を祐一に求めるのも酷だろう。

 クラナドの不可思議な行動もある。いま迂闊に戦力を分散しては痛い目を見るかもしれない。

「ま、仕方ないだろうな」

 そんな状況下で遠征を許してくれただけ良しとするしかないだろう。

「リディア。道案内は任せて良いのか?」

「別に良いけど。……まぁ道案内なんていらないと思うけどね」

 というわけでリディアを先頭に鍾乳洞へ足を踏み入れた。

「へぇ」

 面々がまず思ったことは、存外中が明るいということ。鍾乳洞全体が薄い水色に発光していて、ダンジョン特有の薄暗さがない。

 それに、

「……魔物の気配がしないな。大概こういうダンジョンには魔物が居つくもんだが」

「前来たときもまるでいなかったよ。それだけこの奥の魔物が怖いんだろうさ」

 その魔物の気配が圧倒的だからこそ、下級の魔物は寄り付かない。

 魔物の世界は弱肉強食。下級の魔物は上級の魔物の餌になるしかないからだ。

 歩を進めていく。そうしていく中でリディアが道案内なんて必要ないだろう、と言った理由も理解できた。

 この鍾乳洞、ただまっすぐなのだ。道は緩やかな下り坂。どうやら地下へと進んでいるらしい。

「どの程度歩くんだ」

「んー、ざっと十五分くらいかなぁ。……まぁ十分もすればわかるさ」

 苦笑を浮かべるリディア。それに浩一や鈴菜たちは首を傾げたが――実際そのくらいの時間が経ったら気付いた。

 全身に圧し掛かるような重い空気。肌をピリピリと打つ痺れ。

 前に進めば進むほど比例して増してくるその重圧に、浩一も冷や汗を垂らした。

「……なるほど。これは確かに強烈な気配だな」

 そう、これは気配だ。

 この奥にいるという魔物の。

 なるほど。確かにこの気配の密度は尋常ではない。霊獣クラスだと言われても素直に頷けるだろう。

「しかも近づくにつれてどんどん密度が膨らんでる。……まるで拒絶されてるみたい」

『実際拒絶しているのでしょう。これは明確に“去れ”と語ってますねぇ』

 肩を震わせる鈴菜に、同じ魔物であるルヴァウルが答える。

『これだけこれ見よがしに気配を撒き散らして……まるで何かを守っているようですね』

「守る?」

『だって、ここから遠ざけるようでしょう、これは? 即ち――』

「ここから遠ざけたいわけがある。つまりそれを守護している、ってわけか」

 ルヴァウルの意見には浩一も賛成だった。

 魔物とは淘汰される存在だ。相手が人間族であろうと神族であろうと魔族であろうと、魔物は邪魔な存在であることが多い。

 にも関わらずこうして気配を曝け出す理由はそれくらいしか考えられないだろう。

 即ちそれが――、

「お前たちの狙う宝、ってわけだな」

「そうなるね〜。ま、どんなものかは見当もつかないけど」

「それでも狙うのが盗賊団ってもんか?」

「だねぇ。……っと、笑い話もここら辺で終わりかな」

 言う先、皆が足を止める。

 目前には、巨大な金属製の扉が存在した。鍾乳洞にはあまりに不釣合いな、人工的な扉。

 淡く輝いているのは、おそらく魔術的な結界が施されているからだろう。生半可な攻撃じゃ突き破れないようになっているようだ。

「どうするの?」

「ま、任せときなって」

 言う鈴菜に、リディアが自信満々に前へ出た。

 ぺたぺたと扉に手を当て、軽く頷き、

「……なかなかの存在概念だけど、金属でできてる限りあたしの敵じゃあないねぇ」

 ニヤリと笑い、告げた。

「――――形状変化(デテリオレーション)

 ゴガン! と何か硬いものを鈍器で殴ったような音が響いた。

 それも一発や二発ではない。不定期に、しかし連続で音が鳴り響き……数秒してそれも止まる。

 振り返ったリディアが見せ付けるように手をヒラヒラと振って、

「鍵の部分を根こそぎぶっ壊した。これでいけるよ」

「……金属の強制形状変化がお前の魔術か。確かに強力だが……随分と強引だな」

「盗賊団だからね!」

 答えになってない、とそこにいる誰もが思ったが突っ込みはしなかった。

「……どいて」

 リディアと入れ替わるようにこの中で最も力のある神耶が扉に手を添える。

 鍵が壊れたにしてもかなり鈍重そうな扉だ。が、神耶の前ではそれも軽く押されていく。

 天井に扉がこすれ、わずかに塵が降ってくる。鈍い音をたてながらゆっくりと開いていく扉の向こうに――それはいた。

「な――」

 その驚きは誰のものだったか。

 目の前にはいままでの通路とは比較にならないほどの広大な空間。その中央に、それはいた。

 ソレは、生き物だ。

 魔物と呼ばれる類の、浩一たちの目的でもある存在。

 見た目は亀に近いだろうか。見るからに強固な甲羅を背負っているが、そこから覗く頭部だけはむしろ竜のそれに近かった。

 だが何より驚くべきはその巨大さ。

 錯覚、というものだろう。その中央にいるモノがあまりにも巨大すぎるから周囲の空間がさほど大きくないように見えるほど。

「……む?」

 と、頭を地面に着けて寝ていたらしいその魔物がゆっくりとその頭をもたげた。

 それだけで大気が揺れる。それだけの重量と大きさ、ということなのだろう。

 深紅の眼がゆっくりと浩一たちに向けられる。その目がやや細められると、

「ほう、ここに来訪者とは珍しい」

「しゃ、喋った!?」

 驚くリディアの横、神耶に背負われた棺がカタリと揺れて蓋から真っ赤な瞳が浮かび上がり、

『いえ、私も魔物ですがさっきから喋っていますよ?』

「あ、そ、そうか」

『ええ。魔物とて千差万別。長生きもしていれば人の言葉を解せるようにもなりますよ』

「……ルヴァウルは長生き」

『まぁ、そうですねぇ。でも……あちらの方のほうが長生きそうですが』

 ルヴァウルの言葉の先、その魔物がゆっくりと起き上がる。

「我が名は玄王。魔の血を継ぐ者、そしてか弱き人の子らよ。このようなところまで何用で参った?」

 問いに対して一番最初に動きを見せたのは水菜だった。

 皆の前に歩み出て水菜は声なき言葉を、自らの心の丈をぶつける。

 自分には何の力もないということ。

 しかし守られてるばかりは嫌で、誰かを守れるようになりたいと。

 だから……力を貸して欲しいということ。

 それら全てを聞いて……玄王は厳かに頷きを見せた。

「なるほど。汝の思いは理解した。その真摯さも、精神感応故にはっきりと伝わってくる」

 水菜は喜びの表情を浮かべ、

「――だが」

 しかしすぐにその表情は崩れ去る。

「我は弱き者に従うつもりはない」

 水菜の顔に浮かぶのは、ありありとした絶望。

 それはそうだ。力がないからこそ、求めた力なのだから。

 そんな水菜の肩を軽く叩きわずかに引かせ、代わるように前に出た浩一が玄王を見上げる。

「……どうすれば良い?」

「なに、簡単なことだ。――力ずくで我を従わせてみるといい」

「だが水菜は……!」

「わかっている。汝ら全員で構わん。この少女がそこまで想う者たちに、はたしてそれだけの価値があるのか。その強さを――見せてもらいたい」

「!?」

 玄王が言い放った瞬間、世界が一変した。

 爆発的に膨れ上がる魔力と気配。いままでのものなんて茶番だと思えてしまうほどの、尋常ならざる気配。 

「霊獣クラスなんてとんでもない……。これは――」

 明らかに神獣クラス。

 その気配たるや竜種のそれに匹敵するほど。さしもの浩一ですら膝が震えそうになる。

「ふむ? 戦う前にしてその様か? その程度でよくもここまで来られたものだ。いますぐ帰ると言うのであればそれでも構わんぞ?」

「ハッ」

 しかし浩一は笑い捨てた。

 確かに、恐怖はある。

 覚醒時の祐一、とまではいくまいが少なくともその半分以上の力があるであろう神獣クラスの化け物を前にして、しかしその言葉で吹っ切れた。

「お優しい忠告をどうも。……だが、ここでおめおめと帰ったらそれこそなんの意味もない。

 それはここに来た理由だけじゃなく……俺たちが祐一の傍にいる理由もだ」

 なぜなら、

「格上の敵と戦うことになるのなんてこれからしょっちゅう起きるだろう。その度にこんな無様な格好してたら……あいつと肩を並べる資格はない」

 それに、と続け、

「あの水菜が望んだことだ。お前は絶対手に入れる」

 水菜は、昔から自分の意思を前面に出すタイプではなかった。

 ずっと受身。何かを言われてようやく肯定するか否定するか。自ら動こう、とは決してしなかった。

 それは過去の、人間族に負わされた心の傷が大きいに違いない。

 しかし、そんな水菜が初めて望んだのだ。

 誰に言われたわけでもなく、自ら進んで――力が欲しい、と。誰かを守りたい、と。

 大丈夫だ、ということもできた。自分たちのことは自分たちで守れると。それどころか浩一はずっと水菜を守ってやろうとさえ思っていた。

 だが、水菜がそれ望んでいない。

 守られているばかりは嫌だ。自分も守りたい。

 その気持ちがわかったからこそ……浩一はこうして一緒にやって来たのだから。

 玄王がその口元を崩す。

「ほう。絶対、か」

「そうだ。ここで終わるのなら所詮その程度。だが……俺はこんなところで死ぬ気はさらさらない。――だから勝つ。それだけだ」

「その威勢や良し。なればかかってくるがいい。我も全力を持って相手をしよう」

 威圧感が増す。

 だが、今度は浩一は怯まなかった。鈴菜も、神耶も、リディアも、亜沙も同じ。

 そんな皆を水菜が懺悔するように見つめている。

 無理もないだろう。皆を守りたいからこそ力を望んだのに、そのせいでいま皆を危険な目に合わせているのだから。

 本末転倒。そう言えるだろう。だが、

「大丈夫だよ、お姉ちゃん」

 鈴菜が、弓を構えながら笑みを見せた。

「いまお姉ちゃんが抱いてる気持ちは、皆一緒なんだよ。……私も、そう。守られてるばかりじゃ嫌。自分の手で、誰かを守りたい」

 だからさ、と肩をすくめ、

「結局はこういうことでしょ? ……助け合う、ってこと」

「!」

「守るばかりじゃなく、守られるばかりじゃなく。そういうことができるからこその、仲間だと思うの」

「えらい! 鈴菜いま良いこと言った!」

 うんうん、と頷くのは亜沙であり、

「やっぱりボクもそう思うの。せっかくこうして皆がいるんだもん。頼るのも悪いことじゃないんだよ。

 ただ、それがとても情けなく思えるときもあるんだろうけど――だからこそ、今度は自分が助けてあげれば良いんだと思うよ?」

 亜沙がウインク一つ。

 それら皆の言葉に水菜が動きを止めていると、玄王の嘆息が聞こえてきて、

「今度、か。……余裕だな。我に挑み、今度があると言うか」

「当然!」

 言い切り、鈴菜が矢を番えた。その横で浩一は微笑を浮かべ、

「そういうことだ。――行くぞ玄王! 水菜のため、祐一のため。そして俺のために……お前を倒す!!」

 駆ける。

 力を得るための戦いが、始まった。

 

 

 

 あとがき

 どうも神無月です。

 というわけで、今回は水菜メインのお話でありました。……どうもメインになりきれてない感が拭えませんが(ぉ

 そして神魔史上初となる人外の魔物との戦い。はてさてどうなるか。水菜は新しい力を手に入れることができるのか。

 ってなわけでまた次回に〜。

 次回の主人公は浩一かな?w

 

 

 

 戻る