神魔戦記 第百章

                      「蠢き」

 

 

 

 

 

 クラナド王国。王城、その地下牢。

 そこにいま、二人の人物が鎖に繋がれ宙吊りになっている。

 古河秋生と古河早苗。それがその二人の名だ。

 が、

「お願い、もうやめてぇ……!!」

 響くのはそんな叫びと、肉を切り裂く聞くに堪えない嫌な音。

 叫んだのは、早苗だった。そして彼女は、日頃の彼女からは想像も出来ないほど狼狽していた。

 身動きできない状況であるとわかっていながら、それでもなおその光景に身じろぎし悲鳴を上げる。

「どうした古河早苗? 何事にも屈しないのだろう? なら歯噛みでもして堪えてこの現状を見つめろ。はははは!」

 そんな早苗をせせら笑うのは宮沢和人。そんな彼の手には血に濡れたナイフが握り締められていた。

 そうして再びナイフを下ろす。グシャ、という音と共に飛び散るは血。

「いやぁ……」

 涙で赤くなった目で見る先。そこに――血に塗れた古河秋生の姿があった。

 ボロボロだった。何度刺されたのかすらわからない。どこが傷かわからないほどに、どこもかしこも血だらけだった。

 最初こそ強がっていた秋生も、いまや息をするだけで精一杯という状況だ。

 刺されても悲鳴を上げないのは我慢しているのではなく、ただそんな力もないだけ。

「なにを泣くことがある古河早苗? こうなることはもう既に捕まった時点で……いや、軍に反抗した時点でわかっていたことだろう?」

「こんなことをしてどうなるんですか……? 殺すのなら早く殺せば良いでしょう!?」

 すると和人は嘲るように笑みを浮かべ、

「殺す? ハッ、馬鹿な。殺すわけないじゃないか。そもそもなんでここまでしてお前たちを手に入れたと思っている?」

「……え?」

「苦労したぞ、本当に。まぁ、そういう意味では古河渚は生きていたのは僥倖だったな。あれがなければここまでおおっぴらに事は運べなかった」

「何を……言っているのですか?」

「つまりなぁ……」

 ドス! と聞きたくない音が聞こえた。

 目を見開く早苗の先で、和人のナイフが秋生の胸に突き立っていた。

 その――心臓に。

「いやぁぁぁ!」

「――お前の心をボロボロにしたかったからさ」

 そして次の瞬間、和人の手がナイフから離れ早苗の首を掴む。

「!?」

「古河早苗。お前の力、借り受ける(、、、、、)

 刹那、和人と早苗を黄色い靄が包み込んだ。

 靄はゆるやかな周期で明滅し、早苗を取り囲んでいく。

「な……あ、……ッ!?」

 早苗は襲い来る感じたことのない嫌悪感に声にならない悲鳴を上げた。

 自分という存在を搾り取られるような、大切な何かが失われていく感覚。逃すまいとしてもどうあっても抜けていく何か。

 早苗に密集していた靄が今度はゆっくりと、吸い込まれるように和人に移行していく。

 その工程は十秒あるかないか。その靄が全て和人の身体に埋まる頃には、早苗の意識は失われていた。

「くくく……あははははは……ついに、ついに手に入れたぞ、この膨大な魔力!! クク、これだけあれば……アレも容易い! 葉子ッ!」

「ここに」

 音もなく闇から出現したのは鹿沼葉子。最初からここにいたのか、はたまた特別な移動法でいま現れたのかは定かではないが、行われていたことは知っていたのだろう、早苗や和人の状況を見てもその無表情は崩れなかった。

「こっちのゴミを始末しておけ」

「御意」

 頷き、葉子は早苗の正面、鎖に繋がれた――ただの兵士(、、、、、)に視線を向けた。

「……本物(、、)は使われなかったのですね」

「当然だ。あまり足しにはならないかもしれないが、奴からも貰えるものは貰っておく。手数は多いに越したことはないからな」

「そうですか。では――?」

「いや、古河秋生からは後日で良い。いまは……ククッ、早くアレを試したくて仕方がないんだ。部隊の編成はどうなっている?」

「あと数刻もあれば整うかと」

「遅い。急がせろ」

「御意。完了次第ご報告します」

 頭を垂れる葉子の横を通り過ぎ、和人はそのまま地下室を後にする。事は終わったのでもうここには用もないのだろう。

 視線を上げた葉子は鎖に繋がれて意識を失う早苗と、心臓にナイフを突き立てられ息絶えた運の悪い(、、、、)兵士に視線をやり、

「――王手、ですか。あとは最後の一歩を刻むだけ。……さて、キー大陸の今後はどうなりますかね」

 躊躇の欠片もなくその兵士を粉微塵に叩き潰した。

 

 

 

 カノン王国、王城。

 その一室にいま祐一たちはいた。

 主要メンバーが住んでいる部屋とほぼ同種の部屋の中、ベッドには荒い息を吐く古河渚の姿がある。

 魔力抑制の部屋を出てそれなりに時間が経っているせいで、魔力の上昇が跳ね上がってしまったのだ。

 とりあえず部屋には渚の部屋にあったものと同種の、しかしより強力な魔力抑制の文字魔術が施された。

『これくらいならたいしたことはないの』

 と、世界屈指の文字魔術師である澪が言う。その澪の術式であるせいか、その抑制率はかなりのもののようだ。

 が、抑制だけでは意味がない。とりあえず上昇した分程度は減らさないと、渚の身体が持たなくなる。

「渚……!」

 心配そうに渚の手を握る朋也の後ろで、祐一は隣に立つルミエに視線を向けた。

「どうにかできそうか?」

「……正直、厳しいと思う。私の持つ呪具の中に魔力低下系のものはある。……けど、きっと逆効果になると思うわ」

「どういうことだ?」

「あれは体内魔力を、(まじな)いの発動中のみ低下させる呪具。でも、それだけなのよ。魔力回復力なんかはそのまま」

「……なるほどな。確かにそれでは意味がない」

 魔力の回復、というのは生きている限り誰もが行う無意識運動の一つだ。心臓が動くのと同レベルの話である。

 無論、魔力が減れば身体はそれを回復させようと躍起する。だからこそ、人は魔術を使ってもしばらく休憩すればまた魔力が回復する。

 そして残りの魔力量が少なければ少ないほど、その運動は顕著になるというわけだ。

 しかしこの回復力は人によって差異がある。そしてクラナドを出てここに来るまでの上昇率を考えれば、渚の回復力は尋常ではないレベルだろう。

 もし、これで魔力を低下させる呪具を渚に使えばどうなるか。

 膨大な魔力をいきなり半分以上消された渚の身体は慌てて魔力を回復させるだろう。だが、それは実際に消えたわけではなく(まじな)いの働いている間だけの、いわば錯覚に等しい。

 ここで(まじな)いが切れれば……渚はもとからあった魔力と回復した魔力、その双方を押し付けられ今度こそ耐え切れずに壊れるだろう。

 だからこそ、ルミエは逆効果と言ったのだ。

「しかし、とするとどうしようもないか……?」

「そうでもないわ。焼け石に水ではあるかもしれないけど、魔力を吸収する方法が一つある」

「それは?」

 ピッ、と指を立ててルミエは言う。

「リリスよ」

「――なるほど。そうか」

 その名を聞き、すぐに祐一は理解した。

「リリスの持つ慧輪。『魔力は刃と化す』というあの(まじな)いなら、外に魔力を放出できるか」

「そういうこと。まぁ、あれの魔力許容量じゃ何度もやらないといけないでしょうけど、やらないよりはマシでしょうね。私が呼んで来るわ」

「あぁ、すまない。世話をかけるな」

「れ、礼を言われる筋合いはないわ! 私は人が苦しむ姿を見たくないだけよ」

 やや語気を荒げ、ルミエはさっさと部屋から走り去っていった。彼女なりの照れなのかもしれない。

 部屋に残されたのは渚と朋也、そして祐一と……様子を見に来てから未だに一言も発していない有紀寧の四人。

 有紀寧はただ渚の様子を見て、苦しそうに目を伏せるだけだ。何か言いたいことがあるけど言えない。そんな風に見える。 

 ふと視線が合った。有紀寧はやや慌てたように視線をずらし、しかしその動きがぎこちないものと気付いて慌てて心配させまいと笑みを浮かべるが……そんな歪な笑みを見せられて安心できる者はまずいないだろう。

 そんな動きに思わず苦笑すると、祐一は壁から背を離し有紀寧に近付くとその肩を叩いた。

「俺はしばらく出ている。話したいことがあるのならいまのうちに話しておくと良い」

「でも、陛下――」

「どの道ここはリリス頼みだ。俺がいたところでどうにもならん。……まずは、落ち着くことが先決だろう。どちらにとっても、な」

 最後にそう言い朋也の方を一瞥した。慌てて視線を避ける気配がする。

 朋也も有紀寧のことをいろいろと考えていたのだろう。聞きたいこともあるだろうし、渚の件で精神をすり減らしているはずだ。

 そういう意味でも話をすることは重要だ、と祐一はもう一度有紀寧の肩を叩き部屋を出た。

 後ろ手に扉を閉め小さく嘆息すると、苦笑を表情に貼り付けて祐一は踵を返した。

 

 

 

 部屋に残された有紀寧と朋也。どこか気まずそうな空気の漂う中で、先に動きを見せたのは有紀寧だった。

 有紀寧は朋也の横に移動し、ゆっくりと腰を下ろして渚の顔を見る。

「……苦しそう、です」

 ハンカチを取り出し、渚の顔に浮かぶ汗をそっと拭い去る。そうして、

「……生きていたんですね、渚さん」

 ゆっくりと、言葉を紡いだ。

 朋也は一瞬口篭るが、それでも合わせるように口を開いていく。

「……あぁ。悪い、嘘をついたな」

「いえ。わたしは王家の人間でしたから。わたしに知られてしまっては渚さんをまた危険に脅かすことになりましたもの」

 ハンカチを手元に戻す。そのハンカチを手の中で弄り、有紀寧は顔を俯かせた。

「ごめんなさい」

「な……? 待ってくれ有紀寧。どうしてお前が謝ることがある?」

「わたし、あのとき。渚さんが処刑されるというとき。わたし、こう思ったんですよ。『朋也さんが傷付かなければ良い』って。

 ……わたし、渚さんとお話だってしたこともあったし、良い人だなとも思いました。

 そのはずなのに――渚さんが魔族の血を引いているとわかっただけで渚さんの心配なんて頭の中から消えたんです」

 有紀寧の表情は見えない。俯いたことでその髪がまるで拒絶でもするかのようにその表情を隠していた。

「おかしいですよね? 渚さんだって生きていることには変わりないのに。なりたくて魔族の血を引いたわけでもないのに。

 ……それなのにわたしは、まるで渚さんを別種の、下等な何かだとでも勘違いして……そんなことを、心の底から思ってたんですよ?

 愚かしくて……あまりにも愚かしくて、泣いてしまいそうです」

 でも、と前置きし、

「これだけは、どうしても言いたかった。渚さんと――それに朋也さんに。ごめんなさいと、どうしても謝りたかった、です。

 朋也さんの苦しみも理解できなかった。渚さんの苦しみも理解できなかった。わたしはどこまでも浅はかで、そして愚かだった……。

 だから、ごめんなさい。どこまでも無能な王女で、本当に申し訳ありませんでした……!」

「待て、待ってくれ! 有紀寧が謝る必要はないんだ! 有紀寧は何もしなかったじゃないか!」

「違います! 何もしなかったんじゃない、何もしようとしなかったんですッ!!」

 気付けば、有紀寧の肩が震えていた。

「……わたしはここに、カノンに来て、祐一さんと出会って、いろいろなことがあって……ようやく、この愚かさに気付けました。

 でももう遅いことだと思って……。でも、渚さんが生きていて。助けて欲しいという手紙が来たとき、わたしは喜びました。

 けどその喜びは……わたしが犯した過ちをやり直せるかもしれないというただのエゴで……! わたしは、汚いんです!」

「有紀寧、それは違――」

「でも!!」

 遮る言葉。そして勢いよく振り返った有紀寧の顔は、ボロボロだった。

 いまにも涙を零しそうなのに、意地で押さえ込んでいるような、そんな表情。そのままに、有紀寧は叩きつけるように言葉を放つ。

「それでも! 助けたいと! 今度こそ守りたいと願ったこの思いは、きっと嘘じゃない!

 わたしは、わたしの気持ちで、思いで、そして救いたいと、救って欲しいと願いました……!」

「有紀寧……」

「……ごめんなさい。でも、わたしはここに来て多くのことを知り、そしていまこう思える自分を良かった、と思えるんです。

 もしわたしがあの頃のままのわたしであったなら、と。いま思うとゾッとするほどで……。

 そして、そんなわたしの我侭に頷いてくれた祐一さんを、わたしは本当に愛しています。この気持ちは本当です」

 有紀寧の表情から力が抜ける。ギュッと胸の前で手を握り締めた有紀寧は小さく微笑み、

「だから……だから朋也さん、わたしを許してくれと、信じてくれと、そんな卑怯なことは言いません」

「許すも何もない。俺も渚も有紀寧のことを恨んじゃいなかった」

「それは――ありがとうございます。でもそれは、憎しみの大半が国王であるわたしの兄に向けられていたからですよね?

 あとは、わたしが朋也さんたちと親しかった、というのもあるかもしれません」

「それは……」

「人は、そういう生き物ですよ朋也さん。親しい人間を悪者にしたがる人はいませんから……。だから、そういう意味でも嬉しいです。

 けれど、だからこそわたしは渚さんに謝罪したい。贖罪したい。友人としてのその想いに、今度こそわたしは答えたい」

「有紀寧……」

「そう思わせてくれたのが、このカノンで、祐一さんなんです。

 だから朋也さんもどうか、ここを、カノンを、信じてください。祐一さんは――陛下は、とても良い人ですから」

 そう言われても朋也からするとすぐに信じられるられるわけがない。

 それはわかっているんだろう。有紀寧は苦笑し、

「話が脱線しましたね。……ともかく、わたしはもう二度と、あんなことは考えません。渚さんがなんであろうと、渚さんは渚さんです。

 だから今度は、守ります。誰が相手であっても、わたしのできる限りどこまでも」

「……ありがとう、有紀寧」

 その言葉だけでどれだけ救われるだろうか。

 渚のことを知っていながら、守ると断言してくれる者がいる。その事実だけでも、朋也の心は随分と軽くなった。

「本来どの種族であろうと、そこに差なんてないはずなのに。種族の違いなんかで殺し合って良いはずではないのに。

 言い訳に聞こえるかもしれませんが、それを良しとしてしまう風習がクラナドにはあったのです」

 だから、と有紀寧は強い眼差しで、

「それを正さなくてはいけません。わたしのように種族間の差別の愚かしさを、知らなくてはいけないんです」

 そんな横顔を見て、朋也は思う。

 有紀寧は強くなった、と。

 クラナドにいた頃より、自分の意思を明確に外に見せるようになっていた。

 以前は皆の話を聞くことに関してこそ上手かったが、自分の意見を言うようなタイプではなかったのに。

 ――これが、カノンに来た効果、なのか。

 有紀寧自身、随分とこのカノンを好いているようなのはいままでの台詞からも聞き取れた。

 と、そんな視線に気付いたのか。有紀寧はややおあずおずと口を開き、

「……えっと、わたしの顔に何か着いてます?」

「あぁ、いや。本当に幸せそうなんだな、と。……正直、有紀寧の姿を見るまで信用できなかったからな」

「心配してくれたんですか?」

「当然だ。有紀寧を連れて行かれたのは俺の責任でもあるし。……でも結果的には、これで良かったのかもな」

「はい、もうわたしの心配は無用です。ですから……朋也さんは自分と、そして渚さんのことだけを考えてください」

 有紀寧は微笑み、朋也と、そして渚を見た。

「もう今度こそ、間違えたりしませんから」

 

 

 

 雨雲も去り、暖かな陽の光が零れ落ちる中。

 見渡す限り並び立つ石の群れ。……一般に言われるところの墓場に、その少女はいた。

 戦争で散っていった多くの者たちの眠りの場所。そこに立てられた新たな墓石の前で、雨宮亜衣は腰を落とし手を合わせ黙祷していた。

 その墓石に刻まれた名はエクレール。

 祐一が亡骸を持ち帰り丁重に埋葬して、墓石を立てたのだ。

 その間に、亜衣は泣かなかった。いや、泣けなかった、という方が正しいかもしれない。

 未だにエクレールが死んだ、という実感がどうしても湧かなかったのだ。……頭で理解はできていても、それに心がついていけてなかった。

「やっぱりここだったか、亜衣」

 不意に背後から掛かる声。だが、振り返らずともその声の主は誰だかわかった。

「時谷さん……ですか」

 時谷の怪我は、こっちに戻ってすぐに栞の魔術で治療が施され完全回復している。

 そのことに対する安堵感はもちろんあったが……いまはそれ以上の喪失感に苛まれていた。

 そんな亜衣の背中を見つめ、時谷は力なく笑みを浮かべる。

「埋葬してからこっち、ずっとそこにいるだろ。……いい加減にしねぇと風邪、引いちまうぞ。雨が上がったばっかりで風も冷てぇしな」

「はい……」

 頷きはしつつも、しかし亜衣は動く素振りを見せない。時谷はそれを見て小さく嘆息し、亜衣の隣にまで足を運んだ。

 立ったまま見下ろすのは、亜衣がずっと見つめているエクレールの墓。

 その前に立ち思うことは……わずかな苦悩だった。

「結局、借りは返せなかったな。……くそ、借りっ放しは趣味じゃねぇんだけどな」

「……亜衣も、同じです。貰うことしかできなかった……」

 亜衣が俯くと同時、チャラ、と軽い金属音。

 その音を辿れば、首から垂れ下がるペンダントがある。

 最後のときに渡された……あのペンダント。

 それを握り締め、エクレールに出会ってからのことを思い出す。

 エクレールは厳しかったが、でも同時に優しかった。いろいろなことを教えてくれた。

 その全てがいま、この心に根付いている。

 でも、その礼は……もう、二度とできない。

「ねぇ、エクレールさん。亜衣は、エクレールさんに何ができたんでしょうね?」

 エクレールは自分に会えて救われた、と。そう言っていた。けれど、

「……本当にそうなんですか? 本当は……亜衣が思い悩まないように、っていう嘘じゃなかったんですか?」

 エクレールは亜衣の性格を知っていたから。だから、最後の最後にそんな優しい嘘をついたんじゃないか。

 そう思えて、ならないのだ。

 しかし、

「あいつは、土壇場とはいえそんな嘘をつくような奴じゃねぇよ」

 時谷はその思考を否定した。

「あいつとは敵だったし、話すらほとんどしたこたぁねぇが、わかる。あいつはそんなことを言うような奴じゃねぇ」

「……どうして、そう思うんですか?」

「認めたくはねぇがな。あいつは俺と同じ匂いがした。俺と同類だ」

 時谷はあのとき。クラナドでエクレールと話をして理解したことがあった。

 エクレールという少女は、自分と似ているのだということが。

 ただ一人を信じて他を拒絶した者。誰にも深いところへ入り込ませずのらりくらりと生きてきた者。

 違いはあれど、誰かを近づけようとしないという点では似た二人。

 しかし、その壁を知らないうちに崩して入ってきた少女がいた。

 それが雨宮亜衣だ。

 けれど、そういうことに慣れていないから。だから気遣いのような嘘なんか口から出やしない。

 出るのはたとえ相手を傷つけるだけだとわかっていても、本音ばかりだ。

 ……そう、だからこそ、時谷にはエクレールの言葉の意味が、真意がわかる。

 故に断言できるのだ。

「――だからその言葉は嘘じゃねぇ。あいつはお前のおかげで救われたんだ。だからあそこまでした」

 エクレールほどの実力の持ち主なら戦ってすぐに葉子との実力差は理解していたはずだ。

 それでなお引き下がらなかったのは、

「それは、お前を守り通したかったからだろう、亜衣?」

「……っ」

「そう思ったのはあいつの意思で、そうしたのもあいつの意思だ。亜衣、お前はエクレールにとってそれだけの存在になってたんだよ」

「う、うぅ……」

「だからあの言葉は本当だ。……つかよぉ、亜衣。本当はお前、わかってんだろ? あれが本当の言葉だったってことくらい」

「そ、そんなことは――」

「あるね。お前は抜けてるようで人を見る目は鋭い。エクレールともそれなりの間一緒にいたはずだ。

 そんなお前があいつの性格読み違えるかよ。……違ぇだろ。お前は単にそう思い込みたいだけだろ?

 自分が悪かったんだ、って。そういう罪の意識があった方が楽だとか思い込みてぇんだろうがよ」

「そんな、違――ッ!?」

 叫びかけた言葉は、途中で消えた。

 違う、と。そう言いたかったのに……時谷のこちらを見る目を見て、その勢いは消えた。

 そう、なのかもしれない。確かに自分がそう思い込みたいだけなのかもしれない。

 けど、それでももっと亜衣はお返しをしたかった。エクレールが感じた分より更に多くを。

 ……違う。そうじゃない。

 本当はもっと単純なこと。

 もっと、一緒にいて、いろいろなことを教わりたかった。

 呆れたような表情で説明してほしかった。

 苦笑交じりに頭を撫でて欲しかった。

 不意にこぼれる、あの綺麗な笑顔が見たかった。

 そう。ただ、もっと一緒にいたかっただけなのに……!

「亜衣は……亜衣は……弱いです! いつも、いつまで経っても守られてばっかりだ……!」

 エフィランズのときだって、そう。

 逃げることしかできなかった自分たち。けれど、大好きな父と母は最期まで自分たちのことではなく亜衣のことだけを心配していた。

 その身が焼かれる、その瞬間まで。

「あのときに、誓ったのに……! もう二度と……二度と大切な人を亡くしたくないって!! だから強くなりたいと願ったのにぃッ!!!」

 耐え切れず、ボロボロと涙がこぼれた。

 地に落ちる雫。雨上がりの抜かるんだ地面を握り締め、慟哭する。

「亜衣は、亜衣は結局弱いままだッ!!!」

「そうだな。弱い」

 そんな叫びに、まるで水を叩きつけるように冷えた言葉が突き刺さった。

 亜衣の動きが完全に止まる。その小さな背中を見下ろし……時谷は小さく息を吐いた。

「……けどよぉ、亜衣。そんな弱音を、あのエクレールが許すのか?」

「ッ!?」

「あいつはそういう人間じゃねぇだろ。あいつはどんなに地獄の底に叩きつけられようが苦汁を舐めさせられようが、それでも這い蹲ってでも上を向いて進め、って言うんじゃねぇか?」

 エクレールは時谷と似ている。

 もし、時谷が同じ立場であったなら、きっと自分はそう思うだろう。

 だからきっと、エクレールも同じことを思うんじゃないかと時谷は思う。

 どこまでも真っ直ぐに自分の背を追ってきて、努力を惜しまないこの少女の足枷になることなんて望まない。

 ――そうだろぉ、エクレール?

 墓石を軽く撫でる。本人の声が聞こえれば、きっと「魔族が気安くわたくしに触るんじゃありませんわ」とか言うのだろう。

 そう思い、小さく笑みが浮かぶ。

 ――ホント、生きてりゃ俺たち、それなりに面白い関係になれたのかもしれねぇのになぁ。

 そんな予感がして――しかしすぐにそれは感傷だな、と斬り捨てる。

 そうして俯いたままの亜衣に視線を向け、その頭に手を乗せた。

 ビクリと揺れる小さな肩。その儚さを感じつつ、時谷は軽くその身をこちらに引き寄せた。

「と、きやさ――」

「弱音はここで捨てていけ。明日からはもう引きずるな。……できるな、亜衣?」

「……は、い」

「声が小せぇ」

「はい……!」

「もっとだ! エクレールに聞こえるくらいもっと強く言ってみろ!!」

「はいッ!!!」

 よし、と頷き時谷はあやすように亜衣の背中を撫でた。よく頑張った、と。無言でそう伝えるかのように。

 それが限界だった。その暖かさが引き金となりいまだ水溜りの残るその場所で、亜衣は時谷の服を握り締めてただ声を上げて泣いた。

 そんな亜衣を抱きしめて、時谷は空を見た。

 ――伝言、確かに聞いたからな。エクレール。

 グッと亜衣を抱く手に力を込める。

 ――守るさ。お前の分も、必ず。俺がよ。だから……お前は安心してゆっくり寝てろや。

 その言葉を届けるかのように、小さな鳥が空へと舞い上がった。

 

 

 

 その日、カノンに一人の客が来た。

 鎧を着込み背に大きな鎌を括りつけた、温和そうな雰囲気を持った青年だ。

 その青年は謁見の間にやってきて恭しく跪くと、やはり雰囲気どおりの穏やかな声音で言葉を紡いだ。

「お初にお目にかかりますカノン王。この度ワンの使いとしてやってきました、川名部隊副隊長のクリス=ヴェルティンと申します」

「もっと普通で構わない。堅苦しい挨拶は好きじゃないからな。クリスと呼ばせてもらって良いか?」

「あ、はい」

 どこか驚いた調子のクリス。その反応は祐一に出会うほぼ全ての人間と同じものだ。

 祐一ももうそんな反応にも慣れたもの。特にそこには触れず話を進めることにする。

「しかしクリス。茜はどうした? 川名部隊と言えばワンの誇る四大部隊の一つだろう? そこの副隊長といえばかなりの戦力だろうに」

「いえ、そんなことは……。里村さんは現在外交官としてトゥ・ハート王国に向かっていますので、代わりということです」

「トゥ・ハートか。シズク関係の件か」

「と思われますが詳しいことには僕にもなんとも……」

「そうか。なら、しかしなんでお前が?」

「それはきっと、国王のご配慮でしょう」

「どういうことだ?」

「……僕が、全種族共存の世界を目指していることを知っているから、だと思います」

 今度は祐一が驚きを見せる番だった。

 全種族共存を目指す。確かに、そんな人物がいたところでおかしいことはない。

 だが、そう思うからには祐一と同様――それなりの事情(、、、、、、、)があるはずだ。

 同じ志を持った者だからだろうか。その理由がとても気になった。

「どうしてそう思うようになったか……聞いても良いか?」

「それは――」

 口篭るクリス。その表情は悲しそうな、それでいてどこか自嘲めいたものも含まれていた。

 全種族共存、という言葉の意味は大きい。

 それは世界の枠組みを『自ら否定する』ことと同義だからだ。

 神族は魔族と対立する。

 人間族は魔族を憎み、魔族は人間族を快楽のために殺す。

 神族にとって人間族は下等種であり、人間族にとって神族は抗えぬ上位の存在だと信じ込む。

 歴史の中で漫然と繰り返されてきたその連鎖を、否定すること。

 それが全種族共存という夢物語のような単語だ。

 それを謳えば、カノンやシャッフル、エターナル・アセリアのように圧力が掛かる。周囲からの弾圧も尋常ではない。

 それはもちろん国レベルではなく、街や村レベルでも同じことだろう。

 でもそれでもその言葉を口にするからには、それなりの理由があることは容易に想像がつく。

 それが――本人にとって暗い過去であろうことも。

「いや、いい。話しにくいことなら無理に聞こうとは思わない」

「……すいません」

「謝る必要もない。気にするな。人間、言いたくないことの一つや二つある」

 そう言ってもクリスはまだ気にしているようだった。

 これから同盟を組むかもしれない国の王に対して不手際をしたのでは、という思いでもあるのかもしれない。

 そんなことは気にしていないんだが、とそれをわからせるためにも強引に話を戻すことにする。

「本題に戻ろう。それで、用件は何だ?」

「あ、はい。折原浩平王からの言伝を伝えに参りました」

 言伝? と祐一は眉を傾け、

「……そのくらいなら書簡でも良さそうな気がするがな」

「折原王は基本大雑把な方ですが、責任感は強い人ですからこういう重要事項は確実な手法を取るんです。

 そうでなければいくら能力があるとはいえ、あれだけの戦闘力を誇る里村さんを外交官なんかにはしませんよ」

 なるほど、と祐一は頷く。その説明はかなりの意味で納得できた。

「それじゃあ聞こうか」

「はい。ワン自治領内の説得も順調。あと一週間もあれば同盟会議を開くまでに漕ぎ着けることもできるだろう、とのことです」

 予想より随分と早い。祐一の予想ではもう少し時間が掛かると思っていたのだが、そこはさすが折原浩平、と言うべきか。人望がある者はこういうときに大きい。

「あと、シズクの動きが見えないことが気に掛かる、と。注意をしておいた方が良いとも言っていました」

「シズク……か」

 確かにここ最近音沙汰がない。エアやワンの方で襲撃はあったようだが、それもかなり小規模なものであるようだし……。

 注意しておくに越したことはないだろうが、当面の問題を考えると後回しにせざるを得ないだろう。

「わかった。用件は以上か?」

「はい」

「そうか。長い道のりご苦労だったな。しばらくこっちで休んでいくと良い」

「あ、いえ。どうぞお気遣いなく」

「なに、たいしたもてなしもできないが是非休んでいってくれ。茜ならいつも休んでいっていたぞ?」

 茜を引き合いに出されたことが効いたのだろうか。クリスは諦めたように笑みを浮かべ、

「それじゃあ、お言葉に甘えさせていただきます」

「あぁ、そうしてくてくれ。案内を頼む」

「御意」

 傍に仕えていた美咲が頷き、クリスを伴って謁見の間を下がっていった。

 その二人を見送り、祐一は小さく息を吐く。

 ワンとの同盟。シズクの動向。

 良い知らせと悪い知らせ。どちらも重要なことだが、いますぐどうこうという問題でもない。

 それはエアとクラナドも同様だ。

 エアは美凪を助け出す際に、クラナドは渚たちを助け出す際に激突し、互いにそれなりの戦力を失った。

 どちらもすぐに動き出す、ということはないだろう。しばらくは小康状態が続くかと予想したが、

 ……事はそう簡単に進まないらしい。

「陛下」

 声と同時に空間を跳び越えて美汐が現れた。……その表情にどこか戸惑いを浮かべて。

「少しお耳に入れたいことがあるのですが」

「どうした?」

 祐一の目前まで歩を進め跪いた美汐が、どこか釈然としないような口調で、

「クラナドなのですが……妙な動きを見せていまして」

「妙な動き?」

「はい。……クラナドの推定戦力のほぼ全てが移動を開始しています」

 思わず目を見開く。

 あれだけの損害を出しておきながら、いきなり全軍移動? 正気の沙汰とは思えない。

 それとも、だからこその奇襲とでも言う気なのだろうか。

「まさか一気に進軍してくる気か?」

「いえ、それが……こちらではないのです。なので妙だ、と」

「こっちじゃない? じゃあどこに向かってるんだ?」

「それが……北に」

「北?」

 クラナドの北と言えば無論エアがある。が、エアと敵対するようなことは万が一にもないだろう。

 だとすれば、一体……?

「どうしましょう、主様」

 主戦力のほぼ全て、ということはいまクラナドはがら空きということだ。いまのうちに攻め込む、という選択肢もあるにはある。

 が、それは向こうとてわかっていること。にも関わらず本当にそんな無謀な行動を取るだろうか?

 罠。あるいは、推定戦力に誤差があるのか。それとも……それが本当に全部隊で王都を空にしてでもしなくてはならない作戦があるのか。

「……思惑が見えない。しばらくは様子見だ」

「御意。では引き続き偵察を続けます」

「頼む」

 恭しく頷いた美汐が音もなく姿を消した。

 しかし祐一の意識はもうそこから外れている。

「クラナド王、宮沢和人。一体何を考えている……?」

 まるで読めないクラナドの行動。

 どこか嫌な予感が小さな芽を見せていた。

 

 

 

 あとがき

 えー、ども神無月です。

 なんか長くなってしました。やはり二話に分けるべきだったか……?

 まぁそれはともかく今回はクラナド編のまとめというか後日談というかそんな感じの話と、これからの伏線、ってところですかね。

 久しぶりにクリス登場。というかプロット考えるとここで出しとかないと後がやばいというかなんというか(ぁ

 まぁそんなわけです(どんなわけだ

 さて、次回は話がまったく変わります。メインキャラは水菜。あるいは浩一。

 ではまた〜。

 

 

 

 戻る