神魔戦記 間章  (百〜百一)

                    「クリス」

 

 

 

 

 

 鳥の囀りが連なり聞こえてくる。ユラユラと揺れる窓からは朝ならではの肌寒い風が小さく吹いていた。

 その寒さに当てられ、眠っていたクリス=ヴェルティンは目を覚ました。

「ここは……あぁ、そうか」

 見慣れない天井。それもそのはず。ここはワン王国じゃない。

 カノン王国だ。

 ワンの使いとしてやってきたクリスは、しばらくこっちに滞在することになっていた。

 と、そんな考え事をしていると、ひょこんと、小さな影がいきなり目の前に現れた。

「相変わらず子供っぽい寝顔だね」

「……おはよう、フォーニ」

「はい。おはよう、クリス」

 ぱたぱたと小さな羽を動かしてにっこりと微笑む妖精、フォーニ。

 そんなフォーニを横に、クリスはゆっくりと起き上がり窓を見やった。

「良い天気だね。……かなり寒いけど」

「寒いから空気も澄んでるしね」

「カノンは寒い、って聞いてはいたけど……。これは予想以上だね」

「クリス。これからどうするの?」

 うーん、とクリスは顎に手を添え、

「浩平にはカノンを観光でもして来いって、それと相沢王にもゆっくりするように言われたしね。今日はのんびり王都でも歩いてみようか」

「うん、賛成♪ それじゃあ、早速行こうよクリス!」

「フォーニ。いくら引っ張られても僕まだ着替えてもないよ」

「もう、早くぅ!」

 むーと頬を膨らますフォーニにクリスは苦笑を浮かべ、はいはいと頷き身を起こした。

 

 

 

「わぁ〜」

「へぇ……これはすごいな」

 王都カノンはまだ朝も早いというのに、随分な活気に満ちていた。

 ワンも十分活気に溢れた国であったが、ここはそれを上回っているように見える。

 魔族兵も普通に巡回している。それを見て目をしかめる者もいるにはいるが、見た限りそれは小数であるようだ。

 それによく目を凝らしてみれば、おそらく流浪の末にここに辿りついたのだろう、エルフや獣人族なんかもわずかに見える。

 けれど邪険な視線はあまりない。むしろ皆手を取り合って日々の生活を送っている。

 全種族共存国。

 言葉で聞く以上の何かが、ここにはあった。

「……平和、だな」

「そうだね」

「この光景をアルが見たらどう思うんだろうな……」

「クリス……」

 アリエッタが夢見た世界。焦がれた場所。

 もし、もしもこんな国がもっと早く出来ていれば……あんなことにはならなかったのだろうか?

 いや、とクリスはそれを否定する。それは甘い考えだ、と。

 結局のところ、アリエッタの死は――自分のせいであることに変わりはないのだから。

「あ、あー! と、ところでクリス!?」

 と、いきなり肩からこっちの思考を吹き飛ばす勢いでフォーニが大声をあげた。

 キョトン、とするクリスに対しフォーニはえーとえーとと二度呟き、何かを発見したように手を打ち、

「それ!」

「え?」

「それ、やっぱり持ってきてるんだね!」

 それ、というのはクリスが肩から下げた鞄のことだろう。

「まぁ、癖みたいなものだからね」

「外国でもそれは変わらないんだ」

「フォーニ。ワンだって僕にとっては外国だよ。それに、これは戦場に行くとき以外は必ず持ち歩くものだからね」

 背中から提げた永遠神剣とは別に、ほぼ必ずと言っても良いほど持ち歩くアイテム。

 その鞄に入っているもの。それは、フォルテールと呼ばれる古代魔具だった。

 とはいえ、武器なんかではない。それは分類的には楽器、に相当するものだろう。

 魔力により音を奏でる小型ピアノ、と表現するのが妥当だろうか。こういうものが発見されるだけで昔にも音楽という文明があったことがわかる。

 そのフォルテールの面白いところは、奏でる者の魔力によって音が変わる、というところだ。

 魔力とは人により千差万別。その差を気配として人は戦いでも相手を判別することができる。

 だから魔力を利用して音を生むフォルテールは奏者の魔力によって、同じく千差万別の音を創る、まさに音楽のための魔具だった。

 クリスはそのフォルテールが入った鞄をそっと撫でる。

 別段、クリスは音楽が好きだったわけじゃない。無論、嫌いなわけでもなかったが。

 フォルテールだって偶然知人から譲り受けたものだったし、それを弾けたこともちょっと楽しい、程度でしかなかった。

 それでもそれを肌身離さず持っているのは。

 ……アリエッタが、いつも自分の演奏を喜んでくれたから。

『やっぱりクリスは上手いね』

 いつも弾き終わった後、笑顔で拍手してくれるその光景を、いまでもはっきりと思い出せる。

 ……そのアリエッタが死んでから、もう一度たりとも弾いていない。弾こう、という気にどうしてもなれなかった。

 けど、それでも離さないで持っているのは……、

 ――僕が弱いから、かな。

「クリス……?」

 心配そうなフォーニの表情が見えた。

「大丈夫、なんでもないよフォーニ」

 とはいえフォーニとの付き合いも大分長い。そう言ったところでクリスが何を考えていたかはわかっているに違いない。

 さっきだってそうだ。アリエッタのことを思い出させないようにと強引に話の進路を変えたのだろう。

 しかし、フォーニの表情は晴れない。自分の話のせいでまた余計に思い出させてしまった、と後悔でもしているのだろうか。

 ――心配させてばかりだな、僕は。

 だから本当に大丈夫だ、と。そう表現するようにクリスは肩に座るフォーニの頭を指で撫でつけ、

「ありがとう。フォーニ」

「う……うん!」

 フォーニも笑顔になってくれる。思うところはあるだろうが、それでも笑顔を見せてくれるフォーニがやはり嬉しい。

「よし、他にもいろいろ見て回ろうか。大通りだけじゃなくて、思うが侭に小道に入ってみるのも良いかもね」

「クリス〜。そんなことして迷ったりしないでよ?」

「はは、努力するよ」

 そうして一番手近な小道へ足を踏み入れた。

 それだけで賑やかな喧騒が後ろへと流れ、身を撫でるようなわずかな冷気と共に静寂が訪れる。

 が。

「……ん?」

 その道を通る風の中に、かすかな音を見つけた。

 いや、これは単なる音ではない。確かな流れを持って聞こえてくるそれは、

「……歌?」

 

 

 

 結論から言うと、それは確かに歌だった。

 その音――いまでは歌だとはっきりとわかるそれに誘われるようにして歩を進めていくと、真新しい、やや大きめの建物に行き当たった。

「学校……にしては小さいか。診療所……? じゃなかったら孤児院、かな?」

 大通りにあった店々のような過度な装飾のない、落ち着いた雰囲気の建物だった。

 中にはそれなりの数の人の気配。そして、未だ聴こえ続けるその歌声。

「……綺麗だね」

「あぁ……」

 自身も歌が好きで、歌にはうるさいフォーニが他者の歌を褒めるのは珍しい。

 が、それは本当に――クリスがいままでの人生で聴いてきた中でも一、二を争うほどに繊細で、華麗で、心に響く歌声だった。

「ね、クリス! 入ろうよ」

「フォーニ?」

「こんな綺麗な歌声を歌う人、私見たいよ」

 でも、という言葉は出なかった。正直、クリスもその気持ちが強かったからだ。

 だからその扉を開けた。その歌の邪魔にならぬよう、ゆっくりと。

「あ……」

 中の光景を見て、呆然となった。

 クリスの読みは当たりのようで、そこは診療所兼孤児院のような場所のようだ。

 待合室のような場所。そこにいま診療所に来たのであろう老人や魔力に揺らぎがある……おそらく病にかかっているだろう人たち。それと、孤児院の子供たちと思われる子らが集まっている。

 だが、驚いたのはそんなことじゃない。

 そんな彼らが見つめる一点。耳を傾け酔い痴れる、その歌の紡ぎ手こそが驚きの正体。

 それは、黒い翼を持った天使だった。

 窓からこぼれる陽光が、まるで彼女を讃えるように集まり照らし出し、その光に漆黒の翼は煌きを見せる。

 少女は両手を胸の前で浅く繋ぎ、天に向かって歌っていた。

「……」

 神族でも魔族でもない。気配は人間族のそれである。

 ならばなぜ黒い翼などを生やしているのだろう。……しかし、そんな疑問などどうでも良くなるような、そんな歌声だった。

 綺麗、というだけではない。上手い、というだけでもない。

 声と流れに乗せて、少女は自らの心を詠んでいる。

 辛く悲しい出来事を。しかし、それを上回るほどの幸せと喜びを。少女は心を歌っている。

 心に響く歌、とはまさにこのことを言うのだろう。語りかけるように、染み入るように、その気持ちは心に届いた。

 辛いこともあったけど、それ以上の幸せを感じている。

 だから皆も絶望に諦めず、最後まで前を向こう、と。呼びかけられているかのような、そんな――元気付けられる歌だった。

「――」

 歌が、終わる。瞼を閉じ歌うことだけに集中していた少女がゆっくりと目を開ける。

 するとそこにいた全ての者たちがいっせいに拍手を送った。惜しみない、心からの喝采を。

「え、えと……あ、ありがとうございます。ありがとうございます」

 そのあまりの拍手に少女は慌ててぺこぺことお辞儀を始める。顔を上げた少女の表情には照れ笑いが浮かんでいた。

 と、そこでバッチリ視線が合ってしまった。まぁ、真正面にいるのだからそれも当然だろう。

 キョトン、とする少女。

「えっと……?」

「あ、すいません。素敵な歌声が聴こえたものでつい」

 警戒させないようにと柔らかく笑顔をそえて言ってみる。クリス=ヴェルティン。実はかなり外面(そとづら)が良い。

 が、どうやらそれが逆に少女に警戒心を抱かせてしまったらしく、若干怯えた表情で一歩引いた。

 しかも、周囲の人々が不審者を見る目でこっちを見始めている。

 何故かとんでもなく追い詰められた気分になったクリスはやや慌てたように手を前に出し、

「え、ええと、怪しい者じゃありません。僕はワン自治領から使いとしてやって来たクリス=ヴェルティンと言います」

 一応身分を証明するようにワン自治領の紋章も見せる。すると少女はあ、と呟いて、

「ワン自治領……ということは茜さんの……?」

「あ、はい。今回はどうしても里村さんが来れないということで、僕が代理として来ているんです。……里村さんとは面識が?」

「はい!」

 少女は先程までの表情が嘘のような笑顔になり、

「茜さんは……命の恩人ですから」

「そうなんですか」

 その表情、言葉から少女がどれだけ茜に恩を抱いているかはっきりと感じ取れた。

 しかし、こう言ってはなんだが茜が人助けとは珍しい、と思う。

 別に人間性がどうこう、というわけではなく茜は良い意味でも悪い意味でも仕事人間だ。

 未だ同盟を組んでいるわけでもない国の者を助ける――戦いに介入するような人物ではないと、短い付き合いのクリスですら知っている。

 にも関わらず、そういうことをするということは、

 ――里村さん、随分とこの国がお気に入りなんだなぁ。

 まぁ、わからなくもない。まだこの国に来てから一日と経っていないが、この国の雰囲気はクリスも心地良い。

 この場所にしたって、そう。どこか穏やかでいられる、そんな色がこの国にはあった。

「あ、申し送れました。私はマリーシア。マリーシア=ノルアーディです」

 茜との思い出に浸っていたらしいマリーシアが我に返り慌てて自己紹介。そんな動きにクリスは小さく笑みが浮かぶのを自覚しつつ、

「マリーシアさん、ですか。どうぞよろしく」

「あ……はい。よろしくお願いします」

 にこり、と。浮かんだ柔らかい笑顔はどこまでも綺麗で、可愛かった。

 ……ある人物を思い出してしまうほどに。

「……クリスさん?」

「あ、いえ、なんでもないんですよ。ただちょっと知り合いに似ているな、と思っただけですから」

 ? と首を傾げるマリーシアに、クリスはやや強引に話を元に戻すことにした。

「それはともかく……マリーシアさんは本当に歌が上手いんですね。とても心に響く歌でした」

「あ、いえ……そんなことは……。でも、お世辞でも嬉しいです」

「いえ、お世辞なんてことは決して。……うん、音楽に関わったことがあるからこそ、よくわかるんです」

「音楽に……?」

 横でフォーニが息を呑むのを感じた。

 クリスが言おうとしていること、しようとしてること。それがわかったのだろう。だからこその驚き。

 それを感じつつ、クリスはゆっくりと鞄からそれを取り出す。

「それは……フォルテール!?」

「あ、知ってるんですか?」

「えと……は、はい。私がまだ聖歌隊にいたときに、それを弾ける人がいて……。とても心地良い音色でした」

「そっか」

 古代の魔道具で珍しいものとはいえ、決してこれ一品だけしか世界にないというわけではない。

 数える程度ではあるが、確かにこれは出土されている。聖歌隊などであればあってもおかしくはないだろう。 

 それを手近な机の上に置き、その鍵盤にゆっくりと指を添えた。

 弾くのはおろか、鍵盤に触れることすら懐かしい。

 感慨深いものを感じつつ、クリスはゆっくりと音を紡いだ。

 軽い、確認動作。しかしそれだけでにも関わらず、響いた音色はそこにいる全ての者を惹きつけた。

「良ければ……本当に良ければ、でいいんだけど。……アンサンブル、してみませんか?」

 クリスの心は確かにマリーシアの歌に動かされた。

 あれだけ弾きたくないと、弾こうと思わなかったフォルテールを弾きたい、と思った。その歌を聴いて、一緒にアンサンブルをしてみたいと。

 それだけの何かが、マリーシアの歌にはあったのだ。

 それに、贖罪をするためには過去に縛られていては駄目だということもわかっている。もしここが踏み出すチャンスであるのなら……多少無理をしててでも歩き出したかった。

「クリス……」

 皆には見えないフォーニに返事をするわけにはいかないので、クリスは微笑を浮かべてその憂いに答えた。

 大丈夫だよ、と。

「どう、でしょうか?」

 マリーシアはキョトンと、そしてややあって、笑った。

「喜んで」

 

 

 

 音が、旋律を生み出す。

 クリスの指が踊るようにフォルテールの鍵盤を流れ、魔力が音となり波を生む。

 その波を壊さず、そして無視して前面に押し出るでなく、上手く波に乗る……『歌』という名の乗り手。

 波は乗り手のために。乗り手は波のために。

 まるで二人は最初からこうなるように示し合わせたかのように一切のミスもなく、重なり、響きあう。

 その奏では「1+1」ではなく、二倍にも三倍にも押し上げて聴く者の心を打つ。

 マリーシアの歌。クリスの伴奏。

 調和と平和のアンサンブル。

 誰もが喋るのを止め、その旋律に酔い痴れた。診療所の近くを歩いていた者たちも誘われるように足を止め、耳を傾ける。

 聴く全ての者が知らず知らずのうちに笑顔になるような、優しい音。

 それは歌い手のマリーシアも、弾き手のクリスも同じこと。

 マリーシアはクリスの伴奏に優しく包まれるような感覚を得て、クリスはマリーシアの歌に広がる世界を見た気がした。

 時に強く、時に悲しく、時に喜び、時に嘆き、時に楽しんで、時に緩やかに、時に優しく。

 メロディはそれぞれの色を持ち全てを合わせて昇華する。

 マリーシアの思いが、クリスの思いが、『音楽』となって一つの形を象っていた。

 それはきっと、聴いた誰もの記憶に留まるような素晴らしい演奏で。

 その歌と伴奏が止まったときには、まるでコンサート会場のような大喝采が待っていたのだった。

 

 

 

「正直、驚いた」

 場所は診療所、その屋上。

 いつまで経っても鳴り止まぬ喝采と拍手から逃れるように、半ば引きずられてクリスはここにやって来た。

 建物自体がそれほど高くは無いので、特に見晴らしが良いわけではなかったが――しかし大通りから外れているからこそののどかな住宅街が見下ろせる。

 畑を耕しているご老人。走り回っている子供たち。談笑に華を咲かせる主婦たちに、仕事に励む男たち。

 平穏、という二文字が妥当だと思われる光景を見ながら、クリスは先程の演奏の余韻に浸っていた。

「即興だったのに、まさかあそこまで合わさるとは思わなかった」

「それはクリスさんの腕ですよ。クリスさんのフォルテール、素敵でした」

「いや、僕だけじゃない。マリーシアさんがこっちに合わせてくれたところ、何箇所もあったしね」

「でもそうやってわかりあえることって、すごいですよねっ」

 まだ興奮冷めやらぬ、という感じでマリーシアが珊に手を掛ける。彼女を知る者であるならば、その表情にはさぞ驚いたことだろう。

「それに……」

「それに?」

「とっても、楽しかったです。私の歌にクリスさんの演奏が重なって、一つの形になる感覚……。それに、それを聴いていた皆さんの笑顔も」

「……そっか」

 その笑顔はどこまでも真っ直ぐで。だから、というわけではないが、クリスも素直に思った。

「そうだね。……楽しかった。……ん?」

 気付けば、マリーシアがこっちをじっと見ている。その視線にクリスはややたじろぎ、

「あ、あの……なに?」

 するとマリーシアは柔らかい笑みを浮かべ、

「良かったです。なんか……吹っ切れたみたいで」

「――え?」

「あ、いえ……その、なんとなく、なんですけどね。……クリスさん、あのとき何かを決心して、自分のいる場所から一歩を踏み出すような顔というか……えーと、あはは、何言ってるかわかりませんね」

 苦笑し、でも、とマリーシアは呟いて、

「いまのクリスさん。どこか清々しいような顔、してます」

「――」

 その言葉に、クリスの目が丸くなった。そして耐え切れぬ、というように吹き出し、

「――はは、マリーシアさんには敵わないな」

「あ、マリーシア、と呼び捨てで良いですよ」

「え、でも……」

「多分クリスさんの方が年上ですし。……それにクリスさん。さっきから口調が砕けてますよ?」

「――あ」

 クスクスと笑うマリーシア。それに対し、本当に適わないな、とクリスもまた笑った。

「クリス……」

 感慨深げなフォーニの言葉。

 それはアリエッタを失ってからこっち、心の底から笑わず楽しもうとせず、ずっとフォルテールを弾いてこなかったクリスに対する……安堵、だろう。

 と、マリーシアが何かを思い出したようにクリスを見上げ、

「あの……ところで聞いて良いですか?」

「あ、うん、なに?」

「……はい。その、最初から気になっていはいたんですけど……」

 そこでマリーシアの視線が横へ……正確に言えば肩の辺りへ移動する。その先にいるのは、

「そこにいるのは……妖精さんですか?」

「「えっ――」」

 クリスとフォーニは同時に絶句し、お互いを見つめ、そしてややあってマリーシアに視線を戻し、やはり同時に叫んだ。

「「見えるの!?」」

「え? ……え? あ、はい。その……赤い服を着た可愛い女の子みたいな……え、え?」

 見えている。『赤い服を着た可愛い女の子』とフォーニを的確に表現しているのだ、間違いない。

 驚きしか浮かばない。浩平や祐一、魔力の高い澪ですら見ること適わなかったフォーニが見える人物がまさかいるとは思わなかった。

 そういう事情を説明すると、マリーシアはもしかしたら、と呟いて、

「その……私はこの翼のおかげでマナや魔力の機微を感じ取ることができるそうなんです。だから……多分、この翼がフォーニさんのマナを感じ取って、視覚情報として私に見せているのかもしれません」

「そんなことが……」

 クリスはマリーシアのその漆黒の翼を見る。

 フォーニが見えるほどの、異端の力を秘めし翼。

 ……それは、そう。本当に、彼女とそっくりで――。

「黒い翼……珍しいですか?」

「あ、いや……ごめん。無遠慮にじろじろ見たりして」

「あ、い、いえ! ……別に責めたりしてるわけでも嫌がってるわけでもなくて、素直にそう思っただけで……」

 本当に嫌がってるわけではないらしい。マリーシアは自らの背から生える翼を一度揺らせて、

「でも、やっぱり珍しいですよね。……私はこれでもれっきとした人間族なんですけど……いきなりこれが生えてきたんです」

「いきなり……?」

「はい、本当に突然に。何の前触れもなく」

 突然。前触れもない。

 そのフレーズにクリスは小さな頭痛を感じた気がした。

「……クリスさん?」

「マリーシアは……。マリーシアはどうして平気なんだい?」

「はい……?」

「こういう言い方は君を傷つけるかもしれないけど……『人とは違う』というだけで、世界は冷たい。いろいろと辛いことはなかったのか? あったならどうしてマリーシアは皆のために歌おうと思ったんだ? そしてどうして――」

 そんなに笑顔でいられるんだ?

 それは言葉にすることができず。……しかし、皆まで言わずともわかるのか。マリーシアは小さく苦笑し、

「もちろん、辛かったです。とても……」

 ゆっくりと背中の羽を撫でつけ、マリーシアは前を見る。

「この翼のせいで、私のパパとママは殺されました。私も殺されかけました。……この翼を恨まない日はなかったです」

「マリーシア……」

「……でも」

 目を伏せながら、マリーシアはもう一度、でも、と囁き、

「……過ぎ去った過去をどうこう言ったところで……仕方、ないんですよね。泣いたって親は戻ってこないし、恨んだって翼は消えない。

 ……この国の人に、それを教わりました」

 マリーシアに去来するもの。それはなんなのか、クリスにはわからない。

 けれど、それがとても大切なものであるかのように、マリーシアは瞼を閉じ胸の前で小さく腕を組んで、

「ここには……私なんかよりよっぽど辛い人生を歩んできた人たちがいます。でも、それでも皆頑張って生きてるんです。

 そしてこうして皆で集まって一緒に差別を無くそうと、過去を見つめるんじゃなく……未来を見つめて行こうと、頑張ってます」

 だから、とマリーシアは目を開き、

「私も、そんな皆さんの役に立ちたい……そう思ってます。……私にできることなんて歌を歌うとか、そういう程度のことしかないから……だから、私は歌うんです。少しでも皆さんの気持ちが軽くなったり、解きほぐすことができると信じて……」

「マリーシア……」

「……って、ちょっと格好つけちゃいましたね」

 おどけて見せるマリーシアに、いや、とクリスは首を横に振る。

 言葉に込められた想いが感じ取れた。マリーシアは本当に心の底からそう思っているのだ。少しでも力になれたなら、と。

 決して絶望せず、恨まず、それでも人を想い笑っていられるなんて、なんて……。

「――ホント、強いんだな。マリーシアは」

「え、いえ、その……私は別に……」

「いや、強いよ。マリーシアも……アルも……」

「アル……?」

 しまった、とクリスは慌てて口に手をやるが、もちろん遅い。

 マリーシアは疑問の目を向けるのみ。軽々しく言えることではなかったが……、

「……僕の、恋人の名前だよ」

 クリスは、答えていた。

「恋人さんですか。きっと、とっても素敵な方なんでしょうね」

「うん。恋人贔屓、ってわけじゃないけど……ホント、僕にはもったいないくらいの恋人だったよ」

 その言葉にマリーシアは首を傾げた。

「あの、恋人だった、って……」

「……死んだんだ。数年前に」

「あ――す、すいません。……その、私……」

「ううん、マリーシアが気にすることじゃない。だからそんな表情はしないで」

「で、でも……」

「アル――本当はアリエッタ、っていう名前なんだけど僕はそう呼んでた。で、そのアルは……まぁ幼馴染でね。小さな頃からずっと一緒だったんだ」

 マリーシアの言葉を切るように言葉を告げて、そして続ける。

「意識し始めたのはいつだったか覚えてないけど、でもいつの間にか好きになってて。……いや、もしかしたら最初からなのかな。

 まぁ、ともかくそれはお互い様で。その気持ちを確認しあった僕たちは、とっても幸せだったんだ。好きな人といられる喜び。それを噛み締めてた。

 そしてそれはずっと、それこそ永遠に続くとさえ思ってた。……あの日までは」

「あの日……?」

「突然、アルの額に目が現れたんだ。何の前触れもなく、第三の目が」

「それって――」

「そう。状況的にはマリーシアとほとんど一緒さ。なら……ここからどうなったか、わかるよね?」

 マリーシアが辛い視線を足元に落とす。

 そう、マリーシアの考えている通り、アリエッタを襲ったのは不条理な弾圧だった。

 しばらくの間はどうにか誤魔化していたものの、それもそう長くは持たず周囲の人間にそれが発覚した。

 れっきとした人間族であるにも関わらず、アリエッタはまるで魔族のように扱われ、蔑まれ、非難された。

 どれだけクリスが庇っても……いや、むしろ庇えば庇うほど周囲の目は冷たく、また鋭くなっていった。

『クリス。駄目だよ、そんなことしたら。クリスまで街の人に嫌われちゃうよ。私は大丈夫だから……』

 そう言って、殴られたのか叩かれたのか、赤くした頬を手で押さえながら懸命に笑ったアリエッタを、クリスは忘れない。

 そしてそのときに言ったのだ。

 例え誰に嫌われようと、罵倒されようと構わない。そのせいで傷つく様を見ることしかできなかったり、一緒にいられない方が辛い、と。

 だから人の来ないような場所で二人で暮らそう、と。

「そして二人の生活は始まった。細々としたものだったけど、それは確かに充実したものだったんだ」

  しかしその生活が数ヶ月ほど経ったとき、事件は起きた。

「……実は、僕も特殊な能力を持ってたんだ」

「特殊な、能力……?」

「魔眼。そう呼ばれているものをね。そして僕が持っていたのは『幻惑の魔眼』。まぁ魔眼の中じゃそれほどたいしたものでもない、ただ相手に幻覚を見せるだけのものなんだけどね」

 実際、アリエッタの第三の目をしばらく誤魔化せたのはこのクリスの幻惑の魔眼で街の人々に『アルは普通だ』という幻覚を見せていたからだ。

 とはいえ魔眼も魔力を使用するもの。そう連続使用もできず、すぐに発覚するわけになるのだが……問題はこんなことではなかった。

「……その魔眼が、ある日暴走した」

 あるいは、そうした連続使用が原因だったのかもしれない。

 ……ある日、クリスは魔物に襲われて、これを慌てて撃退した。

 アリエッタと二人で暮らしていたところは人里離れた場所で魔物もよく出没していたためにクリスは別段驚きもしなかった。

 が、それは幻覚(、、)だった。

 次の瞬間にクリスが見たものは――血の海に沈んだ、アリエッタの姿だった。

「……ッ!?」

「魔眼の暴走により自分自身が幻覚に踊らされて――僕はこの手でアルを殺してしまったんだ」

 泣いた。

 喉が焼けきれるのではないかと思えるほどに、クリスは泣いた。

 自分の手で最愛の相手を殺した悲しみ。失った悲しみ。自己嫌悪と罪悪感で自殺しようとも思った。

 けれど、死ねなかった。

 勝手に殺して、その挙句に勝手に死ぬなんて虫の良いことできやしなかった。それは懺悔でもなんでもなく罪の意識からの逃げにすぎない。

 そうして何も出来ず、ただ絶望の淵に沈むだけだったときだ。……永遠神剣『第六位・贖罪』と共にフォーニが現れたのは。

 それを受け取って、文字通りクリスは贖罪のために生きることを誓った。

 自分のこの一生を使ってでも、アリエッタの望んだ世界を創ろう、と。

『どうして、人間族や魔族、ってだけでこんなことになっちゃうんだろうね』

 ある日アリエッタが言った、そんな言葉。

『誰もが、種族なんて関係なく平和に過ごせるような……そんな世界だったら良いのにね』

 純粋な願い。その吐露を、クリスはただ聞くことしか出来ず。

 自分だけはずっとそばにいるから、それで勘弁してくれと。そう言ったとき、アリエッタは優しい笑顔を浮かべたものだった。

 けれど、できる贖罪はそれしかない。例えどれだけ不可能だと、夢物語だと言われようとも、この永遠神剣の名の通り、贖罪をし続けると決めた。

 そのためには戦いも辞さない。精神的なショックかその他の要因か……あれ以来魔眼を使えなくなってはしまったが。

「――そうして僕は古くからの知り合いである浩平の治めるワン自治領に住まわせてもらい、贖罪としてアルの望んだ全ての種族が共存できる、という世界のために動いてるんだ」

 それがクリス=ヴェルティンとしての生きる道。これからの行く末。

 歩いていく、未来。

 それを知っていて、浩平は茜の代わりにクリスをこのカノンに向かわせた。その、アリエッタの夢見た世界に近い国を見させるために。

「……えと」

 それまで黙って聞いていたマリーシアがおずおずと口を開いた。

「その……どうしてそんな話を、私に?」

「アルと境遇が似ていたから、かな。……いや、もしかしたら僕が誰かに聞いてもらいたかっただけなのかもしれない。でも……」

「でも……?」

「ありがとう」

「……え?」

「マリーシアのおかげで、僕は救われた」

 同じ状況であり辛い過去を背負うにも関わらず、平和な世界の中に身を置く少女を見て、クリスは理解した。

 この目標は、決して夢物語などではなく――現実に出来得る可能性なのだと。

「……マリーシアと会えて良かった。フォルテールをまた弾けたことも、君の歌も、そして――君の存在も。

 僕にとって、また希望を持って踏み出せる一押しになった」

「……クリスさん」

「マリーシア。また今度、アンサンブルしてくれないかな?」

 肩に座ったまま口を出さなかったフォーニの頭を撫でつけ、

「フォーニが見えるのなら、この子も一緒に。フォーニも歌が上手いから今度は、三人でアンサンブルしよう」

「く、クリス! 私は……」

「いつも皆に見えなくて寂しい、って言ってたじゃないか。せっかく見える人が現れて、しかもフォーニまで認める歌唱力を持つ人だよ? 何か不満がある?」

「不満なんてないけど、でも私は別に――」

「あ、あの……私なんかで良ければ喜んで」

 マリーシアがクリスに近付き……その肩に座るフォーニに笑みを向け、

「私も、フォーニちゃんの歌聴いてみたいです」

「……むぅ〜」

 するとフォーニは諦めました、と言わんばかりに大仰な溜め息を吐き、

「もう、そこまで言われちゃ仕方ないなぁ。一緒に歌ってあげるわよ」

「はい、楽しみにしてますね」

「よし、決まりだ」

 手を差し出す。それを見下ろし、マリーシアは笑みを浮かべてそれに応じた。

 握手。それは一つの礼の形。

 そよ風の吹く屋上で、二人の表情はただ笑顔に包まれていた。

 ……と、そこで、

「マリーシア、ここにいたのか。悪いけどちょっと調べて欲しいことが――」

 突然屋上に倉田一弥が入ってきた。

 固まる三人。

 一弥はマリーシアとその正面に立つクリスを交互にそれぞれ二回視線を向け、そして数秒間考え込むと、

「……悪い。邪魔をした」

 すぐさま出て行った。

「え? え、あ……あの! 一弥さん、ちが……! なにか一弥さんは大きな勘違いを……!?」

「マリーシアの恋人?」

「こ、ここ、恋人!? い、いえ、違いますっ!  そりゃあ……確かに一弥さんは良い人ですけど、そういう関係では、決して……!」

「そっか。それより追っかけなくて良いの? 勘違いされたままみたいだけど」

「あ!? そうでした! ……えと、す、すいません! では、その、私はこれでっ!」

 見ているこっちが対応に困るように何度も頭を下げ、そしてぱたぱたと走り去っていった。

 なんともまぁ、

「面白い子だね」

「惚れた?」

「まさか。僕の恋人は生涯アル一人だよ」

 そっか、と呟くフォーニにそうだよ、と答えてクリスも城に戻るために踵を返した。

 今日は有意義な一日だった。

「良い天気、だね」

 晴れ渡る空を見て、思う。

 久しぶりに……今日はゆっくり寝れそうだ

 

 

 

 あとがき

 はいはい、神無月です。

 というわけで間章、クリスでございます。でも影の主役は一弥(ぇ

 間章としては長いお話でした。えぇ、しんどかった(汗

 ま、冗談はともかく。クリスの過去に触れるお話でありました。あとちょっとした新しい人間関係を。

 やはりクリスのフォルテールを神魔でも表現するとしたらこのような表現しか無いだろう、と。こんな形のお話に。

 どうでしたでしょうかね?

 さて、えー次回の間章は……杏、ですね。

 ではまた〜。

 

 

 

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