神魔戦記 番外章
「小さな、しかし大きな歪」
ヒュン!
闇の中を奔る一閃。
それは展開された固有結界すら破壊し、その具現者たる者までをも切り裂いた。
「がぁ……!?」
ガラスが破砕したような音と共に世界が還る。その中央で男は右肩から斜めに切り裂かれ、身体を二分し墜落した。
「が……くそ、再生が……働かないだと!?」
馬鹿な、と男――トラフィム=オーテンロッゼは顔を驚愕に染める。
TYPE-Sに分類される自己再生能力を誇る自分――死徒二十七祖の一人でもあり代表とも呼ばれるこのトラフィム=オーテンロッゼが、追い詰められている。
ありえない、とトラフィムは激痛が襲う中それを見上げた。
大きく輝く月下、二振りの剣を手にこちらを見下ろす少女がいる。
闇夜に栄える真っ赤なドレス。風に靡く青の髪。禍々しいほどに輝く黄金の瞳。
「死徒二十七祖の十七番、トラフィム=オーテンロッゼ。……とはいえ、あなたも所詮はこの程度なのね」
死を内包した少女はただ憮然とした表情を浮かべたまま、ゆっくりとトラフィムへ近付いていく。
ゆっくり、ゆっくり。まるで恐怖を煽るようにただ静かに。
「くっ……!?」
無意識に、トラフィムは腕を使って自らが後退しているに気が付いた。
死徒二十七祖である自分が、恐怖している? たかが人間族の少女に対して・・・?
「ありえん!」
手を翳す。そこには瞬間的に強烈な魔力が集束し始めた。
トラフィム=オーテンロッゼは元来魔術師であった死徒だ。死徒となり莫大な魔力を得たいまなら、詠唱なしで超魔術級の形成など造作もない。
「ありえんのだっ!!」
放つ。
白翼公の二つ名の通り、どの属性にも属さない純粋な魔力の塊である純白の波動を軽々と放つ。
優に街の二つは消し飛ばせるかというほどの魔力を前にして、その少女はしかしただ笑うだけだった。
「悪あがき、っていうやつかしら? ……『白姫(』」
嘲笑のような呟きと共に、強烈な魔力の弾丸は『白姫』と呼ばれたその剣の一振りによってまるで嘘のように消し飛んだ。
「っ……!?」
「無駄よ。何もかも、無駄」
「くっ……!」
再びトラフィムがその手に魔力を形成し始める。だが、瞬きの間に少女の姿が眼前に迫り、次の瞬間には集まっていた魔力が霧散した。
「あ――」
ナニかが飛んだ。それは……いま魔術を放とうとしていた自らの腕であって――、
「もう、お終いにしましょう。あまり時間をかけているとあいつがうるさいの」
二本の剣を振り上げる。するとその剣はまるでこちらを殺すことを歓喜するかのようにわなないた。
死ぬ。
自分にとって既に通過したものと思い込んでいた概念が頭を過ぎると同時、トラフィムは無意識に言葉を紡いでいた。
「貴様……何者だ……?」
すると少女はうっすらと、自嘲めいた笑みを浮かべ、
「冥土の土産……というわけにはいかないけど、まぁ、教えてあげる。
私の名前は天沢郁未。いまは亡きムーン王国の元女王にして、“鮮血の女神(”と恐れられた殺人鬼よ」
にこりと、場違いなまでの微笑みの上、剣が唸りをあげていた。
「あなたには私の願いの成就のため、死んでもらうわ。その魂、聖杯に捧げるために」
「聖杯だと!? ということは貴様はフェイトの――」
だが、言葉が最後まで紡ぎきられることはなかった。
振り下ろされた二本の剣の一撃により、トラフィムの身体は大地もろとも完全に木っ端微塵に消し飛んだからだ。
その死体すらない大きく窪んだ大地を眺め、
「……はずれ。フェイトの人間じゃないわ。私はただの彷徨える者よ」
剣を腰に収める。腰から下げられた四本の鞘が小さくこすれて、音を立てた。
それと同時、いままで黄金に輝いていた瞳が薄れていく。すると一瞬その身体が大きく揺れた。たたらを踏みつつもなんとか体勢を維持する。
「っ……。やっぱりまだあまり長い時間は力を行使してられないわね」
手の隙間から見える瞳の色は青になっている。そして密集していた強烈な魔力もいつの間にか消失していた。
世界を威圧していた圧迫感が嘘のように消える。だが、それが現実であったということは、大地を見れば一目瞭然であった。
「あなたほどの魂なら、聖杯もその能力を上げるでしょう。……もう二度と転生はできないだろうけど」
身体にダメージはなさそうだが、疲労だろうか。零すように言葉を残し、少し身体を引き摺るようにして郁未は踵を返し歩を進める。
「早くしないと。既に他のサーヴァントも召喚され始めてる……」
「そうだよ。時は着実に進んでる」
その郁未の先、一人の人間が立っていた。
だが、雲に隠れた月の光では、それがどんな人間なのかは見えない。
しかし郁未はそれに対し警戒をすることはなかった。仮に相手が襲い掛かってきたとしても逆に捻じ伏せる自信がある。
まぁ、それ以前にそんなことはないだろう。そんなことは互いにデメリットしかもたらさないからだ。
「あなたにしては、結構時間掛かったね? やっぱりその身でも死徒二十七祖の相手は辛いかな?」
「……仮にも世界とコンタクトしている存在よ。楽に勝てたら今頃四大魔貴族なんて絶滅してるわ」
「ま、それは確かに」
クスクスと笑う人間の横を郁未はただ通り過ぎる。
……正直、郁未はこの人物が好きではない。特にその笑い方が嫌いだった。
だがそんな郁未のいらつきを知ってか知らずか、その人物はやはり笑みを浮かべながら振り返る。
「あと三体。それだけ召喚されれば聖杯戦争は幕を上げる。それまでは……もう少し頑張らないとね?」
あんたは何もしていないだろう、と言いかけて止める。言ったところでどうなるものでもない。
だから、郁未はただ頷くに留めた。
それに満足したのか、人物はまた癇に障る笑いを上げた。
郁未は嘆息する。そうして振り返ると同時、月を遮っていた雲が晴れた。
「そう思うのなら、急ぎましょう。魂は多いに越したことはないのだから」
「うん。そうだね」
輝く月下の中、立っていたのは黒装束に身を包み青い髪を二つに結った、無邪気な笑顔を浮かべる少女であった。
ほぼ同時刻。
王国ムーンプリンセスの王城、千年城ブリュンスタッド。
小高い丘の上に聳え立つ居城。満月の下に不気味なほどの闇を携えそれはただそこに在る。
その一室。かなり広い部屋の中央、どこか禍々しい装飾の施された椅子に一人の少女が座っている。
黒いドレスを着た、見た目十三、四の少女だ。銀色に光る長髪から覗く真紅の瞳が、手元に広げられた本へと落とされていた。
が、その端正な顔の眉が一瞬跳ねる。そうして人二人分もありそうな窓を見上げたのと、それは同時であった。
「失礼します。姫様」
入室して来たのは若い長身の男だ。長い青髪を後ろで結った男。
纏う雰囲気からただ者でないことはすぐにわかる。
彼こそはリィゾ=バールシュトラウト。死徒二十七祖の六番であり、通称黒騎士とも呼ばれている。
そしてそんな彼が姫と呼ぶ者など一人しかいない。
この少女こそリィゾを始めとした三つの死徒二十七祖に守られし黒き姫、吸血姫のアルトルージュ=ブリュンスタッドである。
リィゾはアルトルージュに恭しく頭を下げ、進言する。
「実は――」
しかしアルトルージュは視線を窓に向けたままその言葉を遮った。
「わかっているわ。トラフィム=オーテンロッゼが討たれたのでしょう?」
「……ご存知でしたか」
「あれだけ大きな濃度の気配が消えればわかるわ。リィゾ、あなたにはわからない?」
「残念ながら」
とはいえ、決してリィゾが気配に疎いわけではない。むしろアルトルージュの気配察知能力が異常なのだ。
リィゾの気配感知限界は半径数十キロ。それでも大陸の半分以上は収まる広さだ。人間族の有能と呼ばれる魔術師の優に数倍以上である。
だが、アルトルージュは既に別格。
彼女の気配感知限界距離は数万キロ。ここにいたとしてもアザーズ大陸の先端まで届こうかという距離である。下手すればサーカスやキーまで届きかねない。
これこそ異常。まず間違いなく気配感知の広さにおいてはアルトルージュが世界一だろう。
「これで十二体目……ですな」
十二体。それは……殺された名のある魔族の数だ。
ここ最近、有名な魔族を殺して回っている者がいるのだ。その手は既に四大魔貴族にまで及んでいる。
「確かに。けれど、違う」
「違う……?」
違うとはどういうことだろうか、と眉をしかめるリィゾにアルトルージュは視線を向ける。
「これは魔族だけを狙ってのことではない。神族、人間族も数えれば名のある強き者たちが四十一消滅している」
「――」
リィゾ、絶句。彼の中では埋葬機関の仕業だと思い込んでいただけに驚きを隠しえない。
「しかし……それはいったいなんのために……」
そんなリィゾを横目にアルトルージュは自らの銀髪を手で梳きながら、
「いったいもなにも、十中八九聖杯のためでしょうね」
「聖杯……? それはまさかフェイトの――」
「そうよ。我々が争っている理由の根源である、あの聖杯よ」
「つまり……聖杯戦争が再び始まった、と?」
「そうでしょうね」
そんな馬鹿な、とリィゾは表情を固くする。
アルトルージュの言うことは絶対だ。彼の主君がなにかに対して間違えることなどありはしない。とすれば、それは絶対の真実だ。
それに、そうであるのなら多くの者が殺されているのも納得が出来る。
魂の採集。犯人の狙いはそれだろう。
魂を糧にする聖杯。それはより強く、より多くの魂を取り込めば取り込むほど願望機としての性能を上げていく。
――聖杯。
古来よりフェイト王国に伝わる宝具。魂の力を利用しどのような願望も具現化させる力を持つ、魔法の領域へ片足を突っ込んだ最高級のアイテム。
現在フェイト王国に飾られた聖杯は贋作であるが、たとえそれが本物であろうが偽者であろうが『願いを叶える』という特性が残っている以上、それは紛れもない聖杯だ。
そして聖杯は願望機としての機能を発揮するために、より良いシステムを組み込んでいる。
それこそが聖杯戦争。
過去、現在、未来から無作為に召喚した英雄を使役させ、戦わせるという最大級にして最小規模の戦争。
聖杯を受け取るものは勝ち抜いたマスターと召喚されし英雄――奴隷(、その一組のみ。
聖杯を使用できる者を決め、また負けた者たちの魂を利用することによって聖杯を昇華させる。一石二鳥のこの戦争。
そしていま、再び聖杯戦争が開始されようとしている。
なるほど。それならばいま多くの名のある者たちが殺されているのも頷ける。だが……、
「しかし前回の聖杯戦争からまだ十年……。聖杯戦争の周期はおおよそ五十年ほどではなかったのですか?」
「確かにこれまではそうね。でも、いまの状況が特別だから」
「? それは……?」
不意に、アルトルージュが遠くを見つめる。窓の向こうに視線は向くが、きっと見ているのはそこから見える何か、ではないだろう。
アルトルージュはいま、見えないはずのナニかを凝視している。
「……世界が悲鳴をあげている」
「悲鳴……ですか?」
「そう、悲鳴。いまこの世界は……そう、風船に近い。ぱんぱんに空気の詰まった風船そのもの。
いまにも割れそうで、でも割れまいとあがくのがまさにそっくりね」
つまりマナが空気で、世界が風船ということだろう。とすれば、
「では、最近のマナ濃度の上昇は、聖杯戦争の再開に起因している……?」
だが、アルトルージュは首を横に振る。
「聖杯戦争の周期が早まったから大気のマナが濃いんじゃない。むしろその逆よ」
「逆……ということは……」
「大気のマナのあまりの濃度に触発されて、聖杯が動き始めているのよ」
「なら、なぜマナが……? まさかあの『異界者』たちが――」
「違うわ。関与しているのは確かでしょうけど、直接的には関係ないでしょう。
というよりも、あんな連中がこの世界に来た理由も根っこは同じかもしれない」
この世界を選んだ理由。それをアルトルージュはなんとなくであるが理解している。
それは……、
「なにか、大きな力を感じる。『異界者』よりも、はるかに強力な力……。世界そのものと言っても過言ではないほどの、圧倒的な力が。
徐々に、しかし確実にそれは肥大化し始めている。きっとマナ濃度の上昇も、聖杯も、『異界者』たちも、全ての起因はこれなんだわ」
「姫様。もしかして、おおよその見当が付いているのですか?」
だがそのリィゾの問いに、アルトルージュは無言を返した。
椅子から立ち上がり、そのまま窓へと近付いて行く。
見上げた先にはぽっかりと穴が空いたように綺麗に輝く満月。
「……世界の歪み。いまはまだ小さくても、それはいずれ大きな綻びへと繋がっていく。
その綻びはきっとそう遠くないうちにあなたたちにも降り注ぐことになるでしょうね。でも……」
――でも、きっとあなたたちなら。
思いを馳せたのは、過去共に過ごした者たち。
思い描いた小さな姿に、思わず笑みがこぼれた。が、振り返ったそのときにはもうその表情は消えている。
「リィゾ」
「はっ」
「アルクェイドはいま?」
「……はっ」
口ごもった。それだけで、もう答えなど見えている。
「そう。また遠野の屋敷なのね。……まったくあの子はどうしてこう……、女王としての自覚が薄いのかしらね」
それはアルトルージュが勝手にアルクェイドを女王に据えたからだろう。いつか仕返ししてやる、といき込んでいたアルクェイドを思い出しリィゾは疲れた気分になる。
リィゾからすればおてんばなアルクェイドよりも冷静で知性溢れるアルトルージュの方がはるかに女王に相応しいと思うのだが、
「面倒くさいわ」
その一言で寝ていることを良いことにアルクェイドに女王を一任したのだ。怒りもするだろう。
「……なにか言いたそうね、リィゾ?」
「はっ、あ、いえなにも決して」
半目で見られ、リィゾは逃げるように視線を下に落とした。そのまま数秒。まぁ良いわ、と嘆息したアルトルージュに、リィゾは思わず安堵の息を吐いた。
「なら、リィゾ。あなたに頼むわ」
「なんなりと」
「キー大陸へ行きなさい。そこでその殺戮者を見かけたら相手をしなさい」
「キー大陸? とすると――」
「いいえ。その他の争いには一切手を出さないように。そしてフィナにはリーフ大陸に向かうように言って。彼にも同じように」
キー大陸とリーフ大陸。それが指すことは、きっとあれしかないだろう。
その事実に、リィゾは思わず――、
「ちょっとリィゾ。なにを笑っているの?」
「いえ、別に」
ただ、どれだけ冷徹に見せようとやはり我が子のような存在には優しいのだなと、そう思っただけだ。
アルトルージュはただそんなリィゾにどこかムッとした調子で、
「……まぁ、いいわ。とにかくお願いね」
「御意に。しかし姫様。この城の守りは……」
「アルクェイドがいるじゃない。それにいざとなれば私も、そして彼もいるわ」
彼。すなわちアルトルージュの魔犬、プライミッツ・マーダーのことだ。
確かに、彼さえいればどれだけの敵が攻めてこようと怖くはないだろう。
霊長の殺人者。こと対人間族においてはどうあっても負けない最強の獣。強い弱いではない。人間であるのなら、たとえ魔法使いであろうともプライミッツ・マーダーに勝つことは叶わない。
そしてフェイトは純粋な人間族の国。これならばこの城を落とすことなど不可能である。――現状は、だが。
そう、聖杯戦争が始まればサーヴァントが発生する。そしてサーヴァントは英雄と呼ばれし者たち。そのほとんどが元人間であるが、それとなっては存在概念はむしろプライミッツ・マーダーに近いものがある。
ともすれば、アルトルージュの愛する魔犬が負けないという絶対的な事実は消失する。
「しかし――」
だからこそ反論しようとしたが、リィゾは向けられた瞳を見てその言葉を飲み込んだ。
そんなことはわかっている、とその赤い瞳が物語っていたからだ。
「リィゾ。あなたは私をなんだと思っているの?」
その言葉に、思わず背中に寒気が奔った。
煌々と赤に染まる瞳。それに見下ろされるだけで、身体中を震えが支配する。
魔力も、身体能力も、武器も……。戦闘で使われるであろう全ての面において現段階ではリィゾの方がはるかに上を行く。
だが、それであってなおその赤い視線は恐怖しか抱けない。
それだけの威圧感。それだけの眼光。
それがアルトルージュ=ブリュンスタッド。本来真祖にしか受け継がれないブリュンスタッドの姓を告ぐ事を許された異例中の異例。
そうして萎縮するリィゾを見下ろし、黒き姫はいっそ妖艶な笑みを浮かべる。
「サーヴァント。えぇ、やって来るのなら相手になりましょう。私の名を知ってなお向かってくるのなら、そこに遠慮なんていらない。
世界の調律を司る根源より召喚されし者であろうと、ただ完膚なきまでに破壊するだけだわ。
……そうでしょう、リィゾ?」
世界が凍るような声音。それで問われればただ頷くことしか道はない。
死徒二十七祖の九番。
……本来ならもっと上位に食い込んでおかしくない者。ORTやプライミッツ・マーダーなどを除いた純粋な現存する死徒としてはおそらく最強。
本気になれば匹敵する者など数える程度。あの最強の蜘蛛と呼ばれる比良坂初音ですら倒せない吸血姫。
リィゾは頭だけでなく、今一度身体を持って理解した。
自分の主君に牙を向ける者は、よほどの自信家か馬鹿だけだろう、と。
だからリィゾは深く膝を突き頭を垂らして今一度、忠誠の言葉を紡ぐ。
「御意。我が剣は姫様のために」
満足そうなアルトルージュの笑みが届いた。
「行きなさい」
「はっ」
スッと、音もなくリィゾの姿が消える。それを見届けたアルトルージュは窓から満月を見上げる。
「殺戮者。来るのなら来なさい。私はここにいる。でも、覚悟しておくことね。その時は――」
この世界に存在していたことを後悔させてあげる、と誰もいない闇の中で声だけが……まるで予言のように反響した。
あとがき
はい、ども神無月です。
神魔戦記キー大陸編最初がいきなり番外という出だし。
まぁ、とりあえず世界の異変を先に全面に出しておきたかったのでー。
キー大陸編の番外はそのほとんどが聖杯絡みです。お楽しみに。
では、また。