「海で輝く星」

 

 

 

 

 

 今日も夜空は星がキラキラと輝いていて綺麗。

 私はそんな星空を堤防に腰掛けながら眺めていた。

 ザザーン、ザザーン。

 耳に響くのは押しては引いていく細波と、微かに鳴く虫の声。重なり合ったそれらの音が風と一緒に私の体を撫でていく。

「んにぃ〜。みなぎ〜・・・」

 風が冷たかったのだろうか。もぞもぞと影が動く。

 つられ、私は目線を下げる。

 そこには私の大切な大切な人が私の膝の上で安らかな寝息を立てている。

 そっと、彼女の長い髪を撫でる。どんな夢を見ているのだろう、嬉しそうにはにかむ彼女の寝顔を見てつい笑みが浮かんだ。

 楽しい夢でも見てるのだろうか?その夢の中に私は一緒にいる?それとも・・・・・・。

 愛しいみちる。

 しかし、彼女は私の犯した罪の体現でもある。

 視線を上げる。そこでふと、なにか光るものが見えた。

「・・・流れ星?」

 スゥッと、一瞬ではあったけれど確かにそれは夜空を横切っていった。

 

『流れ星はね、幸せを運んできてくれるお空からの贈り物なんだ。だから、流れ星を見つけたら瞼を閉じてお願い事をするんだよ』

『そうすると、おねがいごとがかなうの?』

『ああ、きっと叶う。誰にだって幸せになる権利はあるからね』

 

 最初に流れ星の話を聞いたのは大好きな父親からだった。

 幸せを運ぶ流れ星。

 私はいま幸せなのだろうか?

 不幸だとは思わない。願わくば、いまこの時がずっと続いてくれれば良いと思う。

 だけど・・・。いまのままで本当にいいのだろうか?ぬるま湯のような幸せに浸かったままで・・・。

 私は瞼を閉じて、そっと手を合わせた。

「・・・お星様、私はどうすれば良いのでしょう?」

 その問いは煌く夜空に溶けていって、消えた。

 

 

 

 ある日の夢を見た。

 まだ父が家にいて、まだ満ちるの存在がこの世界になかった頃。

 その夜。

 やはり私と父はいつものように星を見るために堤防に座っていた。

 まだ私は背が小さくて自力で天体望遠鏡を覗き込むことが出来ず、よくしょげていて。そんな私を小さく笑った父が抱きかかえて見せてくれていた。

「わぁ、今日もきれいだね、お父さん」

「そうだね」

 振り向けば父の笑顔。仰ぎ見れば満天の星空。聞こえてくるものは波の音だけ。

 そんないつもの日課が私はすごく好きだった。

「なぁ、美凪」

「うん?」

「美凪は自分の名前が好きかい?」

「うん。好きだけど・・・。それがどうしたの?」

 スッと父が立ち上がる。

 すごくすごく高い父の背。子供だった私はそのまま天まで届くのじゃないかと、本気になって思っていたものだ。

「名前にはね、それぞれ意味があるんだよ。想い・・・でもあるかな」

「いみ?おもい?」

「そうだよ。見てごらん」

 父の促すまま再び望遠鏡を覗き込む。

「ここから見えるあの星たちにもちゃんとそれぞれ名前が付いているんだ」

「あんなにいっぱいあるのに?」

「ああ。一つとして同じ名前なんかない。みんなそれぞれ意味を持ち、想いを乗せて名前は付けられるんだ」

 まだ幼い私には父の言葉の意味がよくわからなかった。だけど、小さいなりにいろいろ考えたのだろう。小さい私は振り返って口を開いた。

「わたしも?」

 その質問に父は一瞬キョトンとし、けれどすぐにいつもの優しい笑顔に戻ると「もちろんだよ」と答えてくれた。

 父はそっと私を堤防に降ろした。

「あ・・・」

 父の声。振り仰いでみれば、父はどこかをボウッと眺めている。

 その視線を追ってみるとそこには―――、

「うわぁ・・・!」

 星があった。だけど、そこは空ではない。

 海だった。

「今日は海が静かだからな。・・・あの日も、美凪が生まれた日もこんな海の夜だった」

「そうなの?」

 父は微笑みで答えてくれた。

「美凪が生まれる前までは、本当は星の名前をつけようと思っていたんだよ」

「わたしに、お星さまの?」

「うん。けどね、さっき言った通り名前にはそれぞれ意味がある。星の名前は星にあってこそ意味がある。だから、結局やめることにしたんだ。そうこうしているうちに美凪の出産予定日になっちゃってな。どうしようかと考えていたときだったよ。こんな光景を見たのは・・・」

 私と父は示し合わせたように視線を海に戻した。

 小さく揺らめく水面に写る星々はいつも見ている空とはまた違った輝きを放っていて、見る者を魅了するような、それでいた圧倒的な何かを感じさせた。

 それはさながら宝箱の中身を海に落としたようで。

 父はそんな海を感慨深げにじっと見つめていた。

 その時の父の瞳を、私は今でもはっきりと覚えている。

 

 結局父は私の名前の意味を教えてくれなかった。

 

 

 

 そよそよと、風が私の髪を揺らす。

 ・・・どうやら少しの間寝入ってしまったらしい。

 身震いする。夏とはいえ、夜の海の近くともなればそれなりに寒い。半ばボーっとしている頭を左右に振って無理やり意識を覚醒させた。

「みちる。起きて」

「んにぃ〜、もっとはんばぁ〜ぐ〜・・・」

 ゆさゆさと揺すってみるが、みちるが起きそうな気配はない。

 どうしよう。

 みちるが起きてくれないと私も身動きが取れないし、これ以上寝ていてはみちるが風邪を引いてしまうかもしれない。

「そこにいるのは・・・遠野か?」

 困り果てていると、不意に私を呼ぶ声がした。

 ここ最近で聞きなれたその声に、私は振り向くと同時にその名を口にしていた。

「国崎さん・・・?」

 暗い上に少し遠くてはっきりとは見えないけれど、そこにいるのは間違いなく国崎さんだと確信している自分がいた。

 国崎さんは堤防の近くまでやってくると、いつもと変わらない無愛想な顔で私を見てくる。

「珍しいな。遠野が駅以外にいるなんて」

「そんなことは・・・ないと思いますよ」

「そうか?」

「はい。・・・ここも星が綺麗ですから」

「俺にはどこから見ても一緒に見えるがな」

「それは・・・違いますよ」

「そんなもんか」

「そんなもんです」

 そして沈黙。静寂が辺りを包む。

 だけど、それは決して冷たいものではなく、むしろ温かい。

 なぜだろう?国崎さんがいるから?

 ・・・始めて国崎さんに会ってから気になっていたことがある。

 この人といると、なぜか心が落ち着く。

 なぜかはわからないけれど・・・、そこには安心感があった。

「国崎さんはどうしてここに?」

「ん?ああ、ちょっと逃げてきたんだ。居候先の母親が酒癖が悪くてな。ま、いつものことだから別に構わないんだが、今日は特に酷くてたまらず・・・な」

「それはそれは・・・ご愁傷様です」

「おう、おもいっきり哀れんでくれ」

 なぜか胸を張る国崎さん。・・・面白い人だと思う。

「ん?・・・なんだ、ちびガキも一緒だったのか」

 そう言って国崎さんは私の膝元を覗き込んだ。

「はい。・・・よく眠っています」

「こいつもこうして見ると可愛い顔してるんだがな・・・」

「・・・国崎さん。もしかしてロ―――」

「先に言っておくがそれは大きな誤解だ。そうじゃなくて騒がしくなくて良いという意味だ」

「・・・間違い?」

「間違いも間違い。大間違いだ」

「がっくり」

「・・・なぜそんなに肩を落とす?」

「・・・」

「・・・」

「・・・なぜでしょう?」

「知るか!」

 こんな問答も何度目だろうか。まだ知り合ってそれほども経っていないのに、ずっと昔からこんな掛け合いをしてきたような気がした。

「国崎さんも・・・一緒に星を眺めませんか?」

 そう言って私は隣をペシペシと叩いた。

「隣に座って・・・ってことか?」

 頷く。

 国崎さんはやれやれといった感じで頭を掻いた。けど、その表情にほんの少し笑みが浮かんだように見えたのは私の気のせいだろうか。

「ま、たまにはいいか」

 国崎さんは堤防の階段を上がり―――、そこで何かに気付いたように足を止めた。

「ほぉ、これはなかなか・・・」

「国崎さん・・・?」

 私の呼びかけに、国崎さんは黙ってただある場所を指差した。

「・・・・・・あ」

 それは海。

 それに浮かぶようにしてゆらゆら揺れる数多の光。

 それはさっきの夢と、あの日あの夜見たそのままの光景で。

 単純に、素直に、

「・・・綺麗」

 そう感じた。

「確か遠野の名前は美凪だったか」

 突然、国崎さんはそんなことを聞いてきた。

 美凪。

 私の名前。嫌いな名前。・・・好きだけど、嫌いな名前。

「・・・そうですけど・・・、それがなんですか?」

 その名前を他人に呼ばれることに抵抗を感じてしまい、返事が少し弱くなってしまった。

 それを感じ取ったのか、国崎さんはちょっとバツの悪そうに頭を掻きながらも話を続けた。

「いや、なに。遠野の名付け親もきっとこの光景を見たんだろうなと思ってな」

「・・・え?」

 心臓がドクンと大きく一回跳ねた。

 私は頭で考えるより先に口を開いていた。

「国崎さんには、私の名前の意味がわかるんですか?」

 そっと国崎さんは私の隣に腰を下ろす。

 一瞬私を見た後、国崎さんは海へと視線を移した。

「遠野は『凪』って知ってるか?」

「・・・海で風が止んで波が静かになること・・・だったと思います」

「ああそうだ。だが、ある地方では風が止んで波が消えた海が夜空の星をまるで鏡のように映し出すことを『凪』と呼ぶらしい」

「それって・・・」

「そう。ちょうどこんな感じのな」

 星の大好きな父。

 星の名を付けようとした父。

「この辺りの夜空は星がなかなか綺麗だからな。映って見える凪も、さぞかし美しく見えたんだろうよ」

 あぁ、お父さんは・・・。

 そんな意味を込めて私に『美凪』と名付けたの?

 

 

 

「・・・国崎さんの口から『美しい』なんて・・・」

「やかましい」

 ビシッと、おでこに突っ込みが入る。

 私はその手をそっと両手で包み込んだ。

「・・・遠野?」

「温かい・・・です」

 わかってしまった。国崎さんが気になる理由。

 似ている、父と。全然違うけれど、よく似ている。

 それは不器用だけど、優しいとここ。

「国崎さん・・・。私、美凪で良いんでしょうか?」

 ぎゅっと、握り返してくれる大きな手の感触が頼もしくて。

「お前は立派に美凪をやってるよ」

 美凪。

 私の名前。私の好きな名前。

 ・・・逃げてきた名前。

 嫌いなんだと、自分を偽った名前。

 母が私を美凪と呼んでくれなくなったあの日から。

 父が家からいなくなったあの日から。

 ずっと、ずっと私は逃げていた。

 ・・・だから。

 私はゆっくりと首を横に振った。

「私には・・・美凪はまだ重いです」

「遠野・・・」

「・・・でも、いつか」

 私の好きな名前だから。

「いつかきっと・・・」

 父と母が想いを乗せて付けてくれた名前だから。

「私は・・・自分の心に踏ん切りをつけますから」

 大好きな人が大切な意味を気付かせてくれた名前だから。

「その時は・・・」

 その時には。

「私を美凪と呼んでくれませんか?」

 私が正真正銘の、誰でもない―――あなたに。

 

 

 

「俺はあまり気は長いほうじゃないぞ」

「・・・頑張ります」

「そうか」

 そう言って国崎さんは立ち上がる。

「いろいろとあるんだろうが、頑張れ。疲れたなら、俺やみちるがお前と一緒にいてやるから」

 国崎さんは膝の上で眠るみちる一瞥し、くしゃくしゃと私の頭を撫でたあと堤防から跳び下りていった。

「ありがとう・・・ございます」

 遠ざかっていくその大きな背中を眺めて、そっと目を閉じた。

 

 ザザーン。ザザーン。

 耳を澄ませば聞こえる小さな小さな波の音。

 星、映す海。

 ――――――それは凪。

 瞼を開ける。

 そこに国崎さんの姿はもうなかった。

 夜空を仰ぎ見る。

 そこにはやはり星がある。

「・・・あなたたちにもそれぞれ名前がある・・・」

 あっちで強く輝く星も。こっちで弱く光る星も。

「そして・・・私にも意味のある名前がある」

 だから、頑張ろう。

 

「頑張れ、美凪」

 

 私は・・・美凪。

 あとがき

 HP開設に当たって昔書いたSSを引っ張ってきました。

 誤字や脱字を修正した以外は特に手を加えていません。

 まぁ、こうして見ると昔のSSを読むと・・・、なんともこっ恥ずかしいですね〜。

 それに、ネタが安直だー。・・・いや、いまも安直だけど(汗)。

 ま、これはこれで良し・・・と思いたい。

 

 

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