それは、あまりに唐突だった。

 

「・・・はい?」

「だからさ、デートに行こうって言ったんだよ、俺は」

 

 

 

 

 

曇りのち、晴れ

 

 

 

 

 

 いきなり何を言い出すのか、と少女―――月代彩は隣で寝転がっている青年―――相沢祐一に視線を向ける。

 だが、その視線に気付いているだろうにもかかわらず祐一はただ寝そべって空を眺めているだけ。

「・・・・・・」

 だから彩は視線を元に戻し、再び手を動かす。

 彩の手元には一冊のスケッチブックが広げられていた。そこに描かれているのはこの丘から見える街の俯瞰だ。まだ未完成であるにもかかわらず、その腕の高さが伺える風景画だった。

 シュッ、シュッ、と鉛筆の奔る音だけが周囲に響く。あとあるのは風に揺られた葉の揺らめきと、時折聞こえる鳥の囀り。

 まさに平和を絵に描いたような光景だった。

「なぁ、彩」

「はい」

「どこにデートに行こうか?」

「・・・・・・・・・」

 彩の腕が止まる。

「・・・なぜもう行くことになってるのですか?」

「ん? 無回答は肯定の証だろ?」

「そんなことはないと思いますが」

「俺としてはそんなことなの。それで、どこに行く?」

 ―――強引な人ですね。

 とはいえ、そんなことはいまに始まったことではない。ふぅ、とわざと聞こえるように息を吐いて、顔を振り向かせる。

「どうしていきなりデートなんですか?」

「じゃあ、いきなりじゃないデートってなんだ?」

「・・・・・・事前に約束を取り付けたデートです」

「その約束もいきなりだよな」

 む、と彩の動きが止まる。

 ―――それは・・・、まぁ確かにそうですけど。

 しかし、

「それは屁理屈って言うんですよ、祐一」

「でも理屈ではあるな?」

「・・・・・・・・・」

 既にそこからして屁理屈である。・・・言っても無駄だろうから言わないが。

「なぁ、彩」

「はい?」

「空はこんなにも青く澄んでいて、陽は優しく降り注ぎ、そして風は心地良いくらいだ」

「・・・はぁ」

「こんな日に外に散策に行かないのは神に歯向かう愚かな行為だとは思わないか?」

「思いません。これっぽっちも微塵も。というか既に私たちはこうして外にいますが」

「うん。まぁ彩ならそう言うとは思ってたけどね」

 よっ、と呟き祐一は身体を起こす

「確かにこういう日に絵を書くのも悪くない。むしろ風流だな。

 だけど、彩は絵ならいままでたくさん書いてきただろう?」

「――――――」

「折角晴れて長い長い使命から開放されたんだ。いままでしなかったことをし始めても良いんじゃないか?」

 思う。

 祐一はどうしてこうも強引で、人の心の中に入り込み、土足で掻き回してくるのか。

 触れられては嫌なこと、気にしないで欲しいこと、わかっているはずなのにそれでも無理やり入ってくる。

 ・・・そしていつの間にか私を導いてくれている。

「時は金なりだ、彩。もうお前は永劫の時を迎える必要はなくなったんだから」

 向けられた瞳は、どこまでも優しい。

 やれやれ、と心中でぼやきスケッチブックをしまう。

「行く気になったか?」

「行かせるのでしょう?」

 いわば根負け。

 最初から勝ち負けの見えた戦いだった。

 そんな彩に祐一は微笑を浮かべ、

「んじゃ、行くか」

「どこに行くんです」

「んー」

 一拍。

「ま、歩きながら決めるさ」

「・・・どうして祐一はそう適当なんですか」

「それが俺の性分なの。さ、行こうぜ」

「あ・・・」

 引っ張られる腕。

 その繋がれた腕をどこか諦めたような目で眺め、しかし彩の顔に浮かぶのは小さな笑みだった。

 

 

 

 街は賑わっている。

 やはり天気が良いからか。今日はいつもに比べてもまた一段と人で溢れ返っていた。

「・・・ふぅ」

 彩は人知れず吐息一つ。

 正直人混みは苦手だ。だけど・・・、

「どうした?」

「・・・いえ、みなさん幸せそうだな、と」

 往来していく人々の顔は皆笑顔だった。

 楽しいと、嬉しいと、その表情が物語っている。

「人間は良い意味でも悪い意味でも慣れる生き物さ」

「はい」

「なければなかったで、人は別のものを見つけるか諦めるかして生きていける。人は強い。・・・彩が思う以上にな」

「・・・はい」

 空を見上げる。

 そこにはあの飛行船はもう・・・ない。

「どうした?」

「・・・いえ」

「まったく」

 帽子越しに温かい感触。

 そのままわしゃわしゃと撫でられる。

「後悔したり、反省したりすることは良いことだ。だけど、後ろばっかり見てるのはよろしくない。

 だから前を見ろ。終わったことをくよくよするな。いまを大事に生きろ」

「・・・私にその資格があるのでしょうか?」

「くどいぞ、彩。この世界に生きる資格のない者なんかいない。それに・・・」

「それに?」

「お前がいなくなったら俺が悲しむ」

「―――っ!?」

 瞬間、ボーっと顔の熱が上がるのを自覚した。それを見られたくない一心で顔を下に向ける。

 いきなり何を言い出すのか、この人は。

 いや、この人だからこそいきなり言うのだ。そしてこっちが慌ててる様子を見てきっと喜んでいるに違いない。

 そっと、祐一の顔を伺い見る。

「・・・なんですかその笑顔は」

「いや、可愛いなと思って」

「よくそんな恥ずかしい台詞を平気な顔で言えますね」

「いやぁ、誰かさんは恥ずかしいことでも言葉にしないとわからないからさ。何でも思ったことは言うのが吉かと、ね?」

 ―――む。

 それは遠まわしに自分だと言っているようなものだろう。

 いや、むしろ祐一のことだからわかること前提に言っているに違いない。

「・・・祐一はとても良い性格をしていますね」

「だろう?」

「この台詞からそういう切り替えしができる時点で」

 祐一はそっか、と言ってただ笑う。

 その笑顔、彩は苦手だった。なぜなら、

 ・・・どんなことでも許してしまえそうだから。

「さて、あまりゆっくりしてる時間もない。行くぞ」

「時間がない・・・? どういうことですか?」

 問いかけに、祐一はただ笑って誤魔化した。

 それは何かを楽しんでいるような、企んでいるような、そんなどこか子供じみた瞳だった。

 

 

 

「・・・・・・・・・・・・」

 時刻はそろそろお昼というところ。

 祐一と彩はとある建物から人波と共に出てきたところだった。

 彩はしばらく歩くと、今出てきた建物を振り返る。

 そこには大きなパネルが複数、それぞれには見る者を引きこむような絵がそれぞれ描かれている。

 その上にはでかでかと漢字で三文字、こう書かれていた。

『映画館』

 そう、祐一と彩はいま映画を見終えて出てきたところだったのだ。

「いやぁ〜、面白かったなー」

 建物の前の広場にあるベンチに座りながら祐一。

「彩はどうだった?」

「そ、そうですね。・・・まぁまぁでした」

「ほう。まぁまぁ・・・ね」

「・・・・・・な、なんですかその目は?」

「いぃや、別に」

 にやにやと、嫌な笑顔で祐一は彩を見る。

「いやぁ、しかし感動のラストシーンで彩が泣いたのは正直驚いたなぁ」

「き、気付いていたのですか!? というか見てたのですか!?」

「ばっちし」

 彩は息を詰まらせた。思うことは、

 ―――ふ、不覚です。

「そうか〜。あれだけ泣いても『まぁまぁ』でしかないのかー」

「うっ・・・」

「そっかー。実はもう一枚別の映画のチケットがあったんだが・・・。ま、そんなに映画が好きじゃないなら止めとくかぁ」

「うぅ・・・」

 ・・・正直な話、彩はさっきの一本で『映画』というものに嵌っていた。

 実は彩はこれまで映画を見たことがなかった。

 もちろん名前は知っていたが、・・・そんなものを見ている時間も、そして心の余裕もいままでなかったからだ。

 そして今日初めて映画というものを見て・・・彩は感銘を受けていた。

 予想を軽く超えていた。いままで映画の話で盛り上がっていた青年や少女たちを見て小首を傾げていた自分が、いまでは賛同する勢いだ。

 ・・・とはいえ、それを正直に祐一に打ち明けるのも、なんとなく癪なので少し誤魔化した。

 だが、この手の話では祐一は百戦錬磨の手誰なのだ。彩は祐一に口で勝ったことは一度もなかったのだから。

「いい加減素直になれよ、彩」

 ポン、と頭に手を置かれる。

「さ、お次は映画の醍醐味、アクション巨編だ。あまりの迫力に驚くなよ?」

 笑顔で言う祐一を、彩はなぜか遠いものを見るような目で眺めていた。

 そして見た映画は、確かに驚きで、・・・やはりとても面白かった。

 

 

 

 そろそろ時刻は夕刻。まだ十分に明るい時間帯であるはずなのだが、外はもう暗かった。

 見上げれば、空は厚い雲に覆われている。そのせいもあって道々の街灯にはもう灯りが点り始めていた。

 祐一と彩の二人はそんな中を静かに歩く。

 彩は周囲を見やった。

 いまでこそ昼より人は少なくなったが、それでも人はまだまだいる。

 中でも多いのが男と女のペア・・・要するにカップルというものだ。

 そんな彼ら彼女らを見て、

 ―――私たちも、傍から見ればああいう風に見えるのでしょうか?

 だが、自嘲する。

 自分らしくない考えだな、と。

「どうした、彩?」

 こちらの様子に気付いたらしい祐一が声をかけてくる。

 敏感だな、と彩は思う。

 こちらの心情の変化に、どうしてこうも敏感なのか。

 それはとても安心できて、頼もしくて・・・甘えてしまいそう。

 だが彩は小さく首を振る。

「・・・どうして、そうして付き合ってくれるんですか?」

 不意な問いだっただろうか。祐一がキョトンとした表情を見せる。

 なんとなくあまり見覚えのない表情にどこか勝った気分になり、彩は続ける。

「祐一はどうしていつも、私にちょっかいを出すのです?」

「彩が好きだから。それじゃ理由にならないか?」

 臆面もなくまたそういうことを言う。

 けれど彩にはわからない。

 そこまで断言してもらえるほどの・・・自分は何を持っているのだろう。―――いや、

「・・・・・・私は・・・、何もありません。どこも好きになってもらえるような箇所なんて、本当にどこにも・・・」

 そう。自分には人に好かれる要素などどこにもない。

 自分は長い時の中を、罪を背負って生きてきた者だ。

 そんな自分が、・・・・・人に好かれて良い筈がない。

 だが、祐一は嘆息する。やれやれといった、そんな嘆息だ。

「んじゃあ、彩はどうしたい?」

「・・・は?」

「彩は俺といるのが嫌なのか?」

 唐突な質問。

 だが、彩はほんのり顔を赤くしつつも律儀に答える。

「・・・・・・そんなことは、ない・・・です」

「それじゃ、一緒にいたいか?」

 さらに唐突な、そして突飛な問い。

 あまりに突飛過ぎて身体がいくらか凍り付くくらいで。

 きっと顔もさっき以上に赤いだろう。

 けれど、ここで言わないのはまずい。なぜか、無性にそんな気がした。

 だから、正直に。自分の心を口にする。

「・・・一緒に、いたい、です」

 その返答に、祐一は笑顔で一度頷き、

「なら良いじゃないか」

 抱きしめられる。

 その胸に顔を埋められ、しかしそれは・・・嫌じゃない。

「二人とも一緒にいたい。そして新しい発見を探す。それで良いだろ。それ以外必要ない」

 謳うように、言い聞かせるように紡がれる言葉は、緩やかで。

 心に浸透する温もりという名の言葉。それに、身体を預ける。

「お前は長い間生きてきたけど、でもまだまだ知らなかったことがたくさんある。・・・映画とか、な」

 だから、これから知っていくんだ。いろんなこと。俺も一緒にいてやるから。怖くないから」

 背中をポンポン、と二度。泣く子供をあやすように叩かれる。

 まるで子ども扱いだ。

 子ども扱いのようなのに・・・彩は不思議とそれが嫌ではなかった。

「お前の苦しみはもう終わりだ。これからはいままで知れなかったことをどんどん知っていこう。楽しいことは、まだまだあるぜ」

 彩は思った。

 そして実感した。

 ―――自分はいま、とても幸せだ、と。

 あれだけのことをしておいて、なのにいまこうしてこんな人が近くにいてこうして抱いてもらっている。

 ・・・こんなことまでしてもらえる資格があるのかと、疑いたくなるくらいの、幸せ。

 でもその言葉は口にしない。

 その言葉を言えば、きっと祐一は悲しむ。

 だから飲み込んだ。

 そして変わりに小さく頷いた。

 その胸の中で、強く、しっかりと。

 見上げれば、愛しい人の顔と、少しの曇り空がある。

 けれどいずれ晴れるだろう。

 なぜなら、今日の天気予報は―――、

 

 

 

 

 

 

 あとがき

 はい、hiroさんのリクSS、祐一×彩いっちょ上がり〜。

 うーん、リクでは「甘めに」というものでしたが・・・これはどうでしょう?

 神無月の中では、彩で甘いというのが中々に想像が難しく、こんな中途半端な形に終わってしまいました。

 まぁ、でもぼちぼ書けたと思います。なのでイメージと違ってもそこは妥協お願いします(マテ

 では、今回はこれにて。

 

 

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