夏休みになりました。

 折原浩平と仁科理絵という異色(という第三者的認識)のカップル誕生、という劇的な展開で幕を閉じた一学期。しかし休みに入ってしまえば、そんな出来事も遠い過去のようなものだ。

 あぁ幸せだ。暑いのはどうにかしてほしいところだが、夏なんだから仕方ない。それさえ除けば家でボケーっとのんびり出来るビバ自堕落生活である。

 うむこれぞ理想郷だな、などと、居間のテーブルに突っ伏した朝倉純一はゆらゆらと思考をたゆたわせていた。

 ゴールデンウィークの時のような折原兄妹強襲の心配もない。いや、妹の方はもしかしたらとも思うが、兄の方は理絵という彼女が出来たことで落ち着くことだろう。

 チリンチリン、と風鈴が鳴る。実に風流だ。このまま時間が止まってしまえば良いのに。

「毎年のことですが、兄さんはやっぱりいつも通りですね」

「おう、お帰り音夢」

「ただいま」

 机に突っ伏したまま首だけ方向転換すれば、玄関側から疲れた表情で音夢がやって来た。

 制服を着ていることからもわかるように、彼女はご苦労なことに学校へ登校していた。詳しくは聞いていないが風紀委員絡みらしい。よくやる、と感心してしまう。

「まぁ兄さんの性格は知りすぎるほど知っているし、私も夏休み入ってすぐまで文句を言うつもりはないけど……でも良いの?」

「? 何がだ」

「学校は夏休みでも、バイトの方はそうもいかないでしょう? 普段ならそろそろ出る時間だけど、どうなんです?」

「…………あ」

 時計を見やる。

 この暑い夏の中、どう考えても走らないと間に合わない絶妙なタイミングだった。

 音夢を見る。

 笑っていた。にっこりと笑っていた。そしてトドメとばかりに一言。

「頑張ってくださいね♪」

 確信犯だった。しかし自業自得の産物なので、文句を言えるはずもなく、

「ちくしょ〜〜〜かったりぃぃぃぃ!」

 慌てて着替えて、ただ空に叫びながら走りだしたのだった。

 

 

 

 

 

集まれ!キー学園

七十四時間目

「朝倉純一包囲網(前編)」

 

 

 

 

 

 喫茶『百花屋』は今日も今日とて通常営業である。

 夏休みという季節がら学生客は少なくなっているが、元々客層は上から下まで幅広い店であるため、忙しくないのかと言えばノーになる。

「とは言っても、普段に比べれば格段に楽だけどね〜」

 などとカラカラ笑うのはバイト女王とも称されるキー学三年の杉山ツキだった。客の出入りが落ち着いたため下がっていた純一は必然その先輩に付き合う形になる。

「ま、確かにそうですね。でも楽なのは良いことじゃないですか。実に素晴らしいと思いますが。いっそもっと減ればいいと思います」

「素直だなぁ〜。でもこれ以上減っちゃったら私たちのお給金にも響くと思うわよ〜?」

「むぅ。それは困りますね」

 別段、お金に執着しているわけではないが、貰えるものはやはりきちんと貰いたい。

 もろもろ考えれば程良く忙しいくらいがちょうど良いのかもしれない。特にいまくらいが。

 普段なら上に下にと階段の上り下りでバタバタするところだが、少なくとも今日はそこまでのことはない。

 各階に配置されたスタッフだけでどうにか回っているので、純一も一階に従事出来ていたほどだ。

 だから二階スタッフの変化に気付いたのはしばらく後の休憩時間になってからだった。

 

 

 

「美汐が体調不良で休んでる?」

「うん、そうなの」

 スタッフが休憩するための更衣室件事務室。テーブルを挟んで真向かいに座っているのは同じクラスの丹南翠だった。

 純一が彼女も百花屋で働いていると知ったのは、バイトを始めてからしばらくしてのこと。パティシエールの勉強とお金獲得の二つの目的でバイトをしているのだと聞いた。

 曰く、菓子作りの練習もお金が掛かるという。

 まぁ確かにそうだろう。材料や調理器具を揃えるのにも結構なお金が掛かるだろうし、一度揃えればそれでお終いというものでもない。よくやるなぁ、というのが純一の他人事な感想だった。

 故に彼は気付かない。翠に純一もまた菓子職人を目指すためにここでバイトをしているに違いないと勘違いを抱いたまま勝手にライバル視されていることを。

 それはそれでまた波紋を呼ぶことになるのだが、それはもう少し先のお話。今回の話の焦点は翠と同じく本日二階担当であるところの美汐のことである。

「あいつが体調不良とは珍しいな。俺の記憶が確かなら、学園だってまだ一度も休んでないよな?」

「私もない……と、思う。といっても学園じゃ別に気にしていないから覚えてないだけかもしれないけど」

 おや? と純一は首を傾げた。

「もしかして二人は仲悪いのか?」

「え? あ、ううん。別に仲は悪くないよ。でも特別仲が良いわけでもないかな。私と天野さんじゃ趣味も合わないし、どっちも自分から話しかけに行くタイプでもないからね」

 なるほど言われてみれば確かに。

 美汐は『我関せず』がそのまま歩いているような人間だし、翠にしてもパティシエールの勉強や練習に夢中で敢えて新しい誰かと付き合いを広げようとする人間ではなかった。

 そのうえ共通点もなければ、そりゃあ確かに『ただのクラスメイト』という文言が一番しっくりくるだろう。

 純一とて別に「皆仲良くあれ」だなんて思っていない。人間誰だって好き嫌いはあるのだし、無理やり友好関係を築こうとしても無理が生じるだけだということくらい承知している。

 特に女子はその辺シビアだしなぁ、などと思っていると、翠が「でもさ」と前置きしつつこちらを見て、

「純一くんは私と違って天野さんと仲が良いよね?」

「まぁ、そこそこは」

「もしかして付き合ってたりするの?」

「別にそういうんじゃない」

「あ、そうなんだ。うん聞いておいてなんだけど、確かに恋人って感じじゃないかな」

「だろ?」

 と、口ではハッキリと断言出来たのだが、

『あぁ、それとも追いかけられるより追う方が好きなタイプなのかな?』

『でもまぁ、この辺りでちょいと真剣に考えてみるのも良いのかもしれないね』

 ……心中では夏休み前のみさおとのやり取りが思い出されてやや頬に熱がこもる。

 そんな微細な変化にはさすがに気付かなかったようで、翠は飲み物を口にしながら、

「まぁ関係はどうあれ、仲良いんだからバイト終わった後にでもお見舞いに行ってあげれば良いんじゃないかな?」

「うーん……。そりゃあ行きたいとは思うが、逆に負担にならないか心配になるよな」

「んー。少なくとも私なら、どれだけ体調悪くても仲の良いお友達がお見舞いに来てくれたら嬉しく思うよ」

 喜ぶ美汐、というのもなかなかに想像しにくいものだが、ともあれ知った以上は顔を見せるくらいはしても良いかもしれない。きつそうなら早々に退散すれば良いだけの話だろうし。

 夏休みということもあり、一日一日のバイト時間はそう長くない。終わってからであっても夕方になる前に着くことは出来るだろう。

「なら、終わったらちょっと顔を出してみるかな」

「それが良いよ。よろしく伝えておいてくれるかな?」

「了解」

「おっと、そろそろ休憩時間終わりだね。行こうか、純一くん」

「おう」

 二人揃って休憩室を出る。バイトも残すところあと半分。とりあえずはそれを頑張るとしよう。

 

 

 

 バイトを終えた純一は翠に言った通り天野神社へと足を運んだ。

 長い階段は実にかったるいことこの上なかったが、昇り切って鳥居を潜ると、厳かでいて、しかし落ち着いた境内に出迎えられる。この雰囲気が純一は決して嫌いではなかった。

 しかしここまで足を運んで、ふと当たり前の事実に今更ながら気が付く。

「……どうやって中に入れば良いんだろうか」

 以前来ているから道は覚えている。だが奥の家はとにかく広く、呼び鈴を鳴らして不調の美汐を動かすのも忍びない。

 誰か親族がいてくれれば、とも思うのだが、数回来ている限りにおいてそれらしい人物を見たことはないので今日も望み薄な気がする。

「んー……」

 とりあえず考えていても始まらない、と足だけは奥へ動かす。すると住居に近付くにつれ、ある音が聞こえてきた。

 ブン、ブン、と一定のリズムで響く空気を切り裂く音。純一はすぐにそれが何かしらの素振りの音だと察した。だがこんなところで誰が何の素振りを?

「……何となくわかった気がする」

 というわけで確認のために音源へ。境内から奥へ、美汐の住む住居をやや右回りで迂回した先。おそらくは中庭だろう場所で、案の定な人物を発見した。

「やっぱ莢長だったか」

「む? おぉ、純一ではないか」

 スポーツタオルを首にかけ、キー学指定ジャージに身を包んでいたのは、同級生の莢長鞘だった。顔に浮かぶ汗からして、相当長い間素振りをしていたと見える。

「莢長はやっぱり美汐の見舞いか?」

「あぁ。日頃から美汐には世話になっているから身の回りの世話を買って出たのだ。まぁ出来ることなどたかが知れているのだがな。

 ……ん? しかし何故純一が美汐が床に臥せっていることを知っているのだ?」

「あれ、言ってなかったっけ。俺とあいつは同じバイトしてるんだよ。で、美汐が今日欠勤だったから何かと思えば病欠って聞いて。だからバイト帰りにちょっと見舞いに来たんだ」

「おぉ、そうだったのか。ならば是非会ってやってくれ。純一の顔を見れば美汐もきっと喜ぶ」

 翠と似たようなことを言う。ただやはり美汐が喜ぶ顔というのが思い浮かばないのだが……。

「……喜ぶかぁ?」

「美汐はああいう性格だからわかりにくいのも無理はない。だが付き合いが長くなれば機微も悟れるようになる。うん、私が言うんだから間違いない」

 きっぱりと断言する鞘であるが、日頃の彼女を見るにどうにも鵜呑みには出来ないわけだが……まぁ話半分に聞いておこう。

「では行くか」

「おう。あ、でも寝てたりするんなら別に起こす必要はないぞ?」

「わかっているさ」

 鞘に先導される形で玄関から(最初鞘はそのまま中庭から入ろうとしたのだが、さすがに自分はまずいと言い聞かせて進路を変更してもらった)お邪魔する。

 既に何度目かになる屋敷の廊下はもはや身体に馴染んでいるようで、「他人の家にお邪魔している」という感覚が弱くなってきている気さえする。

 そんなとりとめもないことを考えていると、進路がいつもとは違うことに気付く。普段通される居間は既に通り過ぎた。ということは状況を鑑みるに、

「もしかして美汐の部屋に行くのか?」

「ん? それは当然だろう。療養中の人間が自室以外のどこで寝ると?」

 ご尤もである。当たり前のことなのにそこまでの発想に至らなかった。

 だが考えるに、いくら仲が良いとはいえ事前連絡もなしに部屋(しかも相手は女子)に入るというのはいささかまずいのではなかろうか?

 ……という所感を鞘に説明してみると、彼女は小さくポン、と手を打って、

「なるほど、確かに。ただまぁ美汐はその辺を気にしたりはしないだろう。むしろそれで多少なりとでも恥ずかしがってくれれば従姉妹としては僥倖に思うところだな」

「……なんでさ」

「私が言うのもあれだが、美汐ももう少し年相応の女子であれば良いのに、と思うわけだよ」

 わかるようでわからない返答をいただいた。そしてそれで話は解決だと言わんばかりに鞘はさっさと歩きだしてしまう。

 本当にこのまま一緒についていって問題ないのだろうかと悩む純一だったが、確かに美汐の性格を考えればあまり気にすることもないか、と自己完結してその背を追いかけた。

 しばらく歩いて、ある扉の前で鞘の足が止まった。つまりはそこが終着点。美汐の部屋ということなのだろう。

「美汐、私だ。入るぞ」

 ノックと共に声を掛けるが返事はなかった。

 しかしそれを気にする素振りもなく、鞘はさっさと扉を開けて入ってしまう。良いのかなー、と思いながらも純一も続くと、

「鞘? 丁度良かったです。ちょっと汗が酷くて、タオルで拭いてもらえると助かりま……って、純一?」

 パッと視界に入った部屋は案の定というかなんというか、質素だった。

 物が少なく、いわゆる女子らしい人形やら何やらは置かれていない。必要なものだけを厳選して置いたかのように整頓されており、部屋の大きさに反して随分と広い印象を受けた。

 ……とか、そんな冷静に考えている自分のこの行為が現実逃避であることを純一はとっくに悟っていた。

 物が少ない。つまり見る物の少ない視線が部屋の中央に敷かれた布団、そしてそこで横になる美汐に集中してしまうのは当然だろう。

 問題は彼女の格好だった。

 どうやら美汐は寝るときは寝巻をつけないタイプらしい。彼女らしいと言うべきか、派手さのない水色の下着がハッキリと見えていた。

 きちんと布団を被ってくれていれば、きっと見えなかったはずの光景。だが熱を持っていると見た目にわかる赤みがかった肌からして、暑くて布団をはいでしまったのだろう。

 つまり、現在の美汐を客観的に纏めるとこんな風になる。

 乱れた布団。はっきりと見えてしまっている肢体と下着。不規則な息遣い。陶磁のような肌は赤みがかっていて、汗が伝っている。顔も同様に赤く、やや焦点の合わない瞳は薄らと濡れていて飲み込まれてしまいそうなほどに深かった。

 結果。言葉もない。手足すらろくに動かない。

 想定外に見せられた光景は、蠱惑的に過ぎた。目を離さなくては、と心が叫んでいるのに脳が拒否しているような、そんな身体の齟齬。

 そんな純一の反応に気付いていないのだろう、鞘は乱れた布団を横目に、

「美汐。さすがにその格好ははしたないと思うぞ?」

「……病人に格好を気にしている余裕はないんですよ、鞘。それに誰かが見て楽しい身体ではないでしょうし」

 あっけらかんと言う鞘に対し返答する美汐の声もまた、実に平然としたものだった。

 しかし、この身体が見ていて楽しいものではないと?

 多分ここに世の男子が十人いればうち九人は否定したに違いない。純一とて口は動かなかったが(動かせたとしても言わないだろうが)、心では「いやいやいやいや!」と首を横に振った。

「ですが……」

 と、美汐は緩慢な動作で掛け布団を手繰り寄せると身体を隠すように覆い、

「……かと言ってそうマジマジと見られるとさすがに恥かしいですよ、純一」

「っ、あ、あぁ悪い!」

 そこでようやく呪縛が解けた。いや、むしろ新たなる攻撃で脳を揺さぶられたと言った方が正しいか。

 先程の光景も刺激的なものではあったが、布団を手繰り寄せて身体と顔の半分を隠し、羞恥でか余計に赤く染めた顔をちょこんと布団から出して、力ない瞳で睨まれるというこの目前の光景。

 むしろ狙って攻撃されてるのではと錯覚する勢いだ。多分、純一の理性が高性能でなければいまので根こそぎ破壊されていただろう。それほどの何かがいまの動作には秘められていた。

 だからというわけでもないが、照れ隠しというかむしろ誤魔化しにと口が勝手に動きだす。

「そ、それにしても驚いた。そしてすまなかった。やっぱり事前に俺が来たことを鞘に伝えてもらえば良かった」

「別に構いませんよ、、事故ですし、それに二度目ですし、何より純一ですからね」

 三番目の理由は、一体どういう意味だろうか……?

 訊こうかと思ったが、何となく怖くってやめておいた。自分から爆心地に向かうような真似はしないぞ、と強く心に秘めながら。

 というわけで、意識的に話題を逸らす。もとい、戻す。

「ともかく、お邪魔してる。様子を見る限りまだ復調はしてなさそうだけど、どうだ?」

「きついかきつくないか、であれば正直きついですね」

「……という割に、さっきから口調が澱みないが」

「巫女として精神鍛練はしています。風邪程度で呂律の回らなくなるようなちゃちな舌は持ち合わせていません」

 そういう問題だろうか? というか巫女というものに精神鍛練は必須なのだろうか?

 しかしその辺はよくわからないので、そういうものなのだろう、と納得させて終わらせる。

 そこで一応会話が途切れたと判断してか、口を挟まなかった鞘が布団近くに置いてある水桶に手を伸ばしながら、

「ところで汗を拭いて欲しいということだったが、どうする?」

「お願いします。気持ち悪くて叶いません」

 では、と純一がいるのもお構いなしに始めようとする二人。何故にこの二人はこうも羞恥心というものが欠如しているのだろうか。

 純一が慌てて、外に出てるぞ、と言いかけたタイミングで、

 

 リンゴーン、 と、和風建築とは思えない呼び鈴が響き渡った。

 

「……何故に呼び鈴だけ洋風?」

「古すぎて壊れたから修理を頼んだらあんな風になってしまったんですよ。それより鞘、対応をお願いします」

「私がか?」

「参拝の人かもしれないでしょう? 鞘ならもう親戚だと知られているから平気だけど、純一を出すわけにはいきませんし」

「むっ、確かに。ならば私が出よう」

 頷き、立ちあがる鞘は、何を思ってかそこで純一に向き直り、

「では、後は任せた」

 などと爆弾を落として去って行ってしまった。

「……任せた?」

 何を? などと問うまでもない。既にタオルは手渡されていて、水桶も足元にある。ここまでの会話を思い返すだけで、意図など簡単にわかる。

 ……わかりたくはなかったが。

「えーと……美汐? さすがに男の俺がこういうことするのは良くないよな?」

「……別に構わないですよ。純一にはもう何度も見られてますし、今更ですから」

「言っておくけど、全部事故だからな!?」

「わかってますよ。それより早くお願い出来ますか? 正直気持ち悪くて仕方ないんです」

 あっさりとそんなことをのたまいつつ、美汐はもぞもぞと布団の中で体勢を変える。いわゆるうつ伏せである。

 ようするに布団をどけて背中を拭け、ということなのだろう。が、はいそうですかと行動に移れるほど純一は鈍くもないし廃れてもいない。

「オーケー、落ち着こう美汐。お前はきっと熱でいま思考がおかしいことになってるんだ。きっと落ち着いたら後悔することになる。

 だからいまは素直に鞘が戻ってくるのを待とう。来客対応なんてすぐに終わるに決まってるさ」

「思考がおかしいとは心外なことを言いますね。さっきも言いましたが、身体はともかく思考と精神は極めて正常ですよ。

 ……まぁ、純一が私の身体になんて触りたくもないと思っているのなら無理強いはしませんけど」

「ばっ、そ、そんなわけあるか!」

「ならお願いします」

「ぐぬ……」

 これがみさおであれば明らかな誘い文句だろうが、美汐なら本当にそう思っての発言なのだろう。含むところがない分、ストレートな物言いは性質が悪い。

 しかしこうなってしまった以上、もはや心を決めるしかないようだ。見れば、確かに気持ち悪いのだろう。身体がもぞもぞと動いている。

 これは介護だ。決して邪な行為ではない。断じてない。

「よし」

 そう自分に言い聞かせて、桶でタオルを濡らし絞ってから、布団に手を掛けた。

 ……まぁ、どれだけ言い聞かせたところで吹っ切ることなんて出来ないのは一連の動作が緩慢であることからありありとわかるわけだが。

「じゃあ、拭くぞ?」

「ええ」

 布団をめくる。

 先程見た、天野美汐の肌が目の前に広がっていく。だが先程とその光景を作りだしているのは自分の手なのだという点が、なにやら思考をかき乱す。

 まるで錆ついたブリキだな、と思える腕の動きで、布団を剥ぐ。再びあらわになった少女の柔肌を注視せぬよう意識を集中し、そっとタオルで背を拭う。

「ん……。純一、悪いんですが、ブラのホックを外してもらえませんか? 汗が溜まって気持ち悪くて」

「なっ……!? いや、わ、わかった」

 もはや何を言っても無駄だろう。これも美汐のためなんだ、と念仏のように頭の中で呟きながら、ホックへ手を伸ばす。

 未知の領域。謎の構造。しかし器用な純一は混乱のどつぼにはまっている頭とは裏腹に、一目見ただけであっさりとそれを解き放ってしまう。

「……手慣れてるんですね。さすがです」

「何がさすがだ! しかもなんで納得げなんだよ!? 触るのも初めてだっつーの! まったく……」

 目の前に広がる背中を注視はせぬよう、どうにかこうにかギリギリ視界に収めながらタオルで拭う。

 タオルごしでさえわかる、柔らかな肌。明らかに男のそれとは違う触感に、やはりどうにも落ち着かない。

 このまま意識を集中するのはよろしくない。そう判断し、純一は何か話題はないかと考えながら口を開いて――、

「あ、そういえばこの前、浩平さん、と……」

 言いかけて、止まった。出だしは無意識に選んだ話題だったが、冷静になればそれは訊くべきことではなかったような気がする。

 自然、思い出されるのはみさおとの会話。そして意識してしまった自分の心。

「……? 言いかけて止めるのは褒められたものではないと思いますが。折原先輩がどうしたのですか?」

「あ、いや、何でもない。気にしないでくれ」

「口調が全然何でもないという感じではないのですけど」

「あー……いや、やっぱり気にしないでくれ」

「純一……?」

 あまりの歯切れの悪さにさすがに訝しく思ってか、美汐がこちらを見上げてくる。

 だがそれがまずかった。何せ彼女はいまブラさえ外した上半身裸状態。うつ伏せになっていたから見えないのであって、こちらを見上げようと身体を捻っては――、

「っ!? す、ストップストップ! その体勢はまずい! 見えるからうつ伏せのままでいろ!」

「きゃ」

 咄嗟に押し付けるように背中を押してしまい、彼女らしからぬ声が耳を打った。

 だがこれは正当防衛だ、必要悪なのだとわけわからん自己保身(混乱効果付)に走っている純一に対し、美汐はやや呆れたような口調で、

「……そこまで焦ることもないでしょうに。私の胸なんて大したことないですし、見て面白いものでもないでしょう」

「ばっ、馬鹿か! あぁもう、美汐はさっきから涼しい顔で俺なら平気だ何だとか言うけどな! すげーテンパってるんだよ!」

「え……?」

「お前はお前が思ってる以上に綺麗だし可愛いよ! こんな無防備な姿見せられたら俺だって戸惑うんだ。それに女の子なんだからそんな風に簡単に自分の身体を見せちゃ駄目だ!」

 思うままに言葉を乱打する純一に対し美汐はややキョトンとしたまま小首を傾げ、

「……つまり純一は、私の貧相な身体で欲情していると?」

「ヨッ!? あぁもう、そうだよ! 当たらずとも遠からずだよ! さっきから頭がオーバーヒートしそうなんだよ! だからもっと自重してくれ!」

 開き直って一気にまくし立てた。美汐からすれば本当に自分の身体なんて男から見ても面白いものじゃないと思っていただけに、純一の反応は意外の一言に尽きた。

 けれど、そんな態度に、対応に、彼女の胸に浮かび上がった感情は、

(……嬉しい、ですか。なんともはや、私にもそんな女性染みた感性が残っていようとは)

 自分の身体を綺麗だと、そして可愛いと言ってもらえて素直に嬉しがるなど、常の自分ならありえない。

 なら風邪だから? それは違う。さっき純一に言った通りこの程度で思考が乱れるようなことはない。

 であれば何が特別なのかなど自明の理。

 純一の言葉だから、純一の気持ちだから、嬉しいと、そう感じたのだ。

 それが一体どういうことなのか。わからないほど美汐は愚かではなかった。

「純一。私の勘違いならすみません」

「え?」

「この前折原先輩と、というのは学校の帰り道を一緒したことでしょうか」

「!」

「やはりですか。あの時薄らとですが誰かに見られていたような気がしていたんですが、純一だったのですね」

「……すまん。美汐がどこで誰と一緒にいようが関係ないんだが、意外な取り合わせだったからちょっと気になっちまってな」

「気になった、ですか。……それは何に対してですか?」

「っ、それは……」

「それはもしかして……」

 視線が、重なる。

「私、なのですか?」

 ど直球だった。もはや強引に会話を切り替えることも、誤魔化すことも、とぼけることも出来ないほどの、直球ストレート。

 もう胸が見えてしまいそうだとか何だとか、そんなことさえ純一の頭からすっ飛んでしまっていた。

 どう答える?

 なんと返せば良い?

 手が熱い。まるでタオル越しに美汐の熱が移ってしまったかのようだ。

「俺は……」

 思考は纏まらない。でも何かを口が言ってしまう、その寸前――、

 

「ここかー! みっしーが風邪でダウンしたと聞いてこのみさおちゃんがやって来ましたよ〜! あ、情報ソースはニナミンです。ついでにニナミンも拉致って来ましたー! ……って、おや?」

「ちょ、ちょっといきなり病人の部屋に突撃とか良くないってそれとニナミンって言うのやめてっていうかどうして私まで連れてこられてるのか全然わからな……え?」

 

 扉を蹴破る勢いで乱入者が現れた。

 折原みさおと丹南翠。二人は仲が良かったのか、なんて思考が逃亡をはかっているが、現実は現実としてここにある。

 えー、現状を整理。

 美汐、半裸。ブラもない。布団ははいでいる。純一がタオルで背中に手を置いている。そして見つめ合っている。

 誤解するなと言う方に無理がある絶好(絶叫)のタイミングだった。

 先程までの空気も熱もどこへやら。冷や汗ダラダラの純一が何を言うべきか必死に模索する中で、

「お、さすが純一。すべきこと(タオルで汗を拭くという意味で)をきちんとやってくれていたか」

「「すべきこと……?」」

 のほほんと鞘が合流する。爆弾を放り投げる形で。

 さて問題です。

 この状況下で『すべきこと』などという単語を聞かされたら人は普通どういう意味に捉えるでしょうか?

「「…………ふーん」」

「あ、ちょ、待って! リアクションなしで自己完結するの止めて! そのあたかも「わかってますよ、えぇ」みたいな冷めた目で見下ろすの止めて! きちんとこっちの言い分を聞いてくれー!」

 そしてそこから朝倉純一による説得講演が三十分に渡り続けられるのであった。

 

 

 

 だが話はここで終わらない。

 この奇妙な四人組の話は、ここから誰も予期せぬ展開へ発展することになる。

 続く!

 

 

 

 あとがき

 はい、どうも神無月です。

 やべぇ、コメディどこに消えたキー学w

 どうにか雰囲気でラブコメのカテゴリをキープしているが、めっきり比重が傾いてしまっている気がするけど、良いのか! 良いよね!?

 というわけで、私自身予想もしてなかったんですが、ちょっと腕が乗っちゃって一気に書きあげてしまいました。たまに空から降臨なされるから困る。

 まぁそんなわけで、今回は純一がメインです。そして久しぶり登場のニナミン。忘れてたわけじゃないんだ。ただちょっと出すタイミングがなかっただけで……w

 とりあえず、このメンバーで再び次回も続きます。多分思わぬ展開になるだろうと思います。お楽しみに。

 ……神魔も更新しないと、なんて言う日が来るとは思いもしなかったw

 

 

 

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