大変なことになってしまった。とんでもないことになってしまった。
何故ならいま、好きな男の子と一緒に自分の家に向かって歩いているからである。しかももうそろそろ着く。
図書館から家までの道中、浩平が何かしら話しかけてくれてそれに相槌していた記憶はあるのだが、話の中身はこれっぽっちも覚えていなかった。
それだけテンパっているのである。現にいまも、
(あぁ、あー……わ、私勢いに任せてなんてことを……ろ、廊下とか汚くなかったっけ? ううん、それよりも部屋どうなってたっけ?
着替えとか放り出しっぱなしじゃないよね? というかうちって人の目から見て変じゃないよね? あれ、今日お母さんはどうしてるんだっけ!? あれぇ!?)
とか、そりゃあもう盛大に思考がぐるんぐるん凄まじい速度で回っていた。もはや理絵の許容量をオーバーし、ギャグ漫画なら目が渦巻き状態だったことだろう。
が、もちろん後悔はしていないし、逃げるつもりだってない。なけなしの勇気を出したのだ。乙女として退くわけにはいかないのである。
頑張れ私! やれば出来る子! と、自己暗示のように何度も心中で呟いては自らを奮い立たせて浩平共々進んで行き、そして遂に到着する。
自分としてはごくごく普通の家だと思う。が、浩平はどう思うだろうか……?
「こ、ここがわたしのお家です……」
「へぇ。なんつーか、綺麗な感じだな。花とかたくさん咲いてるし」
「あ……うん。私とお母さんで大事に育ててるの」
特にこれといった特徴がない家だけど、自分が育てている花をすぐに見つけてくれて、しかも褒めてもらえるとは思わなかった。
些細なことではあるけれど、それがとっても嬉しくて。
その嬉しさをバネにして、さぁ言おう。
玄関の扉を開き、息を吸って、そして、
「それじゃあ……ど、どうぞ」
「お邪魔しまーす」
理絵にとって忘れられない一日が始まる。
集まれ!キー学園
七十時間目
「仁科理絵の決心(後編)」
家に着いてから、ようやく家族が全員出払っていることを思い出した。
どこで勉強しようか迷ったが、理絵は家族が帰ってくることも考慮し居間ではなく自分の部屋に通すことにした。
もちろんそれはそれで恥ずかしいし少しの抵抗もなかったかと言えば嘘になるが、何より浩平との貴重な時間を大切にしたかったのだ。
……もちろん部屋に通す前に先にあれこれとチェックしたのは言うまでもないが。
部屋は水色を中心とした色で整えられ、割と物は少ない。女の子らしいものと言えば少し大きめの化粧台とベッド脇に置いてあるぬいぐるみくらいだろう。
これでも理絵本人は子供っぽくないかな、と内心ビクビクしているのだが、部屋に入った浩平はそんな風には思わなかったようだ。
「さすが仁科。部屋きっちり片付いてるなぁ」
「そう、かな? 葵ちゃんとかには物少ないとか言われたりもするけど……。浩平さんの部屋は散らかってたりするの?」
「俺は割と散らかす方だけど、長森が片付けしちまうから実際はそうでもないかな。
ただまぁ片付けてもらっておいてこんなこと言うのもなんだけど、あいつは俺が好きな物まで構わず捨てたりするからなぁ……」
「そっか……」
瑞佳の名前を聞いて、わずかに痛みが走る。何の気兼ねもなく互いの家を行き来する幼馴染という関係を羨ましく思ってしまう。それに、
(長森さん綺麗だし、明るいし、真面目だし……ちょっと一部の男子に対して強烈だけど、でもそれも元気な証拠だし。良いなぁ)
やはり人とわずか……いや大分感性がずれている理絵であった。
「長森さん、一度片付け始めたらとことんまでやりそうですね」
「やるやる。まさにその通り。まぁなんだかんだで幼馴染長いからな〜。元々世話焼きってのもあってなおさら加減ってもんを知らん。
とはいえ俺のところに来て世話を焼くんなら祐一んところに行けって思ったりもするんだが……あーでもあいつは一人で何でもやっちまうか。勿体ない」
「相沢くん……?」
何故そこで祐一の名前が出て来るのだろう、と首を傾げると、浩平も首を傾げ、
「え? いやだってそうだろ。長森はどう見たって祐一のこと好きじゃん」
「え……ええぇぇぇぇ!?」
「まさか……気付いてなかった?」
「う、うん」
大概のクラスメイトはおおよそ気付いているところだが、理絵が気付かなかったのはわけがある。
彼女は良い意味でも悪い意味でも浩平を中心とした視野しか持っておらず、理絵にとっての祐一は『浩平の、何でも出来る親友』程度の認識でしかない。
よって瑞佳が祐一と仲良くしていても視界に入らず、瑞佳が浩平とど突き合いをしているところしか彼女には見えてないのだ。
故に理絵は他人の恋愛に関して激しく鈍い。
だがそれを何やら勘違いしたらしい浩平は、ポン、と手を打ち、
「あー、あれか。仁科は恋愛とかあんま興味なかったりするタイプか」
「そ! そんなことないですよ!」
「へぇ? じゃあ誰か好きな人でもいんの?」
「え!? そ、それは……」
あなたです。
……なんて言えればどれだけ楽なことか。無論そんなことは言えず、ただ顔を真っ赤にしてしばらく口をパクパクさせた理絵は、
「〜〜! と、ともかくお勉強! お勉強しましょう浩平さん! うん、それが良いです!」
「おや誤魔化しましたね仁科さん」
「誤魔化してなんかいないもん!」
「へぇ、仁科に好きな相手なんかいたのかー。これは少し意外だわー。ふふふ、誰なん誰なん?」
「う、うぅ〜……! 勉強! ほら、ね、勉強しましょ勉強!」
「あはは、わかったわかったって。そんなむくれるなよ」
人の気も知らないで、と愚痴りたくなるも言えるはずもなく、理絵はほんの少し恨めしげに浩平を見て溜め息を吐いた。
というわけで、やや強引ではあるものの本題である勉強の開始である。
二人で勉強をするため、普段使っている勉強机ではなく折り畳み式のテーブルを用意し、そこに対面で座った。
前を見れば浩平がいる、というとんでもなく嬉しい状況であるのだが、もしも目が合ったら何と言えば良いかわからず、結局浩平を見ることはせずひたすら教科書とノートに視線を落とす。
ちらりと浩平の手元だけ見てみると、意外にも滑らかに手は動いていた。やっているのは数学のようだが、パッと見た限り全部正解しているようだ。
やはり浩平は普段やる気がないだけで、やれば勉強だって出来るのだ。
(それに比べて私は何してるんだろう……)
そんな風に真面目に取り組んでいる浩平を見て、一人悶々としている自分が情けなくなった。
経緯はどうあれ今日の目的は勉強なのだ。浩平だってちゃんとやっている以上、誘った自分がこれじゃあ示しがつかない。ひとまず真剣に勉強に取り組むとしよう。
よし、と浩平に聞こえない程度の声で気合いを入れ、理絵は本格的に勉強に取りかかった。
最初こそまだ浩平のことが気になったものの、十分くらいを過ぎたあたりからようやく集中力が上がって来て勉強していくスピードも常の状態に戻った。
これなら勉強してるって胸を張って言えるよね、などと思いつつ、少し固くなった肩をほぐそうとノートから視線を上げると、
「じー」
「へ……?」
何故か、こっちを見ていた浩平と思いっきり視線が合った。
浩平の瞳に自分が映って見えるくらいの距離。二人きり。部屋。正面。そんな状況が一気に頭を駆け巡り――、次の瞬間、思考が中断した。
「な、え、の、あ、え……!?」
真っ白になった頭の中とは対照的に顔は一瞬で赤くなり、条件反射のようにわたわたと手だけが動く。口から洩れる声はもはや言語にさえなっていなかった。
「こ、ここ、浩平さん……?」
ようやく言語にエンコードされた言葉はただ名前を呼ぶだけだったが、それで言いたいことは察したのだろう浩平は頬杖を突きながら小さく笑い、
「いやぁ、仁科は相変わらず一旦集中しだすと凄いなぁ、って。普段はそんな感じで可愛い小動物みたいなのに、ああいう時は凛々しい感じするんだよな」
「な、何を言い出すのですー!?」
「思ったことを言っただけなんだがなぁ。つか羨ましいわその集中力。俺にもその十分の一くらい集中力があればな〜」
可愛いとか凛々しいとか普段言われ慣れない言葉にてんやわんやの理絵だが、そんな態度さえ浩平は穏やかな視線で見つめてくる。
「そ、そんなこと言ってないでほら、べ、べ、勉強しないとですよ」
「だからその集中力がないと言っているんだが?」
「し、知らないですもん」
とか言いつつノートに視線を戻し視界から浩平の顔を外すものの、未だ見られているのを感じ、理絵は心中で叫んだ。
――そ、そんな目で見られたら、勉強なんて手ぇつかなくなっちゃうよう……!
もう駄目だ。何が駄目って、恥ずかしいけど何か凄く嬉しくて舞いあがってる自分がもう駄目。
「というわけで仁科ー。ちょっと疲れたし休憩しないか?」
「え……? あ、うん。そ、そうですね。そうしましょうか」
こんな調子じゃ勉強に集中出来るわけがない。理絵としてもこの空気を一旦流す意味で、浩平の提案に賛同した。
「じゃ、じゃあなんかお菓子でも持って来ます」
「お、ありがとう。そういえばこの部屋テレビあるな。ちょっとつけても良い?」
「あ、良いですよ。えっと……はい、リモコン」
「サンキュー」
とはいえ手渡しは出来ず、一旦テーブルに置く理絵であった。浩平は特に疑問に思うこともなく受け取るとテレビをつけ、そして映った番組を見て目を見開いた。
「っておぉ!? 『仮面ライダー BLACK RX』の再放送だとぅ!? 何でこんなものが……ってこれケーブルテレビか!」
「はい。うちおじいちゃんが時代劇とか古い番組好きだから……」
「へぇ、良いなー。特撮とかアニメもきっとたくさん放映してるんだろうな〜」
「そうですね。私はあんまり見ないけど、番組表にはよく見かける気がする。浩平さんは昔のアニメとか好きなの?」
「いまのアニメとか特撮も好きだけどさ。やっぱ昔は昔なりに良さってのがあるんだよなー」
嬉々として語る様はいつもの見慣れた浩平だ。彼がアニメとか特撮を好きなのは知っていたけど、実際にこうやってその手の話を聞いたことはなかった。
一度はお菓子でも持ってこようと立ち上がったものの、何となくそのまま話を続けたくて再度座り直す。
浩平はそれを見ても特に何も言わず、無邪気な顔で画面に向き直った。
「仁科はアニメとかそういうのあんま興味ないんだっけ?」
「えっと……はい。実はあんまり……。あ、でも昔はやっぱりアニメとかも見てた気がするかも」
「へぇ、どんなの?」
んー、と小首を傾げ、
「確か……魔法少女なんとか、ってやつだったかと」
「ハハッ、やっぱ女の子は誰しも通る道か」
「そうかもしれませんね。でもやっぱりあの頃は憧れたなぁ」
「魔法少女に?」
「はい。だって魔法の言葉一つで何でも出来て……。もちろん物語だから困難とかもあるけど、それでも諦めずに進む姿勢は憧れたかな……」
何でも出来る力を持っていても、全てが思い通りにいくわけではないと知ったのはあのアニメだったような気がする。
どんな力があっても結局それを使うのは自分で、諦めたらそこで終わりで、でも正義のために不屈の心で挑む魔法少女は子供心に輝いて見えたのだ。
まぁもちろん、
「他にもやっぱり年相応にああいう可愛い服にも憧れたましたけど。白とかピンクのヒラヒラしたやつ。まぁ私には似合わないってわかってますけど――」
「え、なんでさ? 仁科は可愛いんだからああいうの絶対似合うって」
「えええええええ!?」
――可愛い!? いま、わたし、可愛いって言われた……!?
何かもう今日はホントどうしたものかと。嬉しいやら驚きやらの連続で、心臓がビックリしすぎて止まってしまうんじゃないかと割と真剣に心配してしまう。
顔を両手で包めば、それだけでもう熱くなってるってわかるくらいだ。
「も、もう……。さっきから浩平さんそんなことばっかり言う……」
「え? いやだってマジだし。あ、何ならその手の服借りてきてやろうか? ああいうの好きな知り合いがいるんだ」
「い、良いです良いです! そういうのは、ホント、は、恥ずかしい、し……」
「そうか? 残念」
言葉の雰囲気から、それがお世辞でも何でもなく、本当に残念がっているらしいと理絵は悟った。
となれば、可愛いとか似合うとか言ってくれたことも事実というわけで……。
「あう……」
顔が赤くなる。指先をつんつんと突っつきながら、理絵はゆっくりと口を開き、
「……そ、その……み、見る人が浩平さんだけ、なら……私……ごにょごにょ」
「うおー! RX最高ー! って、あ、ごめん何か言った? RXがリボルケイン抜いて敵翻弄してるシーンが懐かしすぎてちょっと聞いてなかった」
「う、ううん! 何でもありません! さ、ほら勉強再開しましょう!」
「えー! RXこれから良いところなのに!」
「今日はお勉強ですぅ!」
有無を言わさずテレビを切った。あー! と叫ぶ浩平も無視して再びシャーペンを手に取り勉強再開のポーズを取る。
少し意地悪だろうか? いや人がちょっと勇気を出した言葉が特撮番組のワンシーンに潰されたのだ。自分はきっと怒って良い。
「仕方ないなぁ」
浩平もいじけたりせず、苦笑を浮かべただけで参考書に視線を戻した。
一瞬浩平さんも怒るかな? なんて不安もよぎったがいらぬ心配だったようだ。
「……また後でちゃんと休憩は取りましょうね」
「おう、そんときが楽しみだ」
結局不安のままにフォロー染みたことを言う理絵に、浩平は親指を立てて応じた。
本当に、こういうところが折原浩平という人間であり、自分が好きなところなんだなぁ、なんて理絵は温かい気持ちになった。
それからの一時間ほどは、ほとんどが静寂の中にあった。
とはいえ息苦しかったり気まずかったりするわけではない。何を喋っているわけでもないのに、不思議な充足感があった。
時折浩平がわからないところを質問してきてそれに答えたり、あるいは逆にこっちの手が止まるとどうしたのかと訊ねてくる浩平に助けられたりと、順調に勉強は進んで行った。
浩平がやれば出来る人間であることは既にわかっていたことだが、それでも浩平の能力は理絵の想像を越えていた。
数学や化学の計算式は教科書をざっと読んだだけで応用までこなすし、歴史や英語などの暗記モノも覚えが早い。
この短期間で、元々予習復習を欠かさない理絵とテスト範囲内ならば同レベルに勉強の話が出来るまでになっていた。
改めて凄いなぁ、と理絵は素直に思う。
キー学内では学園四天王などと呼ばれ、実際祐一含む他の三人も相当凄いらしい(らしい、というのはやはり理絵にとって眼中にないからである)。
そしてそんな三人と並び称される浩平。クラスメイトどころか学校中で一目も二目も置かれる男の子。明るく元気で実はとても優しい皆のムードメーカー。
大変な人を好きになってしまった、とは思う。他の三人ほど噂は聞かないが、それでもきっと浩平のことを好いている女子は少なくはないだろう。
たくさんの恋敵。もしいつかそのうちの誰かと浩平が付き合うことになったとき、自分は耐えられるだろうか?
……どうなんだろう?
わからない。想像も出来なかった。でも浩平が幸せならば、その幸せを祝福出来る自分でいたいとは思う。
でも、だからって最初から負ける気なんてない。
もちろん自分には大した取り柄はないし(と本人は真面目に思っている)、可愛くないし(これも本当に思っている)、浩平と釣り合うことはないだろうけど、それでも。
――隣にいたいって、思うよ。
「……?」
ふと、浩平の手が動いていないことに気付いた。そっと視線を上げると、
「あ……」
浩平がふらりふらりと船をこいでいた。疲れているのだろうか? それとも自分との勉強に飽きてしまったのだろうか?
「浩平さん、浩平さん」
「……ん? うぁ、あぶね。意識が遠のいてた」
ごしごしと目元をこする浩平だが、まだ眠そうな顔をしている。
「そんなに眠いんですか? 勉強してるから、でしょうか」
「それもなくはないけど……なんというか、このまったり空間がやたら心地良い感じでなー。なんかすげー眠くなる」
「あ……」
この雰囲気が心地良いと、浩平も同じように思ってくれていたとは思わなかった。
「ほら、俺の周囲ってなんつーか大概騒がしいからさ、こういうまったり感はなかなか味わえないというか何と言うか。
いや元凶が自分だってことは重々わかっちゃいるんだが」
「ふふ、そうですね。浩平さんのいるところはいつだってどこだって騒がしいです。でもとっても楽しそう」
「楽しいのは違いない。でもたまにはこういうのも良いもんだ。これも仁科パワーなんだろうなー」
なんて言いながらも身体がゆっくりと横に傾いてた。相当眠いようだ。
「むっ……。駄目だ。すまん仁科。三十分くらい寝かせてもらって良いだろうか……。結果的に我慢する方が時間の無駄な気がしてきた……」
「確かにこのまま続けてても集中出来そうにはなさそうですね……。はい、わかりました」
「おーう、すまねー……」
と言いつつ、そのままテーブルに突っ伏そうとする浩平を、理絵は慌てて止めた。
「ちょ、浩平さん待って。どうせ寝るのならちゃんと横になった方が良いです。後で身体痛くなっちゃうし」
「そりゃそうかもしれんが……」
「ほら、私のベッド使って良いですから」
「えぇ? いやそれはさすがに悪いというか……」
「浩平さんの身体を痛くさせる方が嫌です。だから、ほら」
渋る浩平をどうにか説得し、ベッドまで移動してもらう。そしていざベッド横たわると、浩平の意識は速やかに落ちて行った。
「あー、ぬくい……。それに仁科の匂いがする……」
「そ、そういうこと言わないでください! は、恥ずかしくなるから……」
「でも良い……匂い……」
言いながら、浩平は眠ってしまった。規則正しい寝息が聞こえてくる。そんな浩平を見てクスッと笑いがこぼれる。
「とっても眠かったのかな。こんなにすぐに眠っちゃうなんて」
掛け布団を掛けるためベッドに近付く。それにしても、
「……こうして眠ってると、いつもハチャメチャな浩平さんとは別人みたい」
あどけない寝顔は実際の年齢よりも下に見せ、眺めているとどこか穏やかな気持ちになれる。思わずその髪に触れ、撫でてしまったが、浩平の反応はなかった。
「浩平さんは……私のこと、どう思ってるのかな?」
クラスメイトの地味な子? それとも友達? せめてそれくらいではいたいと思うけれど、でも間違いなく、
「……同じ気持ちじゃない」
わかってる。今日の浩平を見てるだけでも、浩平の中の特別になんかなれてないことはわかる。
どうすれば良いだろう? どうすれば進むんだろう?
動かなければ始まらない。
最初はただの占いの結果だったけど。でもこうして自分の部屋で一緒に勉強して、そして愛しの人の寝顔を見ていられるのも自分の行動の結果、勇気の証なのだ。
ならば。これ以上を求め、これ以上先に進むのを望むならば、一体どんな行動を取れば良いと言うのだろうか?
「……なんて。もう答えはわかってるんだけどね」
相手にこちらを意識させる。それも強制的に。そんなことが出来る行為は、種類はいくつかあれど結局行き着く場所は一つしかだろう。
どんな形であれ、自分の気持ちを――。
「浩平さん。……私、臆病だから。気も弱いし、あんまり自分の言いたいこときちんと言えないけど、でもね、今日浩平さんと一緒にいてね、思ったの」
そっと、寝入った浩平の顔に自らの顔を近付けていく。
「ちゃんと言いたいな、って思ったの。でもきっと言おうとしたら……言えなくなると思う。だからね、浩平さん……。反則だってわかってるけど、でも――」
私に、勇気をください。
小さく囁いて、理絵は浩平の頬に自らの気持ちを触れさせた。
「……あれ?」
まどろみから意識がゆっくりと浮上していく。
いつもと違う肌触りと匂いのする布団に包まれながら、ゆったりとしたスピードで記憶を掘り起こした浩平は、既に部屋の中がオレンジ色に染まっているのを見て飛び起きた。
「あ、おそよう浩平さん。もう夕方になっちゃいましたよ?」
「仁科……」
そう、ここは仁科理絵の家、にして部屋。勉強中に眠くなって少しベッドで寝かせてもらったのは覚えているが、しかしどうしてもうこんな時間なのだろうか?
そんな浩平の心の疑問を察してか、シャーペンから手を離した理絵が少し頬を膨らませて、
「私ちゃんと起こしたんですけど、浩平さんってば全然起きてくれなくて。結局諦めて自然に起きるまで待つことにしたんです」
「おう……それは、あー、なんというか……悪ぃ」
きっと理絵は理絵なりに起こそうと努力してくれたんだろう。
だがあの長森でさえ枕で窒息させようとしたり窓から叩き落そうとしたりしない限り目覚めぬ折原浩平である。
そんじょそこらの起こし方で起きるわけがなかったのだ。
これは完全に自分が悪い。ベッドから下りた浩平は素直に頭を下げた。
「ホントすまん。俺、一回寝ちゃうとなかなか起きれないタイプで……」
「今日で十分理解しました。……次は寝たりしないでくださいね?」
「うむ、もちろんだとも!」
と、頷いてからふと疑問に思った。次とは……?
だがそれも一瞬だった。浩平としても理絵との勉強会は新鮮だったうえにはかどったし、思ってた以上に効果はあったように思う。
もしまた誘われたら今度も受けよう。そしてその時はきっと眠らない! そう誓った。
「で、今日はどうする? 俺はもう少し平気だけど」
「うん、私も大丈夫ですけど……でも私の家族がそろそろ帰ってくるかも。今日はもともと家でやる予定でもなかったし、ちょっと説明するのが面倒かもしれません」
「あ、なんかちょっと悪い子っぽい発言。仁科でもそんなこと言うんだな」
「浩平さんが思ってるほど私、真面目な子じゃないですよ? ちょっぴり卑怯なこととかも、しちゃうから」
「?」
前後の文脈が繋がらない台詞だったが、まぁ気にするほどでもないか、と浩平は立ちあがる。
「それじゃあそろそろお暇しようかな」
「ん、じゃあ外まで送りますね」
「道ならちゃんと覚えてるぜ?」
「まぁまぁ。折角ですから。ね?」
「おう……」
何だろうか。理絵は理絵なのに、眠る前と後でやや違う印象を感じるのは……?
そう。何となく……落ちついて見える。理絵の慌ただしさや恥ずかしがり屋な部分を抜きとったらこんな感じになるんじゃなかろうか。
だが人間たかが数時間で何が変わるわけもない。何となくそんな気分なんだろう、とこれもまた気に留めず、浩平は扉を開けて廊下へ促す理絵に従った。
夕焼け色の空の下。浩平は理絵と共に帰路を歩く。
もちろん理絵の目的は見送りなわけで、最初は家の前までかと思ったのだが、何故か途中まで一緒に行くと言ってついてきていた。
特に断る理由もないので浩平はそのまま理絵と一緒に歩を進めることになったわけだが……。
「静かだなー」
この辺りはきっちりした住宅街だからか人が少ない。これが駅前などであればこの時間、家へ帰ろうとする人たちで溢れていることだろう。
だが嫌な感じはしない。浩平は基本的に騒がしい方が好きな人間だが、たまにはこういうのも悪くないと思う。
「ねぇ、浩平さん」
「ん?」
それまでただ黙って隣を歩いていた理絵が、前を見つめたままポツリと呟く。
「さっき……って言っても勉強始める前ですけど、浩平さん私に好きな人いるかって聞いたでしょう?」
「え? あぁ、そういえばそうだっけな」
「逆に聞いて良いですか? 浩平さんこそ好きな女の子とかいないんです?」
「へ? うーん……」
普段の浩平なら「そんなに知りたくば交換条件だ、さぁ先にお前の好きな相手を教えろ〜!」などと言っただろう。
だが理絵を見ているとそんな冗談めかした言葉を言える雰囲気ではないような気がして、何となく素直に答えることにした。
「いや、別にいないよ。なんつーか、俺はきっとまだまだガキでさ。恋愛とかより、ダチと騒いで楽しんでる方が良いんだよ」
「そっか……。でも人を好きになるって凄いことなんですよ? 時折とんでもないパワーが出るんです。それも時には自分が自分じゃなくなるくらいの」
「へぇ〜。やっぱ仁科も恋してるんだな。ま、女の子なんだし当然っちゃ当然か。差支えなければ聞かせてもらいたいんだけど、それ俺の知ってる相手?」
「うん、知ってます」
「祐一?」
「そう思います?」
「んー……いや、違うな。仁科はあんま祐一の事は見てない気がする」
「正解。相沢くんじゃないですよ」
となると、さて誰だろうか? というより、理絵が誰か特定の男子と仲良くしているところを見たことがないわけだが……。
数分間考え続けたが、結局答えは出なかった。
「降参だ。ちょっと俺にはわからないなぁ。誰だろう?」
不意に、理絵の足が止まった。
浩平も思わず足を止め、少し追い越してしまった理絵を振り返る。
「……今日の約束をするとき、浩平さん言ってくれましたよね? 良い日になる、じゃなくて良い日にする、っていうのが私らしいって」
真っ直ぐな視線が浩平を射抜いた。
これまで一度だって見たことのない、真剣な表情。照れて視線をそらすことも、少し呆れたように頬を膨らますこともない。
「だから、私らしく……勇気を出して、言いたいと思います」
理絵が一歩、詰めて来る。
事ここに至って、浩平は初めて『まさか』という単語が頭に浮かんだ。
理絵が普段仲良くしている男子を見たことがない。ならば……自分は?
自分は、理絵とどうだった?
今日、何をしていた?
「浩平さん」
夕陽に照らされた赤い頬。わずかに潤んだ瞳が浩平を映しこむ。
両手を自らの胸のまでギュッと握った理絵は、大きく息を吸って、そして――告げた。
「私、浩平さんのことが好きです」
少女は、誰もが成しえなかった一歩を強く踏み出した。
あとがき
ひゃっはー、真面目モードなキー学書いてて違和感バリバリの神無月でーすよー!
まぁまた次回からコメディ色に戻るんですけどね。ええ、折角珍しい恋愛部分ですからね。それに仁科さんだしね。えぇ、真面目に行こうかとw えぇw
さて、浩平ラバーズでは……否、キー学においても初の真剣な告白でございます。好きですコールです。
コメディのハーレム系って何だかんだでこうやってきちんと「好き」って言う子少ないんですよね。
まぁそれやっちゃったらどうしても話は展開してしまうし、止まっていられないから仕方ないと言えば仕方ないんですけどねw
キー学はまぁ主人公は四人ですから、一人くらいはこう正面からどかんとぶつけられる主人公がいても良いと思ったのです。
……最初はこうやって真正面からぶつけられるのは純一にしようかと思ってたんですが、仁科さんが勝手に動きました。さすが仁科さん。恐ろしい子!
さて、とりあえずこれで仁科さん編は終了です。次回以降の浩平に別の意味で注目していてくださいw
ではでは。