相沢祐一は大きく溜め息を吐いた。

 現在、キー学への登校中。

 既に校門が見えてきたこの距離、もちろん周囲には他のキー学生徒たちも多くいる。

 そしてそのほぼ全員が、好奇の視線で祐一を見ていた。

 元々目立つし有名な祐一ではあるものの、いくらなんでもここまで注視されることなどそうそうない。

 とすれば、考えられる要因はただ一つ。

 昨日の高校野球地方予選。

 メンバーもさることながら、とりわけ拍車をかけたのはあの大差による圧倒的勝利だろう。

 やれやれ、と再度嘆息。

「そりゃあ、まぁあれだけのことをしたら話の回りは早いとは思ってたが……」

 まさかここまでとは思わなかった、と相変わらず自己存在を軽視する祐一であった。

 

 

 

 

 

集まれ!キー学園

五十五時間目

「発覚のストレンジャー・パニック」

 

 

 

 

 

「うぉぉぉぉぉぉ!!」

「こらー、待ちなさい兄さーん!!」

「あん?」

 そんな声が後方から聞こえてきたのは、祐一が校門を過ぎた辺りだった。

 土埃を舞わせながら高速で走ってくる二つの影。

 朝倉純一と朝倉音夢だ。もちろん逃げているのが純一で追っているのが音夢である。

「兄さん! 今度はいったい何を企んでいるのー!」

「だーから、今回は別に悪さなんてなんも企んでないってば!」

「嘘! 兄さんの他に四天王が揃ってて、挙句杉並くん含め六人のブラックリスト入りの人たちがいる! しかもバックには倉田先輩まで!」

「おぉ、よくそこまで調べたな」

「風紀委員を侮ってもらっては困ります。で! これが一体どういうことか懇切丁寧に説明を要求します!」

「話し合いを望むやつが辞書両手に構えながら猛追してくるのはおかしくないか!?」

「おかしくないですっ!」

「嘘つけー!」

「あー、もう! いい加減止まれー!」

「うぉ、危ねー!?」

 音夢の剛速球……ではなく剛速本が純一に向けて放たれるが、それを純一は培われた反射能力で回避。

 すると目標を見失った辞書はなんとまっすぐ祐一目掛けて飛んできた。

「あ」「あぁ!?」

 純一の呟きと音夢の叫びがシンクロする。

 激突する。そう思った瞬間、

「ふぅ」

 バシン! となんでもないことのように祐一は辞書を片手でキャッチした。

「へ……?」

 思わず呆然とする音夢。

 自分で投げておきながらなんだが、あれを素手で掴める者もそうはいないと思っていた。

 何故ならあの純一や浩平でさえ威力の関係でキャッチではなく回避を選択するくらいなのだから。

 だが純一は祐一がそれくらいのことを出来るとわかっていたのか、別段驚いた様子もなく祐一に向かって挨拶をし始めた。

「どうも、おはようです」

「まったく……。朝から元気だな、お前たちは」

 ポイッ、と軽く投げ返された辞書を純一が受け取った。

「朝倉音夢。お前のそれは下手したら殺人兵器にもなりかねないんだから、気をつけろ」

「あ、はい、すいません……」

 音夢がぺこりと頭を下げる。祐一は手をあげ「もういい」というジェスチャーをすると踵を返し校舎へと入っていった。

 そんな一つ一つの動作を見て、つくづく思う。

「……やっぱりあの人は別格だ」

「そりゃああの人はなぁ〜。っていうか同じくくりにされてる俺の方が恐縮するっつーの」

「程度の問題だと思う。……それと、油断大敵」

 あ、と言う間もない。暢気に音夢の隣で祐一を見送っていた純一は、さも簡単に音夢に首根っこを掴まれて捕獲された。

「……えーと、音夢さん? いま相沢先輩に注意をされたばかりでは……?」

「この距離で辞書を投げる必要はありませんのでそれとこれとは話が別ですわお兄さま。おほほほ」

 ずーるずーると引きずられる純一。

「く、苦しい! 襟首が、襟首が絞まってる……!」

「さーて。いろいろと事情聴取といきましょうか兄さん」

「おい、授業は!?」

「ふん、この問題に比べれば些細なことです」

 にっこり、と外用の笑顔で受け答えをする音夢。

 基本彼女が純一に対して敬語を使うのは周囲に誰かがいるか、あるいは怒っているときに限られる。そして今回は……おそらく後者。

「だ、だから俺は別に何もしてないって! ただ助っ人を頼まれただけでー……」

「言い訳は風紀委員室で聞きます」

「殺生なー!」

 

 ちなみに純一が教室に戻ったのは四時間目を迎えた頃であるらしい。

 合掌。

 

 

 

 祐一が教室に入ると、一気に熱気が爆発した。

「おー、来たぜ主人公ー!」

「よ、最強のキャプテーン!」

 ワッ、とクラスの面々が押し寄せてくる。何事かと目を見張れば、

「――と、そこで俺は相手の動きを読んで咄嗟に投げる場所を変えたのさ。そうしたら相手は間に合わず空振り! ズバっと三振!」

「「お〜」」

 ……中央で、机の上に立ち意気揚々と力説しまくっている浩平が目に付いた。

「あの圧倒的勝利の立役者は俺だと言っても過言ではないね!」

「おいそこの馬鹿ヤロウ」

 だるま落としの要領で机を蹴った。もちろん足場をなくした浩平はそのまま墜落。

「おぶぅ!?」

 ろくに受身も取れずあわれリノリウムの床に沈没した。

「あ、あれ? なんかこんなこと過去にもあったような気がするのは俺だけか……?」

「んなこたどーでも良い。それよりお前はなにをやっているだんだ」

「よくぞ聞いてくれた!」

 ガバッ! とダメージを感じさせず立ち上がる浩平。この回復力というかタフネスっぷりはもはや春原陽平と同レベルではないだろうか。

「我々の武勇伝を事細かに説明しているのさ! 後世に語り継ぐために!」

「アホか」

 っていうかストッパーの瑞佳はどうしたのかと周囲を見やれば、

「祐くんがキャプテン……祐くんが甲子園……祐くんがヒーロー」

 なんかブツブツと呟きながら恍惚の表情で座っていた。一体何があったのだろう?

「にしても、意外よねー」

 とりあえず自分の席に座ると、後ろの席の林檎が机に肘をつきながらニヤニヤと口元を崩していた。

「聞いた話じゃ今回は結構積極的だったらしいじゃない? どういう風の吹き回し?」

「廃部が掛かってるとなれば少しはやってやろうか、って考えるのも人情だろう?」

「へぇー、ふぅーん、ほぉ〜……」

「……なんか引っかかる頷き方だな」

「いーいーえー、別に〜♪」

 ククク、と手を口に当て呟く様はどう考えても『別に』ではない。ないが、敢えてスルーした。このまま突っ込めば薮蛇になりそうだ。

 だがもちろん心休まる時間などない。

 次々とクラスの面々が祐一の机の周りに集まり、言葉を飛び交わす。

「もー祐一〜、どうしてすぐに言ってくれなかったんだよー。言ってくれればマネージャーに立候補したのにー!」(←頬を膨らませて名雪)

「そうだな。マネージャーというのも女の子らしい行動かもしれない。それじゃあ私がなろうか?」(←さも平然と、智代)

「畜生、やっぱりお前は良いとこ取りかー! この男の敵めッ!」(←首を切るポーズで、南森)

「顔も良くて頭も良くて運動も良いとかこの人生の勝利者め! 詫びろ! 俺たちに詫びろぉ!」(←涙目で南)

「茜は渡さんぞぉぉぉ!」(←遠くから司)

「そんなあなたにお米券を進呈……。もりもり食べてじゃんじゃん活躍……」(←封筒を差し出してくる美凪)

「キャプテン! 今後への目標を是非一言!」(←マイクを向けて、詩子)

 ああもう何が何やら。

 飛び交う言葉の弾幕を聞き流しながら、早くも祐一の頭に『後悔』の二文字が過ぎっていた。

 

 

 

 で、浩平はそんな祐一を横目にしつつ、

「いやー、あいつの心中の嘆きが聞こえるようだなー。苦しめ苦しめはっはっは」

 なんて満足げに微笑みながらうんうん頷いていた。

 元々目立ちたがりの浩平だ。何もせずとも注目の的になりがちな祐一に対するちょっとした腹いせかもしれない。

 まぁ基本浩平は悪い人間ではないので精々がこの程度であるのだが。

 と、視線を前に戻すと何故かそこに仁科理絵がいた。

「仁科? どうした」

「あ、あの! こ、浩平くん!」

「ん?」

「え、えと、その……」

 どういうわけか顔を真っ赤にしながらあっち見たりこっち見たりと落ち着きがない。

「なんだ仁科?」

「えと……浩平くんも野球部の試合出たんだよね? ……今度も出るの?」

「おう! バッタバッタと相手バッターたちを沈めてくから仁科も応援してくれな!」

「あ、うん、それはもちろんっ!」

 ジョークを交えたのに普通に頷かれてしまってちょっぴりショックな浩平。

 でね、と理恵はもじもじしながら俯き、

「そ、その、ね? ……よ、良ければ、なんだけど……お弁当とか作ったら……た、食べて、くれる……かな?」

「ん? なんだ――」

「おぉぉぉっと、豪快に手が滑ったぁぁぁ!!」

「てぇぇぇぇぇ!?」

 声が小さくてよく聞き取れず聞き返そうとした矢先、突然現れた拳に浩平は盛大に吹っ飛ばされた。

 ごろんがらんがっしゃーん! と三回転半転がって見事教室後方のロッカーにストライク。

 で、浩平を転がしたボウラーはと言えば、もちろんこの人。

「ふぅ、危ないところだったわ」

 一仕事終えたとばかりに汗を拭うような仕草をする、杉坂葵である。

「あ、葵ちゃん!? 何を……!」

「ん? あぁ、いや百人一首してたら思わずヒートアップしちゃって思わずめっちゃ手が滑ったのよ。思わずね」

「そ、そうなの……?」

「くぅぅぅおらあぁぁぁッ!」

 あぁこんな言い訳で信じちゃう純真な理絵ラヴ! とか心中で叫んでいる葵の後ろでロッカーをふっ飛ばしながら浩平が勢いよく立ち上がった。

「てめぇ、杉坂! 俺に何の恨みがあってこんなことしやがる!」

「恨みなんてそれこそでっかいのがあるのよ。でっかいのがね。でも関係ないわ。だってこれは事故だもの。思わずやっちゃった事故なのよ」

「やっちゃったじゃねぇよ!」

「じゃあなんだって言うのよっ!」

「逆ギレかよ!?」

「ふ、二人とも落ち着いて……ね?」

「「無理!!」」

「ふ、ふぇ〜ん」

 涙の理絵の前で、「こぉ〜」とか「ほぁ〜」とか奇妙な呼吸法を実行しつつ構える浩平に葵。まさに一触即発。

 しかしクラスの面々は気にしない。

 祐一の周りも、浩平の周りも騒ぎが絶えないのはいつものことであると誰もが認識している。

 ようは程度の違い。今日はいつもより少し盛り上がっているだけなのだ。

 

 結局この日2−Aの騒ぎは一日中続くことになる。

 

 

 

「さすがは我が愛しのベストフレンド! 敬ってあげないこともないね!!」

「……はぁ?」

 で、もう一人の四天王たる岡崎朋也は、教室に着いた途端そんなわけのわからん言葉を投げかけられた。

 半目で見る先には、まるでどこぞのミュージカルに出てきそうなポーズで天井を見つめる老船竹丸がいる。

 胸に左手を添え、もう片方の手を天に届けとばかりに伸ばす様は……微妙に絵になっているにも関わらず、キモイ。

「呆けている場合かね岡崎。君が――」

 溜め、

「大・活・躍ッ!!」

 一文字ごとに区切り手を振り身を捩って、再びポーズを決め、

「した! 高校野球予選のことだよ」

「……その無駄な動きはどうにかならないのか。っていうか俺出てないんだけど」

 そう、その日はバスケ部の試合があって朋也は出れていない。が、そんなことは瑣末な問題とばかりに竹丸はすっ飛ばす。

「さすがの岡崎も私の美学にはついてこれないようだな。ふむ、まことに残念だ」

「試合出てないことは無視か。それとお前の美学なんてものがわかるようだったら俺はきっといろいろと終わってるな」

 呆れて嘆息し、自分の机に鞄を投げながら、

「で? なんでお前が野球のこと知ってるんだ」

「ふっ、当然だ。部活動の大会などの管理もまた生徒会の任務、責務、雑務の一つだ。私が知っているのにおかしなことなどない」

「そりゃあそうだが……」

「それに、それを抜きにしても諸君の活躍は凄まじかったからね。試合を見に行っていた生徒たちによって噂はすぐに広まったわけだ」

「そうか。通りでここに来るまでにチラチラ見られてたわけだ……」

 いずれこうなるだろうとは思っていたが、まさか初戦からこういうことになるとは思わなかった。

 試合結果は聞いていたが、祐一たちめ。初戦からド派手なことをしてくれる。

 そしてこんな状況になればまず間違いなく浮かれる人間がいることも朋也は知っている。

「あはははははは、やぁ岡崎クン? 元気そうだNE!」

 機嫌の良さそうな、そして若干上ずった声を出し、やたら軽快なステップで教室に入っていたのはやはり春原陽平だった。

 見るが良い、この浮かれっぷりを。本当に鼻が高々と伸びているような錯覚さえする。

「予想通りの反応だな、春原」

「ははははは、なんのことかなぁ〜ボブ?」

 ボブって誰だ、という突っ込みさえ聞かず――いや聞こえていないだけか――陽平は自分の机に鞄を放り投げると椅子に座り、これ見よがしに髪を手で払って両脚を机の上にドカッと置いた。

 ふぁさー、ふぁさー、と髪を払う。

 先日の高校野球で大活躍した春原陽平ここにあり!! と身体で全力でアピールしているんだろう。

 誰かに褒められたり讃えられたりしたいんだ、というオーラが滲み出ていた。

 が、クラスの連中は、

「さすがは岡崎たち四天王だなぁ」

「あたしにこんな面白いこと言わないなんて水臭いわね朋也!」

「ねぇねぇ、野球ってちゃんとやったことあるの?」

「いきなり勝っちゃうなんて、さすが岡崎さん!」

「やっぱり朋也くんは凄いですっ」

「次も勝てよー!」

「次は絶対応援に行きますねっ」

 というように、朋也の周囲にばかり人が集まった。

「ちょっと待てー!!」

 ガバァ! と立ち上がる陽平。

「なんで岡崎ばっかり言われて僕にはないんだよ!? っていうか岡崎試合出てないし! 僕は試合出てたのに!」

「や、だってあんたの活躍した話なんてこれっぽっちも聞いてないし。っていうか陽平も出てたことさえいま知ったわよ」

「へ……?」

 冷静に返したのは杏だった。

 まぁ無理もない。

 人間とは得てして有名な方に目が行く習性がある。伝聞するにもその方が便利だろう。

 きっとあの試合を見た生徒たちは「四天王やブラックリストの連中が野球部として出て活躍した」という言い方をした者が多かったはず。

 仮に同じ活躍をしたとしても、有名な人間の方が話題に上るのは当然の真理だ。

 そういうわけで何もしていないにも関わらず、四天王にカウントされる朋也がこういう状況になっているわけだが。

「悔しかったら次の試合で活躍することね? 次の試合にはきっと皆見に行くだろうから」

「よ、よーし! 見てろよぉぉぉ!」

 拳を握り締めながら陽平は立ち上がると、いきなり教室を出て行こうとする。

「おい春原。どこに行くつもりだ」

「決まってる! 秘密の特訓だ!」

 これだけの人数の面前で叫んでは秘密もなにもないだろう、と思ったが突っ込む前に陽平は消えていた。

 そんな陽平をニヤニヤしながら杏は見送り、

「まぁこれだけ焚き付けておけば陽平もそれなりに戦力になるんじゃないの?」

「杏……」

 全て杏の掌の上だった。

 相変わらず恐ろしい。っていうかそういう女性ばかりが周りにいるような気がするのは気のせいか。それとも女性というのは大なり小なりそういう部分を持ち合わせているものなのだろうか。

 ……なんか後者の方が真理っぽく感じてきたので、敢えて思考をストップさせた。

 世の中、知らない方が幸せなことはきっとある。うん。

「どしたの朋也? じとーっとあたしを見て」

「いやなんでもない。ちょっと哲学的なことを考えてただけだ」

「はぁ?」

 胡散臭い目で見られた。や、無理はないのだが。

「ともかく、だ」

 再び妙なポーズで固まった竹丸が話を元に戻そうと場を沈める。

「同胞岡崎よ。このままその力で覇道を突き進むが良い! 目指せ全国制覇ッ!!」

「「「「おー!」」」」

 いや、沈めるどころか煽っていた。

「って待て! なんで関係もないお前らが答えてんだ!?」

「我々キー学の名を全国に轟かせるのだぁぁぁ!!」

「「「「おー!」」」」

「いや、既にキー学は有名だろ」

「目指せ世界征服ッ!!」

「「「「おー!」」」」

「お前らも流れに身を任せてなんでもかんでも乗ってんじゃねぇ!!」

 ぎゃーぎゃーと騒がしい3−E。結局どこでもこうなるようだ。

 その後このわけのわからん掛け声は一時間目の教師が現れるまで延々続いたという。

 

 

 

 あとがき

 はい、神無月です。

 えー今回は前回の試合の後、皆々の反応でした〜。

 大騒ぎになってさぁ大変。そして次回は再び『野球の星』になります。そう、二回戦ですね。

 次回の相手はか〜なりマイナーなので知っている人は凄いです。讃えます(ぇ

 でも、「あ、そういえばそんな高校あったなぁ」くらいなら結構いる……かも?w

 ではまた次回〜。

 

 

 

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