さて。

「うーん……」

 祐一は珍しく頭を抱えていた。

 その理由はもちろん手元の紙にある。

「ん〜……」

 それは先日杉並から受け取った野球部のオーダー表だ。

 試合日はもう決まっているのだが、初戦のその日、朋也はバスケ部の試合、康介はマジシャンの仕事があって出れないのだという。

 杉並を頭数に入れたとしても十一人。

「問題は投手だな。まぁ先発は経験者の浩平で良いとして……っていうか交代要員少なすぎるだろ、これ」

 というか何故正規の野球部員は一人もいないのか。

 杉並曰く、

「正直戦力にならないどころか足手纏いになりそうなので全員蹴った」

 らしい。なんともストレートかつ悲痛な響きであるが、まぁ杉並がそう言うからには実際その通りなのだろう。……かなり可哀相だが。

「高校野球にも女子が使えればなぁ」

 キー学の女子には男子よりスペックが高い者もいるので絶対戦力になるのに……なんて考えているのは祐一だけではあるまい。

 っていうか普通に考えて男子より運動能力が高い女子が多いってのはどういうことなんだろう。

 キー学の男子が運動能力が低いのか。

「いや、むしろキー学の女子のスペックが異常なんだな」

 うん、と頷いた瞬間だ。

「ゆぅぅぅいちぃぃぃぃぃぃ!!」

 フォォォォン!! とドップラー効果を出しつつ扉をぶち破って名雪が入ってきた。

 ほらどうだこの高速の足。こんな足があれば盗塁だって楽々だろうに……ではなく!

「大変だよ大変だお!?」

「大変なのはお前の常識だ!」

 スパーン! と振り返りざま祐一が頭を叩き、名雪はバランスを崩してベッドに顔から突っ込んだ。すると頭をさすりながら顔を上げ、

「うにゅ〜、ひどいよ祐一〜。女の子の頭を叩くなんて……デリカシーに欠けるんだよ?」

「ほう。ならノックがないどうこう以前にドアをぶち破って入ってくるお前はデリカシーあるのか?」

「えー? でもほら、その辺は普通じゃないかな?」

「もしお前が瑞佳や藤林先輩や佐祐理さんや朝倉音夢なんかを引き合いに出しているのなら、断言してやる。あれらは普通じゃない」

「デフォルトだよ?」

「そんなデフォルトは脳内からデリートしてしまえ。というかお前もとっとと立て。そこは俺のベッドだ」

「え!?」

 ハッとしたように名雪はそのベッドを見下ろした。自分の置かれた状況をようやく悟った名雪はわなわなと身体を震わせて、

「祐一のベッド〜♪♪♪」

 うにゃー、とベッドに包まった。

「おい、お前は何をしている」

「え? ……えーと、匂いをつけてる、かな?」

 いわゆるマーキングである。

「お前は猫か」

「ねこ〜、ねこ〜♪」

「想像で陶酔するんじゃない!」

「はぅ!?」

 布団を引っぺがせば、名雪がコマのように転げ落ちてくる。

 うぅ〜、と名残惜しそうに掛け布団に手を伸ばす名雪の前で祐一はそれを軽く畳んで椅子に放り投げた。

「まったく……。というより名雪。お前は一体何をしに来たんだ」

「あ、そうだった! 大変なんだよ祐一!?」

 ガバッと勢いよく立ち上がり祐一に駆け寄って、

「一大事なんだよっ!」

「わかった。わかったからいい加減内容を話せ。そうじゃなきゃなんもわからない」

「空き巣に入られたんだよっ!」

 ピタッ、と祐一の動きが止まる。しばし考え込む素振りを見せ、手を掲げ、

「……待て。それは本気で言ってんのか?」

「本当のことじゃなければさすがにドアなんか壊さないよ〜」

「それは嘘だ」

「即答だよ……」

 しょげる名雪。だが祐一は先を促す。

「ともかく、空き巣に入られたのは本当なのか?」

「うん。さっきまでお母さんとお買い物に行ってたんだけど、帰ってきたら玄関の鍵が開いててね。それで調べたらある物がなくなってたんだよ」

「それは確かに大事だな……。で、盗まれたのはなんだ? 金庫か? 宝石箱とか?」

 名雪はふるふると首を横に振る。

「もっとやばいものだよ……」

「もっとやばいもの……?」

 恐る恐る名雪は口を開き、

「なっ……!?」

 そのモノの名を聞いて、さしもの祐一も絶句した。

 

 

 

 

 

集まれ!キー学園

五十ニ時間目

「消えたオレンジ(前編)」

 

 

 

 

 

「秋子さん!」

 水瀬家に慌てて駆けつけた祐一が最初に見たものは、台所で呆然としている秋子の姿だった。

「秋子さん! しっかり!」

「あ、祐一さん……」

 肩を揺らしてようやくこちらに気付く。秋子のその様子に、祐一は名雪の言ったことに間違いがないことを悟った。

「本当に盗られたんですね……」

 こくん、と秋子が力なく頷く。

 その視線の先にあるのは冷蔵庫。そして盗られたものとは、

「私特性の甘くないジャムが……」

 そう、

 あの、

 最凶の、

 オレンジの、邪夢ジャムであった。

「くそ、誰がこんなことを……!」

「きっとあまりの美味しさに持っていったんだと思います」

「いえ、それは絶対にありえません」

「え?」

「あ、いえ、つい本音が……」

 ごほん、と祐一は仕切りなおし、

「ともかく、状況を詳しく教えてください」

「あ、はい。そのですね……」

 秋子が語ったのは名雪の言っていたこととほぼ同じだった。

 要約するとこうである。

「……つまり、帰ってきたら閉めていたはずの鍵が開いていた。でもここ以外に特に変わったところはない、と」

「ええ」

 ふむ、と顎に手を添えながら祐一は玄関に向かう。鍵の周辺を見るが、力尽くで開けたわけでないのは明らかだった。

 どう考えてもピッキング。しかもかなりのレベルの。

「この手際……。まさか折原兄妹か?」

「そういえばピッキングとかお手の物だったよねあの二人……」

 後ろから覗き込みながら名雪。ちゃっかり祐一の背中に抱きつく形で胸を押し付けていたりする。

「名雪。ちょっとひとっ走り浩平の家に行って聞いてみてくれ」

 それを力尽くで引き離しながら、祐一。名雪はむぎゅー、と顔を押されつつも嬉しそうな顔で、

「良いけど……。もし犯人だったとして素直に答えてくれるかな?」

「いや、もし家にいなければ十中八九あいつらが犯人だ」

「なるほど。それじゃあ見てくるよ」

 で、三分後。

「みさおちゃんはいたけど折原くんはいなかったよ」

「そうか。単独犯か……。いや、いくら浩平でも単独で秋子さんを敵に回すようなことはしないだろう。とすると……裏に誰かいるのか?」

 いくら浩平が馬鹿で先を考えない阿呆だとしても、さすがに秋子を正面から敵にするような暴挙は取るまい。

 となれば、絶対に単独犯ではない。

 そこまで考えると、祐一は一つ頷き靴を履きだす。

「行くぞ名雪」

「行くって、どこに?」

「決まってる。浩平を捕まえに行くんだ。あれが世間に出回ったらとんでもない事態になる」

 何を考えて盗んでいったか知らないが、あれは殺傷兵器と同レベルだ。あんなものが世間に出回ったらそれこそテロである。

 それだけはなんとしても阻止せねばならない。たとえ誰を敵に回したとしても、だ。

「良いけど……わたし力になれるかな?」

「いや名雪。お前の足の力がいまは必要だ」

「うにゅ!?」

 必要だ。祐一は確かにそう言った。

 必要だ。必要だ。必要だ。必要だ。必要だ……。(←脳内エコー)

 名雪は瞳を炎と変え、グッと拳を握り、

「うん! がんばるよっ!」

 インターハイに出場したとき以上の意気込みで頷いた。

 

 

 

「え? 浩平? 知らないけど」

 祐一と名雪はまず一番浩平を手なずけている瑞佳に声を掛けたが、やはりその行方は知らないようだった。

 瑞佳はパワーこそ頼りになるが探索のような足を使うものには向かないので、ひとますそこで別れ祐一は名雪と二人で捜索を開始する。

「うにゅ〜、祐一と二人きり〜♪」

「名雪、しっかり探せよ」

「わかってるよ! 祐一と、あとついでにお母さんのために頑張るっ!」

 本当に大丈夫か? とも思うがここは名雪のスタミナとスピードが絶対に必要だ。

 逃げる浩平を捕まえるとなれば祐一といえど単独では難しい。特に浩平はこの手のことに関してのみ頭がかなり回る。

「くそ、やっぱ手数はもっと多いに越したことはないか……」

 そう判断すると祐一は即座に携帯を取り出し、どこかに電話をかけ始めた。

「祐一?」

「協力してもらう」

「誰に?」

 祐一が手を掲げ無言で「待て」と示す。どうやら相手と繋がったようだ。

「杉並か。頼みがある。大至急浩平を見つけたい。……あぁ、あぁそうだ。詳しいことは言えないが、大至急だ。野球の件引き受けてやったんだからそれくらい協力しろ。良いな?」

 一回切り、もう一度コール。

「佐祐理さんですか? 祐一です。あ、いえ別に養子の決意をしたとかそういうんじゃなくて……ええ、そのちょっと協力して欲しいことが。

 はい。はい。……そのですね、浩平を大至急捕まえたいんです。協力を……はい、はい、ええ!? ……えー……わかりました。

 今度必ず朋也先輩と二人っきりに出来るよう協力しますから……はい、はい、はい。よろしくお願いします」

 よし、と頷いて祐一は携帯をポケットに仕舞い込む。

「これでしばらくすれば浩平の居場所はわかるだろ」

「非公式新聞部と倉田財閥の力があればそりゃあ人探しなんて簡単だろうね……」

 さすがの名雪も苦笑。まさか祐一がここまで本気になるとは思わなかったのだろう。

「確かにお母さんのあのジャムは強烈だけど、そこまでする必要あるのかな……?」

「なんとなく嫌な予感がするんだよ。少しでも手遅れになったらとんでもない大惨事になる、って予感が」

 そして、と横目で名雪を見て、

「……この手の予感はまず外れない」

「なるほど〜。祐一が言うと説得力あるね〜」

「お前もその因子の一つだと自覚してくれ」

「うにゅ?」

 と、名雪が首を傾げたところで携帯からコール音。

「うわ、もう!?」

「さすがだな……えーと、これは佐祐理さんだな」

 ディスプレイで相手を確認し、祐一は通話を押す。

「浩平の居場所わかりましたか?」

『余裕ですよ〜。折原さんの携帯の番号はわかっているので衛星から居場所をキャッチしましたー』

「衛星……って、あの衛星ですか?」

『最近打ち上げたんですよー。以前朋也さんを見失ったことがあったのでその教訓に。何か問題でもありますか?』

「いえ、変なこと聞きました。忘れてください」

 いくら倉田財閥とはいえ、まさかそこまでするとは思わなかった。さすがは佐祐理というか……いやここは倉田財閥が、だろうか。

 ともかく。

「で、どこですか?」

『商店街の方です。でも目印になるようなものがないので……そうですね。こっちで祐一さんの場所も把握してますのでこのまま声で誘導しましょう』

「そうしてくださると助かります」

『ではひとまず商店街までお願いします。あとはそこから誘導しますので』

「わかりました。それじゃあ一旦切ります。……名雪、商店街だ! 行くぞ!」

「了解だよ〜!」

 目標が定まったことで二人の走る速度が増す。

 祐一も相当速いが、それに息切れもせずついてくる名雪もさすがというべきか。というよりおそらくスタミナとトップスピードは祐一よりも上だろう。

 そうして全速力で走っていると、またコール音。今度は杉並だった。

「杉並か」

『折原氏の居場所は商店街のようです』

「ああ、こっちもそれはキャッチした。すまん、無駄足を踏ませた」

『そうですか、さすがは相沢氏。ではついでの報告を』

「ついで?」

『現在商店街付近には朝倉妹、月宮先輩、青山先輩、春原先輩、藤林先輩姉妹がいます。連絡が取れるようなら助力を請うのも一つの手でしょう』

「――」

 祐一は一瞬目を見張り、そして笑みを浮かべ、

「杉並! さすがだお前!」

『フッ、相沢氏にそう言ってもらえるのは光栄です。ご武運を』

 パタン、と祐一は携帯を閉じた。

 これだけの手札があれば十分だ。必ず捕まえることが出来る。

「逃がさないぞ、浩平……!」

 あのジャムだけは、絶対に使わせてはならないのだから……。

 

 

 

 浩平は、正直かなり怪しかった。

 多くの人が行き交う日中の商店街の中で、サングラスとマスク、黒い帽子という怪しさ大爆発の格好で、更に電柱から電柱へ身を隠すように渡り歩いていれば無理もないだろう。

 当人はうまく誤魔化しているつもりなのだろうが、どう考えても逆に目立っていた。

「よーしよし、誰にもバレてないな」

 また一つ先の電柱に身を隠しながら、浩平は周囲を見やってフフフと不気味に笑う。

 作戦はいたって完璧だ。このままいけば賞金は間違いなくゲットできる。

「しかしあの人もなんでこんな計画考えたんだか……。ま、良いか。俺は賞金さえ手に入ればそれで」

 既に道程は半分を終えている。このまま進めば問題なくミッションコンプリートとなるだろう。

 そう結論付けて、浩平は再び別の電柱へと移動すべく身を乗り出した。途端、

 

 ゴゥン!! という風切り音と共に目前を何かが過ぎ去った。

 

「……えーと?」

 状況を確認すべく、浩平はまず目の前を轟音と共に通過していったものを確認する。一つ向かいの電柱に辞書が突き刺さっていた。

 そして逆方向、飛んできた方向を見る。するとそこに立っていたのは、

「見つけましたよ、折原先輩!」

「あ、朝倉音夢……!?」 

 辞書を両手に構えた、何故か怒りの形相の朝倉音夢だった。

「相沢先輩からリークがありました。折原先輩が現在進行形でとんでもないことを考えている、と。

 ……私も半信半疑だったんですが、その格好を見るにどうやら間違いではなさそうですね。風紀委員として事前に止めさせていただきます!」

「はぁ!? 祐一!?」

 浩平はわけがわからない。どうしてここに祐一の名前が出てきて、しかもその祐一が音夢をけしかけてきているのか。

 確かに浩平はいまあるミッションを遂行中だが、これは所詮遊びであり祐一に迷惑を掛けるようなものではない。

 ……いや、あるいは、

「……これがこのゲームの本番、ってことか? つまりお邪魔キャラを封じてミッションを遂行せよ、と?」

 なるほどあの人物が考えそうなことだ。

 ……が、面白い!

「ふっ! 何のことを言ってるかわからんし折原先輩とかいう男が誰かは知らんが、この俺を止めることなど出来んぞそこな少女よ!」

「はぁ!? そんな変な格好をする人なんて折原先輩しかいません! というか声からして折原先輩じゃないですかっ!」

「NO! 激しくNO! 俺の名は――」

 腕を掲げ、足を開き、某仮面○イダーのようなポージングを決め込んで、

「美男子星からやってきた美男子星人! 略してビダンシー!!」

 ギュピーン! と後ろからそんな効果音が聞こえた……ような気がした。

 音夢は呆然と、

「……そんな馬鹿な宣言をしている時点でどう考えても折原先輩です」

「ノゥ!」

「それに美男子って……帽子にサングラスにマスクでその名前は説得力ないですよ」

「ビダンシーショーック!? だが負けん!」

 ビシッ! と浩平……改めビダンシーは音夢を指差し、

「この俺は誰の邪魔にも屈しはせん! 俺は俺のマイウェイを貫き通すだけだぜ!」

「俺のマイウェイって意味被ってるじゃないですか! ……って突っ込んでる間に背中向けて逃げてるし!?」

「ふはははははは! 三十六計逃げるに如かず! さらばだ風紀委員!」

「逃がすと……思いますかぁ!!」

 ゴゥ!! と唸りをあげて投擲されるはもちろん辞書。しかし浩平のこめかみにキュピーン! と光が走り、

「見える! 私にも敵が見える!」

 回避。

「く、まだまだぁ!」

 連続で辞書を投げ続けるが、まるで背中に目があるかのように華麗にかわされていく。というかこれらの辞書はいったいどこにあったのだろうか。

「当たりはせん! 当たりはせんぞ!」

「くっ、四天王の名は伊達じゃないですか……!」

 辞書を投擲しながら走っている分圧倒的に音夢の方が遅い。

「さらばだ風紀委員!」

「くっ……!」

 距離もだいぶ広がり、そろそろ射程圏内から外れようかというときに、

「うぐぅ! 浩平くん見つけたよ!」

 それは来た。

 近場の路地から浩平の行く手を遮るように滑り込んできたのは、

「お前は……怪盗あゆあゆ!?」

「うぐぅ!? 変な二つ名つけないでぇ! そういう浩平くんこそすっごいヘンテコな格好してるじゃないか!」

「NO! 激しくNO! 俺の名は美男子星からやってきた美男子星人! 略してビダンシー!」

「なんかよくわからないけど浩平くん、君を捕まえるよ!」

 スルーだった。

「何故!?」

「よくわからないけど、祐一くんが浩平くんを捕まえたらタイヤキを二十個も奢ってくれるっていうんだ! だから!」

 また祐一か。よくわからんが敵の首謀者は祐一のようだ。

 この時点で並の者なら全てを諦めるだろう。相沢祐一を敵に回すとはそれだけの意味がある。

 だが彼は折原浩平。彼の思考に諦めるという単語はなく、浮かぶのはただ一つ。

 相手にとって不足なし!

「フッ、お前にこの俺が止められるのか!」

「舐めないでよ! ボクはアメフト部のエースだよっ!」

「はっ! 理由は知らないが部員が全員ボロボロで夏大会出れなくなったアメフト部など敵ではないわー!」

 あゆは力を溜め込むようにグッと腰を下げ……そして、

「タイヤキよ、ボクに力を……!」

 爆発するように一気に地を蹴った。

「!?」

 超加速。それは一瞬浩平でさえ見失うほどのスピード。……だが、

「確かに俺じゃお前を捕まえることが出来ないだろう。が、しかし! 逆となれば話は別である!」

 浩平を捕まえるために両手を広げて高速で突っ込んでくるあゆ。だがその動きは、浩平にとって真っ直ぐすぎ(、、、、、、)た。

 突撃してくるあゆの頭に手を当て、あゆの手が浩平に届く前に――払う!

「うぐぅ!?」

「ランニングバックとしては優秀でも、タックルはまだまだだな!」

 横に払われバランスを崩しながらもあゆは転ばない。だがその間に浩平はその横をすり抜ける。その背中をあゆは見送り、悲痛な声で、

「うぐぅ! ボクのタイヤキ!?」

「残念だったな怪盗あゆあゆ! 恨むのならこの完成しつくされたビダンシーを恨め!」

 だがそれで終わらない。既に進行方向には誰かが待ち構えている。それは、

「お前は……同じクラスの青山!? なんで!?」

「祐一に頼まれて、ね。まぁあいつに貸し作れるんならラッキーだし、それに……」

 ニィ、と彼女――青山林檎は口元を釣り上げ、

「この破天荒なクラスに感化されてきちゃってるってことじゃない……のぉ!」

 向かってくる浩平に対し、踏み込んでの掌底。一朝一夕で身につくようなものではない鋭い一撃だ。どう考えても手加減一切なしである。

「おま、こんな真昼間に堂々と暴力か!?」

「常識ハズレってんならさっきの辞書連投の方がよっぽどそうでしょ! それにあんたがこの程度で沈むわけないでしょうに!」

「ちぃ! わかってらっしゃる!」

 かわせないと判断した浩平はその掌底を両手でガードする。が、

「おぉ……!?」

 身体が後ろに弾かれるほどの強烈な一撃。走っていたときの反動と重なって、数秒動きが止まる。

 そして数秒もあれば後方の二人は追いついてくる。

「捉えました、折原先輩……!」

「逃がさないよ、ボクのタイヤキ!」

「チッ……!?」

 音夢の辞書投擲、それを掻い潜って高速であゆが接近してくる。そして前では構えたままの林檎。

 絶体絶命。だが、

「こういう展開こそ燃える……!」

 浩平はこういう逆境にこそ燃え上がる男であった。

「行くぜ、俺のターン!」

 言うや否や、浩平はワンステップ後方に下がる。そこへあゆがタックルを仕掛けようとする。が、

「ふっ!」

 浩平はすぐさま前にダッシュ。

「フェイント!? でも……この程度!」

 そこはアメフト部エースのあゆ。咄嗟のコース変更もお手の物だ。しかも今回は前回の反省をいかし鋭角的に真横から攻めてくる。

「えーい!」

 あゆのタックルが見事に浩平に命中する。

「やった!」

「甘いな、あゆあゆ!」

「え……?」

 だが、これは全て浩平の思惑通りであった。

 あゆが横からタックルしたことで浩平は真横に吹っ飛ぶ。すると、浩平目掛け飛ばされた辞書が――全て林檎へ殺到する。

「「!?」」

 浩平がバックステップしたのはあゆに食いつかせるため、再び前方に走ったのは音夢の視界から林檎を隠すためだ。

 結果的にあゆは浩平を辞書から助けた形になり、目標を失った辞書はそのまま林檎へ飛んでいく。

「これしき……!」

 しかし林檎はそれら辞書を全て叩き落していく。林檎の格闘術は完璧だった。だからこそ浩平もこの手段を取った。

 だが、これで終わりじゃない。

「往生際が悪いわよ、あんた――ッ!?」

 横を向き浩平に追い討ちを仕掛けようとした林檎の動きが止まる。

 あゆ。放り投げられるようにして林檎の目の前にあゆの背中があったからだ。

「うぐぅ〜!」

「わ、ちょ、ちょっと!?」

 慌ててその背中を受け止めるが、突然のことに踏ん張りが利かず共々倒れてしまう。

「あゆ! お前もう少し太らないと軽すぎて簡単に投げられちまうぜ!」

 浩平はその隙に逃亡。実に見事と言わざるを得ない手腕だった。

 タックルを利用し辞書を回避、その後あゆを強引に引っぺがし林檎に向けて放り投げたのだ。

 飛んで来た辞書に意識を取られていなければ林檎はあゆを潜り抜けて浩平に接近も出来ただろう。だがそうはならなかった。

 現在ある全てを利用しての状況回避。こと勝負ごとに関しては頭が数倍に切れる。それが折原浩平という男なのだ。

「はっはっはっ! 個々の能力が高くともこの俺、ビダンシーを止めるにはやや役者不足だったな!」

「見つけたぞ折原! お前を止めたら僕に合コンのセッティングをするって相沢が言ってたんだ! お前を止めて僕は――」

「問題外!! さようなら春原先輩ビダンシーキーック!!」

「ぐはぁぁぁ!?」

 不意に出てきた人がいきなり消えていった。それだけのことであった。

「しかし春原先輩まで駆り出すとは……相当手詰まりなのか祐一は? というか何故そこまで必死になるんだあいつ……?」

「見つけたぞ、浩平!」

「む、この声は……!」

 横手。脇道のその向こうに、その相沢祐一と水瀬名雪がいた。

 本命の登場である。

「祐一か……! 正面激突は久しぶりだが……、まぁ良い。どうして本気なのか知らんが、いまはこの状況を楽しむ!」

「浩平、お前を逃がすわけにはいかない! 名雪!」

「うん、任せて!」

 祐一の横から名雪が一気に加速。

 いままでずっと祐一と一緒に走ってきた疲れなどまるで感じさせず、驚異的なスピードで浩平に迫っていく。

「水瀬か。確かにそのスピードは厄介だが……その程度で俺を捕まえられると思ってるのか?」

「まぁ、確かにいつものわたしなら浩平くんには敵わないだろうけど……でも今日のわたしは一味違うよ!」

 名雪の瞳の中で炎が巻き起こる。

「な、何があったか知らんが燃えてるな……。だが、そう簡単には!」

 浩平は足を止めない。いくら名雪の方が速いとはいえ足を止めたら後方からの辞書投擲の的である。

 それに名雪はあゆと違ってタックルなんかの方法もわからない。追いつかれたところでたいした脅威にはならないはずだろう。

 と、浩平は踏んだが、

「おりゃー!」

「おおぅ!?」

 思いっきり突っ込んできた!

 慌てて回避する。転ぶ危険性も考慮してないど直球な体当たりはそのままズベー! と地面へスライディングする結果に終わった。

 いまモロに顔面から行ったが大丈夫か……? さすがの浩平もそう不安に思ったが、

「ふんっ!」

 名雪はすぐさま起き上がって再び追いかけてきた。

「おいおいおいおい! マジで何があったお前!? なんか今日ハンパじゃないぞ!?」

「祐一にとても嬉しいことを言われたの! だから……負けない!」

 目が本気だった。というかめちゃめちゃ怖い。

 若干恐怖を交えつつ再び逃亡を開始。だが、すぐに状況が変わったことを悟る。

「……なんだ? 空気が変わった?」

 というより人が減った。追っかけてきているのが名雪とあゆだけになっている。

 足に自慢のある二人だ。他のはついてこれなくなった……?

「いや、祐一とは良い勝負だしそんなことはないだろ。とすると……なんかの罠か?」

 その可能性が一番高い。ならば何をしてくる? 何を狙っている? 祐一なら……?

 そうして模索していると、不意に着信音。だが浩平のではない。これは、あゆと名雪のだ。とすると、

「合図……? 何か来るか?」

 あゆと名雪は携帯を確認もしない。やはり何かの合図だ。あゆと名雪は二人頷き合い、

「「せーの!」」

 一気に左右の路地へ駆け込んでいった。

「はっ……?」

 一瞬わけがわからず、その二人の背中を目で追ってしまう。それこそが浩平の油断であった。

「えい」

「はっ? え? おぉぉぉ!?」

 足元に何かの感触を感じたときにはもう浩平の身体は完璧にバランスを崩し、前のめりになっていた。

 足元には、引っ張られた縄。

 片方は電柱に括り付けられ、反対側でこれを引っ張っているのは、

 ――藤林椋先輩……!? こんな人まで!?

 というかなんという典型的なトラップか。だが名雪たちの突然の動きに目を奪われていた浩平にはそれを避けることはできなかった。

 転ぶ。

「こなくそ……!」

 だがその寸前で浩平は手を付き、前転の要領で受身を取る。

「どうだ!? って嘘!?」

 だがタイミングを見計らったかのように、そこへ前方から辞書が飛来してきた。 避けられない。

「がふっ!?」

 思いっきり顔面にヒット。帽子とサングラスが吹っ飛んだ。

「いつの間に朝倉音夢が前に回りこんだんだ……! だがいつも長森にボコられて体力のついた俺をこの程度の一撃で……って、え?」

 痛む顔面を押さえながら前を見たら、そこにいたのは音夢ではなかった。

 辞書を片手に不敵な笑みを浮かべているのは――、

「悪いわね。あんたに恨みはないけど、これも朋也とのデートのためよ」

「なっ……!?」

 藤林杏。

 なら音夢は、と考えたところで今度は背中に激痛が走った。

「ぎゃー!」

 コテン、と横に転がる辞書。恐る恐る振り向けば、

「追い詰めましたよ、折原先輩」

 朝倉音夢がそこにいた!

「……えーと、つまりなんだ。俺はキー学の辞書シスターズに包囲されたってことか?」

 それを肯定するように、

「沈みなさい、折原!」

「もう逃がしませんよ!」

 前後から怒涛の辞書波状連打が放たれる!

「ちょ、ま、待て! 待って! いくら俺でもこれはきつい! いや無理! 無理ですかわしきれませげふぅ!? ご!? ま、待ってうぎゃー!」

 絨毯爆撃のような辞書の乱打にさしもの浩平も回避不能のようだ。

 いや、それでも半分以上回避している時点で凄いし、この辞書を十発近く喰らってもまだ動けるあたりさすがとしか言いようがない。

「ま、待て!? げ、限界! ぐはっ!? ギブ! ギブアッぷるぁ!? すんません、許し、マジで許して……ぐふっ」

 二十発近く受けたところでようやく膝から崩れ落ちた。これで動きは止められたと杏と音夢の投擲が止まる。だが、浩平の目は死んでいなかった。

「……ふっ、この程度でやられる折原浩平改めビダンシーではないわ! というわけですぐさま逃亡!」

 あれだけの猛攻を受けながらすぐに立ち上がり走り出そうとするのはまさに驚嘆に値する。さすがは四天王だろう。

 だが甘い。彼の相手もまた四天王の一人である。

「俺がその程度読めないと思ったか、浩平!」

「ゆうい――げふぅッ!!?」

 その進路方向に既に祐一がいて、後方に林檎。そして挟み込むようにダブル掌底。鳩尾に両方ぶち込まれ、浩平はようやく力尽きて倒れた。

 決着である。

「ったく、てこずらせやがって……」

 パンパン、と汚れを払うように手を叩き祐一は聞くも重苦しい溜め息を吐いた。

 そんな祐一に地べたで小刻みに震える浩平はやや涙目で、

「あ、あの……祐一さま? わたしくめは……ゴホッ、ここまでやられることを何かしでかしたでしょうか……?」

「あぁ?」

「ちょ!? なんかすっげぇ怖い低音の響きなんですけど!? 何をそんな激しく怒ってらっしゃるのですか!?」

「この期に及んでまだとぼける気かお前」

 片膝を着き浩平の胸倉を掴み上げる。

「さぁ吐け。秋子さんのジャムを盗んで何をするつもりだった?」

 それを聞いた浩平はたっぷり十秒ポカーンとして、

「………………はぁ?」

 わけがわからない、というように首を振る。

「ちょ、ちょっと待て。俺には何がなんだかさっぱりわからないぞ……?」

「あのピッキングの手際の良さはお前しか考えられん。さぁ吐け。秋子さんのあのジャムをどこにやった!」

「じゃ、じゃむ? それってあのオレンジのか?」

「そうだ」

「いや、マジで知らないんですけど……。っていうか俺があの秋子さんを敵に回すわけないじゃん」

「……?」

 どうも嘘を言っているようではない。しかしそうなると問題が一つ。

「……じゃあお前なんで逃げてたんだ?」

「やー、それはちょっと別件で」

「別件?」

「あぁ。よくわからないんだけどな。秋生さんに頼まれて」

 ピクリ、と祐一が反応する。

「待て。秋生さんにいったい何を頼まれたんだ?」

「やー、それは男と男の約束だしそう簡単に吐くわけにはいかないっていうのは嘘です嘘ですからその振り上げた拳をストップストッープ!!」

 祐一の拳が解かれるのを浩平は確認しながら、諦めたように嘆息し、

「ゲームをしてたんだよ。誰にも気付かれずに時間内に規定のルートを通って所定の位置まで来ること、ってな。無事達成できたら賞金っていう」

「……はぁ?」

「いや、俺もそれ聞いたときは半信半疑だったんだけどさ。前金ってことでいくらか貰ってたし、暇だったからそのゲームに付き合ったんだよ。

 そしたら途中でお前たちが俺の邪魔をしてきたから俺はてっきりこれが秋生さんの仕組んだものだと思ってたわけなんだが……」

「……浩平」

「な、なんだよ」

「お前、なんで気付かない」

「は?」

「……囮に使われてたんだよ、お前」

「…………へ?」

 唖然とする浩平を離し、祐一は舌打ち一つ。

「くそ、真犯人は秋生さんか……!」

 事件は……まだ解決していない。

 

 

 

 あとがき

 はい、こんにちは神無月です。

 さて、今回はかーなり激しかったというか騒ぎましたね。これだけ多くのキャラが騒がしく動き回るのも珍しいかも?

 さぁジャム話です。もうKanonの二次創作にとって切っては切れないものかもしれませんね。キー学も例外ではなかったようです。あ、神魔は別。

 そして今回はちょっとしたトリックで。犯人を浩平と思わせて実は別人だった! というオチにさせました。どうでしたでしょうね?

 で、犯人があの人ということは彼や彼女も次回からこの騒動に参戦することになりますよ〜。今回は取引材料だけでしたがw

 お楽しみにw

 

 

 

 戻る