そろそろ七月も迫ってきたと実感できるいやーな暑さの六月の末。
「あー、疲れた……」
そんな日の放課後、もう授業も終わり人も少なくなってきた廊下を、岡崎朋也は憔悴しきった面持ちで足を引きずるように歩いていた。
顔を俯かせ、肩も落とし腕もぶらぶら。まるでどこぞのゾンビのような緩慢な動作である。というのも、
「ったく。演劇なんて不慣れなもんいきなりやれっつーのが無理あんだよ……」
そう。朋也はついさっきまで演劇部で今度やる演劇の練習をしていた。
とはいってもまだ題目は決まっていない。いくつか候補があるらしいのだが雪見は、
「駄目。あなたには見せられない。却下よ却下。ほら、あなたはボイストレーニングでもしてて!」
なんてのたまい、部員同士の話し合いから遠ざけるので朋也は候補さえ知らない状態である。
で、日頃から運動をしているのでいまさら体力作りやスタミナの向上が必要のない朋也は、やっている練習も基本的なボイストレーニングや軽い演目の演技練習程度のものなのだ。
……とはいえ、だ。多人数の前で演技をする、というのは慣れない者にとってはかなりの精神的負担になる。
朋也はそれでも雪見や渚の目論見通り十分すぎるほどの演技力を発揮したが、イコール疲れないというわけではない。
だからいま朋也は精神的に大きく疲弊した状態であると言える。
「バスケの地方大会も近いし、その上野球のことまで引き受けちまったのは安請け合いだったかなぁ……」
なんてもう数日前のことを後悔しはじめつつ廊下の角を曲がる。と、
「おぉ……?」
突如目に眩しいほどの輝きが視界に入ってきた。
何かのライトを見たとか、雷が落ちたとかそういうわけではない。
ピカピカなのだ。廊下が。
まるでワックス掛けをした後のような……いや、それ以上に綺麗に磨かれている。まるで漫画やアニメの世界のように壁や床が光を放っていた。
「あら、岡崎くん。まだ学校にいたの?」
「ん?」
輝きを放つ廊下の先。
そこでガラスを雑巾掛けしている少女を見て、朋也は納得した。
めちゃくちゃ手入れの大変そうなツインロールの髪を揺らせ、どういうわけか侍の刀のように背中に箒を差し、頭には何故かネコ耳カチューシャ。
そんな超個性的な格好を、見違えるはずがない。
「高橋か」
「あ、その呼び方やめて。平凡すぎて嫌いなのっ」
少女は雑巾から片手を離し自分を指差して、
「わたしのことは未流。もしくは『みるきー』って呼んで♪」
ウィンクをする少女の名は高橋未流。
誰もが知る『箒の魔女』その人である。
集まれ!キー学園
五十一時間目
「その名は箒の魔女」
高橋未流。通称、みるきー。
趣味は掃除。特技も掃除。掃除で班別で行動するとき彼女がいれば大助かりだと誰もが言うらしい。
非公式でお掃除部なるものを作るほど掃除が好きだという一風変わった女子である。まぁ見てくれは一風どころではないのだが。
でも実はキー学に多く存在する非公式部活の中でも特報部(旧・新聞部)などと肩を並べるほど有名な部活だったりする。
……まぁ風紀委員や中央委員、生徒会に睨まれている、という意味でだが。
さて、普通ならここで疑問が思い浮かぶことだろう。
学校をここまで綺麗にするお掃除部が部員数もそれなりにいるのに何故非公式で、かつそれらに睨まれるのか、と。
その実態は、いずれ明らかになる。
まぁいまはそんなことより、だ。
「……高橋」
「未流! もしくはみるきー! もう、せっかく同じクラスになれたんだからそれくらいは良いと思うよ?」
「たか――」
「み・る! おあ、み・る・きー! オーケィ?」
「……未流」
「はい。なんですか岡崎くん」
ニコニコ満面の笑みを見せる未流を朋也は半目で眺め、
「その格好はなんだ?」
「はい?」
未流は自分の姿を見下ろし、
「何か問題あるかな?」
「何か問題はないのか」
「ある?」
「あるだろ」
「どこが?」
朋也が言っているのは彼女の髪形や箒などといった普通(なことでは、もちろんない。
朋也の指しているものは、未流の服装(だ。
「……なんでメイド服なんだ」
「ほえ? 何か問題でも?」
本当に何もおかしなところを感じでいないかのように首を傾げる。いや、実際彼女からすればまさに普通なのだろう。これが。
「ここはどこだ」
「国立キー学園だよ?」
「制服はどうした」
「部室」
「待て。非公式なのに部室あるのか。というかもしかしてそのメイド服は部活用のコスチュームか何かなのか?」
「第一の質問に関しては、イエスと答えます。で、第二の質問には……むしろ他にどう見えるの?」
コスプレ、と言いそうになったがそんなことを言ったら下手なツッコミが来そうなので口をつぐんだ。
だが未流は察したのか、身体を引き、
「やだ、もしかしてイメクラとか思ってないよね……?」
「思ってねぇ!! つか飛躍しすぎだろ!? 真っ先に思い浮かぶのはコスプレくらいにしとけ!」
「どっちもたいして変わんないとは思わない?」
「全然違うわっ!」
まったく、と朋也は嘆息一つ。
「……まぁ制服を汚すのはまずい、ってのはわかる。しかし、なんでメイド服なんだ」
「決まってるじゃん。機能性に優れてるからだよ」
しゃらん、と未流はその場で回ってみせる。膝丈のスカートがフワリと揺れて、朋也は慌てて視線を逸らした。
「軽くて動きやすし、なによりエプロンもあるし汚れても問題ないからね。機能性と可愛さも兼ねて、ってところかな。……ってどうしたの視線逸らして」
「動きが軽率すぎる」
首を傾げる未流だが、それは一瞬。何かに気付いたようにポンと手を打つとおもむろにスカートの両端を掴み上げ、
「見たい? ガーターしてるけど」
「見せるな! というか機能性重視なのにガーターは必要なのか!?」
「大きな動きをしてるとずれてくるんだもん。そういう意味では必須でしょ? で、見たい?」
「しつこい。というより見たいって言ったら見せるのかお前」
「え?」
にゃはは、と笑って、
「見せるわけないじゃん。変態って蔑んであげようと思って」
「……お前、思いのほか性質悪いな」
「よく言われるのー♪」
「誇らしげに言うな」
なんか佐祐理と竹丸を足して二で割ったような性格だと思うのは気のせいか。いままでそれほど話をしたことはなかったが、こういうタイプの人間だとは思わなかった。
これ以上そんな面々と関わるのはよろしくない。純一ではないが、平穏が一番なのだ。朋也はそう強く思う。よって、
「ま、ともかく頑張れ。俺はもう行く」
ここで話は打ち切って帰ろうと未流の横を通り過ぎて、
「あ、待って」
「ぐはっ!」
その歩みは襟首を掴まれ首が絞められることにより止められた。
げほ、ごほ、と朋也は思いっきりむせて、物凄い勢いで振り返る。
「何しやがる!」
「そこはいまお掃除が終わったばっかりな場所なの。乾くまでは絶対に歩かないで」
だが下駄箱に向かうにはここを真っ直ぐ行くのが最も早い。ここが通行止めとなると反対方向からぐるりと一周しなくてはならないのだが……。
チラッと横目で未流を見やれば、彼女はニコニコしている。
が、その笑みを見て、不意に朋也は佐祐理を思い出した。
『もし進んだら……どうなるかわかってる?』
そう目が告げている。いつも佐祐理と接しているから間違いない。この笑顔はそういう類の笑みだ。
行けば殺られる。
こうなれば止むを得まい。命あっての物種だ。疲れてはいるが遠回りをしよう。
……そうやって堅実な道を選ぶのは、もう朋也の習性なのだろう。
「わかった。あっちから帰るから手を離してくれ……」
「ごめんね? あ、代わりじゃないけどお触りでもしてく?」
「いい加減イメクラから離れろ!」
「あ、ばれた? ちぇ、かの四天王岡崎くんが無抵抗の女の子にボインタッチ! とか特報部に良い値で売れそうなのに」
いつの間にか、雑巾を持っているのとは別の手にカメラが握られていた。
どこから出した、とかボインタッチって古いだろ、とかいろいろ突っ込みどころ満載だが、聞くことはしなかった。きっとそれは知らない方が幸せなことなのだろうから。
だが、ちょっと気になるのが、
「特報部とは付き合いがあるのか?」
「まぁ同じ非公式の部活だし、結構お付き合いはあるねー。二年の詩子ちゃんとは仲良いよ? 横の繋がりって大事だよね」
「横の繋がり、ねぇ……」
「ほら、やっぱり立場が弱い組織は協力し合わないと」
「弱い組織、ねぇ……」
はたして特報部もお掃除部も『弱い』という括りに入れて良いものかどうか。むしろ『凶悪』すぎるから外されたんじゃ?
「どうかしました?」
「いや、なんでもない。ちょっと考え事してただけだ」
「そう。疲れてるんじゃない? マッサージでもしてあげようか? こう、手取り足取り……」
「断る。お前は早く掃除を終わらせちまえ。いつまでも廊下を占拠してたら迷惑だぞ」
「はーい」
つまんないの〜、とか呟きながら未流は屈み込む。きっと足元のバケツで雑巾をゆすぐのだろう。
ご苦労なことだな、と思うが好きでやっていることだ。自分が口出しすることじゃないだろう、と朋也も踵を返す。
妙に疲れが増したような気もするが、気のせいと信じて帰ろう。飯を食ったらすぐ寝るか、なんて考えていると、
ドドドドドドド……。
「ん……?」
妙な騒音が耳に届く。しかもそれは徐々にこちらに近付いてきていて……?
「……なーんか嫌な予感するな」
杞憂であれば良い、と思うが本当に杞憂で終わらないのが四天王の四天王たる所以かもしれない。
ドドドドドドド!
もう既に音源は間近に迫ってきている。こっち側の廊下を進めない以上、どうやら遭遇は免れないようだ。
「せめて面倒なことにならなきゃ良いんだけどなぁ」
「お、おおおお! 天の助けぇぇぇ!!」
「ってよりにもよってお前かよ……」
必死の形相でこちらに爆走して来ているのはなんと春原陽平だった。
「待て春原ぁぁぁ!」
「逃げてんじゃねぇぞゴラァァァ!!」
で、その後ろから彼を追っているのはどうやらアメフト部の皆様である。
「またかよ……」
思わずぼやく。まぁいつものことではある。ただいつもと違うのは、陽平がここまで逃げ切っているというところか。
面倒な。
「助けてくれ岡崎ぃぃぃ!」
「俺がお前を助けると思ってるのか。というか俺を巻き込むな。というか勝手にやられてしまってくれ」
「あんた親友に対してその言い草はひどすぎませんかねぇ!? 全部おざなりすぎ! 仮にもチームメイトですよ!? 身体を気遣うとか――」
「代わりだし大丈夫だ。また代わりを用意すれば問題ないだろ」
「あんた悪魔だよッ!?」
陽平も朋也が救い手にならないとやっと悟ったのだろう。朋也をスルーして奥の廊下へ逃げ込んで、
「あ」
気付く。そっちは未流が掃除をして『決して足を踏み入れるな』と言った場所だ。
「おい春原。そっちに行ったらとんでもなくやばいことになるぞ。悪いことは言わん。止まれ」
「止まったら死んじゃうんですよわかってるでしょ!?」
「そうか。ならもう何も言わねーよ」
言うだけは言ったんだ。もう責任はないだろう。
「騒がしいなぁ、もう。一体なん――」
「うぉぉぉぉぉ!?」
「で、すか……、あ?」
掃除に集中していてこれまでまったく気付かなかった未流が振り返ると同時、陽平が廊下に足を踏み入れた。
ピカピカだった廊下に、くっきりと足跡が着く。
そして数秒も開けずアメフト部の連中まで雪崩れ込み、一層廊下は踏み荒らされていく。
彼らが走り去った後には先程までの綺麗な廊下は土埃にまみれ……もう見る影が無かった。
「……」
ボタッ、と。未流の手から雑巾が零れ落ちる。
身体が小刻みに震えている。気のせいか黒いオーラまで見えてきた。
「……ふふ、フフフフフフ」
ゆらりと未流が足を踏み出し、背中の箒に手を掛ける。
確信する。あれは本気だ。
朋也は胸で十字架を切り、せめて祈った。
せめて死人は出ませんように、と。
陽平は逃げていた。
追ってきているのはアメフト部。発端はわからない。陽平はただ自室でボンバヘ! を大熱唱していただけなのだ。
そうしたらうるせーだのなんだのと言っていちゃもんをつけてきて、条件反射でこうして逃げているだけなのだが。
「ああもう! どうして僕だけこんな目に合わなくちゃいけないんだ!」
しかし今日は一味違う。今日は上手く逃げられている。いつもいつもやられ役のようになっているわけではないのだ。
「追いつけるものなら追いついてみろってんだ!」
息巻きつつ後ろを振り返って、
「……あれ?」
いつの間にか、アメフト部員たちがいなくなっていたことに初めて気が付いた。
「へ……?」
足を止め、よーく廊下の先を見てみる。
それでも、やはり誰もいない。
「もしかして上手く撒けたかな? それとも諦めたとか? ハハ、まったくアメフト部とはいっても体力のないやつらはこれだから!」
そんな挑発めいたことを口にしても、何の反応もなかった。どうやら本当にいなくなったらしい。
「ふぅ、これで一安心だね。それじゃあとっとと帰ってもう一度ボンバヘ! でも歌おうかな〜」
なんて暢気に鼻歌なんかを口ずさみつつ、来た道を戻る陽平。
だが廊下の角を曲がったところで、不意に誰かに激突した。
「いって! ……誰だよ、ちゃんと前見て歩け……って、アメフト部!?」
「す、春原!?」
それはさっきまで陽平を追っていたアメフト部員の一人だった。
いなくなったんじゃなかったのかよ?! と心中で叫びながらも陽平はすぐさま逃走体勢に移行する。
だが次の瞬間アメフト部員の口から放たれたのは陽平にとって予想外のものだった。
「ま、待ってくれ! 助けてくれ!」
「へ……?」
何言ってんだこいつ、と振り返った瞬間、
「――ッ!?」
陽平の心臓は確実に数秒間止まった。
こっちに必死の形相で手を伸ばすアメフト部員のその……背後。
そこに、目を真っ赤に光らせた鬼がいた。
「クス。見ぃ〜つけた……」
「ひ、ヒィィィィィィィィィィィィィ!?」
日頃から逃げ慣れている、それは陽平の条件反射だったのだろう。何事かを認識するより先に身体が反応し、陽平はすぐさま踵を返していた。
「おい! 春原待ってくれ俺を一人にしないでく……あ、やめ、やめてくれ……! わ、悪かった俺がわるか……ぎゃぁぁぁぁぁぁあああ!?」
「ヒイイイイイ!?」
背後から聞こえてくる断末魔に、湧き立つ怖気。陽平はただがむしゃらに足を動かしその場から逃げ出した。
「なんだよあいつ!? 何なんだよ一体!?」
階段に差し掛かり、陽平は下へ向かおうとする。しかし、
「フフフ」
下の階段の踊り場に、どういうわけかさっきの影が立っている。
「ヒィ?!」
陽平は慌てて階段を上へ上へと駆け上がり五階で再び廊下に出た。六階は生徒会室と裏生徒会室しかなく、隠れるには不向きな階だからだ。
反対側の階段から一気に降りようと考えそのまま廊下を走るのだが、角で不意に人影。
「ヒィ!?」
「うぉ!?」
飛び退く陽平。だが相手も同じ行動を取った。
「え……?」
よくよく見れば、それはあの影ではなくアメフト部の一人だった。どうやらまだ生存者がいたらしい。
「て、てめぇ脅かすなよ!」
「そっちこそ!」
二人で言い合い、次の瞬間二人は同時に自分の口に指を立て、静かにするよう促した。
互いに自分の後方を見やり……誰もいないことを確認し、安心する。
「なんだよ、お前も逃げ延びてたのか」
「そういうアメフト部はどうなんだよ!?」
「……多分俺以外は全員やられたな」
「えええ!?」
あの屈強なアメフト部が全滅……? 陽平には俄かに信じられない。というより、
「そもそもあいつ何者だよ……!」
「え、お前知らないのか!? だって同じクラスだろう!?」
「へ、同じクラス……?」
というよりあれは人間だったのか。それが何より陽平には驚きだった。
「……本当に何も知らないんだな」
「なんだよ、僕にも教えてよ」
「……わかった。とりあえず歩きながら説明してやる。だから立て。一箇所に留まってるのは危険すぎる」
「お、おう」
進むアメフト部員を見て陽平も慌てて立ち上がり、追いかけた。
「あいつは高橋だ。高橋未流。お前と同じクラスの女子生徒で、非公式お掃除部の部長。またの名を『箒の魔女』」
アメフト部員が用心深く周囲を警戒しながら廊下を進む。
「箒の魔女……? どっかで聞いたことあるかも」
「さすがにお前もそこだけは聞き覚えがあるみたいだな。どうやら俺たちは、いつの間にかこの学園で最も危険な禁忌の一つを破っちまったようだ」
「禁忌?」
「ああ、そうだ。つまり俺たちはあいつが掃除していた場所に足を――」
ガラガラガラーッ!! と不意に横手のドアが開いたのはその瞬間であった。
突如開かれたドアから一本の腕が伸び、アメフト部員の頭をガッチリ掴むとそのまま教室の中に引きずり込んで再びドアが閉められる。
「なっ……」
あまりに素早い出来事に思わず呆然とする陽平と、
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
教室から響き渡る断末魔。肩を揺らす陽平が見上げれば、その特別教室は家庭科室。
包丁やナイフなどが敷き詰められた……魔の空間。
「あ、ああ、あ、……ああ」
無意識に後ずさる陽平。と、その目の前で今度はゆっくりとドアがスライドして、
「うふふ。……あと、一人」
そこから顔半分だけを覗かせた何かが、爛々と輝く狂気の瞳でこちらを見た。
「ヒィィィィィィィィィィ!?」
あまりの恐怖に立ちすくみ、どういうわけか足が動いてくれなかった。どうにか動かそうと悪あがきをしても、足がつんのめって転ぶだけ。
その間にもその影……高橋未流はそれこそゆっくりとドアを開き、同じように緩慢な動作で廊下に出てきた。
遅い歩みはまるでこちらの恐怖心を煽るかのように、ひどく拙い。
そんな彼女の右手には箒。左手には……いままさに吸い込まれていったアメフト部員が引きずられていて。
「うわぁぁぁぁ!?」
陽平の悲鳴と同時、アメフト部員の頭が離され身体が廊下に沈んだ。……ピクリともしない。
直視できず思わず振り向き、四つんばいのままどうにか逃げ出そうとする。だが、
「ねぇ、どこに行くの?」
その声は、後ろ(からではなく前(から聞こえてきた。
硬直する陽平。嫌な汗が垂れ、唾を飲み込み、……そして恐る恐る見上げれば、
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
そこに、高橋未流がいた。
「ぼ、ぼぼぼ、僕が一体何をしたって言うんだよぉぉぉ!?」
あまりの恐怖に半ば錯乱しながら訊ねる。すると未流は妙に重くてゆったりとした動作で一歩近付きながら、
「あなたたちがわたしが綺麗にした場所を穢していったのよ……」
「な、なんだよそれ!? よくわかんないけどそんなことでこんなことしてんのかよ!?」
一歩。
「ふ、フフフフ、フフフフフフフフフ。こんなこと? こんなことかぁ。。……むしろこんなの蹂躙され、穢された廊下に比べれば瑣末なことよ……」
「ろ、廊下!? 何言ってんだよお前……!?」
更に一歩。
「でもこれで最後。あなたも綺麗にしてあげるわ」
「綺麗に、って……」
もう一歩。
距離が、完璧に縮まった。
「……ええ、やっぱり消しちゃうのが一番のお掃除だよね? この地球にとって」
ニィィィ、と。あまりに歪んだ笑みを浮かべ、振り上げられる箒。
ただの箒と侮るなかれ。彼女の箒による一突きは、尋常ではない被害を与えるともっぱらの噂だ。
それを知らないはずの陽平だが、やられ慣れている彼にはなんとなくその危険度を本能レベルで察知したのだろう。
必死に後ずさりながら、歪んだ笑顔をどうにか浮かべ止めさせようと説得する。
「ま、待て! 話し合おうよ! そう、平和的解決を……!」
「フフ。……さぁ、お掃除を始めましょうか?」
だが、彼女の耳にそんなものが届くはずもなく、
「ぎ、ぎゃああああああああああああああああああああああああああああ!?」
悲鳴が、響き渡った。
ズン!!! という地響きが上の階から聞こえてきて、朋也はゆっくりと天井を――その先にあるであろう悲惨な結果を想像し、首を振った。
「さようなら、春原。アメフト部の諸君も。どうか安らかに……」
しばらく黙祷し、そして朋也は上履きを履き代えるとそのまま学園を後にした。
高橋未流。通称、みるきー。またの名を『箒の魔女』。
趣味は掃除。特技も掃除。掃除で班別で行動するとき彼女がいれば大助かりだと誰もが言うらしい。
非公式でお掃除部なるものを作るほど掃除が好きだという一風変わった女子である。まぁ見てくれは一風どころではないのだが。
普段は明るく快活で、若干飛んだ話し方をする、キー学においては割かし多くいる若干変な人種なのだが、ある場合にのみその性格は一変する。
それは彼女が掃除した場所を誰かがすぐさま汚した場合、である。
その場合、未流は必ず相手を粛清する。どれだけ逃げても、どれだけ戦おうとしても、誰も敵うことはない。
まるで魔法のように消え、幽霊のように現れ、亡霊の如く対象を追い込んでいく。一度目をつけられたら、逃げることは絶対に不可能。
彼女の箒は鉄をも砕き、いかなる攻撃も当たらない。
最後には捕まり、そして粛清されるのだと言う。
どこまで本当かは、わからない。あくまで囁かれる噂でしかないのかもしれない。
その被害にあったと思われる者も、決して彼女のことを口にすることはないという。だからこそ噂の域を出ない。
でも、その呼び名は存在する。誰が最初に言い出したのかはわからないが、彼女のことをキー学園の生徒はこう呼ぶ。
箒の魔女、と。
「さーて。またお掃除をしなきゃだね。……フフフフフ」
あとがき
えー、どもー神無月です。
さて前回のあとがきにも書いたように今回は野球から離れオリキャラ中心の話となったわけですが。
はい。今回のメインは高橋未流です。キー学用に神無月が作ったオリキャラとしては老船の次の出番かな?
で、彼女の性格は……まぁ今回の話の通りです。普段は明るくてひょうきんなんですが、あることをしてしまうと……ってね。
後半はホラー系の音楽をBGMにして読んでくだされば面白さ倍増かも?w
で。次回もまた野球の続編ではありません。どんな話になるかは次回のお楽しみということで。
ではまた〜。