六月。
それは梅雨の季節。
六月。
それは祝日がない学生の敵。
六月。
それは――、
「衣替えの季節じゃ――――――っ!!」
ざぱーん! と、断崖絶壁で吼える男の背に波が押し寄せる(※幻覚です)。
その男、南森はやにわに机の上によじ登ると天井をビシッと指差した。
「諸君、私は衣替えが好きだ。諸君、私は衣替えが大好きだ。
薄くなる生地が好きだ。
うっすらと浮かび上がるブゥゥゥラが好きだ。
半袖から覗く二の腕が好きだ。
開放的になるこの季節が好きだ。
学園で、店で、駅前で、道端で、この地上で行われるありとあらゆる衣替えが大好きだ」
「「「衣替え! 衣替え! 衣替え!」」」
なんか演説モードに入った南森の足元にはいつものメンバー、南や中崎や御堂らが集結している。
「よろしい ならば衣替えだ。
我々は渾身のリビドーをこめていままさにユートピアへ吶喊せんとする飢えた狼だ。
だがこの長い月日の間待ち続けてきた我々にただの衣替えではもはや足りない……」
カッと目を見開き仰々しく両手を掲げ、
「大衣替えを! 極楽狂乱の大衣替えをぉぉぉ!!!」
「アホなことわめくのはいい加減やめなさいよね」
「おぉぉ!?」
ガツーン! と、言葉を遮るように南森の机が蹴り飛ばされた。
しかもよほど威力が高かったのかまるでダルマ落としのように机だけが吹っ飛び、南森一時滞空。とはいえ万有引力の法則に勝てるはずもなく、
「アォ!?」
そのまま墜落した。しかも隣の席に頭をぶつけて盛大に。
「ぬぉぉぉぉ、首、俺の首がぁぁぁ!?」
そのまま転がり回る南森に、人影が落ちた。
机を蹴った張本人、美坂香里である。
「あんたたちって……ホントいつになってもその調子なのね」
衣替えになり制服が半袖の白ブラウスに変わっている。だがその様は南森たちが思い描いた理想郷からはかけ離れていたと言えよう。
なぜなら、ブラウスの上からサマーセーターを羽織っていたのだから。
否、香里だけではない。
このクラスにいる女子、そのほぼ九割以上が色取り取りのサマーセーターを着用していた。
「美坂香里! 貴様サマーセーターとは何事か!?」
首を押さえ、寝転がったまま南森が異議アリとばかりに香里に指を向ける。
「良いか、夏の衣替えとは即ち身体に出来る限り熱を溜め込まないようにするためのものだ!
その点サマーセーターなどまさに愚の骨頂! わざわざ暑いときに厚着をしてどうするこの大馬鹿者ッ!!」
香里はややうんざりそうに髪を掻き上げ、
「あのね、女ってのはファッションのためならその辺二の次なのよ。これだってそういう風にいかがわしい視線で見られなくするための処置よ。
わかった? わかったらその聞いてて溜め息どころか涙が出そうになる必死さを押し留めて静かに学園生活を過ごしなさい」
釘を刺すように言い放ち、香里は踵を返した。
「むぅ、しかし白か。美坂にしちゃあ随分と清楚なもんをはいてぷるぐぇあ!?」
だがその後ろで起き上がった南森の言葉が地獄のサモワン・フックの幕開けだった
「さぁ美坂選手ラッシュラッシュ! おーっとマウントに入った! おぉぉこれはひどい! むごい! 息さえさせんとばかりの怒涛の連打!
血が舞っております! 血が! ギャグ漫画やアニメじゃなければ冗談じゃすまないような血飛沫が教室中に散っております!
デンジャー! これはきわめてデンジャーですよ解説の住井さん!」
「そうですね。美坂はまさに人間狂気(誤字ではない)の化身ですからね。このまま十秒続けば南森は棺桶の中かもしれませぐぅろっぷぁ?!」
「おーっと南森さんの身体がぶん投げられて住井さんまで巻き込んだー!? ここからは実況しているあたし柚木詩子も危険を感じえません!」
ギャーギャーと騒がしい2−Aの教室。
やや離れた場所からその酸鼻な光景を見ていたセリスが顔を青くしながら、時谷の袖をギュッと握り、
「……あの、時谷くん。皆すっごく平気な顔で眺めてるんだけど……」
「気にするなセリス。これがこのクラスの日常だ」
「そ、そうなんだ……」
そんないつも通りのキー学でありました。
集まれ!キー学園
四十六時間目
「夏服にチェンジ。それは男の時代」
でもまだ状況が悪化し続けるのがキー学の真骨頂なのであった。
「えー、というわけで。我らが特攻隊長であるところの南森大介(+おまけで住井)が殉職、保健室に強制連行されたわけだが――」
語っているのは南だ。その背中に『下克上』と書いてあるように見えるのはきっと彼の闘気に違いない。
「我らはここで立ち止まるわけにはいかない。ここで諦めたら先んじて散っていった南森に面目が立たない。そうだろう、諸君!」
「だけどさぁ、南」
「なんだ御堂」
「具体的にはどうするんだ? サマーセーター着用してないのなんて広瀬と仁科くらいしかいないぜ? ここは一点集中でガン見か?」
だが南は「チッチッチッ」と指を振り、
「仁科は確かに高ランクだがその後ろで睨みを聞かせている杉坂が怖すぎる。俺たちも南森の二の舞になりかねない。駄目だ」
「それじゃあ……広瀬?」
「論外だ。あんなの見ても何も嬉しくない」
「うわ、何気にひでぇ発言。じゃあ結局どうするんだよ」
すると南は眼鏡を正す素振り(あくまで素振り。眼鏡なんかかけちゃいません)を見せて、
「我に秘策あり、だ。ふふふ」
不気味に笑ったのだった。
三時間目。これぞ南の狙っているタイミングだった。
体育。しかも、
「外は雨! ローテーションで外だった女子は今回体育館に強制移動! 即ち我らの目の前にその身体を惜しげもなく晒すことになぁる!」
「「おぉ!」」
「ふふふ。夏の運動中であれば上にジャージを羽織るような真似はすまい。俺は南森とは違うんだよ南森とは! あっはっはっ!」
誇らしげに高笑いを浮かべる南。しかし、
「雨の日の体育って憂鬱よね〜」
「まぁまぁ。涼しいから良いじゃないですか」
「ま、そうかもねー」
わいのわいのとやって来る女子一同。だがその上にはジャージが羽織られていた。
「……ホワイ?」
ポカーンと口を開きっぱなしにする南に二人の半目が突き刺さる。南が慌てて誤魔化すように手を振り、
「い、いや、良く考えろ! 長袖にブルマだぞ、これはこれでえろくないか!?」
「というかそんなんしょっちゅう見るだろ。新鮮さが欲しいんだよ新鮮さが!」
「そうだよ!」
「ええい我侭なやつらめ! だったら次はこうだ!」
「え、わたしたちとバスケット?」
と、予想外のことを言われたような顔で瑞佳は自分の指差した。
「そうそう。良かったらどうかなぁ、と思って」
「うーん、別に良いけど?」
「お、良かったー」
「それじゃあメンバー集めるよ。バスケって五人だったよね?」
と下がっていく瑞佳に笑顔で手を振る南に御堂らが集まってくる。
「おい、バスケってどういうことだよ」
「そうだそうだ。それのどこにリビドーがあるんだ」
「ふっ。貴様らはまるでわかっちゃいませんNEー」
そう言って南は御堂、中崎の肩に手を伸ばし円陣を組むように顔を突き合わせる。
「良いかボーイズ。バスケってのはめまぐるしく動き回るスポーツだ」
「そうだな」
「つまり、だ。ちょっとした接触があってもそれはプレイの一環としてセーフとなるわけだ」
「まさか……!?」
二人に南はビッと親指を立て、
「青春をエンジョイしようぜっ!」
「すげー! 策士現る!」
「お前前世は孔明だったな!?」
「はっはっはっ、そう褒めるでない。さて、とりあえずこっちもあと二人メンバーを集めにゃな」
そうして南たちの思惑など知らず集められたのは北川と時谷だった。
他の男子はなんとなーく嫌な予感を感じ取ったんだろう。あの浩平でさえパスを決め込んでいた。ちなみに時谷も嫌がったが強制である。
で、三人がワクワクしながら女子チームの登場を待っていると、
「じゃあ女子チームはこのメンバーで♪」
待ってましたー、とばかりに振り向く三人。瞬間、その時が止まった。
立ち並ぶ五人の女子チームのメンバーたち。青山林檎、川口茂美、坂上智代、七瀬留美、長森瑞佳。
そうそうたる顔ぶれだ。そうそうたる顔ぶれすぎて、
「……これ、死亡フラグじゃね?」
としか思えない。
「むしろ狩るつもりが逆に狩られるというか……」
「被害者と加害者がいま完璧に逆転した気がする。っていうかあのメンバー構成はこっちの思惑がばれているとしか思えない!」
そう思うと五人の背後に邪悪なオーラが見えてくるから不思議だ。
「では、早速始めようか。あ、もちろん手加減はしないぞ。相手が男であればこそ、私たちは気を抜かない。うん」
涼やかな笑みで言う智代の言葉がうすら寒いものに感じるのは過剰反応だろうか。
「……僕、帰ったら小さな店を開こうと思うんだ」
「自分から死亡フラグ立ててんじゃない中崎。ともあれ、生き残ることを最優先に考えるしかないな」
なんでかバスケでピンクな展開を想像していたのに流血のレッドな未来しか想像できなくなってきている南たち。
というか生き残ることを最優先に云々とか言っている時点で南も十分死亡フラグ立てている。
だがいざ試合が始まってみると、予想に反した展開になっていた。
「うぉぉぉぉッ!」
「御堂!?」
「俺のことはかまわず先に行けー!」
ボールを持つ南に向かって智代と留美が走りこんできたとき、御堂がすぐさまブロックに……というか抱きつくような形で二人に飛び込んでいった。
どうやらこの男、この面子を見ても諦め切れなかったようで無謀にも挑もうとか考えているらしい。馬鹿だ。
まぁ……結果は言うまでもあるまい。
「あみばっ!?」
れっつ空の人へ。
で、昼休みに時間は移る。
「また尊い犠牲が生まれてしまった……」
「ついに僕たち二人だけになっちゃったね」
御堂もまた保健室送りとなり、いつものメンバーも既に残り二人。教室で黄昏気味に二人向き合ってパンをかじっていた。
北川や時谷は嫌な空気を察したのか、もうこの場にはいない。なんとも嗅覚の鋭い男たちである。
まぁ、そもそもとしてキー学に在校すること=危険察知能力の向上といっても過言ではない環境なので別段おかしいことではないのだが。
「んー、この辺りが潮時かもしれないな〜」
ここまで来るとさすがの南ももう諦めモードである。嘆息しつつカレーパンを頬張るが、
「いや、ここで諦めたら負けだよ南!」
それに反して中崎が拳を握って立ち上がった。この男、いつになく燃えている。
「……燃えるのはいっこうに構わんのだが中崎よ……アンパン潰れてるぞ。中身が搾り出されるほどに」
「あ、あ、僕のアンがっ!」
「変に艶かしい声を出すな、気色悪いから」
「ともかく、だよ! チャンスはまだ必ず残っているはずさ!」
パン持った手を上にして大口開けてアンが落ちるのを待っている男に力説されてもちっとも説得力はない、と思いつつも南はとりあえず訊く。
「チャンスってなんだよ?」
「ラスト……必ず最後に残されたチャンス。即ち――ハンターチャンス!!」
「クイズハンターかよ! ゴールデンハンマーでその頭ぶち割るぞ!?」
「なにぃゴルディオンハンマーだと!? 絶対勇気の力か!?」
「ロボネタでいきなり食いついてくるな折原ぁぁぁ!」
突如湧き出てきた浩平をなんとか追い返し、南はぜーぜーと息切れしながら席に座りなおす。
「……ネタはその辺にして本題に行こうぜ」
「うわ、びっくりだ。日頃南森とネタ合戦してる南からそんな言葉を聞くなんて」
「俺もびっくりだ。突っ込みって疲れるんだな。初めて知ったよ」
まぁそれは置いておいて、とジェスチャーをし、
「で、お前の言うラストチャンスってのはなんだ。五時間目は数学、六時間目は国語だからそれらしいチャンスはないぞ」
「ふ、南。まだまだ甘いね。僕たち学園の生徒たちが最も心のガードを解くのはいつだい?」
言って、中崎は人差し指をピン、と立てて一言。
「放課後、さ」
「はぁ〜い、それじゃー今日はここまでだよー。皆お疲れ様〜。ばいばーい☆」
ホームルームを終え、さくらがいつもの調子で教室を出て行く。
放課後。部活や委員会のない生徒にとっては一日の終わりを意味する時間だ。
開放感もひとしおで、中崎の言うとおり誰もが隙だらけの様子を見せていた。
その光景をせせら笑いながら中崎は南と共に声を聞かれぬようにと教室後ろへ移動する。
「どうだい、この僕の完璧な読みは」
「確かに皆気は抜けてるが……で、具体的にはどうすんだ?」
よくぞ聞いてくれました、とばかりに中崎は満面の笑みを浮かべ、
「よし、それじゃあ作戦を説明するよ。ずばり作戦は――」
と言いかけたところですぐ傍の扉が壊れるほどの勢いで開かれ、
「このアホ兄ぃぃぃぃぃぃぃぃ!!」
暴走機関車の如く突っ込んできた折原みさおの体当たりによって中崎はきりもみ状に激しく吹っ飛ばされてロッカーに激突。そのまま起き上がることはなかった。
というかあれだけ激しい衝突をしたというのにまったく気付く素振りもなく浩平にドロップキックをかましているみさおはさすが折原の人間というとこだろうか。いや、褒めて良いのかどうかはわからないが。
「しかし……中崎。お前いままでの中で一番哀れかもしれないぞ」
何をしたわけでもないのに気絶するほどのダメージを負う。これが因果応報というやつだろうか。いや、むしろ自業自得か?
で、唯一無事であった南は、
「今日は星の巡りが悪い。部活も休んで帰るか……」
すっぱりと諦めそのまま帰宅することにしたのだった。
「ぅ、ぅぅ……」
ちなみに、中崎はすっぱりと忘れられていた。
「お兄ちゃん! 冷蔵庫に入ってたわたしのゼリー食べたでしょ!? あれお気に入りのお店で数量限定のレア品だったのに――!!」
「ばっ!? たかがそんなことのために兄のクラスにまでやってきてドロップキックなんかかますんじゃねーよ!」
「たかがぁ!? たかがって言ったのはどの口だー!? タバスコ飲ますぞコンチクショー!!」
「は、タバスコなんかどこに……ってあんのかよ!? Myタバスコ!?
ちょ、おま、やめろ! 一気飲みはさすがにまずい! やめんぐゴクゴク……ギャーッ!!」
「……相変わらずな兄妹だな」
横で繰り広げられる兄妹バトルに祐一は嘆息。まぁいつものことである。というかいつもこんなテンションでいられる二人をある意味尊敬する。
まぁ尊敬はするがああなりたいとは思わないわけだが……。
「お兄ちゃん」
「ん? ことりか」
どうやらみさおと一緒にやって来たらしいことりがすぐ傍にいた。
ことりはしょっちゅうこの教室にやってくるのでクラスの面々もたいした反応はない。まぁ既に学園が始まって二ヶ月。慣れもするだろう。しかし、
「どうしたんだ? 昼時ならともかく放課後にこの教室に来るとは珍しい」
ことりの家は祐一の家とは逆方向になるため一緒に下校することはできない。
部活も祐一は正式な軽音楽部ではないので気分次第。迎えに来る、というのもおかしい。
だからどうしたものかと思ったのだが、逆にことりが不思議そうな表情で首を傾げてしまった。
「あれ、お兄ちゃん聞いてないの?」
「何を?」
「先週電話があったんですけど、夏子おばさん明日こっちに引っ越してくるんだって。だから明日の歓迎会の話をしようと思ったんだけど……?」
祐一、思わず硬直。そして数秒してから、
「……なんだって?」
その搾り出すような声が、祐一の心境を強く物語っていた。
続く?
あとがき
ってなわけで、どうも神無月でございます。
えー、まぁいつもどおりのキー学ということで。新キャラが出るわけでもなく、いわゆる季節ネタってやつですね。
さて、次回はいよいよ春夏秋冬四姉妹の最後の一人、夏子の登場です。待っていた方もいるようですがw
もちろん夏子さんだけではありません。もう一人キャラが登場します。
……ま、詳しいことは次回にw
では〜。