カレーは美味かった。

 若干でこぼこな野菜(詩子作)のものがあったのも、まぁ愛嬌の一つだろう。

 いまは食器類の片付けも済ませ、皆で談笑したり、

「なぁなぁ、天野って呪いとかできるって聞いたけどマジか?」

「なんなら試してみますか? 折原さん」

「え? あー、いや。そう言われると遠慮したくなる――ってなにその藁人形!? 折原とか書いてある――ぎゃああ!!」

 軽くふざけ合ったりしているような、そんな状況である。いたって平和だ。

 そんな光景を、コーヒーの入った紙コップを傾けつつ眺めていた祐一は、不意に海へ視線を転じた。

 夕日が海に沈もうとしている。あと三十分もしたら夜だろう。

「……岡崎先輩は大丈夫だろうか」

 こちらも中々に突拍子のないことに巻き込まれたものだが、メンバーがメンバーだったせいかさほどのこともなく平穏に過ごせそうだ。

 この中なら浩平の暴走や詩子のトークも愛嬌というか、まぁ笑って済ませられる範囲だろうし。

 だが朋也は違う。

 佐祐理、杏、椋を相手にして、助ける人間もなく逃げ場もない。まさに断崖絶壁に立たされたかのような状況だ。

 かといって状況を仕方なく受け止められるような器用な人間でもないし、きっと朋也は苦労していることだろう。

 今頃は佐祐理たちに追われ必死に逃げているところ……かもしれない。

「まさかな」

 苦笑。もうすぐ夜だ。無人島とはいえ森は深い。こんな状況で迷い込んだらさすがの朋也とで無事ではすまないかもしれない。

 ……いや、あの人ならそれでも平気で生還しそうな気もするが、佐祐理たちもまさかそこまで朋也を追い込みはすまい。

 彼女たちは朋也を困らせたいわけではないのだから(実際はさて置く)。

「ま、なんとか上手くやってるだろ」

 そう結論付けて、祐一は純情な桐生姉妹に何かを吹き込もうとしている詩子を止めるために立ち上がった。

 そろそろ夜になる。

 

 

 

 

 

集まれ!キー学園

三十八時間目

「キャンプでGo(V)」

 

 

 

 

 

 岡崎朋也は走っていた。

 というか逃げていた。

 というか迷っていた。

 というか遭難していた。

「やべぇ……」

 そう。いま自分は限りなくデンジャーな状況になっている。

 人類に逃げ場なし。

「いや、とりあえず落ち着こうぜ俺」

 ふぅ、と深呼吸しとりあえず近くの木の根に座り込む。

 周囲を見渡す。木々が生い茂っている。暗い。

 上を見上げる。綺麗な星空が見える。暗い。

 まぁ、ぶっちゃけ夜である。

 本格的にやばいなー、とかボーっと考えている時点で本人の危機感はゼロなのだが、それはそれ。

 こういう場合は慌てず落ち着くのがポイントだ。……とか考えている時点で十分に冷静である。

「まぁそれほど大きい島じゃないし、真っ直ぐ歩けばなんとかなるだろ」

 朋也の体力はずば抜けて高い。歩き慣れぬ道であろうと人並み以上には歩き回れるだろう。

「しっかし、俺もつくづく運のない」

 やれやれ、と肩を落とし思い浮かべるのは、数時間前の出来事だった。

 

 

 

「さぁ、朋也さん。今日はゆっくりとくつろいでくださいね?」

「……この状況でどうくつろげば良いのか教えて欲しいもんなんだが?」

 にっこり佐祐理に対し朋也の表情は暗い。

 それも当然。何故なら彼は椅子に縄をかけられその三方向を佐祐理、杏、椋に囲まれている状況なのだから。

 しかも程度の差はあれ皆が皆笑顔でこちらを見下ろしているのだからその恐怖心たるやかなりのものだ。

 まるでこれからサバトでも始まって生贄にされるんじゃないかとさえ錯覚してしまうこの状況。

 ……だが、結論からすればこの朋也の直感は決して的外れではなかった。

「大丈夫です。朋也さんはジーっとしてくださるだけで。全ては佐祐理たちにお任せください」

「は?」

「あははー。ご心配なく。とーっても気持ちよくしてあげますよ〜?」

 すると突然佐祐理が朋也の上着のボタンを外し始めた。

「ちょ……!? さゆ――」

「ちょっと佐祐理! いきなり何してんのよ!」

 だが朋也の言葉を遮って顔を真っ赤にしながら止めに入ってきたのは杏だった。

 どうやら杏もこの展開は知らなかったらしい。しかし佐祐理はキョトンとして、

「何って? そりゃあもちろん奉仕と言えば……そういうことでしょう?」

「ち、ちが! 少なくとも順序ってものがあるでしょ!?」

「あれー? ってことは順序さえキチンとしていれば杏さんも同じことを考えていたってことなんじゃないんですか〜?」

「なっ……!」

「あははー。お顔が真っ赤ですよ〜?」

「〜〜〜!!」

 その二人の言い合いを見ていて、朋也はわけがわからなかった。

 そもそも佐祐理が朋也に何かをしでかす、という場合において杏たちを連れてくるというのがおかしい。

 いつもであればできるだけ邪魔なファクターは除外しようとする佐祐理が何故無人島なんて美味しいシチュエーションに杏たちを連れてきたのか。

「なんでも、これは勝負なんだそうですよ」

「椋?」

 朋也の考えを読んだかのように椋が苦笑しつつ朋也の横に膝を下ろした。そして何故か縄を解いていく。

「良いのか?」

「やっぱり無理やりはちょっと……。それで理由ですけど、お姉ちゃんと倉田さんがテスト結果発表のときに言い争いになったらしくて……。

 じゃあ今度誰にも邪魔されないところで決着を着けよう、って。そんな話になったんだそうです」

「あのときか……」

 思い浮かぶ邪悪な笑みの交錯。あのときそそくさと退散なんてするんじゃなかった。もしかしたらこの状況を止められたかもしれないのに……。

「いや無理か」

 諦めるのが早かった。

「……それで? 椋もそれに巻き込まれたのか」

「ええ。まぁ多分テスト勉強のときにお姉ちゃんが私を出し抜い――こほん、嘘をついたことに対する罪悪感があったからだと思うんですけど」

「そうかー。お前も災難だな」

「そんなことは……ないですよ。自分のことだけを考えるなら、こうしてゴールデンウィークに朋也くんに会うこともできましたし……はい、解けました」

 にこりと。邪気のない笑みを見せられ思わず見惚れてしまった。

「む!? 邪なオーラを感じるわ!」

「あ、椋さんが一人でフラグを立てようとしてます!」

「なっ、椋!? あんた一人純情路線で攻めようって魂胆ね!」

「こ、魂胆ってなんですかぁ!? わ、私は別に……!」

「しかも縄解いて……あんた自分だけ良い子のように見せるって寸法なのね!?」

「策士ですね〜」

「だ、だからそんなんじゃ……!」

 これはチャンスではなかろうか、と朋也は口論を始めた三人を見つつ思った。

 縄は解けている。このロッジらしき建物(入った記憶がない)の出口はすぐそこにある。十分逃亡できる間合いだ。

 別に三人のことが嫌いなわけではない。むしろ好きな部類に入るのだが……だがしかし。

 このままここに留まっていては間違いなくろくなことにならないとこれまでの経験が告げている。

 だから朋也の判断は即決だった。

「あ!?」

 その声が誰のものだったかはわからない。朋也は振り返ることなく扉を開き、一足飛びで外へ飛び出した。

「む……!」

 ロッジは森に囲まれていた。しかも既に日が落ちかけている。

 このまま森に入ったら迷う可能性もあるが……それでも、

「行くっきゃないだろ」

 朋也は躊躇せず森の中へと走っていったのだった。

 

 

 

「ちょ、ちょっと朋也ぁ!?」

「あらあら〜」

 その背中を驚いた様子で杏が、驚いたような声をあげつつも笑顔の佐祐理が見つめていた。

「ちょ……佐祐理!? ここって迷ったりしないの!?」

「いえ、サバイバル訓練をしているかしっかりとした装備を持っていない限りはほぼ確実に迷うような深い森ですよ〜」

「で、ですよねぇ。私も一人じゃ帰れる自信ない……」

「問題はそこじゃないでしょ椋!? いまは朋也の心配をしなくちゃ」

「でもね、お姉ちゃん」

 若干パニックに陥っている杏に、椋は軽く指を立てて、

「そもそもそんな危険な状況だったら倉田さんがもっと慌ててると思うの」

「あ……」

 言われてみればそのとおりだ。

 あの自他共に認める朋也大好き人間が朋也の危機に反応しないわけがない。ということは、

「危険な状況じゃ、ない……?」

「あははー、当然です。だってこの島は倉田の所有するものですよ? 森の至る場所に監視カメラが取り付けられてあります。

 その上、万が一のために朋也さんの服にセンサーも取り付けておきました。レーダーで追うことも可能です」

 にこりと。いけしゃあしゃあと告げる佐祐理に杏と椋はそろって戦慄を禁じえなかった。

 そこまでするか、普通。

「こほん。……まぁともかく。ようするに朋也は平気なのね。それじゃあ早速連れ戻しに――」

「いえ、お待ちください」

 踵を返そうとする杏に佐祐理の制止の声。

 なんなのよ、と振り返って――杏の表情が固まった。

 佐祐理とはそれなりに長い付き合いだ。なんせずっと以前から朋也を狙うライバルのような存在だったのだから。

 その経験と、そして本能が警告している。

 現在のこの佐祐理の表情は、絶対ろくでもないことを考えているはずだ、と。

 そんな若干恐怖の込められた視線も軽く受け流し、佐祐理は満面の笑みで言い放った。

「一つ、ゲームをしませんか?」

 

 

 

 さて、時間は戻る。

「……やけに静かだな」

 しばらく休憩をし、歩けるだけの体力を取り戻したと考え立ち上がった朋也がポツリと呟く。

 ほとんど『囁く』レベルのその声が耳に鮮明に届くくらいに、この森はシンと静まり返っていた。

 別に怖いとかそういう感情はない。ただ朋也の中でむくむくと大きくなっているその感情は、

 ――おかしい。

 そう、疑心だ。

 野生動物がいないことは、まぁわかる。無人島とはいえ管理されている島だ。キャンプに来る以上危険な動物はいないだろう。

 それは良いのだが……自分は逃げ出したはずだ。それを、あの、『あの』佐祐理が放っておくなんてありえない。

 だが、この静けさ。追いかけてきた……ということはなさそうだ。

 とすると、だ。この逃亡を放置しているということは……これが佐祐理の狙いである可能性がある。あるいは逃げられても平気な仕掛けがあるか。

 どちらにせよ佐祐理はこの状況に対する打つべき『手』を持っていることになる。だからこそ慌てない。追いかけない。そういうことだろう。

「ここは無人島とはいえ倉田の所有する島だからなぁ。……まさか森の中に監視カメラでもあったり?

 いや、それだけじゃなく俺のどこかにセンサーでも仕込まれてそうだなぁ。どこに逃げても丸見え、みたいな」

 朋也、凄まじく鋭かった。

「……いや、しかしさすがにそこまではしないか」

 だが自分で言っておいてそれを否定してしまったのが彼の敗因とでも言えるだろうか。

「ともあれ、さっさと移動しよう。とにかく沿岸まで出ればどうにかなるだろ」

 というわけで移動を開始しようとした瞬間――、

「!」

 朋也は直感のままに右へ大きく跳躍した。

 助走もなしなのに一気に距離が開く。そのまま朋也は手近な木の棒を手に取り、さっきまで自分がいた方向を見やった。

「誰だ」

 そう、朋也は人の気配を感じ取っていた。

 しかも普通の人ではない。なんせ人の気配はするのに接近されるまで足音がまったく聞こえなかった。

 こんな葉や草が生い茂っている森の中で、だ。とすると何かしらそっち系のプロということになる。

 まぁ倉田家ならそういう人間も雇っているだろうが……。

「え、わ、ち、違います朋也くん。私です私!」

「は……?」

 だが、聞こえてきた声は予想外のものだった。

「椋?」

「はい、椋です。その、そ、そっちに行きますね」

 やはり足音もせずに夜の影から出てきた姿は、

「…………は?」

 それ以上に予想外の出で立ちだった。

 迷彩服。頭と胸の辺りにメカメカしいパーツを取り付け、足に鎧染みたブーツ。そして手にはマシンガンのような両腕で持つタイプの銃。

 なんというか……重装備の兵士のような様相だった。

「あー……その、なんだ。大丈夫か、椋?」

「べ、別に頭が駄目になったとかそういうんじゃないんですっ」

 敢えて濁して言ったのに意味がストレートに伝わってしまったらしい。

「こほん。それじゃあ、椋。その姿は一体」

「あ、あのー……。倉田さんの提案でして。ゲームなんです、これ」

「ゲーム?」

「はい……」

 椋の話すところによると。

 なんでもこれは朋也争奪戦と名打って始められたゲームであり、装備一式は佐祐理が用意したものであるという。

 どんな小さな足音も起こさないサイレンスブーツ(倉田製・特許出願中)。

 通常のものより二倍(当社比)で姿を隠せる迷彩服(倉田製・特許出願中)。

 サバイバルゲーム用のセンサー銃と対になる心臓部分、頭部分に取り付けるヒットセンサー(倉田製・特許出願中)。

 時計に見えるそれは朋也につけられた追尾センサーを補足するレーダー(倉田製・特許出願中)。

 朋也の場所はこれで割れているが、皆が皆同じ装備をしており、佐祐理、杏、椋間では誰がどこにいるかわからない。

 ようは上手く相手の邪魔をし、撃退して朋也と二人きりになる時間・場所を作り出すことができれば勝ち、ということなんだとか。

「なんともまぁ……杏がノリやすそうな設定のゲームだな」

「はい。お姉ちゃんは二つ返事でゲームを了承し、結局こんな感じで始まってしまいました……」

「お前も大変だなぁ、椋」

「え、ええ。でもまぁお姉ちゃんの暴走にはもう慣れてますし――」

 と苦笑した瞬間だ。

 ピーッ、という電子音が椋の頭のセンサーから鳴り出した。

「え、え? あ、もしかして打たれちゃ――ひいいいあああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」

 言葉が言い終わる前にバチバチバチィ!! と放電しているような甲高い音と共に椋の身体がガクガク震え、崩れ落ちた。

「ふ、ふぃぃぃ……」

「お、おい椋!?」

 慌てて支えるが、駄目だ。まるで漫画みたいに目がナルト状にぐるぐる回っている。その辺がとにかく駄目っぽい。

『ちょ、ちょっとこれどういうことよー!?』

 と、背後……しかもかなり遠くからガーッ、と杏の絶叫が響き渡ってきた。

『あははー。センサーにヒットすると人が気絶するくらいのショックが伝わるようになってるんですー』

 で、次は朋也から見て左側の遠方から佐祐理の声。……どうやら二人ともこの状況を監視していたようだ。

 まぁレーダー持ってるんだから当然といえば当然だ。ルールと装備の都合上、誰かが朋也に近付かない限り相手の所在は掴めないのだし。

『ほら、当たっても「当たってない!」とか言い張る人っているじゃないですか〜? それを防止するためのものですよ』

『アホかー!? こんなん特許通る分けないでしょ!? っていうかそういうもんなら最初っから言っておきなさいよね!!』

『あぁ、杏さんなんて冷徹な……。実の妹相手でもその容赦ない仕打ち……そういう性格、佐祐理は割と好きですよ?』

『知ってたら撃たなかったわよっ!!』

『またまたそんなぁ。杏さんってば朋也さんの前だからって本性隠さなくても良いのにー。現実はこうですよ?』

『そう仕向けたのはあんたでしょーがー!!』

 パキュン! パキュン! と鳴り響く銃声(と表現して良いものかどうかはともかく)。

 佐祐理に向けて乱射しているもののようだが、

『あははー。杏さーん。佐祐理はそこにいませんよ〜?』

『むきー!』

 だが、いまが好機だ。

 椋にはすまないがひとまず足元に寝かせ、朋也はすぐさま駆け出した。

「上等だ」

 勝手に賞品にされたのは癪だが、さすがは佐祐理。このルール、一見朋也の介入の余地はないが、隙間はある。

 別角度から、朋也もまたこのゲームに参加する方法があるのだ。

 おそらく、わかっていてこういうルール設定にしたはずだ。だから、

「乗ってやろうじゃないか、佐祐理。このゲーム……!」

 言わばこれは鬼ごっこ。

 ただ逃げる側が一人で鬼が多く、そして鬼同士が邪魔をしあえるという、それだけのこと。

 ならばやりようは、いくらかある!

「ここ最近佐祐理にはやられっぱなしだからな。ここらで一つ反撃ってのも乙なもんだ」

 逃げながら、朋也はどこか楽しそうに口元を釣り上げた。

 彼の名は岡崎朋也。キー学の四天王にカウントされる男。

 ……結局、なんてことはない。

 彼もまた、最終的にはこういう騒ぎやゲームが大好きな祭り人間だったということだ。

 

 

 

 あとがき

 はい、というわけでおはようございます神無月です。

 さて今回は朋也サイドのお話です。いやー殺伐としてますねぇ(ぇ

 祐一たちがキャンプでのんびり〜、な対比としてこっちはアクション系です。

 さぁ問題は次回でキャンプ編が終わるかどうか、ですね。……もしかしたらもう一話分くらい増えるやもしれませぬ。

 ま、そんなことはともかく今回はここまでです。

 ではまたー。

 

 

 

 戻る