午後の授業もつつがなく終わり、時刻は生徒たちの待ち望んだ放課後を迎えた。
ある者は帰宅をし、ある者は部活に向かうこの時間。
そんな中で迷わず帰宅を選んだ朝倉純一は、HRが終わるや否や速攻で教室を飛び出した。
昼休みのことを未だに根に持った音夢の怨念に満ち満ちた視線に晒されること二時間。それこそ本当に寿命が縮まった気がする。
昼休みに聞けなかったことを聞き出そうとしていたのだろう。授業終了と同時に立ち上がった音夢だったが、そのあまりの純一の早業に思わず呆然。そしてすぐさま我に返り、
「兄さん!!」
叫ぶも遅い。既に純一は廊下を爆走し階段を降り始めたところである。
純一の身体能力は高い。音夢がどれだけ抜群のコントロールで辞書を投げつけても回避できることがその証拠だ。
で、純一はそのまま昇降口まで突っ走り靴に履き替えて――近くの掃除用ロッカーに身を隠した。
「兄さん、待ちなさい!」
慌てて追っかけてきた音夢が周囲を見渡している。純一の姿を確認できなかった音夢だったが、下駄箱に上履きが置かれていることで既に外に出たと確信したのだろう。自分も靴に履き替えて外へと走っていった。
「……」
それをロッカーから眺めること数秒。そーっと這い出て外を見やる。遥か前方に音夢の背中を確認。
「ふ、頭脳の勝利だ」
ふぁさ、と嫌味な動作で前髪を掻き上げる純一。
怒りに燃えている状態の音夢はどこか抜けているところがある。それを的確に突いた素晴らしい作戦だった。
「とはいうものの……」
これでしばらくは学園から出れねーなー、と嘆息。いまここで音夢を追うように家路につくことは、貞○の井戸に自ら身を投じるようなものだし。
食堂や図書館で時間を潰す、というのもありだがそんなことをしても寝るのがオチだろう。
んー、としばらく考えて、
「……軽音楽部にでも行くかぁ」
あそこなら祐一と浩平、それにことりなんかもいるだろう。暇潰しにはちょうど良いはずだ。
というわけで進路変更。軽音楽部の部室がどこにあるかわからないが歩いていれば見つかるだろうと暢気に考えて、
「ぐぉ!」
「おっと!」
廊下の角で思いっきり誰かとぶつかった。
考え事をしていたわけではなく、何も考えていなかったからこそボーっとしていた。なんとか転ばずに体勢を直し、正面を見た。
「わ、悪い。余所見してた」
「あぁ、良いよ。俺もちょっと考え事してたし」
と謝ってきたのは見たことのある男子生徒だった。
知り合い、ではない。でも純一はその男子を見てすぐに名前が浮かんだ。
「マジシャン康介!?」
やや茶色掛かった髪と整った顔立ちは、間違いない。同じ学年の佐藤康介だ。確か今年は同じクラスだったか。
ともかく、このキー学でも随分有名な存在である。いや、全国的にもそうかもしれない。なんと言っても彼はテレビによく出る人間なのだから。
佐藤康介。またの名をマジシャン康介。
天才マジシャンとしてテレビに引っ張りだこの、イケメン手品師である。(←某雑誌の煽り文句を引用)
「って、そういうお前は朝倉か」
「俺のこと知ってるのか?」
「そりゃあ、キー学園の生徒でお前のこと知らない人間なんていないだろう?」
それはむしろこっちの台詞であると声を大にして言いたい。
だがそんな純一の心境など知る由もない康介はパンパンと軽く制服を払って、
「で、なにやってんのこんなところで。さっき名物の妹さんに追われてすぐに教室出て行かなかった?」
「いや、待て。名物ってなんだ」
「? そのままの意味だけど?」
なんと、いつの間にか朝倉音夢に追われる朝倉純一の姿はキー学園の名物に指定されてしまっていた!
「うわ、恥ずかしい!」
「何を今更って突っ込んでも良いかな?」
「やめてくれ。少しは自覚ある」
おかしい。自分は安穏とした生活を過ごしたいはずなのに、いつの間にか騒ぎに巻き込まれている気がしなくもない。
それもこれ音夢の変なヤキモチや杉並の考えるろくでもないことに関わるからだな、と内心で頷く。うん、俺は悪くない。
「なんとなくだけど、自己完結してるよね。しかも見当違いの方向に」
「やかましい。人の心を読むな!」
「あははは」
くそぅ、と純一は舌打ち一つ。なんとなくやりにくい。いままで近くにいなかったタイプの人間だ。
このまま続けてはまた醜態を晒しかねない。純一は会話を変えることにした。
「で、お前はこれからどこに行くんだ? 帰るのか?」
「いや、部活だよ」
「部活? うちに手品部なんてあったか?」
「いやいや。別に俺は手品に全て捧げてるわけじゃないし。手品はあくまで商売道具でさ。他にも趣味はある」
そう言って康介は背中に担いでいた大き目の袋を見せてきた。そしてそれには繋がるようにして竹刀の袋。まさか、
「そ。俺の行く部活は剣道部だよ」
「へー」
と思わず連呼したくなる。
パッと見、康介の線は細く見える。手品師としては違和感ないが、それが運動系、しかも格闘技ともなればかなり意外だ。
「あ、なんか意外だとか思ってるね?」
「まぁな。あんまりそういうのができるようには見えない」
「まー、よく言われるしなぁ」
と、そこで康介は何かを思いついたように、そうだ、と手を打って、
「なんなら朝倉も来いよ。剣道部」
「はぁ? 俺は部活やらないぞ」
「あぁ、別に部活に入ってくれなくたっていいさ。見学してけってことだよ。俺がそれなりにできるところ見せてやるって」
そういうことか。なら付き合ってやっても良いか、と思う。
結局のところ純一は暇潰しを探していたのだ。今後剣道なんて関わることもないだろうし、一回くらい見てみるのも悪くないかもしれない。
「ま、そういうことなら見せてもらおうかな」
「オッケー。じゃついてきなよ」
と誘われるがままに歩いていく。
向かう先は体育館の横にある剣道場。
しかし毎度思うことだが、この学園にない建造物はないのだろうか。弓道場もアーチェリーの射場だって馬場だってあるのだこの学園は。
特殊部活に必要な環境は全て揃っているのだ。しかも部員の多い部活になると中等部や高等部で一個ずつとかあったりするのがまたすごい。
そんな金があるんならいっそくれ、と理不尽な要求を考えている頃には剣道場に到着していた。
「あ、上履きは脱いでね。あと靴下も」
やはり見学と言えどそれは守らねばならぬものであるらしい。純一は上履きと靴下を脱ぎ、上履きの上に置いておいた。
康介は剣道場に一度礼をしてから足を踏み入れた。なんとなく純一もそれに合わせて中へと入っていく。と、
ズバ――――ン!!
いきなりそんな甲高い音が空間にこだました。
「……め、面あり一本! それまで!」
どうやら練習試合をしていたらしい。
正眼に竹刀を構えた人物の前には、尻餅をつくようにして倒れる人物がいた。ちょうど試合が終わったところのようだ。
そうして互いに姿勢を正し中央で竹刀を納め数歩下がると、互いに礼をして白線から出た。どうもあれが剣道の礼儀らしい。
「おいおい、まさか本当に全員倒すとは……」
「うちの剣道部だって強いんだろ? 先輩まで全員やっつけるなんてあの一年、何者だよ……」
正座して横に座っていた、真新しい剣道着を着込む者たち(おそらく一年生)が交わしていたそんな会話が聞こえていた。
ほう。どうやら今年の一年にはすごい化け物のような生徒がいるらしい。
そしてその化け物生徒が面を取ろうとしていた。いったいどんないかつい男なのかと直視してみて、
ふぁさり、と。まとめていた長い黒髪が落ち、現れたのはあまりに端正な顔立ちの……、
「お、女ぁ!?」
純一の素っ頓狂な叫びは、剣道場に響き渡ってしまった。
集まれ!キー学園
二十四時間目
「戦いの後にあるもの」
「……あー」
居心地が悪い。
なんせ先ほどの叫びのせいでここにいる剣道部員全員の視線がいま純一に集まっているからだ。
このまま逃げ隠れたいところだが、そういうわけにもいかないんだろうなぁ、と。つい数十秒前の自分を殴り飛ばしたい気分だった。
「……君は誰だね?」
部長らしき人が疲れた表情で問うてきた。……というかこの人、さっき負けた人物ではないか。いや、それはともかく。
「あ、あぁ、いや、クラスメイトに誘われて見学に来たんですがー……」
と、隣に立っていた康介に視線を向ける。康介はそうなのか、という部長の確認の視線に対して頷いた。
しかし康介の関心は別のところにあるらしい。それはもちろん、その女子生徒だ。
「しかし、やっぱり莢長は強いなぁ」
知り合いか、と言いかけてその苗字にどこか聞き覚えがあることに気付いた。
――っていうか同じクラスじゃん!?
髪がまとまっていたせいで気付かなかったが、間違いない。朝の一件のとき、栞の襲来にいち早く気付いていた莢長鞘だ。
が、その鞘は何故か不機嫌そうな視線で純一をじっと見ていた。
何故かまったくわからない純一。隣にいた康介がゆっくりと肘で小突いてきて、
「わかんないの? 彼女、女だって見下されるの嫌いなんだよ。さっきあまりにも意外だというように叫んだからねぇ」
「……あー」
そういえばさっき「女ぁ!?」とか思いっきり叫んでしまっていたしなぁ。
「……朝倉純一」
「は、はい!?」
それまで無言を貫いていた鞘がゆっくりとこちらの名を呼んだ。なんか声に凄みがあって思わず敬語で返事をしてしまう。
そんな純一を鞘は鋭い眼光で睨みつけ、
「……そんなに女が剣道やるのが意外か?」
「いや、それはないが」
「では、女が男より強いのが意外か?」
「……あー、別にそういうわけでもないけど……」
実際この学園には下手な男よりはるかに強い女がうじゃうじゃ存在する。剣で言えば舞なんかが良い例だ。
だがやはり人として「強い人間=女」という方程式はすぐには浮かばないだろう。
そうして蛇に睨まれた蛙のように動きを止める純一に、隣の康介が他人事のように(他人事だが)笑みを浮かべ、
「なら朝倉が莢長と勝負してみたらどうだい?」
「はぁ!?」
何をとんでもないこと言ってやがるんだこいつと睨む先、康介は飄々とした様子で鞘に視線を投げかけ、
「ほら。莢長もその方が良いだろう? 馬鹿にされたままじゃ腹の虫も収まらなくないか?」
「別に私は怒ってなどいない。そう思われるのはいままでの常だった。だが、私は負けん。そして、誰であろうと挑戦は受ける」
そう言って鞘は取り去った面を再び被る。
あのーなんか勝手に話が進んでるんですけどー、と困惑に身体を震わせる純一に、ポンと肩を叩いてくる康介。
そして爽やかな笑みを浮かべ、親指を立てて一言。
「楽しみにしてるぜ」
「てめぇ、人で遊んでやがるな!?」
「道着なんかは全部俺の貸してやるよ。身長もほとんど同じだし、平気だろ。着替えはあっちな」
「てめ、待て! 俺はやるなんて一言も言ってないぞ! 第一こんなかったるいことを何故俺が!」
まぁまぁ、と康介は純一と肩を組み、内緒話をするように顔を近づける。
「良いかい? 莢長は一度ああなったらもう止まらないタイプなんだ。お前だってこれ以上妹さんみたいに追い掛け回されるの嫌だろう?」
「そりゃ、そうだが……」
「勝ち負けさえハッキリすれば良いのさ。どちらにしたって莢長はそれで納得する。ほら、これで万事解決だよ」
「……でも、お前この状況楽しんでるだろ?」
「あっはっはっ。まぁ俺の性分だと思ってくれ。それに、それくらいの性格じゃないとこの学園は楽しめないぜ?」
良い性格をしている。確かにこの手の性格の人間からすればキー学は楽しみの宝庫だろう。
くそ、と毒吐き純一は一式を借り受ける。もうこうなったらヤケだ。
剣道防具の取り付け方がわからないので康介に手伝ってもらった。
面を被り、籠手をつけて竹刀を取る。
「……へぇ、こうなってんのか」
案外視界が狭い。加えて籠手の感触もなかなか慣れない。
よく中学のときは箒でチャンバラごっこをしたもんだが、籠手越しだと随分と感触が違った。
「さて、それじゃあ行こうか。本来は三本勝負なんだけど、今回は一本勝負ということで」
主審は何故か康介が執り行うことになっていた。そして他に二人、副審が反対方向に立つ。
試合の形式もいまいちよくわからないので、試合前の作法なんかは全部省いてもらうことにした。
立ったまま竹刀を構える。無論剣道なんかしたことないので、構え方は目の前の鞘の真似事だ。
「剣道は初めてのようだな」
「あぁ。だからできれば手加減してもらいたいんだが」
「断る。勝負事で手加減の文字は私の辞書にはない」
「あ、やっぱり?」
念のために聞いてみたが、やはり予想通りの答えだった。そういう性格に見える。
こんなことなら、音夢に見つかるの覚悟で帰ってれば良かったなぁ、と溜め息を吐いた瞬間、
「始めッ!!」
「なっ、ちょ!?」
狙ったかのように康介の口から試合開始の合図が放たれた。
慌てる純一をよそに鞘が突撃してくる。
「おぉ!?」
速い。
ダン! という床を蹴る快音と共に鞘の身体がすぐ目の前に迫っていた。
「はぁ!」
気合一閃。
上から振り下ろされる高速の面。常人ならそれで一本間違い無しであろうタイミングでの一撃。だが、
「うぉっと!?」
「!?」
それを純一は間一髪竹刀で受け止めた。
「あ、あぶね……」
純一はあの一瞬、一歩分身体を後ろにずらしてインパクトの時間を僅かに遅らせ、その間に竹刀を割り込ませたのだ。
これには鞘も驚いたようだ。が、康介はただ笑みを浮かべるのみ。
鞘は外部入学なので知らないが、純一の身体スペックは異常なほどに高い。それがあまり見えないのは、本人が面倒事を嫌うからだ。
だが、康介は知っている。
朝倉純一という男は――、
「くっそ、かったりぃことは嫌いなんだが……」
グッと竹刀を握り締め、わずかに目線を細くし、
「――負けるのはもっと嫌いなんだよ!」
負けず嫌いである、と。
「む!?」
渾身の一撃が、鞘の竹刀を弾き返した。身体が反れて、鞘の胴ががら空きになる。刹那、
「胴ぉ!!」
純一がすれ違うように足を踏み出し、その胴に竹刀を叩き込んだ。
「よし!」
思わずガッツポーズを取る純一。……が、審判からは一本の宣言が出ない。
「あ、あれ……?」
というか副審も康介も揃って旗を上げていなかった。
何故? と首を傾げる純一に対し、構えなおした鞘が対峙する。
「なるほど。言うだけはある、か。……剣道は初めてのようだが、何がしかの武道の心得はありそうだな」
「ちょ、ちょっと待て。いまのって決まってないのか?」
「あぁ。剣道の胴はなにも胴に当てればそれで良いというわけではない。
竹刀の先端と中央に白いものがあるだろう? その間で敵を打たねば有効打突とは判定されない」
「なっ……」
「そして私はお前の胴を受ける際にお前に身を近づけた。意味はわかるか?」
「……近すぎて有効打のエリアじゃないところで打った、ってことか。ちくしょう、そういうルールがあるなら説明しやがれ」
そう康介を睨むが、
「聞かれてないし」
と平然と言い放った。この野郎。
しかしあの一瞬で身体を近づけて有効打を無効化する鞘もさすがというべきだろう。さすが剣道部を一人で叩き撫しただけはある。
「……」
「……」
互いに無言ですり足で横に移動する。だが距離は一定を保っているので、上から見れば円を描いているように動いているのがわかるだろう。
――攻めてこない?
先ほどの純一の動きを警戒しているのか、鞘は動こうとしない。
もしこれが祐一や朋也なら、用心深くこっちも動こうとないだろう。だが、純一は根の部分だけで言えば浩平に近いスタイルを持つ。すなわち、
「来ないんなら――こっちから行くぜ!」
純一が突っ込んだ。
大振りでは受け止められるかいなされるだろうと判断し、牽制の意味もかねて小振りの『小手』を狙う。が、
「!」
わずかな腕の動きで回避され、挙句に竹刀の裏で戻すのを止められた。
「なっ!? ありか!?」
「当然だ」
そして流れるような動作で竹刀が突き出される。
――突き!?
だが、彼は朝倉純一。鞘が一本を確信した一撃を、強引に首を捻らせて回避した。
「む!?」
「ぉぉぉぉおお!」
そのまま身体ごと捻りながら竹刀を力ずくで引き戻し、バックステップで距離を取った。
「あ、ぶねぇ! 超あぶねぇ! 負ける! これは負ける!」
「純一さぁ、さっき負けるの嫌いとか叫んでなかった?」
「実力差を考えろ馬鹿やろー! つか知らないうちに呼び捨てにされてるし俺! っていうか審判が気さくに話かけてくるな!」
ふーん、と半笑いで康介は考える。
確かに終始押されているのは純一だ。
が、よく見てみると良い。
鞘も驚きの表情を浮かべているし、この試合を見ている他の剣道部員に至ってはもはや愕然も良いところだ。
だが、それも当然。
日頃剣道をずっとやってきた部員が瞬殺された相手に、剣道のルールもよくわかってない素人が善戦しているというこの事実。
康介は思わず爆笑してしまいたい衝動に駆られた。
これはもしかしたら本当に勝ってしまうのではないか、と。
彼がマジシャンという職業になったのは、手品が好きだからとか手先が器用だからという理由もあるが、大きな理由がそれ以外にある。
……彼は、人が驚く様子を見るのがとても大好きなのだ。
良い性格している、と表現した純一は正しいだろう。康介はそういう点でキー学をとても評価しているのだ。
「よし、純一。一つ助言をしよう」
だから、康介は言う。
誰もが驚く結果になるように、その一言を。
「助言?」
「あぁ。剣道だと考えるな。お前の動きやすいように動けば良い。剣道は動きや構えに反則は無いからな。好きにやると良い」
「そうなのか?」
「あぁ」
「なるほど。……よし」
頷いた純一は、中段の構えを解いた。
鞘が訝しげに眉を傾け、康介は感心したように嘆息し、他の剣道部員はざわついた。
純一の新しい構えは、特殊だった。
右手に竹刀を持ち、真横に構える形。左手は右手の近くに添えられてはいるが、竹刀を握ってはいなかった。
「……」
その仕草に、鞘は妙な迫力を感じていた。
いままでの動きには、どこかおっかなびっくりしたものがあったが、いまはそれがない。
思わず鞘の頬を汗が伝っていた。そして堪えきれないと言う様に、
「――参る!」
今度は鞘が突撃を敢行した。
あの構えでは胴を抜くのは難しい。加えて小手も打ちにくい。とすれば、面か突き。
しかし面を打つのであれば、一瞬胴が空く。純一は二度も同じ失敗はしないだろう、と何故か鞘は確信していた。
故に突き。速度をも生かすのであれば、これしかない。
「はぁぁ……突きぃ!」
足で床を叩き、最高速での一撃。タイミングからして万全の、最高の一撃だ。
……が、
「あまい!」
「!?」
純一の左手が竹刀の柄を叩きつけた。するとその竹刀は腕の振りだけでは考えられない速度で旋回する。
――あの構えは、このための!?
驚きに目を見張る鞘の竹刀がその回転に巻き込まれ、弾かれる。強引な巻き返しと同時に、鞘の手から竹刀が離れた。そして、
「めぇぇぇぇぇぇぇぇん!!」
ズバ――――ン!! と。純一の一撃は間違いなく鞘の面を打ち抜いていた。
主審、副審二人の旗がそれぞれ上がる。そして、
「面あり一本! それまで!」
ここに、番狂わせが起こったのだった。
「うへー……つ、疲れたぁ……」
数分後。純一は水飲み場で頭から水を被っていた。
鞘を倒した途端、康介はいきなり爆笑し始め、剣道部員からはしつこく入部を迫られた。
部活なんかに入る気はこれっぽっちもない純一は防具一式を康介に返すと早々に剣道場を後にしたのだった。
「つか、なにやってんだろうな、俺」
見学のはずが一戦をこなし、無駄に汗を流してしまった。……まぁ負けず嫌いなんで最後の方は本気になってしまっていたが。
っていうか既に『時間つぶし』という本題を逸脱しているような気がする。
「ふぅ……」
「タオル、使うか?」
「お、サンキュ。……って」
タオルを受け取ってから、気付く。いま受け答えしたのは誰だ、と。
そうしてゆっくりと視線を巡らせば、そこに立っていたのは、
「莢長……?」
「あぁ」
先ほど一戦を交えた、莢長鞘だった。
さっきは袴姿だったが、いまは普通の制服だ。
教室にいたときやさっきは感じなかったが、やはりマジマジと見ると綺麗な部類である。
身長も高いし、運動をしている割にはプロポーションも良い(語弊があるかも知れないが)。加えて顔も整っているし、腰まであろうかという黒髪は人形のように透き通っていて優雅だ。
と、少々見惚れていたことに気付き、純一は慌ててタオルで濡れた顔を拭っていく。と、どこか良い匂いのするタオルに、はたと思い至った。
「……あー、もしかしてこのタオル、お前のか?」
「? そうだが?」
「うわ、悪い。気付かなかった」
「純一が謝る必要はないだろう? 渡したのは私なんだし」
「いやそうだが――って待て莢長。いまお前、なんて言った?」
「渡したのは私だと」
「その前」
「純一が謝る必要はない、と」
ストップ、と純一は手を掲げて言った。首を傾げる鞘に純一はえーと、と前置きし、
「……なんで俺は呼び捨てにされてるんだ?」
すると鞘は本当に不思議そうに、
「何を言っている? これから付き合うのだし、それくらい当然だろう?」
「………………………………………は?」
目が点、というのはこういうことを言うのだろう。
いま鞘はなんと言った? 付き合う? 誰と誰が? なんで?
「佐藤から聞いたから来たのではなかったのか?」
「……はい? 何を?」
「自慢ではないんだが、私は昔からよく付き合って欲しいと言われるんだ」
まぁ、それはわからんでもない。鞘はハッキリ言って綺麗だし、そういう男も多くいるだろう。
「だが、私は自分より弱い男と付き合う気は無い。だから、私はこう言ったのだ。私に勝てたら付き合ってやる、と」
「……」
「佐藤は私と同じ道場だからその辺りの話も知っている。佐藤と一緒に来たから、てっきりそういうことなんだと」
待て待て待て待て待て。
「そんな話は一切聞いていない! 康介からはただ単に暇潰しに見学に来ないか、って言われただけだ!
それに第一、俺はお前を見て最初驚いただろう!?」
「む。そういえばそうか。つまり純一はその話をまったく知らないと」
「そうだ!」
「そうか」
どうやらわかってくれたらしい。だが、
「ならばこちらからということにしよう」
「へ?」
間抜けな声を上げる純一に鞘は近付き、にこりと微笑んでその手を握った。
「私と付き合ってくれ」
「………………………………………はい?」
「いや、その、な。……剣道が初めてでありながらあれだけの動き。そして威圧感。そしてあのセンス。感服した。
うん、やはり私が一生を添い遂げるとしたらそういう男でなければ駄目だと思うんだ」
「……い、いや待て!? つか一生!? 落ち着け、落ち着けよ!?」
「私は十分落ち着いている。それとも純一は、私では嫌か?」
「いやとかそういうんではなく!?」
なんでこういう展開になる!? と右往左往する純一は、視界の先である人物を発見した。
その人物はニヤニヤと面白そうに笑みを浮かべて親指をグッと立てると、そそくさと去っていった。
佐藤康介。……誰かが驚くのに楽しみを見出す男。
「こ……康介ぇぇぇぇぇぇッ!! てめぇ、最初から仕組みやがったなぁぁぁ!!」
鞘の腕を振り切り、純一は怒りのままに康介を追走した。それを見て「やっべ」と笑って逃げ出す康介。
「待て、純一! 私はまだ答えを聞いてないぞ!」
そしてその純一を追う鞘。
こうして純一の災難はまた一つ……いや二つ増えたのであった。
あとがき
ほい、どうも神無月です。
えー、今回はちょっとした実験です。ちょっと真面目な描写も加えてみました。
どんなもんでしょう? オチさえつけば途中は真面目モードでもいけそうですかね? それともやっぱり終始笑いに走った方が?w
できればコメントくださると嬉しいです。
で、えーオリキャラ。佐藤康介と莢長鞘。
佐藤康介は性格にややアレンジが加わってます。でもこういう方がアイデンティティあって良いですよね?(ぇ
さて、時間は放課後です。他の方たちもいろいろとありますので、お楽しみに。
ではまた。