浩平たちが学食に向かった後のことだ。
「……あー、なんでこんなことになってるんだろうなぁ」
と、しみじみ呟く祐一の額には漫画に出てくるような汗マーク。
そもそも昼食はこんなギスギスした空間で食べるものじゃないだろう、と思うがいまここから下手に動いたら殺されそうだと本能が告げている。
なので祐一は目の前の光景から現実逃避するように弁当に箸を突っついていた。
そんな祐一の前では机をくっ付けて四人の女子生徒が座っている。……それぞれ牽制するようにして。
「ねぇ、名雪? 陸上部は良いのかな? ミーティングとかはないの?」
ニコニコと、瑞佳。
「ん? 大丈夫だよー。あ、坂上さんは生徒会とかないの?」
ニコニコと、名雪。
「あぁ、心配無用だ。むしろ私よりことりだ。お前は一年だろう? 自分のクラスで友情を育んだ方が良いんじゃないか?」
ニコニコと、智代。
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫っす。それに私は祐一お兄ちゃんの従妹ですから」
ニコニコと、ことり。
四者それぞれに不気味なくらいの笑顔を浮かべて互いを見合っている。
正直怖い。この一帯をまるで黒いサイクロンが渦巻いているかのような錯覚すら感じられてしまう。
「今日も良い天気だなぁ」
「祐一。現実逃避もそこまでいくと悲しいわよ?」
「いらぬ突っ込みはやめてくれ林檎」
後ろからの突っ込みに泣きたくなってくる。こんなことなら浩平たちと一緒に学食に行っていれば良かった――と、
「「祐一!」」「お兄ちゃん!」「祐くん!」
「おう!?」
呼ばれ振り向いた先に、四対の箸がこちらに向けられていた。……それぞれ何かの料理を挟んで。
「「「「どれが食べたい?」」」」
「……えー」
で、なんでかこういう流れになっているという。
……つまり俺にどうしろと?
集まれ!キー学園
二十三時間目
「らんぶりんぐ・ぱーてぃー」
そもそも何がどうしてこういう状況になったのかと言えば、浩平が教室を出て行ったところまで遡る。
浩平が北川の親指を捻じ曲げ、絶叫を上げることすら無視して引きずり去っていってすぐ。まず瑞佳が祐一隣に座った。
観鈴は学食組のようでいまは不在。それは既に知っていたようで、観鈴の席につく。
「なんか、こうやって祐くんと一緒にお弁当食べるのも久しぶりだね」
「と言っても、去年だってしょっちゅう一緒に食べてたじゃないか」
「うん。でも、春休み跨いだらそれはやっぱり『久しぶり』だよ」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ」
微笑み、瑞佳は自らの弁当箱を開ける。
瑞佳らしい小振りな弁当箱の中には、色取り取りの美味しそうな料理が敷き詰まっていた。
「相変わらず上手そうだな。今日も自分で作ったのか?」
「うんっ。祐くん、良ければ何か食べる?」
「ん? いや、別に良いよ。それにその量で何か取ったらかなり少なくなるしな」
「そんなこと気にしなくて良いんだよ。私が味見して欲しいんだもん。それなら良いでしょ?」
「……ま、それならな」
「うん!」
それだけで嬉しそうに笑う瑞佳。そんな顔をされては断るわけにもいかないだろう。
それじゃあ、と呟きどれを取ろうかと考えて、
「あ、祐一! 瑞佳! わたしも一緒に良いかな?」
トトト、と駆け寄ってくる名雪が目に入った。
「おう、名雪。珍しいな、お前が弁当なんて」
「うん。ほら、今日朝練あったでしょ? だからね、どうせ早く起きるんなら、ってことでお母さんにもう少し前に起こしてもらってお弁当も作ったの♪」
……いや、もうそれはホントに珍しい。思わず祐一は窓から外を眺めた。
「おかしい。晴れてる」
「祐一? それどういう意味かな? ん?」
「別に深い意味は無いさ」
ただ不思議だなぁ、と思っただけだ。それは声に出さないけど。
半目で睨んでいた名雪もどうでも良くなったのか、適当に空いていた椅子を移動してきて瑞佳の対面に座るようにして弁当箱を置いた。
「うわー、瑞佳相変わらず料理上手いねー。どれも美味しそう」
「そういう名雪だって料理上手いもん。ほら、見せて見せて」
「わ、わ、勝手に開けちゃ駄目だよ〜」
「わぁ、美味しそうー! ね、祐くん」
「あぁ、確かに」
名雪はあれでも秋子の娘だ。料理は時々習っているようなので、料理のスキルは確かに高い。それは祐一も知るところだ。
それを証明するように弁当の中身は、瑞佳のものとも負けず劣らずの食欲をそそられる彩に溢れていた。
名雪と瑞佳は互いの料理を賛美し合い、おかずの取替えっこなんかをしている。実に微笑ましい光景だ。
二人は幼馴染だ。こうして皆で食べるのも何回もあったし、実際二人は仲が良い。
……そう。だからここまでは良かったんだ。ここまでは。
この温かい空気がどこか変化してしまったのはここからのことだ。
「あぁ、祐一。私も一緒に良いか?」
「お、智代」
ナプキンで包んだ弁当箱を片手に近付いてきたのは智代だ。
しかし珍しいな、と祐一は思う。智代はその人望というかカリスマのせいか、昼休みとくれば一緒に食べたいと申し出る友人なんてそれこそ山のようにいるのに。そして智代も断らないものだから、智代と昼食を取る、ということが極めて少なかった。
「別に構わないが……どうした?」
「ん、あぁ、いや。たいしたことじゃないんだが……な」
? と首を傾げる祐一。いつもはきはきしている智代とは思えないほどの口篭りっぷりだ。何があったんだろうか。
「その、な。一つ聞きたいことがあるんだ、祐一」
「なんだ?」
「今年の一年にお前の彼女がいる……というのは本当なのか?」
「げほっ! ごほっ!」
「ど、どうした祐一!? まさか、本当だったのか!?」
「い、いやそんな事実はないんだが……」
っていうか名雪と瑞佳の目が果てしなく恐ろしいことになっているのですがこれいかに。
「しかし、なんだ藪から棒に」
「いや、後輩がな。この前の休日に祐一を見かけたらしいんだ、映画館で。そのときに仲良さそうに一緒に歩いていた女の子を見たんだとか。
それが後輩が言うには今年高等部に入ってきた一年生で、綺麗で有名な女子だと聞いてな……」
聞けば、その後輩の女子はそれはもう熱弁してくれたのだという。
『あの二人! もう反則的なまでにお似合いでー! どこのドラマの撮影かと思えるほどでしたよー! あれは絶対にできてますよ!』
とか智代に吹き込んでくれちゃったらしい。
話の内容を聞いて瑞佳は「あ、そのことか」と安堵の息を吐き、名雪は「う〜、あのときは散々だったよ……」としょげていた。
「ともかく、彼女なんかじゃない。確かに映画は見に行ったが、ことりは名雪と同じで俺の従兄妹だ。他意はない」
「そうなのか?」
確認の言葉を瑞佳に投げかける智代。祐一だけでは信じられないらしい。しかしそこで迷わず瑞佳を選ぶ辺り智代もなかなかつわものである。
「うん、本当だよ」
「そうか……。いや、すまない。早とちりをした」
瑞佳の肯定を経て、ようやく誤解は解けた。やれやれ、と胸を撫で下ろす祐一の横に椅子を持ってきた智代が座り込み、
「けど、安心した。なら弁当を作ってきた甲斐があった」
「あ?」
「いや、どこぞの馬の骨とも知れぬ相手に祐一を掠め取られた――じゃなくて、祐一に彼女がいたらその相手に失礼だしな。
祐一はいまフリーなんだろ? なら問題はないだろう。私の弁当を食べてくれないか?」
いま最初に不穏当な言葉を聞いたような気がしたが――それよりも、
「待て、智代。それはお前の弁当じゃないのか?」
「無論、私のもある。だけど今日は他にも祐一のために弁当を作ってきたんだ。どうだ、女の子っぽいところもあるだろう?」
「あぁ、いや、まぁそうだな。そうだが……」
ニコニコとご機嫌な笑みを浮かべる智代の背後、黒いエナジーを撒き散らしてこちらを睨みつける般若がいるんだが。
「どうした? 祐一は男だ。その弁当だけじゃ足りないだろう?」
「いやー、俺は案外小食だぞ?」
「食べすぎは良くないが、食べなさすぎも問題だ。だから私のも食べろ。大丈夫だ、ちゃんと栄養も考えて作ってある」
なにが大丈夫なのか疑問だが、祐一としては智代を挟んで向こう側にいる二人の少女に身の危険を感じてしまう。
さてどうしたもんかと考えていると――さらに状況はエスカレートしていく破目になる。
ガラガラ、と扉の開く音。そして現れるはアイドルと間違うほどの美貌を持つ、可愛らしい少女。それは、
「あ、えーと。失礼します。えっと、祐一お兄ちゃんはいますかー?」
「こ、ことり!?」
その名に智代と名雪のがピクリと反応した。
「あ、お兄ちゃん♪」
帽子を被り、綺麗な長い髪を軽く揺らして笑みを浮かべるのは間違いなく白河ことり。
するとことりはパタパタと祐一のところまで駆け寄ってくると、いきなりガバッとその背中に抱きついた。
「会いたかったっす、祐一お兄ちゃんっ!」
「ちょ、お、おいことり!?」
智代のこめかみに青筋が走り、瑞佳の目が半目になり、名雪の口からはダースベ○ダーみたいな呼吸音が聞こえ始めた。
デンジャーだ。これは極めてデンジャーな状況だ。
この状況をどうにか打破したいが、避雷針のようなボケ担当の浩平や北川はここにはいない。
なら他の連中でどうにか流せないかと非道な祐一は視線を巡らすが、
「畜生、相沢祐一……! なんであいつだけ……!」
「わかる、わかるぜ南! あいつは俺たち男の敵なんだ! なぁ、御堂!」
「そうだとも! やつこそ俺たち共通の敵なんだ! だな、中崎!」
「そうだね! 僕たちの目の前であんなハーレム築いて……! なぁ、南森!」
「あぁもちろんだ! お前もそう思うだろう、城島!」
「いや、悪いが俺は茜一筋さ!」
……なんか端っこで男子が固まって密談していた。
すこぶる怖い。
っていうかなんで南森がいるんだ。一時間目にボコボコにされて病院送りにされたのではなかったのか。
回復が早いというかそれは既にリビングデッドの領域だと思うのだがどうだろう。
それになんかあれに助けを求めるのは人としてどうよとか思ってしまうあたり自分もまだ堕ちることは出来ないんだなぁ、なんて思ってしまったり。
「祐一、現実逃避してるわよ」
「わかってる林檎。しかしそうでもしていないとやってられない心境なんだ」
「わかってて現実に戻したのよ」
後ろの席で一人パンをかじって傍観していた林檎の冷たい攻撃に祐一の作戦はもろくも崩れ去った。
……まぁ、現実逃避していたからといって何が解決するわけでもないのだが。
仕方ない。現実に戻ろう。
「で、ことりはどうしてここに?」
「お昼休みにお弁当持って来てすることなんて一つだよ? お兄ちゃん」
にこ、と微笑むことりの手には確かに弁当袋。
そうかそうかやはりかなんとなくこんな予感はしてたんだ、と心中でご五度も六度も頷く祐一。
だが祐一が何かを言うより早く智代が動きを見せた。
「ことり、といったか」
「あ、はい。白河ことりです」
「うん、私は坂上智代だ」
「坂上さん、ですね」
「で、だ。ことり。実はな、祐一は先に私と弁当を食べることになっていたんだ。悪いが今日は下がってくれないか」
真正面からことりを凝視して、迫力満点の顔で智代。強烈なことを言うなぁ、と肩身の狭い思いで眺めていると、
『さぁ、先制は坂上さんです! この攻撃に対し白河さんはどう出るのか!? はたまた後ろに控える二人の大逆転はあるのか!?
あ、オッズは現在白河さんが1.2倍、坂上さんが1.6倍、瑞佳が2倍の水瀬さんが4.4倍でーす!』
「……おいそこの柚木詩子。何をやっている?」
教室の最奥。机をくっ付けてマイク片手にトトカルチョなんか敢行している女がいる。
こっちに向かって「てへ」とか笑みを見せているのは柚木詩子。
情報収集能力に関してはあの杉並すら上回るというパパラッチ娘であり、イベントの度にトトカルチョで一儲けしているとかなんとか。
『さぁ主役は脇のあたしたちのことなんて放っておいて舞台に戻ってくださーい。っていうかとっとと現実直視しろよーぅ』
このやろう、人事だと思いやがって、と出来る限りの力を込めて睨むが、そんな視線どこ吹く風。詩子はものともしない。
で、そんなことをやっているうちにも女の戦いは続く。
ことりが何を言うより先に、思わぬ方向から。
「でも坂上さん。先に約束した、っていうことならきっとわたしたちの方が先約だよ?」
それは瑞佳。どこまでも邪気のない、果てしない笑顔。
……が、それがどこか不敵な笑みに見えてしまうのはどうしてだろうか。
「だ、そうですよ坂上さん?♪」
一瞬智代の発言にたじろいでいたことりもそれで勢いを取り戻す。既にこの状況で中心であるはずの祐一は完璧に外野になっていた。
「……だが私が駄目ならことりも駄目ということにならないか?」
「あっ」
「そうだよ〜、ことりちゃんも下がるんだよ〜」
ここぞとばかりに名雪が便乗。そこでことりは頬を膨らませて、
「で、でも! 名雪お姉ちゃんや長森さんはしょっちゅう祐一お兄ちゃんと一緒にご飯食べてたんですよね?
……私、お兄ちゃんとお弁当なんていままでなかったんですよ?」
「それを言うなら私も同じだな。生徒会の関係上滅多に昼食は一緒にできない。できることなら優先してほしい」
瑞佳&名雪の幼馴染コンビと智代&ことりの即席対抗タッグが睨み合う。
様相は二対二か、とも思えたが、
「駄目だよ〜。どんな理由があっても祐くんと最初に一緒に食べよう、って言ったのはわたしだもん。名雪も含めてばいばい」
「うわ、瑞佳極悪だよっ!?」
ガーン、とショックを受ける名雪を笑顔で受け流す瑞佳。この辺天然なのか策略なのか判断のつかないところである。
こうして様相は四者入り乱れての乱戦へともつれ込もうとしていたのだが、それを見かねた祐一がふと一言。
「別に先とか後とか理由とかどうでも良いだろ。弁当なんて一緒に食えば良いさ」
が、何気なく言ったこの一言が祐一自身の地獄を具現化することとなる。
――で、この状況にいたる、と。
冒頭の場面に話は戻る。四人が互いを牽制し合い、挙句皆から料理を渡されるというこの状況。
周囲の野次馬(特に詩子)は煽るし、それに対してこの四人は動じもしないと来た。
さて、どうしたものか――と考えたところで祐一はふと気付いた。
煽っている野次馬の連中。南を筆頭にした男連中が激しく腕を振って「いけー!」だの「頑張れー!」だのと叫んでいる。
だが、よくよく考えると言葉がおかしくないか? 先程まであれだけ呪詛に近い文句を垂れていた連中が、そんな言葉を吐くだろうか。
それに……南森がいない。
「ふむ。つまり――」
祐一は椅子を引き、ゆっくりと机の下を見た。
「……」
「……」
ばっちり目が合った。
カメラを携えた、南森大介と。
「…………ほう」
「いや待て相沢! ここは交渉と行こう。俺秘蔵のコレクションを贈呈するからここは穏便にな!」
「そうか」
「おお、交渉成立か!?」
「いや、残念ながらもう遅い」
「え?」
気付くのが遅い。
既に机は取り払われ、南森は四人に囲まれる形になっていた。
それも当然なのである。なんせ皆は祐一を見ていて、その祐一が下を見れば自ずと視線は下に向かうというものなのだから。
「そ、そんな馬鹿な!? 全員相沢に釘付けだったからシャッターチャンスだと思ったのに!?」
「ほう。何のシャッターチャンスだったか聞いて良いか?」
智代がゴキゴキと腕を鳴らし、
「もう。相変わらず南森くんはしょうがないなぁ〜」
瑞佳がゆっくりと椅子を振り上げた。
「えーと、皆様落ち着いて!? ね!? ほら、俺まだ未遂だし!? まだ撮ってないし――!?」
「問答無用、だよ?」
にこ、っと笑った名雪の発言が死刑宣告だった。
「うわ、ちょ、待って! やめて! 坂上の蹴りはマジ洒落にならぐぉふぇうあ?! い、椅子は嫌ー! ぐは、ちょ、そこは蹴っちゃいけないとこおぉぉぉぉぉ!? いやぁぁ、俺の、俺の子孫がぁぁぁ!? あ、カメラだけはぁぁ! カメラ、あ、あ、あああぁぁぁああうんぇげじゃっぷっるぁ!?」
智代の蹴りで打ち上げられ瑞佳の椅子で叩き落され、挙句ことりには急所を踏まれ名雪にはハンマー投げの要領でカメラを投げられる始末。
むごい……。
野次馬や詩子、祐一までも絶句してしまうほどの徹底振りだった。
おそらく勝負モードだった弁当タイムを邪魔された怒りが溢れているのだろう。
人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られるというが、きっとそれ以上のダメージだろうあれは。
ともかく、祐一からすれば上手く状況を抜けられたので南森に心中で感謝。あとで缶ジュースでも奢ることにしよう。
そうして、昼休みは打撃音と共に終わりを迎えた。
あとがき
えー、どもども神無月です。
久々のキー学更新ですね。うん、哀れ南森。再起早々退場。さよなら〜。
そして祐一。モテモテですね?w まぁキー学では王道的な祐一の立ち位置でいきますよ〜。
さて、次回は授業風景か放課後の部活か。どうなるかは気分次第(ぉ
というわけで、またまたー。