純一は祐一たちと別れ、あくびをしながら自分の教室へと向かっていた。

 ――大変だなぁ、風紀委員も。

 今頃遅刻組と戦争を引き起こしているであろう音夢を思い出し――でもそんな音夢が一番らしいと思ったのでそれ以上深くは考えなかった。

 音夢にとってはあれが一番の憂さ晴らしなんだろう……と思う。

 というわけで一年C組。そのプレートの下にある扉に手を掛けて……、

「――!」

 刹那、嫌な予感を感じ、引くと同時に頭を下げた。

 するといままで頭のあった場所を何かが轟音を上げて通り過ぎていった。

「嘘ぉ!? あれをかわすなんて!?」

「ふっ。さすがは同士朝倉だな」

「おいおい。いったいなんなんだよ……」

 通過したものに目をやれば、天井からぶら下げられた……顔の崩れたある意味怖いうさぎの人形であった。

 紐に吊られてプラプラしているその人形を手に取ってみると、ずしりと重い。錘でも入っているのだろうかと思いつつ純一は教室の中を見やる。

 正面、こちらを見ている三人がおり、その中で机に座る男が小さく笑い、

「初歩的なトラップだよ。ちなみに俺がやった」

「わかってる。こんなことするのお前くらいしかいないだろ? ……零夜」

「はは、やっぱわかるか」

 その男、名を藍住零夜。

 中等部二年のときに同じクラスになった相手だ。どうやら今年は同じクラスらしい。

 趣味が罠というかなり変わった人間であり、性格もまた……変わった人間である。親しい友人には罠をかますという困った友情感の持ち主ということからしておかしいのは明白だ。

 ……まぁ、面白い人物ではあるのだが、毎度毎度その罠の対象にされるのはやめてほしいと思う。切実に。

「ちなみに杉並も回避したぞ」

「当然だ。あの程度のトラップにこの俺が引っかかるはずもない」

「おかしいわよあんたも杉並も! どうしてあんなのかわせるのよ! ありえない!」

 零夜の隣、壁に背を預けてニヒルな笑みを浮かべる杉並と眉を立てて怒る水越眞子。

 水越眞子との付き合いはかなり古い。中等部に入ってからなんだかんだでずっと同じクラスなのだ。

「……ということは眞子は直撃したんだな」

「あったりまえでしょ!? あんないきなり出てきたら普通ぶつかるわよ! あー、もうむかつく! 朝倉がぶつかるの見て憂さ晴らそうと思ったのに」

「……で、眞子。そのフリッカースタイルはあれか? 憂さ晴らしに誰かを犠牲にしようと、そういう意思表明かそうなのか」 

「あははー、なに言ってんのよ朝倉。あたしがそんなこと! すると! 思って! いるのぉ!」

「はははは水越よ。そんなことを言いつつ言葉尻にアクセントを込めながら渾身で俺にフリッカージャブが飛ばしているのは気のせいか? ん?」

「気のせいよ! 幻覚よ! だから杉並! 一発受け取っときなさい!」

「痛そうな幻覚なので遠慮しておこう」

「むきー! 一発も当たらないってどーゆーことよ!?」

 ――眞子、それは既に公言してしまっているぞ。

 とはいえいま突っ込みを入れれば矛先がこちらに向くというかったるいことになりかねないので、その言葉は心の中だけに留めた。

 じゃれ合う二人を尻目に純一は視線をずらすと、

「……ん?」

 零夜がいないことに気付く。視線を巡らせば、

「……零夜、なにしてる」

「んー? 見てわかんないのか?」

「俺にはお前がトラップの再配置をしているように見えるな」

「まぁその通りだな」

 いやそんな事もなげに。

 しかし零夜はにこやかに……そりゃあもう見る人が見れば悪魔とも取れる笑顔を浮かべ、

「なーに、これもスキンシップの一つさ。新しいクラスで緊張してる奴らに俺なりの配慮ってやつさ。やっべ、俺良い人?」

「九割方私利私欲だと思うぞ」

 っていうかこのキー学に新クラスで緊張するなんていうまともな神経を持ち合わせている者など一割満たないだろう、なんて考える純一。

 ちなみにその一割に自分が入っていると思っているあたり彼は自己認識をもっと強くするべきだろう。

 設置が完了した零夜が口笛なんか口ずさみながらこっちへ戻ってくる。そのまま純一の横に立ち肩を叩き、

「楽しみだな?」

「やっぱ私利私欲じゃん」

 ぬはは、と不気味な笑みで零夜。純一としてはトラップに引っかかる相手が温厚な者であることを祈るだけだった。

 だが純一は一つ忘れていることがある。

 そう――自分にとっての最強の脅威がまだこの教室に来ていないという事実に。

「あぁ、疲れた」

 ガラリと扉を開けて入ってくる人物。それを見て純一は一気に体温が下がるような錯覚に襲われた。

 温厚など程遠い。その名は、

「音夢!?」

「え――」

 だが遅い。既にトラップは発動しており、天井から振り子の要領で落ちてきた人形は音夢の顔面に激突し……、

 ゴン!

 ぷ〜。

「……」

「……おい、零夜」

「あはははは、な、なんだ純一?」

「腹抱えて笑う前に質問に答えろ。……あの人形何が入ってる?」

「錘とミニブーブークッション。あ、ちなみに錘は攻撃力のためじゃなくてクッション鳴らすための勢いと圧力を生み出すためのものだから」

 そこまで聞いてないとかそういう突っ込みすら言葉に出来ない。

 音夢の肩が小刻みに震えている。間違いない。あれは完璧に怒っている。

 落ち着け、と自分に言い聞かせる。今回は別に自分はなにも悪いことをしていない。悪いのは100%零夜だ。 

 しかし何故だろう。長年積み重ねてきた何かが必死に危険を訴えている。別に悪いことをしたわけではないのに。

「……まったく」

 音夢が人形を握りながらどかす。握力がすごいのか、人形がぷーではなくぶーぶーいっているが当人気にしている様子はない。

「どうして兄さんはいつもいつもこう……」

 ギューっと握り締められる不気味うさぎ人形。いったいどれだけの握力なのか、首元が圧迫され綿が上方向に流れ、顔がとんでもなく膨れ上がり不気味度が数段アップしている。

 加えて、音夢の浮かべている笑顔のなんと恐ろしいことか。視線を受けているこちらとしてはたまったもんじゃない。

「……というか待て妹よ。俺は今回なにもしていないぞ」

 言った瞬間、圧力に耐え切れなかった人形の顔面が破裂し、綿が飛び散る。それでも音夢の笑みは崩れない。

 ……目の前の光景はホラー映画を軽く凌駕していると思うのだがどうだろう。主にこの寒気とか鳥肌とか。

「ま、まぁ落ち着け音夢。零夜も反省――」

「いやぁ、面白かった。やっぱり朝倉は面白いなぁ」

「しとけよ!?」

 踏み込まれる足音。

 恐る恐る振り向けば、どこからか取り出した辞書を振り上げた般若の音夢がおり、

「兄さんの……馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

「なぜ俺かぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 お約束の一撃が振り落ちた。

 

 

 

 

 

集まれ!キー学園

十五時間目

「激動のHR」

 

 

 

 

 

「あ゛――――……」

 妙に変な方向に曲がった気がする首をほぐしつつ、純一は自分の席に座っていた。

 だがこの席、正直心休まれる場所ではない。

 学級は始まったばかり、いまだ席順は名前順のままだ。

 ……つまり、純一の前の席が笑いを堪えている零夜であり、後ろの席が怒り冷めやらず怨念の視線を背中にぶつけてくる音夢なのである。

 純一としてはいますぐ席替えを希望したい勢いだ。

 だが既にHRの時間になっているにも関わらず現れないあの教師や、初日から遅刻をかますという数人のチャレンジャーにより時間はどんどん無くなっていく。

 普通、最初のHRは委員会を決めたり席替えをしたり、あるいは自己紹介をする場ではないのか。

 そしておそらくその中で席替えの優先順位は限りなく低いはず。故に時間が足りなければ一番最初に切り捨てられるのがそれだろう。

 それだけは勘弁したい。零夜は頻繁に思い出し笑いをして愉悦に浸るおかしい人間だし、音夢はこういうことを結構根に持つタイプなのだ。

 今日一日はこの状況が続くに違いない。……考えただけでぞっとする。

「どうしたの純一くん? 頭なんか抱えちゃって」

「いや、HR始まらないからどうしようかと」

「そっか。先生来ないもんねー」

「そうだな。……って、みさお!?」

「はろ〜」

 ひらひらと至近距離でにこやかに手を振るのは、間違いなく折原みさおだ。

 背中から感じる殺気が150%増しになったような気がしつつ、純一はみさおからわずかに距離を取る。

「ってか、みさお。お前仮にも授業中なんだから立ち歩いてるのは良くないと思うぞ?」

「あは、なに言ってるのー? 純一くんがそういうの気にするたま〜?」

 たまて。

「それに、わたし立ってないしね」

 確かに言われてみれば視線の高さは同じだ。よく見ればみさおは席ごと近寄ってきたらしい。

「……って、席ごと?」

「うん。だってわたし出席番号7番だから席、純一くんの斜め前だし」

「あー……」

 そうか、縦に六席だから七番目で先頭になるわけか。一昨日はボーっとしていたし今日は恐怖に怯えていてまるで気付かなかった。

 で、だ。

「……」

「……(にこにこ)」

「……あー、折原さん?」

「みさおで良いって言ったじゃーん」

「……みさお?」

「ん、なぁに?」

「……なんでここから離れる素振りがないのかな?」

「だって先生来ないしつまらないじゃん。だったら純一くんの顔見てた方が楽しいもん」

「えーと、俺の顔なんか見てても楽しくないと思うなぁ」

「そんなことないよ? だってわたしの好きな人の顔だもん」

 ゴキン!!

 ……いまなにか後ろで怖い音がした。したが怖すぎて振り返ることもできない。

「おーおー、朝からお暑いねぇお二人さん」

「いちいち煽るな零夜! 俺の命が危険になる!」

「えへへ〜、それほどでもー」

「みさおも真に受けるなぁぁ!」

 ほら、おかげで背後から押し寄せる気配の密度が半端じゃないことに……!

 だがどうやら神は純一を見放さなかったらしい。

「ふわぁぁぁあ……HRやるぞー」

 あくびをしつつ教室に入ってきたのはクラス担任の国崎往人だ。

 ナイスタイミング。みさおは自分の席に戻り零夜も前を向き、音夢から放たれる威圧感もなりを潜めた。

「……良かった」

 このえせ教師が救いの神に見えた一瞬であった。……一瞬だが。

「ったく、面倒くせぇなー、HRってのも。さっさと終わらせようぜー」

 緩慢な動作で教卓に辿りついた往人は既にやる気の欠片もない。

「なにするか知らないが勝手に進めろー。俺は次、二年の体育があるんだ」

「国崎先生は体育の教師だったんですか」

「おう、そうだぞ折原。それ以外できることねーって聖のババアが――」

 ガシャーン!

「うわ、なんか飛んできた!」

「これ……メス!?」

「うわ、すごーい。国崎先生を囲むように的確に飛ばされてるー」

「いったいどこから!?」

「あっちの校舎からじゃないか!? 職員室の方!」

「まぁ、あれだ。とりあえず落ち着け皆。俺は落ち着いている」

「すごい。先生微動だにしていない!」

「いえ、純粋に動けないだけでしょう。実際身体小刻みに震えてますし」

 コホン、と往人は声を整えるように咳を一つ。

「まぁ、あれだ。聖のバ――先生のことは置いておいて、だ。まずはとりあえず出欠を取ろう。休んでるやつは手をあげろー」

「先生、落ち着きましょう。台詞がすごいことになってます」

 さっきから冷静に突っ込みを入れているのは天野美汐だ。さすがはバーサーカーアーチャーたる胡ノ宮環のストッパーなだけはある。

 とりあえず純一はメスの投擲に関しては関与しないことにした。ただでさえ今日は厄日なのだ。できる限り面倒そうなことは避けたい。

 しかしメスに目を奪われているのかどうかは知らないが、誰も割れたガラスに見向きもしないというのはある意味すごい。

 それだけキー学の生徒はネジが数本抜けているということだろう……と、やはり純一は自分のことを棚に上げつつ考えていた。

「仕方ない。とりあえずいない奴はー……倉田一弥と戸倉かえでと美坂栞か。戸倉は確か欠席届け出てたな。他の二人、誰かなにか聞いてないか?」

 皆一斉に首を横に振る。

 ちなみに倉田一弥はというと――、

 

 

 

「……はぁ、鎧の中って退屈だ。身動き取れないし。時間感覚おかしくなるし。……でもなんの音沙汰もないってどういうことなんだろう。

 はっ!? まさか姉ちゃん僕のこと忘れて……!? い、いや落ち着け倉田一弥! 姉ちゃんがそんなことするわけないじゃないか!

 姉ちゃんはきっと来る! そして僕をここから解放してくれる! そうさ、待つんだ僕! いまに天使の笑顔を振り撒いてあの姉ちゃんが(以下略)」

 その姉に閉じ込められたということを忘れ、さらに諸所の都合で早く家を出た佐祐理のことを知らない倉田一弥15歳。

 あゝ、無情。

 

 

 

「あ、そういえば美坂は見たな、朝」

 そう口にしたのは純一の列の一番後ろ、遠藤裕也だ。

 だが純一は別段彼と親しいわけではない。友人の友人という感じでいままで特に接点はなかった。同じクラスになることで、付き合いは増えるだろうか。そんなことを考える。

「ほう、どこで見た?」

「朝、通学路で。多分学校には来てるはずなんだけど――」

「来る」

 声は別の場所から。透き通るような声は教室中に響き、皆の視線が一箇所に集められる。

 純一の知らぬ生徒だ。無理もない、何故なら彼女――莢長鞘は高等部からの入学者なのだから。

 どことなく冷たい印象を受ける彼女の傍らには、竹刀袋が置かれている。剣道部だろうか。

 しかし彼女はいったい何が来ると言うのか。……だがその答えは数秒でわかることになる。

 一番廊下側の席に座る純一が鞘を見るためには窓の方向を向かなければならないわけだが、その視界の中、不意に――窓の外に影。

「は?」

 なんて声を上げるのが精一杯だった。

 ガシャ――――ン! バリバリン! ドタンバタン!

 一同、唖然。

 ……そりゃあ、いきなり窓を突き破って少女が教室に入り込んできたら何事かと思うだろう。

 この状況でも冷静っぽい杉並や鞘、美汐がむしろ異常。

「よっこいしょ」

 飛び散った窓ガラスをじゃりっと踏みつけながら立ち上がる謎の少女。否、その少女は純一も知るところであり、

「美坂……?」

 そう、彼女の名は美坂栞。

 中等部のときには病気でろくに学校にも来れなかった病弱少女であ……ったはずなのだが。

「いや、すいません。サバイバル部の朝練が長引いてしまいましてー。折角なので習ったばっかりのロープ技術を使ってみました」

 てへ、と笑う栞。

 とまぁ、こんな具合に中等部三年の後半からまるで別人のようにはっちゃけてしまっているのである。

 祐一曰く、いよいよ姉に近付いてきたとかなんとか言っていたが、栞の姉はこれ以上にすごいのだろうか……。

 ――想像できねぇ。

 というかしたくなかった。

「あ、先生おはようございまーす」

「あぁ、おはよう。で、美坂。教室に来た早々悪いんだが」

「はい」

「廊下に立ってろ」

「えぇぇぇぇぇぇ!?」

 いや、当然だろう。

「そ、そんな! 部活に勤しみ、遅刻をしないようにと手段を選ばず教室に駆け込んだ私を、先生は廊下に立たせるんですか!?」

「せめて手段は選べ。あとあれは駆け込んだではなく飛び込んだというんだ」

「屁理屈です!」

「屁理屈なわけあるか! 廊下立ってろ! バケツに水汲んで持って立ってろ!」

「ひどっ! 先生、それは放置プレイですか!? セクハラで訴えますよ!?」

「話の方向性を強引に捻じ曲げるな! 良いから立ってろ!」

「う……」

 栞は一、二歩と後ずさり、瞳に涙を溜めて、

「うわぁぁぁぁぁん、お姉ちゃぁぁぁぁぁぁぁん、セクハラ教師がぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「人聞きの悪い言葉放ちながら廊下を走って行くんじゃねぇぇぇぇ!?」

 くそ、と往人は毒吐き、生徒を見回して、

「俺はあいつを追いかける! 他の奴らはガラスの後片付けしてろ! 良いな!?」

 言うが早いか往人も全力疾走。これは皆知らないことだが、往人、折角手に入れた職を数日でパーにするわけにはいかないからだろう。

 と、いうわけで取り残された1−C生徒たち。

「……」

「……片付けるか」

「そうだな。寒いし」

 春とはいえ、窓がないのはさすがに寒い。誰からともなく掃除を開始した。

 掃除を終え、往人が栞を捕獲して教室に戻ってくる頃には……HRの時間も終わってしまっていた。

「……HRすらまともにできないのか」

 どうやら今年のクラスは去年なんかとは比べ物にならないような連中が揃っているらしい。

 かったるい、とぼやく純一。とはいえ、おそらく今回ばかりは同意見の者もいるだろう。

 

 

 

 あとがき

 ども、神無月です。

 さて。いよいよ学園生活スタートです。というわけで、最初は一年生。

 数人オリキャラの名も出ましたが、今回一番出番があったオリキャラは藍住零夜から?

 遠藤裕也も莢長鞘もちょい役でしたしね。これからをお待ちください。

 で、倉田一弥。二回目の出番(?)にして、既に神無月の中で方向性が決まってしまった可哀相なキャラです(マテ

 その他美汐や栞など、その辺のキャラもまだまだ活躍していきますので、一年もお楽しみに。

 では、また次回に。多分次は二年。

 

 

 

 戻る