「ん・・・んん・・・」
眩しい感覚に、相沢祐一は目が覚める。
基本的に、彼は寝起きが良い。というのも、寝起きが良くなければ学校への登校のとき際某少女のせいで遅刻すること必須だからである。
枕もとの時計を手元に持ってくる。午前七時。
「・・・嫌なもんだな、身体に刻み込まれた習慣ってやつは」
ポリポリと頭を掻きつつ嘆く。まともに寝坊もできやしない。
とはいえ、起きてしまったものは仕方ない。そう思いベッドから起き上がって着替えをしようと思ったとき、
「ゆぅぅぅうぅぅぅいぃぃぃちぃぃぃぃぃぃ!!!!」
バターン、と勢い良く扉が開け放たれ馬鹿が来た。
「むっ、駄目だよ祐一。お母さんを馬鹿呼ばわりなんかしちゃ。ありんこが許してもお母さん許さないぞ?」
「比較対象の小ささに涙が出そうだよ。というかなぜわかった?」
「ふふふ、腐ってもお母さんは祐一のお母さんなのよ?」
自分で腐ってるとか言う辺り少しは自覚あるのかもしれない。それはさておき。
「で、母さんはこんな朝早くにその息子の部屋になんの用?」
「あ、そうそう、そうなのよ。これ見て、こ・れ♪」
ずいっ、と目の前に差し出されたのは携帯電話だ。
ニコニコしている春子を半目で見つつ、その携帯を受け取り画面を見る。するとそこはメール画面で、件名が目に入り、
『マイスィートハニー、春子へ』
電源を切った。
「あぁぁぁ、なにするの祐一!?」
「いや、多分これが普通の反応だと思う」
なにが悲しくて親のラブラブトーク(メールだが)を見せられなきゃならんのか。
だが春子は気が納まらないらしく電源を付け直し、
「どうせ祐一のことだから件名しか見てないんでしょ? しっかりと中身も見てよぉ」
「なぜに? 簡潔に三文字以内で」
「見・ろ・♪」
「・・・命令形かよ。しかも理由になってないし」
とはいえ、延々と押し問答していても仕方ないのは事実。
あてつけに大きくため息をするもののスルーされ、仕方無しに内容を見てみる。
『マイスィートハニー、春子へ。
やぁ、君は相変わらず元気みたいだね。まさか夜中の四時にメールが来るとは思わなかったけど、ガッツで起きたよ(^O^)
どうやら祐一がハニーに冷たいそうだね(ノ_<。)
それはあれだね? きっとあれだよ。うん、あれだね。
まぁとにかくそんな感じだから心配しなくても大丈夫だよ。祐一は良い子だから、きっとすぐに目を覚まして僕らの愛を受け入れてくれるさ。
あぁ、心配はいらないよ。もちろん僕の愛はハニーに向けて一直線さ!☆⌒(*^∇゜)v
そう、そういえば聞いておくれよマイハニー。こっちではとんでもないことに―――』
削除した。
「ほぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!?」
「朝っぱらから奇声はやめてくれ母さん。泣けてくる」
「泣けてくるのはお母さんです〜っ! 消すって、よりにもよって消すってどゆこと!? しかも全文読んでないでしょ!」
「あぁ、ごめん悪気はなかったんだ。つい反射的に」
「反射でお母さんとお父さんの愛を削除!? これは遠まわしに家庭内暴力!? サドスティックバイオレンス!?」
「いや、あれは誰でも消すだろう・・・。というか最後の言葉合ってるようで間違ってるから」
あのピンクな文面に顔文字の羅列がなんとも意識を遠のかせる。実際削除したのにほとんど自覚はなかった。
そういう意味では父恐るべしといったところか。
「うぅぅ・・・いいもんいいもん。もう一回送ってもらうもん」
「や・め・ろ」
あーだこーだと未だに喚く春子を部屋の外へ放り出し、鍵を閉めた。
ぐすん良いよ良いよあきちゃんに聞いてもらうもん、とか言いつつ階段を下りていく春子。あぁ、そんなことをしてまた水瀬家に迷惑を掛けるか。
あのノロケにはさしもの秋子も辟易としているようだし。
まぁ、それで水瀬家の食卓に八つ当たりでオレンジ色のジャムが出現しても困るのは自分ではなく名雪だし、と外道な思考を展開する祐一。
敢えて言おう。相沢祐一は何気にヒドイ人間である。
そんな外道な祐一がちょうど着替え終わる頃、相沢家にチャイムの音が響き渡った。
思わず時間を確認するが、あれから十分と経ってない。休日の来訪者にしては随分と早い時間ではないだろうか。
「新聞の勧誘か?」
それなら先にご愁傷様、と伝えたい。
春子はああ見えて鬼である。新聞の勧誘にさも気がある素振りを見せ、おまけ『だけ』をたんまり貰い、さよならである。
おかげで我が家は洗剤とビールに困ったことはない。
だが、そんな祐一の予想に反していきなりの声が相沢家を駆けた。
『うわー、お久しぶりねー!?』
・・・久しぶり?
つまりは、やはり客人ということだろうか。
部屋を出て、二階の廊下からこっそりと玄関の方を覗いてみるとそこには、
「あ、あはは・・・。ども、お久しぶりです、春子さん」
なんて苦笑いを浮かべている白河ことりの姿があった。
「―――は?」
この言葉こそ全てを示していると思うわけだが、どうだろう。
集まれ!キー学園
十二時間目
「休日の過ごし方(祐一編・前編)」
前略。
白河ことりが強しゅ―――げふんげふん、来訪しました。
そんなわけで現在。ステージは居間へと移動し、テーブルを挟んで向き合う祐一とことり、さらにその右側にお茶を淹れてきた春子が座るという状況となっている。
「それにしてもホントに懐かしいわぁ。以前会ったのはいつだったかしら?」
「そうですねー。親戚が集まったときとえば・・・四年前の正月くらいじゃないでしょうか」
「そっかー。そうなるのねー」
話は祐一を置いて進んでいく。
とりあえず、春子とことりの仲は良い。いや、というかことりは基本人当たりが良いから誰とでも仲良くなれる。・・・というか悪い関係にはなるまい。
その点祐一は結構淡白であまり人に合わせようというところがないぶん友人は少なくて良さそうなものだが、そうでもないのがにんともかんとも。
親戚の間でも別段祐一は浮いているわけでもなく、むしろ好かれていたりするのであった。
・・・まぁ、それはその『親戚』が特殊な思考の持ち主が多いからかもしれないが。
ま、それはさておいて。
「で、ことりは今日なにしに来たんだ?」
一番濃厚なのは引越しの挨拶だろうか。来ることは事前に知っていたとはいえ、昨日は自分もびっくりさせられたし、隣はちょうど水瀬家だ。
「えーと、お引越しの挨拶と」
と、ということは一つではないらしい。なんだ、と思えば、ことりは照れたような上目遣いで、
「祐一お兄ちゃんをデートに誘いに」
「・・・ずずっ」
「あら駄目よ祐一? ここはお約束として噴出す場面でしょ?」
「残念だったな。この家庭で育つと免疫が出来るんだ。そんじょそこらの展開じゃ噴かんぞ」
ぶーぶー言う春子を無視して祐一はもう一度茶を飲み、
「しかし急だな、デートとは」
「ほら、久しぶりの再会だし。デートも良いかなぁ、と思って。それに母さんも会いたがってるし」
「ぶふっ」
「あら、ワンテンポずらして噴くなんてまた高等テクを」
そうだった。すっかり失念していた。
ことりがいる、ということはつまりその家族もいるというわけで、さらには―――あの冬子がいるというわけなのだ。
白河冬子。
春子、秋子など四姉妹の末っ子であり、祐一にとっては秋子同様叔母に当たる。
そして、親戚関係で・・・祐一が唯一苦手とする相手でもある。
だが皮肉なことに、その冬子からはすごく好かれていたりする。
―――まぁ、あの親戚で男は俺だけだしな。
夏子も秋子も冬子も娘であり、唯一男を産んだのは春子のみ。昔は随分とそれで可愛がられてきた・・・もとい、かまわれてきたものだ。
中でも冬子には―――、
「どうしたの祐一? なんか湯飲みの中が震度4くらいになってるけど」
「きっと武者震いだ」
「?」
いかんいかん、と祐一は強く首を振った。思い出すだけで恐怖がよみがえる。
「でも、そっかー。ことりちゃんがいるってことはふーちゃんも来てるってことんなんだよねー。会いたいなぁ」
春子の言う「ふーちゃん」とはもちろん冬子のことであえる。補足するなら夏子は「なっちゃん」であり、秋子は「あきちゃん」であったりする。
だがそれを聞いたことりがやや慌てた様子で両手を横に振りながら、
「い、いえ。あの、春子さんは今度またちゃんとお誘いします。今日は、その、あの・・・デートもありますし」
「そうよねぇ、デートに他の人がいちゃ面白くないもんねー。わかった。春子さん今回は我慢する」
「・・・ほっ」
ことりが安堵の溜め息を吐くのにはわけがある。
実は冬子は春子が大の苦手なのだ。
以前祐一はふと疑問に思い本人にどうして春子が苦手なのか訊いた事があるのだが、
『あの人とは会話が噛み合わないの』
ということらしいが、ぶっちゃけ祐一からすればどっちもどっちである。
まぁ、いまの問題はそんなところではないのだが。
「とりあえず・・・俺がことりの家に行くのは必然事項なのか?」
「えーと・・・まぁ、多分お兄ちゃんが来ないとなるとお母さんきっとすごいことするだろうし」
身が震えた。このおぞましさはあのオレンジのジャムにも匹敵する。
「行くしかないか・・・」
気分はまさしく「orz」である。が、あの人のすごいことを受けるのならば、きっと紐無しバンジーだってできるだろう。それくらい。
「でもなんでこんな朝早くなんだ? デートにしても早いだろ」
「いや、そうじゃないと名雪お姉ちゃんが邪魔し―――こほんこほん。ほら、一日は短いですから〜」
あからさまに視線を外すのは話題を逸らしましたよ〜と言っているようなもんだが、まぁ、突っ込みはすまい。
久しぶりの妹(のような存在)の頼みだ。デートだろうが地獄だろうが付き合ってやろう。
「それじゃあ、もう出かけるか? デートするにしてもまだほとんど店やってないだろうけど」
だがことりは彼女らしからぬ不敵な笑みを浮かべ、
「万事抜かりはないです。プランはちゃんと組んであります」
えっへん、と胸を張ることり。なんとなく自信気である。
「というわけで、行こう、お兄ちゃん♪」
待ちきれない、という風に催促してくることりに祐一はやれやれと頭を掻きながら、
「わかったわかった。んじゃ、今日は一日ことりに付き合いますか」
「うん!」
そんな二人を茶を啜りながら眺めていた春子は、うんうんと二度頷き、
「若いって良いわね〜。よーし、お母さんも今日は一日慎也さんとお話しちゃおっかな〜」
「国際電話の長電話はやめろ。電話代が馬鹿にならん」
「あぁ、またそうやってお母さんたちの愛を邪魔するのね!? 国際電話なんてへっちゃらよ! コレクトコールするもの!」
「・・・それは親父の首を絞めるぞ」
「慎也さんなら甘んじて受け入れてくれるもん! 愛のために!」
「本当に愛してるんだろうな・・・?」
なんかとてもそうは見えないのだが。
とか言ってる間にも春子は携帯をプッシュし始めている。きっと電話先は職場だろう。恐ろしい真似をする。
普通の職場なら五分も電話してたら上司にどやされるところだ。まぁ、どやす上司はいないわけだが。
まぁ、その辺の常識はあるだろう・・・と無理やり思い込むことにした。不安だが。不安いっぱいだが。
というわけで外へ出た祐一とことり。そんな二人がいま歩いているのは駅前だ。
なるほど。駅前にはいろいろな店があり、休日には若干であるが開店を早める店があるのでこの時間でも開いている店は少しはある。
「考えたな、ことり」
「えへへ」
そんな二人を、必ずと言って良いほど行き交う人々が羨望の眼差しで振り返る。
無理もない。傍目には美男美女のカップルだ。どこのドラマの撮影かとすら思えるほど、そこの次元はかけ離れている。
だがそんな自覚のない二人はただ人目を気にせず・・・というか気付かず駅前をゆっくりと歩いていく。
「で、どこに行くんだ?」
「映画に行きません? 映画のチケットもあるっすよ?」
「ほほう」
ポーチの中から取り出されたチケットを受け取り、中身を見てみる。
『びんかんサラリーマン THE MOVIE』
・・・。
「いや待て」
いまなにか見てはいけないものが見えた気がするのだが、気のせいか。
目を擦り、もう一度そのチケットに視線を落とす。
『びんかんサラリーマン THE MOVIE』
・・・間違いなかった。というか、間違ってほしかった。
「なんつーか・・・またえらい物をチョイスしたな」
「あはは、実はそれ商店街の福引きで当たったものだったりして」
「福引き?」
「うん。で、せっかくだし、勿体無いなぁ、と思ったから」
そりゃあ、あるものを使わずにいるのは勿体無いことだと祐一も思うわけだが・・・。
「うーん・・・」
「あ、映画館見えてきた。とりあえず行こ?」
「あ、あぁ」
一抹の不安を覚えながらも、祐一はことりと共に映画館へと吸い込まれていった。
というわけで見終わったわけだが―――、
「・・・うーむ」
「あはは・・・」
祐一は考え込み、ことりは苦笑。それだけで全てを物語っていた。
「というか、あれはいったい何が望みなんだ・・・?」
製作者側はあれでいったい視聴者にどういった反応をして欲しいのだろうか。むしろ何が狙いなのか。わからない。謎だらけだ。
というかあれで満席とはいったいどういうことなのか。もしかしていまはああいうのがブームなんだろうか。
―――嫌なブームだな。乗りたくない。
切実にそう思った。
「そういえば、また貰っちゃいました、これ」
「ん? あぁ、福引き券か」
「でも、まさか映画館のポップコーンを買って商店街の福引き券を貰うなんてびっくり。お兄ちゃんもそう思わない?」
「まぁな。本来こういうのは商店街の組合で決めるもんだろうし、商店街以外で手に入るっつーのは妙だな」
「でも、これでもう一回振れるっす。このまま商店街に行こうか?」
「遠回りにならないか?」
「ほんのちょっとだから大丈夫。そこまでお母さんも短気じゃないと思うし」
いや、それはどうだろうと内心突っ込みを入れる祐一。あの人はあれで案外ふてくされ屋だから、ちょっとでも遅れるとどうなることかわからない。
でもまぁ・・・、
「〜♪」
こうして楽しそうに横を歩くことりを見ると、少しくらいの遠回りは良いかと思えてしまうわけで。
―――つくづく、ことりには甘いなぁ。
もしかしたら少しシスコン気味なのかも、と思ってしまう祐一であった。
そんな自分を信じたくない祐一は大きく首を振り、なにか変える話題はないかと周囲を見渡し・・・ことりの手元に行き着いた。
「そういえばその福引きって、さっきの映画のチケット当てたやつと同じやつなのか?」
ことりが手元の福引き券を目の前に持っていきしばし見つめ、
「チケットも一緒だし、多分」
「なにか良い賞品はあったか?」
「良い賞品、っていうのはあんまりなかったと思うけど・・・でも残念賞がすごいの。ティッシュとかじゃなくてパンだった」
「―――パン、ねぇ」
いま嫌な予感が頭を過ぎったんだが・・・気のせいだと思うことにした。
まことに残念ながら気のせいじゃなかった。
「はーい、いらはいいらはい、損なんかさせない商店街福引きだよー! さー、やってけやってけー! お、そこの嬢ちゃん一回どうだい?
あん? 券を持ってない? はっ、んなもん気にするな! 一回くらいただでやらせてやらぁ!」
あっはっは、と豪快に笑いながらハリセンで台を叩くのはグラサンをかけた男。
―――これだけで正体がわかるっていうのもある意味すごいな。
「どうしたの、祐一お兄ちゃん?」
「・・・いや、なんていうか・・・」
「あん? 祐一・・・?」
ことりの言葉に反応してこっちを見るグラサン男。こっちと目が合った瞬間、そのグラサンの奥が光ったのを祐一は見逃さなかった。
そのアクションを敢えて和訳すればこうだろう。
獲物発見。
「おー! 誰かと言えば慎也んとこの小僧じゃねえか! いやぁ奇遇だな奇遇、超奇遇」
「・・・お久しぶりです秋生さん。しかしまた・・・随分とあなたらしいことをしてますね」
「褒めるなよ。照れるぜ」
いや、褒めているわけではないのだが。
そんな祐一の袖をことりはくいくいと引っ張り、
「・・・お知り合いですか?」
「まぁ、な。先輩の友人の父親で、古河秋生さんっていうんだ。どういう人かと言えば・・・だな。まぁ、あれだ。一言で言うなら・・・破天荒」
「褒めるなよ。照れるぜ」
いや、褒めているわけではないのだが。
「しかし・・・」
そこで秋生の視線が祐一の横にずれる。そこにいるのは・・・ことりだ。
「そうかそうか」
すると秋生はなにか勝手に納得したように二度三度と頷き、やぶからぼうにこちらの肩を叩くと、
「幸せにな。で、子供はいつだ? 祝いにパンをくれてやるぞ? 早苗の」
「話の飛躍にも限度というものがありますよ秋生さん。それに最後のは『祝い』じゃなくて『呪い』です」
とか言っている自分も実は案外ひどいこと口走っているような気もするが・・・まぁ、それはそれだ。
そして隣で「え、そんな、あの・・・」とか言いつつ照れていることりもとりあえず放置しておく。
「―――で、秋生さんは一体こんなところでなにをしているです・・・ってまぁ、なんとなく予想は付くんですが」
秋生の肩越しに台の上を見る。そこにはでかでかと『商店街の大福引き』と看板が立っており、さらには『ハズレなし!』とも書いてある。
そして本来そのハズレに当たる賞品―――よくあるのはポケットティッシュなどに該当する―――は、パンであった。
なるほど、パン。一見確かにハズレがないように見えるかもしれない。・・・だが、
「秋生さん。あの見た目に派手で誰も想像・・・いや、創造しないようなデザインのパンはまさしく早苗さんの一品ですね」
「ナンノコトダ?」
「誤魔化したって駄目です。・・・それにしてもえげつないことしますね。この街を地獄に叩き落としたいんですか?」
これでは福引きではなくて厄引きである。
だが秋生はなにを思ったのかタバコを取り出しそれに火を点け、大きく拭かすと、遠い目で空を仰ぎ、
「この町と住人に幸あれ・・・」
「その台詞使いどころを180度間違ってると思いますよ」
むっ、と呻く秋夫。するとはぁ、と嘆息し、
「・・・仕方ねぇじゃないか。早苗の作ったものを残すわけにはいかないだろう」
「なにを開き直ってるんです。愛する奥さんの作った物なら、自分で食べてあげたらどうですか?」
するといきなり秋生の身体が震えだした。尋常じゃないくらいに。
「・・・そこまで怖いんですか」
「てめぇもわかってんだろうがよ・・・。大量生産されたあれを一人で消化するのは自殺と一緒だぞ!」
言い切った。
「だから俺は一人一人に配ってるんじゃないか。不幸は皆で分かち合うもんだ!」
「あ、本音が出ましたね」
きっとあの福引きの中は四分の三以上がパンに直結する『ハズレ』があるのだろう。後ろに山積みされたパンがその証明である。
「さぁ、お前もやれ相沢のせがれ! お前も不幸を分かち合うんだ!」
さぁさぁと腕を引っ張られていく祐一。とはいえ、自分の愛妻の作ったパンを『不幸』と明言するのはいかがなものか。
で、目の前には福引きの王道、通称ガラガラが置いてある。これを回して白い玉が出たらイコール不幸となるらしい。
皮肉なことに券もある。やるしかないのか。
―――やるしかないんだろうなぁ。
諦めつつ、軽い動きで一回がらりと回した。人、これをやけと言う。
だが、彼は相沢祐一。
運動良し成績良し顔良しという、神と世界と女性に愛されし彼は、やはり他のものも恵まれているらしい。
直接的に言えば―――運まで。
「「あ」」
重なる声。だが、秋生の方には濁点が付くかもしれない声だったが。
彼らの見つめる先。そこにあるのは、赤い玉だ。
秋生はそれを拾い上げ、ふむふむと頷きにこやかに微笑むと、
「いやぁ、おめでとー。これは早苗のパン一年分だぞー、いやー、運が良いなぁ、お前」
「待て。後ろの賞品表には赤い玉は二等で『焼肉食べ放題』と書いてある」
「それはきっと幻覚だ。本当は早苗のパン一年分なんだ」
「幻覚なわけあるか。自慢じゃないが俺の視力は両目ともに2.0だ」
「じゃあ目が良すぎて変な事実を直視してるんだな。つかてめぇ、目上の人間に対して敬語を無くすとはどういう了見だ、あぁ?」
「自分の身可愛さに嘘を吐く大人を目上とは認めない主義なんで」
「OK、よく言った小僧。言葉で駄目なら実力で勝負だ。ゾリオンやるぞ。てめぇならちっとは楽しませてくれそうだしな?」
「残念。その挑戦受けてやりたいのは山々なんだけど、まずは後ろを振り返ったほうが良い」
「あん?」
祐一に言われたとおりに後ろを振り返った秋生は―――そこで動きを止めた。
ポロリと口からこぼれるタバコ。そこから吐き出される名前は、
「・・・さ、早苗・・・?」
そう、そこにはいまにも泣き出しそうに涙を溜めた、古河秋生の妻である古河早苗がいたのであった。
「い、いつからそこに・・・!?」
「秋生さんが『大量生産されたあれを一人で消化するのは自殺と一緒だぞ!』ってあたりからそこにいましたよ」
うるうるしている早苗に代わって祐一が言ってやる。秋生の対面にいた祐一からははっきりと早苗の姿は見えていたのだ。
しかしそこで秋生はハッとし、
「・・・そういえばてめぇ、あれ以降早苗のパンについてマイナスイメージになるような言葉使ってなかったな・・・!」
相沢祐一を舐めてはいけない。
この手の事柄における彼の頭の切れ方は尋常じゃない。あの杉並ですら舌を巻くほどなのだから、推して知るべしだろう。
故に彼は実動派である浩平たちなどよりも生徒会や風紀委員にマークされているのだが、それはとりあえず別の話。
既に展開は祐一の設計通りである。こうなったら、もうこの夫妻が取る道は一つしかない。
「いや、違うんだ早苗。これはだま、そう、ほら、お前の超絶上手いパンをこう、皆に配ってだな? 幸せを分かち合おうとだな?」
「わ、私のパンは・・・」
ぶわっと、涙がこぼれ、
「大量に食べると自殺と同義な不幸の塊の福引きのハズレだったんですねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
泣きながら走り去っていった。
くそ、と秋生が呟きながらむんずとパンを一つ掴みそのまま口に放ると、
「俺はお前のためなら死ねる! それでも俺は好きだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
追いかけていった。
台詞的にはとても格好良いもののはずだが、なぜだろう。とても笑いが込み上げてくるのは。
「これであの人も懲りてくれれば良いんだけどなぁ」
そうは思いつつも、まぁ無理だろうなとわかっているので諦めよう。
とりあえず他の商店街の人にしっかりと『焼肉食べ放題』券はもらっておいた。
余談であるが、秋生以外に福引きにいた人間に男がいないので、ある主婦に聞いてみると涙ながらに、
「うちの旦那は戦場に向かったんだよ・・・」
とのことらしい。
それだけで全てを看破した祐一は、
「ほどほどにしといてやれよ・・・あゆ」
そう天に呟いたそうな。
一方、その頃。
「あら、祐一なら数時間前にことりちゃんと一緒にデートに出かけたわよ?」
「・・・だぉ?」
水瀬名雪は相沢家の玄関の前で某一休さんの如く指を頭の側部で回しこみ、
「・・・はっ」
ようやく内容を理解したのか怒りを露にして、
「謀ったな、シャアァァァァァァァァァァ!!」
と叫んだとかなんとか。
電子機器大好き少女、名雪。休日の日課はマラソンとガンプラ作り。
後半に続く。
あとがき
はい、ども神無月です。
さぁ、いよいよやってきました祐一編。どうでしたですかね? 期待に添えられたでしょうか?
ことりも出ましたが、今回はどちらかと言えば春子と秋夫の出番が多かったかな? ことりは次回かな。
まぁ、ともあれ。この街はいつもこんな感じで賑やかです。こんなところに住みたいですね?w
さて、次回後半です。四姉妹、冬子さん登場。お楽しみに。