ちちち、と小鳥のさえずりが聞こえてくる。
良い天気。
十人に聞けば十人がそう返してくれるであろう空模様は、洗濯物を干しているこっちの心も癒してくれるというもの。
「うん、これで洗濯物はお終いっ、と」
パン、と勢いよくシャツを伸ばし、彼女・・・朝倉音夢は笑顔を浮かべた。
「なんか、今日は良いことありそうだなぁ」
なんとなく、そんな予感が胸を埋める。
「そうだ」
せっかくの休日。明日から本格的に学園も始まることだし、兄である純一と外出なんていうのも悪くない、と音夢は思う。
うん、悪くない。全然悪くない。むしろそうするべきだ。
うん、ともう一度頷きエプロンを外しつつ手を拭き、鼻歌なんか流しながら階段を上っていく。
春休み中はなんだかんだであまり二人で外に出ることができなかった。そんなことを考えれば足取りも軽くなるというもの。
エプロンをとりあえず自分の部屋に置き、向かいの純一の部屋へと赴く。
現在午前十時。
もう十分な時間だが、純一のことだ。きっといまだに寝ているだろう、と当たりをつける。
自分がいなければなにもできないぐうたらな兄。まったくもう、と思いながらも音夢の表情は笑みに象られていた。
「兄さん、起きてる? もうそろそろ起きないとだよ?」
ノックしつつ言うものの、案の定返事は無い。
仕方ないなぁ、と思いながら手を掛けて―――、
「?」
開かない。もう一度、力を入れて引っ張ってみるがやはり開かない。
―――扉が壊れた?
それともなにかが突っかかってしまっているのだろうか。気付く限り掃除しているつもりだがあの兄のことだ、考えられないわけではない。
そうなると純一が起きるまではどうすることもできない。ならしばらく待つしかないだろうか、と思いつつ再確認にもう一度引っ張ると、
「わわっ」
「え?」
扉が若干開き、しかしすぐに閉じた。それにいま・・・微かに声のようなものも聞こえなかっただろうか。
「・・・・・・」
すー、はー、と深呼吸。
そして腹に力を込め、
「ふん!」
渾身の力で扉を引っ張る!
「わ、わわ、わぁぁぁ!」
ずるずると何かが引きずられる感触と、そして声。
幻聴ではない。これは現実だ。それにこの声は、
「もしかして・・・この声は美春!?」
「み、美春!? だ、誰のことでしょうかそれは!? み、美春は決して美春なんて名前のバナナ好きな女の子では決して・・・・・・はっ!?」
「・・・美春の、馬鹿」
「うにゃー、それが美春ちゃんの良いとこでもあるんだけどねぇ」
「ち、違います! これは恐ろしいまでに綿密な誘導尋問ですぅー! 美春は、美春はむしろ被害者かと!?」
「・・・待ちなさい美春。いったいそこに何人いるの?」
「え、え!? え、えーと・・・さ、最近美春は目が悪くなってきているので複数人に見えなくもないと・・・って、あぁ!
美春と呼ばれて反応してしまいました!?」
「すっごい今更だけどねー」
「・・・美春は良い意味でも悪い意味でも正直」
「うわ、なんか全てが美春のせいにされていますよ!? だったらさくらさんかアリスちゃんがやれば良かったと美春は主張します!」
「ふ〜ん、そこにはさくらとアリスちゃんがいるのね?」
「あぁぁぁぁぁ・・・」
奥から深いため息が聞こえてくるがそんなこと音夢の知ったことではない。
兄の部屋に女子が、しかも三人。
ふつふつとこみ上げてくるこの黒い感情は憎しみか怒りか。
むしろその両方だ間違いないと頷き、笑顔のままかるーく戸を引いた。
バキバキバキバキバキィ!!
「わわっ、扉が、扉が無残な姿にぃぃぃ!?」
驚きに―――というかむしろ恐怖に染まった表情で、美春。だがとりあえずそれをスルーして音夢は部屋の中を見渡す。
「・・・?」
だがそこにさくらとアリスの姿が・・・ない。
だが、純一の部屋はロフト式になっており、ベッドはそっちにある。ならば―――、
「―――」
無言のままに歩を進める。階段を上りその先にあったのは、
「はろー、音夢ちゃーん」
「お邪魔してます」
純一の左右に添い寝するようにして二人の姿。
「・・・・・・すぅー、はー」
落ち着こう、と自重し深呼吸。そのまま黒いなにかが口から吐露しそうになるが、それも抑える。
「・・・そ、それで。お二人はいったいこんなところで何をしているんです?」
「え、見てわかんない? 添い寝」
何を当然のことを、と言いたげにあっさりとさくら。その態度に音夢はさらに怒りのマークを額に増やし、
「そ・・・!? よ、よくもいけしゃあしゃあとそんなことを・・・!」
「えー、だってー、あったかそうだったんだもーん。ねー、アリスちゃん」
「さくら先生の言うとおりです」
「くっ・・・」
既に我慢の限界だ。
脇に無造作に放られた辞書を持ち上げ、狙いを定める先は朝倉純一。
どんなときであろうと女性に対し暴行を加えるのは自らの望むところではない。なので全てはタラシである兄が悪いということにして天罰を下す。
―――責任転嫁じゃありません、決して!
心の中で言い訳をしつつ、その辞書を思い切り振り下ろそうとして・・・、
ピンポーン。
個人的に最悪のタイミングでチャイムが鳴った。
「音夢ちゃん、お客さんみたいだよ?」
中途半端な姿勢で動きを止めたせいでプルプルと震える身体を見上げながらさくらが言う。
「出なくて良いんですか?」
アリスの言葉に呼応するようにして再度チャイムが家に響いた。
「・・・くっ」
仕方ない。とりあえず天誅は後回しにしよう。
「さくら、アリスちゃん。とりあえず兄さんの傍から離れてください。良いですね?」
「えー」
「・・・ぇー」
見た目に不満そうなさくらと、無表情ではあるが小さな声で抗議するアリス。だが、
「良・い・で・す・ね?」
誠心誠意の笑顔でなんとかご納得いただけた。
何事も平和解決である。
とりあえず未だ捨てられた子犬のように身を振るわせる美春はさておいて、音夢は玄関へと向かった。
「あぁ、もう、こんなときに・・・」
いったいどこの誰だろうか。
そんなことを考えつつ歩いていれば、もう一度チャイム。
「はいはい、いま出まーす!」
新聞の勧誘だったら鬱憤を晴らしてやろうと意気込み扉を開ければ、
「やっほー、音夢さん♪」
極上の笑顔で、なぜか折原みさおの姿があった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
たっぷり五秒。
無言だった音夢がそのまま扉を閉めた。ついでに鍵も閉めた。
『え、あのー? ちょっと? もしもーし?』
あぁ、幻聴が聞こえる。そういうことにしておこう。
しかし、、と音夢は嘆息し、力尽きたように玄関に腰を下ろし一言。
「まったく・・・今日は良いことありそうだなんて言ったの誰よ、もう」
あんたである。
集まれ!キー学園
十一時間目
「休日の過ごし方(純一編)」
どうしたものか、と音夢は考える。
つい数分前までの計画が全ておじゃん。これではまた二人っきりになどなれないに違いない。
これというのも、優柔不断な兄、純一のせいだ。
かったるいとか言いつつ、ここぞというときは必ず動いてくれる人。さらに顔も良いし運動も勉強もできる方だし、そうであれば女性に人気があるのもまぁ・・・納得できないこともない。
だけど、それにしたって純一の周囲の人間は積極的すぎるきらいがある。
これもきっと純一が気のあるような素振りを見せているせいだ、きっとそうに違いない・・・と勝手に決め付ける音夢。
やはりここは知らしめるためにも天誅を、と起き上がった瞬間だ。
ガチャ。
勝手に鍵が開いた。
「・・・え?」
そんな馬鹿な。外側から鍵を開けるなんて、そんなの家の鍵でも持ってない限りは―――、
「はい、お邪魔しまーす」
音夢の思考を無視して笑顔で入ってきたのはもちろん折原みさお。
唖然としている音夢に一瞥すらなく家の中を観察しながら「ほうほう」と頷いていたりする。
「じゃあ、ちょっとあがらせてもらうねー」
「え、あ、はい。・・・・・・って、え!?」
「わーい」
靴を脱いで(意外にもしっかりと靴を揃えて)あがりこんで、まるで我が家のようにスイスイと歩を進める不法侵入者。
「ちょ、ちょっと待って折原さん!」
「んー?」
「何を勝手に家にあがりこんで・・・! そもそもいったいどうやって鍵を開けたんですか!?」
「えー、勝手じゃないよ? ちゃんと『お邪魔します』って言ったし、『あがらせてもらうね』って言ったら音夢ちゃん頷いたじゃん?」
「あ、あれはいきなりだったからつい・・・。そ、それより鍵は!? まさか兄さんに合鍵でも貰ったんじゃ・・・」
「合鍵かぁ、良い響きだねぇ、合鍵。でもそんなの持ってないよ」
「じゃあ、どうやって・・・」
「普通の鍵なんてわたしの前じゃ意味を成さないってことだよ♪」
言って、みさおは左手を軽く振った。
すると袖から滑るようにして現れたのはフォークかスプーンの柄のような物体。
もう一度みさおが振れば、そこからは多種の細かい鉤が出現する。
音夢もテレビかなにかで見たことがある。それはピッキングツールと呼ばれる代物だ。
「は、犯罪じゃないですか!」
「えー、ちゃんとお邪魔しますって言ったから大丈夫だよー」
「そういう問題じゃないです!」
「細かいなぁ、音夢ちゃん。あんまり気にしすぎるとすぐに歳取っちゃうよ?」
「そういう問題でもないです!」
「大丈夫だって。わたしと音夢やんの仲じゃない」
「どんな仲ですか!? というか音夢やんってなんですか!?」
「じゃあ、『音夢たん』?」
「やめてください! お願いだから底冷えするようなその呼び方だけはやめて!」
「もう、注文が多いなー。じゃあ・・・そうだね、間を取って『ねたやん』なんてどう?」
「既に原型を留めてません!」
「ところで音夢ちゃん」
「・・・なんです?」
疲れる。本当に疲れる。さすがはあの折原浩平の妹だ、と思いつつ聞き返せば、
「上が騒がしいんだけど、良いの?」
ハッとして耳を澄ます。
・・・。
『さくら! アリス! やめろ、それだけはやめてくれ! そこはまずい!』
『えー。大丈夫だよお兄ちゃんボクたちに任せて。優しくしてあ・げ・る・か・ら♪』
『丁寧にします』
『いやそういう問題じゃな―――って、おぉお!?』
「・・・わぉ」
「〜〜〜〜〜〜〜ッ!!」
何を言うまでも無く音夢は全力疾走。階段を一秒掛からず上りきり、スパーンと勢いよく扉を開ける。
おぉ、と驚く美春をよそにそのままベッドまで駆け上がる。
すると目に飛び込んできたのは上半身裸、そしてズボンまで脱がされそうになっている純一、脱がそうとしているさくらにアリス。
「な・・・」
「ね、音夢・・・」
「な、なにを・・・しているんですか?」
「んとね、お兄ちゃんがボクたちに腕枕してくれてたせいでね、腕が痺れちゃったんだって。だから―――」
「私たちが着替えの手伝いをしてあげようかと・・・」
「いや、俺は遠慮したんだぞ! 遠慮したんだが・・・」
「ふーん。兄さんは随分とお二人と仲が良さそうですねぇ。腕枕ですかそうですか」
「いや待て音夢! にこやかに辞書を振り上げるのはやめろ!」
「問・答・無・用♪」
・・・。
・・・・・・。
『ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
勝手に台所に侵入し勝手に湯飲みを見つけ勝手に緑茶を淹れ勝手に居間で飲みながら勝手にくつろいでいたみさおは天井を見上げ、
「騒がしい家なんだなぁ。ま、うちには勝てないけど」
きっと今頃兄は瑞佳にボディブローでも喰らってご近所様に奇声をプレゼントしているところだろうな、と予想しつつ再びお茶を口に運んだ。
「はぁ、かったるい・・・」
さくらがソファに寝そべり雑誌を読み漁っている。ふらふらする足の隙間からは白い物が見え隠れするような気がしないでもないが、きっと気のせいだ。
美春はどこからか取り出したバナナを頬張っているし、アリスはなぜか家にいるみさおと共にお茶を飲みながら談笑していたりする。
そして音夢は一番奥の席で笑顔で怒るという起用なようで音夢らしい表情のまま君臨している。
なんとか復活した純一。さくらたちを部屋から追い出し着替え居間へとやってきてみれば、この有様だ。
正直、どうしたもんかわからない。
「・・・・・・つか、ここ俺の家だよな?」
疑ってしまうくらいな人口密度。というか、座るソファが無い。
「あ、やっほー、純一くん」
一番最初にこっちに気付いたのはみさおだった。ぱたぱたと笑顔で手を振るので一応手を振り返すのだが、
「・・・むー」
「うぅ・・・」
音夢の視線がすこぶる痛い。
いったいどうしろと言うのか。こんなかったるい状況は勘弁したいものだが・・・。
―――いっそ外にでも出ちまうか。
いや、もしそんなことを言って皆が付いてくるようなことになればそれこそ赤っ恥だ。
そんなところを学園の誰かに、主に男子に見られでもしたら・・・、
「地獄、だろうなぁ」
はぁ、と嘆息しつつ仕方ないと思うことにした。部屋にでも引きこもることにしよう、と。
「あのさ―――」
「純一くん、さっきからなに立ったままでいるの?」
「え?」
宿題やるから部屋にいるよ、と言おうとした矢先、はかったかのようなタイミングでみさおの言葉。
「いや、だって座る場所ないしな」
「ふぅん」
指を口元に当て、小悪魔のような笑みを浮かべるみさお。
―――なんかすこぶる嫌な予感がするんだが。
まだ付き合いは短いが、わかる。それに彼女はあの折原浩平の妹なのだ。故に、
・・・なにをしでかすかわからない。
本能が告げている。ここから逃げろと。なので本能に従うことにしよう。
「あー、そういえば急用を思い出した。ちょっと相沢先輩の家に行かないと」
無論、嘘である。
散歩とでも言えば付いてくるだろうが、こうして知り合いの名でも出せば遠慮するだろう。むしろしてほしい。
だが、そんな純一の願いは神に届かず、
「祐一お兄ちゃんに会いに行くの? じゃあわたしも一緒に行くよー」
悪夢の宣告は成されたのだった。
言い訳は無意味だった。
どれだけの言葉をぶつけてもみさおは兄とは違う巧みな口述でそれら全てを粉砕する。
そしてみさおの同行を了承してしまえば他の者たちもついてこないわけもなく、
「・・・くぅ」
思わず泣きたいくらいの状況のままに商店街を歩く羽目になった。
右腕をさくらと美春が、左腕をみさおとアリスがしっかりとホールドしている。正直歩きにくいことこの上ないが、それよりも周囲の視線が痛い。
中には「ちくしょー! 独占禁止法はないのかぁ!」とか言いながら血涙流して走り去る男までいる始末だ。
まぁ、それは良い。良くないが、良いことにしよう。
なによりも問題なのは数歩分離れて後ろからついてくる音夢だ。
怖い。ぶっちゃけ、呪われるのではないかというぐらいの怨念がこもった視線をずぅぅぅっと背中にぶつけられている。
外に出る前から何も喋らないのがまた怖い。いったい何を考えているのやら・・・。
そう思っていると、右腕をわずかに引かれる感覚。そちらを向けば美春がこちらを振り仰ぎ、
「あの、朝倉先輩」
「ん?」
「すいません、とっても今更なんですが・・・その人はどなた様でしょう?」
「はっ・・・?」
どなた様、という美春の視線は純一を挟んだ先、左腕に腕を組んできてるみさおに向けられていた。
「・・・待て。もう自己紹介は終わっているか最初から知り合いじゃなかったのか?」
「いえ。なんかあまりにも当然のように風景に溶け込んでいていままであんまり違和感なかったんですが・・・ふと気になったもので」
「・・・さくらやアリスは?」
「知らないよー」
「聞いてないです」
「・・・なぜそれで気にならないんだ」
「え、でも別に悪そうな子じゃないし、お兄ちゃんの知り合いだしー」
「・・・そうです」
「なんだかなぁ」
嘆息一つ。次いでみさおを見下ろし、
「お前も、どうして自己紹介しなかったんだ?」
「え、うーん。なんでだろ、特に意味は無いけど。自己紹介しておく?」
「しておけ」
頷くみさお。まったく、と疲れたように息を吐く純一の前にみさおは歩を進め皆を見渡し、
「はじめまして、折原みさおです。あの折原浩平の妹で、純一くんの恋人でーす。よろしく〜」
言葉に、周囲が静まった。
そんな中で、純一は息を吸い、言葉をためて、
「二度ネタ禁止ぃぃぃぃぃぃ!!」
だが知らぬメンバーにはわからぬこと。
「「えぇぇぇぇぇ!?」」「そ、そんな・・・」「兄さん! あなたって人はぁぁぁ!」
重なる叫び、重なる言葉。だがそれだけで終わらないのが折原流。
「―――で、いまここに子供もいるんで、二人まとめてよろしくね?」
ポッ、と頬を赤らめてお腹を摩るみさお。
純一は遠のきそうになる意識をなんとかこらえ、一つの事実を心に刻み込んだ。
浩平と同じ、などと考えることは間違いだった。これは明らかにあの浩平を凌駕している! 主に個人的に!
「「おぉぉぉぉぉ!?」」「そ、そんな・・・」「兄さん・・・殺す!」
一つばかりとってもデンジャーな言葉が混じっていたような気がするが、いまはそれも踏まえ誤解を解くのが先決というもの。
「みさお! どういうつもりだお前!? 俺を殺させたいのか!?」
「え、いや、昨日ことりちゃん見ててちょっと羨ましかったから、つい。で、わたし流に少し修正してお届けしました」
「最悪なベクトルの修正どうもありがとう」
「惚れ直した?」
「惚れ直すかぁぁぁぁ!!」
「いやん♪」
腕を伸ばすがさらりとかわされる。
「くっ・・・」
さすがはあの折原浩平の妹か。身のこなしが普通じゃない。追いかけようにもさくらたちに腕を取られているので動かせるのは片手のみ。
「仕方ない! こうなったらボクもお兄ちゃんに子供作ってもーらおっと♪」
「な、なら美春もお願いしたいです!」
「・・・私も」
「ちょ、ちょっと三人ともなに言ってるんですか!?」
「お前らもとりあえず落ち着け!」
「兄さんが元凶でしょう!? この不潔! 変態!」
「俺は無実だぁぁぁぁぁぁ!!」
叫びは虚しく商店街に響き渡る。このまま騒動は際限なく広がっていくんだろうなぁ、と諦めに近い思考を浮かべる純一だったが、
「相変わらずお前たちは騒がしいな」
救いの神というのはいつも唐突に現れるものだった。
その声、おそらくキー学園に通っているものならまず誰もが聞いたことがある言葉のはずだ。・・・新入生以外は。
そしてそれは純一にとってももう聞き慣れたものであり、それは、
「相沢先輩!」
「よっ」
振り向き見れば、そこにいるのは紛れも無く相沢祐一。おそらくキー学園で一番まともでありながら一番クレイジーな渦の中心であるという人間サイクロン。
だが・・・、
「・・・お?」
その隣、一人の少女がいる。それは純一にとっても見知った相手であり、
「あ、ことりちゃん!」
「みさおちゃん!」
白河ことりだ。みさおが近づき、きゃっきゃと二人で騒ぎ出す。
―――こういう女の気持ちはわからないな、俺には。
祐一も同じ考えなのか、苦笑気味。
そんな祐一は純一の横を見てわずかに驚いた表情を浮かべた。なんだ、と思いその視線を追えば、さくらの姿。
「芳乃先生?」
「やっほー」
「は? 『先生』・・・?」
驚きの声は音夢か、自分か。とにかくよくわからない単語がいま祐一の口から放たれたような気がするのだが、さくらは「あれ?」と首を捻り、
「言ってなかったっけ? 今年からボクキー学園の教師になったんだよ〜」
「なっ!?」
視界の隅でよろける音夢の姿が見えた。音夢はそのまま地面に突っ伏し、
「・・・さくらが、さくらが教師? そんな、まさか・・・。ふ、ふふ・・・キー学も地に落ちたわね」
「ね、音夢先輩。地面見ながらぶつぶつ喋るのはとっても怖いですよ・・・?」
「俺としてはむしろ純一とどういう関係なのかが気になるがな」
「あ、そういえば先輩は知らなかったんでしたっけ、さくらのこと」
純一はさくらの頭にポンと手を乗せる。
「さくらは俺の従兄妹なんですよ」
「へぇ、従兄妹。・・・なんかそれだけで敬う感覚がなくなるな」
「うわ、先輩それ遠まわしに俺いじめですか?」
「はは、なに、ちょっとした冗談だ。気にするな」
本当に冗談なのだろうか。ポーカーフェイスな祐一からはその真偽をはかることはできない。
だが、反撃の隙はある。純一は未だみさおと戯れることりを横目に眺めながら、
「で、先輩こそことりと二人っきりでなにしてるんです? いよいよ一人に絞りましたか?」
「それをお前が言うか」
周囲を見ながらの祐一の言葉に思わず声が詰まった。
―――ぼ、墓穴を掘った。
だが祐一は苦笑を宿し、
「まぁ、そういうんじゃないさ。ことりが俺の従兄妹だっていうのは言ったよな?」
「はい」
「だからこれから冬子さんのところに挨拶に行くところなんだよ」
「あぁ、なるほど。つまり―――ことりの家に二人で遊びに行くと」
「・・・お前、なんか俺に恨みでもあるのか?」
「すいません。どうも何かが溜まってるらしく捌け口が必要な感じで」
「そうか。・・・覚えてろよ?」
「ははは、覚えませんよそんなこと」
「まったく・・・」
はぁ、と嘆息する祐一。頭を掻く動作のままポケットに手をやり、そこで何かに気付いたようにこっちを見た。
「1、2、3・・・全部で6人か。丁度良いな」
「なにがです?」
問えば祐一はポケットから何かを取り出しこちらに差し出してきた。それはなにかのチケットであり、受け取り見てみれば、
「・・・焼肉食べ放題?」
「「「「!!」」」」
純一の言葉にアリスとことり以外の少女たちが皆反応する。ぶっちゃけ・・・目が怖い。
「さっき福引で当たったんだが、6人までって書いてあるだろう? そんなメンバー集められないしな。今日までだし。やるから行ってこいよ」
「いや、でも―――」
「ありがとうございます相沢先輩! 兄に代わってお礼を言わせていただきます!」
純一を突き飛ばし必死の形相でチケットを受け取る音夢。
昨今の朝倉家の食事事情がかなり低迷を極めているせいか、目が笑えない領域に達している。
祐一ですらわずかにたじろぐほどの迫力でチケットを受け取った音夢はそのまま純一の襟首を掴み、
「さぁ、兄さん行きますよ!」
「行きますよって・・・おい、まさか今から焼肉食いに行くのか!? まだ昼少し過ぎた時間だぞ!?」
「何言ってるんです! このまま夜の分も食べるに決まってるでしょう! 胃に入れるだけ入れるんです!」
「うわ、なんか涙出そうになるからそういう発言は止めてくれ」
だが音夢は聞いちゃいない。その細腕からは想像もできない馬力のままに純一は引きずられていく。
「わーい、焼肉だ焼肉〜♪」
「それじゃね、ことりちゃん! わたしを焼肉が待ってるの!」
「お肉も良いですけど、バナナ焼いても良いですかね?」
「・・・美春、それは危険だと思う」
他のメンバーも既にノリノリだ。もはやそこに純一の意思が介入する隙間などない。
―――あぁ、男って弱い。
それはもう自然の摂理だろうか。あぁ、きっとそうなんだろうなぁ、と無闇に納得。
諦めの境地に入った純一は見送りの視線を向ける祐一たちに手を振り、
「じゃあ、逝ってきます」
字は間違ってないと思われる。
苦笑交じりに手を振ってくる祐一とことりがまるで出兵者の送り出しにも見えた。
とにかくまぁ、
「本当の戦争になんなきゃ良いけどな」
・・・だが、やはりというかなんというか純一の思いは届かない結果になるのであった。
「ちょっと、さくら! 私の肉を取りましたね!」
「せっかくのお肉、焼きすぎるのは良くないもんね♪」
「あぁあぁ、美春のお肉がありません〜!」
「・・・美春、動きが遅い」
「むっ、その箸裁き。アリスちゃんやるね! 折原の家の者として、負けるわけにはいかないね!」
「・・・いや、つかさ。食べ放題なんだからもっと穏やかに食おうぜ。そんな争わなくても肉は逃げないだろうに・・・」
と言いつついまだ肉を一つも口に入れてない哀れ純一。結局彼は終始野菜係りと相成ったのであった、まる。
あとがき
あい、神無月です。
とりあえずキー学、純一編ですね。焼肉ですよ焼肉。食べたいなぁ(ぇ
いやまぁ、休日でこれだけ騒がしい純一の周り、もちろん学園始まればさらに賑やかになるのも目に見えているわけで。
まぁ、お楽しみに。
では、次回はいよいよ祐一編です。
冬子さん登場します。一話で収まれば(ぉ