春である。
桜はこれでもかというくらいに咲き乱れ、温かな風がそれらを揺らし、陽はうららかに大地を照らす。
これでもか、というくらいに気持ちの良い春である。
ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、ピピピピ、・・・。
断続的に鳴り響く電子音。
それにつられるようにもぞもぞと動く布団。そしてそこから手が現れて虚空を彷徨う。
目標が見つからないのか、それは数秒間空を切って・・・ぱたりと倒れた。
諦めたのか。
いや、そうではない。今度は逆サイドから足が現れ再びあっちこっちへ動き回っている。
そしてその足は目標物に触れた。次の瞬間、
ガツーン!
思いっきり蹴り飛ばした。それはもう見事に。むしろ蹴った足が痛いのではないかと思えるほどに豪快に。
そしてその目標物―――目覚まし時計はその役目半ばにして殉職と相成った。
静寂が再び部屋を支配する。するとその手と足はまるで死んだかのようにパタリとベッドへと沈み込んだ。
「・・・ん?」
と、不意にベッドの中から篭った男の声がした。
そしてもぞもぞと動きがあったかと思えば、ひょっこりと布団から顔が現れる。
寝癖でぶっとんだ髪をぽりぽりと掻きながら、眠そうに目を細めた男は、焦点の合わない視線のまま呟く。
「・・・なんで勝手に目覚ましが止まったんだ? それに・・・いまの『がつーん』って音は・・・?」
ふあぁ、と欠伸をしながら暢気に言うこの青年の名は、朝倉純一。
顔立ちもそこそこに纏まっており、ぱっと見は女子に人気でもありそうだが、その全身から滲み出るやる気のないオーラがそれを払拭させてしまっている。
・・・そんな彼は、だが気付いていない。この異常事態に。そしてそこから派生するであろう地獄に。
「さて・・・、音夢が来る前に起きるか。起きてないとあーだこーだとうるさいからな」
瞼をこすり、ベッドから降りようとして―――そこで純一は動きを止めた。否、止めざるを得なかった。
「――――――――――――は?」
たっぷり数秒静止した後、放てた言葉はそれだけだった。
ベッドの中。
そこにはどういうわけか―――見知った少女がいた。しかも二人も。
右。腕を上に伸ばした状態の天枷美春が。
左。足を下に伸ばした状態の月城アリスが。
「・・・えーと」
錯乱している。なにが起こっていて、いまどういう状況にあるかがまったく頭に浸透しない。
だが、悪い状況というのはえてして加速するもので。
『兄さん、もう起きてますか?』
「!!??」
ノックと同時に聞こえてきた声に純一の心臓は大きく跳ねた。
まずい。
すこぶるまずい。
いまこの状況をもしあの妹に見られたら必ず誤解される。っていうかむしろ殺されかねない。
「お、起きてる起きてる! だから先に下で待っててくれ!」
『・・・? なにをそんなに慌ててるの、兄さん?』
純一の必死の言葉に、しかしその少女は無情にも扉を開けて入ってきてしまう。
咄嗟に純一は布団を美春とアリスに覆い被せて隠した。
「お、おぉ、おはよう音夢! いやぁ、今日も良い天気だなぁ、あはははは」
「おはよう兄さん。それにしてもなに声を裏返してるの?」
「え!? い、嫌だなぁ、音夢。俺は別にそんな、あはは」
挙動不審な純一に、その少女―――純一の妹である朝倉音夢はむぅ、と眉を傾けて、
「・・・怪しい」
ドキッ、と心臓が跳ねた。
「な、なにを仰いますか音夢さん。今日はキー学高等部への入学式だぜ? て、テンションも高くなるってもんさー、ははは」
「兄さんはそんな人じゃないでしょう。入学式だって『かったるい』とか言って欠伸でもしながら心底だるそうに歩くのが兄さんです」
するどい。さすがは妹というべきだろうか。
「・・・で、兄さん。いったいなにをしたんですか? 怒りませんから白状してください」
やれやれ、と息を吐き、音夢。
なにかを隠しているのはばれてしまっているようだが、音夢はその『規模』についてまだ理解していない。
「え、えーと・・・」
冷や汗をだらだら垂らしながら必死に回らない頭で考える。
(どうするどうすればいい!?音夢は怒らないと言ったがこの状況を知れば怒らないはずがないというかむしろ不潔ーとか叫びながら俺を撲殺しかねないというかむしろするだろう!だがこの状況からどう逃げれば良いんだ第一音夢は頑固だからここで何も言わなければおそらくずっとここから動かないだろうしそれより美春とアリスが起き出しかねないそうなれば状況は最悪となり俺の命は・・・!えぇいここはもう諦めて全てを話してしまおうかいやだがしかしそれをはたして音夢は信じてくれるだろうかいや信じまい!そうなれば結局行き着く先は同じなわけであぁもう俺はいったいどうすればいいんだ誰か俺を助けてくれ―――)
「ふあぁ・・・、朝倉先輩? なにをぶつぶつ言っているんですかぁ?」
「あ」
「は?」
突如響いた声に純一は硬直し音夢は目を見開いた。
「・・・ふあ〜、おはようございます。朝倉先輩」
むくりと起き上がる美春。しかし寝ぼけているのかそのままふらふらと純一にしな垂れる。
「み、みみ、美春!?」
「あー、すいません。朝倉先輩。どうやら昨日の夜のあれのせいで力が・・・」
「・・・に、兄さん? あれって・・・?」
「ま、待て待て音夢! 誤解だ! 美春は寝ぼけてわけのわからないことを口走っているだけに過ぎん!!」
目をしょぼしょしながらも純一から離れない美春。そして笑顔を引くつかせて迫り来る音夢。必死に弁護する純一。
だが、これで終わるわけもない。
「・・・・・・眠い、です」
「あ」
「え?」
今度は反対側からアリスが起き出し、やはりねぼけて身体をふらふらさせながら純一の膝部分に身体を沈みこませる。
「先輩、昨夜すごかったから・・・」
「ちょ、ちょっと待て―――!?」
純一からすれば完全に身に覚えのないない話だが、音夢にとってはもうそれだけで十分だった。
「待て、音夢! これは誤解だ陰謀だ! ほら、美春もアリスも起きてしっかりと弁解してくれー!!」
どれだけ揺すっても二人ともまるで覚醒する素振りがない。それどころかギュッと純一の身体にしがみ付く始末だ。
音夢はとうに沸点を越え、瞳に涙を浮かべながら手に広辞苑を構えた。
あ、終わった。
不意にそう思った。
「兄さんの・・・不潔―――――――――!!!」
暖かな朝。
住宅街に響く快音はあまりに生々しく殺伐とした音だった。
集まれ!キー学園
五時間目
「さぁ、入学式だよ!(前編)」
場所はところ変わって居間。
そこではしゅんとした音夢と、顔のいたるところを腫らせてぶすっとした純一と、少し苦笑気味の美春と、心配そうな顔で純一を見るアリスの姿があった。
テーブルの上には朝倉家ではまずお目にかかれない手料理が置かれている。無論音夢ではなく美春とアリスが作ったものだ。
音夢が作っていれば今頃ここは地獄絵図に変わっていたに違いない。
・・・閑話休題。
「・・・まったく。入学式の朝からどうしてこんな目にあわなきゃならんのだ、俺は」
ご飯を口に運びながらぶつぶつ言う純一に、音夢はさらに項垂れる。
「だ、だからさっきから謝ってるじゃないの〜」
「音夢。謝っただけで済むなら警察と病院はいらないんだ。むしろ俺は入学式を休んで病院に行きたいくらいに顔が痛いんだぞ」
「う゛・・・ご、ごめんなさい」
はぁ、と息を吐き純一は今度は美春とアリスを見やる。
その視線に気付いた美春はあははー、と苦笑を浮かべアリスは静かに項垂れた。
「お前たちもお前たちだぞ。まったく・・・」
「い、いやぁ。せっかくの先輩方の入学式ですから美春とアリスちゃんで驚かせようと思ったんです。
で、潜入したまでは良かったんですが、すやすや眠っている先輩の寝顔がまた可愛くてですねー・・・」
「それで、そのまま見てたらいつの間にか・・・」
「「一緒に寝てました」」
はぁ、とため息を吐く純一に対し、なぜか音夢は二人を強く睨みつけていた。
「そもそもなんで潜入なんてしようとしたの? しかもよりにもよってどうして兄さんの部屋に? あんな羨ま―――こほん、あんな卑猥なことを」
「いやぁ、インパクトある驚かせ方ならやっぱり家に入った方が良いかなぁ、と。それで・・・」
「家の中に内緒で潜入するには朝倉先輩の部屋の扉が良いって、芳乃先生が言ってたから・・・」
瞬間、バキッと何かが折れるような音が居間にこだました。
「あ、あの・・・音夢先輩?」
「ふ・・・ふふ・・・、そう、さくらが。・・・覚えてなさいよ、さくらちゃん? ふ、ふふふ・・・」
紫色のオーラを撒き散らしながらゆらりと立つ音夢の握り拳からは先程まで『箸』と呼ばれていた物体の残骸がパラパラと舞った。
「朝倉せんぱ〜い。音夢先輩が〜、音夢先輩が〜」
「落ち着け美春。もう誰にも止められはしないさ・・・」
「朝倉先輩なに遠い目してるんですかーっ!」
触らぬ音夢に崇りなし。
そう実感する純一は素知らぬ顔で味噌汁を飲み下す。
「なにやってるの兄さん! とっとと学園に行くよ!」
「は? ちょっと待て。まだ7時半だぞ? いくらなんでも早すぎ・・・」
「とっとと支度してください!!」
「ら、らじゃ」
「ふふ・・・、逃がさないわよ、さくら・・・」
くつくつと笑う音夢の表情に、三人はビクビクしながら早くも登校の支度をするのだった。
しかし、結果的にはこの早期登校が良かった。
既に通学路には生徒たちで溢れており、そのほとんどが皆真新しい制服に袖を通しているのだ。
それを見ながら音夢はあちゃーと手を額に当てて、
「そっか。入学式があるからいつもより登校早かったんだ。私としたことが・・・迂闊でした」
「まぁ、結果的にはこうしてゆったりと歩けてるわけだし、良いんじゃないか?」
「そうですよ音夢先輩。結果良ければ全て良しですっ!」
「でも、これじゃあ風紀委員としての面目が・・・」
「って、お前まだ入学もしてないんだぞ。委員会なんてまだ入ってないじゃないか」
「兄さん知らないの? 委員会で優秀だと認められた人は進学しても基本的に同じ委員会に所属することになるの」
「ほー。そりゃ初耳だ」
「つまり朝倉妹は再び風紀委員としてこの俺の前に立ちはだかるわけだな」
「そういうことに―――って!?」
音夢を筆頭に四人はバッと後ろを振り返った。
するとそこにはいつの間にかフッ、とニヒルな笑みを浮かべ髪を手で流している男と、さらにその後ろにそれぞれ男と女が一人ずつ立っていた。
「す、杉並くん!? それに・・・美月さんに永司くんまで!?」
「こ、これは・・・! 非公式新聞部全員集合ですか!?」
驚愕に目を見開く音夢に、美春も続く。
その反応に満足げな表情をして一歩を踏み出したのは、長い黒髪を撫で上げる美月夕維だ。
「あら。そんなにわたしたちがいたことに驚くなんて、風紀委員の感知力もまだまだね」
「いや、あれはどうあっても気付かないだろう」
「朝倉先輩。非公式新聞部には気配遮断スキルが必須なんでしょうか?」
「・・・そういうことを真顔で訊ねるのはよそうな、アリス」
そんな純一とアリスらサイドの会話を無視して音夢は一歩を踏み出す。
「あら、それはどういう意味でしょうか。美月さん?」
美月がさらに一歩を踏み出す。
「そのままの意味だけど、理解できなかったかしら? これだから兄馬鹿一代は困るわね〜」
音夢がさらに一歩を踏み出す。
「そんなことを言っているといずれ足元すくわれますよ? そうやってあなたが馬鹿にしている相手に」
美月がさらにさらに一歩を踏み出す。
「あーら。そんなことできるのかしら? 能無しの風紀委員が?」
音夢がさらにさらに一歩を踏み出す。
「えぇ、できますとも。その無駄に大きい態度もそれまでですわ。おほほほ」
互いに前進していた二人は既に額がくっつくかという距離・・・というか既に額を押し合い、しかし笑顔のまま会話の応酬を繰り広げる。
「へぇ、やってほしいものね。そんなこと・・・!」
「言われずともやってあげます・・・!」
漫画ならグググッ、といった擬音が聞こえてきそうなほどに額を押し付けあう二人は笑顔ではあるが、その口端はかなり引きつっている。
「まぁまぁ、音夢も夕維も待て」
そんな二人に割って入ったのはさきほど夕維の隣に立っていた男、芳乃永司である。
「永司くん! どうして風紀委員をやめて非公式新聞部になんか入ったんですか!!」
「芳乃くん! どうしてこんな兄馬鹿一代を庇うわけ! まだ風紀委員のときの名残でもあるのかしら!!」
「あちゃー。余計こんがらがっちまった・・・。おーい純一、杉並。どうにかしてくれー」
「かったるい。なんで俺が」
「右に同じくだ。女の戦いに男が首を突っ込むものではない」
「うわ、ひどっ。身を挺して仲裁せんとする俺を助けてはくれないのか」
「「無理だな」」
「・・・あぁ、そうだよな。お前らはそういうやつだよ、まったく」
「はは、まぁ頑張れ。・・・ん?」
と、そうやって傍観していた純一は袖を引っ張られる感覚に下を向く。そこにはこちらを見上げるアリスがいて、
「あの・・・時間は平気ですか?」
「・・・・・・・・・・・・あ」
バッと勢いよく腕を振り上げて腕時計を確認する。
「・・・7時、55分」
瞬間、サーっと純一の顔から血の気が消えた。
「・・・音夢。入学式の開始時間はいつだった?」
「え? えっと・・・確か8時からだったと思いますが」
―――ヲイヲイヲイヲイヲイヲイヲイ!!
いつの間にか周囲にいたはずの制服姿も完全に消えている。
「あの、どうしたんです、兄さん・・・?」
近寄ってくる音夢に、純一はただ黙って腕時計を見せた。
すると音夢は一瞬キョトンと、そして目を見開き、そして次の瞬間には顔を青くして、そしてとどめに叫んだ。
「なにをのんびりしてるの兄さん!! 急がないと完璧遅刻よ―――!!」
「それはお前らのせいだろが―――!!」
と、責任を擦り付け合っていても仕方ない。そして杉並たちにも声をかけようと後ろを振り向き―――、
「は?」
しかしそこには誰一人としていない。
はて、と首を傾げて前に向き直れば、はるか前方をキックボードで疾走する非公式新聞部の影があった。
「ふははははっ。なにをしておるのだ朝倉! 急がなければ遅刻だぞー!」
「なっ!? いつの間に!?」
「ではな朝倉! 互いに生き残ったならば入学式で会おう! ふははははは!」
「じゃあねー、兄馬鹿一代に腰巾着のバナナ娘ー!」
「純一、音夢。お先〜」
ポカンと、その光景を見ていた純一たちだが、差し迫った事態に気付き、顔を見合わせる。
「俺たちも急がないと遅刻だぞ、音夢!」
「そ、そうだった! ほら、美春と月城さんも行くわよ!」
だが美春は苦笑いを浮かべたまま、アリスは無表情にその場を動こうとしない。
どうしたものかと思えば、
「いやー、美春たちは中等部三年なわけで、始業式も昨日で済ませてますしー」
「別に早く行く必要がないんです」
純一と音夢の動きが止まる。
「と、いうわけで美春たちはゆっくりと行きたいと思います〜」
「先輩方、ご武運を」
あはは、と頭を掻く美春。ぺこりとお辞儀するアリス。
そんな二人を、どこか泣きそうな顔で見つめた二人は、
「「この・・・裏切り者おぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ・・・!!!」」
そう言って走り去っていったそうな。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・。き、奇跡は起きないから奇跡って言うんだな・・・」
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、・・・に、兄さん。それ、・・・き。キャラが違う・・・」
校門の前。息も絶え絶えの二人はもはや誰もいなくなったそこに身体を預けながら無情にも鳴り響く鐘を聞いていた。
いまなら地球を目前に死んでしまった艦長の悔しさが痛感できるな、などと素っ頓狂なことを考える純一の頭には酸素が回っていない。
「はぁ・・・はぁ・・・。だ、だが音夢よ・・・。いまはまだ8時3分だ。このまま急げばもしかしたら・・・ま、間に合うとは思わんか?」
「はぁ、はぁ、そ、そうですね。もしかしたら・・・な、なんとかなるかもしれませんね・・・」
「だ、だろう? よし、もう少し頑張るぞ」
息を整えつつ、再び走り出そうとした二人。だが、
「・・・・・・ぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「ん?」
「どうしたの、兄さん?」
「あ、いや。・・・いまなにか聞こえなかったか?」
「え?」
・・・ドドドドドドドドドドド。
「ほら、なんかずっと遠くから地響きみたいな音と共になんかこう、地獄の底から湧き出るような声というか・・・」
「・・・はい?」
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
「ほらな?」
「あ、ホントだ。なんか聞こえる」
「ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「・・・しかも、なんか近付いてきてないか?」
「・・・きてるね、多分」
アイコンタクト。頷きあい、二人は同時に勢いよく後ろを振り返った。
その視線のはるか先。粉塵を巻き上げ地響きを響かせながらやってくる“なにか”がある!
「ああああああああああああああああああああ!!」
それは―――とんでもないスピードでやって来た。
その人物の顔を見て、純一と音夢は同じ思考へと辿り着いた。
―――鬼だ、と。
「ああああああああああああああああ!! どいてどいてどいてどいてどいて―――!!」
その鬼の形相をした少女は、まるで加速を緩めることなくこちらへと突っ込んでくる。
「音夢!」
「え? あ、きゃあ!」
純一は咄嗟に音夢を庇うように押した。
(音夢、お前だけでも生き延びてくれ・・・!)
(そんな、兄さん!?)
それは兄妹のアイコンタクト。悲しくも温かい兄妹愛のなせる業だった。・・・が、
どがーーーんっ!!
「「ぐばぁっ!!」」
「・・・あ、あれ?」
・・・なぜか突貫少女とぶつかったのは純一に突き飛ばされた音夢のほうだった。
しかもそのせいで不安定な姿勢だった音夢は受身など取れるわけもなく、少女もろともそれこそきりもみのように激しく吹き飛んでいった。
巻き上がる土埃。止まる静寂。そしてぽつんと立つ朝倉純一。
そんな中、純一は眉間に指を突き立てうーんと考え込むこと数秒。なにか閃いたのかポン、と手を打ち、一言。
「見なかったことにしよう」
「へぇ、・・・兄さん。どうやら死ぬ覚悟はできているようですね?」
「!?」
それは、そう。まさに戦慄とでも言おうか。
背中に走る怖気と寒気に、まるでブリキ人形のように首を回せば・・・そこには修羅がいた。
髪を揺らめかせ、瞳を赤に輝かす修羅が。
「いや、待て音夢! いまのはどう考えても事故だろう?!」
「それはともかくとしても、その後の言葉はどういう意味でしょうねぇ?」
「えーと・・・」
純一は必死にこの状況を回避する術を考える。
・・・何も浮かばない。
あー、そういえばこんなこと朝も考えたなー、とか既に現実逃避気味の思考の中、音夢の手ががしっと純一の肩に掛かった。
あ、終わった。
純一は本日二度目の黄泉行きを確定した。
「天誅―――――――――!!!」
薄れいく意識の中、純一が最後に見たのは・・・幻だろうか、音夢の背後に輝く『天』の文字だった。
まぁ、この事態で間に合いそうだった入学式もアウトになったのは言うまでもない。
そんなこんなで再びしゅんとなる音夢。再びボクシングの試合後のような顔の純一。そして音夢に激突して、しかしぴんぴんとしている少女。
とりあえず純一は痛む頬をさすりながら、その少女に振り返った。
「えっと・・・とりあえずいろいろとすまないな。俺たちのせいで君まで遅刻になっちまって」
「あぁ、いやいや。あれはもう純粋にお兄ちゃんの仕業だから気にしないでいいよ」
これだけ腫れた顔の男でも表情一つ動かさない少女に驚きつつ、純一は気になった単語を口にする。
「お兄ちゃん?」
その問いに、少女はこめかみを強く引きつかせた。
「えぇ。事もあろうにうちのお兄ちゃんはわたしが今日入学式だと知った上で、わたしを超大型金庫の中に閉じ込めたの」
「・・・・・・は?」
「まったく。起きたらすごい真っ暗だし、頭ぶつけるし、まわり硬いし。すごいビックリしたよ。
まぁ、手触りで金庫だっていうのはわかったけど、あのタイプの金庫の内側からのピッキングは難しくて脱出するのに10分もかかちゃった」
「・・・・・・」
「それにしてもお兄ちゃんったら加減って言葉を知らないのかな。いや、地下倉庫に放らないだけ手加減したのかな・・・?」
えーと、と純一は迷った。
なにを突っ込めば良いのか、そもそもどこから突っ込んで良いのかまるでわからない。
そうして行き着いた決断は、
―――かったるい。
純一を純一たらしめる要因が、結局はそこへ向かわせるのだった。
だから無難な問いを繰り出す。
「・・・あー、うん。とりあえず君の名前聞いて良いかな?」
「あ、うん。わたしは折原みさお。よろしく」
にこりと笑う表情が可愛いとか、それの拍子に揺れた小さな髪飾りが可愛いとか、いつもの純一なら考えただろう。
だが、彼の頭はいまそんなことを考える余裕はなくなっていた。
純一はその少女のある一言によって、全てを理解したからだ。
しかし、万が一ということもある。純一はそれを確認すべく、ゆっくりと口を開いた。
「えっと、もしかして君のお兄ちゃんって・・・折原浩平先輩か?」
「あ、うん、そうだよ。知ってるの?」
「ま、まぁ・・・ね」
主にかったるいことで色々と。それは口に出さず。
しかし、なるほど。その兄が折原浩平で、この子がその妹であるのならさっきの突飛な話も納得できる。
音夢も折原浩平の名を聞いてか、かなりげんなりしている。彼女は風紀委員として幾度も浩平と相対したことがあるからだ。
「・・・そんなことより兄さん。クラス編成を見て教室に向かいましょう」
「ん? 入学式はいいのか? 途中からでも入ろうと思えば・・・」
「いえ、どうせ老船会長のことですからものの数分で終わることでしょう。それならばこのままクラスへ向かうほうが随分と良いと思います」
みさおがいることを考えてか、学園用の裏モードになっている音夢。
そんなことをしても無駄だろうけどな、とは思いつつ純一はそれを言ったりはしない。なぜならかったるいから。
それに音夢の案には賛成だ。いや、会長の話が短い云々ではなく、もうここまできたら入学式に出ることが億劫になってきたのだ。
と、いうわけで純一は音夢とみさおを引き連れてもう誰もいない掲示板へ。
とても見やすいクラス発表という初めての経験の中、純一は自分のクラスを見つけた。
「C組だな」
「兄さんもですか? 私もC組です」
「あ、わたしもだー」
出席 番号 |
氏名 |
1 | 藍住零夜 |
2 | 朝倉純一 |
3 | 朝倉音夢 |
4 | 天野美汐 |
5 | 伊吹風子 |
6 | 遠藤裕也 |
7 | 折原みさお |
8 | 筧和彦 |
9 | 霧羽明日美 |
10 | 桐生綾那 |
11 | 桐生伊里那 |
12 | 霧島佳乃 |
13 | 工藤叶 |
14 | 倉田一弥 |
15 | 上月澪 |
16 | 胡ノ宮環 |
17 | 彩珠ななこ |
18 | 鷺澤美咲 |
19 | 佐々倉夏燐 |
20 | 佐藤康介 |
21 | 佐藤美穂 |
22 | 莢長鞘 |
23 | 白河ことり |
24 | 杉並拓也 |
25 | 戸倉かえで |
26 | 丹南翠 |
27 | 美坂栞 |
28 | 水城祥子 |
29 | 水越眞子 |
30 | 美月夕維 |
31 | 水無月椿 |
32 | 紫和泉子 |
33 | 芳野永司 |
「ホントだ。皆一緒だな。・・・ついでにさっきの非公式新聞部のメンバーも」
「あら、そっちの方が都合良いです。なんせ一年でブラックリスト入りの人が四人、皆同じクラスにいるんですからねぇ?」
そう言って意味ありげな視線をよこす音夢。
「・・・もしかしてブラックリストって進学しても受け継がれるのか?」
「もちろんですよ。多少の変動はあるかもしれませんが。・・・ね? ブラックリスト第八位の兄さん?」
はぁ、と純一は吐息一つ。
まぁ昔は杉並や永司、その他先輩方と馬鹿をやった。音夢のいる風紀委員や、生徒会、中央委員なんかと対立しながら。
だが・・・もう高校生だ。そんな馬鹿もかったるくてやることはないだろう。
「大丈夫だ。もうかったるくて騒いだりなんかしないさ」
「・・・ホントですかね?」
「ホントだともさ。だからその半目は止めい。お前は兄さんを信じられないのか?」
音夢はとびきりの笑顔を携え、一言。
「兄さんを信じてもろくなことありませんから」
「・・・あー、そ」
どことなく物悲しい気持ちを感じながら、純一は歩き出す。
後ろからついてくる音夢とみさおの足音を聞きながら、ホントに馬鹿騒ぎする気ないんだがなー、などと考えて。
・・・だが、純一は理解していない。
自分がやるやらないではないの問題ではないのだ。
この面子ならば・・・否応無しに巻き込まれるという不遇の運命を。
そしてそれを純一が身に染みて理解するまで、あと数時間もないのだということを・・・。
あとがき
ども、神無月です。
えー、ってなわけで一年生編、入学式のスタートです。
あー、そうそう。キー学の音夢には普通の裏モードとは別に黒モードが存在します。さくらに対してのあれですねー。これは風紀委員として杉並や浩平と相対したときも発揮されるのでお楽しみに。
あとアリスはもうピロスがいなくても普通に喋れるようになっています。とはいえ能力が消えたわけではありません。性格もまだ少し内気ですし。
まぁ、なにはともあれ原作とも少し違った皆の雄姿をご覧あれw(マテ
ではでは〜。